はてなキーワード: 寺社とは
ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方からの移住者だけど、香川で享受してる文化を挙げておく。
割と多い。もちろん京都・奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国は中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。
国宝も、建物だけで2件ある。増田の故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物の国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都や奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。
(追記)丹下健三の香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品でビックリした。初めて行ったときには渇水の注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。
香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代の奉納記録に出迎えられ、途中に戦後の掃海で殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙の作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。
屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇の時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。
あと、津嶋神社もレア度が高くてよい。沖に浮かぶ小さな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線に臨時駅「津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田も撮影したよ! ミーハーだからね! 子供の健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。
(追記)お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田は信仰心薄いからお参りできれば満足なので……
香川県は、江戸時代、高松と丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松と丸亀のそれぞれに当時の藩主の遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。
高松の名物はなんといっても栗林公園。松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップは絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間は幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師は香川出身らしい。知らなかった)
丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川県西部っていう狭い地域を統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たときの雄大さのギャップがすごいのでああいうトリックアートじみた建築を作れた江戸時代の職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで。
気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自の文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。
次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海の景色美しすぎる。日本のアドリア海だろマジで。
意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県に併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁、松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松市美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺の道の駅には「世界のコイン館」という展示と大平正芳(香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコインや日本の貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが!
そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国各地の文化を体感することができる。一口に四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土や生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。
(追記)四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方の水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館は地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメの水槽はインパクトあるよね。こんなでかい魚が日本の河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形で再現してあって実質的に日本酒博物館。金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史や製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。
やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からもアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……
オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺の観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVでアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星の魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日にイオンモールで映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。
まあ……これは東京・大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋のジュンク堂みたいな大型書店めぐりは不可能。東京・大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるから、マイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。
でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーのデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫・新書のブックカバーは上下が固定されてない形式のやつだから、ハードカバーや選書を買うときは宮脇書店に行って文庫・新書が欲しいときはジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店と高松の市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。
あと、高松のアニメイト、ラノベのシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的。まさかアニメイトでラノベを立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。
(追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川や四国・岡山に関する書籍がものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川の文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通の読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局の最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから。
ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理に時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的に地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。
旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀に本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀の本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメ。ビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしはマジで美味いから香川に行ったら絶対食ってくれレベル。一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!
他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。
そしてカフェ。香川県でカフェめぐりをしたらもう東京のカフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀のスタバは市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェが複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松の商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。
イチオシは高松の片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。
とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川の文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京のメリットは集積にあるから、マニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館と国立科学博物館と国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画を劇場で見たい! とかの逸般的な文化的ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化を享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい。
(追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東が台風で大騒ぎになってたときも特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水の危機はあって、一昔前は一般人も取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレットを台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。
神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。
境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。
…
夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。
蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化のポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。
しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的な意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所でしかない。
…
神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。
俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客も大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。
俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下は南側と北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。
…
この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。
虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。
蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。
お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲をホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。
「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。
庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである。
美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。
…
風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要なものだから、火には注意しているのだろう(法律的に必須なのかは知らない)。
同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。
俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。
主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである。
皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性の世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。
人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。
それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。
どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツヒラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのだから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。
そういう意味では、自然界の営みによってシンボルが物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教はシステムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。
…
で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念や言葉、ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。
心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。
仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツが必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである。
ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈が破綻してしまう宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。
…
いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである。
…
正しいかは知らない。
…
何年か前に泊まった旅館は山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。
要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。
道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。
当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。
厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。
俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。
ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界だからしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和としか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑
鎌倉、いいところですね。
関東に来たばかりの頃は、鎌倉にきて、こんな"古都"もあるんだなあと少しばかりびっくりしたけれど。
古都という色眼鏡を外せば、鎌倉の良さがすこしずつわかってきた、気がする。
鎌倉というと歴史都市と思われがちだけど、案外関西なら西宮から西側、須磨とか塩屋あたりまでくらいの雰囲気に近いのかもしれない。
あそこまでハイソな雰囲気はないけれど、東京の文化が入ってきていて、それなりに洒落た店も多い。
京都のように深い伝統の香りはしないけれど、まあ、いい感じの海沿いの街としては、ありなのではないかな。
春の晴れた日に海沿いの古い路地を歩くと、これが漱石の味わった鎌倉かもなあと、嬉しくなる。
関東風の中華そば(甘すぎず美味しい)とか、無骨な力もちとか、そういう、言ってみれば滋賀の片田舎で感じるような、素朴な良さが鎌倉にはただよっている。鎌倉野菜は京野菜のパクリみたいで笑ってしまうけれど。
最後に、寺社仏閣としては、見るべきものはそれほど多くないけれど、禅寺の荒々しい雰囲気はなかなかよい。京都の禅寺は洗練されすぎていて、貴族の宮殿みたいなのだ。ああいうのは、本来の修行の場としての寺ではないんだろうなと思っていたから、鎌倉くらい無骨な雰囲気の方が、らしくてよい。
鶴岡八幡宮は、廃仏毀釈で見る影(それは石清水八幡宮もそうだ)もないけれど、それでももう少し建築年代が古ければ良かったのに、と思う。石清水八幡宮だってこないだ国宝になったんだから。あれ、近世建築としても、洛中のものからすれば格落ちすると思うけれども。
サーフィンでも、はじめようかな。
まず、私は鎌倉に住んでいる。地元で商売をしているけど、飲食店とかの店舗系の商売ではない。おかげさまで食っていくことはできている。
私の住む街鎌倉は日本有数の観光地と言っても過言ではないと思う。特に昨年の大河で鎌倉を訪れる人は沢山増えている。鎌倉と言えば、八幡宮や大仏等の寺社仏閣、由比ガ浜等の海水浴も有名だが、飲食店も有名だろう。実際、テレビをつけていると、よく鎌倉の飲食店を特集する番組が組まれている。実際、鎌倉駅前にある小町通りには多くの飲食店がある。そしてありがたいことかもしれないが、鎌倉で自分の店を出したいという人もかなり多い。商売柄、そういう人たちとも付き合いがある。ただ、正直に言うと、鎌倉で新規開業する飲食店はうまくいかないケースが多い。それは次の理由からだと思う。
まあ、これは鎌倉には限らないことかもしれないが、飲食店の廃業率は高い。実際、小町通りにもしょっちゅう飲食店が新規開店しているけど、ほとんどの店は開業から半年以内に廃業する。まあ、半年ごとに通りの店が入れ替わるので、街歩きに飽きることがないというメリットもあるけど、店側が生き残るのが大変だ。まあ、ありていに言えば鎌倉というマーケットは生き残るのが難しいのだ。そして鎌倉は地価が高い。だから店舗系の家賃は信じられない程高いし、ぼったくりみたいな家賃を設定しているケースも多い。ちなみに私の住んでいる地域にある店舗用物件は家賃が相場の倍する上に、借りる際の条件として必ず1階の店舗スペースと2階の事務所スペースの両方を借りることを条件に付けている。こんなことしても借り手がいるのは、まさに鎌倉という土地だからであろう。当たり前だけど、高い家賃は店の経営を圧迫する。家賃が払えずあえなく撤退というケースも多い。正直、飲食店をする場合、かなり経費が掛かる街が鎌倉だ。
②戦略が間違っている
鎌倉で飲食店を開業する人に多いのが、高級店を作ろうとする人たちだ。相場より高い料金設定の店を経営しようとする。手打ちそばだったり、鎌倉野菜を使ったなんちゃら料理だったりと。ただ、この種の店は大体うまくいかない。鎌倉観光に来ているよその人は物珍しさで入ってくれるかもしれないが、彼らはリピーターにはならない。彼らは観光が終われば、自分たちの街に帰ってしまう。仮にまた鎌倉観光に来ることがあるとしても、鎌倉にはこの種の”高級店”は腐るほどある。だから次来るとしても他の店であることが多い。
ちなみ言うと、鎌倉に住む住民の多くはこういう店に通うことはめったにない。私も鎌倉に長く住んでいるが、よく通う店はマックかケンタッキーだ。地元民からしたら、ただ値段が高い店を普段使いしようとは思わない。鎌倉に住んでいる人間はケチが多い。だからみんなが思っているほど高級店志向ではない。実を言うと、地元の人間は変に高い店ではなく、リーズナブルで通いやすいお店を求めている。ただ、この街で飲食店を開業する人たちはそれをわかっていない。だから、新しいお店は地元の固定客がつかずに廃業するケースが多い。
実を言うと、鎌倉の人は新たに開業した飲食店にあまり興味がない。上記のような事情があるので、自分たちのニーズを満たしていることは期待していない。正直言うと、新規開店した飲食店を見て思うことは、「この店は後何か月持つかな?」というくらいだ。そして対しておいしくもないのに高い店も多いので、通おうとは思わない。余談だが、鎌倉に住んでいると、よく東京に住んでいる友人から「鎌倉でお勧めの店を教えて。」と言われることがあるが、多くの鎌倉民はその種の質問が大嫌いだ。まず、地元の人は鎌倉野菜を使ったなんちゃら料理の店とかには興味がない。だから、鎌倉にお勧めのお店なんてない。正直、私は友人からこの質問投げかけられた時、いつもグーグル先生の協力を得ている。
ムスリムへのハラール給食を提供している/いた学校があることが認識できない人っていうまとめ見てビビった。見事に議論が噛み合ってない。
……それはまだ違憲判決が出てないだけなのでは?
「裁判になるまでは普通にやってて問題になってなかったこと」なんて、いくらでもあるからね。それこそ、親を殺した人を重い刑に処すのなんて、違憲判決が出るまでは当たり前だったわけで。
個人的に、ここで挙げられている横浜市立飯田北いちょう小学校のハラール給食は、憲法違反だと思う。……もしそれが本当にハラールなら。
ハラールは、単に豚肉を避ければよいというものではない。たとえば「特定の生徒の野菜炒めから豚肉を取り除く」だけではダメだ。豚肉と一緒に調理された野菜や、さっきまで豚を調理してたフライパンで炒められた野菜もハラールではないからだ。別々に調理する必要があるし、当然、新規の食器を購入する必要も出てくるだろう(要するに、「ムスリムにとって豚肉とはウンコのようなもの」だと思えばよい。誰も、特殊な趣味の人を除けば、ウンコと一緒に炒められた肉や、さっきまでウンコが乗ってた皿に盛り付けられた料理を食いたくないだろ?)。
あるいは仮に牛や鶏であっても、屠殺はムスリムか啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)によって行わなければならないので、仮に「行政が認めたハラール」なるものがあるとすれば、それはすなわち「行政が、特定の宗教の信者のみを屠殺人として指定している」(あるいは、特定の宗教を持つ屠殺業者のみを選んで契約している)という意味になる。要するに、本当に公立学校でハラール給食を出すなら、仏教徒や無神論者の屠殺業者は入札に参加できないことになる。これは特定の宗教の優遇を禁じた憲法に違反する。行政が給食の契約をするに際して事業者を宗教で選別することは許されない。横浜市民のはてなーはぜひ横浜市立飯田北いちょう小学校の給食に関する行政訴訟を起こしてほしい。
ただし、小学校の給食なので、厳密なハラールではない可能性もある。つまり、普通の野菜炒めから豚肉を取り去って「ハラールですが何か」と言い張っている可能性はある。牛肉や鶏肉も、日本人が屠殺したやつを使ってるのかもしれない。それなら日本国憲法には違反しないので訴訟の必要はないが、それは断じてハラールではないので、ハラールであると嘘をついてムスリムの住民を騙すのはやめるべきだ。
個人的には、ムスリム住民にハラール給食出すくらいは別にいいじゃん、と思うが、市が神社に無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(砂川政教分離訴訟)、琉球王国時代から続く孔子廟に那覇市が無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(孔子廟訴訟)、大規模災害の被災地で寺社仏閣への支援がなかなか行われてこなかったりしてきたわけで、ムスリムだけ公費による優遇OKにするのは不公平感が強くて納得がいかない。土地の無償貸与がダメで、業者を宗教で選別するのはOKなんて通らないでしょ。憲法を改正して「伝統宗教に公序良俗の範囲でカネを出すのはOK」ってことにする以外に解決策がないので、ムスリムの人たちが公教育でのハラール給食を望むなら、ぜひ憲法改正運動に手を貸してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20230422061616
日本海側の田舎町出身者。自転車以外の交通手段がないのはマジで人生経験的にマイナスとしか言えなかったわ。最大のウリである『豊かな自然』にしても、地元民は人生経験上のメリットとらえてないので子供の身で楽しもうとすると全力で止められる。
山登り行きたい→熊が出るぞ(蜂に刺されるぞ、マムシに噛まれるぞ等バリエーションあり)
星を見に行きたい→夜に出歩くなんて非常識だ
的な感じ
•火おこしちょっとできる
•虫怖くない
くらいのメリットがあったくらいだろうか。
(火おこしについては最近は野焼きがうるさいから今の地方の子はあまりやらないだろうな)
大人になって色んな地方出身者に会ったが、大体近い感想持ってると思う。まあ京都に住んでる人が寺社仏閣行かなかったり沖縄住んでる人が海で泳がなかったりみたいなもんで、都会や観光地にも似たような部分はあると思うけども。
地方(人口50万ちょいの県庁所在地)から出てきて京都に10年住んだが、諸事情により先月京都を離れた。
まるまる40代を過ごした京都について、良かったこと、不満だったこととかを書いてみる。
ちなみにお金はない。
良かったところ・好きだった場所:
●電車で近距離移動できて便利。ある程度の規模の都会なら当たり前だろうが、地下鉄もない地元と比較するとめちゃめちゃ良いと思った。
●京都文化博物館フィルムシアター。いつも観客の9割が老人。小さなシアターだが500円で名作が見られるのはありがたかった。特に、勝新の「顔役」、今井正「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」に出会えたのは大きい。地元にいたら見る機会なんてなかっただろうから。溝口健二「噂の女」も面白かったな。
●くまざわ書店四条烏丸店。規模は小さいが、いつもなにかしら面白そうな本があった。くまざわ書店で本を買ったあとは、同じビル内の神戸屋のイートインでパンを食べながら買った本を読んだ。ちなみに神戸屋が気に入っていたわけではなくて、単に近くて便利だっただけ。その神戸屋ももう閉店した。京都市の書店といえば大垣書店がメジャーだが、大垣書店にはあまり行きたいと思わない。どのお店もなんかつまらないと思ってしまうのだ。置いてある本は多分くまざわ書店とたいして変わらないんだろうけど。
●京都府立植物園。人が少ない。入園料が安い。どこに行ってもたいがい人だらけの京都で、のんびりできる貴重な場所だった。今いろいろ揉めているみたいだが。
●メキシコ食堂 オラレ!。ランチのタコライスがすごく好きで、行くたびに今日は違うものを食べよう、と思うのだが、結局タコライスを頼んでしまうのだった。
●市のサイトが古くて見づらい。あと、タイトルが「京都市情報館」となっていて紛らわしい。始めて見たとき、一瞬行政のサイトじゃないのかと思ってしまった。
●ごみ関連その1。越してきてしばらくはダンボールの回収が月1回だったような気がする(うちのマンションの独自ルールだったのかも)。今は月に2回回収があるのでまだマシだが、自分の地元では毎週回収がある。
●ごみ関連その2。粗大ごみの回収依頼が平日電話のみ。京都市規模の自治体で、いまどきこれはないだろう。
●恵文社一乗寺店。20代のころ雑誌で見て、いいなあ京都はこんな店があって、と憧れたものだったが、いざ行ってみると「あれっ」という感じだった。年を重ねて自分の趣味嗜好が変わったんだろう。20代のときに行きたかった。趣味嗜好といえば、同じく20代の頃は寺社仏閣に行くのが好きだったが、せっかく京都に10年も住んでいたのにほとんど訪れることはなかった。
ちなみに、ここでもよく言及されるいわゆる「京都人」について。自分はあまり交友関係が広くないのと、仕事でもいわゆる洛中出身の京都人と接触する機会もなかったので、それほど違和感を覚えたことはなかった。もちろん、いけずを言われて気づいてなかっただけという可能性もあるが、あえて深読みもしなかった。それで良いのではないかと思っている。いけずを言う京都人は、真意を理解できない地方民を見て「これだから田舎者は」と好きなだけ優越感に浸れば良いし、気づかないこちらは何も感じない、そもそも気づいていないのだから。
伝統工芸品、民芸品、郷土玩具を観に行ったり買うことなんだけど。伝統工芸品(実用品)ってね、その地域がどんな場所なのかを反映してて、知ると新しい地図が頭に広がる感覚が生まれて、それで趣味になった。
例えば凧は風が強い地域でよく作られてる。和紙は城下町や寺社仏閣のそばでできてることが多い。焼き物も、城下町のそばとか出荷用の港が近いとか物流ルートが発展に影響してる。馬の餌にするバカでっかいトウモロコシの葉っぱで編んだ履物とかを見ると、馬が運ぶような収穫物があって、細工ができるような農閑期がある内地なのかなって想像するのが楽しい。削り花は雪の中でも飾れる木を削った仏花。雪深い東北の冬に家族を思う気持ちを思う。横浜のシルクと八王子の養蚕の関係とかがわかると、昔の暮らしと地形がマッピングされていく感覚が気持ちいい。名産物は理由もなく名産にはならないんだよね〜。謎解きみたいに理由が現れるのが楽しい!
そして郷土玩具は込められたラブが強い。健康であってくれとか、いっぱいご飯食べてくれとか、大抵は子供のための願いなんだけど、まれに領主が農民の幸せを祈る飯盛人形とか出てきて昔の愛情の幅広さを知る。温泉地・観光地近くのお土産系も面白い。有馬筆、箱根挽物細工、からくりや技工の巧みさで旅の思い出話に花が咲いただろうなと想像する。今よりよっぽど各地が独立文化だった頃の多様な暮らしへの想像が掻き立てられる。
ちなみに私の一番のお気に入りは高知のお座敷文化と尾長鶏と穴の開いたぐい呑。九州とかはたぶん食べ物が豊富すぎて東北みたいに内職してお金になるような細工物をあんまり作らなかったんじゃないかって印象なんだけど、同じく南国の高知はその上を行ってて、細工物を作らないどころかパーティー文化用品が強烈に発展してる感じが大好き。日本海側文化圏出身だから、眩しい!
証拠がない時に言ったらネタだとか嘘だとか言われて悔しい思いをしたのでこの機会を逃せない。
これについて、「漫画表現のせいで現実のスカートめくりが発生した」のはほぼ事実です。これは発端になった漫画を描いた永井豪先生も自分で認めてらっしゃいます。その後「まいっちんぐマチコ先生」でさらに大流行となり、女児被害者が多発、PTAが猛抗議し、連載差し止めになる等大騒ぎになりました。
自分も実体験。マチ子先生流行時子供だった。パンツまで降ろされそうになった。のちにしつこくめくってきた子に「好きだった」と言われた。彼はもう忘れてるだろう。やられた方は一生忘れられない
2023/01/11
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sodium/status/1612993220979621888
ほーらな?
マンガ叩くフェミニストってほんとにマチ子先生の話するんだよ。
あのさあ、
もう立派なおっさんの俺でもまだ生まれてもいねえっつうんだよ。
40年前の少女時代にマチ子先生のせいでスカートめくられたと。
それはご愁傷さまでした!辛かったね!
でもその話を現代のマンガ叩きの根拠にするのは狂気の域だからな?
言ったらなんだけどマチ子先生の流行時代にスカートめくられてた人ってそろそろ還暦だろ。
そんな人の十代の頃の体験って、歴史的出来事として語るんならいいけど
その話で現代の話に普通に接続してこようとするのはやめてくれよ。
俺マジでマチ子先生ってマンガもアニメも見たことないんだよな。
絵とタイトルだけ知ってる。
「マンガの害」を語るフェミニストがマチ子先生例に挙げるのを何度も何度も何度も何度も見たからなんだよ。
マジでマンガ叩きフェミニストはマチ子先生マチ子先生って言う。
けど、現代のマンガを有害だって叩こうとする話で例示がマチ子先生まで遡るんなら
そのあとの40年は大した「有害マンガ」がないってことじゃん。
そんならいまのマンガを敵視して萎縮させようとする必要なくね?
マンガがどうこうじゃなくてマチ子先生が特別有害だった可能性濃いんじゃね???
で、はてブもだけど、
こんなコメントが一位になるってことは星つけてるのも大概中高年~高齢者ってことじゃん?
年長者に対して汚い言葉とか使いたくないから、自分で分別を持ってくれよ。
年取ってても、
けどマンガの思い出で真っ先にマチ子先生出てくる人達はマジで身も心も高齢者でしょ。
40年前に有害なマンガがあったから今のマンガはデータなしで叩いて規制していいのかよ。
なんかもうあんたら、脳の新陳代謝止まってるし現代にもマンガにもあんま興味ないでしょ。ほんとは。
はてなは老害叩きが辛辣な割に自分達の加齢ボケには無自覚すぎるんじゃないの?
こんな人達にあてずっぽうで現代のメディアとか表現とか語られたくないし
こんな人達の体感やお気持ちで表現規制なんかミリでもされたくないんだよ。
これは煽りでもなんでもなく言うけど
寺社巡りとか盆栽とか内向きの精神世界に目を向けたらいいと思うんだよ。
ネットでとんちんかんな社会にもの申す老人やってる奴よりずっと格好いいだろ。
もう社会の話に入ってくるなよ。
40年前の体験の話でいまの話に入ってこられるのいくらなんでもウザいよ。
あんたらだって若かった頃そういう年寄りにうんざりしたはずだろ。
実際なんかしらんけどマンガやアニメ目の敵にしてるの老人ばっかだし
オタクだというだけで凄まじく見苦しい偏見吐いて差別するのも年寄りばっかだし
言ってる話がマジでタイムスリップしてるみたいな時差があって話になんないんだよ。
もう黙っててくれよ頼むから。
んーだから悪影響を与える可能性はないわけではないけど規制は反対なら話が進むのだが、絶対悪影響与えないって言い張るからデータを出されてるだけでしょう。で今度は「現代漫画に悪影響は絶対ない」ですか。
2023/01/12
いやいやいやいやw
「現代のマンガはこのように著しく有害なのです!」ってデータで証明する必要があんの。
当たり前。映画だってドラマだってこの文章だってなんかの影響はあります。
そんな当たり前のこと言って表現規制根拠になると思ってるならそいつがやべーだろ。
「ほんの少しなら影響あるはずだ!」で規制できるなら
頼むよ。
お爺ちゃんかお婆ちゃんかしらねえけど日本語と道理くらい理解して。
A「ワシも十代のころスカートめくりした!」
もうこのお爺ちゃん会話が成立しねえだろ。
そして、この人だけじゃなくこういう状態の人が大勢いませんか?って話な。
houyhnhm うーん、実際どういう感じで影響があったのかがマトモに考えられてないのがなあ。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A そこで発明された訳でもないんだよ。
それな。
そもそも40年前のマチ子先生伝説自体まともに精査されてないんじゃね?
たとえば「単にこいつらの世代が性犯罪に対して甘かっただけ」なのでは?
という可能性についてきちんと調査されて却下されてもないわけじゃん。
あともう一つ「単にこいつらの世代がフィクションと現実の切り分けガバだっただけ」なのでは?説もきちんと検討してほしいよね。
東京卍リベンジャーズがあれだけヒットした後で暴力事件が激増したって話もないわけじゃん。
鬼滅の刃が社会現象になったあと刃物や刃物状のもの使った傷害事件が激増したこともない。
何よりお爺ちゃんお婆ちゃんの体験のような「性犯罪の大流行」が起きたことなんか一度もない。
「実は単に40年前が青春時代だった世代が特別にカスだった」可能性ちゃんと検討した?
その世代が特別に性犯罪に甘くて、特別にフィクションと現実の区別ガバくて、
「自分達がヤバかっただけなのに下の世代に説教して規制しようとしてる」って可能性は?
上で得意気に「ワシもスカートめくったぞ!」つってるお爺ちゃんもだけど、
それを自分の恥部としてんじゃなくて下の世代を殴る鈍器にしてる感じあるじゃん?
なんでお爺ちゃんお婆ちゃんの聖痕「スカートめくり」で下の世代が殴られたり抑圧されたりしなきゃならんのよ。
自分達を総括してろよ。
40代後半のおばちゃんは、実害があった記憶があるけど、その下の世代になるに従って漸減していってる(良くなってる)と思うし、一方で絶滅してる訳でもないのよねと思うのよ、現にこういうクソ増田が絶滅してないから
えっ論理が全くわかんねーんだけど
俺の文章によって性犯罪が絶滅してないと確信するってどゆこと?
「フェミニストを批判するなんてこいつは性犯罪者に違いない!」……ってコト?
こういうレベルの”感覚”で何かを確信する行為って俗語では「受信」とか表現されるよね。
この感じの人が社会について何か発言することの意義がわかんねーんだよな。
あと性犯罪が絶滅する日なんてこねーと思うので(あらゆる種の犯罪がそうだろ)
もしも「性犯罪が絶滅するまで表現規制の必要がある」という規制論者が居るとすれば
それも会話になんないよね。
こういう態度こそが歴史から学ばないってやつか。たかだか40年前を古いと言うのなら、戦時中や戦前に起きた自国の過ちを省みる事なんて到底無理なんじゃなかろうか。
2023/01/12
「40年前に一件そういう事例があれば現代の表現を根拠省略して規制していいんです!」
こういうのは「歴史を大事にしてる長老」っていう表現も違うよね。
「科学的な思考が出来ないのでフィードバックが適切でなく迷信撒き散らすだけの残念な年寄り」 側なんじゃねえの?
要するに自分達の世代独自のぐにゃぐにゃなナラティブで下の世代に話になんねーこと言ってるだけ。
きちんとした議論なんかする気もないんだよこいつらは。
すごいシームレスに反戦左翼イシューになだれ込むところもポイント高いよな。
こういうのゲンブツが無いと「そんなのいない、藁人形論法!」って言われるし
そしてこの古老がそこそこ星とって上位に来るのが
お前等二度と老害叩きで盛り上がったりすんな。
証拠はないが宅八郎とヤンキー漫画は実社会に悪影響及ぼした、証拠はないが性差別表現には一切悪影響はない、がオタク村の常識なんだけど論理的思考が苦手な一般人にはこれちょっと難しんだよなろんりてきに。
ヤベエまた訳わかんねえ皴皴反論だ
宅八郎って誰?ってWikipediaで調べるとオタクの戯画化的な格好でテレビに出て活躍したライターで全盛期は33年前。
数年前に亡くなってて生きてたら60歳。
だからさあ
現代の話だっつってるのにナチュラルにアラ還タイムスケールでレスしてくんのやめてくれよ!
30年以上前の人の話で当て擦りされてもわっかんねーんだよ!
さんざん「あんたらの時間感覚は狂ってる」って話をしたのに、生きてたら還暦の人の33年前の全盛期のネタで反論風の何かをしてくるの凄すぎるだろ。
ねえ、これ見てる人達も客観的に少しは気付かないか?自覚のない高齢化と時間感覚の解離がヤバすぎるだろこの村。
当時の証言者です「スカートめくり」も流行ってたし「ボインタッチ」はそれ以上に流行ってた。アニメ放送してた時期に被害集中。クラス中の男子がやってた。やめろ言うてもやめないんだよ猿だから。あまりにも胸糞 被害がなかったことに されてるのはスカート と違い成長期で胸の 大きくなり始めた子 だけに被害が集中する 構造だから。 普通に犯罪なんよ
俺の話聞いてた?
「40年前当時スカートめくりの流行などなかった!捏造だ!」的なこと1ミリも言ってないと思うんだが
これが1位に押し上げられるの
A「あなた達の40年前の体験談はいいけどそんなんで現代に規制かけようとするのはやめて」
B「当時を知る証言者です!スカートめくりはありました!犯罪なんです!」
B'「うおおおお!ハルモニが生き証人だ!歴史修正はさせない!!☆☆☆!!!」
年齢層高いとはいえここまでコミュニケーション不能とは思わなかったわ
正直まだまだ見くびってた
そもそも、国宝みたいなものより人権の方が大事なのは当たり前だよね。
国宝とかナショナリズムを高揚させるのが目的だしないほうが良い。
国宝とかああいうのって昔に作られた物ばっかりだよね。武士とか武力で人民から富を巻き上げたのは明らか。
農民が貧しい暮らしをしているのか自分たちは巻き上げた金で豪奢な鎧や刀など軍国主義的なものを作ってたんだから壊したほうがいい。
寺は女は解脱しないとか言ってるし、反フェミなのは明らか。それにあの世とかいう存在しないもので金を巻き上げたカルト教団。統一教会と一緒。
朝廷は天皇制が前提なのでだめに決まっている。天皇制とか家父長制度の権化だしね。
はてなのバカどもは国宝なんて全部メルカリで売ってその金をcolaboなどの今生きてる女性を大切にする団体の資金にするほうがずっと良い事に気づくべき。