はてなキーワード: 学校生活とは
はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。
以前投稿した記事(https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルとイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分の人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。
というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます。自閉症と多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。
出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。
目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合は幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います。
集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものだから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別な措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断であると先生にいたく感謝をしていたようですが。
まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。
ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。
子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。
ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かに話しかけるときもこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものだからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています。
今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。
この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。
子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。
そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。
つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からないから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。
また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約の記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在に自分がなるんだという気持ちで知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。
問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。
実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。
いじめのトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります。鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます。
私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。
さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています。
まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。
学校でいかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります。
なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているからいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。
それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。
今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています。
ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪は精神的に来ます。
はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えでいじめがウヤムヤになった頃の話です(子供のいじめなんてそんなものです)。
いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生の心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。
これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生の対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。
診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手に配慮を求めることにも役立つのです。
私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分で自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事なことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師の判断の重大さは分かるはずです。
さて通院や教師の配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいたしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております。
中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。
なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまいます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。
そういうわけで私は特定のグループにいることはなく、基本的に面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味に偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント、小説、アニメにスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。
また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。
さてかなり上手いこと発達障害を個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。
とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかから始まり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。
意義が分からない限りやらないのが私でございます。自分を理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。
まず自分が失礼なことをたくさん言う人であると理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性の容姿については言うべきではないと学びましたね。
それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体も客観視の一環ですね。
しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。
月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。
ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。
やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。
前回の記事で発達障害者がストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。
高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます。
さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないかと結論付けています。20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。
記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告も無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。
ご参考になれば幸いです。
うちの父はひとでなしではない。
ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。
その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。
わたしはずっと疑問だった。
実際、なんでもない思い出話として、虐待としか言いようのないエピソードを聞いたこともある。
殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。
当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。
でも感情は納得しない。
わたしは再び、なぜと繰り返した。
なんでうちの父は殴られて育ったの。
そして、ある推察を得るに到った。
父を殴って育てた、祖父の推察だ。
若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘の家長となっていた。
階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。
祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。
当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。
そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。
そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。
今となっては分からない。
祖父は内地で終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。
その状態で、待たせていた妻と幸せな家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。
祖父はひとでなしではない。
孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良の祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。
自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。
耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。
そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。
祖父の目にはどう映ったのか。
殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。
そういう夜があったとしても、理解はできる。
酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。
今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。
当時はなかった。
第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争の精神的な後遺症は見逃された。
少なくとも、祖父は見逃された。
誰も祖父を、父を、救わなかった。
誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。
わたしは殴られて育った。
もはや戦後ではないんだろうか。
本当に、戦後ではないんだろうか。
それなら、なんでわたしは殴られたの。
この身を苛む恐怖はなんなの。
誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。
話がごっちゃになってる。天下りマネージャーが撲滅しようとしているのは開発途中のソフトウェアのバグ。一方でいじめは学校生活という本番環境で起きてるバグ。同列に扱おうとして破綻してる記事。
「じゃあ全く別の話だ」
というわけではなく、
「開発途中のバグを無くすことが不可能であるのと同様に、学校のいじめを無くすのも不可能」
という共通点がある
そして、
「不可能な目標を掲げると実態を隠すようになり、数字と実態が乖離し、適切な対策が行われなくなり、状況は悪化する」
という流れも同じ
インターネット、貧乏人は子供産むなっていう主張溢れすぎてしんどい。
賢くないので彼らを納得できるようないい感じの言葉で反論できそうにないから増田に長々と書くよ。
誰になんと言われようが子供欲しいし産むけど、貧乏の私が妊娠してしまうと、貧乏人はセックスしか娯楽がないのかと彼らから嘲笑されたり、生まれてきた何の罪もない子供は彼らから哀れみの目で見られるのか……なんて想像してしまうと腹が立つ。目の前で言われたら助走をつけて殴ってやるが、インターネット上の発言でなおかつ私や私の子供に直接投げかけられた言葉ではないのでどうすることもできない。
勿論、彼らの中には、貧困DQN家庭や貧困毒親家庭など貧困以外の問題もある家庭を指して「貧乏人は子供を産むな」と言っている人もいるのだろう。
でもやっぱり「貧乏人は子供を産むな!」と言われちゃうと、DQNでもないし毒親にならないように学びと注意を怠らないように努力したいと思っていても、金が無いだけで大罪だ!と責められているように感じてしまうので辛い。
今は共働きだが、私は殆どが零細企業かつ拘束時間の長い業界に勤めているので、育休なんてとれないから妊娠したら辞めるしかない。
出産後の再就職も朝から働いて定時が20時なのが当たり前の業界だからフルタイムでの勤務は家事育児との両立が難しく感じるので子供が一人で留守番できる年になるまではパートで働くことになるだろうし、そもそも保育園の競争率も高い様子なので預け先が見つかるのかもわからない。
他業界で就職するにも、非大卒の30歳の子持ち未経験が雇ってもらえる会社なんてあるのか……?
なので、子供ができると私の収入はゼロになるので、しばらくは夫の収入のみで生活することになるが、大学中退して中小企業に勤めている手取り20万程度の夫のお給料でどこまで人間らしい生活ができるのだろうか。わからない。
私の実家は貧乏で、諦めないといけないこともたくさんあったし、親は自分の都合で暴力を振るうし、日常的にブス等の暴言も吐かれていた。いつもいつもクラスメイトと自分の環境を比べては陰鬱な気持ちになり、性格も情緒もおかしくなって散々な青春時代を過ごした。
もちろん、今でも親のことはあまり好きではないが、恨んでも無駄だし、幼少期のアルバムを見るに全く愛されてなかったわけではないので、適切な距離を置いて関わっている。親も歳をとって若干丸くなったしね。
ともあれ、それでも私は、貧乏人は子供を産むななんて思ったことはない。
お金があったらなあ
暴力の無い家だったらなあ
もしもを考えるとキリがないよ。
賢くないからわからないけど、今お金がなくても宝くじが当たるかもだし、お金がなくても子供を幸せにしてあげる道を探す努力はできるはず!
でも、子供だけにかかわらず、人の幸・不幸を他人が勝手に推測して決めつけるなんてすごく失礼じゃない!?
お金には恵まれてなくても、生まれてくる子供がちょっとでも幸せに恵まれるように私は努力したいし、そうすることしか出来ないなと思う!
頑張るから、貧乏人は子供を産むなっていう人たちも気が向いたら応援してくれると嬉しいなあ
無名のアラサーの稚拙な文に、あまりにも多くの反応を頂き恐縮です。
連休中にヤケ酒した勢いで書いてしまったので、もっと色々ときちんと真面目にしっかりと書いておけば……なんて後悔もしますが、励ましやアドバイス等をたくさん与えて頂けたので書いてみて良かったなと思いました。
職場の環境がイマイチで、働き続けることにマイナスの感情しかなく辞めることばかり考えていましたが、何が何でも育児休業給付金をもらえるように、職場を頼りにせずに自力で知識や書類を完璧にすることを頑張りたいと思います!
ご心配頂いていたので後出ししますと、3Kの仕事内容で低賃金低待遇の事業所が少なくない業種ですが、一応国家資格は所持しているので選ばなければ働き口には高齢にならない限りは大丈夫かな…?と思っています。(看護師ではないです)
夫は、高収入ではないものの、いつも元気で明るくて素直でとにかく最高だし、義家族も全員尊敬できる素晴らしい人たちなので最高です。
貧乏でネガティブで根暗で卑屈だった私が、少し前向きに人生を歩めるようになったのは夫とその家族のおかげかなと思います。
あとは宝くじ等のギャンブルは、1年に3000円使う程度なのでお許しいただければと……
否定的な意見もやはりありましたが「ネットの意見に惑わされるな!」とのことなので真摯に受け止めつつも、あまり気に病まないようにします。はてなやSNS以外の趣味を見つけないとですね(ネット中毒者なので…)
追記が長くなってしまいましたが、親のエゴ以外の理由で生まれた子供なんてそんなに(ほとんど?全く?)いないと思うので、そのことを忘れずに、未来のまだ見ぬ我々夫婦の子供に愛情を注ぎたいと思いますので!よろしくお願いします!
が!まずは無事に授かれるかが問題!!
作品そのものに罪は無いため名前は伏せますが、私は昔、ある漫画作品が好きだった時期がありました。なぜ嫌いになったのか……その作品が好きだという人達に嫌がらせされたためです。
私は生まれつき発達障害を持っていて、まだそれが分かっていなかった幼稚園・小学校低学年の頃はよく周囲とトラブルを起こしていました。障害が発覚して中学年から特別支援学級に入りましたが、知的障害や身体障害以外の障害は認知度が低い時代で、「わがままなだけなのに特別扱いされている」と周囲には思われて嫌がらせされていました。そして田舎の小さな小学校故に学年が上がってクラス替えが行われたとて標的が移ることも起こらず、中学に上がってからも小学校の頃のことを知っている人達が面白半分で言いふらしたことにより嫌がらせが沈静化することはありませんでした。教員の対応もクソとしか言えない杜撰なものでした。
そうした学校生活を送っていた私は友達がいない、というよりも友達というものはファンタジーの存在だと当然のように思っていました。でもそれでも、幼稚園の頃から11年ずっと無害な存在だったある人だけは、少なくともコイツは自分を害することはないだろう、という程度には信用してはいました。なのにソイツは裏切って、周りが嫌がらせしてきたところに一緒になって嫌がらせしてきやがりました。この時は相手の方が悪いことをしたというのが教員から見ても明らかな状況だったため、一応後になって注意が入り、謝罪はされました。でも、その数日後にまるで何事も無かったかのように平然と話しかけてきました。その連中の中には一定の信用を置いていたやつもいましたが、そいつも纏めて拒絶しました。そうしたらそいつらは「コイツしつこい」みたいなこと言って去り、孤立しました。拷問されろ。その後も数年は年賀状がそいつから送り付けられてきました。全部ゴミ箱。楽に死ぬな。
高校は「不登校経験者が多く来る場所」とオープンスクールで言っていたところを選びました。痛みを知る人達なら、少なくとも危害を加えてくることは無いだろうという判断でした。建前死ね。
確かに半分は不登校経験者でした。話しかけてきてくれた人もいました。数ヶ月後のもうグループができてしまった時期に、姉に似ていてコンプレックスが刺激されるから無理と拒絶されました。その姉とは関係ねーこっちからすれば「は?」としか言いようがなかったけども、いざ再び独りになってみると楽なこと楽なこと。移動教室も昼休みも一々誰かに合わせて行動するのが窮屈で、一人の方が気楽だってことを自覚しました。グループに入ることができなくなるタイミングだったことも気にならなかった。
生徒達の半分の一団、その高校しか入るとこがない成績のDQN共に目え付けられましたよえぇ。ただ、そいつらはウザったいけど大して問題はありませんでした。ちょっと髪がカラフルなだけのニヤニヤしながら通せんぼするぐらいしかできねえ小心者共なんざ、中学の頃嫌がらせしてくるやつの主犯と拳で語って殺意が生まれる(友情じゃない) ような関係だった私からすりゃ自分じゃ何もできないくせに囃し立てるだけの野次馬連中と同程度。目にかける価値もない。
問題はある二人の女生徒でした。そいつらは最初普通に話しかけてきていて、害が無かったから普通に返事してました。某漫画作品好きかと問われれば好きだと答え、どのキャラが好きかと聞かれればあのキャラが好きと答えました。なんてことないただの会話で、互いの好きなキャラ同士に特に接点もなかったこともあり、特にその作品のファン同士として盛り上がることもありませんでした。
それが一転して嫌がらせをされたのは、体育の授業中のこと。バドミントンの2vs2の授業で相手はその話しかけてきていた2人で、私は組む友達がいないから先生と組んでいました。先生がバドミントンに慣れているのはまあ仕方ないでしょうが、そうは言っても私も運動神経はまあ普通よりは少しいい方で、小さい頃お母さんに教わった戦法を駆使して勝ちました。視線を向ける方向とは反対の位置に打ち込んだり、思いっきり振りかぶっておいて前に落としたり。試合形式なんだから当然です。
それをあろうことはあの二人は、先生と組んでるからそっちはその時点で反則だだなんて言い出して。その上悪口を言いまくった後反論すれば「それは先生に言ったんだ」「自意識過剰」挙句の果てには「せっかく話しかけてあげたのに」
最後の一言が何よりも許せなかった。私は独りでいることが気に入っていたのに勝手に独りだから可哀想と決め付けて、恩を売っているつもりになって気に入らなければこちらのせい。
人間不信・人間嫌いになった決定的瞬間で、同時に某作品を嫌いになった瞬間でもありました。
アイツらと同じ作品が好きなのが嫌で、僅かでもアイツらと同類な点を持つ自分が気持ち悪くて、それで嫌いになりました。
だからどうしろとは私は言いませんし、誰かにこうしてほしいなんて望みももっていません。誰かの好きを消さないためにも嫌がらせなんてしないであげてーなんて言うお綺麗な心なんざ小学生の頃にドブに捨てました。嫌がらせ? 私にしないなら勝手にすれば? 自分みたいに不幸な人間が他にいないとか気分悪いし。ただし私を巻き込むな。
匿名で日記を書いて世間に自分のことを書きなぐれるなんて、なんていい時代になったんだろう。
なんていうか、間もなく私は結婚するんだけど、その前に何か、書きたかったんだろうな。
きっかけは10年以上前に使っていたメールアドレスのアカウントに、当時の会話がごっそり乗ってて、懐かしいやら、恥ずかしいやら、、、てな感じで
昔話を知り合いとかじゃなくて、だれもない「誰か」に見てほしいと思い立って、今こうして書いてるだと思う。
頑張って当時の事思い出して書くけど、微妙に思いで補正できらきらしちゃう部分はご愛嬌笑
まぁ、よかったら見てってよ。僕の、甘酸っぱくて、恥ずかしくって、楽しかった青春の思い出の整理を。
青春時代と思い出したくない黒歴史がたくさんたくさんなのは主に中学生から高校生のころの話だ。
特に中学生って第二次性長期の影響なのか、人格が不安定で、感受性豊かなもんだから、いろんなもの(僕は主にアニメ)の影響承けちゃったりなんかしちゃって、思い出すと枕にんー!!!!!!!!って叫びたくなるようなことばっかりだったと思う。みんなも多少覚えあるやんね?笑。
何に悩んでいたかといいますと、、、、、そうなんです。僕は女子からのいじめに悩んでいた。
もともと小学生時代、暴虐武人で喧嘩っ早く、人よりませていてエロいこと大好きだった僕は、女子から奇異な目で見られることが多かった。
ちんぽの毛も生えそろっていないような小学生のうちは、女子にどうこう思われるより男友達が笑ってくれたり、盛り上がったりする方が圧倒的に楽しくて、とにかくあほなことばかりしていた。
保健体育の授業はたぶん誰よりも好きだったし、プールの授業とか裸になって走り回ってちんちん見せびらかししてたしなぁ。
そんな感じのくそませがき野郎だったから、当然女の子からの印象は最低。
廊下で女子とすれ違おうものなら「きもい」やら「くさい」やらとにかく悪口を言われた。
書いてて悲しくなってきた。
当時よく耐たえてたな。笑
然しながら悩みの本質は悪口を言われ気分が悪いとか、無視されて悲しいとか、そういう部分じゃあなかった。
「こんな自分でよいのだろうか?」
ライトノベルが大好きな僕はいろいろな物語を片っ端から読み漁っていた。
ゼ○の使い魔、○眼のシャナ、涼○ハルヒの憂鬱などなど上げ始めたらきりがない。
基本的にかわいいおにゃのこが出てくるようなライトノベルは、主人公がモテたりだとか、最終的にヒロインとくっついたりだとか、
こいつのために世界をかえてやるあぁ!!!みたいな勢いで恋してたりする。
ライトノベルで「恋愛」というものを学んだ僕は、そんな学校生活にあこがれて、自分も青春したいぜ!!!と思っていた反面絶望していた。
いやいや、無理っしょwwwだって女子にこんなに嫌われちゃってるんだからww
「こんな自分でよいのだろうか」
ずっと耐え続ける人生だった。小中高と一貫してイジメられる側で、別に自殺までは考えないけど
物を隠されたり、酷い言葉を浴びせられたり、少し殴られたり蹴られたり、土下座させられたり、パシられたりした。そんな学校生活の中でヒエラルキーの最下層に自分が存在するんだと嫌でも自覚した。人生においてやる気を削がれた、もう常にどうでも良くて勉強に身が入らなくて女子にも嘲笑されて教師も問題にはしなかった。
家庭に戻れば、両親がいつもお金のことで喧嘩していた。父は父親を投げ出したいらしい。母は父の愚痴を毎日私に言う。私はおどけて見せて二人の喧嘩の仲裁をした。いじめられているんだけどって恥ずかしくて、情けなくて言い出せなかった。短大を出て地元の工場に就職した。短大ではいじめられなかったけど勉強について行けず、周りが経験してるような体験が私にない事を必死に隠した。就職活動が一番苦労した。今まで耐えに耐えてただ生きてきた。あなたの夢は?やりたい仕事はと聞かれて何も浮かばなかった。私はただ生きているだけでした。心理相談の先生になぜ私は働いて生きなけれならないんでしょうか?と尋ねたら、何を言っているんだ。そんな事言ってるような人をどこも欲しがらないぞ。あぁそうか私はこの世に必要とされない人間で存在しない幽霊なんだと考えるようになった。
それでも、なんとか面接マニュアルを見て就職できた。仕事が始まってから、はじめて彼女ができた。だけど好きじゃなかった。告白されたから何となく付き合った。1年くらい付き合って、好きじゃないのが薄々バレて振られての繰り返し。
そうでもない。嫌いでもない。だから迷惑かけると思う。酷い無神経な事を言うと思う。
何で流されてばっかりなんだろう。嫌だったら嫌だって言えばいいのに。嫌われても生きていけるのに、その場その場で相手の調子に合わせて生きている自分に腹立たしい。自分の心の声を無視して本音を言わないからこういうことになる。
拒絶したい。 好きな人に好きって言いたい。
定職を持ち、長く住む場所が定まり、精神的な余裕がある人間以外は子供を持ってはいけない。当たり前の先人のアドバイスを繰り返すだけになってしまった。
自分が小さい私立大学に職を得たのはようやく40歳目前で、それ以前から妻子を置いて移転を繰り返し、50代目前まで長く単身赴任だった。精神的余裕は当時も今もないけれど、結婚したことと子供を持ったことは自分にとって悪いことではなかった。辛いことはいろいろあったし、妻ともかなりこじれたが、それでも家族を持ってよかったと思えるのは、妻が私の仕事の仕方を受け入れてくれたからだと思う。どこで折り合いが付くかは分からないけれど、根っこの信頼が二人の間にあるのなら、答を急がなくてもいいかもしれない(上手く言えなくて申し訳ない)。
家事や子供の身の回りの面倒を見る大人が2人ではなく1人になるというのは、子供にとっては不幸では?
また、自分の父親の顔を覚えていない子というのは、たとえば学校生活で父親の話をするときに、気まずい思いをするものではないのか?
我が家の場合、子供たちと私がともに過ごしたのは5年程度しかない。数ヶ月に一度、週末に帰省して、あとは夏休みと春休みに2週間ずつぐらいだったか。
直接聞いていないが、彼らはこの状態をあまり不幸だとは思っていなかったように思うし、父親不在が彼らの友人関係にひびを入れたというほど大きな影響はなかったようだ。もっとも、妻が子供らの気分を上手くサポートしてくれたのかもしれない。ただ、今はスカイプのような手段もあるし、遠距離に離れていることは昔ほど心配しなくて良いのではないか。
片親状態が辛いのは、子供が片親状態を負い目に思うかどうかではなくて、育てる側の親が生活と育児に余裕がなくなり、精神的肉体的に疲労して、子供にその悪影響が出ることだ。家事育児のしんどさを核家族内で抱え込まないようにしたほうがいい。そして自分の反省を込めて言うが、離れる側は、育てる側の親の悩みをよく受け止めてあげることだと思う。離れる側にもしんどさはあるけれど、育てる側はとにかく大変だし、その精神状態は子供に直結しているので。
私(夫)28歳、妻26歳で結婚して、すぐ妊娠し、今1歳半の子供がいる。現在私は30歳。
出来ればいい大学のポジションに着きたい。それが任期付きであっても。ただし妻は何でも良いから定職(彼女のいう定職は任期の無い普通の会社員)について欲しいという。
妻は、5年後に旦那が仕事が確実に無くなり、次の仕事があるかわからない。また見つけたとしても、継続してひとつの法人に在籍しない為に、昇給がない、というのが堪らなく精神的に不安らしい。いい加減に定職につけと言うことだ。
私は元々日本で修士課程を卒業して、誰でも知っているいわゆる大企業に就職していたが、2年でやめて、海外で博士課程を始めた。2020年3月に修了予定で、仕事をどうするか(そもそも見つけられるか)が問題。
こんな不安定な道に進む場合は、結婚するべきではなかった。妻も結婚した当時は不安定な道になる事は承知していたはずだが、実際に子供が生まれ、直面すると態度が変わった。妻は、私が受ける、ある大学の任期付き助教の採用面接が失敗すればいいと思っている様子で、もはや根本的に考えが私と違ってしまった。(私はこの大学よりいい大学で助教ができるとはあまり思えないくらい、いいポジションと考えていて、ぜひ採用されたい)
自分は元々結婚には向かないと思っていたが、した事も無いのに決めつけるのは浅はかだと思い、試して見た。今言えることは、きちんと見通しをつけず、結婚を決断をした自分が浅はかであった。
遅かれ早かれ離婚する事になりそうだが、子供が不幸になる事が申し訳ない。申し訳ないと言いつつ、自分の都合を優先させるために子供を不幸にする自分が悪魔そのもの。
結婚をするべきではなかった。もっというと、子供を欲しがる女性と結婚するべきでなかった。
定職を持ち、長く住む場所が定まり、精神的な余裕がある人間以外は子供を持ってはいけない。当たり前の先人のアドバイスを繰り返すだけになってしまった。
[以下追記]
このやり方でいいのかわからないんだけど、ブクマの人気コメントにお返事書かせて頂いた。
kpkpkpchang 離婚後、当然のように妻が子供を引き取る想定でいてモヤモヤする。
子供の親権を取ることに私は、そこまでこだわっていないが、事実上私が親権をとることはできないと考えられる。
離婚届には離婚後の親権を記入する欄があるが、そこで合意が得られなければ、裁判所の判断になる。
調停になった場合、やはり妻が有利。私はずっと海外にいて、妻が日本で子供の身の回りの面倒を見てきた。
そのため、私が親権または監督権を獲得するのは事実上無理だと考えられる。
養育費を払うことは(私に収入の範囲内であれば)なんの問題もなくて、できるだけ払いたいと思う。
”自由がない”、の意味がよくわからないが、可処分所得が減るという意味なら、理解しているつもりだし、納得もしている。
私が問題だと考えてるのは、子供の父親が一緒に生活していないこと。
おそらく離婚したら私は積極的に海外のポストも探すが、そうするとかなり長い期間顔をあわせる機会もない。
家事や子供の身の回りの面倒を見る大人が2人ではなく1人になるというのは、子供にとっては不幸では?
また、自分の父親の顔を覚えていない子というのは、たとえば学校生活で父親の話をするときに、気まずい思いをするものではないのか?
金(養育費)だけ払えば子供にはなんの影響もないと思えないので。
yuatast 妻子供よりも自分の将来が大切だってことでしょ。分かりやすいよね。
まさに仰るとおり。説得ができない。任期のあるポストでも私にとってはとてもいい仕事なのだが、
私の感覚では、いい大学の助教の経歴があれば、自分のキャリアが続く仕事は見つかると考えているのだけれど、
妻はそういう楽観的で不確定な未来を受け入れる態度に耐えれれないということらしい。それもわかる。
どう説得すればいいのか教えてほしい。
子供が自分自身のことを不幸だと思わなければ、他人にどう思われてようが、問題ないと思う。
私自身は片親の子をみても不幸だとかそういう考えは持たないが、一般的にはどうなのだろうか。
子供がどう考えているのかは、離婚した親をもつ子供のアンケートの統計等を見ないとわからない。
妻はその業界では安定した企業の職についている。会社はその分野で国内最大手で連結の売上が500億以上。
そのため、妻が育休中のその会社をやめなくて済むように、私は東京でのし仕事を探している。
妻に詳しく認識を聞いてはいないが、子供が小学生くらいになるまではあまりフルタイムで働く気はないのか?
(妻の企業は時短がけっこう一般的で、フルタイムと時短の切り替えがある程度容易)
妻は子供と過ごす時間に対する優先度が高いように見受けられる。
問題は、私と妻が共同生活を送ることが困難になるほど不仲になってしまうという点で、
それを解決できない場合は一緒に暮らす全員がかなり不幸になる(と考えられる)。
なんとか、任期のある仕事につくことから来る妻の不安を私が取り除かなければ、一緒に生活できない。
宝くじで数億円が当たるか、私が、妻が満足する任期なしの仕事につけば、問題は解決する。
もし私が私のやりたいように進めると、私が任期なしのポジションにつくのは5年後等になると思われる。
そこまで不仲の状態で共同生活はできないので、離婚しなくても別居はするのではないかと思われる。
生物の特性上、子供を妊娠出産することができるのが女性だけというのが、現代社会においてかなりハードルが高い。
子供が欲しい女性はある時期は必ずパートナーや自分以外の何かに頼らざるを得ない。女性のキャリアの形成があまりにも難しい。
(世田谷とか笑ってしまうぐらい認可保育園が空いてない。例えば、1歳の子供を入れたい場合、待機児童が345人いる:
参照https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kodomo/003/009/d00031371.html)
認可外の保育園もあるが、個別に問い合わせてもまぁ空いていない。
保育園の申し込み書類の用意は私が主に担当している。保育園の見学は一時帰国したときに、私も3~4件は回ったが、
やはり認可保育園の方が環境がよく、そこに入れたいと思う親の気持ちは理解できる。
ただ、認可保育園を見学しても虚しいのは、入れる見込みがほぼないこと。(見込みがなくても見学していないと申し込みすらできない)
また、良い保育園がたくさんある地域は、結局他の地域から無現に子供を入れたい親が引っ越してくるので、
待機児童問題は永遠に解決しないと思われる。月14万くらい払えは、環境のいい認可外のインターナショナルスクールみたいな所に
入れられるが、私たちの家庭にその余裕がない。自民党はなんの関係もない。
月曜日嫌だなあ、朝嫌だなあ、仕事行きたくないなあって思いながら今朝を迎えて
ずーっとお昼休みを待って(今日はお蕎麦だった)。ご飯を食べ終わったらすることがないから。同僚と話しながらお昼休みが早く終わらないかなあと待って(子どもがハムスターを飼うらしい)。
それからずーっと就業時間を待って。帰りの電車を待って。電車が駅に着くのを待って。スーパーでコロッケとパックのご飯をカゴに入れて、レジを待って。
家に帰ってきてエレベーターを待って。レンジの前でコロッケとご飯があったまるのを待って。
油でベショベショになってしまったコロッケとご飯とカットキャベツを食べて。洗濯機が終わるのを待って。干して乾くのを待って。
もうすることがない。あとは寝る時間を待つだけ。テレビをつけて、テレビを消して、増田を見て、5chのチラ裏に少しだけカキコして、増田を見て、待つ。寝る時間はなかなか来なくて、画面の中以外のものが目に入るとたくさん現実の嫌なことを思い出してしまうから見ないようにする。出来るだけ自分のことを考えなくて済むように、増田と5chだけ見る。ときどきYouTubeで料理の動画を見る。好きだった理科は、将来の夢には叶わなかったから、bbcの宇宙の番組はもう見れない。まともな人間になるのは叶わなかったから、まともな人間がたくさん出てくるドラマはもう見れない。女子アナみたいな女の子にはなれないから、ニュースはもう見れない。小説も、活字が読めなくて、集中力散漫でもう読めない。増田と5chと料理の動画だけ見る。それでやっと、ようやく寝る時間になる。
寝るときは、寝付けないからマイスリーを飲む。ちょっと目眩がして、横になって寝付けるのを待つ。
一生目が覚めないといいなあと思うけど、もう26*365日くらいずーっと朝が来てるから、多分明日も来るんだろうなあ。
あと4回、待つのを繰り返してやっと週末になる。週末は出来るだけ長くずっと寝る。起きたら人生が長くなってしまうから。ずーっと寝て時間が終わるのを待つ。日曜日の夜にはやっぱり朝が来ないといいなあと思う。日曜日の夜だけ時間が過ぎるのを待たない。止まればいいなと思う。それでも多分朝が来ると思う。
当面の目標はお盆休み。でもお盆休みに予定なんかない。だから、待って待って得たお盆休みも寝て、寝て、終わるのを待つ。
そしたらまた、5回待って2回待って5回待って2回待つ生活になる。祝日とお正月を目標にして。
いつか退職できるのを待つ。退職しても多分、することがないから、やっぱり寝ると思う。そうして退職したら死ぬのを待つと思う。苦痛だった学校生活もずっと、休みの日と卒業式を待っていた。
嫌いなものが増えて、好きなものは嫌いになっていく。もう一度好きになれたらいいと思う。どれぐらい待てば好きになれるだろう。いろんなものに、嫌な思い出が染み付きすぎている。
はやく死ねばいいのに。もう1人自分がいたら、早く殺してあげたい。もし、早送りとか、スキップとか、ついてたら全部飛ばすのに。
あとどれぐらい待てば終わるのかと思うとうんざりして、泣きたくなる。
とんでもない施策がはじまる模様
キャリア・パスポートと聴いたら社会人になってからだと思うじゃん?
自己肯定感を植え付けてくれるそうですよ
読売が報じているんだけど
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20190713-OYT1T50218/
文部科学省は、小中高校生が学習や学校生活の目標を設定し、達成度を自己評価する教材「キャリア・パスポート」を2020年4月から全国の小中高校で導入する方針を決めました。自己肯定感、学習意欲の向上を目指します。
子どもと大人の人生を一変させる『キャリア・パスポート(仮)』が本年度から調査スタートへ
これ決定だからね。
行き着く先はナチスか
■頑張るってな~んだ!(虚無)
今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職か大学か専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?
「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的な底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから。
昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレットの学校の説明会にひとりで行った。ちょっと前から思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリ「ダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。
「イラストの業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」
「せめてもうちょっと現実的な専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界はダメ」
まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単にあきらめるようじゃ、せいぜいこれからも趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。
私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。
私は昔から、なにをやらせても中途半端な三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲や作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲の勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムでしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星でしかないのでさらに腹が立ったんだろう。
「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」
と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。
その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校に毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日制高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験は無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想でしかない。
ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式な文章でもないので開き直って続けることにする。
最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれからも特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生に強制されていた毎日の自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。
周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚したころ、スクールカウンセラーの先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいつもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったことしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。
このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……
とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。
ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家で孤独死するんだろうな……ウケる。
マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟ないから専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないから大学もダメ!ってなったら就職かニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス
ここまでクソな人間みたことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。
何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴をネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな
な~~んにもしたくないな ずっとTwitterのタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……
今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職か大学か専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?
「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的な底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから。
昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレットの学校の説明会にひとりで行った。ちょっと前から思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリ「ダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。
「イラストの業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」
「せめてもうちょっと現実的な専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界はダメ」
まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単にあきらめるようじゃ、せいぜいこれからも趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。
私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。
私は昔から、なにをやらせても中途半端な三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲や作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲の勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムでしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星でしかないのでさらに腹が立ったんだろう。
「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」
と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。
その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校に毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日制高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験は無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想でしかない。
ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式な文章でもないので開き直って続けることにする。
最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれからも特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生に強制されていた毎日の自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。
周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚したころ、スクールカウンセラーの先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいつもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったことしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。
このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……
とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。
ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家で孤独死するんだろうな……ウケる。
マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟ないから専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないから大学もダメ!ってなったら就職かニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス
ここまでクソな人間みたことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。
何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴をネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな
な~~んにもしたくないな ずっとTwitterのタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……
中学生くらいの時から、いわゆる男性向けの萌えコンテンツが好きで、
最近は女性声優さんとその声優さんが出ているコンテンツを同時に推したりしている。
中高生の頃にいた周りのオタクは腐女子だったり夢女子だったりがほとんどで、全くといっていいほどオタク友達が出来なかった
だから一人で楽しんでいた。つまりぼっち。でも特にいじめられていたわけでもないので、別に学校生活が嫌いとかいうわけじゃなかった。
ネットをやりだしてからは掲示板やらmixiやらでオタク男性とよく話したりしたので、オタク話が出来ないこともなかったし。
ということで女オタクの友達が出来ずにオタクを15年くらいやっている。
本題
VTuberには自分のような男性向けコンテンツが好きな女性が結構いる。
彼女らの配信を聞くたびに「こんな子が友達だったら、もっと学生生活楽しかったのに」という気持ちになって、ちょっと悲しい気持ちになった。
他の女性VTuberとのコラボ配信を見ているとさらにそんな気持ちになる。
勉強も運動も人並み以下で、そのくせブスで性格クズだから人徳なんてなかった。
先輩から可愛がられることもなかったし、後輩から慕われることもなかった。
不思議なことに中学生の時は同級生とは仲が良くてとても楽しい学校生活は送れた。今でも繋がりがあるし仲良くしてくれるけど、あの子たちも私を見下げているんだろうなと思う。中学時代の私はいじられキャラだった。正直それがしんどかったことはいっぱいあった。
友達なんか一人もできなかったし、なんなら軽いイジメにあってた。
軽いって自分では言うけど、私はイジメられてない!っていう意地をはってそう言っているだけで、本当は普通にイジメだったのかもしれない。
私はそれを誰かに言うわけでもなく、ひとり耐えた。言い返せばよかったのに、と今になったら思うけど、そんなことも出来ずただ卒業まで待った。途中クラスメイトの一人が同じくイジメを受けて不登校となり、イジメっ子も教師に釘を刺されたのかそれ以降私に何かしてくることはなくなった。
大人になってから中学時代の友人と遊んだ時に「中学の時に私たちが散々あなたをいじったから、性格がそんなに卑屈になってしまったのかも」というようなことを言われた。正直否定しきれない。
私にはメンタルの波があって、落ち込んでいる時に「昔の些細なことを思い出して嫌になってどうしようもなくなる時がある」と別の中学時代からの友人に相談したら、「私が中学時代あなたにひどいこといっぱい言ったから?ごめんね」と本気で謝られた。
謝るんかい。謝るんだったら、そんな責任を感じているんだったら、私が今こんな人間になってしまったことを全部あなたのせいにするよ。中学時代私をいじったあの子たちを全員恨むよ。
でも中学時代のせいで私の性格がひねくれて、クソな高校生活を送ることになってしまったんだったら、どうしたらいいの。
いや、分かるよ、悪いのは全部私で、誰かのせいでこうなってしまったんじゃないって。分かるけど、誰かのせいにしてしまう自分がいるのよ。気持ち悪。
いろんな人に下に見られて。
正直当時の私はそんなことどうでもよかった。自分が下手に出れば丸く収まるってわかっていた。争うぐらいなら最初っから負けでいいという精神で生きてきた。
そんな自分の人生を普段は嘆くことはない。けど、ふとした時に私はなんて惨めなんだろうと感じてしまう。
あ〜ぁ、なんなんだろうこの人生。
嫌だな。もういいや、どうでも。適当に生きよ。
これからずっと一人遊びに徹しよ。
友達欲しいし、恋人も出来るもんなら欲しいけど適当に、流れに身を任せよ。
人間怖いし嫌いだしどうでもいい。
全員に適当に接しよ。
来世に期待!
初めて増田になりました。
学生の頃にCLANNADのアニメを観て、それは大層泣きました。
シナリオの都合のよさとか、主人公にキツい運命を与えすぎでは?とか、そういう理屈を超越したところにこの作品はあって、京アニは見事にこの物語を演出してみせたと思う。
あの頃は家族とか友達とか人のつながりっていいな、と大まかにはそんな感想だったと思う。
しかし今の私は違う。見終わって、人はなぜこんなにも傷つきながら前を向いて生きなくてはならないのだろうと思った。
いやまあそもそも、5年目にして転職を2回しているような人生なので察してほしい。
働き続けることがこんなにもつらいのだと、布団の中で思う日々だ。
多分この日記を開いてくれた人はCLANNADやリトバスをすでに履修済みだろう。よって割愛する。
私の胸を打ったのは、AFTER STORYに入って、朋也が働き始めたところだ。
卒業後にプーだったことを負い目に感じていた主人公は、自分で仕事をみつけ、住む場所をみつけ、愛する人の5年目の高校生活を支える。
その18歳の岡崎朋也がなんともいじらしく、可愛く、行動してみせた自分がどこか誇らしく瞳が輝くも、あっという間に現実を突きつけられてしまうのだ。
新居に渚を迎えて浮ついた気持ち、職場の先輩の芳野と初めて車で現場に向かったときに、すれ違った家族を窓越しに見送った時の未来を期待する表情。
それがもうたった一日の労働で、家に帰ったら愛する渚の話に耳を傾けられないほど疲れ切ってしまうのだ。
学生時代にはその細やかな描写に気が付かなかった、まったく印象に残っていない。
改めて視聴した今回は、汐をめぐる物語以上に、朋也が働き続ける姿が目に焼き付いて離れないのだ。
本人も作中で話してはいるが、学校生活では友人たちの悩みを解決し、手を差し伸べてよい方向へ導いてきた朋也が、
人を導くことができるという自惚れが、働き始めたことで一瞬で瓦解する。
労働とは、そりゃ楽しいこともあるかもしれないけれど、大多数は生きるために嫌々行っているものだ、
学校が楽しくないからと不良のような生活を送っていたあの朋也が、逃げ出さずに仕事と向き合う姿は、まさしく日本という社会で生きるためには組織に所属して労働しなくてはならないという現実を突きつけてくる。
古河家だって、流行っているパン屋ではないことから、渚や朋也の目にみえないところで重いそろばんをはじいているのだろう。
朋也は渚を失ってからも仕事をしつづけた。本人はそれを汐からの逃避だといったが、生きるためにはお金が必要で、庶民は働かないと生きていけない。
どれほど傷ついても生きることから逃れられないのなら、仕事をしたり、人とかかわって生きていかないといけない。
汐の治療のために仕事をやめた朋也は、汐が亡くなってしまったら、もう死のうと心のどこかで覚悟していたのだろう。(原作で描写あったっけ…)
だから生き続けるための仕事をやめて、それを察した芳野は戻ってくるようにと声をかけた。
5年目に触れたCLANNADは家族っていいなとか楽しい友達が欲しいな、とかCLANNADは人生とかそういうことも感じたけれど。
傷ついた人間もその傷が癒えずとも前を向いて生きろと、そんな空をつかむような悲しいエールを受け取ったのだ。
思いっきり割愛するが、リトバスの主人公は親友たちを一度に失うという大きな傷を負う。
そして彼らが死ぬ運命は避けられぬのだと、その痛みを抱えてまでも生きろと言われる。
物語を通してハートが強くなった理樹は喪失をも受け止めて強く生きようとする。
まあ最終的にはうまいこと物語が展開してハッピーエンドになるのだけれども。
だーまえは何かとプレイヤーたちに強く生きてほしいと願っている気がする。
書を捨て街に出よう、じゃないけれど傷ついても現実逃避せずに真っすぐ生きてね、という応援。
ビジュアルアーツ20周年のイベントで配布された曲なのだが、わざわざイベントに来たような熱心なファンに「僕はもう大丈夫だから 今度はそう、きみが幸せになる番だよ」なんて語りかけてくる。
オタクなんて大小あれども、傷ついて生きてきて、エンタメにそれを救われているような人間ばかりなのだ。
そんなオタクたちに、現実に立ち向かえとスパルタ的に奮い立たせようとする。
あと多くのkey作品は現実から逃げるとBADED行きなのだ、智代ルートなど非常に印象に残っている。
そこまでして、どうして生きていかねばならないのか、、、なんて思う。
俺たちは人生の主人公なのだから、現実から逃げずに、居心地のいい環境を作って、ささやかながら生きがいをみつけて、VAにお布施して生きろと。
才能もない、とりえもない、頭もよくない、覚えも悪い。
ぐずぐずに崩れた自尊心を取り戻す手助けをしてくれる渚や朋也、恭介や理樹、そんな存在は周囲にはいない。
久々にCLANNADを観て、そりゃあもう想像外の感想を抱いたのだ。
現実をまっとうに生きている人々が圧倒的に多い世にこんないじけた文章を残せるのなんてここしかない。
自室に引きこもっていたようにみえた恭介だって、実は虚構世界で四苦八苦していた。己の失敗に落胆してはいても、決して行動をやめていたわけではない。
生きることとは行動なのだと、布団の中でスマホを触るオタクへ作品を通して鼓舞している。
もしもここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
サマポケ面白かったから買ってプレイしてね、プレイし終わってたらFD発売か京アニでアニメ化することを一緒に願おうね。
あとVAにできることは、だーまえの後継者を必死に探して育成することか、keyを畳んで新たな才能で作品を作るか、だーまえの治療費を全額出してあげてkeyブランドを守るかだ。