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はてなキーワード: 郷愁とは

2020-07-31

anond:20200731024507

残念ながらかわいいんです。

……と言いたいが残念ながら既にBBA なんでそういや昔はかわいかったな…って郷愁。すでに現実の性欲消えて久しい消し炭デブスより最悪なパターンでごめんやで。

2020-07-27

朝の海(別増田修正してみた)

朝の海には一度も訪れたことがない。だけどボクの脳裏には、焼き付いて離れないほどの郷愁が映る。

太陽はまだ水平線の向こうで眠っている。空は色づいていて、夜の帳を押し広げてゆく。

静寂の海岸は波音以外の音が消えている。波音を時折かき消すかのように背後の国道を車が通り過ぎ、やがて再び潮騒に紛れていった。ああ、鳥の鳴き声も目を瞑ると聞こえるし、今しがた羽音を鳴らし始めた蝉の声もかすかに響く。

水平線は霞がかっていて息は白い。空は橙から紫へと移り変わってゆく。

夏の初めを思わせる雲は、入道雲には程遠い。それは扁平で、紫立ちたる雲の細くたなびきたる――そんな一文を片隅に思い浮かべるほどには劇的じゃない。

海岸は冷たい空気にかき消されたかのように人を拒んでいる。だからきっと人は少ない。遠く小さく見える恋人たちは、この場所に招かれたみたいだ。現地のおじいさんは犬に導かれて駆け足になる。もし鴨川がとても大きいのなら、こんな風になるだろうか?

ボクは堤防の先にたどり着いた。太陽が目の前に迫ってくる。うん、いよいよ日の出が見える。そう思ったのだけれども、雲の流れがこちらに挨拶する陽の光を細く遮り、やがて太陽は見えなくなってしまった。ボクは仕方なく堤防の下を覗き込むと、退屈まぎれに小石を蹴って魚群を驚かせてみた。

魚が人懐こい顔を覗かせる頃、ボクの顔は真っ白になる。目を細めて、手のひらをかざして。

太陽と空の境目にある虹色は青い銀河のように左右両手いっぱいに広がっている。そんな風に思えた。 

ボクにはそんなイメージがあります。いきたいなー、朝の海。

朝の海に行って何をすると思う?

モチロン増田をするのだよ。

波音を聞きながらさ、早朝ののんびりした増田を見るんだーよ。

最高ですかー。

壱弐参ダーッ!

anond:20200727205134

なんにょ?

2020-07-22

本日7/22 21時からの「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」生ライブ配信を見てくれ

https://youtu.be/KlvivbU_GqQ

タイトルの通りで、上記URLにて本日21時から少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」が生ライブ配信(アーカイブなし)(アーカイブありでした)されるのでダイレクトマーケティングする。

暇だったら老若男女問わずぜひ見てほしい。

上手いこと文章をまとめる能力がないので箇条書きにて簡単説明おすすめポイントを並べていく。


少年ハリウッド」とは

少年ハリウッド」とは、作品名および作品主人公となるアイドルユニット名前である

同様の名前を冠した作品舞台小説アニメに展開されたメディアミックス的なプロジェクト(『少年ハリウッド自体の初出は2011年舞台公演)なのだが、

主にアニメである少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 49 -』(2014)『少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 50 -』(2015)を念頭に置いて触れる。

おおまかなジャンルとしては男性アイドルもの

あらすじ等を書くのが苦手なので、アニメ公式サイト作品紹介の一部を引用すると、

このお話は、劇場"ハリウッド東京"を拠点活動するアイドルユニット少年ハリウッド」が巻き起こす、ドタバタ青春アイドルサクセスストーリー! ……だったらいいのにな

作品紹介 INTRODUCTION|少年ハリウッド

ということらしい。

少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」とは

Makuake|TVアニメ「少年ハリウッド」第26話を完全版にさせたい!応援プロジェクト|マクアケ - クラウドファンディングにて資金を募り、

少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 50 -』26話「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-」に新作パートを追加する形で完全版の映像を作ろう、という企画成果物であり、主に映画館でのイベント上映で流される

少年ハリウッド』26話自体アイドルライブ公演を再現しており、尺の都合上ダイジェスト版のような形式を取ることになったが(とはいえ作劇上の瑕疵は全くなく、必要十分な量なのだが)

完全版になることで約1時間ライブ公演1回分をまるまる描き切った。

全編ほぼすべてが観客目線で描かれており、3DCGによるダンスもなく、生歌(CD音源でない歌)もあるというかなり臨場感のある仕上がりで、この世に数多あるアイドルアニメ(のライブ回)と比べても独特な作品となっている。

クラウドファンディング自体も、6000万円弱集めたということで当時少し話題にもなった。(支援者一人あたり平均1.8万円程度)

少年ハリウッドの良い所

哲学(こだわり)がいい

なんと言ってもまず、作品を貫いている哲学がいい。

それには2種類あって、1つ目は脚本家の持っているアイドル哲学(アイドル観)。

それが作品中に存分に投入され、かつそれが独りよがりものではなく、各回の脚本はもちろん、全体の構成、そして「少年ハリウッド」の楽曲歌詞において効果的に作用している。

アイドルという嘘。アイドルの"死"(解散引退)。ファンアイドルとの距離感センター交代。

ドタバタ青春アイドルサクセスストーリー」なんて嘯くのも当たり前で、ドタバタというよりジタバタだし、青春という言葉イメージほど爽やかでもないし、そんなにサクセスもしていない。

しろアイドル限界終焉を匂わせるような題材を好んで扱っているふしがある。闇を見せるからこそ希望が見える。有限だからこそ美しい。

アイドル禅問答のようなこねくり回しが、脳に一度馴染んでしまうと逃れられない魅力を生み出している。

2つ目は、アニメ作品としての哲学(演出)。

少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-(完全版)」は最たるものだが、他にもテレビ音楽番組を通しで再現してみせた第10話「ときめきミュージックルーム」や舞台劇をやった第5話「エアボーイズ」など、一風変わった回。

全編に渡って抑制的なテンションを保ち続ける演出とそれを支えるリアル寄りのキャラクターデザイン

毎回違うEDアニメーション。

そうした斬新さとこだわりを感じさせる作風は、脚本の妙に引けを取らないこの作品の美点だと言える。

曲の歌詞がいい

この作品に登場する(関連する)楽曲作詞すべてを担当するのは、原作者でありシリーズ構成・全脚本担当した橋口いくよ氏。

少年ハリウッド楽曲歌詞もまた、アニメ本編と同様に橋口いくよのアイドル哲学をよく表現する媒体になっていて、両輪をなしていると言っていい。

アイドル哲学の良さは上記したが、特に「永遠 never ever」「ハロー世界」はまさにアンセムといった出来だ。

曲がいい

メイン楽曲作曲80年代90年代にかけて活躍した作曲家の林哲司氏が担当されていて、キャッチーかつ少しレトロな曲調が聞いていて心地よく、どことな郷愁を誘うので何回も聞いてしまう良さがある。

「少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-」特集 林哲司インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

(声優が豪華)

曲のことばかり褒めたが、もちろん歌もいい。

逢坂良太柿原徹也山下大輝蒼井翔太小野賢章。当然みなさん歌がうまい

2020-07-20

anond:20200719224053

らっきー☆ちゃんねる存在を忘れたか

虚構現実クロスオーバーさせる「おふざけ」をする土壌がある作品なのだから、「この場所こなたのアクキー存在しえない……」という謎の郷愁を感じる前に「らき☆すたならやりかねなかった所だな」と思えてしまうだろう。

2020-07-19

anond:20200717115657

なんか増田本人含めて話に登場する人間ひたすらきもい

まれてはじめてあそこで生まれてよかったと自分故郷郷愁を感じた

2020-06-19

anond:20200619151619

「優しい料理上手の黒人のおばあちゃんが作ってくれたパンケーキ」のイメージを前面に打ち出したものだったはず。これが今問題の一つとなっている“人種ステレオタイプ”、“人種バイアス”だ。

“ジェミマおばさん”は19世紀民謡の中で歌われる同名の黒人女性モチーフとしており、この民謡奴隷制度への依存度が高かったプランテーション時代への郷愁を歌ったものだという。

要するに奴隷召使いが作る料理イメージなんだろ。

2020-06-12

[]2020年6月11日木曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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2020-06-11

隔離部署への郷愁

山口県田布施町役場での隔離部屋異動が問題になっていて、内部告発者を異動させるというやり方は私もアウトだと思っている

一方である程度の規模の企業になればほぼ確実に問題社員隔離するための部署存在しているはずだ

私の勤務先は社員数が1万人には満たないかなという規模の上場企業だが、やはり隔離部署存在していた

隔離部署です」と明言されているわけではないが、問題を起こした社員懲戒処分を受けたあとで必ずその部署に異動となるので社内の人間なら誰でも知っている

私もとある問題を起こしその部署に2年間在籍したことがある

居た人たちはさまざまで取引から過度な接待を受けて処分された人、コミュニケーション能力問題ありすぎて絶対に外に出せない人、心を病んでしまった人などが40~50人ほど在籍していた

心を病んだ人やコミュニケーション能力問題アリの人はどうあっても外には出せないので、長期間わたりその部署で飼い殺されていく

一方で社内規定違反等で送り込まれてきた人たちはその罪状等で懲役期間(実際に社内で皆そう言っていた)が決まる

私がその部署に異動になったときも「増田君は初犯だし懲役1~2年かなあ 俺は3年超えたけどまだ釈放されないよ」と声を掛けられたことを今でも覚えている

その部署にはやるべき仕事基本的には無い 私に与えられた仕事は朝と夕方郵便局へ行くことだったがどちらも1時間程度あれば終わってしま

余った時間はもっぱらネットサーフィンで潰していたのだが、当然のことながら他部署の人たちからはいつも蔑みの目で見られていた

そんなこともあるのでこの部署の人たちは誰も社内食堂を利用していなかった ほぼ全員が弁当を持参しお昼には各自デスクで黙々と食事をする光景は異様だった

そんな日々に耐えられず辞表を出す人、酒に溺れ体を壊す人も多数居た

ただそんな環境にさえ耐えられれば一日何の仕事もしないまま過ごして給料はこれまで通り貰えるのだ(ボーナスは人事評価に連動するので当然のように最低評価をつけられ3割程度減った)

私の場合メンタル耐性だけは万全だったので、心を病むこともないまま毎日定時退社しプライベート時間睡眠時間も十分に確保できる非常に楽しい2年間を過ごすことができた

今思えばあの2年間は私のサラリーマン人生における夏休みだったのだろう

次の夏休みはいつになるのだろうか

風と共に去りぬHBO配信から一時取り下げられるらしいけど

風と共に去りぬ映画としてめちゃくちゃ面白い最後セリフまでわかってるのに、見るたびにウオオオと声を出したくなるくらいには好きだ。

でも今の配信スタイルだと注釈解説をつけるために取り下げる必要があるだろうなと理解するし抗議する気持ちはわかる。

南部郷愁が強すぎて、黒人の描き方がステロタイプだとか、奴隷制度に肯定的とか、そうだろうなと思うし。

なんか憂鬱なのは、このニュースだけ見て、映画を知りもしないのに、文化現実差別は別だろとか、行きすぎたポリコレだとか、作品を守れとか言い出す日本人が多いだろうなってこと

2020-06-06

ジャンプ(的作品)の王道鬼滅の刃について

思いついたことを書くだけ。

旧来のジャンプ少年漫画王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボールスラムダンクキングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?

成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。

元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。

具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造あやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。

次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。

中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味感情移入できる人間はごく一部である

その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。

中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公漫画を楽しめるのは、他人事フィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生ジャンプを楽しめるわけだ。

感情移入はいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである

ところで、鬼滅関連の記事Twitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生ジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプ中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。

個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入ほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)

まり、今の小学生ジャンプ主人公感情移入できないのである

ジャンプ王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生中年のお兄さんやおっさんなのであるしかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間いるかもしれないが・・・

ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳であるコナンアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。

また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君スポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンボールを蹴ることがある。

不幸なのはスポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲット食指を伸ばさず、結果としてスポーツもの非公認ソフトBLとして扱われることになった。

ここで鬼滅である

炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。

主人公普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。

炭治郎は無知田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。

彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである

不思議なことに、フィクション特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。

主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである

良い映画主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。

それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。

炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。

インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。

今やネットによって全世界基準自分順位のようなもの何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。

自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ

の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションファンタジーに過ぎるのである

一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公応援する側にシフトチェンジさせる。

今の時代大人子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。

慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存作品では大体理不尽な目にあってきた。

それがモブであれば理不尽死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品主人公わがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。

炭治郎は、物語最初最初理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。

炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)

その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさな不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。

炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプ主人公が生まれたのである

彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行無駄じゃなかった」と涙する。いい話である

アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームキャラだったのである

鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。

自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較である個人趣味は置いておく)

男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたこしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である

旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。

実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的人間的成長のカタルシスを端々で見せるからであるほわほわ

ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである

伊之助は全く以て迷惑嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。

顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。

一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである

炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。

元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。

視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。

2020-02-19

ノスタルジック涙腺爆撃曲

やなぎなぎ「キミミクリ

https://www.youtube.com/watch?v=ocLYHapezhs

田中理恵「ニンギョヒメ」

https://www.youtube.com/watch?v=9JX86K_bRBo

eufoniusクレアトゥーラ

動画見当たらない。サブスクでは聞ける)

sora tob sakana夏の扉

https://www.youtube.com/watch?v=lZjpxaKRO8M

Maison book girl「Karma」

https://www.youtube.com/watch?v=uzM1sKgk43E

あほかにもいろいろあるんだが、自分にとってこういう曲って「ありもしない幻想郷愁」みたいなのをガンガン刺激してきて涙腺ぶっ壊れる系ってことでまとまってる。わりとアニソンやらアイドルの曲やらでこういうやつの打率が高いので、日頃からサブスクで漁ってはいるんだけど、なかなか出会えなくなってきているので増田集合知におすがりしたく候。上記の曲はすべてサブスクでも聞けるが、手っ取り早く紹介する意図You Tube貼った。

2020-01-22

バカな人へ

私は恥ずかしいことが多すぎる。何かを判断するとき、あとで思い出して恥ずかしくなるような方を選んでしまうから

 

人は気持ちいい方を選ぶことが多いのだろう。気持ちいい理由の中に、あとで思い出しても恥ずかしくないからという理由があるから、それを選ぶのだろう。私はそれをとっさに判断できない。もしくは、選ぶ理由の中にそれがない。

 

風呂場や布団の中で何度もだえたことか。何度「死にたい」と検索したことか。はたから見れば大したことないこともない。そんなことが多すぎる。

 

恥ずかしいことが多すぎることを恥ずかしがって生きていくのはなかなかつらい。もだえても、Googleに死に方を聞いても、どうしようもない。だって解決しないし生きたいから。

 

そこで、恥ずかしいことをあえて晒すことで浄化する方法を編み出した。恥ずかしかたことを面白おかしく書けば、寿命を全うできるのだ。

 

時間解決する」というやつを使えば、いくらか捨てられる恥ずかしいこともある。さすがに、直近の恥ずかしいことは恥ずかしいまま数年持ち続けることになるし、そう書いている今も直近の恥ずかしいことを思い出して自分の頭を殴っている。でも、時々捨てていればタンコブができるまで殴る必要はなくなる。

 

ただし、言い訳はだめだ。それと、美化しちゃいけない。あの時の恥ずかしかった出来事を、恥ずかしいままに晒す必要がある。もう一度、直視しなければならない。

 

晒すというのは、その場にいなかった、その出来事を知らずに済む周りの人に見せるということである意味がわからないだろう。でも、それが良い。

 

実は、人は他人の恥ずかしい出来事大好物だ。共感したり、あざ笑ったり、哀れんだりと、好き勝手に消費する。そして、忘れていく。

 

一生懸命勇気を出して、一世一代の決意で晒したのに、このザマだ。腹が立つ。でも、それがミソなのだ。私にとって、永遠にまれるはずの恥ずかしい出来事は、人にとって、いつかは忘れる通りすがり出来事で、人にとって忘れられない出来事ならば、私にとって価値がある出来事だったということになる。

 

価値は「悲しみ」「怒り」のいずれか、もしくは両方だろう。私と同じような体験をした人は胸を締め付けられ、もう一度悲しみ、怒るのだ。

 

おっと、もう一つを忘れていた。私と同じような経験をし、乗り越えた私より立派な人は、懐かしみ、微笑む。そう、「郷愁」だ。

 

これは「悲しみ」「怒り」より私を救うだろう。恥ずかしい出来事なのに、好きだと感じてくれる人がいる。「郷愁」は全てを救う。

 

残念ながら、それ以外は忘れられていく。下手したら「悲しみ」「怒り」「郷愁」を含んだそれらも、いつか忘れられてしまう。

 

どちらも嫌なら、恥ずかしいと思ったときに「あの時、恥ずかしかった」「間違っていた」と伝えよう。それは言い訳にならない、素直になる。それもできないなら、いつまでも持ち続けよう。

 

大丈夫、人は鈍感だ。私が気にしすぎるだけで、人は私をそこまで高く評価していない。それも嫌なの? それなら間違えないで、期待に応えて。

 

厳しいけど、優しいよ。明日もまた、何か恥ずかしいことをしてしまうかもしれないけど、救われるよ。絶対じゃないけど、本当だよ。

 

今日も一つ、追いつかないくらいの恥ずかしい出来事晒した私より。

2019-12-29

Myはてなブックマークオブザイヤー2019発表!(後半)

前半より

anond:20191229173520

【優秀賞】


アメリカ心理学会「体罰反対決議」の本気度──親の体罰を禁じるべき根拠

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12364.php

体罰議論は悪く言えば物語的な説得に終始してしまうことが少なくないところ、この記事では体罰についての研究結果、それに基づいたアメリカ心理学会の声明体罰に代わる指導教育方法提示まであり、大変興味深く読みました。本発表の中から一つ読むならこれがおすすめです。


情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう

https://medium.com/@tumada/do-not-find-your-passion-a7b2f290b5a

情熱を探そう」という指針への批判検討を行い、「情熱ではなく、ちょっとした興味を見つけて、それを育もう」と呼びかけていますWeb2.0時代への郷愁と共に読みました。続編の記事も良かったです。


特別賞】


Pocket」のiOSアプリ

iPhone等で使っているPocketアプリの読み上げ機能は未読処理の効率を大幅に改善してくれました。感謝Pocketの同機能iOSのそれよりも

・多数の記事を立て続けに読み上げてもらうことができる

複数端末の連携が容易。スマホタブレットパソコンから取り敢えずPocketにつっこめばいい

という点で優れています

ただ、引用部分を2回読み上げる不具合(?)があり、治らないかなーと宙に念じています


【大賞】


2019年マイはてブックマークオブ・ザ・イヤー大賞

悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学手法で詳しく聞いてみた結果とは(TransTech Conferenceから

https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2019/02/50transtech-conference.php

悟りのような状態を「Persistent Non-Symbolic Experiences(PNSE、継続的記号体験)」とし、その状態にあるという人たちに対してインタビューをした研究大本とした記事です。通常の感覚と異なるPNSE状態感覚描写が興味深いです。さらにそれより考えさせられたのは、ブッダらの宗教家が仮にこの状態から教えを発したのだとして、その教えが常人とは異なる非人間的ともいえる程の感覚から出たものであることが知られないまま(PNSE状態異質性の程度が認知されないまま)大衆に流布され、生きる指針とされているとしたら話が違ってくるんじゃないかという点です。そこに壮大なスケールディスコミュニケーションがあるのではないか、とSF的な世界観の揺らぎを与えてくれたことに今年の大賞を授与したく存じます


来年面白い記事出会ますように。

2019-10-21

センチメンタルになれる80-90s映画教えて

2000年まれです。

YouTubeを見ていて80-90年代CM音楽郷愁を感じることに気がつきました(その時代を知らないのに、です)

いかにもその時代らしさ(台詞回し、ファッション音楽)を感じられる映画を見たいです。教えてください。

誰もが知ってるビッグタイトルや、時代を超える普遍的な要素を持ってしまっている作品は除外でお願いします。

2019-10-04

還暦越えてんのにこれ

自分が生まれてもいない時代郷愁を感じ

自分が参加したわけでもない戦争を誇り

自分が会ったこともない民族憎悪している

2019-08-30

昔々、ハリウッド

 

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。

 

 『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたときマジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネ意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。

 『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノ監督した作品が、ドラマ1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。

 

 なんてことをメモしていたら、タランティーノ子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二子供が生まれたり、タランティーノ子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。

 といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。

 というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい

 書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたときある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノドラマシリーズ制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノ劇場長編映画デジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。

 タランティーノがつくるNetflixドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言最近あった。自身監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダアルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストリーについての妄想を語っていた。

 ①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合ストーリーになるだろう。

 ②ビルはいかにして巨悪となったかエステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔人物オリジンを描く物語

 ③ハンス・ランダナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件解決してゆく物語

 ④アルド・レインは戦後どうなったか教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。

 なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分作品世界相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノバース」だ。もちろんタランティーノ世界MCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストリーはすでにコミック化されていることだし、劇場映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセントヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。

 で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。 

 

 話を元に戻そう。『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画タイトルからしてこの有り様なものから映画監督クエンティン・タランティーノいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスター予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。

 タランティーノは、過去映画音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングものとして消費された文化の「エキサイティング感覚自体をそのまま現在再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノ映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドから郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端

2019-07-23

anond:20190723183322

それはゼロ年代エロゲリアルタイムに接した人達けが思う感想なので、

からない人には分からない郷愁なんだよ。

すごく懐かしいエロゲみたいだってみんな言ってるわけで、なつかしさの元になる原体験が無い人には何が懐かしいのか分からないだろう。

2019-06-30

出生フォビアなのに出生してきてしまった

しかしながら、私は生まれる前から出生フォビアだったわけがない、なぜなら生まれる前はそのような価値判断をする"私"は存在しなかったのだから。ではなぜ、生まれてきたくせにその事実否定するような出生フォビアになってしまったのか?端的に自己矛盾であり欺瞞的な態度ではないのか?

いや、これは反逆なのだ、と。"私"が永遠にまれなかったかもしれない反実仮想的な、"私"の出生とともに永遠に失われてしまった"訪れなかった未来"、"有り得たもう一つの未来"に対する決して満たされることのない郷愁未来に向かって私が渇望するこの夢は、出生によって存在を開始された"私"を通じて願望されるという形式を取る限り、永遠に奪われ続ける。常に未来否定することでしか過去を受け入れることが出来ないこのあり方にあって、私の"出生"は開始された時点から醒めることのない微睡だったのかもしれない。

眠気、倦怠、微睡。引き伸ばされた時間未来への郷愁を繰り返すのっぺりとした灰色の大地だ、未来とは何と気怠いことか!

2019-06-20

異世界転生とかいう究極の反日文学

どんなリベラルでも極左でも、結局どこか日本依存している感が見え隠れしてて、そういう浅ましさが支持率に繋がらない。

だがそれとは別になろう系のいわゆる異世界生モノの潔いまでの日本への郷愁の念のなさといったら!

読者はもう心の底から日本の将来なんてどうでもいいのだろう。一昔前の異世界に行って、そこで修行し(何らかの成長を遂げる)再び戻ってくるとかではなく、完璧に欠片も未練が感じられない。

これはもう、右翼の敗北ですよ。国粋主義完膚なきまでに叩きのめされた瞬間です。

七度生まれ変わり国に報いると言った大楠公なんて血の涙を流しますよ。

三島由紀夫ある意味自決して正解ですよ。本屋の棚に異世界生モノを見る前に逝けたんだから

戦争若者が命を賭して守った未来に、あの読者はもう誰も見向きもしていないのです。

2019-05-24

古き良きインターネッツ電子掲示板によくあったスパムが流れまくってて郷愁すら感じている

あの日はもう戻らないんだなあ

融和派グラーバク

2019-05-17

おまえらスパゲッティ過小評価している

たとえば子供の頃。

給食献立にはもちろんスパゲッティがあっただろう。

子どもたちも大喜びの大人メニューだ。

ソフト麺」というのも多くの人の郷愁をそそるものらしい(私の地元にはなかったが)。

あるいは弁当に入っている小分けのスパゲッティに喜んだこともあったはずだ。

主役としても脇役としても存在感を発揮するニクい存在、それがスパゲッティなのだ

自宅でもスパゲッティは大活躍

レトルトソースを絡めるだけでもいいし、

イチから作ってもお手軽だ。

スパゲッティは米よりも保存しやすいし茹でるのも楽。

一人暮らしにも実家暮らしにもフィットする最良の友と言える。

いわゆる「中食」としてもスパゲッティは主役を張る。

コンビニには所狭しとスパゲッティが並んでいる。

同じ麺でもうどんそばよりも種類は多い。

大盛りミートソースペペロンチーノでがっつり。

野菜がたくさん入った和風パスタであっさり。

暑くなれば冷製パスタ、冬にはスープパスタ

弁当や丼よりも、融通の利くスパゲッティをこそ愛する者は多いのではないか

さらスパゲッティ外食でも強い。

ジョリーパスタ洋麺屋五右衛門鎌倉パスタ壁の穴ポポラマーマピエトロマンマパスタ

サイゼリヤカプリチョーザのようなイタリアンファミレスも忘れちゃいけない。

といってチェーン店けがスパゲッティじゃない。

リストランテ

トラットリア

イタリアンバル

違いはよくわからないけど、

カジュアルにもフォーマルにも愛されているのがスパゲッティだ。

まりスパゲッティ凄さというのは、間口の広さなのだ。

懐かしの給食おふくろの味一人暮らしコンビニ

オシャレにランチ、気軽に飲み会デートで使える高級店まで、

スパゲッティはそのすべてのシーンに寄り添っている。

牛丼は確かに身近な存在だが、「牛丼を食べた」というとそれは「吉野家松屋すき家に行った」とほぼ同義だ。

おにぎりを食べる機会は多いかも知れないが、それもコンビニおにぎりか、昼の手作り弁当が大半ではないか

寿司は、外食中食で強みを見せるが、「家庭の味」にはなかなかならない。

しかスパゲッティは違う。

家で、外で、コンビニで、専門店で、一人で、家族で、

人生のさまざまな場面でスパゲッティは現れる。

それこそが「文化的な豊穣さ」と言えるものではないだろうか。

ラーメンも同じく「文化」だろう。

戦国時代とも称される無数に存在する専門店から

カジュアルチェーン店

ご家庭で食べられる袋麺、

おなじみのカップ麺まで。

スパゲッティと比べると高価格帯は弱いかもしれないが、

それでも単なる「庶民の味」を超えて、日本に広がりを見せていると言える。

カレーだってそうだ。

給食で食べた甘口カレー

いつも食べてるレトルトカレーに、

ココイチゴーゴーカレーのお馴染みの味、

専門店カツカレー

インネパ店の本格カレー

アジアンカフェで食べるココナッツカレー

流行りのスパイスカレーに、

ホテルで食べる欧風カレー

日本人に愛され、そして「文化」にまでなっている国民食は、

ラーメンカレー、そしてスパゲッティ以外にない。

私はそう確信し、断言するのである

http://b.hatena.ne.jp/entry/4668800443334601858/comment/toksato

2019-05-03

日本海北上している。

今年のGW10連休ですね。

みんな旅行とか行ったのかな。

移動時間がひたすら多い電車の旅をしました。

積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。

増田初心者なので不手際あっても許してね。


秋田行きの特急列車に乗っている。

新潟駅発の特急いなほ5号である

運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィークしかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席からなのだろうが。

当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席チケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。

窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。

奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。

そう、窓際の席とは山側なのだった。

初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである

列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である

新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。

さて、新潟平野自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である

そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まり富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまり日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。

富山駅を出たのは朝5時台の電車でだった。

富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しか富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店モーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業吉野家のみであった。

その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦唐揚げ、新鮮な蛍烏賊踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。

しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。

あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。

さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。

日本海は海が近い。個人的感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。

電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。

直江津駅には立ち売り駅弁がある。

大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。

到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。

電車旅の楽しみは駅弁である

電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色楽しいものだが、そこにご当地駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。

朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。

改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。

しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。

いただいたのは鱈づくし弁当であるしかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメ天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。

味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかスルメ天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います

流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。

そして今、新潟発のいなほ5号に揺られている。

今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。

点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である

わず口元も緩んでしまう。

駅弁とは随分と贅沢なものだ。

美しい景色を眺めながら、その土地食べ物いただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。

ここが機内食やなんかと違う所なのである駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。

反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。

また美しい旅は続く。少し眠ったら山形に入り、そうしたら鳥海山も見ることが出来るだろう。

長い文章を読んでいただいてありがとうございました。

2019-04-12

イントロ泥棒CMが気になる

ちゃんと「ah 渚のシンドバッド~♪」まで歌ってよ!

ちゃんと「ププッピドゥ♪」まで歌ってよ!

そこまで入れるとダサい?いや郷愁狙ってるんじゃないの!?

あと歌部分取っ払ってるけど「でっきるーかな、でっきーるーかな?」なの…か…?

ついでに「スリル」がバラエティ番組で「ハチャメチャ大混乱!!!なシーンBGM」として半端に使われてるのも嫌い。このイントロ泥棒

2019-04-06

いまのFalloutへの文句

けものフレンズ2が大いに荒れているそうだ。まー見てないけど。

から振り返って1のおはなし。あと、これけもフレに云々言うのではなくFO3/4への文句なのでご注意。

1のエンディングみゆはんの「ぼくのフレンド」。

歌詞はとりあえず置いといて映像を見る。

遊園地モチーフになっているように、世界観方面不安を煽っていく。

実際作中でも露骨ポストアポカリプス的な要素が散見されて、実際人類は滅んだとまで作中で言われているわけで。

でも、それでも前向きに話が終わっているから、逆にFalloutへの不満が思い出されてしまった。

ちょっと話は変わるが、「ポストアポカリプス」的なフェチめいたものはわりと歴史的サブカルチャーの中にあり続けた。

たとえば「ヨコハマ買い出し紀行」。最近だと「少女終末旅行」とか。

海外でいえば「マッドマックス」。ただこれはだいぶカルチャーの部分なのでゲームを見てみると、その中には「Fallout」という傑作が燦然と輝いている。

冷戦真っただ中で明日いきなり核兵器が頭の上に落っこちてくるっていうのがまああり得ない話ではなかった時代に生まれ作品が、そうした懸念が晴れた後の世代に影響を与えてできた作品と言えるのかもしれない。

Fallout」はどちらかといえば「1984」とか「すばらしい新世界」の方向かもしれないが、ジョーク的なレトロフューチャー世界に準じているし、そういうロマンが詰まっている。

ことにこれらの作品に顕著なのが、「破壊のあとに生きる人間」というテーマだ。

Fallout」の1、2を製作した製作会社の作品には特にこれが現れている。「war never changes」という言葉は「第三次世界大戦は石で殺し合う」という意味もあるのだが、大事なのは世界が終わっても人びとは生きるために殺し合う」という明確なテーマを指すものだった。

わたしが初めて「Fallout」に触れたのは3だった。もともと「Oblivion」が大好きだったのでこれにも結構ハマったわけだが、もっとハマったのは「New Vegas」だった。そしてあとになってやった「4」は救いようのない駄作だと感じた。

なにが不満かと言えば、結局は「古い世界への郷愁」をわざわざ誘うような展開ばかりだったからだ。そのうえローカライズは「人は過ちを繰り返す」と訳した。

3のマップデザインを見てほしい。廃墟ばっかじゃん。戦争から何百年とか経ってるのに、ビル建物あんまり風化してない。

何が言いたいかといえば、「人が住んでない」ようにしか見えないのだ。

レイダーにはまともな拠点とかないし、ウェイストランド人の居留地なんていうのも生活感がまったくと言っていいほどない。

4はもっとひどい。風景が「せいぜい戦後20年とかじゃない?」という程度なのだおかしいだろ!

その上4ではロールプレイの幅があまりにも狭すぎる。

オンラインのヤツはやっていないのだが、正直こんなゲームを出していくのならBETHESDAには二度とFalloutシリーズを作らないでほしい。

まあ、それは無理があるのでわたしはNVのスタッフが作ってる「The Outer Worlds」を楽しみにしておくということで、愚痴おしまい

https://www.youtube.com/watch?v=O4UEOhcbb20

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