「オレはナニを見せられたんだ…」と思って映画館から出て来た。
ネット上の反応を見てると、絶賛している人が多くて不思議なので、自分の感想を書きたい。
そもそも、原作の漫画「映画大好きポンポさん」のテーマは何か。
ディーン監督、ミスティアさん、フランちゃん…の「ものを作りたい」「何者かになりたい」という「エゴ」がこの作品の肝だと。
「2」でポンポさんが披露した創作術を使って、「舞台×感情」で考えるなら、「映画界×エゴ」が、原作「ポンポさん」の「土台」だろう。
その「創作者のエゴ」を一番象徴するシーンが、ラストの「90分というところですかね」だったはず。
「大作感を出すため序盤はたっぷり…」と編集を始めたディーン監督は、「いや…」と思いとどまり、先輩監督の「その映画を見てもらいたい誰かのため作れば良いんだ」という言葉を思い出す。
そして、最後のシーンに繋がる。ディーン監督は、「大作感」を出すのを止めて、「ポンポさんただ一人のために作る」という「エゴ」で映画を作った。
にもかかわらず、そこの意味を完全に消してしまったのが、映画のオリジナルパート。
本来のテーマと正反対の「観客のために作る」なんてものを入れ込んで来やがった。
先輩監督の「誰か1人のために作る」の回想シーンすらなくして、「90分」の意味も希薄化させてしまった。
なんだったんだ、あれは。
さて。話は変わって。
「映画界×エゴ」が土台である原作の中で、ポンポさんという人物はどういう存在であるか。
彼女には、創作者としての「エゴ」はない。そういう意味で、主人公ではない。
この作品は、デフォルメした絵柄や、「ニャリウッド」というふざけた名前に反して、リアリティラインは、極めて現実に近い側にある。
そんな中で、唯一、現実から解離しているのが、"ポンポさん"の存在。
創作の王道として「大きな嘘は一つだけ」というのがある。自分は、この作品では、それが、”ポンポさん”だと思う。
「現実的に描かれた映画界に舞い降りた大きな嘘」、それが、"ポンポさん"。
ディーン監督らの「才能とエゴを持った創作者」が、"ポンポさん"="映画を作る環境のすべてを与えてくれる無敵超人"に出会ったときに、何が生まれるか。
だから、ポンポさんには不可能はあってはいけない。いや、何らかの壁にぶちあたるのは良いが、それなりに納得感のある理由を付けないとだめ。
ドラえもんだって、大長編では行き詰まることはあったけど、理由が付いていたはず。
たかが(!)、追加撮影ごときで、壁にぶち当たるのは、「大きな嘘」である彼女にはふさわしくない。
そう思うと、映画版のオリジナルパートは、ポンポさんのリアリティライン(無敵超人という「大きな嘘」)と作品自体のリアリティライン(極めて現実より)のどっちつかずの変な話になってる。
アラン君の解決策は、作品全体のリアリティラインを満たすほど現実的では無いし、ポンポさんほど超人的ではない。
「ドラえもんが、なぜか簡単に銀行強盗の人質に取られる。そこへ両津勘吉が乱入して銃を撃って解決」みたいな話になってしまっている。
なんだったんだ、あれは。
あ、あと、
映画とマンガはベツモノ。 という姿勢でノータッチを貫いた原作者(アニメの会社勤務)は賢いね。
”鬼滅があんだけの実績示してるのに、原作レイプをやめられないマッドハウス勢。一人残らず業界から滅びますように” 変更部分が成功しているかどうかはともかく、あの原作をその...
同感。 途中から監督交代したの?ってぐらいに変化したのはびっくりした。 オチの「90分」が台無しになったのは、もうほんと……ねえ? 追加撮影されたシーンって、ジーン監督やコ...
原作をねじ曲げるくらいクリエイター(監督)のエゴが出ていたということですね メタ的にテーマは守られているじゃないですか、作品のこと全く知らんけど
"90分という上映時間を確保するために、ただ内容を無駄に付け足された駄作だった" 見ようと思ってたけどこれで見る気一発でなくしたわ
映画は見てないけど、ポンポさんの存在自体は「大きな嘘」ではないと思う。 映画業界ですでに成功した有能で情熱にあふれたベテランなら普通にありえる。見た目がエキセントリック...
これはね、ジーン君の映画への情熱がポンポさんの計算を超えた、いう映画なのよ。 ポンポさん自身が撮影が終わった時に自身で宣言したように、後は繋ぐだけでニャカデミー賞は獲れ...
>>そもそも、原作の漫画「映画大好きポンポさん」のテーマは何か。 そもそもじゃねーよ! 映画なんだから原作忘れろや 別もんとして見ろや だからモヤモヤしたまま見てんだろ自...