何故このようなことが起こるのでしょうか
そもそも、何故一般的な人は、他人を嫌うのでしょうか
他人を嫌うということはどういうことなのでしょうか
他人を嫌うということは、いわば成長の方法です
嫌いなものを受け入れることで、人間は成長できますから、人は敢えて他人を嫌うのです
結局、『自分が嫌い』と言う人は、このような成長を他人に助けてもらいたくないのです
自分を嫌うことで、自分を受け入れていくという方法しか取りたくないのでしょう
過去に大量に資産(金や油田)があっても、それを使い尽くした瞬間に滅びた国など山ほどあるよ。よって、資産ではなく、生産力が国の測る尺度であるべきだし。
百歩譲って、規模のメリットによるスケール効果というものが、あるということを斟酌しても。いまの、地方のお金の使い方は無駄な建物を建てるなど、資産を食い潰す使い方しかしていない。
それこそ、種籾を食うようなもんだ。
本来農業の効率化など、適切に地方の役割である、食料の生産や一次産業が適切に行われるならともかく、行われていないじゃん。
地方にお金を流すことを否といってるわけではなく、効率的に使われず、農業戦争に負けるのであれば、保護していて甘くなっているということだから、厳しい競争に晒さざるをえないという次善の策を行っているだけ。
それこそ、農業が自発的に効率化されていくなら、誰も文句は言わんだろ。
そして、その農業にしても、重要な鉱物である燐や 発芽種子の一部を輸入にたよっている状況で、外貨がなければ、一部の農業すら止まる状況じゃん。
いくらなんでも、程度問題でヒドイという話。
役割分担だ、というけど、
そういう役割分担はもうやめようという議論なんだから、それを言われてもね。
サッカーの話にもどるけど、 ボールを集めました。自分たちは後方です。そりゃいいんだが、それにタカをくくって、練習サボってるから言われているだけ。
やるべき事はあるでしょ。他にも。
勤労意欲の問題を脇におけないために、社会主義がなりたたず、資本主義にせざるを得ないという現実の葛藤を前に
次に、何が将来のための種籾であるか?というのが、絶対がないんだから、これも市場に任せるしかないというが現状。
つまり、脇においておけない問題があるために、理想論にならない。という議論をしているときに、脇においておけばといわれても、もう、それは、やめようよ。
それを、脇において置けたら、どんなにいいことか。というのは、皆思っているんだから。
老人が恵まれているって言説が結構多いのが気になるな。
淘汰圧を体罰がかける側が仕向け、それを超えられるように育て上げるのである。
そのためなら飯抜きだろうが膝蹴りだろうが合法。
過剰なまでに節約し、禁欲的であり、自罰的であり、他人の落ち度を許さない。
そして、消費を促し、性に解放され、他罰的であり、恥知らずな人間は間違った教育の成果だという認識は多くの人間が持っているはずだ。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/228998
バス横転事件を起こした鹿児島大の学生は何を考えていたんだろう…この人、農学部で理系じゃん。
理系のB3なら、就職できなくても余裕で大学院で進学できるはずなのに…。
バスを横転させる気持ちは理解出来ないが、どれだけ重大な悩みを持っていても指導教員に何も話さない気持ちは理解できる。
自分も院で経験があるが、自分の将来の全権を握っていると思うと、重要な悩みほど指導教員には話せなくなるものだ。
指導教員の立場のたって考えてみても、卒業できなさそうな学生に対しては、留年か休学ぐらいしかオプションがないはず。
どちらも絶対にしたくないとすると、むしろ、指導教員には重大な悩みを話さず、自分で解決してやり過ごせればそれに越したことはない…と思うと、話せなくなるよねぇ。
戸塚宏自身はしっかりと考えぬいて、自分なりに纏め上げた、哲学のような物(であるがゆえに一番たちが悪いのだが)
それにしたって数字だけ出して「はい爆死ー」って言っちゃうだけでいいんだからネガる方が有利よね。
「いくつ行けば爆死じゃないのか」を提示する必要ないわけだし。
それなんてパナウェーブ?と思ったがぐぐってみると微妙に違ってた。
普段はあまりアニメを見ない人間なのだが、勧められて友達の録画を貸してもらって観た。8話まで観た段階の感想。
俺のスペック
・アニメはあんまり観ない。漫画も、数冊をコミックで定期的に買う程度
・友人にはSE等多し
登場人物の名前は一応Wikipediaで調べたのであってると思うけど、間違ってたらすいません。
結局、メッセージとしては「努力」「まじめ」が必ずしも報われないって事。人生楽しもうよってこと。
人生の優先順位は何なのか。仕事ってのは人生の手段であって目的では無い。ってことかな。
人間の精神が壊れるって事と、会社で働くって事が描かれている。
人間が働きすぎておかしくなっていく様子と周囲の人間の対応が描かれている(実際に、俺は自分の周囲で何人か見てる)
もちろん、物語風の脚色はされているし、他のオマージュ等もあるだろうけど。
以下、それなりの考察
・さやかについて
会社に入り、自分の夢、守るべき人、など諸々のために身を粉にして必死に働く。まじめに文句を言わず働く。
しかし、まじめさや一途さが過ぎるのか、自分の事を後回しにするあまりに結局自分自身が壊れてしまって
元も子もなくなる。適度に力を抜くということができない。いつも必死。俗に言う「社畜」。
何が一番重要なのか、本末転倒で人生の優先順位が間違っている。
「たまには力を抜いて休息を取ることが最終的にはプラスの結果になる」ってことを冷静に理屈で
理解できない。まじめさが報われると信じている。ただ単にまじめであることが価値だと思っている。
・まどかについて
そういった、まじめすぎたり働きすぎたりして壊れてしまう人の周囲にいる、トラブルメーカー。ぶっちゃけ、こいつが問題を大きくする。
偏見かもしれないが、たいてい女。まさに「まどか」のように、要領の得ない話をグダグダと言うしゃべり方をする。
現実世界では、壊れてしまう男の彼女か母親ってパターンが多い。彼や息子が壊れてしまうって
ことを理解できず、精神科にも行かせない。現実を受け入れられずに「ちょっと疲れてるだけだから」
とか言う。
冷静に解決策を考えることができずに、目先のことにあたふたして、変な信念で行動したりして余計に問題をややこしくする。
「まどか」本人は、必死で「さやか」のために尽くしているつもりだから余計に質が悪い。
それを言うと「私はこんなに彼のために尽くしてるのに!」みたいに切れるパターン多し。
でも、彼のことを考えているとかいいつつ、実際は自分のメンツ等の方が大事だったりする。
で、被害者ぶっていたり、「まどか」自身も引きずられて精神を壊したりして、
余計に被害が拡大する。アルコール依存の場合は「イネイブラー」に相当するかも。
・ほむらについて
正論を言う人。だいたい、第三者か、それほど親しくは無い(利害関係はあまりない)男の友人ってケース。
「病院に行くのが根本的な解決でしょ?それをせずにグダグダ悩んでも意味ないでしょ」
等を言う。俺個人としては「ほむら」に非常に共感するところ多し。
パターンとしては2つあって、介入して必死に頑張るケース(アニメで描かれるのと一致)と、
深入りすると自分も引きずり込まれるってわかってるから適度な距離を取りつつ冷静にアドバイスできることだけはするケース。
いわゆる一つの理想像。「さやか」との対比として登場し、正論を言う。
いや、「正論が通すことが常にベストでは無い」「必死にがんばることだけが人生では無い」という教訓。
適度に頑張りつつ、適度に力が抜けていて、良いキャラクターだと思う。まさに、理想の働き方かもね。
問題は、老人が悪い・若者が悪いっていうような問題じゃないと思う。
両者とも言い分ともわかる。
両者が力を合わせるべきかと考えないと、焼け野原になるのみだ。
昔の人が言っていたように
其々の世代が、息子の代、孫の代まで考えるようにならないとね。
当然の報酬なのかもしれないけれど、債務超過の日本はお金がないのだから多少は我慢をしてもらわないと現役世代が潰れてしまう。
仰るとおり、日本が豊かな国であることは間違いない。けれども、例えば年金のように、後々もらえるお金よりも今払うお金のほうが圧倒的に多いというのは国の“制度として”問題があるはず。
それとも、
ネットが無い頃なら部屋の片隅でブツブツ独り言するのが関の山で同じ被害妄想に取り付かれてる患者同士が出会うはずもなかった。しかしネットで同じ妄想の人が寄り集まって一日中張り付いて、妄想カスケードを増殖させ、遂に市民団体みたいなのまで作って街宣活動をやるようにまでなった。なんとかの陰謀がどうの政府やマスコミが乗っ取られて~とか言うのや集団ストーカー被害ぐらいしか知らないけど、そのうち宇宙人に発信器を埋め込まれたとか、脳内で考えていることを盗聴される装置があるとか言う団体が出てくるんじゃないか。
はてなにしろ、2ちゃんにしろ、ブログにしろ、ツイッターにしろ、ブログにしろ、数多のイベントの主催者やら参加者が実況したり、結果報告をしたりしてる。
で、自分はそれに参加してない。理由は関東で暮らしていないから。関東なら毎週毎週やたらイベント、というか、それぞれのコロニーが集まっているように思える。
ネットで何が増幅されたかっていうと、この「関東以外の疎外感」が筆頭なんじゃないかなぁ。寂しいからこれは自分だけじゃないと思いたい。コストさえ費やせばそんなの解決できるんだろうけど、金銭的、時間的費用感が首都圏で暮らしているのとは雲泥の差だ。
でもこの気持ちは、彼女ができて、結婚して、子供ができて、親戚づきあいをして、近所づきあいをして、会社と自分が不可分になっていって、考えないようにして、自分を慰めて、やがて忘れていくんだろう。大学も地元だった自分は何一つ東京に縁がないままなんだろうな、と思うと、もう自分を説得しかかっているのかもしれない。
こればっかりは誰にも解決できないのだろう。
手段に拘泥して目的を見失うのはあまりに愚かだと思う。
例えば「プールサイドでは走らない」というのがある。
それは何故かと言えば大人になった今ならわかる、滑って転べば痛いだけじゃ済まない事態にもなるからだ。
しかし子供にはいまいちピンとこない。分かっていても今目の前にある楽しさに気を取られて忘れてしまう。
じゃあどうしようか。
「言って聞かせる」「理解出来るまで辛抱強く指導する」
理念は美しいが、その瞬間だって子供達はプールサイドを駆け回っている。事故の危険は未だある。
「ちゃんと事故が起こらないように見てないのが悪い」「口で納得させられない方が悪い」
理想の存在を追うのはいいが、現実目の前にいない以上それはただの言葉遊び。迫る危険は何一つとして変わらない。
可及的速やかに事態を変えないといけない場面が往々にしてある。
それを叶える手段として選べるのは「可及的速やか」に合致する手段だけ。それが「体罰」しか残ってないのなら迷わず使うのがあるべき道。
「大した理由も無く体罰を振るう」は責められて然るべきだが、「他に手段が無いのに体罰を躊躇して結果問題を放置する」にも責められて然るべきだと思う。
同意せざるを得ない。
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それでも我々若者は、DSiを買いに行く途中でマックに寄って肉をほおばりながらiPhoneを使って「これまでずっと贅沢してきた老人どもめ!」とtweetしたくなるもの。
特にネット全盛の昨今。みんなで「老人が金を受け取る」の旨のちょっとした記事をいくつもいくつもネット上に持ち寄り、「みんな、これを見てくれ、また老人ばかり!これは異常事態だ!ちくしょう!」と騒ぎ、自分らが何らかの被害者であるらしい事を確かなものにし、主張を増強し、安心し、快楽を得たがる。
それが人間。