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はてなキーワード: 軍服とは

2015-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20150629112751

野球ってのは戦争を模した極めて野蛮なスポーツからだよ。

ホームベースって直訳すると味方の基地だし。

なんで選手はあんな暑っ苦しいユニホームなのかもそれで説明がつく、軍服からだよ。

それに「読売巨人軍」って言うだろ?あれは軍人同士の殺し合いなわけ。

人を殺してガッツポーズするような野球部の連中に品性を求めるだけ無駄だよ。

2015-07-01

父が死んだ

長らく一人暮らしの父が死んだ。

アパートの隣人が、数日間顔を見せない父を不審に思い、

住み込み大家さんにドアを開けてもらったところ、

風呂場で倒れている父を見つけたそうだ。


連絡を受け急ぎかけつけたが、父は遺体保管場所にいた。

なんでも腹部に多数の切り傷があったため、検死を行うらしい。

確認のために写真を見せられたが、確かに腹部に切り傷があり

リストカットを繰り返した手首のように傷が盛り上がっていた。

まだあたらしい傷もあった。原因は思い当たらなかった。


検死は1週間もかかったが、わかったことといえば

死因は腹部の傷とは関係なく、心臓発作ということだった。

結局、おびただしい傷の原因はわからなかった。



そんな父の遺品整理を先週末にしていたところ、

机の引き出しに入っていたデジカメ生前の父が写っていた。



写真の父は軍服を着て腹にはサラシをまき正座をしていた。

そして短刀で腹を切っていた。

データ確認すると何枚も何枚も腹を切っている父が写っていた。

父は苦しそうな、それでいて悦んでいるような複雑な顔をしていた。

別の写真では若い女性も腹を切っていた。

わたしの父は切腹マニアだった。



遺品整理も終わり、大家さんにお礼を言いに管理室へ訪れた。

大家さんは父が介錯している女性だった。

2015-05-22

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれ白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあい台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズ化石彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれ化石などを作り出し、ベリンガー化石採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかし化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しか調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人逮捕された。しかし「王妃伯爵夫人同性愛関係にあった」「本当は王妃陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアム戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアム父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女インド洋島国王女ラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女メアリー・ベイカーという家政婦で、架空言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ポヤイス国(1822年)

イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地役職通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーフランス高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュアヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人化石捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見たかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人化石見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハル観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい新聞記者から取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石捏造されたものだと断定された。捏造犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝艦隊見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざい変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当ものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

アルバニア王オットー1世1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アーン・マレー(1943年

オーストラリア現代詩誌『アングリーペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるセルから送られてきた。『アングリーペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派詩人であるジェームズマコリーハロルドスチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメものだった。この事件によりオーストラリア現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品シュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界から多額の寄付が集まり居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論特集に、アランソーカルから寄せられた『境界侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

2015-04-05

初霜「うぅっ…あぁ…提督…気持ちいいです。」

 特に誰かに目撃されるという事も無く私達は無事提督の自室に着いた。

「汚い部屋だが勘弁してくれ。とりあえずベッドにでも腰掛けてて。」

 汚い部屋と形容したがそこまでの汚部屋という訳でもなくそれなりに整理はされている。提督は奥で軍服を脱いでいる。これからする事を考えると少し不安だが後はなるに任せるしかあるまい。

「…初霜。もうそちらは大丈夫かな?」

「準備」を終え私の隣に座った提督はそう尋ねてくる。

「…はい、準備万端ですよ。」

 その言葉を合図に提督は私を自室のベッドに押し倒した。鍵はかけてあるし、提督の自室なら執務室の様に急に誰かが入って来るという事も無いだろう。

 怖い

 だが、同時に提督と一つになりたいという願望が心に浮かぶ。

 結局私はその願望に忠実になる事にした。


 提督の唇と私の唇が重なり合う。彼はフレンチキスで済ますつもりだったのだろうがそうはさせない。

 私は腕を回して提督の体を半ば強引に抱き寄せる。彼は一見優男な印象をうけるが腐っても軍人

ある。体はがっしりとしている。私の様な小娘一人抱きついたくらいでバランスを崩す事は無かったが、

彼は私の行動に驚いたのだろう。一瞬ひるんだ彼の口内に私はやや強引に舌をねじ込み蹂躙を開始する。

ここまで戦況は提督の有利だったがここらで多少反撃してもいいだろう。


 一瞬ひるんだ提督もすぐに我に帰り迎撃を開始する。

 舌を激しく絡ませながら提督は器用に私の服のボタンを外し、ブラをずらして小ぶりな乳房をあらわにする。そのまま提督は唇を離し左指で左の乳首を、舌先で右の乳首の愛撫を始めた。

 先程まで海上で訓練していたし、あまり良い香りはしていないだろうな…と思うがそれは仕方が無い。それに火薬匂いなどは既に体に染み付いていて今更洗って落ちる物でもない。

 少なくとも重油火薬と潮の混ざり合った香り世間一般で言う少女香りと間逆の物である事は確かだろう。でも存外提督特に嫌な顔はしていないのでこれはこれで興奮してくれている

のかもしれない。


 そんなくだらない事を考えているうちにも提督の愛撫は激しくなってくる。

「んっ、うん、あっ…」

 自分でするのとは全く違う感覚に私の嬌声は自然大きくなる。

 提督は攻め手を休めず残った右手の指を私の秘部に進出させる。ショーツの中に手を入れ触られてビクンと体が跳ねた。他人に触られるのは当然初めての事であるので反応も大きくなる。

初霜、弄るぞ。」

はい提督…初めてなので優しく…」

了解。」


 提督はそう言われた通りゆっくりと私の秘部を触る。割れ目に沿って指を転がし、弄り、確実に私に快楽を与えてくる。秘部からは早くも愛液が染み出し卑猥にクチュクチュと音を立てていた。

「うっ、ああっ、提督…」

「濡れてきてるな。中に挿れても大丈夫かな…?」

 そう言って提督中指を立てて秘部への挿入を始める。

「待って、心の準備が…」

 私も年頃の少女なので何度か自分でした事はあるが、怖くて膣内にまで指を挿れた事は無かった。


「…肩の力を抜いて、怖かったら目をつぶっておくと良い。」

「はっ、はい…っ、あぁっ、うぅん…」

 提督の指が私の膣内に侵入して来た。初めての異物感に戸惑うが、やがてそれは快楽と興奮へと変化していく。

「ああっ…はぁ…提督、気持ち良いです。」

「それは良かった。痛かったらどうしようかと思ったよ。」


 しばらく提督の愛撫を受けて快楽と興奮を高ぶらせていた私だが、そろそろ体が火照ってきてしまった。それに提督の単装砲も興奮して巨大化しており発砲許可を今か今かと待っている様にも見える。

「…提督そろそろお願いします。」

「ああ。その前に初霜も服脱ごうか。多分汚れるだろうし。」

 提督に言われて私も服を脱ぐ。


「あ、あの、あんまりジロジロ見られると恥ずかしいです。」

「ああ、すまん。初霜が綺麗でつい、な。」

 そう言って提督は目を逸らす。今更裸を見られて恥ずかしいも何も無いが服を脱いでる所をねっとり視姦されるのはあまり気分の良い物ではない。

 服を脱ぎ終え戦闘を再開する。戦況はこちらの不利だが、まぁこちらは「初陣」だし仕方が無い。

初霜…もう我慢出来そうに無い。中に入れるぞ。」

はい。」


 そう言って提督は私を押し倒した格好のままで秘部に巨大化した「単装砲」を押し当ててきた。お互いから分泌された粘液同士が絡み合ってヌチャヌチャと音を立てる。

これが私の中に入る事を考えるとなんとも複雑な気分になった。

 しばらく粘液同士を絡ませていた提督だったが意を決したのか、ついに肉棒を膣内に挿入してきた。そして提督は挿入させた勢いのまま私の処女膜を貫く。

「ぐっ…くぅっ…痛っ…」

「…すまん、もっと優しくするべきだった。」

「…大丈夫、こんなの戦場での負傷に比べたら…っうん…」

 私の秘部からは先程から赤い血が愛液と交じり合って垂れている。初めての時は気持ちよくなれないとは聞いて覚悟はしていたが、なかなかきつい物がある。

からといって提督に余計な気遣いをして欲しくは無い。


「あっ…くっ…提督…私は大丈夫から提督の好きに動いて。」

「だが…」

「いいから…すぐに慣れると思います…だから…」

「…初霜。」

 そう言うと提督は私を強く抱きしめてキスをしてくれた。

「無理をするなって言ったろう?」

「…提督心配しないでください。私はこうして提督と一緒になれて嬉しいんです。だからこれくらい大丈夫です。続けてください…お願いします…」

「…分かった。俺も出来るだけ痛くないようにする。」

「お願いします。」

 そう言って提督行為を再開した。肉体同士がぶつかる音が室内に響く。


 初めは痛いだけだったがやがて慣れてきたのかその痛みも多少和らいできた。その代わりに提督のモノが私の中を動くたびに膣内で痛みより快楽が占める比率が大きくなってくる。

「うぅっ…あぁ…提督…気持ちいいです。」

「俺もだ…」

「良かった…提督も私で気持ちよくなってるんですね…っうん!」

「…正直言うと、もうこっちも余裕が無くなってきた。」

 ピストン運動を続けながら提督が呟く。正直こちらも限界が近づいている。

「私も…イキそう…提督今日安全日なんです。だから…中にっ!」

初霜っ…もう限界だ…」

はい提督、いつでも…どうぞ。」

「うっ…くうっ…」

 提督はそのまま私の中に精液を発射した。熱いドロリとした精液が私の子宮に注がれていくのが分かる。


「イクっ…イっちゃう…」

 殆ど同じタイミングで私も達してしまった。はぁはぁという二人の荒い呼吸が室内に響いた。

「…もし直撃したら責任は取らせてもらう。」

 抱き合いながら提督が呟く。

「…はい…その心構え、立派だと思います。」

「男としてそれくらいは…な。」 

 上官が部下を孕ませたとあれば色々と問題になるだろうがその時はその時と開き直る事にした。



初霜に渡したい物がある。」

 事後、しばらくベッドの中で私は提督と抱き合っていたが、提督はそう言ってベットを離れ机の中からつのさな箱を取り出し私に手渡してきた。

「なんですかこれ?」

「開けてくれれば分かる。」

 恐る恐る箱を開けると中には指輪が入っていた。埋め込んである宝石トパーズだろうか?

「ええっと、これは…いくら何でも気が早すぎませんか…?」

「…そう言われても仕方が無いだろうな。だがそれは結婚指輪じゃないんだ。」

「と、言いますと?」

 提督が語ってくれた話をまとめるとこういう事だった。

 何でも少し前に軍で、ある程度錬度が高い艦娘対象にした強化計画が発動されたらしい。艦娘能力にはある程度リミッターが掛けられているが

それを一定値解除してより艦娘を強化する事がその計画だ。だが安全の為に掛けられたリミッターを外したのでは艦娘にも負担が掛かるし、なにより本末転倒である

そこで艦娘に無理の無い範囲安全にリミッターを解除するのがこの指輪効果らしい。提督艦娘指輪を渡す様を結婚に例えて「ケッコンカッコカリ」などと呼ばれているそうだ。


「そういう事だからこの機会にと俺は君への告白に至ったわけだ。」

「何故今に告白なのかと思ったらそういう事があったんですか…」

「君への思いは本気だぞ。」

「それくらい提督を見てれば分かりますよ。馬鹿にしないで下さい、私はこう見えても提督より年上なんですよ。」

 私の生まれは1933年。今年で81歳である艦娘の歳の数え方がそれで良いのかどうかは知らないが。

「それはそうと是非とも指輪を受け取ってくれないか?」

「もちろんです、ありがとうございます。ところでこの宝石も元々ついていたものですか?」

 受け取った指輪を色々な角度から見ながら私は尋ねる。

「いや、それは俺の注文だ。金に関しては心配するな。それくらいの蓄えはあるし軍隊生活じゃ特に使う機会も無いしな。」


「でも加工しても指輪効果って大丈夫なんですか?」

「その指輪を作った技術部の連中に頼んでしてもらった物だから安心してくれ…艦娘誕生日って起工日と進水日と就役日のどれにあたるか分からなかったか初霜の進水日の11月の誕生石であるトパーズを選ばせてもらった。問題無かったかな?」

 私の進水日は11月4日である。正直人間で言う誕生日がその三つの日のどれにあたるかは私も分からない。

「…それに関しては問題ありません。それにしてもトパーズですか…」

 トパーズの石言葉は誠実、友情、そして「潔白」。汚された私の名誉の事を思うと偶然と言えばそれまでだろうが悪くない意味を持つ石だ。

トパーズは嫌いだったか?」

「…いえ、大好きです。」

「それは良かった。早速つけてみてくれないか?」


 言われた通り指輪左手の薬指につける。大きさはぴったりである。そして同時に力が湧いてくるような気がした。

「どうですか?」

「うん、似合ってる。初霜可愛いな。」

 面と向かってそんな事を言われると照れてしまう。

 私はお返しとばかりに提督口付けした。



(終わり)

2015-03-16

最近マンガおっぱいデカすぎで萎えるわ

昔は胸を強調してるのってフジコちゃんとかセクシー系のキャラだったのに、最近のはかわいい系の中高生までボインだし。

しか学校制服とか軍服なのに、濡れたTシャツみたいに胸に張り付いて形がくっきりわかるとか。

裸に服をボディーペインティングしてるような絵を書くのって画力が残念な漫画家イラストレーターかと思ってたけど、おっぱい意外は普通にうまい漫画家でもああいう書き方してるから、読者に受けるからわざと書いてるんだろうな。

初霜「うぅっ…あぁ…提督…気持ちいいです。」

 特に誰かに目撃されるという事も無く私達は無事提督の自室に着いた。

「汚い部屋だが勘弁してくれ。とりあえずベッドにでも腰掛けてて。」

 汚い部屋と形容したがそこまでの汚部屋という訳でもなくそれなりに整理はされている。提督は奥で軍服を脱いでいる。これからする事を考えると少し不安だが後はなるに任せるしかあるまい。

「…初霜。もうそちらは大丈夫かな?」

「準備」を終え私の隣に座った提督はそう尋ねてくる。

「…はい、準備万端ですよ。」

 その言葉を合図に提督は私を自室のベッドに押し倒した。鍵はかけてあるし、提督の自室なら執務室の様に急に誰かが入って来るという事も無いだろう。

 怖い

 だが、同時に提督と一つになりたいという願望が心に浮かぶ。

 結局私はその願望に忠実になる事にした。


 提督の唇と私の唇が重なり合う。彼はフレンチキスで済ますつもりだったのだろうがそうはさせない。

 私は腕を回して提督の体を半ば強引に抱き寄せる。彼は一見優男な印象をうけるが腐っても軍人

ある。体はがっしりとしている。私の様な小娘一人抱きついたくらいでバランスを崩す事は無かったが、

彼は私の行動に驚いたのだろう。一瞬ひるんだ彼の口内に私はやや強引に舌をねじ込み蹂躙を開始する。

ここまで戦況は提督の有利だったがここらで多少反撃してもいいだろう。


 一瞬ひるんだ提督もすぐに我に帰り迎撃を開始する。

 舌を激しく絡ませながら提督は器用に私の服のボタンを外し、ブラをずらして小ぶりな乳房をあらわにする。そのまま提督は唇を離し左指で左の乳首を、舌先で右の乳首の愛撫を始めた。

 先程まで海上で訓練していたし、あまり良い香りはしていないだろうな…と思うがそれは仕方が無い。それに火薬匂いなどは既に体に染み付いていて今更洗って落ちる物でもない。

 少なくとも重油火薬と潮の混ざり合った香り世間一般で言う少女香りと間逆の物である事は確かだろう。でも存外提督特に嫌な顔はしていないのでこれはこれで興奮してくれている

のかもしれない。


 そんなくだらない事を考えているうちにも提督の愛撫は激しくなってくる。

「んっ、うん、あっ…」

 自分でするのとは全く違う感覚に私の嬌声は自然大きくなる。

 提督は攻め手を休めず残った右手の指を私の秘部に進出させる。ショーツの中に手を入れ触られてビクンと体が跳ねた。他人に触られるのは当然初めての事であるので反応も大きくなる。

初霜、弄るぞ。」

はい提督…初めてなので優しく…」

了解。」


 提督はそう言われた通りゆっくりと私の秘部を触る。割れ目に沿って指を転がし、弄り、確実に私に快楽を与えてくる。秘部からは早くも愛液が染み出し卑猥にクチュクチュと音を立てていた。

「うっ、ああっ、提督…」

「濡れてきてるな。中に挿れても大丈夫かな…?」

 そう言って提督中指を立てて秘部への挿入を始める。

「待って、心の準備が…」

 私も年頃の少女なので何度か自分でした事はあるが、怖くて膣内にまで指を挿れた事は無かった。


「…肩の力を抜いて、怖かったら目をつぶっておくと良い。」

「はっ、はい…っ、あぁっ、うぅん…」

 提督の指が私の膣内に侵入して来た。初めての異物感に戸惑うが、やがてそれは快楽と興奮へと変化していく。

「ああっ…はぁ…提督、気持ち良いです。」

「それは良かった。痛かったらどうしようかと思ったよ。」


 しばらく提督の愛撫を受けて快楽と興奮を高ぶらせていた私だが、そろそろ体が火照ってきてしまった。それに提督の単装砲も興奮して巨大化しており発砲許可を今か今かと待っている様にも見える。

「…提督そろそろお願いします。」

「ああ。その前に初霜も服脱ごうか。多分汚れるだろうし。」

 提督に言われて私も服を脱ぐ。


「あ、あの、あんまりジロジロ見られると恥ずかしいです。」

「ああ、すまん。初霜が綺麗でつい、な。」

 そう言って提督は目を逸らす。今更裸を見られて恥ずかしいも何も無いが服を脱いでる所をねっとり視姦されるのはあまり気分の良い物ではない。

 服を脱ぎ終え戦闘を再開する。戦況はこちらの不利だが、まぁこちらは「初陣」だし仕方が無い。

初霜…もう我慢出来そうに無い。中に入れるぞ。」

はい。」


 そう言って提督は私を押し倒した格好のままで秘部に巨大化した「単装砲」を押し当ててきた。お互いから分泌された粘液同士が絡み合ってヌチャヌチャと音を立てる。

これが私の中に入る事を考えるとなんとも複雑な気分になった。

 しばらく粘液同士を絡ませていた提督だったが意を決したのか、ついに肉棒を膣内に挿入してきた。そして提督は挿入させた勢いのまま私の処女膜を貫く。

「ぐっ…くぅっ…痛っ…」

「…すまん、もっと優しくするべきだった。」

「…大丈夫、こんなの戦場での負傷に比べたら…っうん…」

 私の秘部からは先程から赤い血が愛液と交じり合って垂れている。初めての時は気持ちよくなれないとは聞いて覚悟はしていたが、なかなかきつい物がある。

からといって提督に余計な気遣いをして欲しくは無い。


「あっ…くっ…提督…私は大丈夫から提督の好きに動いて。」

「だが…」

「いいから…すぐに慣れると思います…だから…」

「…初霜。」

 そう言うと提督は私を強く抱きしめてキスをしてくれた。

「無理をするなって言ったろう?」

「…提督心配しないでください。私はこうして提督と一緒になれて嬉しいんです。だからこれくらい大丈夫です。続けてください…お願いします…」

「…分かった。俺も出来るだけ痛くないようにする。」

「お願いします。」

 そう言って提督行為を再開した。肉体同士がぶつかる音が室内に響く。


 初めは痛いだけだったがやがて慣れてきたのかその痛みも多少和らいできた。その代わりに提督のモノが私の中を動くたびに膣内で痛みより快楽が占める比率が大きくなってくる。

「うぅっ…あぁ…提督…気持ちいいです。」

「俺もだ…」

「良かった…提督も私で気持ちよくなってるんですね…っうん!」

「…正直言うと、もうこっちも余裕が無くなってきた。」

 ピストン運動を続けながら提督が呟く。正直こちらも限界が近づいている。

「私も…イキそう…提督今日安全日なんです。だから…中にっ!」

初霜っ…もう限界だ…」

はい提督、いつでも…どうぞ。」

「うっ…くうっ…」

 提督はそのまま私の中に精液を発射した。熱いドロリとした精液が私の子宮に注がれていくのが分かる。


「イクっ…イっちゃう…」

 殆ど同じタイミングで私も達してしまった。はぁはぁという二人の荒い呼吸が室内に響いた。

「…もし直撃したら責任は取らせてもらう。」

 抱き合いながら提督が呟く。

「…はい…その心構え、立派だと思います。」

「男としてそれくらいは…な。」 

 上官が部下を孕ませたとあれば色々と問題になるだろうがその時はその時と開き直る事にした。



初霜に渡したい物がある。」

 事後、しばらくベッドの中で私は提督と抱き合っていたが、提督はそう言ってベットを離れ机の中からつのさな箱を取り出し私に手渡してきた。

「なんですかこれ?」

「開けてくれれば分かる。」

 恐る恐る箱を開けると中には指輪が入っていた。埋め込んである宝石トパーズだろうか?

「ええっと、これは…いくら何でも気が早すぎませんか…?」

「…そう言われても仕方が無いだろうな。だがそれは結婚指輪じゃないんだ。」

「と、言いますと?」

 提督が語ってくれた話をまとめるとこういう事だった。

 何でも少し前に軍で、ある程度錬度が高い艦娘対象にした強化計画が発動されたらしい。艦娘能力にはある程度リミッターが掛けられているが

それを一定値解除してより艦娘を強化する事がその計画だ。だが安全の為に掛けられたリミッターを外したのでは艦娘にも負担が掛かるし、なにより本末転倒である

そこで艦娘に無理の無い範囲安全にリミッターを解除するのがこの指輪効果らしい。提督艦娘指輪を渡す様を結婚に例えて「ケッコンカッコカリ」などと呼ばれているそうだ。


「そういう事だからこの機会にと俺は君への告白に至ったわけだ。」

「何故今に告白なのかと思ったらそういう事があったんですか…」

「君への思いは本気だぞ。」

「それくらい提督を見てれば分かりますよ。馬鹿にしないで下さい、私はこう見えても提督より年上なんですよ。」

 私の生まれは1933年。今年で81歳である艦娘の歳の数え方がそれで良いのかどうかは知らないが。

「それはそうと是非とも指輪を受け取ってくれないか?」

「もちろんです、ありがとうございます。ところでこの宝石も元々ついていたものですか?」

 受け取った指輪を色々な角度から見ながら私は尋ねる。

「いや、それは俺の注文だ。金に関しては心配するな。それくらいの蓄えはあるし軍隊生活じゃ特に使う機会も無いしな。」


「でも加工しても指輪効果って大丈夫なんですか?」

「その指輪を作った技術部の連中に頼んでしてもらった物だから安心してくれ…艦娘誕生日って起工日と進水日と就役日のどれにあたるか分からなかったか初霜の進水日の11月の誕生石であるトパーズを選ばせてもらった。問題無かったかな?」

 私の進水日は11月4日である。正直人間で言う誕生日がその三つの日のどれにあたるかは私も分からない。

「…それに関しては問題ありません。それにしてもトパーズですか…」

 トパーズの石言葉は誠実、友情、そして「潔白」。汚された私の名誉の事を思うと偶然と言えばそれまでだろうが悪くない意味を持つ石だ。

トパーズは嫌いだったか?」

「…いえ、大好きです。」

「それは良かった。早速つけてみてくれないか?」


 言われた通り指輪左手の薬指につける。大きさはぴったりである。そして同時に力が湧いてくるような気がした。

「どうですか?」

「うん、似合ってる。初霜可愛いな。」

 面と向かってそんな事を言われると照れてしまう。

 私はお返しとばかりに提督口付けした。



(終わり)

2015-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20150306032533

5話

 呼ぶ側呼ばれる側呼び方備考
3:21NGs本田さんたち~をイメージして
4:37前川みくプロデューサー~、みくたちが勝ったか
8:21LL新田さん、アナスタシアさん~はこのまま
9:02NGsみなさん~にとって重要
10:29千川ちひろプロデューサーさん~に掛かっていますから
11:42渋谷凛プロデューサーよかったら~も
12:12城ヶ崎莉嘉プロデューサー~に曲ほしいって
13:10前川みくプロデューサー忙しい~の代わりに
15:35新田美波プロデューサーさん~が用意してくれた
16:27城ヶ崎莉嘉プロデューサーあー、~。聞いて聞いて
17:31三村かな子プロデューサーさん~見なかった?
17:52緒方智絵里プロデューサーさん~は?
20:04前川みく前川さんすみません。~
20:10前川みく前川さん~、デビューについては
20:13CPメンバーみなさん~全員分
20:23LL新田さんたち~は第一弾
20:35前川さんプロ、デューサー~。なんだぁ、早く言ってにゃぁ
22:13NGsみなさん~の新しい時代

 

プロジェクトと称してアイドル志望を集めたのによく分からない基準で一部メンバーユニットデビューすることになり、それが原因で一悶着起きた第5話ですが。

(どんな冠だ)

なぜ「ニュージェネレーションズ」が「みなさん(わたしたち)の新しい時代がはじまる」になるんでしょうね。

せいぜい「新世代たち」と訳されるこの言葉にこういった意味を込めたのはP(武内P)でしょう。

 

元のゲームでは765プロアイドルに対しての「新世代」というような意味合いを匂わせた「ニュージェネレーション」ですが、

アニメでは、シンデレラプロジェクトとして既存アイドルに対する「新世代」、346(美城)プロの社内における新興アイドル部門としての「新世代」、アイドル業界における新勢力としての「ニュージェネレーションズ」などなど。色々な含みを持たせていそうです。

 

翻って、未央・卯月・凛、彼女たちに、自分たちは「ニュージェネレーションズ」であると名乗らせる、「わたしたちの新しい時代がはじまる」と言わせることには格別の意味がある。

「わたしたち」とは誰か。3話でなぜPは彼女たちにあの衣装を充てたのか。次話で新たに与えられる衣装もまたスクールウェアベースなのは何故か。

このPは何を狙っているのでしょうね。

 

(と無理やり書いてみたものの、6話の新しい衣装デビュー曲に合わせて「革命」をイメージするようなどちらかというと軍服寄りのデザインになっているが・・・

2014-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20141114193744

歌詞に軍国「主義」な部分なんて無かったと思うが

磊々落々(らいらいらくらく)反戦国家 /日の丸印の二輪車転がし/(略)/百戦錬磨の見た目は将校

くらいだろ?これだって軍国「趣味レベル。そもそも反戦国家とか言ってるし、他の部分はオカルト伝奇ものイメージしてる。

単に戦前のおどろおどろしさをイメージで使うために、軍服っぽい衣装PVで着せてるだけ。美化どころか逆じゃん。

こういう中身も見ないで勝手レッテルで難癖付けすぎるから左翼に信頼無くなるんだけどなあ。

ラップ流行ったときにも左翼文化人が「♪日出ずる国に生を預かり」なんて歌詞を取り出して、

民族主義的だ、若者右傾化だって騒いでたけど、何でもかんでも韓国が悪い親日派陰謀と騒ぐ嫌韓厨やグクポン並に頭悪そうにしか見えない。

2014-09-04

着任

 その黒い乗用車は、がらんどうとした海沿いの道をひた走っていた。

 運転席には、がたいのいい黒いスーツを着た男が、無表情にハンドルを握りしめている。

 後部座席には、髭を蓄えた壮年の男と、白い軍服を着た若い男。

 若い方の男は、緊張を隠すことすら忘れたように、チラチラと横目に髭の男の様子をうかがっている。その視線に気づいていないのか、それとも気づかぬ振りをしているのか、髭の男は無言を貫いていた。

「あと30分ほどで到着いたします」

 運転席の男が、無愛想に告げた。

 それを受けて、髭の男は胸ポケットから懐中時計を取り出した。時計は十六時を間もなく指し示そうとしていた。

「ふむ」

 時計をしばし眺めて、物思いにふけたあと、髭の男は懐中時計しまい込んだ。両腕を組み、また視線前座席に向ける。

 そのしぐさを、軍服の男はただずっと視線だけで追い続けていた。

「君は少し余裕を持ったほうがよいな」

 髭の男は前座席に顔を向けたまま、口元に笑みを浮かべながら言った。

「緊張するのもわかるが、士官たるもの部下になめられてはいかん」

「は、申し訳ありません」

 軍服の男は、そこで自分視線が気づかれていたと知り、視線を前に戻して背筋を伸ばした。

「構わんよ、君もじきになれてくるだろう。もっとも、あそこは軍施設というより、学校のような雰囲気だがね」

学校、ですか」

「うら若き乙女たちに囲まれて羨ましいなんてことを言う連中もいるがね。君も女学校教員になったつもりで、鼻の下を伸ばしてくれても構わんよ」

「いえ、私は……」

 軍服の男はさらに背筋を伸ばしていた。

もっとも」

 髭の男が、言葉を選んでいる軍服の男のそれを遮った。

もっとも、彼女らを苛烈戦地に送り込むのが、君の仕事になるが」

 髭の男は、冷たい声で言い放った。

彼女らは、人であって人ではない。あまり、情を掛けすぎんようにな」

「人ではない、ですか」

彼女らが艤装をつけている間は、あくま兵器として扱ってやれ。彼女らは、敵を殲滅することだけを目標に、強靭な精神と肉体を手に入れたのだ。それを尊重してやるのも、士官としての役割だと思わんかね」

 いつしか、髭の男からは笑みが消えていた。

「……私は、私の仕事を全うするのみです」

「うむ、それでいい」

「ですが」

 と、初めて軍服の男は、顔を髭の男に向けた。

「ですが、私は、彼女らをただの兵器として扱うつもりはありません。彼女らにも、いつかまた、普通乙女として過ごせるように、そのために、仲間として戦う気持ちです」

 男の声は震えていたが、自分の信念として譲れない部分をどうしても伝えたい、そんな気持ちだった。おそらく、この機を逃しては、もう上層部にこれを伝えることはあるまい。

「そうか」

はい。私は、彼女らにも生きて欲しいのです。誰ひとり、死なせるつもりはありません」

 髭の男は、相変わらず前を向いたままだ。

彼女らを活かすも殺すも君次第だ。彼女らだけでない。設備資源、人員、すべての運用は君に全権が任せられている。もちろんそれは、君にすべての責任が掛かるということも意味している。ここに来る前に、君には彼女らのこと、敵のこと、世界のこと、すべての説明があったろう。時に、世界を守るため、彼女らを『犠牲』にしなくてはならないことが必ず起きる。情が入れば、その決断が時に周りや、自分自身を大きく傷つけることになる。作戦に支障が出たとき、それは、君が上にとって好ましくない行動を取っていることを、どうか理解してくれよ。君の仕事には、君の私情は一切反映出来ないことを、努々忘れぬようにしてくれ」

 そして、最後にこう付け加えた。

「どうか世界を、彼女らを、たのむ」


 車が、目的である建物の前に停まった。

 運転手の男にドアを開けられ、軍服の男は腰を滑らすようにして、車から降りた。

 建物の前には、セーラー服を着た少女が気をつけの姿勢で立っていた。

 男が彼女を視界に捉えた。

 どう見ても、中学生高校生くらいの少女が、そこに立っている。

 この少女とともに戦うことになるのだ。

 話こそきいていたが、目の当たりにすると、どうしても戸惑いが生まれてくる。

 男が言葉に迷って少女を眺めていると、彼女敬礼ポーズをとり、恭しく口を開いた。

司令官、ようこそ鎮守府へおこしくださいました」

 後から車を降りた髭の男が、その様子を可笑しそうに眺めていた。

「やあ、吹雪。久しぶりだな」

閣下お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

 吹雪は満面の笑みで、髭の男に敬礼を向けた。

「ここではなんですし、中へどうぞ。お茶をご用意します」

「いや、それには及ばんよ。生憎だが、すぐ東京に戻らないといけないのでね」

 そういって、軍服の男に一瞥を向けた。

「見ての通りの堅物だが、よろしくやってくれ。それじゃあ、あとは頼んだよ」

はい、お気をつけて!」

 髭の男は、軍服の男の方にポン、と手を置いて、すぐに自動車の中に戻って行った。程なくして、車はエンジン音とともに敷地から姿を消した。

「どうかしましたか?」

 その声の方を見れば、吹雪不思議そうな顔で軍服の男の顔を見上げている。

「い、いや、すまない。どうぞよろしく頼む」

「それでは、早速鎮守府の中をご案内しましょうか」

「いや、中は時間のあるときにゆっくり見て回るよ。それより、早速だが、司令室に案内してくれないか。現在の状況と、本部から作戦伝令を確認したい」

かしこまりました。それではどうぞこちらへ」

 二人は並んで、建物の中へ入って行く。

 入り口ロビーに入ると、吹雪建物中に響き渡るよう、大きな声を張り上げた。






提督鎮守府に着任しました!」

2014-07-05

北朝鮮幼女キリスト教的に解釈してみた。

北朝鮮独立記念壁画中世フレスコ画みたいだったので、キリスト教的に解釈してみた。

画像はこれ wikipedia 画像

中心となるのは、三人の人物。すべての父なる金日成、そのひとり子金正日、そして、偉大なる父と人民への橋渡しをする聖霊金日成の右側女子)で、三位一体象徴している。父なる金日成は純白の上着に一つだけ勲章をつけている。これは、金日成が比類なき行動によって現在立場に立ったことを示す。後ろの群衆には大きな勲章を多数つけている人がいるが、群衆がいかに多大なる努力を払い、結果を出しとその結果の勲章を授与されたとしても、金日成の行った唯一の行動が最も偉大であり、父を超えることは不可能、ということである

子なる金正日は、父の左側に控えており、こちらをまっすぐ見ている。子もわれわれ人民を救う責任を持っており、それは偉大なる父の子であるという唯一の属性によるものであることが、勲章の不在、絵の中での立場視線によって表現されている。また、朝鮮半島特性を色濃く示す背面の群衆と異なり、子の表情は完璧な左右対称で美しく描かれており、生まれながらのギリシャ的な完璧性を表現している。

右側にいて、父と手をつないでいる幼女は、聖霊である。父及び子は生まれながらに汚れを持たない完璧存在であって、原罪を抱える人民とは関わりを持てない。それをつなぐのが聖霊であり、わずかに左に傾げた首は、父及び子の完璧性を備えていないことを象徴している。完璧でない存在でありながら、父とつないだ右手は父との強いつながりを表し、そのつながりは聖なる数字である3つの風船を通じて人民とつながっていく。聖霊人間との類似は、通常よりかなり短いチマチョゴリにも表されており、「人民よ、産めよ、増やせよ、地に満ちよ」という教えを象徴している。幼女はこの絵のなかでの唯一の非軍人でもあり、非軍人が多く、幼女を愛する大衆象徴している。

三位のみだけ、こちらを見ており、後ろの人はみな父なる金日成を見ていることは、後ろの人は神との立場では、我々人民と同じ立場にあり、我々を救う立場にはないことを表す。人民を救うのはあくま三位一体の神であり、個々の人民ではないのである

後ろの群衆のうち、子のすぐ後ろにいる女性は父なる金日成とともにあり、子なる金正日を生んだ聖母である聖母の純潔は青い長めのスカート象徴されており、聖母の銃を備えた軍服は父への忠誠を表している。

その他の男性は、父の軍勢である。父の右後ろにいる男性陸軍の長、聖母の左にいるセーラー服男性海軍の長、陸軍の長の右にいる男性空軍の長である。聖なる抗日戦線陸軍中心であったため、陸軍のカーキ色の軍服を来た人が最も多い。空軍の長は戦死したため、代理存在になっており、陸軍及び海軍の長が備える勲章を備えていないかわりに、遺影左手に持っている。

聖なる抗日戦線で多数の人間が父に従い、戦死した。ただし、北朝鮮においては死は終わりではなく、天で永遠の喜びと父の栄光をたたえ続けるのである。それを象徴しているのが右上に書かれている天国にいる人民である。父の栄光をたたえ、歓喜の叫び声をあげている。

2014-07-01

最短でオサレさんになる、たった一つの方法

「清潔にする」これだけです。


髪型、服、メイク等は個々人の好みで構いません。チェックのネルシャツでもケミカルウォッシュでもシマムラでも青山でも民族衣装でも軍服でもロリータでも。ただひとつ、「清潔にする」事だけには気をつけて下さい。どんな格好をしていても清潔感のある人は、身なりに気を使っている人なんだなと魅力的に見えます。少なくとも悪い印象は持たれません。ファッション趣味理解出来なくてもその人の好み、その人自身を尊重する事が出来るのです。

逆を言うとどんなにオシャレな格好をしていても不潔な人は他人に酷い印象を与えます。着飾った洋服から漂う悪臭、最新メークから覗くヤニだらけの歯、鼻毛、フケ、汚い爪、だらしない姿勢、、、それだけで台無しです。


そして、とても大事ポイントは、歳を取れば取るほどこの「清潔にする」事が重要だということです。


ローティーンなんてどんな格好しようが魅力的なものです。汚かろうが臭かろうがそれさえも魅力のひとつになってしまう位。それが二十歳を超え、アラサーになってもまだ不潔なままの人の不快感。じーさんばーさんにもなろうものならその醜悪さは如実に現れます。それは着ている洋服の種類が原因ではありません。

若い時と同じボロボロジーンズはいくつになって履いても問題ないのです。どんなに流行遅れの服装だろうが皺くちゃ婆さんだろうがハゲ爺だろうが問題ないのです。ただ、汚いままではなく、年齢を重ねれば重ねるほど「清潔にする」事を心がけて下さい。それだけで一転、オサレさんになる事でしょう。


http://anond.hatelabo.jp/20140630150035

2014-04-14

ファッションについておれも言いたい

えーと。「オシャレ」にはだいたい2種類あって。

コスプレ

テクスチャ

ここ分けずに「オシャレ」言い出すから百家争鳴になる。

コスプレ

わかりやすいですね。なんかみんなが「CD」だの「コーデ」だの言ってるやつです。

2次絵で言えば「属性」の盛り方です。

あれはコスプレです。記号が揃ってりゃいい。

パンクコスプレとか、イタリア色男コスプレとか、NYゲイコスプレとか、西海岸大学生コスプレとか。

FINEBOYSコスプレとか。

雑誌モデル<<メゾンメーカー)のモデル<<実在風俗軍服とか作業服とか社交服とかクラブ服とか)

みたいな。

実在風俗なりメゾンの文脈なり抑えてると上級者だけど、まぁそんなのはいいや。

「どこに属するか」を記号的に表す。

BDオックスフォードシャツは、UKオクスフォード大を起源とするホワイト上流階級学生コスで、ポロラルフローレンの主力で意味論的には普段着なんだけどフランクビジネスにも許容されるようになった。みたいな。UKの不良(モッズ他)からウォール街までちょっと二次使用されすぎて意味がぼやけてるんだがその分使いまわしやすい。

テクスチャ

こっちが「服装がダサい人の特徴と、唯一の改善策」http://anond.hatelabo.jp/20140413020052 でおもに言われてる要素。

生地とか縫製とか体型にあったシェイプとかを便宜的にこう呼ぶ。

2次絵で言えば塗りとデッサンみたいな。

こちらは「センス」とかあんまない。UNIQLO以降は特にどこも最適化しまくってるので。

材料費人件費と歩留まりが全てなので、基本的にカネださないと良いもの買えない。

で、テクスチャの方って、どっちかってーと他人に見てもらってセンスを評価してもらう用というよりは、もっと内向きなものだと思うんだわ。

いい素材、かっちりした縫製、合ったシェイプのものを着ると断然にキモチイイ。

単純に、「真冬にゴアテックス素材の体型に合ったジャケット着てると全然暖かい」とかそういう話。

で、その喜びを知っている人間同士が「お。それキモチイイですよねー」と褒め合う、みたいな。本来は。

(あと絵の素人でも塗りの巧拙がある程度は雰囲気で評価できちゃう人がいるように、着たこと無い人でも無意識であるていど「いい素材」を評価できる人もいる。というかそのような視覚的な快感ももたらすのが素材、縫製、シェイプが「価値のある=高いテクスチャ」だからね。)

で「唯一の改善策」の人は「ゴアジャケこんな快適なのに、なんでおまえそんなペラペラビニールウィンドブレーカ着てるの? 寒くないの?」って言ってるようなもんで、言いたいことはわかるし、そういう言い方になっちゃうのもわかるけど、世の中には冬でもビニールのウィンドブレーカで乗りきれちゃう我慢強い人も多いし、そもそも寒くない地方の人かもしれない、という。

個人的にはペラペラのウィンドブレーカ2シーズン買うカネで、2倍の値段のジャケットを買って大事にして2シーズンもたせるほうが楽しいと思う派ですけどね。愛的な意味で。

あと他の人も指摘してるけど一般的意味でいうふんわりした「オシャレ感」については髪とか顔周りの毛関係が果たす役割がすごいデカくて、こっちは服とかよりはるかに難しくて地理的な要因とかめぐり合わせとかあって制御も一般化も無理で厄介だと思う。

2014-03-04

古い話で恐縮ですが

この間の冬コミ、やたら軍服コスプレが多かったのは、NEET社畜正規軍のパロですか?

2014-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20140226171102

旧日本軍あたりじゃ「軍服に体を合わせる」みたいな言い方をしてたが、

会社自分を合わせる、ってのは結局はそういうこったろ?

綺麗事はよそうや。

会社に合わせて歪んでゆく。それがありふれた事なのは、“職業病”なんて言葉がある事からも説明できる。

誰に取ったってお金稼ぐのは結局大変なんだから、多少の苦労や偏向はしょーがないんだって。甘い事言ってたって仕方ない。

2014-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20140202212725

ドイツ人も、最初からこういう職場環境があったわけじゃなく、何十年も労働組合努力して、今のような職場を手に入れたんだけど、それを分からずに一面だけ比較して「日本人には無理だ」とか「日本人は足を引っ張り合う劣等民族」とか、それに乗っかるレイシストが多いよな。

つか、ドイツ賞賛してる左翼って、ドイツじゃ存在できないんだけどな。少なくとも、ドイツには軍服で街に出歩いて、「税金泥棒」と悪口を言い出す左翼という名のレイシストに居場所存在しない。

2013-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20131109235329

じっちゃんに赤紙がきて中国大陸国民党軍との戦にいったのに国民党軍は逃げてばっかりで幾度に渡る共産党便衣兵軍服をきていない民間人の服装をしたゲリラ兵)の襲撃を運よくかわして、何とか終戦で下関までもどってきて、ばっちゃんが米軍空襲をなんとか逃れて、生き残って、戦争が終わったので結婚しなさいとお見合いを勧められないと、そもそもおいらの親は存在しない。

そんなエピソードが父側と母側で2つ。

精子レベルじゃなくても、多分、日本じゅうのみんながそのくらいレア存在

もう今後も宇宙が続く限りの長い時間をもってしても、2度とは生まれてくることはないから「いのちだいじに」な。

2013-10-01

だまされたほうが楽しく生きれる?!

軍艦なのか民間の船舶なのか見分けがつくことは重要だ。

陸上でたとえると、次のようになる。

便衣兵ユニクロの服を着て近づいてきて、ふいに気を許したときに攻撃してきたら、ずるい感じがして困る。

兵隊さんは、軍服を着ているべきで、その威圧感で民間人をけちらして、統制する必要がある。

セールスマンは、背広をきて頭をポマードで固めてくるべきで、商売する気が満々なことを身なりで表現する必要がある。

広告も同じく、広告広告であることがわかりやすく伝わるべきで、友達風の人の日記のようなものとして近づいてこられるととても困る。

今日見たブコメの中で、PR広告と書いてあるコンテンツに対してステマコメントしている人を見かけたが、PR広告と書かれていれば、宣伝ですと宣言しているわけで、ステマではないと思う。

新聞雑誌webよりも長い歴史の中で広告と記事を分離して表記するようになった経緯を考えるとwebも見習うべき点だと考える。

ルールが決まるまでのグレーゾーンは儲けの幅が大きいかチャレンジャーも多いのだろう。

遊んでいる一個人なのか、それなりの体をした会社なのか、それとも個人事業者なのかはっきりしないところが情報を発信しているのが、判断が面倒だ。

個人の意見なのか、はたまたお金をもらった上での発言なのかその区別はとてもジューヨーなのだ

そんなことはどうでもよくて、楽しければいいのであれば、楽しいのかな。とも思った。

根拠はない。そーゆー生き方のほうがイージーで快楽的なのではないか

巧妙に考えられたマーケティングプランの波に乗れない。乗りたくない。

この狭間から抜け出すには山にこもるしかないのか。

2013-06-21

愛しきミーム、我が心の材料

ミーム・・・人の思想、物語ミームならば、アニメ漫画もまたミームの一つか。正確には情報が、だけど。

創作家達の脳内で育ったミームの集合体がメディアを通して我らの脳に入り、受け入れやすいか否かで繁殖率を広げる。哲学技術も、言語も誇りも。全て心とはミームの集合体だ。肉体がgene(遺伝子)の乗り物であり、設計された城であり、集合体であるのと同じように。

ミーム存在を知ると、全てが単一の物としてではなく、構造的かつ集合的な物として見えてくるな。これが悟り・・・? まさに東洋哲学道教仏教精神と似たような物を感じる。全ては寄せ集まり拡散し、蠢き合う「波」だ。この世とはまさしく海のような物かもしれない。

我らが祖先原始的生物から「波」はどんどん大きくなり、波同士ぶつかり合い、同調し、ある波は消えてある波は興る。そして最後は静まっていく・・・嵐の後に必ず平穏が来るように、生の後に必ず死が来るように。

だが水という本質は変わっていない。我らもまた同様だ。全て等質の物が集まり、蠢き、形をとり、風に吹かれて消えていく。

物質が集まって体を造り、やがて死に、禽獣草木に食われ、同化して大きな波となり、糞となって土に還るこの摂理もまた、寄せ集めの一過性の物なのだろう。

心もまた同様だ。生まれた時に人はgeneからmeme(ミーム)を生み、惜しげもなく周囲に与え、さらにmemeを他から与えられ、geneから生み出された心はmemeによって形成されていき、memeが集まって自我となり、誇りとなり、思想となり、哲学となり、留まる事なく変化し続け、人に与えに与えた所で消えていく。

ここで、だ。

俺達の心=ミームの集合体、アニメ漫画物語世界観ミームの集合体

キバヤシ

・・・そうか・・・。そういう事だったのか・・・。」

ΩΩΩ

「ど・・・どういう事だキバヤシ!!」

キバヤシ

「いいか・・・流行りの進撃の巨人とかで前線に立ってる強者並びに漫画アニメの住人は・・・

キバヤシ

「我々人間祖先別世界移住した末裔なんだよ!!」

江頭2:50

「「「な、なんだってーーーーーーー!!!」」」

だがそうとしか考えられない。何故彼らは余りにも人間的な仕草をするのだろうか? そう!我々と同じ先祖を持っているからに違いないのである

気付かなかったか!?何故ミカサがあんなに可愛いのか!? 小泉元首相郵政民営化違和感を感じた事は? ナチス軍服があそこまでかっこいい理由は?

俺たちは侵略されているんだよ!クトゥルフの意思を継いだイカ娘、いや!ありとあらゆる二次キャラ若者は魅了され、やがて二次キャラのものとなるのだ!

自我は掻き消え、彼女らのミームで全ては満たされてしまうんだよォーーーッ!

こんな所にいられるか!俺は部屋で寝るぞ!

2013-05-29

慰安婦がいたことを否定しているのはただの馬鹿なんだけどなぁ。

少なくとも戦前には「慰安婦」ってのは合法だった。

「軍に連れ去られた」とかその手のが気になるって話なんだよね。

で、そうなるときちんと精査する必要があるわけで。

年齢があやふやって事は、「慰安婦であった事」は嘘ではなくても、他の証言の信頼度は落ちるだろうって話なんだよね。

強制連行された年が不明って事は、それ本当に「日本軍だったの?」とか。

 

http://tanakaryusaku.jp/2013/05/0007159

2013年5月25日 19:50

 始めにマイクを握ったのは金福童(キム ボクトン・88歳)さん。金さんの次に吉元玉(キル ウォノク・86歳)さんが話した。金さんは自らの体験を詳細に、吉さんは自らの体験には触れずひたすら平和世界遍在する戦時暴力に対する解決を訴えた。

 「満14歳の時、軍需工場に行くと言っていたのに、着いたのは日本ではなく戦場、遠い暑い国だった。そこで私は日本軍奴隷となった。台湾を始め、中国の広東に着いた時は陸軍軍医が身体を調べた。そこでは何人入るのか知っていて、私達の部屋が用意してあった」。

「満14歳」

ここだと年齢は88歳か。

 

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450

 旧日本軍慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。

 

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49447

 「国家による性暴力に遭い、人権を踏みにじられた少女のことを知ってますか」。韓国人の元「従軍慰安婦」、金福童(キムボクトン)さん(87)が、舞台の上から慰安所」での生活を語り始めると、会場は静まり、地をたたく雨の音が響いた。

 

 金さんが14歳のころ旧日本軍に連行された場所には、複数の部屋を備えた慰安所があったという。金さんは「日本政府民間人慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘。「日本政府うそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えた。

「14歳のころ」

年齢が87歳か。先の88歳が数え?

 

あと名前でチェック

元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見

 生存する日本軍従軍慰安婦被害者実名記録が初めて発見された。

 韓国挺身隊研究所カン・ジョンスク研究員国家記録院の軍人軍属資料を調査途中、従軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(79)の実名記録を発見したと11日、明らかにした。

 名簿に記載されている金さんの本籍や生年月日などの内容が挺身隊研究所1997年に発行した『強制連行された朝鮮人慰安婦たちの証言2集』に収録された金さんの証言と一致するという。

 今回発見された軍属名簿は、1947年9月作成されたもので、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」と書かれている。

 この記録によれば、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。金さんは97年の「証言集」で「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシアインドネシアシンガポール日本軍慰安婦として生活した」と明らかにしている。

結論がおかしな方向になってるなぁ。元記事が消えてるので、コピペで失礼。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2005/01/11/20050111000084.html

http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/01/12073703/ コピー

「15歳で連れて行かれ」

つの間にか年齢が1歳変更されているようです。なんではてぶでこの修正は指摘されないんですかね?

 

http://togetter.com/li/509975

従軍慰安婦の証言を聞くときには「数え年」にご注意のまとめ

年表

1925年 数え 1歳 誕生(満0歳)

1938年 数え14歳 慰安婦徴用される(満12~13歳)

           数え8年間(満6~7年)勤務

1945年 数え21歳 終戦を迎える(満19歳)

2005年 数え81歳 第16軍名簿が発見される(満79歳)

2012年 数え88歳 来日講演(満87歳)

2013年 数え89歳 沖縄タイムス記事(満87歳)

ところがここで本人談の「満14歳」が再び「数え14歳」で計算されるという、摩訶不思議な現象が発生。

15歳が14歳に変更が「数え年を満年齢に修正」じゃないんですかね?

で、最初引用では年齢が88歳。去年が88歳で今年が89歳? あれ? 一番最初に取り出したページ書いたのは「今年の講演」。

まぁいいや。来日公演の年2012が間違いだったんでしょう。とりあえずそうしておきましょう。

 

所で、「国民徴用令」は

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4

1939年ですね。

彼女も親がキーセンに売ったとかじゃないんですかね?

 

まぁいいや。今度は満年齢で数字適当に合わせ込んでみると

年表

1926年 満 0歳 数え 1歳 誕生

1940年 満14歳 数え15歳 慰安婦徴用される

1945年 満19歳 数え20歳 終戦を迎える

2005年 満79歳 数え80歳 第16軍名簿が発見される

2013年 満87歳 数え88歳 沖縄タイムス記事

やった! こんな感じで考えれば年齢がきれいに一致したよ! 国民徴用令もぴったり一致だ!

じゃぁ、後は8年間慰安婦を強いられたって期間だね!

 

  • 1940 数え1年
  • 1941 数え2年 1年間
  • 1942 数え3年 2年間
  • 1943 数え4年 3年間
  • 1944 数え5年 4年間
  • 1945 数え6年 5年間
  • 1946 数え7年 6年間
  • 1947 数え8年 7年間
  • 1948 数え9年 8年間

 

8年「間」だとやっぱり足が出る。数えでいっても6年。

 

そもそも慰安婦募集広告を見ると、17歳とか18歳とかで募集。数えでこの年齢なので、満年齢だと15歳以上くらいか

吉原遊女の事例だと、客取るのが17歳。数えだとして15歳以上。同じ条件だね。

二次性徴終わって数年経ってるくらいなので、まぁこれくらいなら不思議ではない。

ところが最初Togetter だと満12歳か満13歳で慰安婦になってることになる。ロリコンだね。

 

適当数字いじってみたかっただけなので、ここで投げっぱなしで終了。

2013-05-26

「頭の悪いサヨクへの俺からアドバイス」を実践するとしたら

http://anond.hatelabo.jp/20130526163927

沖縄タイムスの記事内の「金さんは14歳のころ旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と言われて連行され台湾、広東、香港マレーシアスマトラインドネシアなど前線地で8年間、22歳になるまで慰安婦として従軍させられた。」という記載は正しくは「4年間、18歳になるまで」の間違い。金福童1926年生まれ、1941年に「挺身隊として3年間軍服工場で働くという説明で徴用され、広東の慰安所に連れて行かれた」という。

・同様に証言の信憑性が疑われている元慰安婦に、いわゆる「挺身隊おばあさん」「鄭書云(チョン・ソウン)」がいる。14歳ときに「金属製食器の供出命令を拒否したため」として地主である父親が逮捕区長から「針工場で働けば父親を釈放してやる」と言われ、承諾するが、下関からインドネシアスマランの慰安所に連れて行かれ日本兵の相手をさせられる。彼女1924年生まれとされているが、実際は1927年または1928年生まれ。「金属類回収令」が外地朝鮮で制定されたのは昭和16年(1941年10月1日。よって父親が逮捕されたのはこの日より以降の筈。だとすれば「スラマン日本軍慰安所」に連行された件についても辻褄は合う(日本軍スマトラジャワに侵攻したのは1942年2月から3月にかけて)

2013-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20130119005117

軍服着てる人って言っても別に職業軍人であると同時にただの市民だぞ。。

なんか自衛隊を特別な別次元人間扱いしてない?

http://anond.hatelabo.jp/20130119005117

何で軍人インタビューを受けるというのが、2.26事件に繋がるのかが分からない。海外じゃニュースインタビュー軍人が出てくるなんて普通だけど(軍の広報普通に軍服着てるしね。軍服に拒否反応示す職業差別主義者には理解できない世界だろうけど)、海外では毎日のようにクーデターが発生してるのか?

2012-04-07

人生の半分以上を、基地の街で暮らしています

人生の半分以上を、基地の街で暮らしています

小学生から大学出るまで、米軍住宅のそばで暮らしていました。

就職してからは、あちこち行きましたが、一番長くいるのが基地の近くです。

米軍軍服で闊歩するから怖い、というような報道に一切感情移入ができません。

このあいだも、定食屋ラーメンセット食べていたら迷彩柄の結構えらい感じの米軍さんがスーツ日本人と入ってきて飯を食っていました。凄い仲良さそうに楽しく話していました。市役所の人かなあ。

どの辺が怖いんだろう、と思います

小学生のころ、街に「入ってはいけない金網のある場所」がありました。入るとつまみ出されるので、やんちゃ坊主達は武勇伝として語っていました。でも、それだけでした。大きな車が走っているだけの話です。

今、飛行場の近くだから日に何回か大きな音をたてて色々な飛行機が飛んでいきます自衛隊飛行機も、米軍飛行機も飛びます。でも、それだけです。うるさいと言っても、そばに寄った時の電車ぐらいにはうるさいですが、それだけです。

米軍ちょっと移動するぐらいで怖がる意味がわかりません。単なる日常です。

基地反対運動意味がわかりません。うるさい施設が横にある所に後から引っ越してきたのは、生活に便利だからそこに住み続けているのは、たいてい周辺住民の方です。しかも、反対する人に住民でない人が入っているとなると余計に意味がわかりません。

ニュースを見るたびに、なにか心がもやもやといたします。

表現しにくいのですが、貴様は可哀想な人間であるのだと決めつけられているようなことに近い、そんな気持ちがします。

2012-03-10

南京事件初心者の疑問

これみた。

たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。 | ねとうよ速報

http://netosoku.net/blog/others/takajin_nankin_kensyou/

南京事件否認論の恐怖。 - Something Orange

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1

捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、でも戦争なんだから規模はともかくやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もあるだろとか、これを全部正しいとしても関東軍虐殺動機がよくわからない。たとえ数万人でも虐殺は軍の指示がなければ無理だ。関東軍は何か深い民族的恨みでもあったのか?

南京事件 (1937年) - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)

南京事件なんきんじけん)は、日中戦争支那事変)初期の1937年昭和12年)に日本軍中華民国首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍投降した便衣兵、一般市民などを殺した事件。



でも、この前に満州事変とかで国作ってるんだよね?

満州国 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD

1932年から1945年の間、満州現在中国東北部)に存在した国家

満洲国は建国にあたって自らを満州民族漢民族モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人漢人朝鮮人満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。




とすると、傀儡政権日本人優位とはい中国人(満州族)とも一緒に暮らしてたわけだ。その後国を運営しながら5年かけて南京まで領土を拡大。ならなおさら軍命令で虐殺する意味わからん南京の人とも一緒に暮らすだろうし国民国家労働力ではないのか?

と思ったら、詳しい解説サイトがあった。

南京事件 初歩の初歩

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

まずよく誤解されるのですが、南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。

 また、民間人巻き込まれの責任便衣兵戦術をとった中国側にある」との暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。

秦 南京事件場合日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウィークポイントなんです。

秦 捕虜資格あるかないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。

秦 捕虜としての権利がないか裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。


中村粲

武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。

 軍司令官には無断で万余の捕虜銃剣刺殺された。それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。

原剛氏

しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。

松本健一

捕虜でないからという理由で捕まえた敵国兵士戦場裁判にもかけずに勝手に処刑することは国際法からも容認されていないはずです。

北村稔氏

筆者の見るところ、「ハーグ陸戦法規」の条文とこの条文運用に関する当時の法解釈に基づく限り、日本軍による手続きなしの大量処刑を正当化する十分な論理は構成しがたいと思われる。


私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思いますもう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。虐殺」だと感じれば、普通感覚でしょう。



南京事件 初歩の初歩、了解。

ひとつ思いついたけど、この国際法を守る「普通」の感覚があれば、中国軍世界を支配できる簡単な方法がある。10億人中の数十万人を各戦場投降させたらいい。そしたら敵軍はその「捕虜」を戦時中に食べさせて管理して働かせても、食料を作る時間的な差で補給がままならなくなり、暴動が起こらないような高度な管理にも相当な軍人を割かなければいけない。その間に本隊で攻撃をすれば勝てる。相手が国際法を守るなら。

当時の中国ちょっと普通」じゃないのは、ケタ違いの人口を誇るのに日本と比べて近代的な武器を持ってないこと。

満州事変 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89

戦力

国民革命軍160000

大日本帝国陸軍30000 - 66000

16万の軍隊が、3万から6万6千の関東軍に負ける。ランチェスター戦略ではまずありえない。

捕虜」の感覚も「普通」だと人数の少ない軍隊が負けて、戦いに生き残った少数が「捕虜」になるという感覚なんだが中国相手だと

南京事件 初歩の初歩

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

 「南京事件」中、最大規模の「捕虜殺害事件」として知られている事件です。

 十三師団山田支隊は、南京城北部を進軍中、大量の投降兵に遭遇しました。その数は、当時の公式発表に従えば一万四千人余りと伝えられます。この捕虜はいったん幕府山周辺の建物に収容された後、12月16日から17日にかけてほとんどが殺害されてしまいました。

12月13日、日本軍南京占領しました。逃げ場を失った中国軍兵士は、大挙として軍服を脱ぎ捨て、難民避難していた安全区に逃げ込みました。

 14日から16日にかけて、日本軍は、避難民の中から兵士とおぼしき人物を選別し、そのまま揚子江岸などに連行して殺害しました。歩兵第七連隊戦闘詳報によれば、その数は七千人弱、と伝えられます。その選別方法はアバウトなもので、その中には大量の民間人が混入していたものと見られます

 さらに17日の入城式後も、「安全区掃討」は続きます佐々木到一少将によれば、1月5日までに、さらに二千名が摘出されました。



結果、数万人虐殺してるんじゃないかという予測ですが、普通感覚なら戦時中はいえやはり全員ちゃんと食わせて、ひとりひとり裁判にかけて、きちんとした管理の中、この数万人を戦争が終わる8年間(1945)まで捕虜として扱うべきだったのでしょう。虐殺するほど軍人最低限のモラルもなくなるでしょうし。

たかじん動画でありますが、台湾攻撃した時は虐殺なんかしてない。満州事変ときも、満州族とその地域を一度に支配したのでその必要がなさそう。南京陥落のとき戦闘継続中の「中国軍」だったので一気に中国を支配できなければ投降は「捕虜」にするかその数万人を扱う余力がなければ虐殺するしかないということでしょうか? 日本軍には「投降」という概念がなさそうで、なおさら大量の捕虜を信用出来そうにもないという文化の違いもありそうですが。


南京事件の初歩の初歩までの理解ですが、右の言う捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、動機がないとか、虐殺する弾薬や労力が無駄とか、左の言う、でも戦争なんだから規模はともかく心壊れてどこかでやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もたくさんあるだろとか、これは結局、関東軍が対人口比の極端に多い中国に勝ち進んだという「普通」じゃない状況が大量の「捕虜」を扱いきれず一般人も巻き込んで虐殺したことで、「普通」の時代の人から批判されまくってるという解釈で初歩の初歩はOKですかね?


あの当時、数十人の管理人でも数万人の「捕虜」が暴動起こさないような設備システムを作って、人権も守りながら低コストで、食料もすぐに自給自足管理させ、ひとりひとり裁判もできたら良かったんでしょうけどね。

2012-01-25

508: 本当にあった怖い名無

爺さんが死んだ時の話。携帯で長文ですまん。

爺さんの部屋の整理を俺も手伝ったんだが、押し入れに古い木箱が入ってた。

開けてみると、どうやら戦争の時の思い出の品々が入ってるみたいだった。

俺はそれをこっそり自分の部屋に運んで調べたんだ。

何かお宝が、例えば刀とか軍服とかカッコイいものがあるかもと思って。

今思えばとんでもないバカなガキだった。

中には赤茶色のぼろ切れ、銃剣の剣、水筒や変な置物、手帳、ワケわからんガラクタ、何枚かの写真、そして…白っぽい何か。

「なんだこれ?」白っぽい何かは布にくるまれてた。長いのが二本、細かい欠片が多数。

しばらくして気づいた。腕だ。これは人間の、肩から先の骨だ。細かいのは指だろう。

しかし誰の?

爺さんは五体満足で帰って来た。

戦争の話は一度もしなかったが親父が言うには結構地獄を見てきたらしい。

戦友の骨だろうか。

手帳を開いてみた。

恐らくは日記帳だと思う。

日付と共に戦場も移っていく。

良く読めなかったが知ってる地名がいくつかあった。

多分南方だろう。

軍オタが読めば面白いのかもしれない。

日記唐突に終わっていた。

最後のページにはただ一行だけ、

『我、餓鬼道ニ堕チタリ』

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