というか平日であれば学欠くらいクラスの人が伝えてくれるので、してなくても大丈夫なくらいでした。
連絡すると、黒板の休みの人欄に名前が書かれるので、それ以上の連絡は不要でした。
思うに、それは元増田さんに連絡をくれた女の子の勝手な考えではないでしょうか?
二年生というと、ついこの間まで一年生だったと思うので、となると部活の規則に従うので精一杯、
もしくは個人的な考えで勝手に進めてしまう ということはよくあります。
ここの意見を印刷したりする前に、今一度よく仕組みを知っている人、例えば部長や顧問に尋ねて、
正規のものがあるならばそれを普及させ、決まってなかったり変だと思うならきちんとしたものを作ることに力を注ぐべきではないでしょうか。
また、顧問の先生が部員に伝え忘れる ということも十分ありえます。
例えそうでなかったとしても、先生伝いで欠席を聞くのでは「?」となる子もいるかもしれません。
言われた人数は確かにやりすぎですが、部員の誰か一人には伝える必要はあると思いますよ。
なのでまとめると
(担任は当然だとして)顧問の先生と部員一人に伝えれば済むように部活の連絡網を見直す
と良いんじゃないでしょうか。
いつの間にか考えが硬直化して、柔軟さを身につける為に地獄を一回味わうことって誰しもあると思うんだ。
そういう時にさ、Twitterがあると
「あれ、あんた、ちょっと前に言ってた事と筋が通らないんじゃない?」
って事が多くある。
これってメンタルを病んだ人に取っては凄くリハビリだったりする。
そんなときに、ふーんとか、どーでもいーじゃん、とか、ちょっと真似してみるかってなると回復の傾向なんだよね。
俺はそんなのの後に錆びて回らなくなってたナットっていうの?ボルトって言うの?大分なくなったよ。
俺やっぱり思うんだけど、凝った事を言う人にしがみつかない方が良いと思うよ。
自分がクソヒネリマシーンだなと思った時に、小学生が九九を覚えるのに必死だったりするの思い出すとなんか良いじゃん。
そんな感じだなう
人は苦しさから逃げ、病んでいく
寂しさから、劣等感から、挫折感から、絶望感から、不安から、恐怖から
逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて
例えば、回避したり、妄想してみたり、思い込んだり、攻撃してみたり、拘ってみたり
他の人が見ると「どうしてそんな事をしてるの?」と思うような行動は
実のところ、当人にとってはより大きな苦痛を回避する為に必要な手段であったりする
裏切られた経験を持つ人は、人を信じなくなるか、裏切られると言う行為をできるだけ制御しようとするだろう
制御するために、こちらから裏切ってみたり、わざと裏切られるような事をしてみたり
むしろその逆として、完全に信じきり良い人を演じる事で「ほら、私は悪くないわ。裏切った相手が悪いのよ」と言い訳してみたりする
こうした事は、自分が認められない現実を拒絶するという意味で、回避や逃避と言えるだろう
心が健康になると言うのは、そうした現実を自分自身で受け止め、処理するようになるという事だ
葛藤を回避するのではなく、処理しなければならないという理由はない
逃避であろうが、直面だろうが
それの是非は当人しか判断できない
それは、直面化したほうがあらゆる現実的困難への対処が簡易もしくは妥当であるからではない
社会、つまり大多数の他者が認めた価値体系へのすり合わせが必要だからだ
社会への適応がなされない場合、それはその固体にとって不利である事は論を持たないだろう
言い換えるなら、社会適応(社会志向)の必要性があるから直面化という方略を強制されていると考えられる
薄っぺらさはまったく変わっていないな
昼休みに食事に出かけたら、横断歩道の真ん中で立っているおばあさんが一人。
信号が赤に変わっても、立ち止まったりふらふら歩いたりで危なかったので、声をかけ、手をつないで一緒に歩道まで戻った。話を聞いても要領を得ないので、ちょうど通りかかった男性と相談して警官を呼び、到着するまで付き添う。おばあさんの話は断片的で、同じことを何度も話していたけれどこんな感じ。
「彼が迎えに来るの」
「タクシーを呼んだけど来ない」
「今日はここのお店でご飯食べさせてもらった」
「京都に買い物に行って・・・」(ここから京都はそんなに近くない)
どれも、今日のことかどうかは分からないけど、おばあさんの過去のどこかで実際にあったことで、それは楽しい思い出なのかも知れない、と思うと切なくなった。私の顔をじっと見て笑いかけてくれたり、手をぎゅっとにぎってきたりもして、不安な気持ちも伝わってきた。
警官が到着して、カバンの中を確認するのに立会い、住所と名前が書かれた手帳が出てきて本当にほっとした。後は警官に任せて、その場を去る。
その後、一人で食事しながら、おばあさんのことを考えていたら何だか涙が出そうになった。
まだ元気な自分の祖母を思い出したり、親もいつかはこうなるのかな、と思ったり。
普段仕事や身近でお年寄りの世話をしている人だったらよくある話かも知れないけど、初めてだったのでいろいろ考え込んでしまった。
このブログを読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」と思った。
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
この人が言うのは、要するに「ある金の範囲で稼げ」「最高の品ではなく、売れる品を作れ」ということだろ。そういうふうに端的に書くと「そんなことは言っていない」と言いそうだが、端的に書くとそうだろう。「ビジネス感覚」というのうが、まさにそれを表している。芸術としての音楽じゃなくて、ビジネスとして音楽を見ているわけだ。そこには「売れれば良い」という思いしかない。
ちなみにおれは音楽家ではない。趣味で音楽をやっているけど、本当に趣味でやっている範囲だから収入など全くない。そんな身分から見ても、本当に昨今の音楽業界って終わってんだよ。で、なぜ終わっているかというと、ビジネス至上主義の氾濫に尽きる。音楽には消耗品と芸術品がある。消耗品というのは、アイドルの曲だ。芸術品とはアーティストの曲だ。例えばAKB48の曲は消耗品。ビートルズのように、解散してもなお歌われたり演奏される曲は芸術品といえる。
なぜAKB48を消耗品というかというと、一定期間経つと売れないからだ。これはCDショップをみれば分かる。AKB48のようなCDはある一定期間経つと売れない。それにリアマスターやらコンピレーションアルバムも出ないだろう。それは音楽的に価値がないからだ。有名なアーティストは曲そのものに価値があるから、リアマスターやらコンピレーションアルバムが出る。そして、解散した後でも売れる。それはアートならではといえるだろう。
まぁ、ぶっちゃけるとAKB48とアーティストを比べるのも間違っているが。AKB48は「アイドル」であって「アーティスト」ではないからだ。アーティストとは同じは畑で稼いでいるだけで、実際は別物なのだ。
で、ちなみに「売れれば良い」という企業やら業界は基本的に死んでる。「マスコミ」もその1つだ。売れれば良い記事を書き続けた結果、「マスゴミ」といわれるほど信頼を失った。ちなみに先ほどの挙げたブログの筆者も、ライターというマスコミ関係者らしい。なるほど、だから「売れれば良い記事」を書いたのか。まぁ、このライターが説くビジネス至上主義も、彼の立場上仕方のないものだろう。なぜかというと、ライターの記事も消耗品だからだ。ライターは「いま売れる文を書く」という消耗品を作成するのが仕事だからだ。ちなみに、これと相反するのは作家だ。作家は文学的芸術家で、「いま売れる文を書く」ということはしない。その結果、何年にも渡って読まれる文を書き上げる。音楽家も同じだ。モーツァルトのハイドン・セットは2年の歳月をかけて完成した、ベートーヴェンの交響曲第5番は作曲から演奏までに4年、交響曲第9番については、10年の歳月をかけて作られている。これは極端な例だが、アートというのはこういうものなのだ。
音楽業界が残念なのは、アートな部分を無視してビジネスに走って自爆したことだろう。ビジネスも大切だが、アートを無視しすぎた。ちなみに音楽業界では著作権のことが話題だけど、これも結局ビジネス的な発想なので、自爆するんだろうなと思っている。
そうさせる理由について考察してみました。
・名前の挙がった人たちは、部員の欠席という重要事項を誰からも教えてもらえないくらい嫌われている。
・名前の挙がった人たちは、部員本人の口から連絡を受けないと信じられないくらいに周りの人を信用していない。
・「連絡網」とか「伝言」という概念を理解できないくらいに知能が低い。
・直接連絡を受けないと疎外感を感じるくらいの寂しがり屋。
・とりあえずいっぱい連絡したら団結してる気がするというような短絡的思考。
・部員個人の体調より部活が大事だから、簡単に休めないように嫌がらせしてる。
こんなところでしょうか。
人がやったデザイン的な仕事がバランス悪いと、つい気になって、口に出してしまう。
ひとつの意見として言ってるだけなんだけど、悪口みたいに聞こえるらしく、
「それは○○だからそうなってる」みたいにちょっと強めに言い返される。
素直に人の意見も聞いてほしい。そんなんじゃ向上しないんじゃないの?
最近は、めんどうだから、「なんか変かな」と思っても、「まあ、セーフかな」とあまり言わなくなった。
ましてや直すひまもない。
でも誰も言わなくちゃ、きっとあのままで「できた」と思いこんじゃうんだろうな。
これでいい! ってすすむときと、
両方必要な気がする。
正されたら、振り返るべきだ。
ひとのことはどうでもいい。
自分はそうしようと思う。
連絡手段そのものは 肥効率甚だしいので、この時代 IT化するべきだとは思うが。
それ以前に、何がしたいの? 大きな大会に出る。と言うことは遊びじゃないので、ある程度軍隊化するのはしかたがないことだろう?
楽しいウフフ キャッキャ青春を送りたいの? それとも大きな大会にでたいの?
どっち?
前者ならば、第2吹奏楽部なり何なりを有志を集めて作って、ホビーの吹奏楽部を作る方がいいと思うよ。
後者であるならば、電話は保護者からでも良いコトにしてもらったほうが良いんじゃ無いかな?
それで(病人が連絡する)という問題は解決する気がする。
別にいんじゃね?社会全体が、たとえ、東大卒でも、ダメな奴はダメ。一人ひとりちゃんと面接して、話を聞いてみないとわからない。
って認識をもってくれたほうが、逆に高卒だけど苦労して磨き上げた。みたいなやつがトクするしいんじゃね?
おい、お前らしっかりしろよ。
単位なんてほんとうに簡単にとれるし、教授連中もゲタはかせて単位とらせようとするし。
卒業研究ぐらいちゃんとやるべき。4年生なんて遊んでればいい、みたいなのが多すぎる。
さっきのTwitter見て思うことは、人より優れてるのを全面にアピールすること。普通の企業面接と変わんないよな。
じゃあ、実際に合格した人に聞くのが早いのか。と思えばそうでもない。
合格した人に聞いても、「なんで合格したのかわかんない」「たまたま運が良かった」などの話が多い。
じゃあ、採用する側はどんな判断なんだろう。採用する側にとったら、同じような答え、見た目、自分の好み、
面接なんて判断がブレるもの。絶対的に正しい判断ができるのか?
じゃあ、どうやって合格を貰えばいいんだろう
もう一回、管理職、校長試験の問題見てこようか、迷う。それくらいの勉強していけば他の人より良く見てくれるのかな。
あー。こんなこと書いてる自分が嫌になる。