はてなキーワード: 地下鉄に乗ってとは
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、さつまいも、骨つきチキン
○調子
はややー。
お仕事お休みはややーなので、洗濯! 掃除! を済ませて、散歩。
日の光を浴びるとセロトニンが云々というお医者さんがよく言う奴を、心底信じ切ってるので、セロトニン産まれろーって念じながら散歩。
が、さすがに、地元で暮らし続けて30年近くになるので、徒歩範囲内は歩き飽きた。
なので、電車で名古屋まで行って、そこから地下鉄に乗って適当なところでおりて、適当に散歩する、という遊びをしてみた。
知らないところを歩くのは楽しくて、ちょっとハマりそうだ、明日はさすがにしんどいけど、来週もう一回やりたい。
あと、ラーメンはその散歩中にみつけた黒Tシャツのタオル鉢巻の腕組みしてるいかにもなところだったんだけど、
極めてスガキヤに近く、限りなくチャーシューだけは遠い、微妙なラーメンだった。
いや、美味しいんだよ、だってスガキヤの味だからね、美味しいんだけど、700円台のスガキヤはさすがにちょっと……
●DS
3Fを攻略中。
今日はほとんどプレイできてない、雑魚戦を三回ぐらいしただけ。
●3DS
休日のビッグカメラなどで大量にすれ違ったけど、それでも20人ぐらいなので、言うほど進んで無い。
ログボのみ。
○ポケとる
ログボのみ。
ログボのみ。
小さな子供である自分は、入院している病院から一時帰宅することになった。暗くなった頃に病院を出て両親と歩道を歩く。嬉しくて仕方がない。途中ケーキ屋にも寄る。
街路樹が並ぶ道は、右側に大きな病院、左側はよくわからないけど普通に建物が立っている。少し先には路面電車が走る通りがあり、そこにケーキ屋もある。路面電車には乗らない。ケーキ屋をすぎてさらに少し歩くと地下鉄の駅があるので、そこから地下鉄に乗って家へ帰る。
こんな嘘の記憶が昔からある。実際には入院したことなんてないし、この記憶の中の両親は実際の両親とは違う人だ。たぶん子供の頃、映画かドラマに感情移入し、その中の子供の立場で嘘記憶として頭にこびりついているのだろう。
それでもなぜかこの記憶は大切に思え、2chのスレでそういう話の流れになっていたとき、上記のことを大雑把に書き込んだこともあった。(ググってみたけど、どういう言葉で書き込んだかわからず見つけられない)
しかしある日ストリートビューで、これってあの記憶の中の場所じゃないか?というぐらい似ている場所を見つけた。その都市自体は好きで何度も行ったことがあるが、その場所は観光客が行くような場所ではなく、もちろん近寄ったことがない。
大きな病院を出て、病院を右に見ながら移動すると、ケーキ屋ではないけどお菓子屋のある角で路面電車と合流する。それを少し過ぎて左に曲がると今度は地下鉄の駅。あの記憶ととても似ていて心がざわつく。
でも同じ地下鉄路線の別の駅のほうがはっきりと病院から近いので、普通お菓子屋に寄るにしても遠いほうの駅までは歩かないだろうなと思う。また、ストリートビューで見るそのお菓子屋は、外観の雰囲気こそ記憶のイメージに近いが、ケーキ屋ではないようだ。
それでもなぜか少し泣けた。細かいことはどうでも良く思えた。
そして今日、その街に住んでいる人からたまたま、ストリートビューで見たお菓子屋の話を聞いた。あちらではそこそこ有名なチェーン店なので、そのチェーン店全体の話であって、該当店舗の話ではない。
そのお菓子屋は今でこそ和菓子中心だが、昔は必ずケーキを大々的に扱っており、そこのケーキが懐かしいという思い出の話だった。
まーだ繋がるのかという感じだ。
馬鹿馬鹿しいかも知れないが、一度そこへ行って歩いてみようかと思ってる。客観的に考えると、嘘記憶の元になった映画かドラマのロケ地かも知れないが、そうだったとしても歩いてみる価値はあるだろう。
生まれて初めて働いた。
いや、正確には働いていないかもしれない。
万が一自分を酷い扱いしたら実質的な雇用主の父親に何されるか分からないわけで、周りからめちゃくちゃな扱いを受けるわけではない。給料もしっかり払われる。
でも物凄く疲れた。
物凄く疲れた後に、10辛の味がよくわからないチキンカレーを流し込みながらダウナー系の自称高学歴で親が金持ちで医者の文を読んだらさらに疲れた。
そもそも親の課金で高学歴とかいうなら数千万を家庭教師やら塾に投資されて京都のゴミみたいな私大に通う自分は何者なんだよと。
その後、三省堂書店に向かう。
三省堂書店の入り口の窓で自分の容姿が映ったのだが酷いものだった。
顔と体のバランスが奇妙だ。
顔がとても大きい。そして自分の肌はみんなから羨ましがられないどす黒い色だ。
そして顔からは膿やら肉やら血やらが吹き出ていてドロドロでボコボコだ。
いい印象は持ってないに違いない。
文庫本コーナをとりあえずうろうろしていたら、以前ここで見た酷い容姿の女子高生を思い出した。
謎の親近感で「ひどく不細工だけど頑張って」と身勝手なことを思ったのをつよく覚えている。
あぁ、顔も綺麗だ 制服も綺麗だ 美しい。
あの女子高生に勝てない。ルミネウエストで騒いでいる女子高生には勝てない気持ちと同時に「死ね」と思う。
風邪気味の時に出勤しようと思って地下鉄に乗ったけど、途中の駅でやっぱこりゃ無理だなと思って地下鉄を降りて、逆方向の地下鉄に乗るべく歩いてホームを移動した。
で、移動してみると反対方向の地下鉄がちょうど止まっていたのでこれはタイミングがいいと思い乗ろうとしたら、駅員が私の進路を塞いで「乗っちゃダメですよ」みたいなことを言ってきた。
開いている乗り口には他の客の姿はなく(つまり私が列を割り込んで乗ろうとしたわけではない)、しかもドアを閉めることを知らせるベルはまだ鳴っていない(つまり私が駆け込み乗車をしようとしたわけでもない)のに何言ってんだこいつはと思いつつ、風邪で頭も重かったしさっさと帰りたかったので、一つ隣の乗り口へ移動しそこから普通に地下鉄に乗って帰ってきたわけだが、あの駅員の行動は一体何だったのだろう。
終電近くに友人と二人で地下鉄に乗っていたところ、50代後半(?)くらいのサラリーマン二人が大きな声で話をしていた。
誰それ(職場の女性社員っぽい)の格好が仕事にあるまじき格好をしててしかもそこのマネージャーは注意もしないとか、
そこから話は広がりそもそも今のあいつ自身(おそらく女子社員の上司)が身なりに気を使わないとか、
更に話は広がり部長クラスの顔ぶれが役員クラスの顔ぶれが、という感じにヒートアップされていた。
まあ、どんなギョーカイなのかどんな事情はあるのかなんてわからないし、仕事内容によっちゃ身なりに気を使わなきゃいけない場合もあるよねくらいに思って聞いていた(というか声がデカいので嫌でも耳に入ってくる)ところ、
友人がポツリと「あのおっさん出世できなかったんだな。今日みたいな真夏の糞暑い中馬鹿正直にスーツ&ネクタイをきちんと着用して何十年も一生懸命頑張ってきたのに」と言ってきたので、
溢れんばかりの愛を
http://anond.hatelabo.jp/20130128222709
昼休みにこのエントリを読んで、いつの間にわたしは増田を書いたのだろか、と思った。一人称が違うことに気づき、自分と同じように孤独に苛まれる人間がいることを知った。
いつだって、人とうまく関われなかった。人に関わろうとしては、行き違いを生み、人が離れていく。それを繰り返すうちに、人を避けて生きるようになった。人を避けていれば傷つくこともなく、傷つけることもない。最初からそういうものだと諦めてしまえば、独りでだって生きていけるだろう。そんな風に考えていた。
それは間違いだった。人と関わりたいという想いは簡単に諦められるものではなく、結局は孤独をこじらせるだけだった。
孤独は、いつだってそばにあって、予期しない瞬間に降りてくる。そのたびに叫びだしたくなる、走り出したくなる、どこかから飛び降りたくなる。積もり積もった行き場のない寂しさはマグマのように溢れ出して、そのたびに発狂しそうな自分を抑えこむのに必死だ。いや、こんなにも人とうまく関われないのに温もりを求めている時点で、もう発狂しているのかもしれない。寂しくて苦しくて、もう生きる意味なんて見えない。寂しい。寂しい。何度も繰り返す。寂しい。
その昔、高校時代に彼氏と呼べる存在がいたことがある。その彼氏には2度浮気され終わった。その後もいくつか片想いはしたけど、どれも実ることはなかった。「どれだけ愛したって、愛される価値なんてない人間なんだ」。愛したって愛されない。愛されないから、正しい愛し方がわからない。
ただ、その最低な元彼との間にも楽しい思い出はあって、たとえば一緒にプラネタリウムを見てこっそりキスをしたり、図書館で隣の机で勉強する合間に付箋紙ラブレターを回したり、裸で同じ毛布にくるまって足と指を絡めながら他愛もない話をしたり、そんな温もりが逆に今のわたしの首を絞めている。
夜中にふと目を覚ましたとき、枕元のタブレットに手を伸ばして「レンタル彼氏」「出張ホスト」などという言葉で検索をかけたことが何度かある。メールフォームをタップしようとして、でもその指はいつだって躊躇って止まるのだ。手取り14万の収入から費用を払うのが惜しいからではない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という疑問が浮かび上がったところで、指はメールフォームではなくブラウザの終了ボタンをタップするのだ。とびだせ どうぶつの森をきっかけに買った3DSでやるために中古のゲームを漁っていて、DS版ときめきメモリアル Girl's Sideを衝動買いしたけれど、一度も起動したことはない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という問いかけは、二次元に逃げこむことすら許してはくれない。
「恋人がいたって寂しいものは寂しい」「求めてばかりでは何も得られない、与えないと」というアドバイスの類がどうしようもなく正論なのは解っている。だけど、恋人がいれば、自信もなく真っ暗な人生を俯いて歩いているわたしでも、前を向いてどうにか生きていけそうな気がしている。一度諦めてしまったことも、もう一度諦めずに取り組める気がする。人とだってうまく関われる気がする。何だってできる気がする。
与えるなんて正直わかんないよ、だって愛したかった人はいたのに、与えたかったのに、みんな拒絶したじゃん。わたしが愛していたことをいいことに甘えて、好き勝手やりたいことしたじゃん。誰もちゃんと向き合って愛してくれなかったじゃん。愛せるなら愛したいよ、だけど愛し方なんてわかんない。愛され方は、もっとわかんない。それとも、ネットの片隅ですら、愛されたいと嘆くことは許されないのだろうか。
わかんない。わかんないよ。だけど、寂しいよ。愛されたいよ。甘えたいよ。一方的で歪なのはわかってる。それでも、愛されたいよ。膨れ上がった寂しさとねじ曲がった自尊心とで、完全に出口が塞がってしまって見えないんだ。誰か、こんな醜いわたしの寂しさをかき分けて、心と身体に触れてくれないだろうか。
身体だけの温もりじゃない、上辺だけの温もりじゃない。心の通い合った温もりが欲しい。その場限りの温もりじゃ嫌だ。恋人と平凡な日常を共有することで、瞬間瞬間に宿る小さな温もりを丁寧に積み重ねて大きな明かりにして人生を照らし出していくから。
これを書いている今も、寂しさで息が止まりそうに苦しい。こんなに寂しさでおかしくなりそうなのに、明日もまた地下鉄に乗って会社に行き、そつなく仕事だけをこなして、「お疲れさま」なんて言われることもなく愚痴ることもなく、おかしくなりそうな自分をどうにか毎日をやり過ごして生きていくんだろう。それが日常だというのなら、この先の人生はとてつもなく冷たく暗いものになるだろう。それが、わたしにはお似合いなのかもしれないけど。
日本のネット界隈の嫌中国報道は痛ましく思っている。思っていた。
椅子が爆発するだとか、米がプラだとか、ビルが倒壊するだとか、そんなことはどうでもいい。
僕がこの国に住んでみて感じた事はそんなことじゃない。
なぜ、そんぜそことが起こるのか、本質はなんなのか、僕の見た中国。
それを書く。
この国は今、まさにバブルだ。
高度経済成長に乗っかって、金が乱れ飛び、バブル時代の象徴のようにデコラティブな超高層ビルが並び、地下鉄は縦横無尽に市内を走る。
カルチャーを伴うようなものでもなければ、買えないものなんてほとんどない。
国が先進国の仲間入りを果たさんがために、成長にじゃぶじゃぶ金を使っている。
だが、人は違う。
これが全く経済の成長に追いついてない。
列に並ぶ、降りる人に道を譲る、前の人を押さない、脚を投げ出さない、弱者に席を譲る
こんなことも、本気でわからない。
高層ビルで働くホワイトカラーは、そのエレベーターの開くボタンを後から来る人の為に押しておくことを知らない。
どこの街角にもファミマやセブン、ローソンがあるが、列に並ぶ、たったそれすらもわからない。
「なぜ?私いそいでるのよ?譲ってよ。当然でしょ?」
家の寝室のドアの立て付けが悪いと業者を呼べば、布団や家具にカバーをかける事も無くいきなり大理石に電ノコを入れ始める。
終わった後にはうずたかく積もった砂埃の山に頭を抱える。
レストランで注文をする。
運んで来ればまだましだ。3回に1回は必ず何か忘れる。
おもしろい話がある。
中国でオーダーしたものが出てこない時、「早くもってこい」といっても出てこない。
「もういらない」と言えばいい。5分で出てくる。
いちいちイライラさせる。
もっと世界を知れば、そんなこと気にならないのかもしれない。
清潔(に見える)な新しい地下鉄に並ぶ時、誰が後ろから突き飛ばされることを予想できる?
舗装されて交通量の多い交差点をわたる時、誰が信号無視の車両を予想できる?
誰がドアマンのいるレストランでコックが厨房でシャンプーしてると想像できる?
何もかも不釣り合いだ。
分不相応だ。
そう思ってる。
基本的に、他者を思いやる、想像する、ということができない。
そう感じる。
さて、釣りタイトルだが、今朝、例によって地下鉄に乗っていた。
上海の2号線は朝、ひどい混雑だ。乗車率で言えば東京の山手線以上、田園都市線以下といったところか。
いつもは上のような理由でイライラするのが嫌で、タクシーで出社している。
自宅から会社まで日本円で250円くらいだから、その方が精神衛生にいい。
だが、今朝は早く目が覚めた。
背中を押され、体をぶつけられ、眉をしかめながら電車に揺られていたわけだが、そのひどさといったら日本人には絶対理解できないだろう。
他人なんかどうでもいいんだ。自分の乗る場所を確保できればいい。そんな人間の集まりだ。
脚をふもうが、肩が女性のほほを擦ろうが、鞄が誰かの胸を圧迫してようが関係ない。
やっと車内のアナウンスが降車駅を告げた。
こっちの人間は、自分が降りるときは、列車がつく前にドアの前に移動しないと気が済まない。
日本人なら、どんなに混んでいても、並んで降りれば降りられないなんてことは無いと知っているのだけれど、そんなことは皆知らない。
これはマジだぞ?
もう少しも動くスペースがないのに、無理矢理肩をこじ入れてドアの前に行こうとする。
僕はその時目の前に数人の人がいたので、お行儀よく並んでいたのだが、後ろにいた中国人の目にはそれが「降りない」と映ったようだ。
僕を突き飛ばしながら肩をぶつけてきた。
すると、そいつ、「やんのかおい」と言わんばかりの顔で睨んできた。
笑える。
キレた。
振り返るや胸ぐら掴んで思いっきり殴ってやった。
嘘だ。そんなにうまくいかない。ただのサラリーマンだ。中学は卓球部で高校は美術部だ。
胸ぐらつかんで列車に押しもどしてやったら、後ろから誰かに後頭部を殴られた。
一瞬、中国人が日本人に対して集中攻撃を始めたのかと思ったが違った。
仲間だ。仲間がいた。向こうは2人だった。
後頭部をうしろからガンガン殴ってくる。それ自体は全然痛くない。拳なんかより頭蓋骨の方が固い。
知らない、そんなことはどうでもいい、それよりこいつ、この今胸ぐらつかんでるこいつ、こいつは許せん。
そこで殴ろうとしてとうとう止められた。
駅員に。
羽交い締めにされながら「てめーこっちこいこの野郎!」そんなことを喚いていた気がする。
内心ホッとしてたか?そこまでひ弱じゃない。
どんなにボコボコにされてもごめんなさいと言わせてやる電車に乗るマナーを教えてやる!
無理だった。
その後引き離されても挑発してくる。
上等だおい。
ジェットリーよろしく胸をはって薄ら笑いを浮かべて、手のひらを上に向けてクイクイっとしてやる。
こいよ。マジでぶっとばしてやる。
まぁ、そんなこんなで、僕は眼鏡を失った。
「秦八郎」という眼鏡職人の作ったお気に入りの眼鏡だった。レンズも含めたら4万円はするだろう。
この国で落とし物が見つかる事は無い。
先ほど吉祥寺の眼鏡屋に問い合わせたら秦八郎氏はもうその眼鏡を作ってはいないそうだ。
早起きは3文の得?
4万円の損失だ。
これから中国に旅行に行ったり、赴任したりする人がもしかしたらいるかもしれないので言っておく。
あいつらに他人は見えていない。
嫌中国多いに結構。思う存分やってくれ。おれも嫌いだ。
飯もうまいと思おうとしたし、うまい飯を探した。あるわけがない。
いい人も沢山いる。ホントに親切だ。
だが、そんな人ですら、「列に並ぶ」ことができない。ドアを支えておくことが出来ない。
これが文化の壁だ。
最後になったが、地震の被災者とその二次被害者に心からお悔やみを申し上げる。
救援物資を待つ長蛇の列をニュースで見ると、涙がでそうになる。
http://anond.hatelabo.jp/20091227114740
怖い目にあったね。おつかれ。
電車で目の前に座っていた制服の女子高校生が、買ったものを開けて値札を窓ガラスに貼り付けやがったんで、ツカツカツカと寄っていってピリッと剥がしてきたことがある。無茶苦茶頭に来てたので無言で。ぺちゃくちゃしていたおしゃべりを止めたから、たぶん、あいつらビビったんだろう。
地下鉄に乗っているとき、壊れた傘の骨を友達の喉元に突きつけて遊んでいた制服姿の小学生がいたので「そういうの喉に差して死んだ子がいるから止めなさい」と骨を取り上げたことがある。えらく大人しく言うこと聞いたな。回りの乗客たちが「うんうん」って感じでうなづいてくれていたので心強かった。
いろいろ目撃するよね。
ヨーロッパで日本がどう認識されてるかというと、日本すげーとは思われてないですな。ワーカホリックでお金持ちで、というのが一般的。それも微妙な意味で。日本っていうと、手を合わせておじぎしたりする、いや、それ日本じゃないからって。ネット的には、なにかと日本すげーってなネタが出てきますがね。ま、そんなことはない。
年寄りになると戦争の話をする。こっちも知識がないわけじゃないからお付き合いします。飲みながらね。国によるが、第二時大戦んときは日本はよくやったんだという人もいる。あるいは、地下鉄に乗っていたらいきなり絡み出すジジイもいる。国による。
ネットではアニメマンガという。まあ、たしかにそうです。人気です。若い人には特に。それから、北野武の映画。そして何よりも今あついのが、風雲たけし城。タケシキタノはサイコーだという。
でもこれは、日本すげーっていうんじゃない。ああ日本人も人間だなって共感されている。仕事ばっかりしててお金持ちなだけが日本人じゃなくて、自分たちと同じように感じて、恋愛もして、そしてバカもやって笑ったり。なんだ、おんなじ人間じゃんって。日本のものが若い人たちにうけているって、そういうことだ。
そういうソフトイメージが広まりつつあるっていうのは、すごくいいことだと思う。風雲たけし城ひとつで会話ができて、僕もバカをやりながら、そして友達も作れる。だから、マンガにもアニメにも、そしてビートたけしにも風雲たけし城にも、心から感謝している。本当だよ。
だけど、これって日本すげーって意味じゃない。人間は人間だって当たり前のことを言っているに過ぎない。ま、それはそれで凄いことでもあるが、でも勘違いしちゃいけない。日本だって普通の国だし、日本人だって普通の人間だ。日本すげーっていうのじゃない。
別方面から。たとえば日露戦争。いまでもトーゴーって叫ぶジジイがいます。あのころイギリスが極東の日本と同盟しただけでも列強は驚いたそうだが、日本がロシアに勝ったというイメージ(その実質はともかくとして)の影響力は当時かなりのものだった。そこから、第一次大戦後のウ゛ェルサイユ会議では、英米仏伊の次が日本だった。明治維新からたかだか50年、よくやったもんだ。そこは、別に卑下してみせることはないと思う。
でもね。日本すげえってのはみっともないんだ。アメリカすげえと露骨にいうアメリカ人は痛い、イギリスすげえと態度で示すイギリス人はおちょくりの対象、フランスすげえと頭が高いフランス人は嫌われ。それと同じこと。日本すげえと思うのは個人の自由だが、それでなお普通でいる。過度に卑屈にならず、たかぶらず。この感覚が大事なんじゃないか。
はじめて韓国に行って来たんです。
結構嫌韓系のサイトとかも見ていて、あまりいいイメージはないんですが、別に皆がああいうわけではないだろうと思いながらも到着。
早速地下鉄に乗ってホテルに行こうと思ったけど降りる駅の券がいくらかわかんない。
そこで知らない男に日本語で声をかけられた。
お客様ってなんだ?これってなんか怪しい客引きか?と思いながらも話を聞く。
「○○駅は1200ウォンです」
券売機で新ウォン札が使えないので、彼が駅員に韓国語で説明してくれた。
方向が一緒だったので一緒に地下鉄に乗って話をしてみると、どうやら日本語の勉強中らしい。日本には今年の初めの頃に行ったようだ。
「私が日本に行った時に、とても日本人に親切にされました。それで私も日本からのお客様には親切にしようと思ったのです」
これを聞いてとても胸を打たれた。ネットで何と言われてようと、実際どれだけ国としての韓国が日本が嫌いでも、やっぱりいい人はいるんだな、と。
そして翌日、バスツアーに出かけた。そして行き先の説明を始める。
なんかこれは雲行きが怪しい。その後も1分に一回のペースで日本が韓国を侵略した、という文章が出て来る。なんか知らない人が聞いたら常に侵略し続けているみたいだ。
どうやら全く同じことを思ったらしいアメリカ人が質問をした。
「いえ、中国とロシアにも侵略されてました、あとそれだけでなくアメリカとフランスとも戦いました」
その後いかに韓国が各国から侵略されてきたかの説明が続く。
ちなみにバスの中の客が中国人、アメリカ人、日本人、ロシア人で構成されているということを理解している上でこの行動に出たのは全くわけがわからない。
そして元総督府の前を通りかかったところで説明を始めた。
「この建物は立派だから壊さなくてもいいんじゃないか、という話もあったのですが、上空から見た時に建物が『日本』に見えるのです。日本は韓国から風水的にエネルギーを奪うためにこんなことをしたのです。これをきっかけに総督府を撤去することになりました」
多分上空から日本と読めるのは本当じゃないかな、と思って調べてみたけど、それらしきソースは見つからなかった(http://hakyonja.blog36.fc2.com/blog-date-20060616.html)。風水云々はとても胡散臭い。
「それに加えて日本は韓国中に鉄杭を埋めて風水のエネルギーを封じようとしたのです!」
ちょっと待て。それは呪いの杭ではない。多分測量用の杭だ(http://blanc-katze815.at.webry.info/200706/article_3.html)。
そして僕は日本に帰って来た。少し不快なこともあったけど、親切にされたこともあった。僕も券売機の前で困っている外国人がいたら助けようと心に決めて京急線の券売機へと向かった。
大学4年生になって、いまさらながら初めての海外旅行に行ってきた。
いや
まじでね
おもろい国でしたよ
すべてが。
なんか独特の匂いがする。これが中国なのか、と。
中国語なんてニーハオ、シェーシェーしか知らないし
英語はほぼ通じない。(俺もぜんぜん喋れないけれど。)
ジェスチャーと筆談でなんとか意思の疎通をする。
北京に行く前から一つ決めていたことがあって、
それはあんまり贅沢しないで、地元の人間にできるだけ近い水準で旅行を楽しむってことだった。
それにおまえ現地の水準がどんだけか知ってんのか、かっこつけるなバカ
って言われればそれまでなんだけど、
高いホテルに泊まったり高級なレストラン入ったりして過ごすよりは、少しは現地の人たちの生活文化に触れられるんじゃないかなと思った。
だから、一泊千円もしない宿に泊まったり、安くて小汚い食堂でご飯食べたり、屋台で買い食いしたり、店の商品は可能な限り極限まで値切った。
また、移動でタクシーばっか使うなんてことはしたくなかった。
それが結果的にものすごくいい経験になった。
平気で匂いのキツイ肉まんみたいなの食べてたり、
カップルがキスしてハグしてたりする。
それに列車に乗るときは並ばないし横入りなんて当然だった。
肩がぶつかってもなにも言われないし、言わない。
終いには物乞いが地下鉄に乗ってきた。
路上では老若男女みんな痰やツバを平気でペッペ、ペッペと吐いてる。
若いお姉ちゃんが歩きながら路上でツバやゲロを吐く姿は本当に衝撃的だった。
半日街を歩けば鼻水は真っ黒になるし、地面なんてものすごく汚い。
うんこも落ちてた。人間のものじゃないかなと思った。だってすごく大きかったから。
一国の首都がこんな感じなんだから、きっと地方はもっとすごいに違いないと思えた。
日本では考えられないことがホントいっぱいあった。
すごい所に来ちゃったな
って思った。
でも2,3日すると痰やツバ吐き、
股の部分が意図的に裂いてあるズボンを履いたちびっ子が路上でオシッコしてたり、
警察がパトカーの中で寝てたり飯食ったり電気カミソリでヒゲ剃ってたりする様子が平気になってきた。
なんか大らかというか適当というか野蛮というか、そんななんとも言えない中国の感じがとても刺激的でエキサイティングだったし、好きだった。
日本に帰ってきて思った。
トイレには鍵が付いてるし、紙も流せる。ちゃんと個室には仕切りも付いてるし。
家電なんかも断然性能いいし、安い。
それに、日本には無い変に飾らずリラックスした感じがすごい魅力的だった。
そんな北京での8日間だった。
去年の9月頃に見つけた徳島新聞の経済面コラムが保存してあったので晒してみる。
私の見た東京
怖くて公共交通機関を使えない。出張などで東京を訪れるたびにこんな思いを強くする。
「格差社会」といわれて久しいが、東京に行くと格差を実感せずにはいられない。地下鉄に乗っている人々は、もちろん、負け組であり貧者である。彼らの目はうつろで死んでいるか、ねたみで満ちている。車内の空気は殺気立っており、いつ争いが始まるかわからない。ずっと独り言をつぶやいているサラリーマンがカップルをにらんでいる。
私の見た東京はこんな感じである。とても、住みたいと思える街ではない。
こんな東京になってしまったのはなぜか。競争が厳しすぎるのである。私たち人間は(少なくとも私は)そんなに強くない。むしろ弱いといっていいだろう。競争状態に長く居続けるだけで、疲弊するし、無気力になるし、いらいらするのである。そして正直に言えば、そんなに頑張りたくないし、頑張ることもできない。とくに頑張るわけではないが、まじめに働いて普通に生活できる、そんな社会を求めている。
「再チャレンジ」なんて机上の空論だ。一度でもチャレンジできる人は、放っておいても何度もチャレンジする。一度でも失敗できた人は、勝手に自分で起き上がり、さらに失敗を重ね、そのうち成功するだろう。
真に目を向けるべきは、一度も失敗したことがなく、チャレンジすることもないが、競争という大きなプレッシャーに押しつぶされそうな人々である。彼らのストレスと不満はそろそろ限界である。
幸いにも徳島にはこのような空気はまだ入り込んでいない。「効率」、「能力」、「成果」、そして「努力」などという都会の論理にだまされてはいけない。都会の競争論理に参加してはいけない。都会の論理で成功できるのは、都会の一部の人だけである。圧倒的多数の都会の庶民と地方は押しつぶされてしまう。地方には地方の論理が必要である。(和)
それにしてもひどい。そういえば再チャレンジがどうこうとかあったなぁ。
久しぶりに告白なんてしたからフラレてしまった。
にやにやしながら課長が話しかけて来る。お昼過ぎののんびりした時間だ。
「いや大丈夫」
「そうですか」
「キミ使ってないのか」
「恥ずかしがりやですから」
遠くで課長が笑っている。
僕は自分のパソコンのディスプレイに向かって今日30回目のため息をついた。
彼女との出会いは高校で、2年の時に彼女を知ってからは何となく目の端で追いかけるようになっていた。そして3年のクラス替えで同じクラスになり、席替えを2度して、その2度とも隣同士だった。その時からの付き合いだ。付き合いと言ってもただの友達で、どちらかといえば卒業してからの方が仲良くなった。
きっかけは、彼女から留学してロングビーチ(大磯ではない)に今いるというメールが届いてからだ。それから毎日のように(一時途絶えた時もあったが)メールをするようになった。もうあれから3年が経つ。僕は大学を卒業し、社会人となった。メール以外では彼女が帰ってきた時には帰国祝いに飲みにいったり、銀杏BOYZの出るライブに行って騒いだりした。そしてそこで自分の好きな音楽や好きなお笑い芸人や将来の悩みやお互いの家族のことを話した。僕たちはあまり喋る方じゃなかったけれど、ぽつぽつと語り、だいたいのところで嗜好は一致していた。でも今思うと、僕が喋るのが苦手だから、彼女が無理にあまり喋らなかったんじゃないかという気がする。そんなメール帰国メール帰国という関係が続いていた。
で、告白のことを書く。
2007年7月1日。きのう。彼女から誘われた相変わらずの激しいライブが終わって(彼女はなんでこんなにライブが好きなのか、この点よくわからなかった)のんびりとジュースを飲みながら渋谷のNHK近くの花壇に座った。夜の10時くらいだったと思う。そして今日の余韻を味わいつつなんとなく切り出した。
僕は7年の月日を考えながら、ほんとにでもやっとだった。どうしていままで言えなかったのか、それはいままでのこの気持ちいい関係をただ壊したくなくて、そう壊したくなくてそれだけだった。怖かった。でももう僕のこころは色とりどりの風船を部屋にぎゅうぎゅうに詰め込んだみたいになって、どうしようもないところまで来ていた。そして社会人になって、行動に移すことの重要さの学んだから。
答えはすぐ帰ってきた。いまはごめんって。ちょっと沈黙。僕は出来るだけ丁寧にタバコの火を消して、駅行こっかと最大の笑顔で言って立った。
歩きながら、あーあふられちゃったなーというとごめんごめんと。謝られてもな。
さすがに7年もこの瞬間のことを考えているとエラー発生時の処理も考え抜いていた。ついつい人は正常ルートばかり考えてしまうけれど、else文やdefault文といった異常系処理は忘れがちで、プログラムがメモリ空間を漂い、システムダウンになりかねない。
結局いつもみたいにくだらない無駄話をしながら、渋谷駅に着いてしまった。井の頭線の改札の近くで握手しながらごめんごめんという彼女にいいよ大丈夫でも俺は好きだなんていいながら、お互いもう会えないのかなって考えてたと思う。
僕は地下鉄に乗って、窓に映る哀れな自分を見つめながら、iPodからMy Bloody Valentineの曲を失恋ソングに選ぶことにした。
ねえ、もう、会わない方がいいの?