はてなキーワード: 学校生活とは
・表社会からは秘密の世界→近いのはBLEACHの尸魂界くらいだがBLEACHの連載開始はハリポタより後。
・学校生活と部活動→いずれの漫画もハリポタほど学園が舞台であることは徹底されていない。全寮制でもないし、学年が上がっていくこともない。
・絶対悪→ヴォルデモートは最初から最後までラスボスとして存在感があったが、ワンピ・NARUTO・BLEACHにそこまでの悪役はいない(ボスを倒せば次のボスが現れるステージクリア型である)。
・血統主義→最近はよく揶揄されているが言われるほどジャンプは血統主義ではない。主人公の両親が重要な役割を果たすのはNARUTOくらいで、ワンピでもBLEACHでも親の存在は希薄である。
・親世代から続く確執→ハリポタが「親から引き継いだ宿命」を物語の根幹に据えているのに対し、ワンピ・BLEACHでは枝葉の一つにすぎない。NARUTOでは両親のことが描かれるが、ラスボスと強い因縁があるわけではない。
・空白の過去の謎→なにこれ?
東京神奈川埼玉北海道からコロナが来られると困るからやってる付き合い自粛なんだよね。
でもこれ以上はコロナ持ってる奴だけ抑え込んで、他は通常通りに経済や学校生活を回してくれないと困るというか、自粛する意味が分からない。
この期に及んで、まだ感染経路不明が50%超えてる東京なんて完全な汚染地域。そこと岩手みたいな清潔な土地を同列に考える事が間違い。
さっさと東京神奈川埼玉と青函トンネルを封鎖するなり汚染地域から外に出た人間の罰則規定を作るなりしてくれよ。
ちなみにアベノマスク。まだ届いてないで。
両親は健在だし、今のところ大きな病気もなく離れてはいるけれど毎月1回程度は会っている。
その中で、なぜだか急に申し訳ない気持ちでいっぱいになることがある。
唯一、母を泣かせたこと。
その中で当たり散らされたことも多かったが、それは親の期待に応えられなかった自分にも責任がある。
しかし、感謝以上に何の孝行もできていない自分自身が悔しい。申し訳がない。子供の頃に何も成し遂げられなかったことや、他所の子供の何倍も迷惑をかけたことを未だに恥じている。
今は、私も大学を卒業してそれなりに稼げる職につき、母と出かけることもするようになった。
父と会話することは多くないが、心配をしているようだと母から聞くことが増えた。
結婚や出産なんかは予定がないので叶わないかもしれないが、大切な人もできた。
飼い犬の世話をしていると、私も元気に長生きしようと思う。
いや、ないでしょ。
せいぜい二か月休校になっているだけでしょ?
九月入学なんて学校にも保護者にも、何なら学生自身にも負担でしょ?
夏休みをなくすだけで対応できるのに、どうしてそんな大掛かりなことをやらせるの?
たかだか二か月で勉強が遅れるとぎゃあぎゃあ騒ぐ人たちは何なの?
うちの子は電子塾を使わせているからそういったことは全然ないですけど。
今時ネットでの学習教材やら塾でのプリントやらはいっぱいあると思うんですが、違いますか?
というかですね、私に言わせれば日ごろから要領を超えた「勉強貯蓄」を作っていない方が悪いですよ。
このご時世、二学年、三学年先の勉強は当たり前。ちゃんと我が子にもそのようにさせています、不自由のないように。
インターハイ?冬の大会の方に参加すればいいじゃん。受験との兼ね合い?自己判断でしょ。
というか部活やサークルなんてただの娯楽でしょう?そんなものにかまけていて大会に出れなくてぴーぴー泣くなんて。
どうでも良いでしょう?なくたって生きてけますし、学校生活には何ら影響ないでしょう?アメリカじゃあるまいし。
演劇だって映画だって中止になっているんですから、貴方方のちゃちな思い出作りに支援する必要なんてないと思うんですけど。
就活に受験?現社会で適合できなかったのは社会性がない学生たちの実力そのものじゃないの?
一言でいうなら、さぼり。自己研鑽をしてこなかったツケですよ。
受験で二次が受けられず入れなかったのは、センターを軽視していたあなたの責任です。
もし貴方が浪人していたなら、なおのこと貴方の責任です。一発で受かれば十分だった話でしょう?
時流を見る目がない放蕩学生を雇い入れるところなんてあるものですか。
簡単にまとめると、今子供たちに支援する必要はまったくありません。だって必要ありませんから。
苦しんでる?いえ、苦しむべきです。若いころの苦労は買ってでもしろっていうじゃないですか。
それが今無償で支給されてるんですよ。貴方達の好きなログインボーナスです。良かったですね。
サクセスストーリーがわかりやすいのはいいのだけど、ブレイク芸人が出てくるとすぐに過去の苦労話ばかりし始めて見ていて辛くなる。
その中でも本当にやめてほしいのは、昔ワルでした系のエピソード。
いたよ。学校に。人にひどいことしておいて、それを笑いにかえてる人気者。
静かに目立たないように学校生活を送っていたいのに、わざわざちょっかい出してきて自分の人気のために消費するだけのやつ。
おいしいってなんだよ。こっちは毎日どれだけストレスになってるかわかってんのかよ。
芸人の不良時代の写真とか見るだけであのときの胃酸の苦味が喉の奥に蘇ってきて、それ以降その芸人では一切笑えなくなる。
そうじゃない芸人もいるけど、確かに苦労してるなとは思うんだけど、半分以上はただのクソ野郎だよな。
真面目に働くことを放棄しておいて、金にもならないことを何年も続けてましたとか、ずっと彼女に苦労かけてきましたとか。
アリとキリギリスでキリギリスがいきなり金持ちになって南国で越冬する話なんて誰も面白いなんて思わないだろ。
そういうエピソード系の番組なら仕方ないけど、バラエティのちょい役で出たときに急にねじ込まれる過去エピソードとか避けようがない。
頭でわかっていてもこの人はそういう人だったんだと分類されてしまえばもう二度とその芸人では笑えないし、思い出したくもない記憶が刺激されてつらい思いしかなくなってしまう。
正確には通る見込み。なにやら入居申込書に抜け漏れがあったらしく、「その確認が取れれば審査は通ります」とのことだった。どうでもいいけど、今まで書類に不備がなかったことがねえな。
正直、絶対落ちると思っていた。
家賃安めだし、賃貸と書いたけどシェアハウスだし、積極的に外国の方を受け入れているし、一般的なアパートよりは比較的ハードルは低かったのかもしれない。
しかし高くない収入。会社には属しているけど、半年契約の業務委託。非正規に雇用すらされていない。利子が膨らみ切った借金、カードや家賃の支払い滞納も枚挙にいとまなく、納税も滞っている。水ガス電気、ネット、携帯はだいたい止まっているっていう、物件のハードルの低さを補って余りある(???)私の人間レベルの低さよ。
ただわたしには、そういう核心的な部分を隠して人前に立つと、必要以上にちゃんとした人間と思われるという最高の特技がある。
私はひとつの集団でうまく人間関係を築けたことがマジでない。ただ、その場限りの人当たりはマジでいい。まともに学校生活が送れず頭も悪かったのに、神がかり的に強運だったお蔭で良い大学を出た。就職活動では当然つまずいてニートになったけど、人づてに今の会社に入ってしまった。またこの会社の、立派なこと。給料は全然高くないけど、人に言うとだいたい褒められる。半年契約の業務委託もフリーランスと言えば聞こえよく、なんとか食いつなぐために続けている一発仕事も最近では「複業(副業)」とかいうトレンドだ。かっこい~。
でも私には何かが足りてない。
皆が知ってる情報をなぜか毎回キャッチアップできてないこと。そのせいで受けなきゃいけない試験や出さなきゃいけない書類をスルーして、その後の生活がどんどんガタガタになっていくこと。
近所の丘の上で転ぶ練習をやらなきゃ足がそわそわして気が済まなくて、血が出てもやめられなかったこと(なんなんだ)。
水道が止まってコンビニにトイレを借りに行き、間に合わずに屋内で全部漏らしたりしたこと(すみません)。
人の顔が覚えられないこと。何度確認しても書類に不備が出ること。人の声を拾えないこと。お金の管理ができないこと。そうして膨らんだ借金。逃し続けたチャンス。不健康。全部が中途半端になんかすごいうんち。普通にだらしない。
少し前、借金と不健康で首が回らない中、甘い考えが頭をもたげ、助けを求めに実家に帰った(飛行機なので往復数万かかる、無理すぎた)。
我が子は今日も順調そうで鼻が高いと、心底嬉しそうな両親が私を迎えてくれた。私も嬉しいよ。だから東京での、刺激的で充実した最高の生活について話して聞かせる。私は東京で楽しく元気に暮らしています。皆さんのおかげです。本当に恵まれている。ありがとうfamily。そしてまた足場が固められていく。どんどん豪華なやぐらができる。その頑丈な足場の上に乗っかってる生ゴミ。もう一人ではとても降りられないから、誰か……
しかしこうして入居審査に通ることで、自分、社会的に人権がある、終わり切ってない、全然どん底じゃない、まだまだ頑張れる、明日も明日が来る、この先も落ちていく場所があることがよくわかりました。
うんそう、絶望なんて、そんな資格はまだない。わたしにはまだ頑張らなきゃいけない明るい未来がある。当たり前じゃないですか、大人なら皆やってることですよ。甘えるのもいい加減にして。
内覧の際、物件担当の方からの印象は、志高く愛想よく、多分だけどかなり良かったと思う。
ただここまでだ。わたしが「いい人」でいられるのは。
どうせ入居したところで人の顔色を伺うばかりでまっとうなコミュニケーションなんて取れず、ニヤニヤウロウロしながらリビングを遠巻きにして、仲間に入ろうと思って発したひと言からボロを出し、今度は自分が遠巻きにされ、それでもボウフラのように気色悪くしばらくその場にとどまった末、結局耐え切れず静かにドロップアウトすることになるでしょう。
自分の能力に著しい凸凹があることは、幼い頃から気づいてきた。
親が「みんなそんなものよ」と言うものだから、みんなそうなのだと信じて生きてきた。
物心ついた頃から知能は高かった。しかし勉強という行為は地獄のように退屈だった。
なぜこの教師は1時間も使って足し算を説明しなければならないのか、なぜ周囲はこの程度も理解できていないのか、そして既に理解できている自分がなぜ1時間も退屈に付き合ってやらないといけないのか、ひたすらに理不尽だった。
教室を飛び出したい衝動に常に駆られていたが、飛び出せば落伍者扱いされることは解っていた。だから我慢した。
授業を聞いている振りをして空想に耽ることだけが、唯一の自由だった。
「持たざる者は、持つ者を妬む」と、親がよく口にしていた。
同級生よりも【持っている】と気づいてしまった事柄は、片っ端から隠し倒して、持っていないふりをした。
持たざる者の苦しみを想像し、「私も…」と同調し、仲間としての承認を得てきた。
運動能力や感覚過敏など極度の身体的欠陥と、そしていくつかの規律性の欠如、それらに私は救われた。
「勉強以外は欠陥だらけ」とレッテルを貼られることで、嫉妬のターゲットを回避する絶好のポジションを、コミュニティ内で獲得できた。
とにかく周囲を観察し、人に好かれる態度と嫌われる態度を学習し、目立たず騒がず当たり障りのない人物を演じ続けてきた。
それでも「人並み以下の努力で、人並み以上の成績を維持していること」に気づき、妬み、攻撃してくる者はいた。
この頃から人付き合いに疲れだした。自分と似た性質を持つ者が、およそ存在しないことを悟りはじめた。
人に打ち明ければすぐさま嫌われる類の悩みばかりが増幅した。
外面的な交友は虚しく、内面的な孤独は深まり、学校生活はさらに退屈になった。
学歴なんて何の役にも立たないと言い張る世間の大人たちと、難関大に受からなければ人扱いしない教師たちの顔色を伺いながら、適当に受験し、就職し、いよいよ三十になった。
会社でも学校でも、凸凹を隠して「普通の人」として生きるために必死で擬態を続けてきた。
擬態に疲れ、精神を病んで辿り着いた自助グループでは、いかに正直に凸凹をさらけ出しても「普通の人」と敬遠された。「あなたは大丈夫だから」と、励ます口調で突き放された。
どこまでいっても異端扱い。
鬱病でも、人格障害でも、社会不安障害でも、発達障害でも、HSPでも、ギフテッドでも、なんでもいい。
どの看板を下げても被差別階級になることは解っている。もうどれでもいい。
対策を示せ。
これ以上待たせるな。
これ以上翻弄するな。
原因がはっきりわかっていないのも、正しく診られる専門家が国内に少ないのも、学術データが揃っていないのも、誤診が起こりうるのも、すべて私のせいではない。
どこまでが普通なのか、障害と呼ぶべきなのかの議論なんて今はどうでもいい。
ただ私が困っている。それが真実ではないのか。
中学入学時、親が近所の卒業生にもらってきた他人のお下がりのアルトリコーダーを使わされていた。
全くサイズの合っていないぶかぶかのジャケット、引きずるように長いスカートを腰のところで折り返して三年を過ごした。
私服は親がもらってきた近所の既婚女性が若い頃に着ていた洋服。
お小遣いは月に1000円。同級生には「それでなに買うの?」と馬鹿にされた。
当時は、うちは貧乏だから仕方ない、我慢しなくちゃいけない、と思っていた。
親にもなにも言えなかった。
実際は、うちは年収2000万越えの比較的裕福な家庭。(大人になって源泉徴収を見て気がついた)
決して、買えなかったわけではないと思う。
母は節約好き、というよりもケチで。電気や水道など大した意味もないのに執拗に消して回るタイプ。
わたしの平穏な学校生活よりも自己満足のための節約が大事だったか?
時々思い出して、「リコーダー」「他人のお下がり」とかで、検索してしまう。
兄弟間のお下がりで悩んでる人はいても、さすがに他人の唾液のついたリコーダーを我が子に使わせようとしている親は見かけない。
そんなにあり得ないことなのかと、今更傷つく。
そう思っても、大人になって反芻した時に傷ついたり、怒りがこみ上げることもある。
物心ついた時から周りより頭ひとつ分以上背が高く、小学6年生で170センチを超えていた。
小さな頃は年相応にセーラームーンやキティちゃんなど可愛いものが好きで、よく身につけていた。
だが、自分が可愛いものが似合わないのではないか、と気づき始めたのは幼稚園の時。
発表会で笠地蔵をやることになったのだが、その中に狐の役があった。
黄色いふりふりの衣装がとても可愛らしく見え、私はその役に立候補した。
だが、他にも複数候補者がおり、1人狐役を諦めなければいけない。
本来ならジャンケンなどで決めるのだが、そのとき私にはそれすら選択にはなかった。
なぜなら当時の担任直々に「狐役は諦めて欲しい」と言われたからだ。
衣装のサイズの問題や、おばあさん役の方がぴったりだからと言われた。
そのとき、ふと目の端に見えた狐役の子たちは皆平均身長でとても可愛らしく見えた。
そのとき私は「背が高いと可愛いものは選べないんだな」と思うようになった。
幼稚園児が考えることなのであまりにも極端だと今は思うが、己の顔立ちやそもそもの体型なども、幼いながら人より劣っていると気づいていたのだと思う。
それから少しずつ可愛いものに興味を示さなくなった。だって、似合わないものを身につけてもダサいだけだし、と。
気付いたら女らしさ皆無な子供に育っていた。
うぜぇ、だまれ、カスなど口走るなんとも可愛げのないクソでかい女の子が誕生していた。
また、中学でスポーツ系の部活に入ったことにより、髪の毛もベリーショートに切り、服のサイズもメンズ物しかなかったため、見た目はどこからどう見ても男にしか見えなくなった。
デパートなどの女子トイレに入ればすれ違うひとに驚かれトイレマークを確認されることは毎回のことなので慣れた。
最初は気のせいだと思っても、それは気のせいではなかった。
友達から「今あの人あなたなのとみてたよ、すごくびっくりしてた」と毎回報告されていたからだ。
(中途半端な田舎だからっていうのも1つの理由だったのかなと思う)
恋愛対象で見られることは皆無だったが友人としては仲良くやれていたので特に気にはしなかった。
少女漫画も少年漫画と同じくらい読んでいたし、こっそりと片思いもしていた。
けど、振り向かれることはないとわかっていたので告白も何もしなかったけれど。
そんなこんなで大学生になったある日。
見た目さえわからなければみんな私を1人の女の子として接してくれることにとても感動した。
それからは毎晩寝る前にいろんな人と話をした。
みんな優しくしてくれたし、声を少し高めに話すと可愛いと褒めてくれた。
今まで体験できなかったことが沢山体験でき、自尊心が満たされた。
今まで相手には身長のことすら言えなかったのにその人には話せた。
それでも引かれることはなく、魅力の1つと言ってくれた。
大学生になっても、私の服装は相変わらずでダボっとしたパンツにTシャツやパーカーばかり着ていた。
そのことを話すと、彼は
「なんで女に生まれたのに女を捨ててるの?」
と質問してきた。
「好きでその格好ならいいけど、女らしい服装をしたって良いんだよ」
「似合う似合わないじゃなくて、似合わせようとするんだよ」
と。
あ、と思った。
本当にあ、と。
可愛い格好してもいいんだ。
面長で重たい一重。
鼻も高くない。
その身長があるならモデルになりなよとみんな言うけど、頭身もないし腕も足も短い。
だから、女の子らしいは似合わないから、みんな変に思うから、楽なメンズ服に逃げていた。
そうなんだ、別にいいんだ。
それから少しずつ女らしさを取り戻していった。
といっても、完全に女として生きていけるようになったのは社会人になってからなんだけど。
田舎町から都会へ引っ越して、人の視線を感じることが少なくなったのも1つの要因だった。
ヒールの靴も痛いからあまり履かないけど、6センチのヒールを履いて出掛けたこともある。
少しずつ、少しずつ。
気付いたら前よりも女の子扱いされることが多くなった。
性の対象にすらみられてなかったのにそういう目で見られるようになる。
可愛いと言ってくれる。
髪の毛長い方が似合うよと言ってくれる。
もちろん、モテているわけではなくて基本的には友人としてしかみられないこともあるし、この身長にドン引きされることも多々ある。
けれども私は女になった。
ずっと女になりたかった。
ここまで拗らせるには他にもいろんな要因があって、自分に自信をなくして、自分を男に見立てることに逃げていたけど、もうそんな自分にはならないだろう。
覚えているところからだと、
学校生活を送っており、テストをしたので各自の答案を返されてた。ボロボロの校舎で後ろに黒板のある教室ではなくて掃除道具入れのロッカーの隣にはドアがあって各自の更衣室みたいになっており、自分用のロッカーがあってボロボロのクセには立派な学校だなと印象を受けた。
で、どうやらハロウィンが浸透してて「今日は行くんだろ!?」と会社の上司(お互い気軽に話せる間柄)が出てきた。上司も同級生になってて笑ったけど、仮装の剣道着を忘れたので柔道着でもいいかと思ったけどダメだなと判断して、普段持ってるジャケットとTシャツを着てシティーハンター風になって出ると、片思いしてた人(諦めちゃったが)待っており、食べかけのぽたぽた焼きを「食べる?」と言って差し出してきた。オレは食べかけのものを(というか親しい人からでも食べかけは嫌だし)食いたくないのだが、その時は嫌な顔をしつつ「じゃあ…」と言って食った。しけってた。
片思いしてた人と一緒に談笑しつつ街に繰り出すと、結構賑わっていた。地元で嘗て賑わっていた繫華街で、今現在は変な建物が建って無理くり繁栄してますという末期な街だが、夢の中ではずっと繁栄してるようでメインシティみたいになってた。けど治安が悪い感じになってて、東京の(に住んでいる人間には悪いけど)駅前の薄汚れたところにグラフティーがぐちゃぐちゃと描かれてて、ストロングゼロの空き缶がジュースのごとく詰まれたゴミ箱があった。少し歩くとまた会社の同僚(親しく話せる女性)が待っており、3人で探し物をした。若干熱を出してた(この前風邪をひいてた)らしくて「熱あるの?」と同僚がおでこをオレのおでこに当ててきた。恥ずかしくて顔真っ赤になったところで目が覚めた。
あと良いか悪いかのどっちの夢かというと、悪夢だな。テスト返されて、あんま興味の無いハロウィンに参加してて、食べかけのぽたぽた焼き食って、おでこ当てられ恥ずかしくなるとか。
全然まとまってない、ずっと誰にも言わなかったことを誰かに見て欲しくなってそのままのテンションで書いている。面白みもない。嘘も混ぜている。よくある家族ネタだしつまらないので途中で読むのをやめてもいい。
うちの家は父 母 兄 自分の4人家族で3人暮らしだった。物心つく頃から父親は家に住んでおらず、週に1回〜月1くらいで家に顔出してた。頻度はまちまち。稀に泊まった。友達の家や漫画やテレビに出てくる家庭では父親は同居しているから不思議だった。母に聞くと仕事としか言わなかったので足りない頭で出張が多いと思っていた。姓は全員父親と同じだったので、普通の家とちょっと家族のあり方が違うくらいにしか思ってなかった。あまり顔を合わせないので父親は自分と兄には優しめで、車で遊びに連れ出してくれたことも結構あった。親同士は普通に会話していたけどよく口論になる。別に仲良い雰囲気はない。でも全然不満とかなかった。ちょっと母親は神経質でヒステリックだったけどそれは自分が悪いことしたときぐらいのことだったから気にならなかった。
小学校卒業までそんな感じ。中学から父親が買ったマンションに引っ越したが新しい家に父の部屋はなかったので引き続き3人暮らし。父親は仕事、母親はパート。しばらく平和だったけど兄が3つ上で高校受験と大学受験が重なったり、兄が浪人決定したり自分も思春期だったりで家がどんどん殺伐としてくる。母親は常にイライラして、他の人間を家にあげるのを嫌がった。
更に父親の会社が経営難?で家が差し押さえられそうになってたっぽい。実際売りに出されたり家財が持ってかれることはなかったけど、よくわからないうちにその騒動は終わった。
自分はというと中学卒業後、高校は適当に近い公立に決めてしまった。安いしいいかと思った。ただその後に何したいかは考えてなかった。学校生活を送ればいいと思っていた。いずれ大人になって働くことが全く想像できてなかった。高校でやりたいことも勉強したいことも見つけられなかった。当然やる気もなく勉強にはついていけなくなった。あれよあれよと月日が流れせっかく入った高校は3年生で不登校気味になってしまった。学校は行ったり行かなかったりで行ったとしても遅刻ばっかり。母親は驚き怒っていた。不登校気味になってから毎日布団で寝ていると母親が部屋に入ってきて、学校に行け勉強しろ、恥ずかしい ちゃんとしないからこんなことになる 生まなきゃよかったと言っていた。大学受験をしない気なら身体を売って生活でもしろと言っていた。なんとか学校へ行っても母親の声が聞こえてくる気がした。よくわからないけど母親は学校に電話して担任にキレ散らかしていたらしい。色々限界になり父親に連絡し、消えたい死にたいと話した。
そうすると謎のお金持ちパワーが発動して、あっというまに自分だけ引越しすることになる。正直びっくりした。家は貧乏だと思ってた。だって差し押さえられてたし、公立行ったのもちょっと気を使ったからだしこんな裏技が人生にあるのかと思った。家賃も光熱費も全部父親のお金だ、夏休みから一人暮らしだ。でもうつ病になって毎日泣いて暮らしていた。
なんとか高校を卒業すると父親から連絡があってこれまたびっくりしたのだが、結婚すると言ってきた。子供が生まれるんだとも言った。父親はいつの間にか新しいウクライナ人の奥さんと結婚していた。奥さんの方には連れ子もいるらしい。情報過多すぎて感情が追いつかなかったことだけ覚えてる。いつの間にか離婚したことは誰からも一切知らされていなかった。
なんとなくこの家の人を書いて終わる。
半年前まで働いてもう辞めた。貯金で生きてる。高3の夏休みから一人暮らしだった家は出た。
母
元看護師?仕事は介護系だった気がする。誕生日を知らなくて誰も祝ったことがない。春だった気がする。たぶん60代後半。離島出身 。
父
自営業 。この人も誕生日わからないけどたしか1月。たぶん70くらい、東北出身 。ウクライナの奥さんとこに3人子供がいるらしい。
兄
3個上 自分以外の家族で唯一誕生日はっきりわかる。頭良い大学卒業したあと派遣で働いてたはず。ほぼ片親状態の家であそんだり面倒見てくれてあんまり子供っぽくなかった気がする。小学生のときに性的ないたずらされてたこと思い出してから連絡とってない。
というか全員と連絡取れない。これでおわり。
デービッド・アトキンソン先生の本を読んで思い出しました。
僕が根暗になるまでの話です。
僕には年の離れた兄がいます。
学校でも人気者の兄は僕の自慢でしたし、憧れでした。
そんな彼が地元のサッカークラブに所属していたこともあり、僕もサッカーを始めます。
が、これがてんでダメ。
僕はサッカーが全く上手ではありませんでした。
するとどうでしょう。
とりあえず試合には出してもらえるのですが、ベンチのコーチからは試合中に大きな声で幾度となく叱咤を受けることとなります。
『あ~、だめだよ、だめだよ、〇〇ちゃ~~ん…』
という具合に。
初めこそ「上手いプレーで見返そう!」と何とか食らいついていました。
しかしそれすらも上手くいかず、徐々に心がすり減ってゆき、結局は委縮してしまいました。
常にコーチに見られている。
正直、試合の勝ち負けやなんてどうでもよかったです。
そして"その場しのぎ"を覚えたのもこのあたりです。
とにかくコーチに怒られたくありませんでした。
理解してもらえないかもしれませんが、これに関して印象的なエピソードがあります。
一度だけ、どうしても試合中にウンチに行きたくなってしまいました。
普通ならば「おなかが痛いです」ってベンチに駆け寄って一旦交代で済む話なんでしょう。
でもコーチの性格上、『試合前に行っとけよ...』なんて言われるのは目に見えていたので、どうしても言い出せなかったんですよね。
言っている側の内心では「まぁしょうがないか」程度に考えての言葉でしょうが、当時の自分はその一言を受け止められるだけの余裕がありません。
そんなダサイ状況ですから、普段の学校生活なんかにも影響が出てきます。
一度でも他人が自分をどう思っているのかを気にしだすと、何もできなくなっちゃうんですね。
今までは大好きだった体育の時間、ウケたくて熱心な準備をしていた帰りの会での一分間スピーチも。
この頃にはだいぶ日本人らしくなってきましたね。
そうしてだんだんコミュニケーションが下手になっていくのを感じてました。
自分が殻に閉じこもってる様子がはっきりと自分で見えていました。
そうして時間を無為にしている自覚と共に、その場しのぎを繰り返してきました。
何もできないし、とことんネガティブな自分にどんどん嫌気が差していきます。
特筆すべき特技なんかありません。
ちょっとできた勉強でさえも、大学ですっかり自信を失ってしまいました。
自分の場合はサッカーでしたが、他の根暗達は運動会やいじめなんかがキッカケだったんだと思います。
なんで経済系の本を読んでこんな事を思い出すのか。