幼少期は特に気にするでもなく、自分にそのような名前が付けられたことに気づかずに生きてた
たぶん人並みに幸せだったと思う
その頃ちょうど私の名前が普通の読みではないことを知ってしまった
それからというものの、その言葉に触れる度に「例」として挙げられる名前たちを見て怯えた
ちょうど反抗期だった私は父親に問い詰めた
しかし、名を付けたのは母であって私は反論する余地がなかった、の一点張り
この怒りをどこにぶつければ良いかは未だによく分かっていない
劣等感を抱えながらもなんとか生き、大学生になってしばらく経ったある日
大学内に知り合いができたのち、教授のつてで私たちにアルバイトを紹介してもらえることになった
そのアルバイトは私の得意な分野を存分に活かせるもので、きっと楽しめると感じて万全を期して面接に行った
私のところには来なかった
当然、知り合いたる彼の方が私より優れていたということだろう
それから数日経った頃から、彼がその仕事の話を私に頻繁に振るようになる
正直不愉快でありながらも笑って聞き流す
ある日、雑談をしていたら不意にバカにするように下の名前で呼ばれた
私自身なるべく表に出さないようにしているその名前で呼ばれることが非常に不愉快で、つい少々感情的になってしまった
知り合いはそんなに怒らんでもと言っていたし、軽口を叩くのが趣味のようなものなのできっと私の気持ちなど分からないだろう
ふと、色々なことを考えてしまった
名前のハンディキャップが、アルバイト志望、その他色々なことを損することに繋がっているのではないか、いや、繋がっているだろう、と
今も私は本気で悩んでいる
困るのは、私は別に人のせいにして生きたくなどないのに、どうしても「怨」の感情が考えれば考えるほど渦巻くこと
世の中すべてが敵なのかもしれない
こんなことを考えている人間が今後まともに生きられるか
助けてくれ
名前は本人の一部というか、本人を示す言葉だけど 腕や足のような本人自体を構成する身体の一部ではないんだよな。 私は身体の一部に人と違う部分があるけど、手術しても治る...
「いじめや差別を助長する、珍奇な名前」と裁判所に認められれば名前は変えられる。うだうだ言ってないで近くの行政書士に相談しに行け。