著作権というつもりはないが、ここには一つの戦争があるように思える
通常であれば二次創作とは一次創作の補完を目的とするものである
つまり、二次創作における問題提起が正答性を持ち、魅力に溢れるほど一次創作が陳腐になるというものだ
主と副が逆転する事は決してない、ないが
二次創作が正しいばかりに「こんな重要な問題が起きているのに、一次創作では何も起きていない、おかしい」となってしまう
最も行われるのが、一次創作の時点で玉瑕を消し去ろうとする事だ
作者は描かれていなかった、もしくは矛盾した作品世界の綻びを事前/事後に対応するが
時として、それを超えてその裂け目を見つけ、補完してしまう者がいる
そして皮肉なことに、その傾向は作者が綻びを消そうとすればするだけ強くなるのだ
なぜなら、人は本質的に粗探しが好きであるし、作品の綻びが少なくなる事は多くの場合作品の魅力を増すことにもつながるからである
ここの、作者の悲劇がある
粗探し自体に「正しさ」はなくて。そこには楽しみ方の方向性を限定した行動があるのみ。 作者的にも必ずしも付き合う必要性はなくて、付き合わない奴も沢山いる。 推理小説なんかは...