しかしながら、私は生まれる前から出生フォビアだったわけがない、なぜなら生まれる前はそのような価値判断をする"私"は存在しなかったのだから。ではなぜ、生まれてきたくせにその事実を否定するような出生フォビアになってしまったのか?端的に自己矛盾であり欺瞞的な態度ではないのか?
いや、これは反逆なのだ、と。"私"が永遠に生まれなかったかもしれない反実仮想的な、"私"の出生とともに永遠に失われてしまった"訪れなかった未来"、"有り得たもう一つの未来"に対する決して満たされることのない郷愁。未来に向かって私が渇望するこの夢は、出生によって存在を開始された"私"を通じて願望されるという形式を取る限り、永遠に奪われ続ける。常に未来を否定することでしか過去を受け入れることが出来ないこのあり方にあって、私の"出生"は開始された時点から醒めることのない微睡だったのかもしれない。