1
事故だった。
交通事故。
妻は既に虫の息だった。
彼女は最後の言葉を発することもなく、あの美しい瞳を見せることも二度となかった。
このままでは完全に駄目になる。もはや駄目になりかけていた。
そんなときのことだった。
どうか、もう一度妻と会わせてくれ。
彼女は微笑むように口角を上げると、口を開けた。
「生前のライフログを元に、死後もコミュニケーションの取れるキャストを作成します」
え?
ろくに調べずに来たので、その言葉の意味は何となくでしか理解できなかった。
俺の言葉に女性は態度を変えることなく、事務的な笑みを添えたまま説明を始めた。
「もとは欧米の技術です。本来は生きている人から金型を取って、シリコンなどで精巧な人形を作ることです。だから人生造形師は、樹脂や金属の代わりに人生を流し込んで形にするんです」
「つまりは…亡くなった人間を再現するAI人形ということでしょうか」
「お願いします!」
迷う必要はなかった。深く頭を下げ、すぐに頼み込んだ。
どんな形でもいい。
「…分かりました」
それから女性は再び表情を和らげ、「期待に応えられるように誠心誠意、務めさせていただきます」と言った。
2
腰が抜けそうになった。
妻はゆっくり俺の前に歩いてくると、ぼそっと「目の下のくま」と言った
え?
「ひどいけど…もしかしてよく眠れてないの?」
そう言って妻は少し笑った。
俺は人生造形師の女性が傍に居るのにも構わず声を上げて泣いた。
自宅に妻がいる。
リビングでソファに座り、キッチンから聞こえる音には聞き覚えがあった。
ダイニングでの夕食。
顔を上げると妻の顔があった。
既に虚空はなくなっていた。
俺は回復した。
眠れるようになり、仕事にも以前のように集中できるようになった。
1カ月、2カ月と経ち、それでも妻に問題はなかった。
妻は過去の記録から作り出した単なるAI人形に過ぎないのかもしれない。
それでも俺は妻を愛していた。
すべては順調で、俺は幸せだった。
3
違和感を覚えたのは半年が過ぎようとしていたある日のことだった。
出発の直前、持ち物を確認していると玄関で待つ妻が呆れながらも笑顔を見せ、「あくしろよ」と言った。
そのとき俺は「ああ、ごめん」と言って済ませ、それから家を出たのだけど、あのときの妻の言葉が妙に気になっていた。
”あくしろよ”?
そんな言葉使いをしているのは聞いたことがなかったし、何より冷静に考えればどういう意味なのか分からない。
だが違和感はその日だけではなかった。
その後、一緒にテレビゲームをやる?と誘うと妻は「やりますねぇ」と答え、妻から晩御飯は何がいい?と聞かれて何でもいいよと言えば「ん?今何でもするって言ったよね?」と聞いてきたり。
訳が分からず恐ろしくなった俺は、とうとう調べることにした。
俺は症状について調べ、唖然とした。
なんだこれは…?
感染したAIは”いんむ”と呼ばれる言語をインストールし、独自の言語を展開するようになる。
…なんだ。ウイルスに感染したと言っても、この程度の事なのか。
壊れたというわけでもないし、日常に支障をきたすわけでもない。
そんな風に思えていた。
それでも妻を愛していたのだから。
☆
俺はサプライズを用意し、買い物に出かけた妻が家に入るとクラッカーを鳴らし、それからケーキを手にハッピーバースデートゥユウを歌った。
妻は「ファッ!?」と声を出して驚きながらもサプライズに満面の笑みで応え、「たまげたなぁ」と言った。
妻が食器を洗いリビングに一人となるとひっそりベランダに出た。
そこで俺は、激しく泣いた。
攻殻機動隊のサイト読んでたらこの投稿思い出したよ。 抜粋:昨年、「END展」(2022)という展示を観ました。テクノロジーを通じて死生観を問うもので、たいへん興味深い内容でした...