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2021-06-17

米国西海岸リベラリズムとはどういうものか?をわかりやす

日本リベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸リベラリズム
これが一体どういうものか?と日本リベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。

ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。
これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。
から恥ずべきことは何もないのだ。

しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。
このエントリではそんな北米西海岸一般人理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。

3つの重要な決まりごと

米国西海岸リベラリストは総じて3つのまりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考える傾向がある。その決まりごととは以下の通りだ。

個人選択尊重

日本リベラリストにも理解やすお題目だ。
読んで字のごとく個人個人選択尊重し、その選択を極力妨害しないようにしようというもの

米国西海岸リベラリストの1派としてカテゴライズされがちな米国西海岸フェミニズムへも強く影響しており、日本フェミニズムも同様に強く影響し、これを失えばリベラルと名乗れ無くなるほど重要ものだ。

自己研鑽奨励

自己研鑽文化

最も日本人が理解しにくい部分、それが米国西海岸というよりかは米国全体が共有する自己研鑽奨励という文化だ。

自己研鑽については右も左も関係がなく、何なら米国内の共産主義者だろうがカルト宗教信者だろうが陰謀論者だろうが自己研鑽奨励については絶賛する。
日本は「恥の文化」などと称されるが、それに並び立て比較できるほど米国は「自己研鑽文化」なのである
この「自己研鑽奨励」という文化理解しなければ米国発の文化思想は何1つ理解できないと言って良いレベルのものと言って過言ではない。

最近日本では「努力教」などと言って不合理な努力をしたり、努力社会的圧力により強制されたりすることを嘲笑する向きがあるだろう。
意味がなく不合理な努力を続けるなんて非生産的であるし、私もまた同じ様に感じる。

しかし、米国自己研鑽努力をすることへ対して歩みを止めてはならない文化なのだ
まり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力しろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。

例えば日本労働者の一部には「KPI」という言葉アレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽努力教臭いを感じないだろうか?

マッチョイズム

ステレオタイプ米国人のイメージにあるマッチョイズムも結局はこの自己研鑽奨励という米国文化が元になっているのだ。

まり米国には右派マッチョイズムや左派マッチョイズム、共産主義者マッチョイズム、カルト宗教信者マッチョイズム、陰謀論者のマッチョイズム、様々な思想に合わせたマッチョイズムがあって自己研鑽をしないという選択肢がない。

もし米国内で自己研鑽を辞めてしまった場合どうなるか?
それはつまり米国社会からドロップアウトしたものとして理解されてしまう。

日本国内で恥を捨てた者が問答無用迷惑がられるように、米国国内では自己研鑽を捨てた者は迷惑で厄介な存在問答無用評価される。

ホームレス

様々な方面から米国西海岸ホームレスについての情報へ触れることがあるだろう。
そして決まってこのような表現が出現する。

米国西海岸金持ちホームレス無視している」

これは事実だ。ただし付け加えるのであれば金持ちがではなくホームレスではない下層民を含めた米国西海岸住民のほぼ全てがホームレス無視していると言って良い。
ここまで説明を読めば、この言葉だけで納得してもらえるはずだ。

ホームレス自己研鑽を辞めた者として評価されている」

自己研鑽のための環境

まれない者の自己研鑽

ホームレス自己研鑽を辞めた者だからと言っても、ホームレスだって子供は居るだろうし将来を担う子供を親の事情に巻き込むなんて米国だけでなく人間社会としておかしいだろう!

こういう指摘へ対し米国西海岸リベラリズムでは「環境により自己研鑽という行為不可能な者には自己研鑽可能環境を用意する」という方法解決手段として選択している。

例えば「米国では入学試験の点数が良いアジア人よりも白人黒人優遇して白人黒人合格にしている」と聞いたことはないだろうか?
これが自己研鑽のための環境を用意する米国西海岸リベラリズムの影響を受けた公正的な入学試験システムなのだ
私自身も少々理解に窮するが白人黒人アジア人よりも試験の点数を獲得できる環境に恵まれなかったという判定らしい。
意味不明だ、良い点数を獲得したアジア人自己研鑽評価は何処へ行った?と完全に理解できない日本人も多いだろうが、米国では上記のような解釈になっているので文句を言っても仕方がない。

ホームレスの子供へも同様に米国西海岸リベラリズム自己研鑽するための環境、例えば学費無償化やフードチケット(食料配給券)の配布などが貧困家庭の子供の権利として提唱されている(保障されているかどうかは州法・州制度による)。
貧困家庭の子供はこれらの制度を利用して生活自己研鑽するための時間を獲得することが望まれているのだ。

ちなみに一応言っておくが、自己研鑽できない者が自己研鑽をしないという選択肢は米国西海岸リベラリズムには用意されていない。
個人選択尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人選択として自己研鑽しないような者に与えられるもの米国西海岸リベラリズムには何もない。

環境構築というチキンレース

米国西海岸社会保障政策は総じて自己研鑽するための環境を用意するという価値観で行われていることが多い。

例えばベーシックインカムなんかもこの部類の政策解釈されていて、プライベート時間が増えることで自己研鑽するための時間が増えて収入も上がり生活が向上すると米国人はマジで考えている。
根底にあるのが自己研鑽なので、もし自己研鑽しないものが居ればそれは制度へのフリーライドだと非難を浴びる結果となるだろう。
欧米リスペクトベーシックインカムを望んでいる人は米国西海岸方式だとプライベート時間も走り続けることが前提にあることを認識した方が良い。

これまでの説明を前提にすると犯罪者の釈放や$950以下は微罪扱い、死刑廃止なども理解できてくるだろう。
そして日本人の感覚では自己研鑽のための環境構築という政策チキンレースが始まってしまっていることも理解できるのではないか

米国西海岸一般人リベラリズムとはこのような解釈だし、これを知って日本一般人の皆がどう感じるか楽しみではある。

三島由紀夫vs東大全共闘感想

ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消しま

東大全共闘三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeTBSが上げてるやつはもっとコンパクト

まず、三島議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的性的衝動というよりも衰弱したもの無気力ものを指している。他者オブジェとして捉え、他者予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。

文脈的に良いかいかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉

他者物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生共感ポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。

つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにの世界と関わろうと願っていた」と言う。

この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。

振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるとき自分が「本来自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界コントロール不可能であることも常にストレスだ。電車ダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレス根底にあるのは「自分世界フィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。

エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)

インターネットを見ていると昨今は「思想トレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想トレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。

つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種差別用語、下手にフラット思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。

しか三島はそれを良しとしなかった。

三島曰くこうした猥褻世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である

「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立他者というものイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」

三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。

そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しか三島自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界関係を持った。

ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的ものではないということをあの場で三島けが知っていたからだ。三島自分思想作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴス披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)

右翼左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動他者必要としないので自己完結で終わる。

脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的実在社会的関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのとき全共闘言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから

右翼左翼本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。

これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。

論理が無力だとは決して言わない、しか論理は使い手に媚びる性質があるのだ。

三島は途中、珍しく自分ノスタルジー全開で天皇腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分いかに立派に見えたか三島は強調しており、またそれが個人的経験であることも認めている。

三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。

三島保守ポジションに立つのは「意地」のせいであり、

それは自分個人的体験世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。

その意地>論理という三島イデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。

「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」

このとき東大学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。

ここで東大学生はこの日の討論における自分たちの勝利三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。

しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。

テン年代では没落していたひろゆきが今、ネット神様から論破神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル

この「判断放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者物体化」「エロティシズム」にほかならない。

彼を崇拝する現代ネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。

ひろゆき曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。

伊藤計劃ハーモニーから引用する。

「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」

ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。

しか三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。

ひろゆき批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。

論理的には正しいかもしれないんだけど…

この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的説明する人間がいてもおかしくない。

多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。

ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから論破」において強く見えるんだと思う。しか論破目的化してその先がないのだ。

ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから

ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆき提案する通りに世界運営してみたら、きっとそこに残るのは論理服従した人間たちの何もない荒野だろう。

全共闘との議論最後

「それで(三島全共闘と)共闘するんですか」

と聞かれた三島はきわめて朗らかにこう答えた。

「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘拒否します」

イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島学生たちの間にはあったのだと思う。

三島個人昭和という時代に生まれ天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅思想」だとは思えないのだ。

2021-06-16

anond:20210616180952

立憲は分かりやす与党アンチニッチ需要で上手いこと票集めしてるだけで、中身をみたら野党第一党すら分不相応だと思うよ。

正直、反自民人達がなんで立憲を擁立しようとするのかが分からない。

はてなで見かける立憲支持者らしき人達ほとんどが自民よりマシと言うだけで立憲の魅力は語ってくれないし。

野党第一党から? まあ、自民に対抗できるなら何でも良いって考えならそれもアリなのかもしれないけどさぁ。結局、中身が伴ってないと国民の多数の支持を得て与党になるのは不可能でしょ。

本気で反自民を望む人達は、今一度、どこの党を自民の対抗馬として擁立するか考え直した方が良いんじゃないかなぁと、たまに思う。

[] ファーザー

主人公認知症映画

かつて「病気の中でも精神病気は別格だ。他の病気なら、手足が動かなくなっても、内臓を摘出されても、自分自分のままだが、精神の病では、自分自分でなくなってしまう」

という文章を読んだことがあります。(うろ覚え

また、主人公の「自分自分でなくなってしまう」という変容の恐怖を描いたホラー小説もあります。(朝松健には統合失調症の症状をモデルにしたと思しき小説複数あります


時計を盗まれた、と主張し、盗まれていなかったことが客観的証明されたのに、誤った考えを訂正させるのが不可能である、というシークエンスのように、明らかに妄想であるとわかる客観的描写があり、身近に老年性の認知症の人がいる人にとっては「あるある」描写も多く、本作は真面目なーいわゆる社会派のー映画です。

しかし、メインは認知症患者主観を中心に描いているので自分が狂ってしまう恐怖を味わうことができる、ホラー映画の側面も持っています

まじめ過ぎないー学術的正確さを優先していないーので主人公アンソニーのアクトが面白いんですよね。

実際の認知症の症状はもっと陳腐でつまらないものなんですが。

老人だから考え方を変えることは不可能だろう

…それって生きてる意味、ある?

立憲民主党が何なのか?ようやく自分の中で腑に落ちた

重要施設周辺の土地利用規制法案参議院内閣委員会で可決され、本会議でも可決の見込みであるという。

ホッとしたが、同時に、野党が望む思想信条自由プライバシー権利などを侵害しないよう十分な配慮を求める付帯決議も可決されているので

何故?立憲民主党がこの法案に反対するのかが全く理解できてない。共産党破防法適用テロ組織なんでそんなものだろう。

これだけではなくて、立憲民主党はこれまで安倍政権提案された国防上の重要法案に、今では外交上でも骨格のメインフレームをなしてる新安保法案ですらも反対してきている。

それも国会外でどんちゃん騒ぎしたり、戦争法案だの徴兵制が復活するだの戦争する国になるだのと、今から見ると笑うしかない難癖をつけたり女の壁とかを駆使して議論を阻害したりと、なんでもありでやってきてる。

この理解しがたい行動の気持ち悪さを、どう評価して飲み込めばいいのか?全く分からなかった。

曰く、売国奴反日親中韓、あるいはただの無能、どれもしっくりこない。

枝野幸男中間層を含めて疲弊している国民生活を支えるために、一つには年収1000万円程度の方までは実質免除となる大胆な規模で、時限的な所得税減税を断行します。二つ目に、こうした効果が十分に及ばない低所得の皆さんには、消費税5%の負担に相当する額以上を現金給付します。」

でも、これを見て腑に落ちるものがあった。

「あ、こいつらは、当事者意識皆無のアマチュア集団なんだな」って。

仮に俺が財政を預かる立場であれば、現在の収支と今後10スパンの収支の予測を踏まえて、今日政府財政出動できる余地がどれほどあるか?をベースに何ができるかを計算する。

ただの素人しかない国民であっても、もう20年もすれば医療支出が76兆円になっている。その時のGDPが800兆円以上になっていなければ、現在GDP医療費の割合を維持できない。

すなわち財政崩壊するという事が理解できる。それを踏まえた上での、高齢者負担の増額の決定や、消費税増税のはず。

財政を見て何が今できるのか?を計算する事なく、現実を見ないで、所得税実質免除なんて言えるのは、当事者ではない子供の発想なのだ

自民党のやることが全て良い訳ではないけど、それでも何故必要かってのは考えてみると納得できることが多いし、安保法案やらテロなど対策法案自由で開かれたインド太平洋など、判断合理性を見出せる事も多い。

説明しても国民が正しさを理解できなくても、時にはワクチン購入やTPPみたいに押し切って、結果で正解だった事を示されれば次はもっと我々も考えないとと思うし、そういう時はやはりプロだなとも思う。だが(立憲)民主党は違った。

立憲民主党が何者か?適切な言葉自分の中になくて気持ち悪かったけど、立憲民主党とは責任とは無縁のアマチュアであると思えば、全てが腑に落ちる。

政権なんて任せるには足らない。その意志覚悟もない。学校生徒会みたいなものだ。

続報

立憲民主、消費減税で迷走 代表明言も「公約ではない」

https://www.asahi.com/articles/ASP6J67GNP6JUTFK026.html?iref=sp_new_news_list_n

福山哲郎幹事長は16日の会見で「実現不可能可能性が高いのに、選挙公約にはできない」と述べた。

ほんと、おままごと政党ですことw

何の証拠もない安倍元首相モリカケ批判汚職認定なんかよりも、目の前に見えてるこの無責任の方が恐ろしい

とてもじゃないが、自分人生に強く影響が及ぶであろう政権運営を任せたいとは思えないほど無能

話題の「チートスレイヤー」がつまらない理由

月刊ドラゴンエイジ7月号(2021年)より始まった異世界転生者殺し-チートスレイヤー-(原作河本ほむら作画山口アキ)という作品炎上している。

有名な小説作品作品の登場キャラクターパロディしたと思われるキャラクターを悪役として登場させているからだ。

そしてそのうちの一人のキャラクターに残虐な行いをさせた。

その作品ファンは愚かアンチでさえ「そのキャラはそんなことしねーよ!」とブチギレるほどの雑なパロディであり、炎上するのは至極当然のように思えるし、この作品の大きな問題点と言えるだろう。

しかし、この作品にはそれ以上ともいえる致命的な問題がある。

それは、単純にこの話が面白くないという問題だ。

面白くない理由は多数あげられるが、読者が主人公の行動に納得できないことが主たる要因であるように見える。

以下にそのあたりについて解説を試みたい。

動機がわからない

物語を動かすうえで重要なのが「主人公はなぜそういうことをするのか」という動機の部分だ。三幕構成の本などでは「欲求」と表されることが多い。

例えば「死にたくない」という欲求があるからキャラクターは死なないための行動をとろうとするのだ。

主人公は村を焼かれ幼馴染を転生者に屍姦され、自身も殺されかけるなど復讐を決意する動機は十分に見える。

しかし、主人公は憎いとは思ってはいものの転生者には勝てるわけがないという理由でその思いを押し殺している。よりいうと諦めてしまっている。

まり復讐は強い動機としては駆動していない。

さらによくわからなくさせるのが魔女の転生者なんて所詮陰キャなんだから殺せる、という主張だ。

いくら転生者がチートな強さを持ってても中身は並みの人間なのだからいくらでも付け入るスキはある、という意味合いならまだわからなくもない。

しかしその後主人公が転生者にキレて「後悔するぞ陰キャ野郎」と言ったら転生者がフリーズした。

「中身は陰キャなんだから付け入るスキはある」と言われて「陰キャと言えば転生者はフリーズする」とは普通は考えないだろう。

また魔女は転生者たちが陰キャでありゴミであることを強調し「殺せるんだよワクワクしないか」と言っている。

この言葉によって触発され主人公が動いたようにぱっと見では見えるので、村を焼いて皆殺しにして屍姦することよりも、前世陰キャであることのほうがより許しがたい罪であるかのようにも見えてしまう。

こうして主人公が転生者を殺そうとする動機が、復讐からなのか転生者が陰キャからなのかよくわからなくなってしまっているのだ。

こうなると読者は主人公共感できない。なぜ復讐するのかがよくわからいからだ。

納得できない動機から繰り出される行動を肯定することは、読者にはできないのである

・転生者は本当に主人公がどんな手を尽くしても倒せないような敵なのか?

一話において、転生者の強さというのを感じるシーンがほとんどない。

主人公が正面から挑んでも100%倒される、とは言われてはいる。しかし、言われてるだけで、読者が実感できるようなシーンはない。

なぜなら、転生者がチートスキルを使って戦うシーンもなければ、主人公の強さがわかるシーンもないからだ。

転生者の身体能力の高さを示したのは主人公に瞬間的に近づいて首を絞めたシーンだけ。

これだけで「転生者相手武力で挑んでも絶対に勝てない」と読者が認識するのはちょっと難しい。

そのため「魔女の助力を借りて復讐する」という行動を選ばなければならない妥当性が読者にはさっぱりわからないのだ。

読者がこの手段は適切なのか?と疑問をいだいたままだとその後の主人公の行動を肯定できなくなってしまう。

手段が正しいかどうかわからないのだから、その手段を用いた行動もまた正しいものとは見れなくなるのだ。

また、転生者には絶対勝てないからと主人公復讐を諦めてることも、読者からすれば本当に不可能なほど実力差があるのかはわからないので、勝てないと勝手に決めつけて復讐をしようと思わないヘタレしか見えないのも大きな問題だ。

主人公復讐を決意する過程が雑

主人公魔女と問答しているとき復讐に対して消極的な態度に終始した。

主人公復讐積極的にやろうとしない理由を、転生者には勝てないからだとしていた。

まり主人公復讐を決意するためには、このやらない理由を取り除いてやる必要がある。

すなわち、主人公が転生者に勝てるという確信、もしくは勝てるかもしれないと希望をいだけるようななにかがなければならない。

では一連のシークエンス主人公はどういう経緯で復讐を決意するのか。

主人公は転生者に勝てるはずがないという前提で転生者の前に立ち、殺されそうになり、転生者との問答の結果「(転生者は)俺たちの命や尊厳なんてないと思ってる」と確信して、突然キレるのだ。

この過程をどう読んでも、主人公が転生者に勝てると確信をする、もしくは勝てる希望がほんの少しでも生まれる、と感じられるようなものではない。

にもかかわらず主人公復讐をするという決断をしたのだ。

これは読んでる方としては相当突飛に映る。

この一連のシークエンス主人公の変化・成長について読者の納得がいかないと、敵を倒す次のシークエンス茶番に見えてしまう。

そうなるとどんな手段で敵を倒そうと、読者がそれに盛り上がることはない。

興味のないボクサー同士の対戦を見ても何の興味もわかないし結果に一喜一憂することがないのと同じだ。

終わりに

以上、三点について解説を試みた。

よく創作指南では「読者が共感するキャラクターにしなさい」と言われることが多い。

これは多くの場合「読者が主人公の行動に納得できるように、その行動をする根拠提示しなさい」といいかえることができる。

例えば本作の場合主人公クラス村が焼かれ、皆殺しにされ、幼馴染が屍姦されることで、主人公に転生者への恨みを持たせようとしている。

転生者はチートがあって勝てないから、魔女という倒せる手段を登場させる。

それでも復讐を渋る主人公に、転生者が鬼畜であることを知らしめて決意させる。

といったことをやらせようとしてるのは見て取れる。

しかし読者の印象として、この主人公はそれで復讐を決意するキャラクターとはなっていない。

村焼き皆殺し幼馴染屍姦レイプですら相手復讐してやりたいとは主人公は思わなかったし、魔女の「陰キャから殺せる」も現世でチート持ってることへの具体的な対抗手段ではないし、そのことに主人公勇気づけられてもいない。

転生者に現地人を尊重するつもりがないというのも、村焼き皆殺し屍姦レイプしてる時点でそんなことは既に分かり切った話であって、改めてそれを主人公に知らせたところでそれは主人公も知ってることなので、復讐を決意させる動機としてはとても弱い。

にもかかわらず復讐を決意した主人公を見た読者側は、主人公の行動に理解ができず主人公への困惑、恐怖、嫌悪感を覚える。

こうなるともう読者は主人公のやることなすことすべてに否定的見方しかできなくなってしまう。

そうなったら読者の心に沸き上がる感想は一つしかない。

「この話はつまらない」だ。

2021-06-15

好きなことで生きていくのは不可能

じゃあその逆を行って嫌いなことで生きていけるんですか?

anond:20210615114609

犯罪⇨誰がどうやっても(資格などを除けば)犯罪

セクハラ⇨誰がやるかに依存する場合がある

でしょ

ハラスメントってのは受け手意識に依るのに対し、犯罪行為のもの問題になるよね

窃盗は誰がやったって犯罪だけど、「彼氏いるの?」は職場の30歳上のおじさんが聞かれるか好意を寄せている相手に書かれるかでセクハラか否かは変わる

その点で「彼氏いるの?」が潜在的問題を抱えている発言だとは認めるけど、未来の状況まで完全に考慮に入れた発言をするなんて不可能 その時点で判断するのは仕方ない

どっかのレズ作家が、外国で起きた未成年搾取事件を引き合いに出して「真剣交際なら成人するまで待てという話があるが、グルーミングされていたらそんなの関係ねぇ」みたいな話をしててさ

何が正しい性愛なのか俺には分からないけどさ、14歳の子供へ結ばれたいって思うのは、俺は脳がバグってるとは思うわけ。ただそれと同じように、同性の相手に向かって結ばれたいって思うのも脳がバグってると思うわけよ。俺は。俺が個人的に。

でも、それが本当にバグってるかなんて、同じ人間の俺には判断できないわけよ。俺の脳がバグってる可能性があるわけだから。だから何に対して好意を持つかなんて、そのことについては特にジャッジできないと思ってるわけ。なので、そのことについては公におかしいとは言わないし、俺の内心より外へはできる限り持ち出そうとは思わないわけ。

一方で現実的な話として、14歳相手と子を成すのは無茶だと思うわけ。相手父親だとしても母親だとしても、精神的にも肉体的にも人を育てることに耐えられると思えない。そこでせめての線引きとして結婚可能な成人としての年齢設定があると思うわけ。せめての線引きとして。それが本当に正しいか、全人類一律に適用できるかは知らないよ。

と言う考えから真剣交際なら相手が成人するまで待て」というのは、せめての線引きとして許容されるところじゃないのかなぁ、と思うわけよ。そうじゃなければ、それじゃお前の同性愛もまたバグってるのかあるいは真実の愛なのかって話になるのよ。

パートナーとの関係が不当な物かどうかとは、ひとまずは直接関係ないと思うわけ。直接関係あるみたいな話になると、それこそ大量のセクシャルマイノリティが不幸になって終わるだけの未来になりかねんよ。

もっと乱暴なことを言おうとすれば、男女の経済格差(賃金格差)が存在する国で、男女間の正当な恋愛の結果としての結婚不可能では? 女性は仕方なしに不本意恋愛結婚を選んでいるのでは? みたいな論じ方になるじゃん? それでいいならそれでいいけどよ。

都合良く、手前の同性愛は訴える一方で、建前だけでも世界流儀に従った合法年の差婚ケチ付けてんじゃねぇよ。

ホモエイズみたいな雑な決めつけをしないのが現代人間じゃないんですかね。年齢差があるだけで性加害者だみたいな決めつけと何が違うんですかね。

anond:20210614204907

家出男子なんてTwitterで募っても宿主見つけることなんてまず不可能じゃん

ヒモになるには男より女のほうが遥かにイージー

2021-06-14

マイナポータルで全く責任を取らずにケツを捲ったベンダー

anond:20210611202929

何故お役所ってオワコンIEが大好きなの?

https://comemo.nikkei.com/n/n1c9103c81c79

もともとマイナポータル日本代表するITベンダー通信キャリアの3社が開発したんだけど、大臣からの叱責を受け「ちゃんお金を払うから直してよ」って見積もり依頼したところ「無理です。電子申請にはActive XかJavaを使うのが常識で、それを簡単にするなんてことは技術的に不可能です」と逃げ出されてしまった。国際的通信網を運用したり、世界一スパコンを組み上げるよりはずっと簡単なはずで、大臣の手厚いサポートで億単位予算を用意したにも関わらず本当にケツを捲られた。これは役所調達としては極めて珍しいことで、自分たちが納品したシステム調達仕様書に定めた要件を実現できず、それが社会問題となって新聞に大きく載り、大臣が直接叱責するほどの大事件となって、それでも全く責任を取らずにケツを捲るというのは、日本代表する一流企業公共営業部隊が常識的にはやることではない。

たまたま並行して給付金オンライン申請世間をお騒がせした「ぴったりサービス」の開発が走っていて、そちらでも同じ課題に直面することが分かっていたので、担当している別の日本代表するSIベンダーさんと相談したところ「全く技術的な見通しは立たないんですけれども、やり方を一緒に考えてくれるのであれば何とかしましょう」と引き受けて下さったことで、何とか開発をスタートすることができた。

マイナンバー中枢システムNTTコムなど「大手5社連合」が異例の落札、114億円で

https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20140331/547394/

NTTコミュニケーションズ代表とし、ほかにNTTデータ富士通NEC日立製作所が参加するコンソーシアムが落札した。

マイナンバー制度を支えるシステム

https://www.fujitsu.com/jp/documents/about/resources/publications/magazine/backnumber/vol68-4/paper03.pdf

マイナポータルは、マイナンバーカードを保有する国民外国人住民利用者向け行政サービスとして位置付けられている。富士通代表者とする国内ベンダー3社のコンソーシアムが、2014年12月から開発に着手している。

2018年3月内閣官房様 | NTTデータ

https://www.nttdata.com/jp/ja/case/2018/032801/

行政機関が保有する自身個人情報の閲覧や、行政機関等から送信されるお知らせの確認などが行えるポータルサイト「マイナポータル」の運用2017年1月よりスタートした。このマイナポータルにおいて同年7月より提供開始されているのが、電子申請サービス「ぴったりサービスである

携帯を2ヶ月連続で割った

ドコモキャリア保証に入っていたので4000円~8000円で交換してもらったのでメモ

Galaxy Note10+ですが、最初B級品の在庫が有るとされ4000円程度で交換してもらいましたがこれには画面保護フィルムが貼ってありませんでした。

予約して買った際は貼ってあったので少し驚きましたが再生品だしそんなもんだろうと納得しました。

で、翌月また不注意で(しかも同じような事故)で割りまた保証申請を出しました。

今回はB級品の在庫が無く普通再生しかくそれを申請しました。

それで交換品が着たのですが、それにはなんと画面保護フィルムが貼ってありました。

正直この機種は画面保護フィルムを貼るのは曲面が付いているので難易度が高く(ガラス製は色々難点が有るので敬遠)

最初B級品の際はわざわざ古い機種のフィルムも置いてある遠い量販店の貼り付けサービスを利用したので色々込みで考えるとあまりB級品を選ぶ値段的メリットが無かったと感じる訳です。

因みに割った理由Android Auto使用していて鞄に入れたまま接続し、抜くのを忘れて降り車の枠に当たった為です。

コンクリートに何度か落としても保護してくれたバンパーケースを使ってましたがこの手には無力ですね。

取りあえず鞄の中に入れたまま接続出来ないようにケーブルを短くする対策を取りましたが早くAndroid Autoワイヤレス日本でも使えるようにならないものか。

あともう1年弱は交換不可能なので大切に使わないと。修理は色々データ移行が面倒なので。

anond:20210614165415

リスト化?うちはワクチンなんて接種しません!って国はどこにもないかリスト化なんて不可能

あるなら名前挙げて?

anond:20210614134831

問題点

中華人民共和国から融資を受けても、財政健全性や透明性といったガバナンスコンプライアンスが無いために、莫大な債務発展途上国が負わされて、土地を代わりに取り上げられることが問題になっている[139][140]。

マレーシアは、中国国営企業から受けた融資国営ファンドに利用された可能性[141]と、過剰なコスト問題から鉄道建設事業を中断した(のちに再開)[142]。

パキスタンは、2015年中国世界披露する一帯一路象徴プロジェクトとして始まった620億ドル規模の事業に、公的資金が投入されなければ継続不可能な莫大な借金をきたして、国際通貨基金IMF)やサウジアラビアなどにも財政支援要請することとなった[143]。また構想以前の2013年1月にはグワーダル港の操業権を中国に譲って海上輸送要衝となっているが、インド胡錦濤時代真珠の首飾り戦略から中国によるインド洋に面する港湾軍事利用を警戒していた[要出典]。

スリランカは、建設費のほとんどを中国から融資を受け完成させたインフラ赤字が続き、中国への11億2000万ドル借金帳消しの条件で、2017年12月株式の70%を引き渡して、南部のハンバントタ港に99年間の港湾運営権を中国企業に譲渡する事態に追い込まれた[要出典]。獲得した港の軍事目的での利用が指摘されている[要出典]。

ミャンマー港湾事業も、中国軍事目的が疑われる事例として指摘されている[要出典]。『ウォールストリート・ジャーナル』紙は、中国の大規模な資金支援で、ラオスモルディブモンゴルモンテネグロジブチが大規模な負債の返済リスクに直面している状態だと報道している[要出典]。

キルギス場合一帯一路のために国債国内総生産GDP)の割合が62%から78%に、さら中国人民解放軍がジブチ保障基地を置くジブチは82%で91%に急騰と推定した[要出典]。これらの問題の背景として、建設中のインフラは完成した後に中国に返済義務化されているが、事業採算性を判断する能力ノウハウが不足している途上国は、負債が積み重なっている事がある[要出典]。

韓国紙国民日報』によると、中国利益優先主義が背後にあることによって、中国銀行から事業融資契約をしなければならないため透明性がなく、施工まで中国企業が行うために、中国ますます借金を負う仕組みになっている[要出典]。中国国営の『環球時報』に名指しで批判されたインド戦略研究家ブレーマ・チェラニー(英語版)は、スリランカ中国に背負わされた負担を過小にしていること、日本によるプロジェクト金利は0.5%なのに対して一帯一路など中国人によるものは6.3%もするスリランカの例を上げて、一帯一路は「借金漬け外交」と指摘している[144][145][146][147]。

anond:20210613232756

言ってることは理解するけど、それはVに限ったことじゃないだろ。

どんなジャンルでも初々しさなんてものは持続不可能なんだよ。

それから人気が出たやつは必ず視聴者の最小公倍数的な需要を満たすようになり

つまんなくなるんだよ。例外なく。

生身のYouTuberだって100万人登録以上の人気配信者は大味でつまらないだろ。

お前の好きなVコンテンツ劣化したんじゃなくて、それがコンテンツ宿命なんだよ

呪術廻戦の話題

Twitterみたいなネット表層のオタ系コミュニティーで月曜になるたびに盛り上がり、ネット底辺にあるオタネサイトでは変なアンチ粘着しているのを見て、その陽と陰のコントラストに「いやぁすっかり呪術も人気作だなぁ!」と古参面してうんうん頷く確実にキモい類のオタク自分の中にいる。

なんだろう、このアンチの湧き具合すらも人気の指標に感じる受け取り方がネットに毒されている感じがして、自分でも凄く気持ち悪い。

いやでも、この荒んだネットの海で「好きな作品が叩かれて悲しいよぉ、ぴえん」みたいなピュアさを維持するのは不可能だよな。

2021-06-13

anond:20210613160404

うそう 大豆製品チーズ・肉・マヨ)の発展がここ2~3年でいちじるしい

とはいえまだまだドイツ台湾インドに比べると後進国だけど、

それでもこんなニッチ産業に十分な生活オプションが得られるのはありがたい

普通スーパーで買えるものは99%不可能から、ほぼ通販になってしまうのが苦行ではあるけどね

射精コントロールしてくる風俗嬢

最初は偶然だろうと思っていた。

男には射精する直前の、もっと気持ちがいい数秒間がある。

発射寸前の数秒間、射精のものを除けばもっと気持ちいい

その快感時間コントロールすることな不可能だと思っていた。

 

フェラをされていて気持ちがいい最初フェーズがあって、

それを過ぎると中だるみするフェーズがある。

気の利いた風俗嬢はそこで一旦フェラを切り上げるなり、

フェラをしながら他を責めるなりする。

私は早漏ではないので射精までの道のりはそこそこ長い。

もちろん弱点があるのでテクのある風俗嬢なら秒で射精させることは可能だ。

しかし、テクのある風俗嬢ほど仕事ができる風俗嬢で充分に客を楽しませるために秒で射精なんてさせない。

とはいえプレイが進行していきいよいよ発射寸前の数秒間

男は射精するまでのあいだに、もっと気持ちがいい数秒間がある。

 

いきそういきそうと男が悶だした後に訪れる無言になる瞬間、本当にいきそうになってる時間だ。

概ね、十分に楽しめたときほどその時間は長くなる傾向にはある。

一人でオナニーをして、ササッと出すものを出しておこうなどというお茶漬け射精ではその時間は短い。

反対にスーパー風俗嬢がじっくりと時間をかけて射精に導いていくれる場合にはその時間は長くなる。

しかし、その時間コントロールする技など存在するものとは想像もしてなかった。

結局は射精に関する本当に大事なことは射精者の身体と心に依存するのだと信じていた。

しかし、そこを管理してくる強者存在する。

もう発射するはずなのに発射しない。

まるで永遠に続く文化祭の準備のように。

最初は偶然だと思っていた。

でもそれは偶然ではなく必然だった。

彼女はそのコントロールであっというまにナンバーになり、

そしてあっという間に姿を消した。

2021-06-12

anond:20210612214212

Uberは在宅不可能じゃろ

 

住居費をいくらに設定するかで在宅できるかどうかが決まる

界隈の「ヴォルデモート卿」について

界隈に、例のあの人、などとささやかれる人がいる。例のあの人。名前言ってはいけないあの人。「ヴォルデモート卿」である。おお、おそろしい。

卿……我が君がいかなお方であらせられるかについては、改めて言葉にするまでもないことでしょうが僭越ながら私めの口からご紹介申し上げますと、あの『ハリー・ポッター』の登場人物なのでございます

あのハリー・ポッターお辞儀強要する悪い魔法使い、といったほうが通りはよいだろうか。

お辞儀をするのだ、ポッター! ダンブルドアめはおまえに決闘作法を教えなかったのか、ポッター

とはいえ、ただ礼儀作法にうるさいだけの小悪党ではない。物語の始まりから終わりまで(というか終盤こそ)、登場人物ほとんどから名前を呼ぶことさえ恐れられた、史上最悪のエゴサの鬼なのだ

(最終巻の我が君は御身をあえて「ヴォルデモート卿」と呼びふらす者が過激派抵抗勢力であることを逆手に取られ、「ヴォルデモート卿」発言に反応する魔法を国中にお施しになり、結果として見事に数々の危険分子あぶり出された)

ヴォルデモート卿というのは、まあ、そういう側面のある人物であるちゃんしたことは君の目で確かめろ! 『ハリー・ポッター』を含む『ウィザーディング・ワールドはいまだに掘り下げの絶えない楽しい作品だよ! 『ハリー・ポッターからファンタスティックビースト』に入ることをおすすめしてはおく(個人の感想です)。

ええと、そして本題の……意外なことに思われるかもしれないが、本題は『ハリー・ポッター』の話ではない……界隈の「例のあの人」の件だが。

事情のもとで、名前を出すことがはばかられている。この呼び名には確実に、エゴサさえされたくない(関わり合いになることを避けたい)という忌避感が強く働いている。あるいは、単に名指しで言及することを控えようという良心が働いたのかもしれない。

例のあの人について言及することは、例のあの人をぼこぼこに殴ることにおよそ近しい。

このヴォルデモート卿が例のあの人になるまでには、相当の事件があったという。私が界隈に足を踏み入れてからも、相当の事件を起こしている。少なくない人間が、例のあの人のために傷ついてきた。先人の言うには、対話による解決は、もはや不可能である。正直なところ、私も同意見だ。だが、界隈は存亡の危機に瀕している。

例のあの人の存在は、新規参入者や布教行為にこそよく刺さった。単純に畏縮もしてしまうし。故もあるし。

新規参入者が減った。布教行為が難しくなった。そのうえ、界隈からいなくなる人まで出ている。衰退の一途である。どうにかしなければならない。だが、そうして穏便のうちに手を尽くそうとした結果、例のあの人にはちっとも通用しない手段ばかりが残された。

対話通用しない。などと名指しで言及することは、それだけで人格攻撃のようだ。「例のあの人」の通り名もそうだが、ひとり又はごく少数の実在人間を、それを遥かに上回る多数で、たびたびたこなぐりにしている。これでは、もはやネットリンチだとも思う。一方で、例のあの人が先制だった、という(おそらくの)事実も同居している。

界隈の仲間が傷ついた。またあの人かとささやけば、またあの人だと別の誰かがささやいた。確かめに行ったら、本当にまたあの人が、またあんなことをして、また仲間を傷つけていた。

やりすぎだと、あの人の「攻撃」に対して思った。

でも、あの人の「行為」に対して、一定の理解を示せる気もする。傲慢な話、どうして「あんなこと」をするのかが、わかるような気がする。

仮に何らかの策が功を奏したとしたら、では次は、誰が「例のあの人」になるのだろう。

私の順番が回ってくるのは、いつになるだろう。やりすぎだと、いつまで感じていられるだろう。私はしないけれどと、いつまで言っていられるだろう。今でさえ私がしてはいないということを、どうやって証明できるだろう。

居心地の悪さを、近ごろ、ふとしたときに覚えて、首を横に振る。

映画大好きポンポさん」映画版の感想(ネタバレ要素&批判要素あり)

「オレはナニを見せられたんだ…」と思って映画館から出て来た。

こんな気持ちになったのは、エヴァQとき以来だ。

ネット上の反応を見てると、絶賛している人が多くて不思議なので、自分感想を書きたい。


そもそも原作漫画映画大好きポンポさん」のテーマは何か。

僕は、「創作者(クリエイター)のエゴ」だと読んだ。

ディーン監督ミスティアさん、フランちゃん…の「ものを作りたい」「何者かになりたい」という「エゴ」がこの作品の肝だと。

「2」でポンポさんが披露した創作術を使って、「舞台×感情」で考えるなら、「映画界×エゴ」が、原作ポンポさん」の「土台」だろう。

その「創作者のエゴ」を一番象徴するシーンが、ラストの「90分というところですかね」だったはず。

「大作感を出すため序盤はたっぷり…」と編集を始めたディーン監督は、「いや…」と思いとどまり、先輩監督の「その映画を見てもらいたい誰かのため作れば良いんだ」という言葉を思い出す。

そして、最後のシーンに繋がる。ディーン監督は、「大作感」を出すのを止めて、「ポンポさんただ一人のために作る」という「エゴ」で映画を作った。

それを象徴するのが、第1作の最後セリフ

にもかかわらず、そこの意味を完全に消してしまったのが、映画オリジナルパート

本来テーマ正反対の「観客のために作る」なんてものを入れ込んで来やがった。

先輩監督の「誰か1人のために作る」の回想シーンすらなくして、「90分」の意味希薄化させてしまった。



なんだったんだ、あれは。


さて。話は変わって。

映画界×エゴ」が土台である原作の中で、ポンポさんという人物はどういう存在であるか。

彼女には、創作者としての「エゴ」はない。そういう意味で、主人公ではない。

彼女の作中における存在意味を考えたい。

この作品は、デフォルメした絵柄や、「ニャリウッド」というふざけた名前に反して、リアリティラインは、極めて現実に近い側にある。

そんな中で、唯一、現実から解離しているのが、"ポンポさん"の存在

創作王道として「大きな嘘は一つだけ」というのがある。自分は、この作品では、それが、”ポンポさん”だと思う。

現実的に描かれた映画界に舞い降りた大きな嘘」、それが、"ポンポさん"。

物語構造としては「ドラえもん」と同じ。

ディーン監督らの「才能とエゴを持った創作者」が、"ポンポさん"="映画を作る環境のすべてを与えてくれる無敵超人"に出会ったときに、何が生まれるか。

…それを描いたのが「ポンポさんシリーズ」という作品

からポンポさんには不可能はあってはいけない。いや、何らかの壁にぶちあたるのは良いが、それなりに納得感のある理由を付けないとだめ。

ドラえもんだって大長編では行き詰まることはあったけど、理由が付いていたはず。

たかが(!)、追加撮影ときで、壁にぶち当たるのは、「大きな嘘」である彼女にはふさわしくない。

そう思うと、映画版のオリジナルパートは、ポンポさんのリアリティライン(無敵超人という「大きな嘘」)と作品自体リアリティライン(極めて現実より)のどっちつかずの変な話になってる。

アラン君の解決策は、作品全体のリアリティラインを満たすほど現実的では無いし、ポンポさんほど超人的ではない。

ドラえもんが、なぜか簡単銀行強盗人質に取られる。そこへ両津勘吉乱入して銃を撃って解決」みたいな話になってしまっている。



なんだったんだ、あれは。



あ、あと、

マーティン様が「誰かの真似をするのが得意だった」と言ったのにもズッコケた(冒頭でいきなり)。

原作には存在しなかった「陰キャ陽キャ対立」を持ち込んだのもイヤだった。

CDNって、もはや普通人間が無理なくミスなく運用するなんて不可能やろ

職人技がすぎるわこんなん。職人CDNおじさんでも飼ってないと、運用不能やろ

落とし穴も相乗的に多すぎるしやな

キャッシュまわりで新しい仕様提案もたまにみかけるけど、

複雑なものに複雑なものが積まれバケモンみたいになっとるやん

ただキャッシュしたいだけなのに、なんでこんなことになったんや...

子作り許可証法制化を!

このところ性的同意年齢の話が喧しい

忘れてはならないのは基本的SEXは子作りのための行為だということだ

子供ができる前提で臨むべきもので、そこを抜きにした議論はただの空論だ

子供ができたときのことを想定して「できちゃった。どうしよう」となるようではSEXする資格はない

これは絶対に産まなければならない、という話ではない。知識覚悟必要だという話だ。

諸々のリスクを踏まえたうえで、万が一できても中絶する、という覚悟を持ってするもの

「できちゃった。どうしよう。中絶するしかない」という行き当たりばったりでは全く意味合いが異なってくる

SEX快楽という観点ではなく、子作りという観点から捉えると、

それが可能であるかどうかは肉体的、精神的、経済的個人差が大きいものだという結論になる

13歳でも成長が早く体が完成していて、親の理解と援助があり、本人の知識も十分な場合もあれば、

成人であっても体が小さかったり、経済的に難しい、心理的忌避感があるなど、不可能理由がある場合もある。

そこで子作り許可証である

性交前にお互いの子作り許可証確認することをぜったい遵守させるのだ。

これをしない場合には、純愛であれなんであれ、強制性交として裁かれる。

取得するために大きなハードルを設ける必要はないが、意思を持って申請せねば取得できないものであることが肝要だ。

この許可証を取得することによって、SEXは子作りのために行うものであり、SEXではなく子作りの許可を得たのだという自覚を持つことができる。

逆にその覚悟ができていない者は、敢えて取得しないことによって消極的SEX否定することができる。

若年者同士のカップルなどは、片方の性欲に流されて積極的に望まぬSEXに及んでしまうことも多いだろう。

しかし子作り許可証のある世界ならば、「まだ許可証持ってないから」とハッキリ断ることができる。

どうしても、というならば二人で許可証を取得しにいくのも良いだろう。

その過程を経るか否かで、SEXに対する認識は全く変わってくるはずだ。

かなり良い案だと思うのだが、どうだろうか。

出産後にセックスレスになるという意味がよくわかった(追記あり

1年半ほど前に嫁が第一子を出産した。

うちは身体的にとても仲がよく、赤裸々な話で恐縮ではあるが妊娠前はほぼ毎日妊娠後も数は減ったものの週2〜3回とそこそこの回数で成功していたんすよ。

当然出産後も体のほうが元に戻れば、完全とは言わずとも元に戻ると思うやん。

いや、こんなに無理ゲーだとおもわなかった。

まず1歳近くまで、授乳やら夜泣きやらで夜にゆっくり…というシチュエーションが皆無。

まあこれは予想の範疇で、出産前は俺が一人悶々とするパターンか…と思いきや、夜中のミルクやりや朝夕の家事サポートで夜は俺自身もダウン。

嫁も俺も性欲自体はあるのでなんとか2〜3回「とりあえずやっておかなくては…!」的なノリで大至急こなしたのだが、いつ起きるかというソワソワで色気もなにもない。

乳離すればチャンスが増えるのでは?と思いきや乳離が遅い!1歳越してもまだ乳をネブネブしながら寝ているのである、1年経ったら返してくれるはずだったのでは???最近おっぱい美味しそうですね〜いいでちゅね〜」が俄然本気になってきてますが、すみません取り乱しました。

ともかく乳離する素振りが無いのに、あるき始めると当然活動量が増え体重も増えるので抱っこも重たくなる、

多忙からか双方体調のバランスを崩す事が増え、二人の万全のタイミングが噛み合う機会ががくんと減ってしまった。

これにお月のものの1週間休暇が加わると、月に2〜3回という以前では考えられないほどの超絶セックスレスになってしまったのである

出産後にセックスが減って、仲が良いのに年単位セックスレスという意味がよくわからなかったんだけど、

これ物理的に不可能状態になるんね、ようやく合点がいきました。

これうちら夫婦はまだお互いに性欲があるから子供の手が離れて行くに連れ少しづ回復する見込みあるけど、

妻のほうがホルモンバランスで性欲が落ちたり、夫のほうがレス期間に性欲減退してしまったら一気に深刻なセックスレスになるよなーと思った。

期間が長くなればなるほどどうしていいかからなくなりそうだし、赤ちゃんを預けられるラブホ必要なのでは(真顔


追記:

戯れに描いたエントリめっちゃコメついててビビりました。

とりあえず「明日ここにきてください、本当のレスを見せてあげますよ」系のコメをくれた全国の山岡さん大変失礼いたしました。

とはいえ概ね似たような境遇の諸先輩方へはきちんと趣旨が伝わってるようで幸いです。

多くの体験談アドバイス、加えて様々な視点参考になりました。今後の糧にしていきます

あとはてなー意外に子育て世代おおいんやなーってニヤニヤしながら読ませていただきました、ありがとうございました。

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