はてなキーワード: インド映画とは
まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。
この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。
社名が映画RRRのエンディングテーマの曲名であったことから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。
私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。
「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。
個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれてしまったことが大きかったのでは、と思っている。
多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。
これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。
長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的なカフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベントや期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)
もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合は映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。
他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。
・「エッタラジェンダ」という言葉の日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)
・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファンの疲労。これをぶつけられたのは気の毒である
・設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある
などなど。
ただ、上記のいずれも反対する気持ちは理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくまで道義的(可能性)または気持ち的な問題がメインだ。
上記の線引きがどうの話も個々の感受性や思い入れのベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。
今回否定的な気持ちをツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更の希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉はほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)
新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?
結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。
そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ちを蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ちの集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構な割合の人が同じように感じている気持ちを無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。
つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。
行動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまうタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動そのものから撤退されるのは惜しいと思う。
何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外の否定的な意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから。
実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師(表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。
また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。
追記。
今回の騒動を異なる価値観と気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめの加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。
人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。
自分が理解、共感できる痛みは尊重すべきもので、自分が理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人の気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。
その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちそのものの否定は争いしか生まない。
もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。
設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセスや問題提起されてからの設立者さんの対応にはいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。
しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDMで捨て台詞の暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーにユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。
これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。
サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的な選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。
もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。
映画好き、というか映画館が大好きで映画をよく観る。平均するとだいたい年に70~80回くらいは映画館に足を運んでいるので、まあまあ映画をよく観ている方だと思う。
東京に住んでいるのでシネコン、単館、名画座含めて都内のほとんどの映画館に足を運んだことがあるけれど、私が一番大好きな、自分にとって宝物のような映画館は109木場だ。思い入れのせいもあるかもしれないけど、この評価は20年間変わっていない。
109木場は名前のとおり東急系列のシネコンで、109シネマズの中でも港北に次いで2番目に古い2000年オープンだ。
郊外によくあるようなイトーヨーカドーの3階の片隅にある何の変哲もないスーパー併設型のシネコンであり、特別お洒落でもないし、日曜日には家族連れで来た子供たちが騒いでいるし、特別設備が優れているわけでもなくロビーだって狭いし、トイレだってロビーの1か所にしかない。
それなのに、いつだって映画体験の満足度がとても高い。そんな不思議な映画館だ。
トラバした記事のブコメを見ると、たぶん同じことを考えていてひっそり109木場を愛している人がちらほら居そうなので、こういうことを書くと「お前黙っとけよ!」とツッコまれそうな気がしないでもないんだけど、はじめに”なぜここが素晴らしいのか”の身も蓋も無い一番の理由を書くと、「いつもやたら空いているから」だったりする。
イチ押しの理由が「映画好きが観たい映画を観たいときにガラガラだから」という、映画館にとってはネガティブな理由を素晴らしいと言われるのはちょっと困りものだと思うし、それが理由で人気が出て混むのも正直嫌だったりもするんだけど、お客さんが入らなすぎて潰れてしまいでもしたらもっと嫌だから、ほどほどのところで素晴らしい映画館であり続けてほしいという複雑に我儘な気持ちがある。
少し前にアド街で木場の特集が組まれたときにギャザリアが上位になって、それを見た女優さんか誰か(失念しましたすみません)がチラッと「ここの映画館がとても好きでよく来るんですよ、その理由は、いや、うん」みたいな歯にものの詰まったような言い方をしていて、あなた絶対今同じこと考えていて喉元まで言葉が出掛かってたでしょ?と思って笑ってしまったのだけれど、でもとにかくここの映画館はシネコンの安定した品質と快適な空間のバランスが程よくて居心地が良いのだ。
最近、109シネマズが歌舞伎町タワーにプレミアムシート専門の映画館を作って話題になっているけれど、ターゲットが違うと言われようが貧乏くさいと言われようが私なら歌舞伎町に行くくらいなら木場まで地下鉄に乗ってこの何の変哲もないイトーヨーカドーの隅の映画館に行く。ここで映画を観るときは予約すればほぼ確実にプレミアムシートが取れるし、追加料金も無いしね(なんならガチで貸し切り上映だったり……んがんぐ)。
で、ここまで書いて「なんだ中途半端なところにあるからガラガラだっていう話かよ」ということになってしまいそうなんだけど、それだけじゃないんだよということを書きたいというのが本題だったりします。
私自身は今は東京区部の西側に住んでいるので、木場は都内を横断して反対側に位置している。実際のところ一番よく通う映画館は新宿三丁目界隈だし、一番設備がいいシネコンは池袋のグラシネだと思うし、お祭り騒ぎを楽しみたいときは立川にも行くし、渋谷や馬場や中央線沿いの単館や名画座にも大好きな映画館がいくつもあるけれど、それに負けない魅力が109木場にはあるのです。
まず映画館の在り方として、設備の程よさ、ちょうどよさが心地よい。スーパーの一角にあるから当然気分がムーディーに盛り上がってまいりました!という感じではないけれど、建物の入り口からの導線が短くてコンパクトにまとまっていて気分が散漫になることが無いし、テナント群との距離も取られているので騒がしくもない。最近のシネコンはスクリーン前の廊下まで明るくモダンな内装にするところが多いけど、ここは良い意味で一昔前の郊外のエンタメ施設っぽい暗い廊下が映画への集中を促してくれるので好きです。
もう古いほうのシネコンになるけれど、肝心の映画設備はスクリーンも席も行き届いていて快適です。かなり初期からIMAXを備えた数少ない映画館だったので「立派なIMAXがある劇場」という先入観があったせいもあるかもしれないけど、音響も悪くない(というか結構良い)と思う。そんなIMAXも古いだけあってずっと希少ですらあった「ただのデジタル」だったんだけど、つい最近IMAXレーザーにリニューアルされて現代スペックになった。サンキュー東急。
109の中の人によくわかっている人がいるのか単に微妙に山手線圏内と商圏がかぶらない場所にあるからなのかはわからないけど、なぜか一部で話題になっているような映画ファンのツボに入る映画を引っ張ってきて掛けていることが多いのも109木場の特徴。新宿ピカデリーでやっているようなインド映画の大作とか、ミニシアター系の話題作なんかも109で木場だけ上映していることがよくあって、そういうときはここで観るとプレミアムシート(無料)で快適に観られるので圧倒的に満足度が高い。何かそういう配給の仕切りがあるのかな?
んで例えば過去で言えばバーフバリIMAXとかバジュランギおじさんと小さな迷子とか、最近ならRRRみたいな歌って踊れる映画をやると、ファミリー層向けのシネコンとは思えないような音量を鳴らしてきたりして、ああシネコンの音響って本気出すと爆音映画祭みたいなスピーカー無くてもこんな音量が出るものなんだって感動したりする。当然、確信的にやってますよね?(知らないだけかもしれないけど、同じ109でも他のところではそういう感想を持ったことが無い気がする)
あとは、これは映画館の力ではないけれど、やっぱり木場という街のロケーションが良いですよね。
ほぼ都心と言っても間違いではない場所なのに、シーンとした郊外のようでもあるあの不思議な感覚。平日の夜レイトショーで映画を観て帰ろうとすると、休日のお昼なら子供たちの声が聞こえてきて騒がしいんだろうなあなんてことを想像しつつ、人もまばらで誰もいない(ガラガラだから……)ショッピングセンターのシャッターが閉まったフロアの脇をすり抜けて地下鉄の駅へ向かうあの感覚がとても良いです。オフィス街でもあるのであの辺で働いている人にとっては何言ってんだこいつという感じかもしれないが、そもそも郊外型のショッピング施設なのに都心のオフィス街の中にあるという独特な雰囲気がある場所って結構珍しくて、そこが似たような立ち位置にある近隣のシネコン(豊洲とか亀有とか市川とか)とはちょっと異質な雰囲気の元になっている気がする。駐車場に泊めたクルマで帰ろう、というのではなくて、ああ良い映画だったなあ、って思いながら木場駅に潜るあの瞬間がとても好きだ。
もちろん、トラバの記事にあるように木場の街自体とても魅力が高い。MOTで気に入った展覧会を観てから木場公園を抜けて映画を観て帰るとそれだけで充実した休日になった気がするし、数ある人気店のラーメン食べたり、木場らしくタンギョー食べたり、美味しいカレー屋も多いし、清澄あたりでコーヒー屋めぐりをしてから向かっても良いし、なんならギャザリアのレストラン街やフードコートのぽっぽで時間を潰す休日も良い。
日本でも大好評で上映され、一大旋風を巻き起こしたインドの映画「RRR」が
受賞したのはRRRの「Naatu Naatu」という歌。
世界各国でたくさんの人が、このナートゥダンスを自分でも踊り、SNSにアップしています。
インドの映画がこうして盛り上がるのはいい事だと思うんですが…
最近のインド映画界隈のSNSを見ていると、ちょっと怖いなと思う事が結構あります。
なんて言うんだろう。
日本独特の「誰か一人が目立つ事を許さない」「みんな平等であってほしい」風潮が強く出ているって言うか。
特にツイッターを見ていると、その風潮が強く出ていて怖いし、見ていて醜い。
監督や俳優さんが来日された時、数名のyoutuberがインタビューをした事について、叩く叩く叩く。
知識もないyoutuberがインタビューするのはダメなんだって。
好き勝手に動画配信してるだけで、知識もないし、言葉も喋れないし人が、ただのコネとか利権で取材するのはダメなんだって。
でもさ、youtuberはyoutubeで動画配信するのが仕事でしょ。
それを頑張って続けた結果、コネも出来て、こうやって海外の映画監督や俳優に取材できるまでになったんでしょ。
言わば努力の結果。
それなのに、空リプみたいな感じでしつこくネチネチネチネチ「実力ないくせに、コネのくせに」とか文句言い続ける。
僻や妬みでしかないし、見ていて本当に醜い。
そんなに羨ましくて妬ましいなら、自分も同じくらい努力して同じ場所に立ってみたらいいのに。
映画監督や俳優に取材したyoutuberさんのナートゥダンスみたけど、やっぱり他の人より、ダンスにキレがあってうまかったよ。
結局さ、日本人は、誰か一人が特別に目立つのが許せないんだよね。
怖い怖い。