はてなキーワード: 地下鉄に乗ってとは
映画好き、というか映画館が大好きで映画をよく観る。平均するとだいたい年に70~80回くらいは映画館に足を運んでいるので、まあまあ映画をよく観ている方だと思う。
東京に住んでいるのでシネコン、単館、名画座含めて都内のほとんどの映画館に足を運んだことがあるけれど、私が一番大好きな、自分にとって宝物のような映画館は109木場だ。思い入れのせいもあるかもしれないけど、この評価は20年間変わっていない。
109木場は名前のとおり東急系列のシネコンで、109シネマズの中でも港北に次いで2番目に古い2000年オープンだ。
郊外によくあるようなイトーヨーカドーの3階の片隅にある何の変哲もないスーパー併設型のシネコンであり、特別お洒落でもないし、日曜日には家族連れで来た子供たちが騒いでいるし、特別設備が優れているわけでもなくロビーだって狭いし、トイレだってロビーの1か所にしかない。
それなのに、いつだって映画体験の満足度がとても高い。そんな不思議な映画館だ。
トラバした記事のブコメを見ると、たぶん同じことを考えていてひっそり109木場を愛している人がちらほら居そうなので、こういうことを書くと「お前黙っとけよ!」とツッコまれそうな気がしないでもないんだけど、はじめに”なぜここが素晴らしいのか”の身も蓋も無い一番の理由を書くと、「いつもやたら空いているから」だったりする。
イチ押しの理由が「映画好きが観たい映画を観たいときにガラガラだから」という、映画館にとってはネガティブな理由を素晴らしいと言われるのはちょっと困りものだと思うし、それが理由で人気が出て混むのも正直嫌だったりもするんだけど、お客さんが入らなすぎて潰れてしまいでもしたらもっと嫌だから、ほどほどのところで素晴らしい映画館であり続けてほしいという複雑に我儘な気持ちがある。
少し前にアド街で木場の特集が組まれたときにギャザリアが上位になって、それを見た女優さんか誰か(失念しましたすみません)がチラッと「ここの映画館がとても好きでよく来るんですよ、その理由は、いや、うん」みたいな歯にものの詰まったような言い方をしていて、あなた絶対今同じこと考えていて喉元まで言葉が出掛かってたでしょ?と思って笑ってしまったのだけれど、でもとにかくここの映画館はシネコンの安定した品質と快適な空間のバランスが程よくて居心地が良いのだ。
最近、109シネマズが歌舞伎町タワーにプレミアムシート専門の映画館を作って話題になっているけれど、ターゲットが違うと言われようが貧乏くさいと言われようが私なら歌舞伎町に行くくらいなら木場まで地下鉄に乗ってこの何の変哲もないイトーヨーカドーの隅の映画館に行く。ここで映画を観るときは予約すればほぼ確実にプレミアムシートが取れるし、追加料金も無いしね(なんならガチで貸し切り上映だったり……んがんぐ)。
で、ここまで書いて「なんだ中途半端なところにあるからガラガラだっていう話かよ」ということになってしまいそうなんだけど、それだけじゃないんだよということを書きたいというのが本題だったりします。
私自身は今は東京区部の西側に住んでいるので、木場は都内を横断して反対側に位置している。実際のところ一番よく通う映画館は新宿三丁目界隈だし、一番設備がいいシネコンは池袋のグラシネだと思うし、お祭り騒ぎを楽しみたいときは立川にも行くし、渋谷や馬場や中央線沿いの単館や名画座にも大好きな映画館がいくつもあるけれど、それに負けない魅力が109木場にはあるのです。
まず映画館の在り方として、設備の程よさ、ちょうどよさが心地よい。スーパーの一角にあるから当然気分がムーディーに盛り上がってまいりました!という感じではないけれど、建物の入り口からの導線が短くてコンパクトにまとまっていて気分が散漫になることが無いし、テナント群との距離も取られているので騒がしくもない。最近のシネコンはスクリーン前の廊下まで明るくモダンな内装にするところが多いけど、ここは良い意味で一昔前の郊外のエンタメ施設っぽい暗い廊下が映画への集中を促してくれるので好きです。
もう古いほうのシネコンになるけれど、肝心の映画設備はスクリーンも席も行き届いていて快適です。かなり初期からIMAXを備えた数少ない映画館だったので「立派なIMAXがある劇場」という先入観があったせいもあるかもしれないけど、音響も悪くない(というか結構良い)と思う。そんなIMAXも古いだけあってずっと希少ですらあった「ただのデジタル」だったんだけど、つい最近IMAXレーザーにリニューアルされて現代スペックになった。サンキュー東急。
109の中の人によくわかっている人がいるのか単に微妙に山手線圏内と商圏がかぶらない場所にあるからなのかはわからないけど、なぜか一部で話題になっているような映画ファンのツボに入る映画を引っ張ってきて掛けていることが多いのも109木場の特徴。新宿ピカデリーでやっているようなインド映画の大作とか、ミニシアター系の話題作なんかも109で木場だけ上映していることがよくあって、そういうときはここで観るとプレミアムシート(無料)で快適に観られるので圧倒的に満足度が高い。何かそういう配給の仕切りがあるのかな?
んで例えば過去で言えばバーフバリIMAXとかバジュランギおじさんと小さな迷子とか、最近ならRRRみたいな歌って踊れる映画をやると、ファミリー層向けのシネコンとは思えないような音量を鳴らしてきたりして、ああシネコンの音響って本気出すと爆音映画祭みたいなスピーカー無くてもこんな音量が出るものなんだって感動したりする。当然、確信的にやってますよね?(知らないだけかもしれないけど、同じ109でも他のところではそういう感想を持ったことが無い気がする)
あとは、これは映画館の力ではないけれど、やっぱり木場という街のロケーションが良いですよね。
ほぼ都心と言っても間違いではない場所なのに、シーンとした郊外のようでもあるあの不思議な感覚。平日の夜レイトショーで映画を観て帰ろうとすると、休日のお昼なら子供たちの声が聞こえてきて騒がしいんだろうなあなんてことを想像しつつ、人もまばらで誰もいない(ガラガラだから……)ショッピングセンターのシャッターが閉まったフロアの脇をすり抜けて地下鉄の駅へ向かうあの感覚がとても良いです。オフィス街でもあるのであの辺で働いている人にとっては何言ってんだこいつという感じかもしれないが、そもそも郊外型のショッピング施設なのに都心のオフィス街の中にあるという独特な雰囲気がある場所って結構珍しくて、そこが似たような立ち位置にある近隣のシネコン(豊洲とか亀有とか市川とか)とはちょっと異質な雰囲気の元になっている気がする。駐車場に泊めたクルマで帰ろう、というのではなくて、ああ良い映画だったなあ、って思いながら木場駅に潜るあの瞬間がとても好きだ。
もちろん、トラバの記事にあるように木場の街自体とても魅力が高い。MOTで気に入った展覧会を観てから木場公園を抜けて映画を観て帰るとそれだけで充実した休日になった気がするし、数ある人気店のラーメン食べたり、木場らしくタンギョー食べたり、美味しいカレー屋も多いし、清澄あたりでコーヒー屋めぐりをしてから向かっても良いし、なんならギャザリアのレストラン街やフードコートのぽっぽで時間を潰す休日も良い。
僕と彼の行っていた大学は近くに名のある寺があり、そこに文豪や歌舞伎役者や芸能人の墓があった。
彼は雪深いところから進学のために上京してきたが僕と幾人かの家にこもりがちな友人を作った他はその寺をうろうろとしていたようだ。
僕は何度か彼のうろうろに付き合って道道に彼の今日の訪問先の説明を聞き、かの有名な誰それがまでは面白く感じていた。
しかしいざこの墓石の下にその人の骨があると言われても大して楽しくはなかった。
野球選手やプロレスラーだか格闘家だかの墓となると僕はもうさっぱりわからないので、そうなんだ、へえ、そうか、はあん、などと相槌を打ちつつ右から左に流して歩いた。
彼はそこそこに稼げるアルバイトを見つけてから国外にも足を伸ばし、あちこちの墓の写真を撮っては内輪の会話にアップロードしていた。
四年になりめでたく内定ももらって日がなだらだらしていた頃、僕でも知っているような高名な哲学者の墓に行くと彼が言い出した。
しかしその墓のある国は少し思想や治安が日本と異なり、またその場所自体が割と政治的係争のあるところだった。
僕は友人と飲みに連れ出してやんわりと今回は危ないのではないかと言ったが、意に介してもらえなかった。
彼は日本人が物見遊山では行かないような国の名前を出して今までもあそこやどこそこに行って大丈夫だったと言う。
僕は彼の素気なさに、酒が入っていたせいか日頃の色々が積もっていたせいか苛立ち、怒りを爆発させてしまった。
店の中で大声を出して友人に雪の降る店外に連れ出され幼児のようにぶんむくれた僕はそのまま地下鉄に乗って帰った。
それが彼と会った最後だった。
スーツを着て内定式に出て多忙な日々を過ごし慣れた頃に結婚し程々に幸せを理解してきた頃、彼の訃報が舞い込んだ。
彼は雪深い故郷の病院でお母さんと従弟に見守られて息を引き取ったそうだ。
僕は物見遊山を口実にして妻を旅行に連れ出し、最終日に日帰り温泉に行かせてひとり彼の墓を参った。
彼の骨はその墓石の下にある。
しかし大して楽しくはなかった。
彼はまだあの哲学者の墓の前にいる、僕はそういうことにした。
多分俺より一本早い地下鉄に乗ってるっぽくて同じコンビニで会うんだけど
つっても向こうはこっちを認識してないと思うんだけど、だいたい俺がレジ待ち列に並ぶと会計してる
混んでるコンビニで毎回毎回、会計の時に「〇〇円になります~」て店員に言われてから、スマホ探し出すのやめてくんねえかな
しかもペイペイ払いってお前、キャッシュレス決済の中ではトップクラスに時間かかるやつじゃねえか
せめて事前にスマホを手に取りペイペイを起動しておくくらいのことはできないのか
所用で週末に広尾に来た。
駅から有栖川公園に向かう路地には外国人が多い。自転車の親子がいた。父親は180センチ超100キロ超で金髪の禿頭で脛毛丸出しの短パン姿、娘は幼稚園ないし小学校低学年、金髪を後ろで束ねている。街乗りでも顎にカバーのついたヘルメットを被るのが欧米系では一般的だが、娘の方が日本の女児と同様に、ピンクのキャラものの自転車に跨っているのが微笑ましい。
有栖川公園には虫取り網を持った小学校男児とその父親の二人がいる。父親は30代後半で日本代表のサッカーTシャツを着ているが、全く似合っていない。この近辺に住んでいるのだろうから、職業はなんだろう、年収はどれぐらいなんだろうかと思ってしまう。
駅近くのスーパーマーケットに寄ってみる。店内放送が英語だと言うぐらいで驚いてはいけない。入口付近に並べてあるオーストリア産リブアイロールのステーキ肉が1枚1800円であるが、これを買うのはこの店では下位層の客なのかもしれない。奥に進むと、対面販売コーナーで、70代とおぼしき小柄で地味な服装の女性が、店員に対して黒毛和牛のサーロインを切り分けてもらうよう、丁寧な口調で頼んでいた。
店を出て、駅に向かうと改札の隣にはコスモス薬品がある。ここは確か以前、ナチュラルローソンだったと思う。広尾に出店したコスモス薬品というのが物珍しくてなかを覗いてみたが、品揃えもディスプレイも、普通のドラッグストアとの違いは見て取れなかった。今日はこのまま地下鉄に乗って帰る。
温泉むすめの話で、観光客がこないから萌キャラのコラボに頼らざるを得なかったとか、
観光客が十分に入ればそういうのに頼る必要はなかったはずだという主張をよく見る。
でも、かつてはむしろオーバツーリズムの被害者と描かれることすらあった伏見稲荷大社ですら、アニメとコラボしてたのはどういう理由だったんだろう。
今絶賛京都は観光客多すぎで込みすぎてやばい状態だけど、京都は昔からいろいろ萌キャラを作ったり、あるいは既存作品とコラボしてたりする。
以前地下鉄に乗ってたら、独自の同人イベント?的なのの告知までされててびっくりした記憶がある。地下鉄にも独自の鉄道むすめ的なの作ってたし。
でもそういうのが京都のある種の先進性の1つのような感じがして、別に客が来ないから必死とかそういうのはあまり感じなかったんだけどなと。
勿論自分の感じ方が悪かったのかもしれないが。
ほぼ出尽くしたって感じがするけれど...
「地下鉄に乗って(メトロに乗って)」という映画を見たら、昔の地下鉄がどんな感じだったかわかると思う。
あの頃は何もしない時間を楽しむみたいなことがずっとできたんだと思う。
多分、考え事をしたり、ぼーっとしたり、寝たりしてたんだと思う。あとは複数でいたらおしゃべりしてたね。
駅のキオスクは最近では絶滅危惧種なのかもしれないが、そこで本、雑誌、新聞、菓子が売られているので、それを車内で消費していた。
特に、中吊り広告は頻繁に変わるから、あれを読んでいるだけでも退屈しなかった。
停車中の数分で作業員がやってきてさっさと変えていくのって見たことない?
ポータブル音楽プレイヤーが出てからは音楽聞いている人がいて、音漏れが問題になったこともあった。
...おっちゃんが電車に乗り始めたのがこの辺なので、上がどういう順番でやってきたかは実はよくわからない。
あの頃はただただ、満員電車に耐えている人多数、一部の立っているが外側をゲットできた人、座れた人が新聞や本を読むという感じだった。
座れた人にはノートパソコンを開いて作業している人もいた...かな。
電車内では狭くて新聞を広げられないので、新聞を立てに4つ折りにして、読むのが普通だったね。
押し屋とか剥がし屋とかが必要な電車に乗ったことある?あの状況で大半の人は乗った後に身動き取れないから、ただただ状況に耐えるって感じだよね。
2Gで携帯メールができるようになってからはメール送っている人もそこそこいただろうね。
ガラケーにワンセグが乗ってからはワンセグを見ている人もいた。
あと、ポータブルビデオプレーヤーやガラケーの動画再生機能で動画を見ている人もいたね。
このころの日本のガラケーは世界最先端だったけれど、プラットフォーマーとしての世界戦略を確立できず、Appleに持ってかれたねって感じ。
3Gのガラケーが出たくらいから今みたいな流れがあったと思う。
最先端が好きな人はいろんなガラケーアプリを入れて楽しんでた。
ガラケーでゲームしている人もまあまあいたし、それぞれのキャリアが作ったサイトの情報を見る人もまあまあいた。
iPhone 3Gがソフトバンクから発売されたら、最先端好きな人がそれに飛びついた。
今や「えーマジガラケー!?キモーイ」「ガラケーが許されるのは小学生までだよね」「キャハハハハハ」 みたいな感じになってしまった。
職場の人に、恋を忘れるには新しい恋だよ!と言われ、馴染みのない土地でマッチングアプリをした。
1枚目はぼやけてる写真、2枚目は顔に薄くぼかしが入っている写真のプロフィール画像を選び男を左、右へスワイプした。
話が会って、顔も好きになれる人とマッチングし会うことになった。
カフェで地元や仕事、関西の話をし、向こうがもう少し話したいと言い居酒屋に行くことにした。
居酒屋では、お酒を飲みながらヤンニョムチキンを食べ漫画の話、過去の恋愛話をした
やはりそう来るか、
私もそうなるかもな〜とは思っていた
毛の処理もしたし、コスメデコルテの高いフェイスパックもした。ボディミルクも6プッシュした。
でも、ビデオが擦り切れるほどディズニー映画の美女と野獣を観て育った私は即セッ○○をする世界は考えられなかった。
美女と野獣は、町娘のベルと野獣になってしまった王子様が共に過ごし、孤独だった二人が心を通わせ、愛するということを知る物語だ。
出会って即セッというのは心を通わせる楽しさをすっ飛ばし、いつキスするのか〜とか妄想すら出来ないので、それとなく断った。
男とまた会おうねと会話をして、地下鉄に乗っているときに急に虚しさが芽生えた。
私は向こうのことをもっと知りたいと思っていたのに向こうは出来ればラッキーと思っていたのかと
大好きです!!この世で一番美しい!!!と求めてくれれば、情熱に負けて応えてたかもしれない
しかし、俺んちまでタクシーに乗って、You Tube見ようっていうワンチャン狙いの言葉に冷めてしまった。
私じゃなくても、セッ出来る人間なら誰でも良いのか、酒の力を借りてしか動けないなんて。
すれ違いの遠距離に耐えられず私から別れを切り出した元彼が勇気を出して告白してくれたこと、初めてキスした時手が震えていたこと、かわいいと言ってくれたこと、頭痛のときに大丈夫?とライン電話で心配してくれて、音を立てずに電話を繋いでくれたことを思い出した。
今更になって、優しい人だったなと思い出してし、最寄り駅で降りたあと泣いてしまった
。
今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれた屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。
私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。
小説といえば、昔に村上春樹の小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から非日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。
どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います。塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマン・タマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。
小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年はタマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年がネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。
1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えています。お金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋で立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。
その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校を卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強をしました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分は馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館の自習室に通って勉強を続けていました。
そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人になんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。
その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分が臭いのがわかって辛かったものです。
気分転換でもと思って院内を散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。
屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院の屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分が小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。
私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。
落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。
その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。
病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。
私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこと自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。
視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。
その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。
そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。
それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学に合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。
20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫の学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます。奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。
でも、いつからか、自分で自分の人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます。
何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院で出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります。普段は忘れていて、そのとき見たものや匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます。
ただ、思い出したときに何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事なものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。
「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」
中国からの団体旅行制限が発表される直前、都心のホテルでアジア系の一行がN95マスクを着けて荷物を運び入れるのを見かけた。武漢から避難してきた家族かもしれないと思った。
武漢からやってきた人たちには、東京で地下鉄に乗ってきてほしくない。ショッピングモールや商店街にも来てほしくない。感染が怖い。
だからといって、そんな思いを口に出したり、行動に表しては、たんなる人種差別とどこが違うのだろうか。
武漢からやってきた中国人も、上海人も、香港人も、台湾人も、私には見分けがつかない。
かりに武漢からやってきた人たちが東京でひっそりと避難生活を送っていたとしても、彼らは自分たちがコントロールできない要因によって、もう十分に恐怖を味わい、苦しんだはずだ。差別されるいわれなど毛頭ない。
検診は受けてほしいし、症状が出た場合は自発的に医療機関を受診してほしいと思うが、「あなたは武漢から来たのですか。ところで検疫はお済みですか?」と尋ねるのは、差別とどこが違うのだろうか。
ウイルスが引き起こす感染症の実態がまだよくわかっていないために、感染者や感染地域の出身者にたいして、魔女狩り的な恐怖と攻撃心が自分のうちにもあるなと思う。
いま武漢で起こっていることは、これから世界中のどこでも、日本でも起こりうるのではないか。
これだけ国境を越えた人の往来が日常的になった時代には、逃げ場はないという前提で物を考えた方がよいのではないか。
「肺炎がうつるから中国人は日本に来るな!」と思っている人は、東京発、大阪発の新型肺炎が発生した際に、差別されることを受け入れられるだろうか。
明日は我が身、もはや逃げ場はないという前提で、最悪の事態を想定して、感染しないようにするにはどうすればよいか、もし感染、発症した場合は、どこに助けを求めればよいか、という知識を持っておく方がましではないだろうか。
増田でも、婚活で出会った地雷案件の投稿が最近は増えた気がする。わたしも以前なかなかパンチの効いた案件を引いて、それを書いてみたら人気エントリに載った。婚活とは奇妙な男たちとの出会いの連続である。
この前会った男はその中でも群を抜いて「やばい」相手だった、今まで会った人たちはめちゃくちゃ「まし」なのでは?切り捨てなくて良いのでは?むしろ優良物件の宝庫では?と真顔になってしまう程度にその相手は「やばい」奴だった
まず、メッセのやり取りからして気持ち悪くて仕方なかった。彼からはメッセージ付きいいねというものを受信して、それにいいねを返す形でやり取りが始まった。
そもそもメッセージ付きいいねというのは「きもいな」と思われるツールだと思う。それが自分好みの相手からだったら「嬉しい」けど、不細工男から「気が合うと思う」などと書かれた日には無言ブロックからの運営通報である。彼からのメッセージ付きいいねも「きもいな」と感じたが、顔は比較的まし、都内の一等地住みということで、生理的嫌悪感よりもスペックを選んでいいねを返した。
相手はマッチングして浮かれてるような文章だった「こんにちは!」「〇〇といいます!」「〇〇なんですね!!」と全てに「!」がついていて「うるせぇな」と思った。こちらの返信がだるさのあまり遅れてくると、焦ってるのか早い段階でアポを取り付けてきた。その日は別の一軍男子とのディナーで都内に出る用事があったので「タダ飯すっかな」と了承した。
待ち合わせの場所、時間を決める前に「では当日」と相手がクローズに向かってブチ切れそうだった。「時間を決めませんか?」って聞いたら勝手に半日拘束を指定してきて「んだコラ!?」ってなった。こっちはてめぇと違って暇じゃねぇから~。段取りの悪さを暗に指摘したら「すみません😰」である。地獄に落ちて欲しい。
ここら辺で切ればよかったのだが、世の中にはどれだけ酷い人間がいるのか見たい。面を拝んでみたい。写真よりブスなのか?と好奇心が勝ってしまった。好奇心は人を殺すよ。
男性たちよ、ドタキャンされたくないなら1日一通でいいからやりとりを続けた方がいい。日がすぎるにつれやり取りしない相手は記憶の彼方に飛ばされていく。前日までにリマインドがなければそのまますっぽかそうとしていたが、リマインドが来てしまった。ちゃっかりしてんなと思いつつ、まあディナーの用事は変わらないので「はい」「わかりました」とだけ冷たく返信した。
待ち合わせ当日、昼過ぎの待ち合わせにも関わらず朝7時頃に「今日はこんな服装です」と連絡が来た。早すぎだろ。気合い入っててきもいなと朝からテンションが下がる。「Tシャツ、半ズボン、サンダル」というおよそ清潔感のない服装がメッセに書かれていることにまた苛立った。わたしはプロフの写真も、好きなブランドも女子アナのような清楚系をチョイスしていたので「相手に合わせようとか、なんも考えてねぇんだろうな」と思った。
待ち合わせは某駅ビルを指定した。日焼けと暑さが嫌だからである。「暑いので室内にしましょう」と気を利かせた感もだしておいた。なのに奴は駅ビルの微妙に屋外に出てるクソ暑い場所にいたのである、馬鹿か?ドタキャンもやむなしと待ち合わせ場所で偵察している時も落ち着きなくうろうろ歩き回っていて恥ずかしかった。なぜ直立して待てないのだろうか。小学生でも奴よりは落ち着いてると思う。何度も「どんな服装ですか?」とメッセ追撃がきて、観念して挨拶したが、目は一切合わせなかった。嫌悪感丸出しにも関わらず相手はにやにやと笑っていた。気色悪っ。
休日の昼間である、店はどこでも混んでいる。某駅ビルのレストランもどこも満席だった。でもわたしは駅ビルで買い物がしたかったので移動したくなかった。そんな時に奴は「気に入ってるカフェがあるので」と移動を提案してきた。どこに向かうのだろうと思っていたら、あろうことかわたしが来た方向に戻るような形で某チェーン店に向かい始めた。いや、先に言っとけよ!途中下車したわ!!
途中暴風で、巻き髪も前髪も全て崩れてブチ切れ寸前だった。嫌味ったらしく「いつもは地下道なのでこんな暴風にはあいません」と言った。田舎者は土地を知らなくて嫌いだ。こいつは生まれてこの方東京都民らしいが、わたしには田舎くせぇ芋にしか見えなかった。
メニューを決める時も人のスマホを覗いてきて気分が悪かった。「見ないでください」と伝えるが、罰が悪そうに笑うので余計に腹がった。いちいち人の地雷を踏み抜く男である。当てつけに他の男にメッセを返していたらわざとらしく視線を逸らして鼻歌なぞ歌い始めていた。落ち着きが無さすぎである。餓鬼か。
奴は自分の前に置かれたパスタを、まるで犬のように顔を皿に近づけて食べ始めた。フォークで大量に掻き込む。顔を上げる。頬に入れた食材を大仰に噛み砕いている。口の中のものが無くなると、また、犬のように皿に顔を近づける。それをエンドレス。肘をついたり、片手しかテーブルに出ていない時も多く、およそマナー皆無な食べ方で不愉快さしかなかった。わたしはその姿を見て食欲がなくなってしまった。
あちらが食べ終わると、あろうことか椅子の上に片膝を立てて、わたしの食事を見つめてくる。ギブアップだった。すぐにトイレに駆け込み、吐き気を抑えながら歯磨きをして「出ましょうか」と伝えた。相手は「?」を浮かべていたが、わたしがカバンを持ってか立ち上がったので慌ててついてきた。「今日はありがとうございました」と一息で言うと炎天下の中を駆け足で雑踏に逃げ込んだ。相手が追いかけてきてるのではと気が気ではなかった。地下鉄に乗って、数駅だけ逃げて、またディナーのためにターミナル駅に戻った。
LINEは交換してないからアプリは逃げ込んだ電車の中でブロックした。こんなにも酷い人間がいては困るなと思った。相手は無言ブロックされたことからなにか察してくれるのだろうか?わたしは犬と食事できるほど寛容ではない。
わたしも人のことをとやかく言えるほどマナーが完璧な人間ではないが、相手が気持ちよく過ごせるようにできるだけ丁寧に気をつけてお茶を飲み、ご飯を食べている。婚活とは面接だ。まして初回など、緊張感を持って取り組むべきだと思う。思うし、わたしは緊張感を持って取り組もうとした。
彼の同僚や上司は、あの食べ方を見てなんとも思わないのだろうか?彼は実家暮らしだったはずだが、両親は何も思わないのか?無礼は悪だと痛感した日だった。
もう終わりにするつもりなので、今の気持ちを書き留めたくなったからここに書く。
私の好きな人はアイドルだ。芸能系とかじゃない、普通科の高校の同級生だ。同じクラスになったのは一度だけだ。多分向こうからしたら顔すら曖昧な認識だろうと思う。それは無理もなく、彼は明るい人間で、運動部で活躍していたそうだから中等部の頃からとても目立っていた。かたや私は文化部で、部員の少ない部活だったから具体的な名前は避けるが、まあ、文芸部とか生物部とかあのへんだと思ってくれたら大体正解だ。彼がヒエラルキーの頂点なら私は最下層だ。彼の情報も大概は言伝のそのまた言伝を盗み聞きして得たようなもので、生きる世界が違いすぎる。まあそんなことこんなところでくだを巻いている時点でお察しだと思うが
好きな理由は色々ある。主にとても彼の身体が好きだった。手脚が長くて太いところと、骨盤の位置が高いところが特に。正直私は(当時は)女みたいだった彼の顔をまったく美形とは感じていなかったが、アイドルになるくらいだしきっと美形なんだろう。入学して間もない頃に校内で歩いてる彼を見かけて好きになった。それからしばらくして、彼が教室のドアを音をたてないように閉めているところを見て本当に好きになった。我ながらわけがわからないと思う。その頃から私は彼の周囲を嗅ぎまわり彼に関する情報をかき集めては妄執にとらわれるようになった。彼に絶対迷惑をかけないようにというのは念頭に置きつつ、あまりここで書きたくないようなこともした。人生で一番猿に近づいた時期だ。でもこの頃が一番幸せだった。
具体的な時期を書くのは避けるが、彼が芸能事務所に入ったことを知ったのは多分同級生のなかでも結構遅かった。同じ部活の後輩が自慢げにSNSに書いていたのを見て知った。その時は驚きこそしたが「まあまあ」と思った。どうでもいいとか思っていた。恥ずかしながら私は(今もだが)そういう芸能界みたいなのに疎くて、なんだかよく聞く読者モデルとかそういうものなんだろうと考えていたからだ。
そこから特にイベントも無く、たまに彼のクラスの前を通って窓の隙間から彼の姿を見ては満足することに終始した。それで結構幸せだった。だがいつからか彼が学校にあまり来なくなったあたりからその楽しみも失われた。ただでさえ少ない遭遇の機会が気付けばゼロに近い値になった。
私はネットが好きなくせに意識的にアイドルとしての彼を調べることを避けていたが、そこで初めて彼の名前で検索した。ショッキングだった。知らないことがたくさん書かれていた。あんなに知りたかった彼の身長や血液型や家族構成がすぐに判明した。それが誰でも読める状態であるというのが衝撃だった。ツイッターで検索すると私と同じように彼のことが好きな人が把握しきれないくらい無数にいたのも胃液が口から飛び出そうになるくらいストレスだった。学校にあまりいなくなった理由は、多分彼のアイドルの仕事が忙しくなったからだった。簡単なことだったし私はそんなことも知らなかった。でもネットで読めた彼の言葉を何日もかけて読み込んで、彼は私の認識していた通りの彼であることがわかり幻滅しなかった自分に心底ほっとした。何を言ってるかわからないと思うが涙が出る程嬉しかった。
それから私は偶然スマホを水没させて数日インターネットを絶ったのをきっかけに、私はもう彼のことを忘れるようと努力しはじめた。インターネットを介して彼を知るほどまた好きになってしまって、でももう私だけの彼じゃないと思うと酷く辛くて何も手につかなくなった。学校集会などでたまに彼を見かけることもあったが意識的に見ないようにした。この頃から受験勉強にも追われ、親しかった友人は内部進学を決めたので自然と外部受験の私とは疎遠になり、本当に孤独で、静かな場所に一人でいるとずっと彼のことを考えてしまうからなるべく雑音の多い場所で勉強をして時間を潰すようになった。成績は上がった。親がとても喜んでいるのが複雑だった。そしてテストの順位が忙しい彼とたいして変わらないことをクラスメイトの会話を介して知ったときは暗い興奮を感じた。おかしな話、彼はすごい奴なのだと誇らしかった。
そういう期間が長くあって、それはそれで精神の安定した時期でもあったのだが、決定的なことがあって全てが終わった。いつのことかはぼかす。
きょうだいがテレビを見ているそばで勉強をしていたら、よく知った声が聴こえてきて、画面を見たら偶然彼が出演していた。文字にすればそれだけのことだった。でもそれが、今までで最大の耐え難いほどのショックだった。そのショックの出処はわからない。なんでこんなに悲しいんだろうと考えることすら悲しくて悲しくてやりきれない気持ちになった。
それから色々なことをとめどなく考えた。今まで思考を避けていたぶん苦しくて数日頭痛が止まらなかった。もし私が彼と同じクラスになることがたくさんあったら同じ部活に入っていれば何か変わっていただろうかと考えることもあったが、きっとどう運命が変わったって私と彼が交わることはなかったのだと自分にわからせるのはそれなりに時間を要した。
自分は、彼がもう恐ろしいほど遠い世界の人間になってしまったことを、スマホの画面や私の視界のような小さく個人的なものではない、大きなテレビ画面に映っている彼を見て、初めてそこで自覚して動揺してしまったのだと、客観的に考えればわかる。だがあの時の私は錯乱状態でそんなことがわからずただ真っ暗な悲しみの中でどうすることもできなかった。
そしてある日学校帰りに街で彼の顔がプリントされたグッズ?をカバンに着けている同年代くらいの女を見かけて反射的にふらふら着いて行ってしまった。彼女は地下鉄に降りていった。私はもしかしてと感じて彼の名前で検索してしまって、彼の出演するライブが丁度その日あると知った。今思えばなんでそんなことをしたのかわからないが、私は気付いたら地下鉄に乗ってその会場に向かった。調べた最寄り駅で降りるとなんだかそれらしい女達がたくさんいて、私はそれだけでオドオドしてしまって早足で彼女らを追い抜くようにしてホームを出た。彼女らのざわざわした話し声の中に時々彼の名前が現れて心臓がバクバクして背汗が止まらなかった。地上に出てからはもっとたくさんの彼の、もしくは彼と同じグループの人のファンらしき人間がたくさんいて、それらは皆一様に同じ方向に歩いていて、あっちかあの方向に彼がいるのかだからみんなあっちに歩いているのだ、と私も突き動かされるようにそれに倣った。よく晴れていたからかなんなのか、汗が止まらなくてしょうがなかったことを鮮明に覚えている。
辿り着いた先は大きな建物だった。綺麗だけど変な匂いがするところだった。ぞろぞろとファンらしい女達がいて、たぶん入場待ちみたいなことなんだろうか。この全員が彼のことを好きなのだと思うと漠然とした恐怖に襲われ、あまり近づけず遠巻きにそれを見ていた。彼の顔がプリントされた様々なものが何度も視界を過った。巨大なモンスターと対峙したような無力感に襲われて、私はここへ来て何をするつもりだったんだ?と自分で自分を責めた。
すると、わりと近からず遠からずな場所に立っていた二人組の女達がちらりとこちらを見た。偶然かと思ったが次は力強く二度見されて、確実に私を見ていることがわかった。私は怖くなって俯き携帯を触っていると彼女らは何事かひそひそ話始めた。ほとんど聞き取れないような声量だったが「あの制服」と言っているのだけははっきりとわかった。
次の瞬間に私は来た道を引き返していた。話しかけてこようとしているような素振りもあったがそれでも走って逃げてしまった。奇異の目だった。あそこにいた彼女らの大半の容姿はとてもかわいい女の子といった風で、私はあの場で死ぬほど浮いていた。気付いてしまった。私が彼を好きでいるのはおかしくて迷惑なことなのだ。そうはっきりと自覚して、今まで何年間も彼のことが好きだった幸せな記憶がフラッシュバックして、その幸せと同じ分の後悔が押し寄せてきて潰れてしまいそうになった。体力が無いのに全力で走ってしまったから息切れて、もう惨めで惨めで涙と塩辛い唾液が止まらなくて、駅のトイレで吐いた。
私はこの日の夜に、初めてはっきりと「もう好きでいることをやめる」と決めた。今まで彼への感情から逃げることはあっても「やめる」とは明言していなかった。そう決めてしまうと、急速に自分の中を占めていた彼の存在が萎んで、不思議なくらい気持ちは落ち着いた。
でもまだ自分の中に彼が残っていた。完全には消えなかった。こうやって彼とのことを物語的に書くことで自分の中で完結させて切り離そうと思った。それは私の勝手であるからどう責められても仕方ないと思う。彼が特定されるような記述はなるべく避けたつもりだし多少筋が曲がらない程度に嘘も交じっているが、別にもうどうなってもかまわないと感じているのも本音のところで、最後に彼に迷惑をかけてみたいと思っている自分がいる。でも一生私のことを知らないでいてほしいのも本当だ。一貫性がない。だいぶ長くなった。推敲だとかもしてないから色々おかしいと思う。もう好きではないけど、彼を好きでいたこの数年間はたぶん一生忘れないと思う。
最後に。何かの間違いでここに辿り着いてしまった彼へ。これからも頑張ってください。応援は出来ないけど、あなたの人生を神様が後押ししてくれるようここから祈っています。あなたの全てが上手くいきますように。
もう終わりにするつもりなので、今の気持ちを書き留めたくなったからここに書く。
私の好きな人はアイドルだ。芸能系とかじゃない、普通科の高校の同級生だ。同じクラスになったのは一度だけだ。多分向こうからしたら顔すら曖昧な認識だろうと思う。それは無理もなく、彼は明るい人間で、運動部で活躍していたそうだから中等部の頃からとても目立っていた。かたや私は文化部で、部員の少ない部活だったから具体的な名前は避けるが、まあ、文芸部とか生物部とかあのへんだと思ってくれたら大体正解だ。彼がヒエラルキーの頂点なら私は最下層だ。彼の情報も大概は言伝のそのまた言伝を盗み聞きして得たようなもので、生きる世界が違いすぎる。まあそんなことこんなところでくだを巻いている時点でお察しだと思うが
好きな理由は色々ある。主にとても彼の身体が好きだった。手脚が長くて太いところと、骨盤の位置が高いところが特に。正直私は(当時は)女みたいだった彼の顔をまったく美形とは感じていなかったが、アイドルになるくらいだしきっと美形なんだろう。入学して間もない頃に校内で歩いてる彼を見かけて好きになった。それからしばらくして、彼が教室のドアを音をたてないように閉めているところを見て本当に好きになった。我ながらわけがわからないと思う。その頃から私は彼の周囲を嗅ぎまわり彼に関する情報をかき集めては妄執にとらわれるようになった。彼に絶対迷惑をかけないようにというのは念頭に置きつつ、あまりここで書きたくないようなこともした。人生で一番猿に近づいた時期だ。でもこの頃が一番幸せだった。
具体的な時期を書くのは避けるが、彼が芸能事務所に入ったことを知ったのは多分同級生のなかでも結構遅かった。同じ部活の後輩が自慢げにSNSに書いていたのを見て知った。その時は驚きこそしたが「まあまあ」と思った。どうでもいいとか思っていた。恥ずかしながら私は(今もだが)そういう芸能界みたいなのに疎くて、なんだかよく聞く読者モデルとかそういうものなんだろうと考えていたからだ。
そこから特にイベントも無く、たまに彼のクラスの前を通って窓の隙間から彼の姿を見ては満足することに終始した。それで結構幸せだった。だがいつからか彼が学校にあまり来なくなったあたりからその楽しみも失われた。ただでさえ少ない遭遇の機会が気付けばゼロに近い値になった。
私はネットが好きなくせに意識的にアイドルとしての彼を調べることを避けていたが、そこで初めて彼の名前で検索した。ショッキングだった。知らないことがたくさん書かれていた。あんなに知りたかった彼の身長や血液型や家族構成がすぐに判明した。それが誰でも読める状態であるというのが衝撃だった。ツイッターで検索すると私と同じように彼のことが好きな人が把握しきれないくらい無数にいたのも胃液が口から飛び出そうになるくらいストレスだった。学校にあまりいなくなった理由は、多分彼のアイドルの仕事が忙しくなったからだった。簡単なことだったし私はそんなことも知らなかった。でもネットで読めた彼の言葉を何日もかけて読み込んで、彼は私の認識していた通りの彼であることがわかり幻滅しなかった自分に心底ほっとした。何を言ってるかわからないと思うが涙が出る程嬉しかった。
それから私は偶然スマホを水没させて数日インターネットを絶ったのをきっかけに、私はもう彼のことを忘れるようと努力しはじめた。インターネットを介して彼を知るほどまた好きになってしまって、でももう私だけの彼じゃないと思うと酷く辛くて何も手につかなくなった。学校集会などでたまに彼を見かけることもあったが意識的に見ないようにした。この頃から受験勉強にも追われ、親しかった友人は内部進学を決めたので自然と外部受験の私とは疎遠になり、本当に孤独で、静かな場所に一人でいるとずっと彼のことを考えてしまうからなるべく雑音の多い場所で勉強をして時間を潰すようになった。成績は上がった。親がとても喜んでいるのが複雑だった。そしてテストの順位が忙しい彼とたいして変わらないことをクラスメイトの会話を介して知ったときは暗い興奮を感じた。おかしな話、彼はすごい奴なのだと誇らしかった。
そういう期間が長くあって、それはそれで精神の安定した時期でもあったのだが、決定的なことがあって全てが終わった。いつのことかはぼかす。
きょうだいがテレビを見ているそばで勉強をしていたら、よく知った声が聴こえてきて、画面を見たら偶然彼が出演していた。文字にすればそれだけのことだった。でもそれが、今までで最大の耐え難いほどのショックだった。そのショックの出処はわからない。なんでこんなに悲しいんだろうと考えることすら悲しくて悲しくてやりきれない気持ちになった。
それから色々なことをとめどなく考えた。今まで思考を避けていたぶん苦しくて数日頭痛が止まらなかった。もし私が彼と同じクラスになることがたくさんあったら同じ部活に入っていれば何か変わっていただろうかと考えることもあったが、きっとどう運命が変わったって私と彼が交わることはなかったのだと自分にわからせるのはそれなりに時間を要した。
自分は、彼がもう恐ろしいほど遠い世界の人間になってしまったことを、スマホの画面や私の視界のような小さく個人的なものではない、大きなテレビ画面に映っている彼を見て、初めてそこで自覚して動揺してしまったのだと、客観的に考えればわかる。だがあの時の私は錯乱状態でそんなことがわからずただ真っ暗な悲しみの中でどうすることもできなかった。
そしてある日学校帰りに街で彼の顔がプリントされたグッズ?をカバンに着けている同年代くらいの女を見かけて反射的にふらふら着いて行ってしまった。彼女は地下鉄に降りていった。私はもしかしてと感じて彼の名前で検索してしまって、彼の出演するライブが丁度その日あると知った。今思えばなんでそんなことをしたのかわからないが、私は気付いたら地下鉄に乗ってその会場に向かった。調べた最寄り駅で降りるとなんだかそれらしい女達がたくさんいて、私はそれだけでオドオドしてしまって早足で彼女らを追い抜くようにしてホームを出た。彼女らのざわざわした話し声の中に時々彼の名前が現れて心臓がバクバクして背汗が止まらなかった。地上に出てからはもっとたくさんの彼の、もしくは彼と同じグループの人のファンらしき人間がたくさんいて、それらは皆一様に同じ方向に歩いていて、あっちかあの方向に彼がいるのかだからみんなあっちに歩いているのだ、と私も突き動かされるようにそれに倣った。よく晴れていたからかなんなのか、汗が止まらなくてしょうがなかったことを鮮明に覚えている。
辿り着いた先は大きな建物だった。綺麗だけど変な匂いがするところだった。ぞろぞろとファンらしい女達がいて、たぶん入場待ちみたいなことなんだろうか。この全員が彼のことを好きなのだと思うと漠然とした恐怖に襲われ、あまり近づけず遠巻きにそれを見ていた。彼の顔がプリントされた様々なものが何度も視界を過った。巨大なモンスターと対峙したような無力感に襲われて、私はここへ来て何をするつもりだったんだ?と自分で自分を責めた。
すると、わりと近からず遠からずな場所に立っていた二人組の女達がちらりとこちらを見た。偶然かと思ったが次は力強く二度見されて、確実に私を見ていることがわかった。私は怖くなって俯き携帯を触っていると彼女らは何事かひそひそ話始めた。ほとんど聞き取れないような声量だったが「あの制服」と言っているのだけははっきりとわかった。
次の瞬間に私は来た道を引き返していた。話しかけてこようとしているような素振りもあったがそれでも走って逃げてしまった。奇異の目だった。あそこにいた彼女らの大半の容姿はとてもかわいい女の子といった風で、私はあの場で死ぬほど浮いていた。気付いてしまった。私が彼を好きでいるのはおかしくて迷惑なことなのだ。そうはっきりと自覚して、今まで何年間も彼のことが好きだった幸せな記憶がフラッシュバックして、その幸せと同じ分の後悔が押し寄せてきて潰れてしまいそうになった。体力が無いのに全力で走ってしまったから息切れて、もう惨めで惨めで涙と塩辛い唾液が止まらなくて、駅のトイレで吐いた。
私はこの日の夜に、初めてはっきりと「もう好きでいることをやめる」と決めた。今まで彼への感情から逃げることはあっても「やめる」とは明言していなかった。そう決めてしまうと、急速に自分の中を占めていた彼の存在が萎んで、不思議なくらい気持ちは落ち着いた。
でもまだ自分の中に彼が残っていた。完全には消えなかった。こうやって彼とのことを物語的に書くことで自分の中で完結させて切り離そうと思った。それは私の勝手であるからどう責められても仕方ないと思う。彼が特定されるような記述はなるべく避けたつもりだし多少筋が曲がらない程度に嘘も交じっているが、別にもうどうなってもかまわないと感じているのも本音のところで、最後に彼に迷惑をかけてみたいと思っている自分がいる。でも一生私のことを知らないでいてほしいのも本当だ。一貫性がない。最悪だ。だいぶ長くなった。推敲とかもしてないから色々おかしいと思う。もう好きではないけど、彼を好きでいたこの数年間はたぶん一生忘れないと思う。
最後に。何かの間違いでここに辿り着いてしまった彼へ。これからも頑張ってください。応援は出来ないけど、あなたの人生を神様が後押ししてくれるようここから祈っています。あなたの全てが上手くいきますように。
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」
東日本大震災の半年後ぐらいの夏、大阪に仕事で2週間ほど滞在した。東京から来たと言うと「大変やねぇ、食べ物とか水とかたくさん買って帰らんとー笑笑笑」みたいな反応だった。
「東京帰ったら恐くて何も食べられへんやろ笑、買い占めて帰りー、玉出連れてったろか―?笑」とか「もう大阪におったらええやん」とか、割と悪いやつだと「まぁ天罰ちゃうんー」みたいなのまで言われた。
自分は東京に住んでいたので生命にも財産にもありがたいことに何の被害はなかったが、地震の当日は地下鉄に乗っていて、幸いなことに30分ぐらいではあったが閉じ込められて怖い思いをしたし、家の中は揺れでそれなりにガッシャガシャになったし、福島原発事故のことも心にずっと引っかかっていたし、震災2週間後に仙台港あたりと名取・閖上あたりに会社で行うボランティアどうするかの話をしに行ってひどい状況を見たこともあって、冗談で言っているんだろうけど、どうしようもなく憎らしいなと思った。
なので、今回の水害で「東京から見てるから初動が遅れてるんだ」みたいな言い方をされるのは、ちょっとあの時の言葉の数々を聞いた時の気持ちを思い出して腹が立つ。
もちろんすべての大阪の人が、当時そのように心無いことを考えていたとは思わない。はてブやれるぐらいの人に「これだから東京目線は」と腹を立てられてもなぁという気持ちもある。
寄付はする。災害を免れやすい首都に住んでるメリットも理解しているし負い目もあるし。でもあの時の腹が立った気持ちも思い出す。
このsimカードは香港及び中国大陸でGoogleが使用できる効果を持つ!🧒く俺は歩く治外法権や
香港の労働者👷がひしめく謎の街もGooglemapで迷いレス 🌛くI see the future.
乗り換えも難なくクリア⭕
地下鉄は有象無象の人民がひしめく👩🍳🧒👵👧👩💼👩⚖️👩👵👵👦👩🏭👩🏭👩⚕️👦👴
ついたらイミグレがある🧔
みんなについていったら難なくクリア👩🎤
ついに深センに...!
ここで営業で鍛えた足が火を噴く時が来た🔥🔥🔥🔥
タバコ屋を探す。
返事がない
そして支払いのとき
俺はスマホを取り出した🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
そしてただこういった。
するとこいつ外人だなと言う目で見ていた推定40代のおばさんが目を見開いた。
こいつ...できる。
そうさ。ハオ。
そのあと、宿まで行くことに🤗
ここでもテクノロジーの申し子は火を吹いた🔥🔥
〜Mobike〜
中国のフィールド上に存在するオレンジの自転車のQRコードを読む。
料金を支払う限り永続的に使用ができる。
この自転車に乗りながら、ある時ふっと想ったんだ、一度も後ろを 振り向かずに僕は何処まで走れるかなって
もちろんGooglemapのおかげで止まることはあれと振り返ることはなかった👍🆗
宿までひとっとび🚲
ここでトラブルが発生
🤔wechat payは個人間送金が可能ということは...?
😆💡ピカリン
😃くI money give, you 微信 charge ok?
💁くオッケー
俺はホテルのフロントで800人民元をフィールド上に出し、引き換えにwechat payで800人民元を送金してもらった!
なんと結果的に可愛いフロントの女の子のwechatまでゲットしてしまった
いえーーーい
🧝🤦🧝🙍🎅😥😯😥🤨🤨🤨💁😆😆😯😥😥😥😃😥😥😥😃😃😃😃😃🤨🤨🤨😁😎😊😎😉😍😊😍😂😎😊😎😂😎😂😍😊🤗😉😍😁😍😁😍😊🤗😊🤗😉😍
東京が大雪になった日、暖房のための電力が逼迫して東電が節電を呼びかけたとかいう。
毎年真冬の一番寒い時期になると思うのだが、路線バスや自家用車はともかく、地下鉄とかの暖房って、ひょっとして必要ないんじゃね?
(1)外から来る客はみんなオーバーとかコートとか着てる。あんまり暖房がきいてる車両だと脱ぐ必要が生じて荷物が増えて困るぐらいだ。以前、真冬に地下鉄に乗ってたら乗客が汗をかいていた! 寒がりの人のためという面もあるだろうけど、そうでもない客にはいい迷惑だよ。
(2)人がたくさんいる場所では、ひとりでに気温が上がる。
(3)とくに夏場と違って、弱暖房車みたいなのがなくて、暑がりの人が常に熱を出してる(そのせいで車内が暑すぎる)
数日前、朝、混んだ地下鉄に乗っていて、駅で停車したときに、黒いホモランドセルを背負った大学生くらいの奴が、後ろ向きに入ってきて、入り口付近に立っている乗客をものすごく圧迫する形で収まって、電車が走り出した。
大学生の後ろには通勤途中らしい小柄な女性が立っていて、ちょうどこの人の顔のあたりを、ホモランドセルがグリグリと押しつける格好になっていた。
その傍に立っていた年配の男性が状況に気づいて、「おい、ちょっと君、リュックを下ろしなさい」と注意したら、大学生が「ああ?」という感じでいきり立って、ちょっとした小競り合いになった。
次の駅で電車が止まって、大学生が年配の男性ににじりよるような形勢になったと思ったら、サラリーマン風の別の男性が大学生を止めに入って、今度はその二人でもみ合うような感じになった。
もみ合いはだんだん勢いがついてきて、二人は入り口からホームに出て、大学生がつかみかかったと思ったら、男性が背負い投げ?のような技で大学生を地面にたたきつけたかと思うと、馬乗りになって、ブラジリアン柔術のような殴り方で顔をボコボコにしていた。
電車はしばらくとまって、顔を押し付けられていた女性も降りて、サラリーマン男性を助けようとしたのか、やってきた係員に状況の説明をしていた。
自分は電車が動き出すまで乗りっぱなしだったけど、他の乗客はみな、ホモランドセルをすごく憎々し気な視線で見ていたのが印象的だった。
あのでかくてゴワゴワする、センスのない物体が出勤ラッシュの時間に突入してきたら、本格的にヘイトを集めるのも無理はないよな、と思った。
その日、たぶん地下鉄の電光掲示板では、お客様同士のトラブルとかなんとかで電車が止まったと表示されたはずだが、足止めを食ってイラついた人がいたら、ぜひホモランドセルを憎んでやってほしいと思う。
昨日、痴漢冤罪を食らった。
朝7時台にいつものように地下鉄に乗ってたら、某駅で突然女に腕を掴まれ、ホームに引っ張り出された
突然の出来事に唖然としてたらもう一人男が出てきて「お前痴漢してただろ」といきなり凄まれた
もちろん痴漢はしていない。そもそも腕を掴まれるまで、自分の近くにその女は居なかった。突然現れてきたのだ。
最近痴漢冤罪が流行りなのでいろいろ対策は練っていたが、線路逃げをやろうにも地下鉄だったしホームドアもあったから逃げられない。
弁護士の電話番号をいくつか控えていたので咄嗟に電話してみたが、朝早かったので誰も出なかった
そうこうしているうちに駅員もやってきて、あとは想像に任せるが、取り敢えず痴漢したことにされてしまった
この男女二人組は見るからにグルなのだが、それを証明する手段はない。それどころか俺の氏名住所電話番号勤務先と言った個人情報が全て相手に知られてしまった。示談のためにという理由で