2023-11-19

妻が死んだ

1

事故だった。

交通事故

唐突で、何の脈絡もなく、突然の出来事だった。

俺は仕事を途中で全て投げ出し、すぐに病院へ向かった。

妻は既に虫の息だった。

彼女最後の言葉を発することもなく、あの美しい瞳を見せることも二度となかった。

それからは魂が抜けたように毎日を過ごした。

マンション2LDK無駄に広く感じられた。

ダイニングでの食事。顔を上げるといつもの顔がない。

かい合い、思わず微笑み合ってしまう顔が。

結婚してまだ半年だった。

このままでは完全に駄目になる。もはや駄目になりかけていた。

そんなときのことだった。

人生造形師の存在を知ったのは。

俺はすぐさま事務所へ向かい、迷うことなく依頼をした。

どうか、もう一度妻と会わせてくれ。

人生造形師は俺の予想と違い、若い女性だった。

彼女は微笑むように口角を上げると、口を開けた。

生前ライフログを元に、死後もコミュニケーションの取れるキャスト作成します」

え?

ろくに調べずに来たので、その言葉意味何となくしか理解できなかった。

「すいません。まだ人生造形師というのがよく分からなくて…」

俺の言葉女性は態度を変えることなく、事務的な笑みを添えたまま説明を始めた。

「もとは欧米技術です。本来は生きている人から金型を取って、シリコンなどで精巧人形を作ることです。だから人生造形師は、樹脂や金属の代わりに人生を流し込んで形にするんです」

「つまりは…亡くなった人間再現するAI人形ということでしょうか」

俺はネットで見た情報をそのまま口にした。

女性は「まあそのようなものですね」と答える。

「お願いします!」

迷う必要はなかった。深く頭を下げ、すぐに頼み込んだ。

どんな形でもいい。

妻ともう一度会えるなら…なんだっていい。

ゆっくり顔を上げると女性は初めて崩した表情を見せた。

「…分かりました」

それから女性は再び表情を和らげ、「期待に応えられるように誠心誠意、務めさせていただきます」と言った。

2

腰が抜けそうになった。

人生造形師が用意した妻は、まごうことなき妻だった。

妻はゆっくり俺の前に歩いてくると、ぼそっと「目の下のくま」と言った

え?

「ひどいけど…もしかしてよく眠れてないの?」

そう言って妻は少し笑った。

俺は人生造形師の女性が傍に居るのにも構わず声を上げて泣いた。

報酬に何割かのチップを加えて渡し、俺たちは帰宅した。

自宅に妻がいる。

リビングソファに座り、キッチンから聞こえる音には聞き覚えがあった。

ダイニングでの夕食。

顔を上げると妻の顔があった。

既に虚空はなくなっていた。

俺は回復した。

眠れるようになり、仕事にも以前のように集中できるようになった。

1カ月、2カ月と経ち、それでも妻に問題はなかった。

妻は過去の記録から作り出した単なるAI人形に過ぎないのかもしれない。

それでも俺は妻を愛していた。

すべては順調で、俺は幸せだった。

3

違和感を覚えたのは半年が過ぎようとしていたある日のことだった。

休日、二人でハイキングに出掛けることにした。

出発の直前、持ち物を確認していると玄関で待つ妻が呆れながらも笑顔を見せ、「あくしろよ」と言った。

そのとき俺は「ああ、ごめん」と言って済ませ、それから家を出たのだけど、あのときの妻の言葉が妙に気になっていた。

あくしろよ”?

そんな言葉使いをしているのは聞いたことがなかったし、何より冷静に考えればどういう意味なのか分からない。

だが違和感はその日だけではなかった。

その後、一緒にテレビゲームをやる?と誘うと妻は「やりますねぇ」と答え、妻から晩御飯は何がいい?と聞かれて何でもいいよと言えば「ん?今何でもするって言ったよね?」と聞いてきたり。

訳が分からず恐ろしくなった俺は、とうとう調べることにした。

そこで一つの事実が明らかになった。

妻はウイルス感染していたのだ。

それはレトロウイルス一種で、ウイルス名は”ニコニコ”。

俺は症状について調べ、唖然とした。

なんだこれは…?

感染したAIは”いんむ”と呼ばれる言語インストールし、独自言語を展開するようになる。

…なんだ。ウイルス感染したと言っても、この程度の事なのか。

壊れたというわけでもないし、日常に支障をきたすわけでもない。

ならいいじゃないか

そんな風に思えていた。

それでも妻を愛していたのだから




今日は妻の誕生日だ。

俺はサプライズを用意し、買い物に出かけた妻が家に入るとクラッカーを鳴らし、それからケーキを手にハッピーバースデートゥユウを歌った。

妻は「ファッ!?」と声を出して驚きながらもサプライズに満面の笑みで応え、「たまげたなぁ」と言った。

誕生日は楽しく盛り上がり、幸せに終わった。

妻が食器を洗いリビングに一人となるとひっそりベランダに出た。

そこで俺は、激しく泣いた。

  • 攻殻機動隊のサイト読んでたらこの投稿思い出したよ。 抜粋:昨年、「END展」(2022)という展示を観ました。テクノロジーを通じて死生観を問うもので、たいへん興味深い内容でした...

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