はてなキーワード: 体感とは
ぶつかりについての増田を読んでから、ここ数日の間で雑踏で避けない人はどんな人か注視するようになった
地方都市主要駅の地下街通路という観察環境なので、新宿駅雑踏と比べるとその密度は小さいものだが……
いざ意識して観察すると――当たり前のことかもしれないが――避けない人は滅多にいなかった
もちろん新宿駅とは(自分は数度しか行ったことがないが体感として)密度は比べるべくもなく
観察環境が通路なので動線が入り乱れていないことも理由の一つだろう
ただ、滅多にいない避けない人に出くわすと印象に強く残ることはありえるかもしれないなという感想を持った
5日間意識して注視し1回やや距離が近かったかというくらいの結果で集まったデータが少なすぎる
これを書いていてふと思ったが避ける/避けないに地域性もひょっとしたらあるのだろうか?
反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: Anti-intellectualism)とは、知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想[1][2]。言葉自体は、1950年代のアメリカ合衆国で登場したとされ[3]、その後リチャード・ホフスタッターが1963年に『アメリカの反知性主義(英語版)』で示したものが知られる[4]。
一般には「データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断すること(人)」を指す言葉として思われているが、実際にはもっと多義的な観点を含む[4][5]。また、その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは真っ当な民主主義における「必要な要素としての一面」も論じている[4]。むしろ、知的権威・エリート側の問題を考えるために、反知性主義に立脚した視点も重要だとも説く[6][4]。知性と権力が結びつくことへの、大衆の反感が反知性主義の原動力にあり[2]、反知性主義が否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」、すなわち「反・知性」の主義思想ではなく、「反・知性主義」の主義思想なのである[7]。
ねとけん Advent Calendar 2020 12/10 の日記です。
ちなみに今日は結婚記念日。ボーナス支給日を結婚記念日にすれば忘れないだろうということで 、13 年前のこの日に入籍したのでした。
さらにちなみに、今年からボーナスのない会社に転職してしまったので、なんでもない日です。
僕は自作 PC が趣味なので、自宅で使用しているパソコンはずっと自作 PC です。最初に組み立てたのは、ファミコンカセットみたいな形をしていた Intel PentiumII 233MHz でした。
最後に PC を組み立てたのは 2012 年だったと思います。当時、今と違って AMD は自作界隈では全然元気がなく、Intel 一択の時代でした。
特に 2011 年ごろ発表された第二世代 Core プロセッサは、お手頃価格なわりには性能も高くオーバークロックもしやすく人気が高かったのです。
そのときのパーツ一覧は以下の通りで、自分の PC 組み立て方針はコスパ優先です。
一般的な用途において、十分なメモリとそれなりに高速なストレージさえ積んでおけば、CPU や GPU の差はエントリーレベルで事足りるという方針です。
全部揃えても 7〜8 万くらいだったと思います。その後、SSD は SanDisk SSD Extreme PRO 480GB へ、GPU は GTX 750 さらに 1050Ti へと 3 年おきくらいにコスパのいいものに買えてきていました。
Core プロセッサは、その後もほぼ 1 年周期で世代が更新されていきましたが、世代間の性能差はベンチマークを取ればあるけれど、体感できる差はなかなかないといった状況でした。
CPU だけ変えられるのであればまだしも、世代が変わるとソケットが変わるのでマザーボードも買い直しになったり、自分にはなかなか組み替えるモチベーションには繋がらずでした。
まだ戦えると言っているうちに、いつの日か気づけば立派な Sandy おじさんになっていました。
https://dic.nicovideo.jp/a/sandy%E3%81%A7%E5%8D%81%E5%88%86%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%95%E3%82%93
あれから 8 年、2020 年の PC 業界は色々変わりました。”ゲーミング PC” なんて言葉が登場し、七色に光るパーツが当たり前のようになっています。
AMD が元気を取り戻し第3世代 Ryzen の 5000 番台の CPU も発売され、品薄でなかなか購入できないほど大人気です。
メモリは DDR4 が主流に、SSD もインターフェースが SATA から m2 に変わりました。
特にマストな理由があった訳ではないですが、コロナ以降完全リモートワークになり、仕事用 PC の傍らで 自宅 PC を使う頻度も増えたので、ついに 8 年ぶりの大規模変更をすることにしました。
5万円ちょっとで、ついに Sandy おじさんから Ryzen おじさんになることが出来ました。
本当は一念発起して Ryzen7 5800 を購入しようかと思ったのですが、Ryzen3 3100 との差額でメモリと SSD が買えることに気づいて我に返り、結局また CPU はコスパ重視になってしまいました。
しかし、長く使うであろうマザーボードは最新チップセットの B550 なので、CPU を交換すれば長期的に使うことも可能でしょう。また、SSD は最新の PCIe Gen 4.0 なので、シーケンシャルリード・ライトともに 7GB/s 出ます。圧倒的なブレイクスルーを感じます。
Windows7 から無償ライセンスアップグレードした Windows10 を USB メモリからインストールし、ライセンス認証も無事通りました。
行程が最適化さされたというのもあるでしょうが、SSD が爆速なおかげでインストールも 10 分程度でした。
昔は CD から 1時間くらいかけてインストールして、インストール後にもドライバーやらアップデートやらを順番を守ってインストールするのに 1 日がかりだったのが嘘のようです。
動作も OS をインストールし直したというのもあり、ブラウザもサクサク動いて Youtube 視聴も快適そのものです。
ゲームも Factorio や Satisfactory、Civilization などをプレイしましたが快適です。
5000 番台 Ryzen が手頃になってきたら CPU だけ変えることもできるので、この PC も長く使うことが出来そうです。
2020 年、色々あったけど今年もおつかれさまでした。よいお年を。
東京等の都市部の子供は中学校、下手したらもっと早くに予備校にブチ込んで受験させて私立に入れなきゃ貧困家庭ばかりの動物園みたいな公立校行くことになり人生終了
みたいに感じる
もしこれが東京のリアルだとすれば、子供を私立に入れて「人生終了」させたくない親って子供にどんな人生を送らせたいんだろうな
少なくともあえて受験させるわけだから「学歴や収入なんてどうでもいいからのびのびと育って欲しい」ってわけじゃないと思うんだよな
でもだからといって、開成や灘みたいな超名門でもなければ「東大京大、医学部以外は認めない」ってわけでもないと思うんだよ
多分「MARCH以上の大学出て一部上場企業の総合職」くらいの人生望んでんじゃないかと思うんだよ
で、さ、東京って私立入れなかったらそんな人生諦めなければならないほど教育環境ヤバいの?
もし東京に住んでたら子供を私立受験させたいと思う程度の教育水準の親のもとに育った
それなりに勉強できる人間だったら地元の公立小中学校でも充分に叶うイメージなんだよな
つーか俺がまさにそうなんだよね
学年100人程度の地元の公立中高でおおむね上位1割程度の成績で、県内の公立の進学校(地方は上位進学校が公立高校)に入学して、まあ平均よりマシ程度の成績でMARCHレベルの大学出て一部上場企業に勤めてる
学習塾は中3で初めて行った
俺と同じくらいの成績だった中学の同級生と比較すると、まあ平均くらいの状況だし
地方出身の同僚の話聞くとだいたい俺と同じような感じの学生時代だった人が多い
そう考えると、中学受験してやっと俺程度に至る東京の教育環境ってヤバくね?と思っちゃうんだよね
普段東京の教育環境や文化的資本がいかに恵まれてるかって語ってるけど
実は東京って札束殴り合いに勝てる人間しかまともな教育に至れない劣悪な環境なんじゃないか?
https://anond.hatelabo.jp/20201205155542
https://anond.hatelabo.jp/20201207094010
ここで語られているのは東京都心のたとえば新宿池袋のようなメガターミナルでの話なのだろう。
当方は札幌市の中心部に在住している(首都圏出身)が、地方都市ではまた様子が違っている。
札幌は東京都心に比べると駅や街中の密度は体感半分以下であるが、それでも都内にいるのと変わらない頻度でニアミスが起こる。
また、冬の間市街地が雪で閉ざされる交通事情から自転車の交通に対して非常に鈍感で、歩道をグループで横に広がって歩く、後ろから自転車が徐行で近づいても気づかない(あるいは気づいても避けようとしない)
まして対面で自転車が接近しても避けようとしない、というのは日常である。
もちろん基本的に左側通行を守り、速度を上げて走るときは車道の路側帯に入るので今のところ問題は起きていないが…
歩行時も含めて自分の進行方向やパーソナルスペースを譲らないのは、開拓民的な気質あるいは「札幌は街が広くて東京より人が少ないのだから自分が避ける必要などない」というこれもある種の甘えなのかもしれないと思っている。
また、首都圏はこういった全国から人間が集まっているので、超高密度な街にも関わらず育った環境によって気の遣えない人が目立ちやすい側面もあるのではないか、とも思う。
お互いに0.5人分良ければぶつからずに済む。そうすればお互い少ないエネルギーで気持ちよく過ごせるんだ。
だから俺は避ける気無い相手には俺は容赦なく行く。(もちろん相手が避けられない状況の時はこっちが全面的避ける)
自分が書いたのはこれ
https://anond.hatelabo.jp/20201206124933
https://anond.hatelabo.jp/20201207094010
この方の紹介している「人を避ける方法」は正しい。避けテクを学んだ自分もどこかで仕入れたやり方で、とても有用である。
知らなかった方はぜひ試してください。
ただ、この歩き方をしていてもぶつかってくるのが「ぶつかってくる女」なのである。
記事には「目が合っていることで逆にぶつかってしまう」という話が出てくるが、自分が書いた「目が合っているのに避けない」はそれとは違う。
この方のいうように、避ける段階で相手の行動がわからなくて目を見てくるわけではない。
それより前の「進行方向に障害物がないか」の確認の段階で目が合っているという話だ。
人混みを避けながら歩く人なら、「相手の空気」もある程度読めると思う。
「ああ、相手はこちらの進路や避け幅を認識したな」というのも何となくわかるものだ。
その状態、こちらの進路や避け幅に意識を向けている状態でも、躊躇せず直進してくるから「ぶつかってくる女」なのだ。
「進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。」はそういう意味である。
なんなら、こちらが避けていることを確認したらスマホを見出したりするのだ。
(一応書いておくとそういう時は残りの0.3もなるべく避けた)
ブコメやトラバにいた「最初から0.7じゃなく1.0よければいい」「避け切っていないお前がぶつかり男だ」と言ってくる人の話。
まず、人混みで1.0よけるのは0.7の二倍くらい負担が増えるものだ。実際にやれば体感できる。
ひと一人分の歩行スペースを完全に一個ずらすには、自分の進路変更だけではなく、前後の人混み三、四人の進路や歩調にも注意を配る必要が出てくるのだ。
0.7のような曖昧さは許されない。
極端に大げさな例を言えば、「初詣のもみくちゃの混雑」で1.0も横に避けたら周りにどれほど迷惑がかかるか、という話でもある。
普通の人混みはあそこまで混んではいないが、それでも1.0は負担が大きい。
こちらとしても、避けられる状況なら最初から1.0避けている。記事にも書いた通り、可能なら普段は2.0や3.0で避けているのだ。
普段から「避けない奴」だからこの程度のことも理解できないのである。
東京都の郊外市に住んでても新宿とかじゃない限り江ノ島なんて2時間くらいだしね
とにかく移動費がクソ高い、それだけで飛んでしまう
理想は高校生や中学生レベルの財力でも週末は遊びに行けるくらい
往復4000円だと無理
3000円でも無理
毎週行けそうなギリギリが本当にこれ
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね
なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと
そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
歳末とか毎週のセールとか取引を現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか
そうするとどこで現金がほしいか何の取引に利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社の機能を切り売りできるものがあるんだね
それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいるからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど
そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて
その今の時点の会社を買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミングで
夏からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね
小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね
農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる
台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね
約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど
それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ
なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの
そのずれが大きく離れるときにリスクを回避するためにとる手段が現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ
根性や自分ルールでその派生商品に利益がでるわけではないんだよ
単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそのタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら
自分の感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね
そういう勘はその人自身の人生そのものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないかな
たとえば私は交差点で目があった人とはかならず目をそらされてしまうそういうジンクスがあり傾向がありその性別はどちらが多いとかデータがあったとしても
取引には現金で即日という最強の取引から期待値に不動産を貸し出すとかまでいろいろあってそれぞれにちがうリスクがあるので
相互に埋め合わせるために盾と矛みたいな経済循環をもっていてそのタイミングに必要な貨幣量っていうのがその取引自体では等価なので
時間でその量がたまるのを待つ以外にはもっている人から借りるということで時間を減らすことがリスクの回避になっているから
その相手の必要なタイミングでお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる
逆に準備がし終わって払い出すタイミングだと払う側に準備予算と同じ高さで会社の一部を買い取ってその会社の「次に借りたいお金の分量」が下になるときに売ってしまうと
次のタイミング用に買い付ける人たちがその下側の値段でなら引き取りますよってくるんだね
FXとかはそのさらに大きな国単位での時期とか商品とか予算とかに全部の分の取引相手国の現金が必要なんだよね
これが商取引なんていう各個人それぞれの都合で必要な貨幣量の総合計を国とか銀行がストックするのってすごくリスクなんだよね
国単位の明日の状況とか予想とか出来る訳がないから現状を常に見て変動してるのでたしかに一日で倍になるかもしれない
同じ確率で半分になるかもしれないその安全性の確保は偉い人が「いい感じ」って言うとしてその理解をその下がどう行い市場がどう動きみんなが何を買うかで変わる
もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ
こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね
博打の胴元をしてどうせ当たらないだろうと思って掛け金をのんじゃう人みたいなやばさがあるわけ
なので一般市民のみんなの現金をオラにわけてくれって方式で募るのが外国為替証拠金取引なの
みんなが保険会社みたいな感じだね
反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約の保険会社を自営業でやってる感じ
銀行や国が手をだしたくない賭けなのにみんなが必ずもうかるって訳はあるはずないよね
だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ
細かい連鎖が数珠のようにつながってるような鎖のペンダントみたいな形になっているというか紐を端から揺らすと先端がどこに動くかなんて予想がつかないよね
でも繋がっているものがそれぞれ全然ちがうものをつなぎ合わせてチェーンにしたものでもそれぞれがどう動くかなんとなくわかっていたら先端がどっち向くか予想はできるよね
その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性はあんまり関係ないよ
でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごくからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね
春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性だから女性だから子供だから作業員だから官僚だからといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミングで存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね
お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態で田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法が必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる
その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物の状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで
そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバーが小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーとあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね
そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ
その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済
あなたの持ってるお金で小麦の先物を買うとしたら知っておくべきは
・小麦の流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者と運営にかかわる状況
・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金で投資っていうものをしてくださいねってのが一般の金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね
でも人によってはそれらが織りなす大きなパターンをなにかの絵に見えたり動物にみたてたり風景のように感じて判断できる人はいないとはいわないしいるとおもう
みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気を上記の最低限必要な情報の集合体と見立ててすがるのは
たしかに宗教的かなとはおもうけどその情報の集合体であるご本尊は貴重な市場データが高い純度でつまった大理石の像なのかなってことを知ってほしい
手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか
崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないかな
もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら
いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう
無知な人が理解ができる情報の限界は無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ
「納得」してしまう現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない
もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
DQNチックな人なら「みんな避けるが?」みたいに感じるだろうし
私はそこそこ高身長でガタイのいい方なんで、相手はこちらを視認後に結構避けてくれるが
その体感として「女は避けない」と感じる
こちらを視認しないというよりも、視認してなお「視認できていません」という体をとる
多分、「ぶつかってくる」判定だろう
この増田
前に似たような事を自分も書いたけど特にバズらなかったが、ほんとこれなんよ
相手が男性だと半分くらい避けて自分も半分避ければ丁度いいことが多い
全く避けない人は滅多に見ない
だが相手が女性だと一歩も譲る気ないようなのをときどき見かける
ぶつかられるとか言ってる話題を見たけど、自分は一切避ける気ないからだろとしか思えない
特にイライラしてるときとかは半分だけ避けて、後はお前が避けろよ、避けないならぶつかるがダメージおうのはそっちだぞ、と脳内で思ってる
あとスマホ見ながら歩いてるときも、男性は割とチラチラ前を見てるので避けているのでスマホ見ながらでもそこまで邪魔と思えないが、女性はスマホ見たら前は全く見ないようなのが多い
この話題で冷静になんでこうも違うのかと考えたときに思い至ったのが DQN と一般人の差だ
「男性とすれ違ったとき」と思い返すときに思い浮かぶのはその変にいそうな普通の男性やスーツを来たビジネスマンなど
ああいうのは見た目でわかりやすいし、まともな常識がないから一般とは違う別の枠と考えてる
ただ、女性の場合は、男性に比べてそれ違いざまのパット見で判断するのが難しい
DQNとまで行かなくても髪を染めたり派手な格好の人は結構いるし
そのせいで「女性とすれ違った時」に思い浮かぶ一般女性にはDQNもそれなりに含まれてる気がする
真面目そうな女子学生とかおとなしそうというか地味な感じの人や気の良さそうなおばちゃんを思い返せばそれなりにちゃんと避けてくれてたように思う
なのでまともな人を見ればそこまで違いないのかなって気はする
ただ、女性の場合派手な格好してるほうが痴漢被害にあいづらいとか以前 Twitter でも話題になってたしそういう目的なのか、パット見の見た目だけだとDQNに近いのが多くて判断しづらく、一般男性には含まれない常識のないバカたちも一般女性に含まれてしまってる感じはする
“22/7 計算中”っていうものすごく変な番組。最初の出会いはアニメと間違って予約してしまって、見たら「なんじゃこりゃ!?」っていう衝撃。
Abemaで1話と最新話が無料で見られるので、百聞は一見にしかずでちょっと見てほしい。
https://abema.tv/video/episode/26-95_s2_p1 1話
https://abema.tv/video/episode/26-95_s2_p35 最新の35話(パーパーほしのさんも出演)
https://abema.tv/video/episode/26-95_s2_p36 最新の36話(キャラクターが歌って踊るよ)
いきなり動画は厳しいという人もいると思うので文章でも説明してみるけど、言葉にするのがなかなか難しい。
番組としてはお笑いコンビの三四郎さんがMCで、そこに3Dアバターの女の子キャラが合成表示されて、両者の掛け合いで進行していく。
MCとのリアルタイムな掛け合いを見てると、これは同じ場所でモーションキャプチャーで撮影してるなと分かってくるんだけど妙に気になる。
「あーバーチャルアイドルってやつかあ」と思ったら、途中いきなり生身の手や体が写りこんで驚愕。
普通こういうのって中の人は絶対秘匿するものなのでは?と思ったら、エンディング後のおまけシーンで収録場面まで写してくる。
驚きなことにみんな可愛い。「なぜ手間暇かけてわざわざアバターにするの!?」と、ますます意味が分からない。
意味が分からないなりにすっげー面白くて、調べてみるとすでにシーズン1が放映されてて70話以上あったとの事。
そこからはもう沼で、毎日計算中のシーズン1の番組の動画を探して見続けてしまう日々※。なんせ30分の番組が体感5分くらいだから止まらない。
スタジオの外のロケにもどんどん出ていくし、3Dアバターのはずなのに料理したりジェットコースターに乗ったりとやりたい放題。
そんなファーストコンタクトでした。
…やっぱり文章だと伝わらない気がする。できれば数分でも動画を見てほしい。
三四郎さんのMCテクニックやナレーションやテロップの毒舌も絶妙で、本当に丁寧に作られた番組ですよ。
そのくせ7人以上出演した時は容赦無くパネルにしたりと、丁寧なのか雑なのか割り切り方もすごい。
今では中の人のナナニジも気になってしまいメンバーのツイッターやインスタをチェックしてしまうどっぷり沼な毎日。
みんな可愛いくて必死で活動してて、40おっさんのこっちも若返っちゃうよ。アイドル好きになったの初めての体験だったし。
※ あんまり大きな声で言えないけど、当時公式に配信されてなく、おそらく違法アップだろうなーってのをYouTubeやニコニコで見てた。ごめんなさい。
シーズン1の半分くらい見たぐらいあたりでめでたいことにdアニメストアにシーズン1が配信され、また最初から見返す楽しい日々を送りました。
正確にはdアニメストニコニコ支店で、一人でコメントつけまくったね。
しまった、1人でもファンを増やそうと思って書いたのに一番大事な宣伝忘れてたわ。
毎週土曜日23時、東京MXとBS11で22/7計算中放送中です。みてみかみ!
そう!てさ部だ。なぜ思いつかなかった。ノリとしては近いものがある。
ただ、あれは声優同士のテーマトークにたつきが手付けのモーション付けてるから、やっぱり少し違うんだよね。
計算中はモーションキャプチャーを活かしてジェスチャーゲームやったり芸人とコントやったり、歌ったり踊ったりと新規性を感じるよ。
で、アイドルコンテンツとしてはどうなのってことだが、少なくともノータッチの俺の印象としては、アレにハマってるオタクは見たことない。君が初めて観測した人類だ。
過去アニメもやってた気がするしいろいろ展開してるようだが、話題になっているのも見たことがない。
おそらくファン数としてはミリマスにも遠く及ばず、新興の電音部やD4DJとも競えていないくらいのオタク認知度ではないか。
そこから察するにオタクの感性からはズレているか周回遅れなんじゃないかと推察するところなんだが、バラエティ的な回し方としてはアニメ畑とはレベルが違うから面白くできるんだろう。
乃木坂とか欅坂とかやっぱりいまだに全く興味が湧かないけれどナナニジはどハマりしたので、メンバーの隠キャ気質やオタク気質に惹かれるところがあるのかも。
たまにShowroomやインスタで配信やってるけど、ボーカロイドの曲や乙女ゲームの延々としてたりするからそれを微笑ましくみるのが好き。
秋元康さんは正直毛嫌いしてたけど、ナナニジの曲はほんと良くてドライブ中とかSpotifyで鬼リピしてる。
って事でオタクの人がハマる要素を十分に兼ね備えてると思うんだよね。ツボる人はツボるはず。これからこれから
まあ元増田ちゃんはこれまで二次元アイドルコンテンツにハマったことはなかったみたいだから
いろいろ言ってる増田たちも「〇〇〇」(アイマスでも、ラブライブでもナナシス、バンドリ、何でもお好きなものをお入れください。俺はモバマス)に一回はハマったでしょ?
みんなそういう時期はあるのよ
ラブライブとバンドリはアニメ見て普通に面白かった程度。3次元アイドルはほぼ免疫がない。
「もっと早くアイドルマスターを知りたかった」anond:20201206230646 の増田の気持ちが痛いほどわかりみすぎる。
「アイドルのV版」といった印象。わざと割ることで煎餅を「規格外の割れせん」として売れるようにするような。もともと煎餅を買わない層への餌としての。「かわいい!」じゃなくて「かわいいのにガワつけてる!」。
本当それ。その表現力が羨ましい。素材をわざわざ加工してるギャップが味を出してるんだろうね。
基本はキャラクターの設定に準じて演じてるんだけど、素材の味(中の人の性格)が外に染み出しまくってるのがたまらん。
アニメのほうはどうだったのかしら
経験上、「今日は人身事故がありそうだな」と言う日はある程度決まっていると思う。
ちょっと明日辺りは人身事故が多発しそうな気がするので、自分が思う「気の迷いで電車に飛び込みがちな日」の特徴を説明したい。
頭の片隅にでも覚えておいてもらって、気の迷いでふらっと死んでしまわないように気をつけてもらいたい。というか頼むから電車止めないで。
1.寒い
寒いと気が滅入る。気が滅入るとマイナス思考がちになって目の前にある電車に突発的に……という流れだろうか?
私は飛び込んだことがないのでわからないが。
2.前日との寒暖差が激しい
機能まで平年より暖かかったのに急に冷え込んだな……と思っていると案の定電車が止まる。
そういう日は特に人身事故が起こりそうな予感がするので、乗務員的には「やっぱり飛び込みましたか……」という気持ちになる。
3.晴れ
加えて雲一つない空っていうのは意外と気が滅入るものらしい。
あまり多くない。
代わりに雨の日は路線によっては野生生物との衝突が多い気がする。鹿とか。
4.月曜日
結局これかよと言われそうだが月曜日はやっぱり多い。
体感としては 月>超えられない壁>日≧金>その他といった所。
今更感がある内容だが、実際にこういう日に人身が多く発生する。
個人的な意見だが、寒くてネガティブになっている状態での飛び込むというのは、ちょっとした気の迷いに身を任せるようなものだ。
言い方が悪いが同じ死ぬにしてももうちょっとマシなものがある。勿体ないことこの上ない。
そのどちらかに貼っておけば全身が温まる。
通勤前にコンビニでも寄って貼るカイロを買ってカイロの力を感じてほしい。
もっというとよく寝ろとかちゃんと朝食べろとかそういう話になってくるが、寒さは本当に気が滅入るので最悪でもカイロだけは買ってみてくださいお願いします。
とりあえずは以上です。
これで明日何も起こらなければ笑ってもらって構わない。
ちなみに先週は同じ路線が朝夕人身で止まったりとか色々ありました。マジ月曜は気をつけてね。
・追記
反応の数が意外に多く驚いています。
その中で、補足したいと思った点が3点ほどあるので追記します。
補足1.晴れの危険性についての補足
私個人の推察ですが、晴れの日が危ない理由については、ほかの3点とは異なった理由があると考えています。
対して、晴れの日は「ストレスが取り払われた状態」であることが危険なのではないかと考えています。
駅のホームに立っている状態で、後ろから押してくる圧力が「ストレス」です。
普通の人は後ろから押されると、落ちるまいと踏ん張ると思います。
その時あなたの目の前に存在する、落ちたくないと思わせるような心理的な壁を取り払ってしまうのが晴れの日であり、「ストレスが取り払われた状態」なのではないかと思います。
俗にいう「線路に吸い寄せられる」感覚というのがこれにあたるでしょうか?
補足2.本当に余裕がない人はカイロを買う余裕もないのでは?という話について
ご指摘は全くもってその通りで、私はそういったギリギリの所で耐えている方に対して気の利いたアドバイスをすることができません。
もうその段階の人に対しては、電車に乗るな、無断欠勤でもなんでもいいから飯食って風呂入って寝てろ、としか言えないと思います……。
私がカイロの購入をお勧めしたいのはむしろ、ちょっと嫌なこともあるけどそれなりに生活を送れているレベルの人です。
「辛いが死のうとは思わない」レベルから「飛び込んでみようか」と思うぐらいには冬の寒さはメンタルに影響を与えます。
人は魔が差す生き物です。自分は大丈夫だという人ほど、予防のつもりで試してみてください。カイロは効きます。
補足3.「暴落」「市況板」について
率直に言いまして、わかりやすく人身に影響を与えるという意味では無視できない要素です。
私も人身といえば……で思いついてはいましたが、今回の内容では省略しました。何故かといいますと、「気の迷い」で死ぬとは少々ニュアンスが変わってくるからです。
少なくとも、暴落に関係して「辛いが死のうとは思わない」人が突発的に死を選ぶことはほぼないと思われます。その為割愛しました。
なお、仮に暴落した影響で死を選ぶとしても鉄道で無理心中は避けるのをお勧めします。
運転士曰く、一人は我に返って離れようとしたが、もう一人が手を掴んで……なんて話もありますが、想像したくもないでしょう?
余談ですが私は、電車に飛び込むぐらいならそのまま反対側のホームに回って逆方向の電車に乗ってほしいなーと思っています。
鉄道ってほかの公共交通機関の数倍「そこに路線が通っている理由がある」乗り物なんですよ。
先日、大阪で独自の基準に基づく非常事態を示す「赤信号」が発令された。
新型コロナウイルスの感染者数が先月から爆発的に増加しはじめたことはメディアで報じられている通りだが、
その中で重症者数も増えてきており、想像以上に早く医療機関の収容・対応能力に限界に近づいてきたため、発令に踏み切ったとのこと。
この師走に差し掛かった直後での発令、ここで食い止めないと医療崩壊に繋がりかねないとの名目なのだろうが、
正直な話、この赤信号発令のタイミングについては「判断が遅すぎた」と言わざるを得ない。
これから2週間は同じペースで感染者・重症者は増え続け、医療機関は野戦病棟さながらの事態となるだろうことは想像に難くない。
一般人の私としては、医療従事者の皆さまには深く敬意を表すると共に、
一人の人間としてこれ以上の感染者を増やさないよう、そして私自身が感染者とならないよう、
慎重に行動をしてゆくこととで、細やかながらこの状況に協力してゆきたいと思っている。
さて、この非常事態宣言たる赤信号だが、15日までという期限が切られている。
この期間中は不要不急の外出は控えるようにとの要請が出ているわけだが、まっとうな人間であればこの要請には恐らく従うことだと思う。
問題は、この期間終了後だ。
果たして、15日でこの赤信号が解除されるかどうかはまだ分からないが、仮に解除されたとして、果たして皆はどう考えるだろうか?
ここでもまっとうな人間であれば
「解除されたとは言え、人混みは避けて、飲み会などもやめておこう」
となるのが自然だろう。
まさかここにきて、
「解除されたからもう飲みに行っても大丈夫!自分は感染しない!」
などと迂闊な考えたをしたりする人間はいないだろう・・・と私自身は願望を持っているが、
たった2週間という短期間の外出自粛要請と、年末という忘年会シーズンただなかでの解除ということを鑑みるに、
どうにも人々の理性のタガはいとも簡単に外れかねないのではないかということを大変に危惧している。
それに、そもそも15日までという期間が短すぎるのがどうにも気になるところだ。
既に飲食業界はガタガタで、特に居酒屋や緊密に接待してくれる店などの所謂「夜の街」のダメージはかなり深刻だ。
だが、この「夜の街」こそが感染の温床となっていることも事実で、
第2波の時も東京都知事が毎日のように会見で発言していたことは、今でもげに印象に残っている。
本来ならば「夜の街で働く人の生活は保障するから完全に閉めてくれ」と国が動くべきところだったが、
残念ながら、「自分の飯代くらいは自分で稼げ」と国が突き放してしまったのだから、
(関東では店舗の照明を切って営業してる、なんてところもあり、その傾向は以前の比ではないように思える)
当然、一部のお店は通常通り営業を続けることとなり、店が開いてるなら酒を求める人々はそこに集中する。
狭い範囲ながら新型コロナウイルスの感染者発生を維持する手助けをすることになる可能性がある。
活動自粛を強制することができない関係上、居酒屋だろうと職場だろうと感染経路を遮断することは現行法では不可能だが、
このたった2週間程度の自粛期間では感染症の広まりを抑えるということについては焼け石に水といったところだろう。
そして、15日を迎え、晴れて赤信号を解除し、黄色信号になると同時に
「自粛要請を解除するが、5つの小を徹底して飲食することを要請する」となった場合に、
果たして皆それを忠実に守り、極少人数で客の入りの少ない店に入り、個室で短時間のうちに静かに飲食を行い、速やかに退店するだろうか?
私は絶対にそうはならないだろうな、という確信めいた実感がある。
日本の居酒屋は換気を徹底できるような作りになってるところは少ないように思うし、
1グループごとに完全に個室に案内できる店は少し大きな料亭クラスの店くらいのもので、
申し訳程度に立てられたアクリル板はどうやら意味を為さないことが分かってきており、
安定した感染経路の提供口として機能してしまうことになることは想像に難くない。
また、いくら冷静に「小」を守る人でもひとたび酒が入れば感覚は鈍り、
徐々に声は大声に、顔も近づけて話すようになる。
「おいおい、密だぞ!」「ワハハハ、悪い悪い!」などと大声で笑いごとにしてしまうことすら想像できてしまう。
短い自粛期間を潜伏期間として過ごしたウイルスたちが、晴れて店中にばらまかれ、クラスターが広がる可能性が高くなる。
年末になると、医療現場は更なる地獄を見ることになりかねない・・・。
大阪府はどう考えているのだろうか。
恐らくは、上記のことなどとっくに把握済であることは間違いないのだろう。
その上で
「この期間中に医療体制をそれなりに確保する動きをしたうえで、各方面にはなんとか正月の餅代は自力で稼がせてやろう」
といったあたりの着地点を目指しているんだろうと想像する。
先日、自衛隊に対し吉村府知事が看護師派遣の要請を行ったという報道も小耳に挟んだ。
それが実現・成功するかどうかは分からないのだが、これを踏まえたうえで、15日でこの赤信号は解除し、
前回と同じく「飲みに行くなとは言いません」的なことを発表するのだろう。
看護師派遣要請も今更という気しかしないが、そもそも根本対応にはなっていないことは果たして認識できているのかどうか。
追加のベッド数をねん出するには新型コロナ以外の患者を収容するベッドを転用せねばならないという事実に変更はない。
看護師の確保と一口に言っても一朝一夕どころか数か月で多人数を動員出来る話ではない。
一時感染者数が減ったとしても、ひとたび再感染が起き重症者が増えてしまえば一気に現場が逼迫してしまうのは考えたら分かる事だ。
このままでは、なんとか掴みとれた餅を詰まらせてしまい救急搬送されてくるご老人の命一つ救えなくなりかねないという事態になりかねない。
よく考えていただきたい。
医療崩壊はこうやって起きる、というシナリオを忠実に1歩ずつ歩んでいるこの状況を無傷で乗り越えるにはあらゆる対応が足りない状態だ。
ワクチンの供給も、いつになるか分からない状態で、来年の夏のオリンピック開催を我々は果たして笑顔で見届けることができるのだろうか?
年の瀬になり、「中止になるのではないか」という個人的に妄想してるプランが少しずつ現実味を帯び始めてきた気もする。
だが、この新型コロナウィルス感染症を抑え込む気がさらさらない日本が、どうして健全な大会を開催できようか・・・
まぁ、オリンピックは国全体の問題であり、大阪とはあまり関係のないこと(そうでもない?)なのでここで言及はやめておこう。
一人の一般人として大阪府に望むことは、今にも崩壊しそうな医療現場を必死で踏みとどまっている方々への背信行為となるような赤信号の解除の仕方をしないこと、
それと同時に、より強力な経済対策と医療現場で働く方々への支援を日本国政府に対して引き続き要請を続け、そして引き出して頂きたい。
そして私と同じ一般の皆さまにも、赤信号が解除されたからといって街に繰り出したりしないよう、
理性を保って行動していただけることを切に望む。
偉そうなことを書いて大変に恐縮している。
だが、何故このようなことを書いたかと言うと、実は先日持病の発作で倒れてしまい救急搬送されたばかりなのだが、
新型コロナウイルス感染症の影響か近くの病院で受け入れてもらえず、遠く離れた病院へ回されてしまったのだ。
搬送先で短期間ながら緊急入院となった訳なのだが、そこの病院も新型コロナ用の隔離病棟を準備していた関係で一般病室に空きがなく、
やむを得ない形で、ぱっと見ではホテルなのではと見紛うような個室に入院することとなった。
いいのか悪いのか複雑な気持ちになったものだが、だがこれは全く他人事ではないと身をもって体感したからである。
何かあった時に入院できなくなる事態、考えただけでゾッとするものがある。
そして、それは自分だけでなく祖父・祖母・父・母・そして家族にも降りかかる災難となる。
助かる命が助からなくなる医療崩壊が今後起きてしまうと、未曾有の大災害に匹敵する凄惨たる光景を目にすることになるだろう。
それだけは、いやだ。
女性の体格(身長)との相関を調べて欲しい。この調査の中での体感でもいい。
なぜか。彼女たちはその人生の初期に避ける必要がほぼなかったからだ。
男性が成長期を迎える15歳前後まで女性は男性に対して肉体的に常に優位な状態にある。つまり学校内の通路で男子と相対した女子は基本的に避ける必要がない。体の小さな男子が勝手に避けてくれるからだ。(さらに、男子も避けなかった場合、悪いとされるのはいつも男子ということもあるだろう)。また平均身長より大きな女子は自分より背の低い女子に対しても避ける必要がない。したがって、学校内において基本的に通路を譲るという習慣が身につかないことになる。小学校と中学校でこの習慣が徹底して身につくことになる。
最悪なのはこの世に女子校というものが存在することである。高校で共学校に進学した女子であれば、成長期を迎えた男子が彼女の身長をみるみると追い越し、その校内生活の中で自分が道を譲る必要があることを悟るだろう。だが、女子校に進学した場合、彼女達にその機会は与えられない。廊下を歩けば自分より小さな女子達がいつも勝手に避けてくれる。こうして、相手に進路を譲らない女子が完成する。
武道やスポーツやっててなんとなく上手いこといってて、それで進学やカースト内の立ち振る舞いがうまくこなせてしまった女子にありがちなタイプだけど、とにかくレスポンスの速さが取り柄なんだよあいつら。
深く物事を考える有意性すら理解してないしする気もない。なんでも0か1で割り切れると思っていて、明言するのを避けたり答えを出せないことをじっくり考えたりすることを馬鹿にしてる。
だから今の振る舞いが間接的にどう影響を与えるかとか、どういった社会的意義を持つか、表面上には現れない人の気持ちなんかにかなり無頓着なんだよ。
間違ってることでも浅はかなことでも、とにかく相手に隙を与えずメッセージを発してコミュニケーションにおいて自分が主導権を持つ。これが彼らの処世術だ。
こういう人はマウントを取った時点で自分が絶対的正義だと証明されたのだと信じてやまない。強い語気や態度で圧倒しているだけなのに相手の論理に破綻があるから黙らざる得なかったのだと歪んだ解釈をする。彼らはのちのちまで「あなたあの時論破されちゃってるんですけど?」みたいな詭弁論者めいた態度を真顔でかましてくるから始末におえない。
そもそも論理的に話を整理したり妥当性があるものが優先されることを彼らは心底嫌っている。嫌ってるというか暗くて気持ち悪くて無駄で不要なものだと切り捨てたがる。とにかく速く相手に反応を示すために考慮することを放棄しているので、事象に対し主観的かつ情緒的な解釈が目立つ。「なんとなく嫌いだからこれは劣っている」「なんとなくかっこいいと思うからこれは優れている」「なんとなく退屈だからこれは要らないのだ」とどうしようもない基準で物事を判断していく。
そして目先の、体感のコストパフォーマンスを彼らは優劣のバロメータにしており。長期的な物の見方をしない。根は真面目だからあいつらなりに「将来あれになりたいからこの学校で専門教育受けます」とか「お金を貯めておきたいから財テクやってる」とか「子どもの可能性を伸ばしたいからそれ習わせてます」とかいろいろやるけど、全てが一元的でそれって決めたらそこしか見えてないのよ。中学高校の憧れで看護師になるって決めて看護の学校行って看護師として働くようなタイプ。腰を据えて一本筋を通す姿勢は立派だよ。でも彼らは憧れの次に、看護師の実態を調べたり、職業人が持つ行動指針となるべき抽象的な流儀に思いを馳せたりなんかはしない。そんなのすっ飛ばして「何になるか決めたからとっとと受験対策しよう」だ。そして職に就いたら、理想とのギャップを全て自分以外の何かのせいだと愚痴り、場当たり的に行動する。気分で仕事の出来にムラがあるので一定のクオリティを保たない。それでも持ち前の判断力の速さと明瞭な態度で体面は繕ってしまう。体面がいいため何も言われないでいることを、自分が有能な証だと履き違え自己研磨しようとしない。
体育会系でも武道は縦の関係が強いので、彼らは上の物に靡いて言うことをすぐに変える。流儀や信念みたいなものはないし今後に向け醸成させていく気もないので組織内の力学にすぐ染まる。その癖単刀直入ではきはきした態度故に「しっかり者」として扱われてきたためか本人にその自覚すらないのがタチが悪い。
増田があの時対抗できたとするならば、嫌な顔された時点で間髪入れず「あ、あなたの物ではありませんでした?」と言って、違う人に「これ落としませんでしたか?」と聞いていけばよかったかもしれない。
こういう輩のペースに巻き込まれてはいけないのだ。善意で拾った市民という増田自身の認識を歪め、あまつさえそれが如何にも妥当であるかのような態度。、そんな振る舞いを許すような謂れが増田には一切ない。
先日ついうっかり足を捻挫してしまい、しばらく松葉杖生活となった。
その際に気付いたことがあるので書き留めておこうと思う。
「男性はぶつかってくる」
男性は駅や街の雑踏でぶつかってくる。それは女性を無意識に見下していて、避けないからだ。
これは女性なら多かれ少なかれ心のなかに共有された理解であると思う。私もそう思っていた。
もちろんわざわざぶつかってくる一種の変態もいる。彼らを置いておいて、男性一般に関しての話だ。
これらは集団としては成立するが、これを個人個人に還元しようとするのはナンセンスだろう。あくまでもマクロな話であると念を押しておく。
私が気付いたのは、「女性はぶつかってくる」ということである。
私は定期の関係で新宿や秋葉原でよく下車するため、コロナ禍の中でも雑踏を通る機会は多い。
それらの街は動線がグチャグチャだが、周囲に注意しつつ動けばなんとか動ける。そんな感じだ。
性別問わず誰も彼もぶつかってくるように見えたし、実際何度もぶつかりかけた。
結局どうしても動けず電話で友人を頼って一緒に助けてもらうこともあったが。
何日か経つと、なんとなく動けるようになった。
人の動きに意識を向けていると、なんとなく今まで意識していなかった法則性がつかめてくる。
真正面から来る人を避けるには、二人合わせて1人分の幅を譲り合えばいい。簡単のため、これを「人幅」という単位で表すことにする。
まずは男性。男性は比較的早い段階、10メートルほど前方から回避を始めている。これは意外だった。
男性は平均して0.7人幅ほど回避してくれる。(松葉杖をしているときはほぼ1人幅避けてくれていた)
あとの0.3人幅はあなたが避けてくださいね、ということだろう。
会計で女性に少額だけ出させて貸し借りにしないというのと同種の心遣いであろうか。(もちろんそこまで深く考えてのことではないだろうが。)
こちらも少しだけ避ければ回避できる。これは実にスマートなやり方である。
これはたまたまだが、検証の段階でわざとぶつかってくる男性とは遭遇しなかった。
一方、女性。
女性はあと数歩という段になって、ようやくこちらを認識し、迷惑そうな顔をしてきっかり0.5人幅回避する。
繰り返すが、平均である。きちんと回避する女性もいるのは当たり前である。
しかしその数歩、1.5メートル前後で回避できるのは運が良い時だけ。
他の通行人や互いの相対速度など、他の要素が入れば容易にその安全距離は消え、ぶつかってしまう。
こちらが検証ということで十全に注意していたから良かったものの、普段ならぶつかってしまうようなインシデントは多くあった。
ここから導き出されるのは以下の仮説だ。
1.男性と男性は互いに0.7人幅ずつずれているので、ぶつからない。
2.男性と女性は、男性が0.7人幅ずれている状態で、残りの0.3をずれるかどうかでぶつかるかが決まる。
3.女性同士は相対速度が小さいため、ぶつかりにくい。
さらなる検証が必要である。自分に加え、同僚の男性A氏の協力(意識と記録をしながら一週間通勤してもらった)もとりつけて実験を続行した。
1は、新宿駅中央通路での観察の結果、おそらく正しいという結論に至った。A氏の経験と観察からも、恐らく正しいということだった。
A氏は検証のため何度もぶつかりかけながら、正しいと結論付けた。
体感として「あと数歩で女性が0.3人幅避けるパターン」は4割、「女性が避けないため自分が避ける」のが6割ということだった。
6割のうち、男性が避けないことがあれば、それが「ぶつかった」ということであり、女性からすれば「男性がぶつかってきた」ということになるのだろう。
実際は男性が0.7避けてくれていて、大体の場合1.0人幅を丸々回避させてしまっているだけなのにも関わらずである。
自分でも観察したが、恐らくこれは正しい。もっとも、私の観察する限り男性が避けるパターンが8割ほどだった。
「女性が0.3人幅避けない」パターンだった。男性はきちんと避けていた。女性が全く避けなかったのだ。
男性は不快そうな顔をしただけで行ってしまったが、女性は痛そうにしていた。体格が違いすぎるのだ。私は自分の苦い思い出と重ね合わせつつ同情した。
男性の方も少しくらい心配しても良いではないか、と怒りが込み上げてきたが、彼からすれば「自分は0.7も避けてやったのにぶつかってきた」ということになるのだろう。これは客観的に見て正しいし、彼は道理としては被害者ではある。が、やはり痛そうにしている人のことを放っておくのは見ていて忍びない。
女性にとっては「男性がぶつかってきた」という記憶となって残ることだろう。誰も得をしていない。
3は、間違っていた。
女性同士は軽度の接触事故を多々起こしている。ニアミスもこのパターンが最も多い。
しかし運動エネルギーE=1/2mv^2の、mもvも互いに小さいために痛くない。(威力に握力は関係ない)
恐らく記憶に残りにくいのであろう。
ここまでの実験で「女性はぶつかってくる」ということがある程度立証できたと思う。
では何故ぶつかってくるのか。私は生物学にも文化人類学にも社会学にも明るくないため、門外漢(門外女?)の適当な妄想ではあるが考えてみた。
仮説1: 女性は動体視力や空間認識力がよくないため、相手の動線を上手く認識できない。
これは女性が運転が苦手な理由としてインターネットで見たものを流用した。狩猟を行っていたために動体視力が発達した男性に対し、女性は採集をしていたため静物を見るのが得意なのだ、という主張だ。が、これはいくらなんでもおかしい。現に私はきちんと認識できたし、人間の歩行速度なんてたかが知れている。トンデモ説として却下した。
これは若干迷ったが、却下した。確かに女性の方が歩きスマホ率は高かった。しかも見ていて気付いたのは、男性は歩きスマホをしていても前をこまめにチラチラと見ている場合が多いのに対し、女性は前を見る周期が低いかあるいは全く前を見ていない場合が多いということである。全く前を見ない女性は今までよくもまあ無事に生きてきたものだと感心してしまった。が、これも論拠としては弱いように思われる。スマホをしていなくてもぶつかってくる女性は多い。
仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない
これだろうという気がした。
相手が避けてくれるだろう、自分が避ける必要はない。何故自分が避けなければならない? こういう意識で歩いているのではないかという気がする。そうすれば最もうまく説明がつく。上の危険歩きスマホもこれが根底にあると思われる。考えてみれば口喧嘩でもなんでも、女性の方が自説を曲げることが少ないような気がする。
これがポジティブに女性が胸を張って歩ける社会が来たと見るのか、ネガティブに女性が社会的に甘やかされているためだと見るのか、女性が本能的に傲慢だからと見るのか、どれが正しいのかは分からない。
これだけは言える。
そして世の女性諸氏に、ぶつかっているのは男性ではなく自分自身なのだと気付いてほしい。
ただ、男性には申し訳ないがもう少し避けてくれることをお願いしたい。あなたがたが避けてくれていることはよく分かった。でもあなた方はぶつかってもなんともないだろうが、女性との体重差は2倍近い。ぶつかられた方は、ものすごく痛い。少しだけ進行方向を変えるだけで救える命があります。
長くなったが、このささやかな研究に協力してくれた同僚のA氏、同居猫のB太、それから勝手に観察させてもらった新宿駅の通行人の皆様に感謝を伝えたい。
1人分隔離されてるベンチに座ると目上のテレビに昨夜、不倫騒動の謝罪会見をしている彼の姿が映っていた。
個人的に彼に対する感情は特にないのだが記者の質問に対してホントに、馬鹿な事をしました、はいそうですね、とばかり繰り返して答えてるようで答えていないその姿は
あまりにも滑稽でクスっと心の中で沸いた。しかし、この待合室という微妙に俗世からかけ離れた雰囲気をする場所でその滑稽な姿が映し出されるのはなんともシュールなのと
何かやらかしてニュースに出るとこうして多くの人の目に触れることになるというのはとても恐ろしいのだと、ふと再確認させられた。
例えば犯罪者ならその人のバックボーンなどは知られてないから犯罪内容を大袈裟に取り上げるぐらいだが、有名人はそういうわけにはいかない。
過去に出演した番組の映像などマスコミが舌なめずりして発掘してそれも流すだろう。ヒューマンステージという単語を用いて有吉とマツコにイキる彼の映像もあった。
有名人になるというのはこうして逃げ場も同時に失うという側面も担っているのだと待合室で急にふと体感したわけである。
繰り返すが俺は彼に対する感情は特にない。あえていうなら相方の中島はこれからもお笑いは置いといて俳優としての活躍をお祈りしたい。