はてなキーワード: リア充とは
気づいたら独身のまま45歳超えてた。
まだいけるって思い続けてたのに、先日婦人科行ったらもう子供産めないって言われた。
犬関連で友達ができた。15歳くらい下の美人。犬飼ってて体が弱くて仕事あんまりしてないらしい。
仕事できない時期もあったから何か共感して友達になった。SNSでフォローしあった。
そしたら何かすごいリア充だった。彼氏と毎日あちこち遊びに行ってるし、写真にちらっと写ってる彼女の服とかバッグとか高いものばっかりだ。
ついでに実家も金持ちだし、仕事ほとんどできてない(家でしてるって言ってたから内職かと)って言ってたら全然違った。人気ネットショップのオーナーだった。
なんか突然自分が惨めになった。
しかもその子がこないだ結婚した。幸せってマリッジリングアップしてた。新婚旅行はヨーロッパだってさ。
正直私のほうがスペック高いのに思ってたのに、一気に惨めになっていたたまれない。
↑
っていう人多いよね。
最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~
「類は友を呼ぶ」ってのは、本当なんだろうかと思う。
この年に限らず、昔からそう。
学生時代を思い出しても、アウトドア(ミリオタに近い)が好きって理由で、緩いアウトドアサークルに
もちろん、学生時代(かれこれ20年以上前の話だけど)はそれなり、おしゃれに気を使ったり、、飲み会に
キモくないか?と言われると、別のエントリで書いた通り、キモいww
そりゃ仕方ないわなと、今なら思えるけど、じゃあ同じヲタ友達がいたかというと、そうでもない。
あまりそういう集まりに興味がないのかもしれないけど、結局同じ趣味の友人は極めて少ない。
いまだに何故かは理解していないけど、非ヲタ集団に入っても、ヲタであることを全力で晒して、特段
問題になったことはない。
そこに不快感はないから、そんなもんかなと思って生きてきたけど、類友って何だろうって最近思った。
加えて、実は同じ趣味の人と仲良くしすぎるのは、あまり好きではない。
うまく言えないけど、同じ味のものをずっと食べている感じに近い。
だから、友を呼ばないのかもしれないけどw
全然違う世界の話を聞くのが好きだし、逆に自分の世界をいかに面白く話すか、知らない人にへぇwwって
聞いてもらえるのが楽しい。
ただ、これまで関係があった人たちは、キモくて変だけど、そういう人って思って、最低限のコミュニケーションをとってくれているのは
ネタのようで、実はかなり本気で考えていたりします。もちろん、そんなことは絵空事なんですが。
ネットゲームをやったことがある人はわかるかもしれませんが、初期値を割り振るという操作があることがあります。
合計値で100持ってて、力やら知能やらに割り振っていく。力に多く割り当てると、それ以外のパラメータは必然的に
少なくなってしまうってやつです。
これと同じく、来世は常識とか知能とかは最低限の値でいいから、イケメン値に全振りをしたい。
異論はあるでしょう。
いや、私はそうしたいってだけです。
とにかく、顔がいい、スタイルのいい、ファッションやトレンドに敏感な男に生まれたい。
今得意なこととか全部できなくてもいい。
とにかく、イケメンリア充になりたい。(ブサンボマスター的な)
そのために、あと数十年の人生において、やっておくべきことを教えてください。
善行を積むとしたら、なにをすればいいの?
好き嫌いなく、食べればいいの?
もう二度と、想いを寄せた人に、キモい、嫌い、死ねって言われない人生を、来世で歩むために
このターンですべきことを教えていただけると幸甚です。
世の中に迷惑をかけない程度に、あと数十年は生きていけるように。
ガッキーも星野源も超かわいいけど、主題歌も好きだけど、ムカつく。
なんでかっていうと、まず「かわいそう」っていうステータスをアクセサリーみたいに扱っているから。
「かわいそう」っていうアクセサリー。
何かしら欠損を抱えたキャラクターじゃないと人気が出ないんだろうと思う。
だから、ちゃんとこの人は「かわいそう」ですよーっていうアクセサリーとして高齢童貞とか、無職とかっていう設定にされる。
きっと高齢童貞SEにも文系院卒無職女にも、それぞれの人生として積み重ねてきたものがあって、
プラスの部分もマイナスの部分を背負っているはずなのに、みくりとひらまさからはそういう積み重ねが感じられない。
だって二人とも、仕事と恋愛のことしか頭にないように見える。そんなのただのリア充()じゃないか。
みくりとひらまさの生活からは、一切趣味のにおいがしない。彼らはいままでどうやって生きてきたんだろう。
ひらまさはまだ、彼の人生の中で積み重ねが見える気がする。
彼が仕事をきちんとやってきたことで、みくりを雇う金銭的余裕が生まれた。
でも、みくりは、彼女が選んで積み重ねてきたものが、彼女をかたちづくっているように見えない。
かわいらしく賢く生まれて、家事をしっかり仕込んでくれる母親に育てられれば、選ばれる。
女は学歴なんかつけるもんじゃないっていうのを地でいってしまっている。
ひらまさがリストラされたら、なにか変わるんだろうか。変わるといいけど。
そもそも、みくりもひらまさも、婚活市場でどう考えても勝ち組だし。
大学院いかせてもらるくらいの金銭的余裕と文化的なものへの理解があるおうちに生まれて、
家事が上手でそこそこ(ガッキーは死ぬほどかわいいけどドラマの設定的に)かわいい26歳って、婚活市場で最高ランクだと思う。
ひらまささんだって、婚活市場では、めちゃめちゃ人気じゃないのかな。
定職についてて、貯金があって、都内の1LDKで優雅に生活してて、
お店の人や家族に横柄な態度をとらなくて…。
何より、女性に対してちゃんと欲情するけど、その性欲を押し付けてこないって、最高に理想じゃないかと思う。
ロマンチックな言葉でうっとりさせたり、スマートにエスコートしてくれたりするのだけが王子様じゃない。
かわいらしく一生懸命家事をやっていれば、いつかお城付きの王子様が迎えに来てくれる。
みくりの「小賢しさ」「分析屋」「自分からなんでも言ってしまう」というキャラクターは、
いまどきの愛されキャラという感じがする。
適度に毒がある人の方がお茶の間に愛されるのと一緒で、人が不快にならない程度の小賢しさがあるくらいの方が
あまりにもバカなことをやるやつがいないアクション映画みたいに安心して見られる。
恋愛至上主義を批判的に描いているようで、結局ロマンチックラブイデオロギーとシンデレラ・ストーリーを強化しまくっている。
セックスなしの、お金もからまない、純粋な恋愛をこのドラマは描き続けている。
ハグしたりキスしたりセックスしたりするまでに昭和の少女漫画並みの時間がかかる。
王子様とヒロインが、お互いに好きであることを確かめることを丁寧に描く、少女漫画。
家事代行に来てもらった女性と、家事代行先の雇用主が運命の相手だったという、なんというロマンチックな話。
書いてて気づいたけど、私が本当にムカついてるのは、ドラマの『逃げ恥』じゃなくて、『逃げ恥』をちょっとでも批判しようものなら、くってかかってきそうなTwitterとかの人たち。
ドラマの『逃げ恥』は現代の少女漫画としてめちゃめちゃ楽しくてそれでいいのに、勝手に社会的ないろいろを重ねて持ち上げて、
批判しづらいように論陣はってる人たちのせいで、ムカついてしまう。
インターネットでも現実でも、『逃げ恥』のこと批判してる人に全然出会えない。
私は文系院卒で男社会で無理やり働いていて、たぶん小賢しい女なんだろうと思うけど、
素敵な素敵な少女漫画の中に、急に登場人物としてエントリーさせられてしまったような居心地の悪さがある。
ドラマとして楽しんでるのとは別に、実存救われねえーって思うけど、それも言えない雰囲気がある。
ドラマで描かれる「小賢しい女」にすら私はなれないんだなって、悲しいを通りこしてムカつく。
今週、「僕にとってみくりさんは簡単に手放せる人じゃないんです」って言うひらまささんに軽率にときめいている私にもムカつく。
てんてけてんてけてけてん~
えー小話を一席設けたいですが
隣の家に囲いが出来たんだってさ、
へー!かっこいい!
隣の国の城に囲いが出来たんだってさ、
へー!それなんてランパート?
とかなんざ、昔の話でございまして、
今風に言うなら
ナウい!へー!かっこいい!
お後がよろしいようで!!!
てんてけてんてけてけてん~
私がムチムチ、じゃなくて無知すぎてよ。
賑やかにわちゃわちゃやってるのが聴いてて楽しいわ。
たまにいいわよ落語。
落語とかもライブで直に聴いたらもっと面白いのかもねー何つっ亭。
でさ、行こうと思って、
「行くには落語を一生懸命練習し続けなければならないよ、そしたら行けるかも知れないね」って
ちがーう!
私は高座に上がりたいんじゃないの!
寄席を見に行きたいのよ~!
ってそれしかも、
カモがネギしょって来ないでお馴染みの
カーネギーホールのくだりじゃないの!
何つっ亭~。
あ、そうそう、
例の沢口靖子さんが
楽しみね!
うふふ。
朝はなんか絶対玉子食べたい派なのよね。
あきらかに、オーバースペックよね私には。
ぷんぷん!
激おこぷんぷん有刺鉄線流血爆破デスマッチ大仁田ファイアー!!!
使い方あってるかしら?
まあいいわ。
いち早く身体を温めたいので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
●日々、社会の何処かでガキ野郎が生まれ、問題行為が繰り広げられている。
確かに、迷惑をこうむる側にも否があり、迷惑を掛ける側にも理がある場合が少なくない。しかし、問題行為が開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、 過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
●今で言う鉄道系リア充や重度な鉄道オタクは、昔で言う暴走族のようにこういった人たちの多くは一見「物好き」を装っているが、本音は物を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「DQNすること自体を自己目的化したDQN」が横行しているのだろうか。その理由は「娯楽文化のスケールが極端に大きくなっていること」と「資本主義や新自由主義の発展」、「世界の肥大化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
◯「オウム真理教」では疑心暗鬼にかられた人間が、ついには隣人まで信用できなくなり、仲間同士が殺し合い、そして「一般人」も敵として攻撃される。そしてついには組織の崩壊を招いた。今の鉄道消費空間はこれと似た状況になりつつある。20世紀にカルト化の恐ろしさを教えた「オウム真理教」はある意味歴史から消してはいけない存在である。
◯人間は電波系として生まれるのではない。どこかで偏見や憎悪を抱いた時、電波系になるのだ。何かを殺して気勢を上げれば、その囲いは狂気から心を濁らせていく。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。
集団ストーカー論者、1980~2000年代前半の青少年の行いがゆとり世代・刹那主義世代・理由なき犯罪者のような疑心暗鬼を生んだように、カルト化の横行はさらなる過激な思想を生むと思われる。
ひょっとしたら電波系は実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。
こいつらは自分で切符などを買いあさり、故意に集団でその沿線で移り住み
をしやがった!実際は組織的に行っただけなのに!これは都会の人間としては絶対にみっともないことだ!
カルトとキ○○○を合わせ持つ最低最悪の行為だ!左翼活動家の集団移住よりもよっぽどふざけてる
こんなことが許されて良いはずがない!いいや左翼以上に外道な行いかも。
最近やたら安い駐車場や駐輪場や車やバイクが多いのもそれが理由じゃねーの?
最近は公共交通利用促進ポスターが都市部から消えているが、これで、公共交通利用促進の元に鉄道やバスなどの公共インフラをならず者のように我が物顔で好き放題弄んでいた私鉄オタクたちを委縮させ、需要が過剰に増えた鉄道やバスの需要を適正化させる有効な効果にもなると思われる。
一般市民などが私鉄の大盤振る舞いをやめさせて公共交通としての運営に専念させることが出来れば、鉄道で「遊ぶことが」できなくなり、鉄道の抱える問題のいくつかが減り、公共交通が再生される。
鉄道の利用者から消費者が減っていけば、よほどわずかな「露悪趣味を愛してやまない」卑劣な人間だけがふるいにかけられることになり、彼らのような異端な存在は、「世論の良心」によって糾弾を受けることになる。
大体この取り組みは嘗ての韓国で行われていたものだが、日本では、今こそ全国の自治体単位で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば富裕層に対する公共交通の利用の制限とマイカー利用の努力義務をすべきだ。国土が狭くて人口の多い韓国や台湾でもできるのだから日本でもやらないとダメである。
「これは民営だ!公営ではない!」みたいなうちはうちよそはよその発想ではだめだ。そうやって大都市部から、過剰な需要を消し去る作業をするとともに、むしろ富裕層の健常者を対象にして公共交通の目的外利用に対して何らかの社会的ペナルティを実施するべきだ。←ほんとこれ
自分達の歪んだ行いを「昔からの伝統だ」とか「都会人の文化を馬鹿にするな」などと妄言を吐くが、公共交通の利用は無限に認められるべきものではない。
少なくとも何らかの制限は行わなければならない。
ましてや公共交通のあり方に対する私鉄への批判を「不当だ」と言って何の疑問も感じないらしいネット原住民のような子供のような存在をいつまでものさばらせておいてはいけない。
私自身、高校時代に鉄道を娯楽目的に利用して教諭に嫌われたことがある。当時既にこういった連中を嫌う大衆の意見が既に存在するからだ。
昔の私といい、私鉄オタクといい、公共に対する軽視が大手を振って罷り通っているこの社会の異常さを痛感する。彼らの不良ぶりがはっきりわかるんだね。
ユーチューブで、「イケメンはどのくらいの人数と付き合っていたか、経験人数は?」みたいなの見た。
これって、すごいよね。
俺は28歳で付き合ったことも無い素人童貞なんだけど。やっぱイケメンってすごいわ。
世の中の恋愛系のブサメンの愚痴に対して、鉄板で「顔が原因と思ってるんだな」というのが付くが。
少なくとも、顔があれば努力もくそもいらないということがはっきりしている。
もし本当に努力してどうにかなるなら、歴史的に解決されていそうなものだけど、解決されていない。
解決不能問題だから、男尊女卑とかでなんとかうまくやってたんだろう。
こりゃ止まらないなと思った。
イケメンが数年で100人の女を食い散らかして、美人を独占してしまってる中で。
どうやって身動きするっていうんだろう。
イケメンってだいたい10人に1人くらいいると思うんだけど。
そいつらが、100人とか女性を切るわけだ。もちろん、イケメンで女を回しあってるんだけど。
これどうすんだよっていう。イケメンだけで女が回ってて、下には全然回ってこないね。
女は女で、10人に1人のイケメンを取り合って苛烈な競争にいるのかもしれないが。イケメン1に女10くらいか。
男は男で、残りの10人中9人の奴が、イケメンに行かない女やイケメンのおこぼれに行くけど。多分、中央値で男10対女1くらいの割合じゃねーかな。
こりゃ女がちやほやされるわけだと思うわ。
無理げーっていうかなんていうか。
いや、こういう市場調整の1部が、テニサーとか、『リア充グループ(金持ちブサメンもちらほらいる)』とか、そういうのなんだろうか。
なるほどな、だから学生時代のサークルとかが大事になるし、リア充とかいう空虚なものが持ち上げられるのか。
市場調整なんだな、こういうのが。納得。
今日SIerについての話題が目について、実情について書いてみたくなったので書いてみる。初めて増田に投稿するので少し緊張している。
自分は誰かというと、金融系ユーザー子会社に勤めているSEだ。いわゆる1次受け。社員は数千人おり、2chのユー子ランキングではやや上の方に属している。
SIerとひとくくりにして主語を広げたくないので、あくまで私の目で見える範囲の話で、サンプルの1つにすぎないものとして読んでほしいと思う。
【私の仕事について】
まず初めに、自分の仕事はなんだと言われると、それは「システムに関わるプロジェクトマネジメントをする人」ということしか出来ない。エンジニアとしてプログラミングをしたり、ハードの専門的な知識を持っているわけでもない。一日出社から退社まで何をしているかというと、
2.エクセルで作ったスケジュールやWBS(タスクリストみたいなもの)を広げて眺めている
3.問題が発生したら関係者を集めて対策を話し合う。あるいは進捗会議を開く
4.上司やユーザー宛へ説明する資料を作成する。そして実際に説明する
これくらいだ。コーディングという作業が入る余地は一切ない。ひたすら溜まっていくユーザーからの問い合わせや開発側からの問い合わせへのメールを返信する作業を続けている。この仕事で専門性をつけることができるとすれば、プロジェクトマネジメントしかない。プロジェクトマネジメントに関する体系的な考え方、大小に合わせたルールの作成、ユーザーと開発側の折衝ごと。これを突き詰めていくしかない。
同期や周りの先輩、後輩を見る限り、新卒で入ってきたうちの3割が情報系、3割が情報系以外の理系、残りが文系といった印象を受ける。
はてなを見ていてWeb業界やアプリ業界をさらーっとIT系の用語を知ることができたが、おそらく同期の半分以上の人はWordpressという存在を知らないだろう。
会社の中のほとんどの人がGit、GitHubを知らないだろうし、DockerやJavaScript系のライブラリ名を知っている人など皆無だと思う。それだけ、技術に貪欲でないし、それを使える環境はないし、ユーザーも投資しない。
新しい技術は基本的に入れることができない。ユーザー側の経営層がまず理解していないというのと、もしも万一障害が起きたら?という問いに回答できないケースばかりだからだ。だから、今動いているシステムにスパゲッティーをどばどば追加して、秘伝のソースで味付けし、もはや誰にも全容はわかりませーんと言ったことを10年、20年というスパンで行う。
誰も、どうしていいか分からない、どこから手をつけたらいいか分からないのだ。
じゃあ、1次請けだし、ユーザー要件定義が出来るかというとそうでもない。ユーザー業務に精通できないで、ユーザーテスト工程で決めきれていなかったものがバラバラ出てくるなんてザラだ。
ユーザーもユーザーで融通がきかない。個人的に、パッケージシステムを使うと決めたのであれば、どうやってもユーザー業務を変えていく必要があって、それができないのであればフルスクラッチでもっと金かけてやれよと思うのだが、ユーザーはパッケージ入れて安くしたい(金融系のパッケージなんてどれもべらぼうに高価だが)、かつ、業務は変えたくないのでがっつりカスタマイズしてと言ってくる。
また、業務内容によってはミスった時のリスクがでかい。特に法律に絡む案件は、ミスったら数百億の罰金をくらう可能性が常につきまとう。失敗が許されない。金融系のシステムはそういったリスクと常に向き合っていくので、楽しむことは難しい。うまくいくのが当たり前でなければならない。
【やりがいについて】
毎日メールとエクセルとパワポとにらめっこして、ユーザーとベンダーとおしゃべりして、何かやりがいはありますか?と問われると、少しだけあるにはある。
案件規模が億越え、10億とか普通な世界なので、官公庁と連携したりと大きな仕事が多い。勝手にゼネコンの人も同じ気分を味わっているんじゃないのかなーという気になっている(ごめんなさい)のだけど、
例えば「スカイツリー建設のプロジェクトマネジメントをしてました」と言えたら、自分少しは世のためになったかな?と思えると思う。そんな気分に少しだけなれる。自分が作ったわけじゃないけど、大きな仕事に少しだけ関わっているから。
だからエンジニアとして技術で飯を食べていこうとしてSIerに入ってしまった人には酷な会社である。そうやって間違えた同期は早々に転職していった。FBで多くの同期とつながっているが、技術よりのカンファレンスに行きましたとか、勉強会に行きましたといった話は、転職していった人からしか聞かない。会社に残っている同期から流れてくるのはリア充っぽい、旅行や飲み会の写真ばかりだ。
一方で、プロジェクトマネジメントに楽しみや喜びを得られる人には向いていると思う。多くの案件を見てきて、プロジェクトマネージャーが変わった瞬間に物事がうまく行きだしたとか、逆にうまくいかなくなったといった状況をたくさん見てきたので、スキルの必要な仕事であることは間違い無いと思う。それはエンジニアが求めるスキルと異なるだけで、割と専門性を突き詰めることが出来る職業だと思う。その会社特有のやり方に慣れずに、案件をこなしていく中で普遍的なスキルを身に付けることができれば、どこでも通用する可能性もある。(多くの人は会社特有のスキルを身につけてしまって、他社に転職できない状態になるのだが。)
私のやっているSE業と、世間のいわゆるエンジニア業というのは、かけ離れた職業であって、それぞれやりたい方をやればいいと思う。
ただ、私にはミスの許されない超絶大規模プロジェクトに精神をヒリヒリさせながら、数百人月のプロジェクトマネジメントを楽しむなんてことは全く出来ないので、どこか遠くに消え去りたいと日々思っている。
相手が美形じゃなかったら発展しなかったであろう、というツッコミはこの物語には通じない。
何故なら完全フィクションであり、現実には起きえない現象に巻き込まれるからだ。
すなわちそれは運命。二人が美形なのも、運命だ。美形でなければならなかったのだ。
まぁ人は理屈こねなくても恋をするもんである、というリア充の常識をはっきり描いている。
滝くんと三葉どうぞ結婚してください。
クリスマスには秒速5センチメートルです。
これはリアルの世界で起こっていることを前提としているので、相手が美形じゃなかったら発展しなかっただろうというツッコミが成立する。
むしろそこを乗り越えられていないのは、正直作品メッセージとして扱った題材が題材なだけに残念である。
ただ主人公が必死で過去を清算しようとする行為、ヒロインがそんな主人公になびいてしまったところ。
まさしく少女漫画の王道「花より男子」の道明寺のつくしに対するアピールと同じであるし、
少女漫画好きが、この恋愛観を求めているということは紛れもない事実であろう。ちょっときゅんとするとこもあった。
しかしやはり現実的に、二人には後々別れてほしいと思いますまる。
三作の中で二人の出会いはもっともファンタジーっぽく、しかし関係は三作の中では一番リアル。
「相手が美形じゃ無かったらツッコミ」だが、周作がまずリアルに置き換えたら美形かどうか怪しいし、すずさんも超美形部類ではなさそう。
周作が実際のところ顔がどうであれ、すずには選択肢が無かった。(周作は幼いすずの顔を見ているのだが…うろ覚えだろう。まぁ超可愛いけどね)
周作の過去やらすずの幼馴染やら、清算する暇も無かった出来事が二人を苦しめたりもするが
その苦しんだ結果が夫婦仲を深めていって…熱々カップルを見せつけられてしまった。
三作の中で一番リア充映画である。きすもしてるしせっくすもしてる。痴話げんかもするし愛情表現もたっぷりである。
義姉並みにリア充爆発しろ、リア充爆発しろ、と思ってたら空から爆弾が降ってくるので注意。
番外編
おっぱい。あららららぎさんが羽川を選ばない理由はなんとなくわかった。
今更感がある
https://www.amazon.co.jp/七二-仮-高山直人-ebook/dp/B01DDAUVMA
貴方は読んでいるかどうかも怪しいかもしれないが、かつて、私は七二(仮)という電子書籍で文化カーストXというものを提唱した。
詳細は実際に書籍を読んでほしいので省くが、早い話が、エリート、ヤンキー、オタクのいずれにも属さない文化階級で、わかりやすく云えば、理性と精神的価値を重んじる階層で、エリートとは正反対の性質で、精神的価値を重んじるお宅と、理性を大事にするヤンキーを足して2で割ったものだ。
大企業が仕掛けたり、ましてや政治や行政が実施するわけではないのに、ネットと連動する形で自然と大きく盛り上がった文化現象と言う風に考えれば2000年~2010年代の「オタク」も今の「デモ」も類似している。そしてどちらも、世の中の支配的な構造に圧迫された人たちが参画しまくったのだった。
OOAだけでなく、高齢のネット原住民がファッション関連の騒動で活躍したこと、東海道新幹線から「和製自爆テロリスト」が生まれたことなどを考えると、日本の主流もノンポリ優勢の構造ではなくなりつつあり、むしろ今の左翼のパルチザン化の流れに合流するような兆しを私は感じている。
いずれも社会の日陰者扱いされた鉄道オタク文化とバイクオタク文化を大衆文化にぶち上げた「流れ」の当事者たちがもしも左翼に合流するとどうなるだろう。すでに日本でも韓国の10分の1の規模のデモは頻発している。「自分がでネット原住民で流行に煩い大人だから、無意識にバイクお宅にはまっていた人」がこれに加わるとどうなるだろうか。
日本社会の抱える相次ぐ問題である、汚職、裏社会、スパルタ労働(ブラックなんて可愛い言葉はもうやめよう)に続いて、鉄道業界にも政治イデオロギーがらみの黒い噂が立ち込めているという。所謂ネット原住民空間はともかくとして純粋な鉄道オタクさえ右翼バッシングが多いのは、単に右翼憎しという日本人としての公憤や鉄道の印象を悪くされたオタクとしての義憤だけでなく文化への干渉があるからだと思う。裏社会沙汰で自身が影響を被ったり、私鉄が解体されるために遊び場所が鉄道からなくなることもあると思う。
既にJR北海道とか認知症や右派団体がらみの大炎上があるわけで、今後もこれに匹敵したり凌駕する騒動や汚職が続くことは必至なんじゃないかと思われる。そういう繰り返しがあれば、不満によって私鉄否定論が支配的になり、ネオリベに怒りの矛先が向かうようなこともありえなくないだろう。
ポストファミコン世代とかリア充世代とか、30代以上のオタクからすれば「自身の弟子の左派かぶれ」な人間がすでに左翼の側にある。同じく強烈な文化発信地であって同じように1980年代~2010年代時期にトップダウン的な潮流のもとで大衆文化化が進んだ「デモ文化とオタク文化と左翼(リベラル含み、ネオリベ除く)が手を結ぶ」可能性もありえなくはない。
そういうものを「公のお墨付き」と位置付けて、往年の西側諸国のように大衆文化を国民のコントロールを円滑する道具にしつつ、対外PRのための政策芸術として用いようとしていた日本の政治からすると、サブカルや大衆文化という大きな文化軸に矛を向けられることだけは避けたいと思われる。
2000年代の福知山線事故以降、日本のエスタブリシュメント層は鉄道オタク的な文化を嫌悪するようになり、それまで叩く側にあった車・バイクサブカルチャー文化を急に持ち上げだした。そしたら2000年代後半にエスタブリシュメント層によるノンポリ・道路文化迎合政策と鉄道文化・政治思想家潰しが激化し、1990年代には等しくのいかがわしいとされた両者は全く別の道をたどった。
一方は冷遇されたためにプロテストの積極的な集団となり、一方は厚遇されたために御用化したが、この二極構造が、今まさに変わっているさなかにあると思う。それがどうなるのか気になっているため、最近の社会運動やテロシーンの動向にはずっと注目しているのだ。
今まで生きてきて、1度も結婚式に呼ばれた事がない。ひとりっ子かつ親戚付き合いも殆どないので、身内の結婚式にも出たことがなく、本当に祝いの席に参加した経験は皆無である。流石にこの歳になると、結婚式に出た事がないとは恥ずかしくて誰にも言えない。友達がいないと公言しているようなものだ。
友達がいなかった訳ではない、と思っている。いや、今となってはよく分からないが。
小学校はイジメられっ子だったが、学区の違う中学、高校では一緒に遊ぶグループもできた。しかし卒業と同時に縁が切れ、今ではフェイスブックでふわふわ繋がっているだけの関係。なまじ繋がっているから、彼等が素敵なパートナーと結ばれて華やかな式を挙げたことだけは知っている。早い人には子どもも出来た。大学生活はリア充とは程遠かったものの、サークル、語学のクラス、バイト先、学生寮にそれぞれ親しい人達がいた。しかし、サークルは活動がガチ過ぎてついて行けなくなって辞めてしまった。無理にでもついていくべきだったのだろう。語学クラスとバイト先の仲間は、進学•就職を機に付き合いがなくなった。こちらも高校時代同様、フェイスブックだけで未だふわふわ繋がっていて、最初の数年は同窓会もやったりしたが、そのうち開催しなくなった。SNSでの私の見かけの友達数はやたら多い。学生寮の人間とは、引越した後も比較的長く付き合っていたが、2-3年もすると徐々に疎遠になってしまった。学生寮は同窓会ネットワークもないので、今後会うことはないような気がする。大学院の研究室の関係者とは、今も関わりがない訳ではないが、非常に表面的な付き合いである。
考えてみたら、友達だと思っていたのは私の一方通行な勘違いで、どこにも友達は居なかったのかもしれない。だから、誰からも祝いの席に呼んでもらえないのだ。お前が積極的に繋がりを残そうとしなかったのが悪いんだろう、自己責任だ、と指摘されるかもしれない。確かに、私は同窓会の幹事をやった事もないし、そんなネットワークも行動力も持っていなかった。でもその程度の受け身人間、いっぱい居るじゃないか。それに、親しい(と思っていた)数人に連絡して遊びや飲みに誘うくらいのことなら、自分でもやってきた。けれど、私がやると何故か上手くいかないんだ。誰も乗り気でないような、酷い場合には全員不参加で流れるような。
今の職場にも、プライベートで飲みに行ったりする仲間はいるが、彼等を友人と呼んで良いのか分からない。職場が変われば簡単に付き合いは無くなる気がする。ついでに言うと既婚者ばかりなので、仮に付き合いが続けられても結婚式未経験なのは変わらなかったりする。
そういえば職場の後輩が、学生時代の友人の結婚式が今週末あると言っていた。新しい服やらご祝儀やら、出費がキツいと嘆いていた。「増田さんくらいの年齢だと結婚式多いですよね?どうやってやりくりしてるんですか?」と聞かれたけど、さすがに行った事がないとは言えず、金欠だよね等々言って適当に誤魔化しておいた。今頃披露宴なのだろうか。誰かの華やかな人生の門出に立ち会って祝福するというのは、どんな感じなのだろう。私には、誰かを祝福する資格は無いのかもしれない。
1月 スターウォーズ新作の興奮冷めやらぬ中で『信長協奏曲』が公開されリア充にヒット。映画オタクは食いつかず。ああ、忘れてた。キンプリな。『KING OF PRISM by PrettyRhythm』。ロングランヒットで「応援上映」の定着にも一役買った。
3月 『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』公開。ファンからは「今年は出来が良い」とボジョレーのような評価を受ける。月末に『バットマンvsスーパーマン』公開。総じて酷評されるがマニアからはカルト的な支持を得る。
4月 『名探偵コナン 純黒の悪夢』により腐女子のあいだでコナンがリバイバルブーム。ディズニー新作『ズートピア』は大絶賛の嵐でSJWもこれにはニッコリ。比べて日本のアニメを叩く人も多かったが、まさか下半期にこんなことになるとは…。『テラフォーマーズ』が大コケする中で『アイアムアヒーロー』が地味に好評で「これほどのスプラッタ映画を作れるなんて日本映画も捨てたもんじゃないな」との声。そして月末に『シビル・ウォー』公開でマーヴルとDCが仁義なきシビルウォーに突入。
5月 なんかあった? 『64』?
6月 『デッドプール』公開。決して評価が低いわけではないけど公開直前がいちばん盛り上がっていたよな。『貞子vs伽倻子』は期待通りの出来栄えで『コワすぎ!』ファンも大満足。
7月 洋画では『ファインディング・ドリー』邦画では『ONEPIECE FILM GOLD』の二大アニメ映画が公開…と思ったら『シン・ゴジラ』がすべてを持っていってしまった。同じ頃にひっそりと公開された『HiGH&LOW』がまさか公開終了間際にボンクラ映画オタクに飛び火して局地的ブームを巻き起こすとは誰も思わなかったであろう。
8月 引き続き『シン・ゴジラ』が猛威を振るいつつ、『ジャングルブック』『ペット』『ゴーストバスターズ』など洋画の佳作が目白押しで映画熱が高まっていく中、彗星のごとく現れた『君の名は。』が歴史的な大ヒット。唖然とする映画オタクを尻目に、あっという間に『シン・ゴジラ』の興行収入を抜き去っていくのだった。
9月 『スーサイド・スクワッド』が期待ほどではなかったせいでDCオタクが煩悶する中、『君の名は。』に続く恋愛アニメ映画『聲の形』が公開。イジメや障害者について何かと議論になる。
10月 『デスノート Light up the NEW world』が「馬鹿しか出てこない」など壮絶な酷評を受ける。
11月 『この世界の片隅に』公開。文句なしの大傑作と称賛されるも、主演声優の問題でマスコミが取り上げないだとか取り上げてるだとか面倒くさい議論も。