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はてなキーワード: 召集令状とは

2019-10-04

まだ戦後にいる

父親が殴るひとなのはなんでなのかな、とずっと考えてきた。

うちの父はひとでなしではない。

ごく一般的良心正義感くらいは備えている。

やさしくされたことくらい、いくらでもある。

ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。

その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。

わたしはずっと疑問だった。

父は保守的田舎で育った。

そして体罰普通に罷り通っていた時代学校生活を送った。

自身自分父親や周囲の大人に殴られて育った。

実際、なんでもない思い出話として、虐待しか言いようのないエピソードを聞いたこともある。

殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。

当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。

当然と思わなければ、きっと生きていかれなかったから。

なるほど、理屈としては理解できる。

でも感情は納得しない。

わたしは再び、なぜと繰り返した。

なんでうちの父は殴られて育ったの。

誰のことなら責めてもいいの、とその問いの意味は同じだった。

わたし知識を蓄え、考え続けた。

そして、ある推察を得るに到った。

父を殴って育てた、祖父の推察だ。

祖父は早くに父親を亡くした。

若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘家長となっていた。

から赤紙は、祖父には遅れて届いたらしい。

家父長制的な配慮祖父には行われた。

遅れて兵隊にとられた祖父は、内地出世した。

階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。

祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。

当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。

殴れる立場になる前に、祖父も殴られただろうか。

そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。

そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。

赤紙が来たとき果たして祖父はどんな感情に襲われたのか。

今となっては分からない。

祖父戦争のことを語らないまま死んだ。

祖父内地終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。

その状態で、待たせていた妻と幸せ家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。

祖父はひとでなしではない。

孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。

自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。

耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。

祖父戦争の話をしなかったのは、できなかったから。

罪悪感が祖父の口をつぐませたからだと考えれば、筋が通る。

祖父戦地に行かなかった。

凄惨戦場経験していない。

から戦闘撤退戦過酷さが祖父沈黙を強いた訳ではない。

そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。

復興していく日本、生まれる我が子。

祖父の目にはどう映ったのか。

幸せ自分からぶち壊そうとするしかできない夜。

殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。

そういう夜があったとしても、理解はできる。

酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。

サバイバーズ・ギルトPTSD

今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。

当時はなかった。

PTSD最初に診断されたのはベトナム戦争帰りの兵士だ。

第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争精神的な後遺症は見逃された。

少なくとも、祖父は見逃された。

誰も祖父を、父を、救わなかった。

父を殴った教師なかにも、きっと救われなかったひとはいる。

かつてカミナリ親父と呼ばれた年配男性日本中にいただろう。

その情緒不安定さのどれだけが戦争の招いたものだったのか。

誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。

わたしは殴られて育った。

もはや戦後ではないんだろうか。

本当に、戦後ではないんだろうか。

それなら、なんでわたしは殴られたの。

この身を苛む恐怖はなんなの。

ねえ、わたし、誰のことなら責めてもいいの。

誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。

責任を負う立場に誰もいない。

わたしはせめて戦争暴力を憎む。

戦後まれの、戦争を知らない平和ボケした日本若者であるらしいわたしは、せめて戦争暴力を憎む。

2014-08-24

世界よ終われ。僕は生き残るけど。

最近漫画は、やたらと終末思想じみたものが多い。

人間の半分がゾンビだとか獣人だとか、まあとにかく

日常が突如として非日常に一変し、そこで清濁飲み込んで成長する主人公

みたいなものが大半で、もう、被りまくりである

その割に寄生獣の域を一歩も越えられない。というか、足元にも及んでいない。

僕はこれを読んでいる層と、いわゆるネット右翼は完全にシンクロしているとみている。

彼等の中にあるのは、一言でいうと「終われ、こんな世界である

まるで見通しの立たない自らの不遇が、ご破算になる日を心待ちにしているのだ。

そしてそれを成す為の、現時点で一番現実的手法は「戦争である

戦争ドンパチおっ始まって、核でもなんでも世界中に落ちろと。

とにかく、全てをリセットしたい。それが願いだと思う。

しかし、彼等のイメージの中では、その荒廃した世界の中で、

自分はちゃっかり生き残っている」のである。ここが非常にあつかましい。

政府は、是非ネット右翼の方々のIPアドレスを取得しておき、

有事の際は、いの一番召集令状を出してほしい。

召集令状を断る為の診断書の取り方スレ

が乱立することは間違いない。

もともと、「匿名で表明される立場」に、力などあるはずもない。

しかし、それが大きな塊になり、力を持つ時代環境になってしまった。

心底、恐ろしいと感じる。

2013-05-31

慰安婦性奴隷というのなら、

召集令状一枚で戦場に放り出された兵隊は、まさに奴隷だよね?

それまで争い事とは縁のない仕事をしていた人も、無理やり武器を持たされて、

最前線の夜露も凌げないような所で、日々劣悪な食糧事情に耐えながら、

敵に遭遇すれば自分や仲間が命の危険に晒され、

自分や仲間を守るために狂気にまみれながら敵の生命を奪おうと懸命になる。

自分と同様、敵の一人ひとりにも愛する家族がいるはずなのに、そんなことに思いを至らす余裕もなく。

そして、そんな状況に嫌気がさして逃げ出したくとも、

同じ釜の飯を食った仲間を見捨てるに見捨てられず、

見捨てて逃げ出したとしても、見つかれば脱走兵として重罰に課せられ、

見つからず逃げおおせたときでも銃後の家族が激しい批判に晒される。

これって、奴隷のものじゃないの?

それとも、男だから我慢しなきゃいけないの?

「男」だから、「日本人の男」だから、我慢して受け入れて当然なの?

2010-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20100324111235 への返答

id:ululunだけど増田に書くよ。

A.誰も変態と呼ぶべきではないよ

→ それは平和な良い世界ですね。でも、世の中そうなってはないでしょ。

良くわからないのが「世の中そうなってはいない」という事実が存在したとして、それが一体何を物語るというのだろう。

世間がそうだからといって「あなた」がそれに即した思想信条を持たなければならない理由は?

進め一億火の玉だ、お国の為に戦うぞ、というのが「世間」の風潮だったら竹槍でB29に立ち向かう訓練をするタイプだよね。

そして「それ」は現実にちょっと前の日本という国で起きた話なんだ。

戦争日本が勝てるとか本気で思っていた国民が何割いたのか私は寡聞にして知らないのだけれども「お国」が怖くて多くの人達は従うしかなかった人もいるんじゃないのかな?赤紙、という召集令状が来るのを誰もが恐れていたのに送り出す時は涙を隠しながら万歳三唱をしていたという話はいろんな文献に載っている。

「世間」というのは、だから恐ろしい、というよりは「世間」を理由にしてはならない、と思う。ましてや「思想」を行政に委ねるなどという行為は余程慎重にしなければ危険極まりない行為だと思う。

とてもではないのだけれども「感情」によって思想を委ねるような大事なことを決定するような事は避けるべきだと思う。

勿論、「未成年者が性的な陵辱を受ける行為を肯定的に描く行為」を気持ち悪いとか怖いとか言う気持ちは十分に理解するし、そうした事を言いたかったり法の整備を願う気持ちを否定はしないよ。


個人的には他人に肉体的・精神的危害を与えない事なら何をやっても良いと思ってる。

SMだって怪我したり死んだりしなければ良いんじゃねえのと思う。八王子監禁王子裁判がこないだ開かれて話題になっていたけれど、ドアを部屋の中から出られないようにしてるとかは流石にどうなんだろうねえ、と思う。檻に閉じ込めるプレイはあるけど何日も監禁するのは流石にどうよ、と思うからね。余程当事者同士の了解がなければやったら裁判になる事だってあるでしょ。

小学生女の子が30歳の年齢差がある男の人と恋愛沙汰になっていいかについては法律云々を除外して考えるなら精神的に未発達な部分があるからもう少し待ちましょう、としか言いようがない。日本国籍を所有しているなら16歳になれば婚姻出来る。

逆に言うなら16歳で婚姻出来るのに18歳未満の「未成年者」が性行為をする事は法律で認められているにも関わらず、その表現を抑止しようとする合理的理由が説明されていないのは謎といえば謎だよね。

で。同性愛。まー、釣りで書いてるのかなって思うけど、これは趣味とか嗜好とかじゃなくて生まれついてのものだから。中には思想的理由から同性愛に走る人もいるんだけれど、同性愛というのは左ききとかと一緒で「なおす」とか「かくす」ものではないし「いけない」ものでもない。個人的にはスカトロだろうがSMだろうが隠さなくたって良いと思ってるし、私も散々はてなダイアリで書いて来たように女装をして外出とかしてた人間なんだけど、恥というのは「世間」という構造が産み出したものであり、その世間というのは何処に存在するかというと「人からどう見られているのか」という眼差しそのものであり、結局は「私を眼差す私」なんだって事に気づいたりする。それを「世間」という存在するかしないマジョリティに肩代わりさせて言ってるに過ぎないって思ってる。世間という曖昧もこもこな、それこそ非実在世間とでも言えば良いんだろうか、「みんながそう言ってるから」っていう「みんな」って誰と誰と誰なんですかって話なわけで、そもそも数的に多かったら正解なのかとか従わなければならない具体的根拠は何よって話なわけですよ。


http://anond.hatelabo.jp/20100324111235に「感情論で人を裁くのか」という話が書かれているのだけれども感情で人を裁く事があるという事実をもってして、気持ち悪い、怖いという「感情」で思想を法の下にひざまずかせて良い根拠にはならないと思うよ。

気持ち悪いとか怖いというのは個人の価値基準でしかなくて、それを言い出したら「怖いというあなたが怖いので、怖いというのをやめてください。そうしないと私の恐怖を取り除く事はできません。どうしてもやめないのなら法にするべきです」と言ってしまう事だって出来るでしょ。


変態というカテゴライズについて、どういう認識でいるのが正しいんだろう?

先ず、いろんな「人」と逢い、話を聞くこと。趣味や嗜好以外の「人」の部分で話し合えない人というのは殆どいない。

少なくとも私は出逢った事はない。

大抵の意見の相違は「ぼたんの掛け違え」を超えるものではない。人はそれをエゴと呼ぶ。

例えば私はうんこは食わないし、食いたいとも思わない。目の前でうんこを食うプレイを見たいとも思わない。

同じように「未成年者が性的な陵辱を受ける行為を肯定的に描く行為」を見たいとも思わないし、極端な話そんな描写満載の漫画とはこの世の中から抹殺されてしまっても構わないとすら思っているよ。

だけれど東京都((ではなくてもどの行政でも良いけれど))が「法律で」表現に対して「あれは駄目、これはオッケー」と決めるのってどうなんだろうね、本当にそんな事をして良いの、という疑問がある。だからちゃんと話しあおうぜ、というのが私の考え。


個人的には子供ロリエロを見せる事はないでしょう、と思うんだけど、じゃあビニール袋に封入したらロリエロ野郎が減るわけじゃないよね、とも思う。ロリエロ読めないと犯罪しちゃうぞゲヘヘヘヘって言うわけじゃなくて、増える事はないかもしれないけれど減る事もないんじゃね、と思う。規制されたら減りましたとか増えましたって数字は知る限り存在しなくて、じゃあ規制しても良いだろって事を言い出す人もいそうなんだけど規制しても「隠される」だけで、まあそれで安心っていうのはなんか変な話っていうか、臭い物に蓋をしたらもう安心みたいな何も解決になってないじゃんっていう。まあ解決しようもないんだろうけれど解決しようもない事にわざわざ法律という網を被せなければならない理由が「怖いキモい」はどうなのかなあ、と思うし、エロロリビニール袋被せても状況は変わらないと思うよ。ハレンチ学園は禁止にならないって話もあるように絶対「漏れ」る表現が出て来て、じゃあそうした「漏れたもの」を見て不快に思ったらどうするの?規制強化を訴えるの?その先にあるのは何?って思わないのかな、思わないか。


で。ちょっとだけ寄り道的に自分語り

私はローマカトリックをあつく信仰している両親の元に生まれた。

従って幼児洗礼を受け、物心ついた頃には「日曜には教会にいくもの」と決まっていた。

キリスト教の事について知らない人もいると思うけれど、当たり前のように東京都青少年うんたらなんかよりずっと厳しい戒律がある。知ってる人もいると思うけど「汝、姦淫をするな」というアレね。

まー、アレはモーゼの十戒って奴でキリスト以前に存在した言葉なんだけど、って話をしはじめたら長いんで省略するんだけど、「汝、姦淫をするなかれ」の「姦淫」をどう定義付けるかというのかって言う話なんだけど「結婚したら貞操を守れ」とか「レイプすんじゃねーぞ」って思われてるかもしんないんだけどそうじゃなくて結婚する迄貞操を守りましょう、一度相手を決めたなら、他の異性を性的眼差しで見たり、あるいは心の中で「良いな」と思ってはならない、というのが「姦淫するな」という事です。

結婚する迄貞操を守れとかって、某掲示板人達が手を叩いて喜びそうだけど、じゃあ「あのコかわいいな」ってちょっとでも思ったら姦淫の罪っていうのも大変だよね。でもまあそれが当たり前だと思っていた私にとっては助平な話をするクラスメイトとかその手の本を持ってくるクラスメイドが大嫌いだったし憎んでもいたし反発もした結果、いじめを受けた。


で。18歳になるくらいまでこうした事の意味がわからなかったりしてロクに友達も出来ない儘、図書館にある本だけが自分にとっての情報源だったんだけど((私が子供の頃はインターネットなんて存在しなかったからね))、いろいろと読んでいるうちに「自分の考えは間違っているのではないか」と思うようになった。

その理由の一つに「自分左ききである」というのが起因している。キリスト教は特段に左利きに対して定めているわけではないのだけれど「神の偉大な右の手」みたいなフレーズが出てきたり十字を切るとか聖体拝領とかを左手でやると物凄く怒られたのね。自分はだから、自然左手を使ってしまう自分を「悪い子」だと思っていた。

そんな体験を持つ私が敢えていう。思想信条国家抑制してはならない。どんな神を信じるのかが自由であるのは、神を信じない自由が保障されてこそなのだ。あなたはキリスト教を信じる事が法律で決まったら、それに従うのだろうか。こういう書き方をするとキリスト教馬鹿にしていると思う人がいると思うのだけれど、決してそうではない。私の父はキリスト教と共に生き、教会とともにあり、キリスト教に多くの貢献をし、多くの人に愛されながら逝った一人だからである。私の父は父なりの人生を歩み、幸福であったと確信している。

しかし、父は父、私は私なのである。

それぞれの人生が異なるように、何を信じ、何を信じないのかを決めるのは、その人に委ねられるべきであり、決して行政の手に委ねられてはならない。


さて。私は自称売れない絵描きプロフィールに示している、利害関係者の一人だからポジショントークだと言いたい人もいるらしいんで、可能な限り利害関係にないと思われるところから発せられている反対表明のリンクを書いてこのエントリを締めたいと思います。勿論、下記のリンクを示す事が私の言説の正しさを示すものでも、未成年児童に対しての表現抑制を主張する人の意見が間違っている事を証明するものでもありません。単純に「こういう人達が、このような立場から意見を表明している」という事実を示したうえで「どう考えるのか」を皆さんが考える一助となれば、と思い、示しています。


http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/100318_3.pdf

日本弁護士連合会による反対表明。


http://www.jla.or.jp/kenkai/20100317.html

社団法人日本図書館協会による反対表明。


http://miau.jp/1268478000.phtml

miauによる反対表明。


http://nbi.sfc.keio.ac.jp/files/statement_20100312.pdf

ネットビジネスコンソーシアムによる反対表明。


2007-06-21

いつの時代の、どこの国の話なのかすらハッキリしないのだが

意中の女性に「軍の人とは結婚できません」と言われてフラれた腹いせに、その女性婚約者召集令状で激戦地に送って戦死させた上、あの手この手のあらゆる戦時体制権力使って執拗女性を我が物にせんとする軍人の話の元ネタって、何だったかなぁ。

 
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