はてなキーワード: 住まいとは
田中みな実です。
うそです。
本当に毎日連日続けざまにニュースで取り上げられてるChatGTPちゃんなんだけど、
すごくない?
昨日だって
3秒で返ってくるくらい優秀で
さらにはジャンピングチャンスでいきなり3位から1位で優勝できるぐらいの衝撃!
おかげで昨日は鶏ムネ肉とヒヨコ豆のトマトスープが美味しく出来ちゃった山脈に向かってヤッホー!って叫びまくったのよ。
なので
よっぽどGPT-4ちゃんは優秀で人を動かす気持ちの現れがあるのかも知れないことを表明してもいいかもしれないわね。
たくさん話すのですぐに止まっちゃうけど、
これもまた改善されるのかも知れないわね。
でも本当に毎日毎日ChatGTPちゃんの話しニュースでよくやってるわよね。
パソコンがあんまり使えないポンコツな私でさえ上手に対話して使えるんだから
それが画期的なのよ!
寝ても覚めてもみんなChatGTPちゃん!って言ってるもんね。
でも身近に使うとなると
なんかある具材を言って料理を考えてもらうのとかが便利かも知れないわ。
不思議と人間をやる気にさせるマジックがあるのかもしれない級のよっこいしょういちろう!って感じの。
私は今でも忘れないここでも何回でも書いているけど、
2人連れ定食屋さんで立ち上がるときに1人の方がよっこいしょういちろう!って言いながら立ち上がったのを!
もう一周してめぐり巡ってるのかしら?
よっこいしょういち!じゃなくてよっこいしょういちろう!なのよ!
もうどちらでもいい感じがするけど、
やれジャガイモ買ってこいマッシュルーム買ってこいピーマン買ってこい!ってだんだんない食材でハードル上がってくるんだけど、
もう限定いて、
ヒヨコ豆とトマト缶とタマネギと鶏ムネ肉しかない!って縛りで言った方が具体的にフォーカスを絞った答えを出してくれるのよね。
そんで
なにかレシィピ考えて!って言うと
これなんて白鶴まる?ってそれはお母さんとお母さんの挟み焼きでお馴染みの矢崎滋さんじゃない!って思うほどの
ヒヨコ豆とヒヨコ豆の挟み焼きを猛烈にプッシュして提案してくるのよ。
そんで、
豆尽くしね!なかなかやるわね!って思ったわ。
あとさ、
これGPT-4ちゃんがボケているのかマジなのかよく分からないんだけど、
えーっと監督はリュックベッソンでヨーロッパのニュース番組のお天気キャスターの人が主役に大抜擢された映画って何だっけ?ってきくと
それはスカーレット・ヨハンソンが主演した『ルーシー』ですって言うの、
違う違うそうじゃそうじゃないの!ってマーチンも真顔でいいそうなほど
高度に発達したAIの回答は正解なのかボケなのか区別が付かないのよ。
私がなんとなく話をしている途中で、
それもしかして『アデル』じゃない?って言うと「そうでした!」ってGPT-4ちゃん。
なんか急にすっとぼける時ってあるのよね。
なので完全に鵜が鵜飼い指示されて川から魚を捕ってきたものを喉に貯めていて船に戻ってきて、ほれ魚捕ってきたよ!ってぐらい鵜呑みにしちゃいけないのよね。
まだちゃんと漁には役立っているけど、
もしくはタニコーの五徳のように鵜呑みにしていたらとんでもないことをイスタンブールだわ。
だから人間もちゃんと研鑽して正しいかどうかを見極めることが必要よね。
なんとなくこれ素のAIっぽい文章じゃね?って見極められるようになると思うんだけど、
それを上行くようなAIの文章の書き方を人間ぽくやってね!って教え込んだらまさにメロスが激怒するぐらいの太宰治作品が完成するかも知れないわ。
あとどんなきっかけでそうなるか分かんないけど、
急に今まで話していたことも忘れちゃったり、
随分前に話したことも覚えててくれたりと
まあヒヨコ豆とヒヨコ豆の挟み焼きをレシィピ提案するのは白鶴まるの矢崎滋さん級としてまあ致し方ないのかしらね?
先日私の文章を読み込ませて学習させようとして分からないことがあったら私に質問してねって言うと、
重いコンダラーって何ですか?って私のデータベースにはありませんって
この重いコンダラーってなんて伝えたらいいのかしら、
あれよあれ、
県立西高校のテニス部に入部した岡ひろみさんがテニスコートをならして平らにするコンクリートの丸い塊の引っ張って使うやつ!っていうと、
それはトンボですね!って
思いも寄らないその長渕剛さんに思わずルービーと美味しくできたヒヨコ豆と鶏ムネ肉とトマトのスープとで乾杯してしまったわ。
全くよく分からないわね。
うふふ。
自分でも教えてもらったとおりちゃんとできて美味しかったわよ。
晩ご飯つくる意欲は驚異的にアップして上がりまくりまくりすてぃーね。
久しぶりにルイボスティーウォーラー水出しのやつ昨晩仕込んでおいたので
寒暖の差が激しく差が付くわ!
体調管理には気を付けないと、
着るものに困るわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺増田、地方ナンバーワン都市住まい、近所にでかい国立大の医学部病院、紹介状5000円だからまあ個人医院にいくわな
おひざ元なら大丈夫だとおもうだろ?
2件立て続けに「俺が診療にいって、ろくな診断くだせないくせに1年以内に廃業逃げ切り」にであっちゃったからね
別に口コミサイトにもなにも投稿してないけど、むしろ俺が口コミサイトを見なかったからか?徒歩範囲にこれだけクソ医者あるか?悪評ふんぷんだったにちがいないね
片方は「おまえにのませる薬などない、診療しない」と椅子に座る間もなく診療拒否した精神科医(他のクリニックでちゃんと診断ついた
もう片方は下痢するって訴えたのに便秘薬だした難聴胃腸科医。(当然飲まずに捨てたし他のクリニックでイレウス診断でた。「ほんとうにMRI撮影もしなかったんですか?」しませんでした。なにが〇〇記念病院だよ箱ばっかり立派にして)
あとはでかいビルぶったててる眼科にいけば流れ作業で眼鏡処方箋。30人くらいおなじ広い部屋でならんで技師に機械のぞかされるの。コロナのときも。とか。
いやクソだわ
イレウスなりかけてるのに婦人科外科手術のまえに下剤をむりやりのまされて結局内視鏡が開腹になり「手術難しかったですよ~どや」おまえがむずかしくしとるんじゃ、とか
いやクソクソだわ ここも廃業はしてないけどAIH専業になって移転したわ
あとはなんか脳神経科でたらいまわしされたり(脳波とれない脳神経科個人医院。認知症のみみれる医者だったらしい)
いやいやいやいや なんで? で紹介されたのがまた脳波しかとらない医者で結局診断名と薬もらえるまで3件の医者にいったわさ なんだったんだ
もうね「年より医者は老害だ」という以外はなにも信じられないよ
自分みたいなタイプの人がどういう選択をしているのか、サンプルが見つからない。居るんだろうが、どう検索すればあるいはどう探せば見つかるのかがわからない。
まず、元より恋愛感情が薄く結婚願望が薄いのだが、ある意味で結婚という制度の活用方法を思い付いた。
私は頑固で、頑固なことがマイナスに働く場面があることを知っている。今までは複数の友人の言葉を頭にいれ活かすことで柔軟性を補ってきた。
ただ今後は友人との付き合いが希薄になることがあり得る。そしてそれでも残った少数精鋭に寄り掛かるのは抵抗がある。
だから、広い見識を持ってかつ私の性格を理解して上手く操ってくれる、そしてそこに頼ることを許される関係性の人物が欲しい。
独身を続けるのが最適だと思うが、上記の理由から「独身だけが正解」ではないかもと思えてきた。でもアプリならどのアプリで探すのが効率的か、良い案があれば教えてほしい。
探すなら、と条件書いたら長くなったので下に追記。時間があれば読んで下さると助かります。
理想が高いのは分かっていて、だからこそ血眼で探さずに独身前提で人生設計しています。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
子供は大好きだし面倒を見るのは得意だが、得意だからこそ小さい頃からその役割を任されて生きてきた。子供のかわいい部分も堪能しきった。
自立した今から作ったところでメリットはもういらないのだからデメリットが目立つだけだろう。それにアレルギー体質が遺伝したら可哀想だ。
学歴もどうでもいいと思っていた。でも話しやすいのは自分と近い学歴の人。だから大卒以上かなあ。高卒でも中卒でも、暗記知識がなくても思考できる人は好き。
家事も求めない。私は自炊を続けていて得意でもある。洗濯物畳みは趣味だからやりたい。
掃除は嫌いだが出来るので定期的にしている。ただし嫌いなので精神的負担を和らげたくて月1で掃除代行を呼んでいる。パートナーに求めるなら掃除だろう。
一人の時間がないとストレスが溜まる。これは幼少期かららしい(母談。保育園時代から、一人の時間が少なくなる度に髪の毛を抜くなど自傷行為をする子だった)。今は自傷行為はないが体調にあらわれる。
だから別居婚か、せめて自分専用の部屋が欲しい。ただ職種上、都心近郊住まいだ。
容姿は、客観的上位は求めないが自分の好みであってほしい。容姿の良い母妹の中で育ったため苦手な容姿を何十年も見続けるのはちょっとしんどそう。身長は高すぎると威圧感を感じるので170~175cm、できれば171,
172cmが助かる。
コミュ力は私と同等ほしい。コンプレックスで死に物狂いで磨いてきて改善した身なので、「コミュ障だから」という言い訳が嫌い。
自分みたいなタイプの人がどういう選択をしているのか、サンプルが見つからない。居るんだろうが、どう検索すればあるいはどう探せば見つかるのかがわからない。
まず、元より恋愛感情が薄く結婚願望が薄いのだが、ある意味で結婚という制度の活用方法を思い付いた。
私は頑固で、頑固なことがマイナスに働く場面があることを知っている。今までは複数の友人の言葉を頭にいれ活かすことで柔軟性を補ってきた。
ただ今後は友人との付き合いが希薄になることがあり得る。そしてそれでも残った少数精鋭に寄り掛かるのは抵抗がある。
だから、広い見識を持ってかつ私の性格を理解して上手く操ってくれる、そしてそこに頼ることを許される関係性の人物が欲しい。
独身を続けるのが最適だと思うが、上記の理由から「独身だけが正解」ではないかもと思えてきた。でもアプリならどのアプリで探すのが効率的か、良い案があれば教えてほしい。
探すなら、と条件書いたら長くなったので下に追記。時間があれば読んで下さると助かります。
理想が高いのは分かっていて、だからこそ血眼で探さずに独身前提で人生設計しています。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
子供は大好きだし面倒を見るのは得意だが、得意だからこそ小さい頃からその役割を任されて生きてきた。子供のかわいい部分も堪能しきった。
自立した今から作ったところでメリットはもういらないのだからデメリットが目立つだけだろう。それにアレルギー体質が遺伝したら可哀想だ。
学歴もどうでもいいと思っていた。でも話しやすいのは自分と近い学歴の人。だから大卒以上かなあ。高卒でも中卒でも、暗記知識がなくても思考できる人は好き。
家事も求めない。私は自炊を続けていて得意でもある。洗濯物畳みは趣味だからやりたい。
掃除は嫌いだが出来るので定期的にしている。ただし嫌いなので精神的負担を和らげたくて月1で掃除代行を呼んでいる。パートナーに求めるなら掃除だろう。
一人の時間がないとストレスが溜まる。これは幼少期かららしい(母談。保育園時代から、一人の時間が少なくなる度に髪の毛を抜くなど自傷行為をする子だった)。今は自傷行為はないが体調にあらわれる。
だから別居婚か、せめて自分専用の部屋が欲しい。ただ職種上、都心近郊住まいだ。
容姿は、客観的上位は求めないが自分の好みであってほしい。容姿の良い母妹の中で育ったため苦手な容姿を何十年も見続けるのはちょっとしんどそう。身長は高すぎると威圧感を感じるので170~175cm、できれば171,
172cmが助かる。
コミュ力は私と同等ほしい。コンプレックスで死に物狂いで磨いてきて改善した身なので、「コミュ障だから」という言い訳が嫌い。
18万を40年払っても8千万くらいだし途中で住み替えられるぞ
つか、入所一時金に4千万くらい掛かる老人ホーム用にとっておいた方が吉
良い老人ホームに入ってると100歳でも元気だぞ
一例 ↓
【anond:20230208195420 の続き】
仕事帰り、烏丸六角のファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。
この男性はどうにもこういうところがある。
母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。
昔の人は、ある種なんとも露骨だ。
「子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子どもの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。
そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞれ男性にとって誰なのかについては知っていたが、「健一」についてはさっぱり心当たりがない。
「亡くなったそうです」という伝聞形も、得意の呼び捨てにしている割に、どことなく距離を感じさせる。
「誰だかわからないけどご愁傷さまです」とも言いづらく、LINEの返事に詰まってしまった。ファミマを出てから、同じビルのスタバの前あたりに立ち止まり、LINEを閉じたり開いたり。
ふと顔を上げると、よく茂った松の枝を一本、片手に握りしめたビジネススーツ姿の中年男性が目に入った。四条方向に足ばやに歩いていく。
ただのちょっと変わった人なのか、はたまた池坊関係者なのか、この烏丸六角という場所においてのみ、ものすごく迷うところだ。
スマホの中のメッセージと、よくわからない通行人。二重に困惑してしまったが、とりあえず「健一」とは誰なのかときけば、男性の義理の父親だという。
男性はその昔、一族の都合で健一の養子に入りはしたが、そのころから今に至るまでほぼ没交渉であったので、なんだかそんなに悲しそうでもなく、その後のLINEも淡々としたものだった。
だけれども数日後、男性の家にいったら、ワーキングデスクの上に知らないおじさんの遺影が立てかけてあった。
アイパッドやノートパソコン、積読と同じノリで遺影が並べておいてあり、それはちょっと異様な光景だった。遺影はそれらのものより一回り大きいので、あまりに存在感がありすぎる。
「あーこれが健一」
と、思わずつられて呼び捨ててから、「なんで遺影、こんなとこおいてんの?」ときいた。
妙に若くて、ちょっとつぶらな瞳で、その目線が斜めにいっていて、ぎこちない笑顔。むりやり引き延ばした昔の写真独特の、ざらざらと色の薄いテクスチャ。
「いや、向こうの家に置いとくとこもないし、とりあえず持って帰ってきた」
男性の答えは妙にずれている。
「机においてんのは?」
異様ではあるが、別になにもおもしろくはない。この人がおもしろさを感じるツボは、たまによくわからない。
それで「ああ、そう」とだけ返すと、男性は
「親戚みんなで家探ししたけど全然いい写真なかってん。中途半端に若いときの写真しかなかったわ」といった。
「どうりで目線もさだまってないっていうか、カメラのレンズみてないね」
健一の目線は、健一からは右方向、相対する私たちからは左方向にずれている。そっちの方向にはベッドがあった。この時点で正直なんだかかなりいやだな…と思ったが、ひとまず一般的な配慮として、それを口には出さなかった。
そのまま、自分たちに戒名をつけるならどんなものがいいかという話でひとしきり盛り上がり、お互いに将来の戒名もきまってきりがよかったので、我々はセックスをすることにした。
そこで私は「健一の視線がベッドのほうにきてるのなんか嫌だ」と、一度は飲み込んだことを吐き出してしまった。
相手の義理の父親の遺影の前でセックスするのは、明確にその理由を語れずとも、なんだかとにかくすごく嫌だと思った。
遺影がそこに鎮座している「なんかおもろい」という理由は、私にとって共感しがたい。私がその「なんか」の機微を正確に理解できないように、男性もまた、このわたしの「なんだかとにかくすごく」という心の機微が正確に理解できたとは思いづらい。
けれども男性は、「わかったー」と間延びした返事をして、遺影をおもむろに裏返して立てかけなおした。
いやそうじゃなくてしっかりどこかにしまってくれ、と思ったが、それを言うのももう面倒だし、やるとなったらさっさとセックスしたかったし、もちろん乳首もさわりたかったので、私はそこで妥協した。結局は、花より団子で機微よりセックスだ。たいがい適当な人間ではある。
そうやってセックスして、寝て、起きたら健一は寝起きの私を見ていた。
私より先に起きた男性が、律義に遺影を表に戻していたのだった。
私の機微は相手の義理の父親に、遺影であっても義理の息子の乳首を吸っている様などを見られたくないことだが、男性の機微は、遺影をいつまでも裏返したまま視覚を奪うのは気の毒だ、というところにあるのだな、と、寝ぼけた頭で考えた。
それは少し理解できなくもない。
結局のところ、ただの紙に載ったインクでしかないはずの遺影に、生きた人間めいたなにかを感じていることは通底しており、その表出のアプローチが異なっているだけの話なのだろう。
机上に健一が出現してから、何度か男性の家にお邪魔してはセックスをし、わたしはそのたびに「健一裏返して」とリクエストしていた。
そしてその日はやってきた。
健一が机上に出現して何日目のことだったのか、私はちょっと覚えていない。
夜も更けてきてそろそろ寝るか、という雰囲気になったとき、男性がおもむろに立ち上がり、私の指図なしに、ふいと健一の遺影を裏返した。
その、遺影を裏返す行為こそが、紛れもなく「さ、セックスしますか」の意思表示となっていることに、私はそのときはじめて気がついた。
みずから「裏返して」とお願いしてそうしてもらっていたときには考えつかなかったことだった。
私も男性に続いて立ち上がりながら、「つまり今からセックスするってことか」というと、男性は「あれやな…なんか…イエス・ノー枕みたいやな」と答えた。
そうだ。
これはまさしく、イエス・ノー枕だ。
物体の表と裏を巧みに使い、その夜について性行為のありやなしやの意思表示と予告をする、その原理はまったく同じだ。
【今夜セックス】の露骨かつ言外の通告。あれを我々は今、気がつけば、男性の義理の父親・健一の遺影でやっているのだ。
不謹慎が過ぎる。さすがに戦慄が走ったところで、男性がぽつりと「イエス・ノー健一やな」と言った。
その日から私は、「イエス・ノー遺影」「イエス・ノー健一」という、この、罰当たりで不謹慎で、あまりに強烈な言葉が頭からこびりついて離れない。
忘れようにも忘れられない。だからここに書いた。
それはとても寂しいことではあろうけれど、いつかこの男性と会わなくなる日が来たとして、その先に男性の名前を忘れる日が来たとして、イエス・ノー遺影という言葉と、健一の名前だけは、それでも生涯忘れないだろうと思う。
(※登場人物に配慮して、文中に出てきた名前はすべて本当の名前とは変えてあります)
【追記】
・烏丸御池~四条烏丸あたりに、冬の間、ビニール袋を巧みかつ何百枚も使用して衣服と靴にしたて、万全の防寒している人がうろついているのだけど、この間その人がビニール袋十枚がさねくらいの軽装になっていて、桜の開花よりも断然春のおとないを感じた。だからそのこともついでに書いてもっと季節感あふれる増田にしようとしていたのにうっかり入れ忘れた。
・(ブコメの方へ)小学生だったころは…あります…!(男性はたまにおぼかたさんの真似をします。全然おもしろくない)
あのころ思っていたことでいまだに覚えていること、いつか書きたいです。もしそのとき、たまたまみつけたらぜひ読んでほしいです。
・(ブコメの方へ)もしそこにおばあちゃんの写真があったらセックスできなかったと思うんですが、おばあちゃんのことをしゃべりながらは全然大丈夫です。
こういう「あれはだめだけどこれはセーフ」って感覚はいつどこで身につくのだろうかと思ったりしました。笑ってくれてうれしいです。
結婚前に夜職で働いていた顔の整った母親は、離婚後また夜職に復帰した。
直後に知り合った妻子持ちで一回り上のおっさんに水揚げされ、マンションの一室を借りてもらい私と母はそこに住んだ。
メンタルがあまり安定していないおっさんは、母親の見えないところで私のことを低頻度に重たく虐待した。
押し入れに閉じ込め、布団用のビニール袋に閉じ込め、自力で降りられないタンスの上に座らせ飛び降りさせ、水を張った洗面台に頭を押さえつけ、手足をガムテープでぐるっと巻いてベランダに出し、また別の日には雪の降る深夜にパンツでベランダに出し、鼻血が出るまで頭を叩く。
紙ガムテープで巻きが少ないと案外蒸れで剥がれるのと、ベランダで排尿するとめちゃくちゃ臭いシミになることを知った。
あまりの寒さにプランターの土の中に足入れたら暖かいかな?と思いつつも虫が怖くてできなかった覚えがある。
雪ベランダ鼻血事件は雪国とかではなく東京住まいだったのと、さすがに母親が見つけて止めたので大事にはならなかった。
大人になって聞いたけど、ベランダに出されたこと以外のことは知らないらしい。
ただ、普通のベランダ事件の時は「余計怒らせそうだったから、奴が帰ってから申し訳ない気持ちでベランダを開けて助ける形になった」と言っていた。
その場ですぐ助けないならそのどうでもいい反省文は正直一生聞きたくなかった。
どうにも家賃と光熱費をおっさんが払っていないらしく、ライフラインが止められ、やくざのような振舞いと見た目の大家と保証会社と不動産が頻繁に家に来るようになった。
私と母はクローゼットに隠れる術を覚えた。
これぐらいの頃から母親はおっさんと別れる別れないの話をしだしたらしい。
私はと言えば学校で毎日行われる帰りの会での1分間スピーチが嫌すぎて不登校になっていた。
なんだかんだあって引っ越すことにはなるが、道を一本挟んだ先なので引っ越し後も保証会社の怒涛の取り立ては続いた。
顔がよくできている母親にはマイルドに接する保証会社の人間が、当時まだまだガキの私に当たり散らすのを見て結構引いた。
引っ越した後の母親は夜職に復帰することはなかったが真面目に働くこともなかった。
バイトの面接を受けて合格しても行かない、そもそも面接もばっくれたり、
ちょっと続いたかと思えば何の仕事か知らないが収入ムラがかなりあるいかがわしそうなバイトで、帰ってきて深夜にコンビニやファミレス、ドンキで何千円も買い物したりした。
ただ正直子供心にこの深夜おでかけは楽しかった思い出でもある。
でももちろんそんな浪費をしていれば払うものも払えないので今度は完全に母親の責任で家賃を滞納する。
お小遣いも一応もらっていたが、結局生活費にされたり、買ってもらったゲームも「お前は何もしないんだな」と売られた。
こう考えると今の世のダウンロード販売って最高!
母子家庭に数か月に一度振り込まれる給付金のようなものがあり、
中学校の制服はそれで買う予定だったのだが保証会社が区役所に電話して「住んでいるか・生きているかわからない」などと宣い期日に振り込まれず、私は以降自分用の中学校の制服を手に入れることはなかった。
結局制服はレンタルできたので困ることはなかったのだが、まあ生活でも躓いているし徒歩で行くにはちょっと学校が遠くてだるくて結局ろくに通わなかった。
住んでいる部屋の向かいの部屋が大家さんがサブで使っている部屋で、時々鍵が開けっ放しだったのもあり電気を拝借したり食べ物を盗んでいた。
あまりに困窮していたのでその事象を当時は受け入れなんなら楽しんでさえいる瞬間もあったが、まあ普通に全然マジで到底許される行為ではない。
そうこうしているうちになんだかんだで生活保護を受給することになる。
元々治療法が確立されていない(ただし死ぬようなものでもない)病を持っていた母親と、義務教育の娘が居るというのもあり爆速で受給が決定。
更に引っ越した先では保証会社が取り立てに来ることもなく、母親が持ち前の癇癪を起こしたり暴力を振るう以外はあまり問題なく比較的穏やかで人間的な生活が送れる、かと思った。
母親が一週間全く眠らないままインターネットでナンプレをしては気絶したように眠り、眠っている間に急に痙攣して吐血するようになった。
また、浪費癖は別に治っていないので最低限の生活費を頂く生活保護下では普通にゴリゴリに困窮していた。
なんなら母親は喫煙者だったので、外で吸えそうな吸い殻を拾ってこいと怒鳴られたし、
さらに言えば近所のスーパーでめちゃくちゃ万引きさせられていた。
その影響かは分からないがめちゃくちゃ防犯カメラが増えたのと、数年後にそのスーパーはなくなった。
全然勉強していなかったがやればちょっとできる人間なのが幸いして近所の高校には合格した。
制服も買えたし、彼氏もできたし、一応月のお小遣いをやりくりして友達と遊ぶとかができたので学校生活は今考えても中々満足している。
ただ母親は不眠症もひどく、登校日の夜中30分おきに私を起こして起きなければブチギレるのは勘弁してほしかった。
twitterにそれを若さゆえのめちゃくちゃな暴言で愚痴ったらバレて携帯を折られた。
彼氏と親戚に泣きながら電話して、彼氏のご両親の計らいで泊まらせてもらった。
深夜に警察から電話がかかってきて、覚せい剤所持で母親が逮捕されたとのことだった。
まあガッツリ使用もしていたようなのだが、緊張で全く採尿できず、できる頃にはもう検出されなかったとかで使用の罪はつかなかったらしい。
やたら外に吸い殻を探させに行ったのはガラスパイプで覚せい剤を吸うために家から追い出したかったからだった。
しかもきっかけは、新居にも持ち込んでいた旧居からあるかばん。
「以前付き合っていた(この記事では冒頭に出てきた)おっさんのかばんにガラスパイプと少量の覚せい剤が入っていて興味本位で」だそうだ。
私の人生、正直このおっさんが居ないだけでもっと色々違う気がしてくる。実際どうかは知らない。
でも「興味本位で手を出した」だと罪が軽くならないとかで「交際男性に性交感覚を高める目的ですすめられた」ということにしたらしい。
裁判にも出廷したが、制服で出廷するのはめちゃくちゃ目立つのでおすすめしない。あと傍聴席意外と人間がたくさん居る。
この覚せい剤事件、当時はあまり私の心に傷を残していないのだが数年後じわじわと着実に蝕んできた。鈍感。
彼氏には罪状を伝えていたが、ご両親にはさすがに言えなくて、でも逮捕されたことだけ伝えた。
マジでいいご両親だった。
2か月半ほど留置された母親は懲役1年6か月執行猶予3年で桜が散った頃に出てきた。
初犯は大体この感じで出てくるらしい。
あの日々の暴言と暴力が覚せい剤のせいだったらと願ったが別にそんなことはなかった。
たださすがに悪いと思ったのか母親もやや大人しくなり(当社比)覚せい剤分の出費が減ったおかげで生活はやや楽になった。
一方私はバタバタ生活保護になったこともあり進学を希望していたが、そもそもできるのかよく分からないままモヤモヤしつつ就活をした。
1つもらった内定は面接時点で分かる驚きのブラック加減で、高校の進路室の先生が辞退させてくれたものの以降内定をもらうことができないまま卒業。
彼氏の母親は熱心な宗教2世で学会に入らないかと親子ともども勧誘を受けて最悪だった。
それが理由じゃないけどしばらく後に別れた。
1年ガチニートをキメたあと、親戚の伯父に頼んで教育ローンを借りてもらいつつ(返済は自分)奨学金も借りて専門学校へ進学。
生活保護上の世帯分離を行っているので、いくらかは納めないといけないがバイトもしてある程度お金に自由ができて楽しかった。
が、やはり就職できないまま卒業してしまう。160時間のインターンを乗り越えて尚落ちる。落ちたけど外注の仕事(報酬はゴミ)はいくつかもらえた。
ただこの就活失敗から親と教育ローンの借主である伯父との関係は最悪になった。
生活保護課の人間にも説明はしたので教育ローンの返済を伯父にしているのは容認してもらっているし、
バイトは継続していたので控除額で大半は払えていたがまあ「進学しといて就職できないゴミカス扱い」がひどく最終的に私は親戚と連絡を断絶した。
私がもちろん悪いのだが、如何せん死んだ方がマシ、生まれたことが失敗レベルの暴言を毎日4時間電話で親と親戚が話しているのを聞いていればそこそこ首を吊りたくなるのには充分だった。
ちなみにこの伯父は私の月々返済している教育ローンと同じぐらいの額面で、奥さんに内緒で借入中であるレイクの利息をうちの財布から払っている。(2023年現在も)
一定時期からインターネットきっかけで彼氏ができる。(直接会ったりする健全なお付き合いである。)
2つ3つほど年下だったので、相手の就職タイミングぐらいで同棲できたらな...というのと、区役所の圧もあるので就活に乗り気になった。
相手が就職したタイミングで転職しやすいぐらいの年数働いて、同棲できたら社会的にも真っ当になれるしいいことづくめだなと。
なっが~い年月同じ場所で働く気でもないのでかなり気楽に就活して、数か月後に内定をもらった。
めっちゃ嬉しかったけど、分かってくれたのは彼氏だけで親や親戚には「なんで今更?」「時期が悪い」「保護費に(調整が入るので)差し支える」と散々だった。
で、最終的に4日でやめた。
実際、勤務初回2日のあと3連休があったが休み明けも普通に出勤した。
内定承諾書の保証人欄に署名してもらえる人間が居なかったからだ。
伯父は無理でもさすがに親にはお願いしたが「続くかわかんないもんに署名はしない、お前のことなど保証はできない」とのことだった。
会社の人に誤魔化しつつも書いてもらえなかったと説明した時の空気が耐え切れなくて次の日から行けなくなってしまった。
就職に合わせてバイトもやめてしまったので控除もなくまるまる保護費からのローン返済で生活はカツカツになった。
ちなみに数年後、この4日のうちに仕事を覚えるべくめちゃくちゃとったメモを親が発見して「こういうの見してくれれば署名したのに馬鹿だなw」と言われた。
あとこの時のインターネット産彼氏はモラ気質がすごくて最近別れた。
数年前にここで愚痴記事書いたら思ったより多くの人に読まれ、焦って消してしまったレベルのモラだった。
元々私はインターネットで創作活動をしており、しばらく後にはそれで小銭を稼ぐ機会に恵まれ始めた。
けどこのお金を正しく申請すればローン返済の足しにはならない。
申告時期に使用していなくてうっかりと申告していない銀行口座がある。そこに入金してもらえばバレなかった。
ローンの返済がそっちで賄えるようになってから生活は楽になった。
でも相変わらず毎日首を吊りたいし、親や親戚の死ね圧は消えない。
いまだに人間としての扱いをしてもらえず、親が呼べば何をしていようが駆け付けねばならない。
たとえその用事が親の手の届く範囲にあるペットボトルを渡すことでも。
何かに疑問を持ったり、機嫌を悪くしたり、大きな声で喋ってもいけないとされている。
そうしなければ所持品はすべて捨てられめちゃくちゃに暴力を振るわれる。
いつ区役所にばれるかも分からないし、税務署も怖い。でもローンは返済しないといけないし家を出ることもできない。
就活に使える己の自信なんてとうにない。色々アングラすぎて人には相談できない。
どうしたらいいんだろうなこれ。
親と別で受給とかできたら、きちんと全部申告しつつ生活もできていずれ自立とかできるのかな。
別で受給とか無理そうだけど。急にスパダリとか沸いてこねえかな。
アングラ部分についての批判がもっと出るかと思っていたので少し安心しました。
他所の機能不全家族がどうかは分かりませんが、少なくとも母親の機嫌次第では我が家は笑って過ごす日もあります。
また、ちょうど比喩として首を吊りたくなった直後に書いた記事でしたので、母親の負ばかり取り上げていますが私自身も逃げ癖アリ意気地ナシなどの問題を含みます。
現在の形は結局不正受給にあたるため今後どうなっていくかは分かりませんが、読んでいただいた方々ありがとうございました。
仰る通り、今になって思えば他に打つ手があったなと感じています。
んーーーーー、どちらにお住まいの方かしら?
通勤ラッシュ時の、東京の大手町(地下鉄)、日本橋(地下鉄)のエスカレーターで、
その駅以外でも大きなターミナル駅だったりすると、エスカレーターに乗る行列が発生しているよ。
その行列の人達が空いてる側(東京だと右側)にごっそり移動したら...
そういう想像つかない?
フェミとかアンチポリコレとかネトウヨとかサヨクとか、弱者男性とか弱者女性とかぴえん系とか、
意識高い系とか意識低い系とか陰謀論界隈とか、うんざりするような人たちが「そんなこと現実問題出来るわけないだろ」っていう願望を政治だなんだの領域に乗せてネットやリアルで喚き散らしてるけどさ
・金が欲しい
・極上の異性(美少女・イケメン)が欲しい
・名声が欲しい
・権力が欲しい
・気に入らない奴ぶっ〇せる武力が欲しい
・無法や滅茶苦茶やって止めにくる警察や自衛隊でも手出しできない武力が欲しい
こんなんだよね、てか、これ叶える手段っつったら犯罪か戦争(個人や少数だからテロリズムじゃんと思うけど)しかないじゃんそれって
んで、こういう連中がやたらハマってるなろう小説とか見てても、こいう連中の主張を、はてなに生息してる連中の範囲で見てみても、
「国や社会や個人に損害を与えるレベルの事を意図的にした場合、社会はどれほど厳しく対応するか、自分の人生がどうなるか」ってのがどれほど恐ろしいことか本気でわかってないと思う節があるんだ。
そもそもそんな暴挙がまかり通せるような世界って、どんなものかなんて国家が崩壊してるアフリカとか内戦国家見りゃ一発で想像できるんだろうけど、今まで日本の豊かな生活「しか」体験してないから、それが体感的に頭が悪くて想像できないんだろね
で、何でこんな小人閑居して不善をなすなのが増えたのかっていうと、やっぱネットやSNSの発達で、一生自分がジョイントするはずもない上澄み層の生活がダイレクトで見えてしまう結果で、
「同じ日本人なのに何でこんな違うんだッッッ」っていう考えからなんだよね(実際そんな主張をしている人間は多い)
政治だ思想だ学問だと、崇高なものを言い訳にしたって、見え透いて呆れられるだけなんだから、声高に正直に叫べばいいのにね
「ボクたち私たち、真っ当に努力して正当に欲しいものを手に入れる努力なんてまっぴらしたくないので、テロや犯罪で楽してリア充やエリートから金やイケメンや美少女や地位や暮らしや住まいや、そいつらが持ってる生まれガチャSSRの全てを簒奪したい」って
ちなみに俺は別にテロや犯罪を推奨しているわけではないので、そんなことまずできないし、そんなことするくらいなら普通に真っ当で合法な方法で努力した方がよほど彼ら彼女らがよくいう「コスパ」が良いのでは?っていう事だけは明記しておく
しかしながら、現実は6畳1Kの賃貸住まいである(因みに貧困独身男性である)
自宅の庭に果物が実っていて、それを好きなときにもいで食べる生活
想像しただけで楽しそうすぎる
これは果物がタダで食べられるという経済的な話ではなく、ロマンの話だ
自宅の庭に果物がなっているという南国のような生活をしたいという話だ
じゃあ南国に住めばいいじゃないかと言われると、仕事の都合やらあるので難しい
条件としては都心、横浜、川崎のいずれかに在来線で1時間以内でいけるような場所がいい
毎日SUUMOで物件を検索して妄想をしているが、希望に合うものがない
そもそも庭付きの物件というのは多くがファミリー向けの物件になるので一人暮らしには広すぎるし高すぎる
庭に出す金はないということだろうか?
土地の面積に対して建物の面積が狭いなあと思って詳細を見ると建物以外は庭ではなく駐車場になっている
因みに戸建てじゃなくてもマンションの1階だと庭付きの物件があったりするが、果樹を植えるには狭い気もする
良さそうな街とか知恵があったら教えてほしい
47歳、大手企業管理職、かわいいかわいい子供がふたり、都内(まあまあ良いと思う環境)住まい。
(はたからみれば)とてもやりがいのある仕事をしながら、多くの部下のフォローもする。
同僚や部下からは慕われていて、理解のある上司にも恵まれ、良い環境のように見える。
それでも夫は毎日が不満らしい。
仕事はつまらなく、同僚や部下も不満だ、生きていてもなんの目標もない。
収入だけはそこそこ良いが、これでは足りない。
何か目標を持って生きたいんだ!
今と変わらず、ずっとだらだらと過ごすしかない。
とのこと・・・
はああああああああああ!!!!!!!???????????????????????
そんな暇な大学生みたいなことほざいてる暇あったら子供と遊べ!家事をしろ!
仕事がつまらないけど起業したいけどなんか始めたいけど・・・でもでもだって・・・
なんかやりたいなら在宅勤務である程度(通勤分とか)自由時間できてんだからその間になんかしたらいいだろ
だらだらとスマホ触りながら何が「子供を育てるためだけの人生だ・・だらだらと過ごすしかない・・
だよ?
何がはらたつって私が忙しく在宅勤務してる時にこういうどうでもいい話を延々してきて
私がちょっと聞き流すと「ひとの話を聞けよ」ってイライラされるのがはらたつ
って思っちゃうのは優しくない嫁だよね
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
貯金は300万円くらい
月6万円くらい貯金できてる
FPに見せて相談してみた。SAPIXとはいかないが中学受験させ中公私立に放り込んだら
破綻はせんが老後2000万円は夢のまた夢、貧乏老後になりそう
子どもを中高公立に入れたら老後2000万円達成して、ほどほどに余裕ある老後になる
東京に出てきたばかりの地方出身者にとって、東京土産はなかなか難しい。
正確にいうと、味に小うるさい家族・親戚がいる場合には特に難しい。食に無頓着な人向けには、東京ば○ななど、東京が名称についた土産でも買っておけばいい。
しかし、舌が肥えた家族・親戚向けには、帰省の度に頭を悩ませてる。
これが東京から買って帰るべき個人的オススメの「東京土産」だ。
言わずと知れたお菓子の定番。まず、嫌いな人がいない安牌。本店は港区の南青山なので正真正銘の東京土産と言える。
ただ、全国のデパートで販売されているため、誰でもいつでも食べられるのが、それでも意外に買わないから喜ばれる。
東京住まいが長くなると、どら焼きとたい焼きの食べ比べをすることになる。
私は、うさぎや派で、かつ、柳屋派。うやぎやは賞味期限がその日中と厳しいが、うさぎやのどら焼きはずっしり重く、水分が多く含まれる証拠でうちの家族の評価は高い。
うさぎやは、その日中に食べてもらうがある。東十条の草月も1個の値段が安くて独特な見た目と味で美味しい。一方、たい焼きは地方への持ち帰りは相当厳しい。
東京土産、定番中の定番。大人が好きな味。チーズケーキがあまり好きでない人も食べられる人多し。1カット小さいが十分な食べ応えあり。
その日中に食べてもらうつもりで持って帰る。でも、翌日までは食べられる。
番外編
東京土産に味を求めると買う手間がかかる。行列必至なところが多い。そこで、東京土産はハナから諦める。
京都のお菓子なら、味が保証されているし、東京の和菓子なんてどれも洗練さに欠ける(と思う)。
最近では店舗も増えたが、地方在住の人にとってピーエルマルコリーニなどの店舗はなかなかないので重宝される。
NG編
1)ひよこ
福岡土産なので、東京の人は福岡に土産として持っていかないこと。
例えば、東京の和菓子を京都へ持っていくことは、京都の人からすると、喧嘩を売っている・挑戦しようとしてきている、と思うらしい。