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はてなキーワード: ハンディキャップとは

2016-08-01

ハンディキャップを持って生れたい人間はいない

それはハンディキャップを持った人間差別すべきではない事とは別である

そのへんごちゃごちゃで糾弾したりするのが好きな人かいて、本当に面倒臭い

2016-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20160728120829

ノーマライゼーションハンディキャップという概念は、何かで埋め合わせをする(視力が悪ければ眼鏡コンタクト、介助者、盲導犬など)ことで、いわゆる一般人(健常者ともいう)社会暮らしていけるでしょ、ということだと私は認識している。

現在リソース技術社会制度・人力・インフラ水準など)で埋め合わせができないなら、やはり一般社会に出てくるのは違うと思うのよね。不本意なことかもしれないが。

リソースは発展していくのだろうから自閉症の原因も解明されてきているんでしょ、水銀説とか、グルテンペクチン説とか)、一定水準に達するまではしかるべき範囲内で暮らしていてほしい。

障害者だけではないよ。たとえば法定伝染病患者だっていくら元気で本人が出社・登校したくても隔離されるべく。

官邸ポケモンGO目的で入るのもやめれ、と。

2016-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20160721150537

その「自転車に優しい社会」とやらが、「バイクラック」が無ければ成立しないんだが

原因として上がるのが「スタンドなんかつけられるわけないだろっ!!11」だから炎上すんだよ。


車椅子配慮する「障碍者に優しい社会」ってのは、ハンディキャップに対する社会的配慮だ。

ロードに乗ることはなにかのハンディキャップの結果なのか?頭か?


自転車全般の話として、歩道から追い出され、車道も満足に走れず、自転車専用レーンの実装を望むのなら全然理解できる。

けどもさ、スタンドをつけないスポーツタイプに特化した事情としてのバイクラック求むには、全然同意できん。

2016-06-19

きみは碧い宝石 本村碧唯さん36位記念

指原莉乃さんによって史上初の二連覇が成し遂げられ、ベテランメンバーの勇退やフレッシュな新顔の台頭に沸いた第8回AKB48選抜総選挙

80位までのランクインメンバーから構成されるランク帯のひとつ、33位~48位の「ネクストガールズ」に、36位のメンバーとして私の「推しメン」、HKT48本村碧唯さんがその名前を刻みました。

推しメン」とはいったものの、私はいわゆる在宅ファン現場に足を運ぶ勇気もなく、TV番組だって全部はチェックしない、HKTのファンを名乗るのも若干はばかられるくらいのにわかファンです。

私がAKB48を好きになったのは、ちょうどグループ国民アイドルへと進化を遂げ始めていた頃、そのきっかけは当時総選挙で初の選抜ランカー入りを果たした指原莉乃さんでした。

「こんな面白い子がいたのか」と贔屓にしていた彼女HKT48にその拠点を移し、私の関心も自然と博多少女たちへと移りました。

指原さんの巧みなプロデュース若いメンバーの瑞々しいパフォーマンスがすっかり気に入り、特定の贔屓はいないもの歌番組レギュラー番組を時々見て楽しんでいた私の心を奪ったのが、いま「推しメン」として名前を挙げた本村碧唯さんです。

彼女のことは名前だけ知っている程度、いわゆる妹キャラ泣き虫通称「あおいたん」、というのがその時かろうじて知っていた知識でした。

もともと指原さんが好きというだけあって、どちらかというと一癖二癖あるような子の方が好きだった私にとって、事前情報から判断するに彼女はまったく興味範囲から外れていました。

そんな彼女が、レギュラー番組HKT48のおでかけ!」にて活躍の著しかったメンバー表彰する恒例企画「おでかけ総選挙」にてフィーチャーされた活躍ぶりは、あまりに意外なものでした。

仕事中におもむろに巨大なミミズを手づかみし、周囲のメンバーが泣きべそをかいて逃げる中ひとり無邪気に笑う姿、キャンプ体験中、ひとり器用に火を起こしスタジオの指原さんやフットボールアワー後藤さんの口をあんぐり開けさせた姿、釜戸で番人のごとく火加減を見ながらウチワを仰ぐ、妙に手慣れた職人のような顔。ベビーフェイス泣き虫、そして妹キャラというイメージからは想像もできない野生児っぷりに「こんなに面白い子がいたなんて…!」と一瞬にして心を奪われました。

そんなたくましい姿を見せたかと思えば、他の番組では泣き虫キャラとして一躍有名に。メソメソ泣くというよりは話している間にぼろぼろと涙が零れてくるような涙腺の緩さはもはや一芸クラスインパクトをもたらしていました。

ただこれはただの取っ掛かりにすぎず、私が彼女を「推しメン」と呼ぶようになったのはもう少し後のことです。

この頃からメンバーのSNSをチェックするようになり、他のメンバーの顔と名前もようやく一致するようになりました。歌番組でも、ゆるい在宅ながら彼女に注目するようにもなっていました。

そうした過程で見つけた彼女の魅力は主にふたつ。

ひとつは、HKT随一のダンスリーダーであること。

他のAKBグループと比較してあまりダンスに特化していないHKTにおいて、彼女ダンスはずば抜けていました。

小柄な身体をしなやかに操る綺麗なモーションと、若々しいゆえにパワフルな振付を要するHKTのダンスにおいて誰よりも脚が動いている高い身体能力。

グループ楽曲では主に後列にいながらも、劇場公演TV番組披露していた「回遊魚のキャパシティ」でセンターを務めたときフォーメーション先頭に立つ凛々しさ。もともと体育会系として知られていた初代チームKの曲とあって高難易度ダンススキルを要するこの曲において、彼女はかつての大島優子さんのポジションで、当時のパフォーマンスに引けをとらない堂々としたダンス披露していました。

彼女ダンスは、梅田彩佳さんや木下有希子さんのようなスクールコンテストで鍛えたプロフェッショナルな巧さと、前田敦子さんや小嶋陽菜さんのような、「抜け」を作りながらもキメ所を外さない、マイクを持ったTVパフォーマンスにおいて最大限に映える巧さをバランスよく兼ね備えていますタイプは違えど、そんな彼女ダンスの巧さは松井珠理奈さんに通ずるものがあるなと個人的に思っています

私はふだん生息している他ジャンルでもダンスを長いこと見てきましたが、ダンスに弱いと言われがちなHKTにおいて彼女が群を抜いて踊れるのはもちろん、そのダンスグループ全体でも通用するほどレベルの高いものだと確信しています

ベビーフェイスのあおいたんがストライクゾーンに躍り出たのはそれが所以です。

そしてもうひとつは、彼女の「人を見る力」。

劇場公演にて行われるメンバー生誕祭のたびに彼女Google+に書くお祝いの言葉は、どれもメンバーのことをよく見ていて、人のいいことろを見抜く力に長けた彼女の才能をよく表しています

特に、後輩である二期生メンバーへの言葉はどれも印象的でした。

「いい子すぎるんじゃないかってくらいいい子」と評した渕上舞さんが選抜メンバーから外れた翌日、選抜に残った側としてどう声をかけるべきか迷いながらも買い物に誘い出したそうです。のちに渕上さんは、その日はひとりホテルにこもるつもりでいたところ碧唯ちゃんが声をかけてくれた、と語っていました。

ことし卒業した岡田栞奈さんに対しては、「はじめはちょっと苦手だった」という一見ぎょっとするような書き出しに続けて、あんまり自分のことを褒めてくれるから裏があるんじゃないかと当初は不安になったけど、次第にそれが彼女ストレートに人を褒められる魅力のひとつなのだと気づいたと記していました。

所属するチームKⅣのキャプテンかつAKBの大先輩である多田愛佳さんのことを「愛佳」と呼び、愛佳キャプテンでよかったと書くほど強い信頼を寄せています

SKE48から兼任メンバーとしてチームKⅣにやってきた木本花音さんとも大の仲良し。HKTの先輩にあたる木本さんは、当初はメンバーと距離があり廊下でひとりお弁当を食べていたこともあったそうですが、碧唯ちゃんはそんな彼女を真っ先に「のんちゃん」と呼び、兼任が終わるころには「花音」「碧唯」と呼び合う仲に。木本さんのHKT最終公演にて特別披露されたふたりユニットパフォーマンスでは、会場から割れんばかりの歓声が上がりました。

HKT48の周年祭として行われた過去の公演のアンコール上演にて、かつて一期生で披露していた演目披露した日。いつもと同じ公演後の更新に、楽しかったという旨に加えて、ふだんネガティブなことを口にしない彼女が「自分のことで精一杯で、この公演の経験のない二期生に気を配れなかった」と反省を零していました。

彼女の語る言葉は、私の知らないメンバーの素敵なところをたくさん気づかせてくれます。それは彼女がふだんメンバーに向ける洞察力と気遣いの現れでもあります。そして同時に、彼女が先輩にも後輩にも慕われる人物であることを伝えてくれてもいます

ドラフト二期生のオーディションではキャプテンとともに選考に加わるスカウトマンに抜擢され、その時指名した松岡はなさんとは、いちばん先輩といちばん後輩というキャリアの差を飛び越え握手会でお揃いの服を着るほどの仲良し。

渕上さんや同じく二期生の朝長美桜さんは、先輩である彼女を「碧唯ちゃん」と呼び親しくしています

三期生の矢吹奈子さんは彼女を「マブダチ」と紹介。(その真意はいかに)

卒業した後藤泉さんは、彼女を慕って自ら「あおさんのTO」と名乗っていました。

移籍当初その幼い可愛らしさに盛大な寵愛(笑)を受けていた指原莉乃さんとは、今ではお互い元気がなさそうな時に連絡を入れ合う仲。

キャプテン多田さんはことあるごとに彼女名前を挙げ、もっと評価されていいのに、と悔しさすら零すことまであります

同期との固い絆はどのグループどのメンバーにも共通して言えることですが、彼女の先輩後輩を飛び越えた強い信頼関係とそれをもたらす「人を見る力」に、気づけば強く惹かれる自分がいました。

そんな彼女を「推しメン」に据え、初めて自ら一票(記念のつもりだったのでほんとうに一票)を投じた昨年の選抜総選挙

一昨年初ランクインで48位を記録した彼女の順位は、ランクイン圏内ギリギリの80位でした。

ステップアップを目標にしていた彼女にとっては本意ではない順位。それでも、ほんの一票でもそこに自分の票を投じてよかった、81位じゃなくてよかった、もし自分投票しないまま彼女名前が呼ばれなかったら、もしその一票で彼女が81位に落ちていたらずっと悔やんでいただろう、と心から思う自分がいました。

自分投票した子が呼ばれるって、こんなに嬉しいことだったんだ、と気づかせてくれた瞬間でした。

ただ、選抜常連の人気メンバーはい最後列の端が定位置だった彼女にとって、その順位は試練を意味するものでもありました。

高校3年生になり、後輩も増え、一期生だけの頃のような妹的なポジションはいられない立場

AKB選抜に名を連ねる宮脇さんや兒玉さん。グラビア活躍する同期。野心に溢れた二期生の開花。圧倒的な妹分である三期生「なこみく」コンビ存在感。そして逸材揃いのドラフト二期生。

層の厚いHKTにおいて、彼女存在感が常に安泰とはいえないような1年でした。

そして最新シングルで初めての選抜落ち。私も、そして彼女Google+に記していたように、「いつか来るかもしれない」と危惧していた瞬間でした。

今年の選抜総選挙を直前に控えた頃、「HKT48のおでかけ!」にて、一期生メンバー数名を集めた食事会の様子がOAされました。

そこで彼女が口にしたのは、「アイドルに向いていない」という言葉

それを聞いたとき、私は「そんなこと言わないで!」と思う反面、たしかにそう言える節もあるかもしれないな、と妙な納得を覚えていました。

AKBが「アイドルらしさ」という画一的価値観を打ち破った昨今、「アイドルに向いているかどうか」は一概には決められないと思っています

それでも、彼女の性格はたしかに、セルフプロデュースがカギを握るAKBにおいては、たしかにあまり有利には働きません。

そしてそれが、悲しいか彼女長所と紙一重であるとも思っています

唯ちゃんダンスはたしかグループでも指折りの巧者といってよいほど。

ただ、その長所は、言葉を選ばずに言えばアイドルとして当然に求められるスキルが秀でているだけのことにすぎません。

もちろんどんな特技や長所を持つ子でも、みんな同じくらい努力をしているしそれぞれの秀でた能力そのものに優劣の区別はつけられません。だけど、アイドルとしての彼女のそのスキルは、集団の中で目を引いたりテレビで大きく取り上げられたりはされにくいという面があります。(例えるなら、学校テストで満点や一番を取った人が、スポーツ大会で優勝した人のように賞状とトロフィーが贈られ全校集会表彰されるとは限りません。)

さらに、碧唯ちゃんは本当に周りをよく見て他者に気を配る代わりに、あまり自分をグイグイ出すことはありません。

ファンに対して強いアピールや確固たる目標を口にするのもあまり得意でないようです。

真面目な性格の分器用に立ち振る舞うのが苦手なようで、指原さんに「適当にできない(TVのアンケート時間をかけすぎて怒られたりする)」と涙ながらに相談していたこともありました。

二期生や三期生の急進メンバーのような、キャラを立たせ、おいしい機会を逃さないというハングリーな強さにはやや欠けるところもあります

私はそんな不器用なほどにまっすぐなところも含めて彼女を好きになったのですが、たしかにそんな彼女課題欠点はいいません)は大きなハンディキャップになります

人前で決して弱音を吐かない潔さの反面、悩みや本音を抱え込んでいないか少し不安に思うこともあります。(多田さんや木本さんがそんな彼女の性格を慮っている様子を時々見かけます

周りをよく見ているだけに、選抜から外れたときも、悲しい顔をしていては初めて選抜入りした二人が喜べないから、と、初選抜のメンバーを祝福する強さをもっていました。

誤解を招きたくないので念を押しますが、私は決して、彼女が報われないと嘆いているわけでも、彼女を不遇のヒロインとして描きたいわけでもありません。

ただ、彼女の素敵な魅力は課題と紙一重になりかねない、だけど私は彼女のそんなところを好きになったんだ、というもどかしい思いを抱いているだけです。

セルフプロデュースによってスポットライトの下に行き、ファン物理的な支えで直接その光を浴びるアイドルとして、彼女はあまり器用な人ではありません。

そういう意味では、たしかに「アイドルに向いていない」と自らを評価する気持ちも少しわかるような気がします。

それでも私は、今年も彼女アイドルとしての期待を託し票を投じました。

不器用でも人目を引きづらくでも、彼女スキルと頑張りを評価したいと思ったから。

器用に振る舞えない分、どんな時でも一切弱音や環境への不満を漏らさず、たとえ冗談でも他人を悪く言わない彼女のまっすぐな姿勢に惹かれているから。

選抜から外れ、アイドルに向いていないと自分の魅力を陰らせてほしくなかったから。

そして何より、彼女が数多いるアイドルの中で私の目に飛び込んできてくれた唯一の存在であるから

実のところ、在外中ということもあってモバイルキャリア認証の壁に阻まれたこともあり、実際の投票数と貢献度はほとんどないに等しいようなものです。彼女の結果に「頑張ってよかった」とも「悔しい」とも言えるような立場ではないただの在宅として、ほんのわずかでも彼女に届けば、との思いで票を投じました。

そして昨日、開票が進み、HKTメンバー名前が続々と呼ばれ、私ももしかしたら彼女も、今年はもうダメかもしれないと不安を抱き始めた頃、36位のスポットライトは、本村碧唯さんのもとに当たりました。

両手を深く握りしめたガッツポーズ、両手を大きく挙げて喜んだ指原さん、36位のスピーチ中にカメラを向けられ、大きな笑顔ピースを作った仲良しの後輩、松岡はなさんの姿。

速報順位から大きく狂い、「箱推し票」ともいえる第一党グループをかけた駆け引きに左右されたとも噂される大混戦の中、HKT48全体で6番目の位置につけた彼女は、昨年から1万票以上増えた得票をもって、この日自身の最高位を記録しました。

開票終了後に更新されたGoogle+には、彼女の喜びと感謝、そして選抜復帰にかける意気込みに続いて、こんな言葉が記されていました。

「1人じゃ何もできないので(以下続く)」

私はこの言葉を見て、初めて彼女に少しだけ怒りました。(といっても心の中で「もうっ><!」と思った程度のそれ)(基本欠点を指摘する暇があったら好きな子のいいところをできるだけ多く見つけたいタイプ

唯ちゃんは、ひとりでは何もできないようなアイドルではありません。

ずば抜けたダンススキルグループの垣根を超えて、高橋みなみさんの卒業を前に企画された特別公演の一つ「ダンス選抜公演」に抜擢されるほどの評価を得ました。

メンバーに向けた気遣いパフォーマンス能力の高さは、自身誕生日に際し他のメンバーが「これからは碧唯が自分のために動けるように」とコメントしたり、キャプテン多田さんが「頼もしい」「もっと評価されていいのに」と評価したりとグループ内で確固たる信頼に繋がっています

大混戦の中36位というグループ番手位置につける得票は、紛れもない彼女の魅力と功績への評価がもたらしたものです。

彼女は今年の総選挙目標を掲げるにあたって、「唯一碧く輝く宝石になれるように」という自信の名前に由来して、輝く宝石になりたいいつも自分を輝かせてくれるのはファンのみなさんです、と語ってくれていました。

その言葉がとても彼女らしくて嬉しく思うと同時に、「逆だよ、あおいたん」と思うこともしばしばありました。

本村碧唯というアイドルは、それ自身キラキラ輝きを放つ碧い宝石です。

磨かれて宝石になるのを待ってるんじゃない、もうとっくにあなたは宝石なんだよ、と、勇気が出ず握手会にも行けない在宅は心の中で叫ぶほかありません。

しかAKB48という世界において、最終的に彼女たちにスポットライトを向けるのはファンの力です。

それでも、少なくとも私は、「この子を宝石に磨き上げたい」という思いではなく、「この綺麗な輝きをもっともっと光らせたい」「この美しい宝石に似合うステージへ歩むべく少しでも背中を押す声となりたい」という気持ち彼女応援しています

何より、数多いるアイドルの中から彼女を見つけるための道しるべは、他でもない彼女自身の放つ光だったから。

総選挙を終え、今度は自分が頑張る番だと宣言してくれた彼女

決して器用ではない彼女が、今年になってたくさん言葉にしてくれた強い思いを、一にわかファンながら嬉しく頼もしく思っています

から唯ちゃん、これからは、その輝きでみんなを照らしていってね。

唯ちゃんが輝けば輝くほど、その光をもっと広く届けたいと思う人が増えるはずだから

あなたはとっくに輝いてる、本村碧唯という宝石は今まさにスポットライトを浴びて輝きを一層増そうとしているのだと、彼女が自信をもてるようなきっかけになればいいな、と願っています

本村碧唯という、碧く輝くただひとりの宝物に、心からの祝福を。



勢いで書き殴っておいて最後言い訳するのは最高にかっこ悪いのですが、私はほんとうにただの在宅にわかで、今回の結果に至るまでに頑張ってくれた彼女ファンの皆様にただただ感謝するばかりです。

何の力にもなれてないファンだけど、大好きな碧唯ちゃんの飛躍が嬉しい気持ちには変わりなかったので紙吹雪代わりに匿名ネットの海にばらまくことをお許しください。

2016-03-26

みなさんはこのタトゥーをどう思いますか?

まずは、この記事写真を見てください

http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2309472/Woman-beaten-cancer-times-tattooed-mastectomy-scars-lieu-reconstructive-breast-surgery.html

胸に妖精と蝶のタトゥーを入れた女性名前Kelly Davidson。

28歳の時に両方の乳房をガンで失った彼女が、乳房の再建手術を受ける代わりに選んだのは、この大きなタトゥーを入れることでした。

「私は私のままですが、私の身体は変わってしまいました。でもこの美しいタトゥーのおかげで、乳房を失ったことに悩まされたりはしないのです」

「このタトゥーは私の誇りです。私がどのようにガンの尻を蹴っ飛ばしてやったのかということと、人間としても女としても、乳房の有無で私が私であることは左右されたりしないということを表現しているのですから。」

病や体に残った傷跡やハンディキャップと戦ったり、あるいは受け入れたりするためにタトゥーを入れる人たちがいます

そんな生きていくための武器や道具としてのタトゥーについて、みなさんはどう思いますか?

https://www.facebook.com/WhyWeInk

2016-03-21

ハンディキャップのある人と会話するとき自分コミュ障っぷり

意図せずに失礼なこと、気に障ることを言ってしまうのではないかと恐れて口ごもってしまうことがある。

彼らは普段から人と違うために同じ説明を何度も何度もしなくてはいけなくて、場合によっては悪くないのに謝ったりしてつらい思いをしてるのに、ハンディキャップのない自分が、とにかく嫌われたくないという自意識過剰のためにコミュニケーションを怠けるのはいかがなものか。

2016-02-22

LGBとT

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160221-00010000-bfj-pol

T当事者です。

この議員さんの発言は各方面配慮が足りなすぎて困ってしまますが、概ねTをその他と別けて何とかしろって意見には賛成です。

最近LGBT関連の動きは家族制度の改革性愛対象による差別撤廃目標に動いていてそれはとれも良いことだと思います

このまま行けば性愛対象は本当に好みの問題範囲にまで持っていける方向に進みそうですし。

でも、T、性同一性障害は何も解決しないんんですよ。

LGBは外観を変える必要が無いけど、Tは(現状)戸籍変更に性別再指定手術必須で、QOLのためには継続的ホルモン治療性器以外の整形等、医療行為が必用です。

ただでさえ働く事にハンディキャップが有るのにその上治療お金時間を取られていくので差別撤廃だけで満足されてもこっちの受ける恩恵なんてほとんど無いんですけど。

お金が欲しいってはっきり当事者が言うと感じ悪いのはわかってるんですけど、黙ってても変わらないので。

2016-02-11

配られたカードが悪くても勝てる奴はいるけど

それってカードゲーム天才がなんとか起こした奇跡

逆境から成功を勝ち取った人はいるけど

力の差があり過ぎて勝負にならないから神がハンディキャップつけただけだ

2016-01-16

ハンディキャップ纏めてみた

貧乏 ……… ド貧乏に生まれる(生活保護レベル)

容姿 ……… 化粧や整形では直らない程の奇形ブス

・頭 ……… 記憶力,集中力,地頭力が無い

・才能 ……… 才能がある人はマイノリティ

健康,障害の有無 ………病弱,持病持ち,五体不満足

・親無しor親DQN ………教養なし,DV,ネグレスト,

・ド田舎まれ ………村社会,近くに店がない,周囲に知識人がいない



どれが一番きついかな?

後天的努力改善できるものや、支援保護があるもの、周囲が守ってくれるものは以外と楽だったりするだろうし…

ハンディキャップ纏めてみた

貧乏 ……… ド貧乏に生まれる(生活保護レベル)

容姿 ……… 化粧や整形では直らない程の奇形ブス

・頭 ……… 記憶力,集中力,地頭力が無い

・才能 ……… 才能がある人はマイノリティ

健康,障害の有無 ………病弱,持病持ち,五体不満足

・親無しor親DQN ………教養なし,DV,ネグレスト,

・ド田舎まれ ………村社会,近くに店がない,周囲に知識人がいない



どれが一番きついかな?

後天的努力改善できるものや、支援保護があるもの、周囲が守ってくれるものは以外と楽だったりするだろうし…

2016-01-11

中学受験ママに言いたい

同僚の息子は、この冬、中学受験をするらしい。高校受験とは異なり、親が相当に拘束されてしまうので、彼もなかなか大変なようだ。

だが、大きな問題がまだ残っているんだ、と彼は言う。なんでも、同僚の第一志望校と奥さんの第一志望校とが異なっているとのこと。

なんで?と聞くと、奥さんの第一志望は確かにいい学校ではあるが、男子校なんだと。彼は、息子を男子校に入れるのは可哀相だから止めよう、こっちの学校は共学なうえにいい学校だよ、と奥さんを説得したものの、聞く耳を持ってもらえなかったと嘆いていた。

分かる、分かるよ、同僚。

なんで、女の人って、息子を男子校入学させることに抵抗ないんだろうか。


中学受験ってことは、中高の6年間を女性隔離されて過ごすわけですよ。多感な思春期の貴重な6年をまるまる。こんな生き地獄がありますか。息子さんはまだ小学生から事の重大性を分かっていないでしょう。お母さんに「こっちの学校のほうがいいと思わない?男の子友達もいっぱいできるよ」と言われたら、ああそうかなと思ってしまう。女子意識し初めて、会話するのが少し恥ずかしくなってくる年齢でもあるし、男だけの学校生活っていうのも気楽でいいかな、と安易に考えてしまう。

まあでも、13、4歳になれば嫌でも性欲に目覚めてしまうわけです、男って生き物は。女の子キスしたい、エッチしたい衝動っていうのは否応なしにやってくる。そんな性欲に衝き動かされるように、どうしたら女の子と仲良くなれるのかを悶々と思い悩むのが、中高生の男って生き物です。女の子と恥ずかしがらずに話ができた、そんな些細な出来事だけで、人生ステージを一段上がったような気分になってしまう年頃なわけです。こうした小さな体験を積み重ねて、時には酷く傷つきながら、男の子は男女間の作法や、自分武器みたいなもの発見し、成長していくわけです。人生には、それぞれのライフステージにおいて積んでおくべき経験というものがあります。幼少期には親の愛が必要であったように、思春期には異性との交流必要なんです。思春期に、同世代の異性と触れ合えるは学校生活しかありません。しかしながら、男子校では、異性との交流という思春期に済ませておくべき経験を積むことができません。息子さんは、いつまでも可愛い子供ではなく、これから大人への階段を昇っていきます。性欲、異性を求める心は否応なく湧いてきますし、それは決して悪いことではありません。むしろ、そこに蓋をしてしまうことが、息子さんの心身の発達、成長に暗い影を落としてしまます。息子さんが同世代女の子と接するのは、大学に入ってからになるでしょうか。そこで、息子さんは愕然とすることでしょう。周りの共学卒の男たちが気軽に女の子に話しかけていることに。息子さんは、まもなく成人になろうかという年齢で、ようやく、女の子と緊張せず会話するというミッションに挑むことになってしまます。これは相当なハンディキャップです。女性であるお母さんには分かりかねるかもしれませんが、男は、じっとしているだけでは、何も始まりません。自分から能動的に動かないと、女の子とは仲良くなれないのです。息子さんが、大学で気になる子にどうやって話しかければよいのか見当もつかず、もじもじしている間に、他の男がその子と付き合うようになっているでしょう。もし、息子さんの外見が良ければ、話しかけてくれる女の子はいるかもしれません。でも、息子さんの経験の無さに由来する自信の無さ(或は過剰なポーズ)にがっかりして女の子達は去っていくことでしょう。こうした負の経験を積み重ねて、息子さんは女の子と仲良くなることを諦めることでしょう。闇のようなものが息子さんの心と身体を覆い、息子さんは、自分の殻に閉じこもってしまうか、悪くするとネット女性叩きに走ってしまうかもしれません。よしんば、大学を出て一流企業就職したとしても、息子さんが抱えてしまった闇は晴れません、誰からも愛されず、愛することのない人生を送ります

分かりましたでしょうか。人生はい学校に入ればそれで万事良しというわけにはいきません。親に出来るのは、息子さんの人生をトータルで俯瞰し、より良い選択をすることだけです。もう一度、よく考えてください、お母さん。

2015-07-31

DQNネームを付けられて生まれた話

幼少期は特に気にするでもなく、自分にそのような名前が付けられたことに気づかずに生きてた

たぶん人並みに幸せだったと思う

ある日、その言葉出会ってしまった

その頃ちょうど私の名前普通の読みではないことを知ってしまった

それからというものの、その言葉に触れる度に「例」として挙げられる名前たちを見て怯えた

自分嘲笑される対象であるのだと

ちょうど反抗期だった私は父親に問い詰めた

しかし、名を付けたのは母であって私は反論する余地がなかった、の一点張り

この怒りをどこにぶつければ良いかは未だによく分かっていない

劣等感を抱えながらもなんとか生き、大学生になってしばらく経ったある日

大学内に知り合いができたのち、教授のつてで私たちアルバイトを紹介してもらえることになった

そのアルバイトは私の得意な分野を存分に活かせるもので、きっと楽しめると感じて万全を期して面接に行った

面接に行った数日後、知り合いには採用メールが来たそうだ

私のところには来なかった

当然、知り合いたる彼の方が私より優れていたということだろう

それから日経った頃から、彼がその仕事の話を私に頻繁に振るようになる

正直不愉快でありながらも笑って聞き流す

ある日、雑談をしていたら不意にバカにするように下の名前で呼ばれた

私自身なるべく表に出さないようにしているその名前で呼ばれることが非常に不愉快で、つい少々感情的になってしまった

知り合いはそんなに怒らんでもと言っていたし、軽口を叩くのが趣味のようなものなのできっと私の気持ちなど分からないだろう

ふと、色々なことを考えてしまった

名前ハンディキャップが、アルバイト志望、その他色々なことを損することに繋がっているのではないか、いや、繋がっているだろう、と

今も私は本気で悩んでいる

困るのは、私は別に人のせいにして生きたくなどないのに、どうしても「怨」の感情が考えれば考えるほど渦巻くこと

名付けた人間、それをオモチャにする人間、煽る人間たち

世の中すべてが敵なのかもしれない

こんなことを考えている人間が今後まともに生きられるか

助けてくれ

2015-07-13

男「女はなんでヒール履くの?」 女「男が悪い」

男「ヒールって痛そうだし歩きづらそうだし利点ないじゃん」

女「履かないと会社上司に怒られるの」

男「え」

女「メイク楽しいからいいけどヒールは痛いし捻挫もするし」

男「ヒール強制する会社なんてあんのか……」

女「会社っていうか社会共通認識だよ。ヒールじゃないと失格みたいな」

男「まじで」

女「試しにオフィスカジュアル画像検索してみて」

男「ホントだ。よく見たらほとんどヒール履いてるよ。知らなかった……」

女「なにも知らないのね。ヒール履かないって言ったら唖然とされるよ」

男「こんなの女性社会進出が阻害されるだけじゃん。問題だよ」

女「それでね、私も捻挫してから嫌になっちゃってヒール履くのやめたの」

男「おお!それは良い試みだね!」

女「そしたらね、ヒールの高さに文句言ってくるのは男だけなんだよ」

男「……たしかに。男はヒールの痛さを知らないからそうなっちゃうのか」

女「ヒールって f◯ck-me shoes って呼ばれてるのよ。ほんとバカバカしい」

男「女性にとってハンディキャップすぎるよ。なんとかして是正しないと」

女「でもね?」

男「うん」

女「実際、可愛くしてれば同じ仕事していても評価が上がるの。おかしいでしょ?」

男「それは正当でない話だね。なにか是正策はないだろうか」

女「評価してくる立場にいるの、たいていオッサンだから

男「……その傾向はあるだろうね。男が率先して何かできることはないかな」

女「ヒール履いてるだけで、ちゃんとしてる子だなって見られるの」

男「まずは男のファッションとしてスーツ×スニーカー流行ったりすればいいかも」

女「ちゃんと仕事しててもメイクヒールもしないと社会常識がないとか言われるし」

男「あ!これ見てよ。ネクタイスニーカーの色そろえるのめっちゃかわいい!」

女「え?なに?」

男「あ、いや、スニーカーがね」

女「そもそも男がスニーカー履いても女の子が履くわけじゃないじゃん」

男「そ、そうだね……」

女「メイクをしないで会社にくるならパジャマでくればいい。とか言われるのよ」

男「それはひどい話だ。でも、そんな男ばっかりってわけじゃ……」

女「私たちモテるために可愛くするんじゃないの。給料のために可愛くするの」

男「……今、調べてみたらスーツ代って控除対象になるらしいよ。こういうのがなにか突破口に」

女「嫌ならヒールやめればいいのに。嫌なら会社やめればいいのに。よく言われるの」

男「な、なにか是正策を……」

女「ほんと男ってサイテー」

2015-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20150626110728

そういう部署に配属させること自体ハラスメントだと筆者は書いてるし、事実そのとおりだと思う。

簡単な話で、「乙武基準にするな」ということ。障害者ハンディキャップを抱えているがゆえに健常者でも苦しい労働使役することは問題である

それを知ってか理解なく飛ばしている可能性が大いに考えられるからこそ、彼はこうして告発しているわけだ。

特にゲームというのは健常者でも苦手な人が多い。障害者でも楽しめるからと言って、すべての障害者にそのとおりだと敷衍するのは問題である

偏見から聴覚障害者の自グループへの異動を妨害しようとする行為こそがまさに「ハラスメント」なんだけど。

定義すり替えですね。詭弁術によくある。

どちらが偏見をお持ちか、もう一度ブログを読んでみればいかがか。

感謝できるとすれば、あなた偏見が私にこのブログを気づかせてくれたということですね。ありがとう。)

以下偏見の垂れ流しに基づく適性認定罵倒の繰り返しなので読む価値なしと判断しました。

2015-04-04

電子書籍なんていらない

電子書籍なんていらないんだよ。

もし「電子か紙かを選択できることが大事」とか「ハンディキャップを持った人が…」みたいな部分からその必要性を説くのなら、

そういう人がそれを成すために掛かったコストに見に合う対価を払えよ。

きっちりとした電子書籍を一冊作るのに10万円は掛かるんだよ。

うんこみたいなレイアウトでよければそこのコストは限りなくゼロに近づけられるけどさ。

でもそういううんこみたいな電子書籍を出して、それに文句言うのは電子書籍を使う連中なんだよ。

ばかなの?

組版が云々とか抜かしている奴はおとなしく紙の本読め。

だいたい出版社だって本当は電子書籍なんかやりたくないんだよ。面倒くさい割に儲からないから

意識の高い消費者づらして電子書籍必要性を説くやつらは、自分で一度電子書籍データ作成してから意見しろ

2015-01-28

性的少数派であるゲイ」と「ロリコンショタコン」の違い

私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから自分必死にその欲望を抑えていますしかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイ男性関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。

『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談メールを受け取ったそうだ。

伏見憲明氏は、ゲイ解放運動に携わってきたゲイであり、差別ジェンダー問題に造詣が深い。

そんな彼にとっても、答えを出すのが難しい問題である

 

伏見憲明氏は『欲望問題』の中で、以下のように続けている。

今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛自分と地続きです。たか発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います

異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。

異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だってデブ専だってロリコンだって萌えだって巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的不利益を被ったりしません。

これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。

思春期同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期年代女子に執着し続けている」

思春期同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」

どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足行為しかなく、

実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ

どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である

それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。

欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。

 

少年愛の人も、「治療」といった行為で「正常」に戻るとは想像できないし、それでその人が幸せになるとも思えない。

相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。

二人の同性愛者が愛し合っている関係Win-Winであり、社会を脅かす存在でもない。

海外ではゲイカップル養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラス存在であるとも言える。

聖書同性愛否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、

それらは個人的嫌悪感、気持ちの話であって、実害ではない。

性同一性障害女装癖、二次元オタクBL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。

 

しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、

実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である

「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。

あなた他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?

対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。

Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ

 

伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。

 

追記:

ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。

婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペインハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位ブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家ハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。

ハプスブルク家 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6

 

nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…

このブコメが最も投稿意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう

 

saigami こういう話題が出る度に「自分同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか

小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?

部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?

 

成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会お墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。

小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。

 

しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカ金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。

結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。

貧乏ブサイクバカと金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカと金持ち美形優秀男でも、同じである

性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。

 

成人同士なら「自分一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供場合はそうではない。

親と子の関係も、子の判断力選択肢が限られている以上、不平等ものである。だから保護者による子供への虐待はひときわまれる。

要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである

「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽暴行殺害を熱望する純度の高いサディスト小児性愛者は、

欲求の根本暴力Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ

サディスト小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。

Ta-nishi せやな暴力的欲望も、SとMでWin-Winが成り立っているなら問題なし、と思う。

補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。

 

例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。

何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。

それと同じことで、産まれタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。

片腕無いとかのレベルは、徐々にハンディキャップじゃなくなってきてるわけじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20150129121148

生身の脚を上回る機能義足が登場したりと、ツール進歩ハンディキャップハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。

たとえばVR技術が発達して、サディスト小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。

とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである

 

TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動コントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。

疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションガス抜きしてくれるから現実治安が保たれるのだ。

あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。

(そしてフィクション人間現実人間を比べて、現実人間誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である

 

bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。

本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、

ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿イラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。

 

ゲイロリコン女性……「被差別性を帯びた共同体」について

http://anond.hatelabo.jp/20150129223928

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.14 『ONE~やむべからざる、必要と実質』

■本文。

 朝のワイドショーで[社会的ひきこもり]を特集するようになるとは、世の中、つくづくアレなんだなあ、と思う今日このごろですが、今月のお題は『ONE』です。本当は最終回まで取っておこうと思っていたのだけど、小倉さんとデーブ・スペクター斉藤環が同じ画面に映っているのを見たら、辛抱たまらなくなったのですよ。しかし、『二時のホント』が終わったのは、ワイドショーマニアの筆者には痛い……。

 ―――さて、『ONE』をプレイして強く感じたのは、母性父性の欠損に対して、援護射撃に頼らない直球勝負を挑んでいることだろう。ただ、同じ主題を扱っていても、手慣れたテキストの『Kanon』に比べると、まだ手探りの部分が多く、比喩などにあからさまな引用も多い。だから、必ずしも褒められたものではないのだが、BGMと画面演出の組み合わせを効果的に使う[音の魔法]に頼っていない分、言霊比重が高くなっている印象を受けた。

 重要ポイントは、この作品で描かれる世界には、超えるべき父性最初から存在しないことだろう。同時にそれは、学習することもできないということでもある。[他者]は、主に母性を巡るものとして描かれているが、主人公である浩平の母親は、カルト系の新興宗教に盲従した結果、母親であることを放棄している。そして、浩平は、他人との関係性を肉親から学習しないまま=子供のままで妹に対し、父の代わりを演じたが、妹の死により、父性の獲得=男性としての自立にも失敗してしまう。そのため、主人公は二重の意味で心理的欠損を抱えているのだ。

 更に、母親発狂し、ウロボロス的な母性を発動させてしまった際に、母親拒否している浩平は、壊れた母性に対する嫌悪感を潜在的に抱き続けている。由起子おばさんが、一度も浩平の視界には現れないことや、長森シナリオでトゥルーエンドに辿り着くためには、長森を嫌悪し続けなければならないことの理由でもある。いわば、母性父性の欠損を巡る内面問題こそが、『ONE』という物語の核になっている。また、宗教によって母親発狂し、浩平の前から姿を消すシーンは、『ONE』の前作にあたる『MOON』の主題継承しているとも言えるだろう。

 だから、この作品の基本構造は、どのシナリオアプローチの違いこそあれ、本質的には同じだ。他者との距離感を知らないまま成長していくことに、情緒的な病による死を予感した浩平自身本能が、自然死を避けるために、偶然を装った出会いを起こし、浩平に欠損した部分を取り戻させようとしたことが、物語動機になっている。そして、浩平自身本能は、ゲームの作り手であり、浩平はプレイヤー自身である

 だからこそ、浩平の鏡像となる女の子たちは、それぞれが身体的なハンディキャップや心理的外傷を持つ者ばかりが選ばれたのだろう。同情という媒介を用いなければ、出会いという動機を持つことができないほどに、浩平の病状は悪化していたし、宝探しを始めるには、同じ宝を共有できる相棒必要だったのだ。

 本能の企てに乗せられた浩平は、達成されなかった父性確立に再度挑戦する。ところが、達成寸前に壁が現れる。それが[えいえんのせかい]という、癒し象徴でもある異界への願望だ。もっとも、異界が具体的に描かれることはない。まあ、具体的に描いたら、山上たつひこの『鬼面帝国』か、出口王仁三郎の『霊界物語』みたいになってしまうような気もするが(笑)

 ―――いや、最初から浩平は異界に取り込まれていたのだろう。つまり、浩平が抱いていた、思春期独特の中途半端世界認識が、そのまま、異界への潜在的な願望として、妄執のように内在していた。それが、絆の発生で、完全な鏡となった女の子を介して照らし出されたのだ。つまり中途半端に終わった目的を今度こそ達成しようという意志現在)と、中途半端のままで反復しようとしている記憶過去)が衝突したことで、[えいえんのせかい]という、思考停止状態に陥ったのだろう。

 さて、プレイヤーとしての浩平が一度、舞台から退場することで、今度は、選ばれた女の子自身母性主題自覚することになる。そして、父性母性相互補完的に成立することで、浩平は再び舞台に戻ることができる。つまり、互いを鏡像他者認識することによって、欠損を補填した訳だ。この構造自体はありふれたものだが、ありふれたものであるがゆえに、強い言霊を生み出すことができる。そして、この作品特筆すべきことは、美少女ゲームで描かれる世界が失われたロマンティックであり、実際にはあり得ない世界だということを巧妙に描いていることだ。

 何故なら、『ONE』の登場人物たちの多くは、自分たちの生きている世界に対し、無自覚肯定をしない。強い否定もしない。約束された楽園が既に失われてしまっているということを、登場人物自身自覚しているように見える。プレイヤーもまた、物語を介し、その完結に立ち会うことによって、楽園が失われたことを知りながら、ゲーム内の楽園に耽溺するという、二律背反的な認識を持つことになる。

 例えば、『ToHeart』が、ゲーム内ではいったん完結しながら、アニメ化メディアミックス)にあたって物語世界を再構築した際に、約束された楽園主題を持たない真空状態を維持すること……終わらない物語であり続けることを選択し、ユーザー楽園願望を全面的肯定したことで、現在でも現役の商品として、人気を保っているのに対し、『ONE』の場合は、主題を巡る部分が『Kanon』と『鈴がうたう日』という二つの作品分岐&移行してしまったことで、作品商品の両面で、既に幕を閉じているのだ。

 この辺の違いについて、最も分かりやすいのは、やはり、長森シナリオであろう。『ToHeart』のあかりシナリオに対するメタ的な構造を持っているかなのだが、筆者も鈍いので、気づくまでに何度かキレそうになったのは余談だ(苦笑)。

 もっとも、『ONE』以降、恋愛描写を重視した[泣き系]の作品が氾濫したことで、相対的主題空洞化と、[お約束]としての普遍化が起こっているのは否めないが、この作品自体は、非日常日常や、万能感と無力感の間で葛藤する思春期独特の世界認識通過儀礼を描いた作品として評価できるだろう。

 更に言えば、本来は『WhiteAlbum』や『デアボリカ』のような、ユーザー価値観を揺さぶタイプ物語が担っていた役割を、『ONE』の成功で、思考停止による癒しを主目的とするタイプ物語でも担えることを証明したのだ。

 物語とは、社会と個人を繋ぐ媒介だと思う。いつの時代も、その本質は変わらないが、物語を伝達する手段は、時代の変化と共に変わっていくものだと、筆者は考えている。美少女ゲーム媒介として、社会と繋がり、社会学習していくという構図も存在できると思うし、一見楽園肯定するような表現に重層的な含みを持たせることで、現実社会との距離感認識させる手法確立を、本格的に模索する時期に入っているのではないだろうか?

■あと一回のお知らせと総括。

 ホームページでは既に告知済みだったのですが、本コラムは次号で最終回となります。次回は連載総括という形で、これから発売される作品について触れたいと思っていますので、作品ごとの論評としては、今回が最後です。

 降板理由は、今年に入り、筆者の健康状態が悪化して、月刊ペースでの連載が難しくなってしまたからです。無理に書いて、自己模倣に陥ってしまっては意味がありませんし……。

 ―――そういう訳で、読者とメーカーの方々には、一年と少々、筆者の回りくどい文章に付き合っていただき本当にありがとうございました。連載はあと一回ありますが、この場を借りて御礼申し上げます

2014-12-28

生活保護になるかもしれないと考えたら

最近、友人と鍋に行った。

なんとなく、生活保護の話になり、ちょっとした議論になった。

生活保護受給者の不正受給なんて話になって、補足率の話になって、お定まりの発散だ。

で、帰ってきて酔いも覚めて、少し調べてみた。

この法律は、日本国憲法第二十五条規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要保護を行い、その最低限度の生活保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

生活保護法第1条

生活保護法は、まず「自立を助長すること」を目的にするとハッキリかかれている。

で、生活保護必要な状況について整理してみた。

なぜか?

必要なことは本当に必要になってからじゃ間に合わない。

風邪になってからじゃ薬は買いに行けない。準備が必要なんだ。

生活保護受給者のパターン

  1. 本来は働けるが、一時的に働けず、貯金もなく生活できない
  2. 働いているが、貯金も出来ず生活できない
  3. 働けず、貯金もなく生活できない
  4. 不正受給

住宅ローン減税を受けているサラリーマンに「税金を食いつぶしやがって」という敵視の目は向けられない。

個人事業主が、税金を取られないようにすることも、さほど敵視されない。

生活保護受給者を敵視する気持ちは分かる。税金生活しているからだ。

まり税金を取られないことと、税金を使うことは、気持ちの上で同列にされない。

社会の風潮として覚えておいて損はない。

1. 本来は働けるが、一時的に働けず、貯金もなく生活できない

病気や怪我、離婚や親の介護、様々な要因で、誰しも簡単にこういう状況になり得る。

ここでのポイントは、「別に金の使い方に問題はない」という所だ。

自炊だとかやりくりだとか、そう言ったこととは関係無い。

この場合は、「生活保護受給者」という焼き印を押されるのは抵抗がある。

ケースワーカー生活指導される言われもない。後ろ指さされる必要もない。

ある状況を乗り切れば、元に戻れるからだ。利用に躊躇することはない。

2. 働いているが、貯金も出来ず生活できない

こちらも、病気や怪我、親の介護で容易になり得る。

この場合一時的な方に似ているが、少し違うのは、改善する見込みがないことだ。

この場合、「金の使い方に問題がある」だとか「ワーキングプア」だったりする。

貯蓄が出来る仕事であるとか、多少のハンディキャップを押し返せるスキル必要になる。

が、そう簡単に仕事は無い。子持ちのシングルだとか、どうしようもない場合もある。

親父の持ち家を残したら借金払って痴呆症の母が残ったとか。子供を残して親父が蒸発とか。

まり救いはないが、準備は出来る。

3. 働けず、貯金もなく生活できない

最近増えている、高齢者収入生活保護受給者だ。

貯蓄も家もなく、配偶者も居ない。清掃や配達などの単純作業しかできないが、健康改善する見込みはない。

恐らく、打つ手はない。

から、「政府」は家族扶養義務を強化する方向にある。(基本は世帯単位だが、親族に負荷をかける)

年金までの繋ぎで頼る人は、そもそものインセンティブとして働く意味がない。

年金世帯で貰っていれば、さらにどうしようもない。

ここで釣りだのパチンコだのの娯楽を禁止した所であまり意味も無い。

4. 不正受給

ここでは、受給額の一部を娯楽や嗜好品に使う人を差さない。

割とどうしようもないプロから、働けるが働かない人を差す。

罰則も強化されたし、余り関係無い。(総額も小さいし)

ケースワーカーから観て立て直せる家庭

さっき分類で観たとおり、2番だけ、立て直す意味がある。

自炊できるようになれば、家計管理が出来れば、

コンビニパチンコ病院の往復を止めて、働けば立て直せる人達

3番も意味はあるが、薄い。どうせすぐに年金生活だ。

で、ケースワーカーは無給じゃないので、雇えば金がかかる。

今後のケースワーカー方向性

160万世帯の生活保護受給者を、10世帯に1人ケースワーカーを雇うと、16万人の雇用生まれる。

ちょっと関係者に聞いてみたが、現状50〜100世帯に1人ケースワーカーというところらしい。

ざっくり、3.2万〜1.6万人のケースワーカーが働いている。

ここに+10万人の雇用と考えると、1人300万円/年として、3000億円/年がかかり始める。

というわけで、ケースワーカー自体は恐らく増える方向に向かわない。

彼らにも人生があり、雇って終わりということにもならない。

すると、50〜100世帯を1人のケースワーカー管理できる方向に向かうだろう。

まり、4パターンのうち2番だけを効率良く立て直し、1,3番の労力を最小にし、4番を撥ねる。

初年度300億の開発費がかかって、3億/年の維持費がかかるシステムだって、3000億/年よりマシだ。

大阪市モデル

ある種の人にとっては不幸なことに、採算分岐点からみて大都市では取り入れられる可能性が高い。

2番の「働いても生活が成り立たない」人のうち、希望する人間システマチックに立て直せればよい。

機械的に、娯楽費を削減し、食費の圧縮方法提示し、制度や職を斡旋する。

別に家計全てを把握する必要は無い。さらに、全員やる必要もない。

1人が生活保護から自立すれば、他の1人が生活保護を受けられる。

個人的には「他人から観て判らない」事が重要かと思う。

人は、プライドがなければ簡単に不正をなす。

尊厳を傷付けず、自立に持って行く。

いま生活保護受給者でない自分に出来ること

いくつかのデータをみると、生活保護受給者は増えている。

どうやら、単身者が多く、高齢者母子世帯が優先されるようだ。

また、親族扶養義務は強力になっていく方向性のようだ。

自分女性

シングルマザーにならないようにすること。

旦那が死んでも金銭的に不自由にならないような保険に入れること。

離婚時には、子供扶養費は念書公正証書作成しておくこと。

自分男性

既婚で子持ちなら、自分が死んだとき家族が困らない額の保険に入ること。

妻が死んだときに、育児退職しなくて良い準備をしておくこと。

(父子世帯に対しての受給はわりに厳しいようだ)

共通

職を失ったときに、次の職まで期間が空いても良いだけの貯蓄をすること。

(「繋ぎ」で働きながら希望する職を得られるほど求職状況は改善されていない)

親族家計状況を把握すること。親兄弟姉妹

破滅的な家計管理をしている兄や妹や親父が居たとして、突如自分責任が降りかかることもあり得る。

扶養家族が1人増えてもどうってことないなら良いが、大抵は困る。

まとめ

ちょうど年末だ。親の資産状況をヒアリングするには良い季節だと思う。

ワイドショー芸人を追い詰めたのは醜悪だったが、視聴率の稼げないショーをテレビは嫌う。

まり、親を見捨てる子供世間的には許されない風潮がある。

自分がそうなる事を予想して貯蓄するだけでなく、親兄弟姉妹がそうなることまで見越す必要がある。

父が死に母がボケた時に、介護しながら職を維持する準備は、していなければすぐにドン詰まる。

余り救いのあるシメには繋げられなかったが、現状既に笑っていられない。世間は冷たい。

生活保護資産があると受給できない。資産が無くなってからでは遅いこともある。

2014-12-08

釣り意味理由なんて無い」を飲み込むのにやたらと時間がかかっ

もう二十代も半ばになってようやく増田釣り意味理由存在しないことを心で理解した。

物心がついてから二十年、どこかで増田釣りには特別意味があるんじゃないかと思っていた。

そんなものは全能感だか親の願望だか、はたまた本能だかが見せる幻だった。

俺の釣りには意味なんてない。

そして釣り意味がないという事は 回線切って首吊って氏ななきゃいけないとか、意味を目の前の箱でググらなきゃいけないなんて事じゃない。

しろ釣っていいということだ、どこまでも自由に。

もしも子供の頃の自分にそう伝えたら「おっさん何当たり前の事言ってんの?」と言ってくるだろう。

それに対して理屈の上で理解するのと実際に心のなかではっきり納得するのは違うと語ってもきっと何の意味もない。

こればっかりは増田で納得するまで釣りを積み重ねることだけでしかしっくりこないだろう。

世の中には俺なんかよりもずっと勘のいい釣り師がわんさかいて、きっと幼い頃からこんなことはっきりと理解できていたんだろう。

彼らと比べると俺は10年ほど余計な重荷を背負って釣ってきた事になる。

無駄ハンディキャップだ。

それからようやく開放された。

意味必要のない釣りを、増田釣り意味なんてないのかも知れないと怯えながら書き込むのはもうやめだ。

これからは堂々と釣っていこう。

俺の釣り意味はあるかも知れないし、無いかもしれない。

もしも意味なんてなくなたってそれに何の問題もない。

人類は何十億もいる。

日本人だけで一億人。

その中の一人が適当に釣ってたって何の問題もない。

俺は結果を出す必要はない。

きっと結果を出してきた人達も、半分ぐらいは適当に釣ってるうちにホッテントリに入ったんだろう。

しかしたら適当に釣ってるうちにこんな俺も何か釣りにちゃんとした理由があったと思える時が来るかもしれない、それでもそれは後から理由がついただけで理由がない釣りをやってはならなかったという事にはならないはずだ。

ようやく俺は増田釣り等身大で見ることが出来るようになった。

成人には間に合わなかったけど30代には間に合った。

上出来ではないが及第点と考えよう。


http://anond.hatelabo.jp/20141208003341

人生意味理由なんて無い」を飲み込むのにやたらと時間がかかった

もう二十代も半ばになってようやく自分人生意味理由存在しないことを心で理解した。

物心がついてから二十年、どこかで自分人生には特別意味があるんじゃないかと思っていた。

そんなものは全能感だか親の願望だか、はたまた本能だかが見せる幻だった。

俺の人生には意味なんてない。

そして人生意味がないという事は死ななきゃいけないとか、意味を探しに行かなきゃいけないなんて事じゃない。

しろ生きていいということだ、どこまでも自由に。

もしも子供の頃の自分にそう伝えたら「おっさん何当たり前の事言ってんの?」と言ってくるだろう。

それに対して理屈の上で理解するのと実際に心のなかではっきり納得するのは違うと語ってもきっと何の意味もない。

こればっかりは自分で納得するまで人生を積み重ねることだけでしかしっくりこないだろう。

世の中には俺なんかよりもずっと勘のいい人間がわんさかいて、きっと幼い頃からこんなことはっきりと理解できていたんだろう。

彼らと比べると俺は10年ほど余計な重荷を背負って生きてきた事になる。

無駄ハンディキャップだ。

それからようやく開放された。

意味必要のない人生を、自分人生意味なんてないのかも知れないと怯えながら生きるのはもうやめだ。

これからは堂々と生きていこう。

俺の人生意味はあるかも知れないし、無いかもしれない。

もしも意味なんてなくなたってそれに何の問題もない。

人類は何十億もいる。

日本人だけで一億人。

その中の一人が適当に生きたって何の問題もない。

俺は結果を出す必要はない。

きっと結果を出してきた人達も、半分ぐらいは適当に生きてるうちに大きな意味人生にもたらしたんだろう。

しかしたら適当に生きてるうちにこんな俺も何か人生にちゃんとした理由があったと思える時が来るかもしれない、それでもそれは後から理由がついただけで理由がない人生を送ってはならなかったという事にはならないはずだ。

ようやく俺は自分人生等身大で見ることが出来るようになった。

成人には間に合わなかったけど30代には間に合った。

上出来ではないが及第点と考えよう。

2014-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20141101132349

燃焼効率が悪いとまるでハンディキャップのようにいうけれど、

効率的脂肪を蓄えられる能力と言ったほうが正しい。

氷河期が来れば、そういう人間のほうが生き残るだろう。

IT系と相性が良いのは端的に座りっぱなしだからだろどう考えても。

2014-10-25

その世話には、本当に自身免許とって運転が必要

http://anond.hatelabo.jp/20141025142847

住む場所やそのハンディキャップのある人の環境を工夫すれば、選択肢はあると思いますが。

自動車の運転リスク(加害、被害迷惑度)と所有の維持費を考えれば、十分に別のより良い選択肢が見つかるでしょう。

一度、役所や然るべき団体相談してみたらいかがでしょうか。あなたリスク負担もっと減らすことができます

2014-09-03

中国日本学生比較

工学系の大学教員をしている。私の勤務する大学には数多くの留学生が在籍していて、それと同じくらいの日本人学生も在籍している。普段の学生指導や国際会議での発表、あるいは海外大学での経験などで感じたことを書いてみたい。

身も蓋もない話だが、日本人学生の(相対的な、かもしれないが)レベルは本当にヤバい中国人学生の方が優秀である

東大京大東工大一橋レベルの平均的な学生は、中国国家重点大学からの平均的な留学生と同じレベルだ。ちなみに国家重点大学

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E9%87%8D%E7%82%B9%E5%A4%A7%E5%AD%A6

にあるように、まあ日本で言えば上記四大学旧帝大+上位国立くらいの位置づけだろう。それと上記4大学レベルが同じ程度なのだしかも、日本に来ている留学生国家重点大学の中でも2軍くらいの位置づけだ(1軍はアメリカイギリスに行く)。

両者の学生に似たような課題を与えると、よく出来るのは中国人学生であることの方が圧倒的に多い。言語ハンディキャップを加味するとその差はさらに大きくなる。

さらに、彼らと日本旧帝大レベル学生を比べたとすると、もうその差は歴然だ。日本旧帝大レベル学生と同じレベル学生中国で探そうとすると、上位~普通程度の国立大学レベルになる。

まとめると、平均的な学生レベルで言えば、

東大京大東工大一橋 < 中国国家重点大学の1軍

東大京大東工大一橋 = 中国国家重点大学の2軍

旧帝大          = 中国の上位~普通の国

と感じているのである

なぜここまで差が開いたのだろうか?答えはいろいろ持ってはいるが・・・

光明があるとすると、東大京大東工大一橋レベルの本当の上澄み、本当のトップレベル他所の国と比べても全く遜色がない点だろう。これは私の海外経験で分かったことだが、本当の天才はどこにでも、ある程度の割合でいるのである

それともう一点、日本の下位国立と同程度のレベル中国大学で、両者の学生を比べると圧倒的に日本の方が優秀。これは間違いないと思う。

要するに、本当のトップはどこの国も一緒で下位のレベル比較すると日本の方が上。準トップクラス、つまりはてなーに多い)東大平均~旧帝大~上位国立レベルが明らかにヤバい

これを読んで危機感を覚える人は、一生懸命勉強して欲しい。

まずは、その勉強に対する熱意に差があると感じている。

2014-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20140901171718

漢字で表すようにしてくれないかな。

カタカナ語使ってる奴見るとイラッとする。

というか、そういう言い換えでチャレンジドハンディキャップドだ言ってる連中って、ようは日本語に適切な言い換え表現はありません、って言ってるようなもんじゃねーの

http://anond.hatelabo.jp/20140901164741

うーん。

「障碍」が悪い意味言葉になるっていうのも一つだけど、長い期間「障害者」で通って来たものをそれ以外に置き換える(今回の場合大元は障碍だから「元に戻す」が正しいけど)で「害」の部分が強調されてしまうのか嫌なんだよね。

まるで腫れ物に触るような過度の配慮は、返って差別に繋がるんじゃないかなって言うのが元々の意図

いっそのこと日本語表記捨ててチャレンジドでも良い気はするけど、実状に反して美化されるのも当人にとっては迷惑だろうなぁと思ったり。

他にもハンディキャップドなんかは結構良いとは思ってる。

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