はてなキーワード: 悪戦苦闘とは
パパです。3歳の娘は随分と髪が伸びました。
この所やっとこさ落ち着いて乾くのを待ってくれるようになりましたが、そこに至るまでに発見したテクニックを共有したいと思います。
ちまたではタオルを巻いてからドライヤーをすると良いとも言われるけどそもそもタオルを巻かせてなんてくれるわけがありません。
そんなこんなで悪戦苦闘していると偶然早く乾燥する方法を発見しました。
それは、娘の髪の毛を中心にして常にドライヤーと自分の身体で挟み込むように乾かすというものです。
壁際に逃げようとする娘の髪の毛にドライヤーを当てているといつもより早く乾くことに気づきました。
つまり、温風が壁である程度留まることで熱が逃げずに済んだのです。
それならばと壁の代わりに自分の身体(お腹)を使うと、普通に立っている状態でも使えるテクニックだということがわかりました。
自分で乾かす場合は、自分をドライヤーと壁で挟むといいと思います。
2.髪の毛が抜けずに痛くないブラッシング
力任せに引っ張って大泣きされたことがありました。
ところがある日、何を思ったかブラシを縦にしてすいてみるといつもより引っかかりが少ないことに気づきました。
つまり、持ち手に垂直方向にブラシを動かすのではなく、ブラシの持ちて方向にブラシを引くのです。
もちろん多少はひっかかりますが、その方法に変えてから一度も娘に痛いとは怒られなくなりました。
3.3歳でも立派な女性
ドライヤーを作業と考えているうちは、娘はなかなか呼びかけに応じてくれませんでした。
ところが、ある日娘がプリンセスのアニメに釘付けになっているのに気づいて、ドライヤーの意味を変えてみることにしました。
つまり、ドライヤーの時間は娘がプリンセスに変身する時間だと置き換えてみたのです。
するとどうでしょう。
ドライヤーに近づかない娘には「ボサボサのままではプリンセスになれないよ」と。
ドライヤーの最中に飽きてきた娘には「少しずつプリンセスに近づいているよ」と。
終わったあとには抱きかかえて鏡を見せて「素敵なプリンセスに変身したよ」と。
それからはすっかり上機嫌で、楽しく応じてくれるようになりました。
元増田だけど、そういう建前論みたいな話ってウソっぽいから信じてない。
本音を伝えなければ「心を閉ざしている」と批判され、本音を伝えれば「精神が未熟」と批判される。
みんなそうやって自分の中にある負の部分を他人に投影して、それを叩いて、何か大人になった気分に浸ってるだけなんですよ。
だから、そういう遠回りな子供っぽさからは卒業して、自分は自分自身に素直になることを選んだんです。
「自分に素直になれ」っていう言葉もまた、よく耳にするキャッチフレーズではあるけどね。
自分はそれをできるかぎり受け止めてあげられることで、彼女の心の支えになってるのは間違いない。
今まで付き合った人の中で、愚痴や弱音、怒りを吐露しなかった人はいなかったし、
一切マイナスなことを口に出さない人ってのは、逆に(ある意味で自分のように)何か後ろめたいものを抱えているとしか思えない。
戦車が動いてるだけで満足できる層か、女の子達が出てくるだけで満足できる層でなければきつかろう。
俺はもともと前者だったんだが(まともに戦車の操縦を描く作品なんて他になかったからね)、
戦車という無骨な鉄とオイルの塊と格闘するクルーの悪戦苦闘こそ楽しかったのに、
端的に言って、劇場版の戦車はガンダムみたいに「思い通りに動くスーパーメカ」なんだよ。
結果、あとに残るのは女の子達が出てくるだけで満足できる層だけだった。
そんだけの話よ。
これ面白かったけど、主に服装の話だからメイクの話をしとこうかな。
オタクの子は服装とメイクが合ってない子が多い。というか、明らかなオタク臭を発している子は凝った服装をしているのにすっぴんというケースが多い。
凝った服装には凝ったメイク、カジュアルな服装にはカジュアルなメイク(か、すっぴん)。バランスが大事。
同じフリルやレースたっぷりの服でも、それに見合ったメイクをしていればオタク臭はだいぶ薄まる。
というわけで、最低限のメイクを覚えてみて。
私自身は外見だけでも脱オタクしようと悪戦苦闘した素人。そのうち、オタクじゃない女性にもメイクの仕方とか聞かれるようになったけど。
初心者向けの内容だし、「そんなの間違ってる」と思う人もいるだろうが、まあ、メイクは人それぞれなので、こういうやり方もあるということで。
ちなみに肌が弱い人のことは想定してない。ごめん。
道具は基本的にすべてドラッグストアでまかなえられる。メイクはトライアル&エラーが大事だし、近頃は安価でも使いやすいメイク用品が豊富なので、最初は大人でも安い物からはじめて十分。
お金に余裕のある人はデパートや化粧品専門店に行って一から教えてもらうのも有効だけど、メイクを全部教えるってものすごく手間なので、ひとつも買う気がないのにそれを頼むのは止めてさしあげてね(とはいえ、すすめられた物を全て買う必要もないよ)。
あと、最初にこれ読んで、具体的なやり方は検索してもらえると思って書いてるよ。
メイクを始める前に、まず、ヒゲと眉の手入れをしよう。道具はドラッグストアなどで専用の剃刀や毛抜きを買ってね。
女の子でも、口の周りの産毛は剃っておいた方がいい。特に体毛の濃いひとはヒゲそのものになってることあるよ。
次に眉。実際のやり方は「眉 整え方」で検索してもらうとして、持つべきイメージは「同年代の日本人人気女優の今の眉の形」。外国人は肌や体毛の色や骨格、文化も違うので参考にはしにくい。人気女優を選ぶのは、一番無難な(誰にでも好感度が高い)メイクをしているから。「今の眉」と限定するのは、眉の形にも流行り廃りがあるから。
そして眉の抜き過ぎ、剃り過ぎには注意。メイクしないと眉がない、なんてことにはならないように。
まずはベースメイク。肌のアラ(色ムラや毛穴、シミなど)を目立たなくするためのもの。
オタクはこれを軽視する子が多いけど、面積が広い分、与える印象の差は大きいよ。
一般的なのは、化粧下地(ファンデ―ションがきれいにつく働きがある。日焼け止め効果ありの物も)を塗ってからパウダーファンデーション。
同じブランドで揃えて使うのがふつう。初心者はTVCMで見たことあるブランドのものから選べばいいと思う。
ファンデーションの選び方で最も大事なのは、首の色に合っているかということ。意外と顔と首の色が違うひとは多いんだけど、顔より首に合わせた方が自然。
ブランドによって色が結構違うので、ひとつのブランドでどの色もしっくりこないな、となっても他のブランドのものを色々試してみて。
ドラッグストアではどれも合わないってひとはデパートに行ってみよう。「カバーマーク」みたいに珍しい肌色のひとにも合うファンデーションを売ってるところもあるから。
色合わせはデパートやドラッグストアの美容部員にしてもらうのが手っ取り早いが、そういうのが苦手なら、ドラッグストアや化粧品専門店、ロフトなどのバラエティショップでは自分で試すこともできる(デパートや高価格商品を置いている専門店では難しい)。逆に美容部員のいないドラッグストアも多いので、アドバイスが欲しい場合は店を選ぼう。
自分で色を合わせる場合、フェイスラインあたりに塗ると首の色と比較しやすい。
実際に塗る時、アラをすべて隠そうとファンデーションを厚塗りするのは厳禁。そもそも化粧で完全に肌のアラを隠すのは難しいし、その必要もない。よほど技術がないと不自然だし。
ファンデーションは顔の中心部(片手を大きく広げ、手のひらの下端を顎先に合わせ、手全体が覆う範囲。肌のアラが出やすい)からつけて、それ以外の顔の外周部は特に気になるところがないかぎり、首の色と合うようにスポンジに残ったものを軽くなじませる程度で十分。
塗りムラができないように気をつけてね。慣れてない時は、塗り終わった後に鏡で色んな方向からよくチェックしよう。
私は大学や職場の男性に「彼女の化粧がムラになってるの、言ってあげてよ」と頼まれたことが複数回あるよ…。
ズボラなひとやカジュアルな服装の時は、BBクリームやCCクリームという名前で売られている、日焼け止め・化粧下地・ファンデーションが一本で済むというやつでもいい。ただし、色数は限られている。
パウダーファンデーションは使っているけど、なんか不自然に見えるという人や、凝った服装をしたいって人は、リキッドファンデーションやクリームファンデーションを選んでみよう。
リキッドやクリームはパウダーより塗るのがちょっと面倒だったり、上からフェイスパウダーをはたかないとべたついたりと手間がかかるけど、乾燥した肌へものりがよかったり、カバー力が強かったり、フォーマルな肌(フォーマルな衣装に合う肌)になったり、機能的に優れている物があるので試す価値はあるよ。
肌の欠点がどうしても気になるという人や、「この服にはお人形みたいな完璧な肌が似合う!」っていう時は、コントロールカラー(色補正用化粧下地)やコンシーラー(シミ隠しなどに使われるカバー力の強い部分用ファンデーション)まで使うことになるけど、ここまでくるともう初心者じゃないので、ネットや雑誌・本の情報を参考に、頑張って自分に合う方法を研究して。
まず眉を描く。
アイブロウパウダー(眉用のアイシャドウみたいな粉状のもの)とアイブロウペンシル(眉用の鉛筆)を買おう。髪と瞳の中間の色を選べばいいと言われている。プロ含め、ペンシルで最初に描くことを推奨しているひとが多いけど、個人的にはパウダーからはじめた方が初心者には楽だと思う。最初にパウダーで薄く描いて、こんな形というのが決まったら濃くしていく。パウダーでは薄くて足りないところ、細さが必要なところをペンシルで描き足す。まあ、やりやすい順番で。
次にリップ。
20代前半までだったら色付きリップクリームからはじめてもいいけど、基本は口紅から。グロスは取っつきやすそうで実際には難しいので、メイクに慣れた後で。グロスみたいな形状の、液体型の口紅(リキッドルージュ)もあるので、口紅はちょっとってひとはそういうのからはじめてもいいかも。
色選びは、これも実際に塗ってみないと始まらないけど、「パーソナルカラー」で検索すると参考になる情報が出てくると思う。一本だけ選ぶなら、「自分の素の唇の色がきれいになったような色」を意識しよう。
口紅をきれいに塗るコツは、ふだんからこまめにリップクリームを塗るなどして、唇をいい状態に保っておくこと。それから初心者はリップブラシを使って塗った方が失敗が少ないと思う。リップブラシに口紅をとって、上の唇の中央からラインをとる。下唇も中央部からはじめてラインをとる。中を塗りつぶし、ムラがあったり濃いなと思ったら、ティッシュで押さえると余分な口紅がとれる。
なんだか唇だけ目立つな、浮くな、と思った時は、さらにティッシュで何度か押さえて調整する、唇のラインを指先でなぞるようにして口紅を塗った縁をぼかす、などすると自然になる。
初心者の場合、ポイントメイクはここまでで十分。最低限これだけやれば全然、見た目は違うから。
メイクをはじめたばかりだと、ポイントメイクに注意がいって、マスカラとかチークとかアイシャドウとかをがっつり塗ればいいのかな、なんて思ったりするけど、ここまでを丁寧にやる方が見映えはよくなるよ。
慣れてきたなって思ったら、ビューラーで睫毛を上げて、マスカラを塗ってみよう。変化が大きくて楽しいよ。
顔色が悪く見えるなって人はチークを試そう。色選びのコツはリップと一緒。うまくつけられないひとは、高いチークを買うよりも、いいチークブラシを買うといいよ。ブラシに粉をとったら、振ったり、ティッシュにブラシを滑らせたりして、余分な粉を落としてから塗るとムラづきしにくい。最初は「自分は塗ったと分かるけど、他のひとは気づかないかもな」くらいで止めておこう。塗り過ぎるとギャルっぽくなる。
メイクが楽しくなってくると、色や輝きが多彩なアイシャドウに魅かれることも多い。肌にある色の延長線上の色、つまり茶、ベージュ、クリーム色、ピンク、そこらへんからはじめるのがおすすめ。
鏡を見る時は部分だけじゃなく顔全体を見て。
次に鏡に全身を映して、服とメイクのバランスはとれてるかなってチェックしよう。
まあ、何よりも楽しんで。
オタクの子がメイクとかはじめると、「なんでそんなことするの?」「モテたいの?」「自分のことかわいいと思ってるの?」みたいなことを言って引き留める人が出てきたりすることもある。
なかには驚くようなひどいことをいう人もいるかもしれないけど、気にしないでね。
本当に悪意があると言うより、周りが変化していくのが怖いってことがほとんどだから。
あと、服もメイクも、オタクは凝り過ぎることがよくある。そういう性癖だから仕方ないんだけど。
でも、一般のほとんどの女性は服もメイクも実用品ととらえてるから。
芸能人に全然興味のなかったオタクがアイドルとか俳優とかにちょっと興味もって、「この人は人気だから、オタクじゃない人とも話題に困らなくなるかも」と思って口にしたら、詳し過ぎて引かれたとか、そういうのと同じ。自分的には浅い興味なのに、世間的にははまり過ぎって見られる、というような。そういうのはファッションでもメイクでも起こるから。
昔から多くの人がファッションやメイクに夢中になってきただけあって、そこにもはまりがいのある楽しい世界が広がってるから、自分が楽しめそうと思ったら、ぜひ深海にも飛び込んでみてね。
ウェルカム。
我々取材班は、未だはてな原住民の勢力下にあるという増田村に潜入取材を試みた。
現地のガイド犬(スコティッシュ・テリア)に案内され、増田村との接触に成功した取材班。
いきなり村の入口の異様な光景に驚かされる。
村の入口に並んでいたのは無数の頭蓋骨であった。
ガイド犬「ああ、これは別の増田村の村民たちの骨ですね。彼らは年中同族同士で殺し合ってるんです」
取材班「明らかに増田ではない骨格の頭蓋骨もいくつかありますが……」
ガイド犬「(直接質問には答えず)安心してください。我々は敵ではない、と先方に伝えてありますから」
ガイド犬の口調は力強かったが、未開人の野蛮な風習を見せつけられたショックは大きい。
取材班「こんな文明から隔絶した、恐ろしい土地が現代インターネットにも存在したなんて……」
インターネットの闇は深い。
随分、興奮しているようだ。
ガイド犬「大丈夫です。あれは、彼らの言葉で『あなたに会えたことを神に感謝します』と言っていて、まあ定形の挨拶みたいなものです。我々は歓迎されてますよ。ほら、見てください」
犬が鼻で示した先には、煮えたぎる巨大な鍋が。
中身は排泄物のような色合いの液体で満たされており、ちらほらと魚の頭?のようなものが突き出している。
増田たちはそのシチューのような何かを木製の器によそうと、満面の笑みで我々に差し出してきた。
取材班「我々に食べろ、と?」
ガイド犬「これはサバカレーといって、増田族に伝わる神撰のひとつです。外部の人間とこれをわかちあうことで、永遠の友情を築けると彼らは信じています。ヤクザの盃とおなじですね。友好の証ですよ。ぜひ、いただきなさい。おいしいですよ」
サバカレーはぬちゃぬちゃして、とても苦く、お世辞にもおいしいとはいえなかった。
が、せっかくのおもてなしを無下にはできない。彼らの機嫌をそこねたら、魚の次にシチューの材料にされるのは我々だ。
我々は無心でサバカレーを口の中へかきこんだ。
取材班「ごちそうさまです……」
二時間後、悪戦苦闘の末、我々はサバカレーを完食した。地獄のような二時間であった。しばらく茶色い食べ物は焼きたてのパンでも食べたくない気分だ。
増田たちは、戦後直後の占領米軍兵にチョコを乞う浮浪児たちのごとく、一斉に両手を我々に向けてつきだしてきた。
ご馳走の見返りをよこせということだろうか?
ガイド犬 「ああ、ブックマークを欲しがってるんですよ。彼らは。くれておやりなさい。減るもんでもないでしょう」
ガイド犬「は?」
ガイド犬の目つきが明らかに豹変した。
ガイド犬「そんなことも知らないで……増田村までやってきたんですか!?」
増田たちの「ブクマ!ブクマ!」の大合唱がどんどん強まっていく。
ガイド犬は増田村の村長に向かって、あわてて何事を申し立てた。
増田村長はガイド犬と二言三言、短い会話を交わしたのち、ベニヤ板の床をドン、とひとつきし、増田たちを黙らせた。
増田村長の大喝に、一旦はクールダウンしたかに見えた増田たちもふたたび狂騒を取り戻す。
増田たち「ゴジョカイ! スイヨービ! ノーブクマ! スイヨービ!」
ガイド犬「まずいな……」
ガイド犬はそれには答えず、こちらへ憐れむような一瞥を投げかけたと思うと軽やかに身を翻し、青二才のごとく狂騒の村長宅から逃走した。
われわれを置き去りにして。
増田たち「ゴジョカイ! スイヨービ! ノーブクマ! スイヨービ!」
増田たち「ゴジョカイ! ダップン! ノーブクマ! ゲリピー!」
我々を輪のように取り囲み、じりじりとにじり寄ってくる増田たち。
その目はどれも尋常ではない光を帯びている。
命乞いは、無駄であろう。
取材班「なんてことだ――増田村に、はてな原住民にさえ近づかなければこんなことには――」
後悔してももう遅い。
おそらく明日には我々の真新しい頭蓋骨が、増田村の入り口に並ぶことだろう。
義務教育時代は8時半登校で7時半に起きて全力で朝飯&準備して学校までダッシュ
息つく間もなくHRそして授業、合間の休み時間はたった10分、体育なんか10分で着替え、移動、整列までしないといけないし
トイレも極限まで我慢を強いられる(手を挙げてトイレ!とか絶対無理)、食事は30分で終わり、後片付けと掃除も30分、
昼休みは長いけど何もする気力が無く、午後に備えて寝るしかなかった、グランドで全力疾走してる奴らは頭がおかしいと思ってた
午後も2時間みっちりあるし、終ったころは4時。そこから部活を3時間、全身の細胞から力を振り絞るようにやってすっかり暗くなる頃に塾のバスに飛び乗る
塾で勉強をこれまたみっちり3時間(ほとんど何も頭に入らない)やって、中休みに近くの駄菓子屋でパンを買って貪り食う、帰るのは11時半
帰ってからも家の手伝い、掃除洗濯炊事片付け育児と主婦メニューを一通りこなし、一風呂浴びてから宿題にとりかかる、ここで午前1時半
ラジオを聴きながら宿題と悪戦苦闘、心はもう半分夢心地で眠るのは午前3時
ここから少しの自由時間があり、親の目を盗んでゲームをしたり漫画を読む、カラスの声を聴きながら4時ごろ就寝
3時間ちょっとの睡眠の後、再び学校へ全力投球、日曜祝日は文字通り糸が切れたように微動だにできなかった
これ今考えると異常に辛い。辛すぎる。フルタイムの正社員よりよっぽど辛い。刑務所より辛いんじゃねーかな。大人の仕事なんて一種類だけ延々とやってりゃ済むし。
4つ離れた弟が高校生になった時、自分にものすごく荒い口調と目つきで馬鹿にして見下してたような対応してたのを思い出した
あれって、自分の親兄弟っていう肉親に違和感を覚えた既視感があったんだよ
今でも母親とはたまに会話するけど、ときどきヒス起こしたり自分をものすごく馬鹿にしたようないいかたする根っこが毒親である。
うちはとても貧しい家庭だった
学も知識もない底辺層で労働者階級って近所から馬鹿にされまくって育っていた。
そのあと、頑張りすぎて体調壊して受験失敗し、家で浪人して、バイトしてたとき、弟が再び荒れた。
家の中で兄に対してだけ見下したようなとてもダメ人間を見る目で接してくるんだよね。
おれは医学部目指してて(けっきょく歯学部になったけど)毎日頑張って、バイトに悪戦苦闘し、けっきょく3浪してしまったからとてもだめな3年間を過ごしたのは覚えている。
でもその3年間が高校生の弟にとってはすごくダメ人間でいろいろ不満が溜まっていたんだろうなって思う。
当時は90年代後半で世相も騒がしい事件が多かったし、それなりに鬱屈したものがあったし、思春期特有の何かがあったせいだと感じてすませてたんだ。
けど、最近になって気づいた。
就職失敗して家でひきこもりして母にDVをはじめた弟になんらかのやばいもんを感じた
家の一角を風俗店(いわゆるライブチャットレディの待機ルームを作ったり、アダルトグッズを販売する店にしようとする計画で)みたいにしようとか言い出して、彼は母親と喧嘩しはじめたんだ。
あと、FXで母親の貯金300万くらい溶かしていたのも最近、聞かされて俺は90年代後半のあの時・・・・弟が荒れてた理由をあえて見つめ直してみた。
いわゆる、あれは、底辺層のモノ同士の特有の対人嫌悪、同族嫌悪という種類のものなんじゃないかと考えた。
親にも感じたし、その親からうまれた俺が思うのもなんだが、弟がものすごいクズでどうしようもない存在になってしまったのを恥と思い始めてる自分を長いこと・・・そうと認めたくなかったんだ。
自分の肉親血縁関係にあるものが、とても社会的にダメなものになって、人としてやばい領域にあるのだと知った時の不快感というのか。
むかし、高校生の弟が俺に対してとてもチンピラのような絡み方をしてきたり暴力をふるってきた時に、感じたものとおなじものを今も受け取る。
あいつが俺に対してひどい仕打ちばかりしてきたのは、クズでしかないからクズみたいな行動でしか対応できない動物の性質だったんだろう。
年末にも聞かされた。
「ひきこもってから俺がロースクール行けなかったのは兄のせいだ云々」とか、司法試験目指すならそれなりに方法もあるので予備校なり通えばなどいくらアドバイスしても弟の大学院受験失敗を俺はわからぬ理由で責められ暴れられる。
さてやっかいだ。
昨日は新年そうそう警察のお世話になるような事件が家で起きて(DVで暴れる音から通行人に通報されたらしい)
これから、自分の人生にどうこいつを切り離すかしか感情が浮かばない。
「兄ちゃんも頑張るから、一緒にゆっくりできるだけのことをして生きていこうよ!」
とか昼ドラみたいな優しさを持てない自分は、逃げることしか考えていない。
付き合ってる人もいるし、恋人や恋人の親に自分の家の家族を見せたくない。
あんな恥みたいな弟をいなかったことにしたい。
じゃあ、今年はそれを実行するために、実家には近寄らず、幸せに暮らせる場所を設けないといけない。
しかし、弟のことだ。
そのうち行政の介入によってなんらかの措置がとられるのだろうが、それまで自分は自分の安全な領域で生きていかないといけない。
しかし、たったこれだけのことだったんだ。
相手がどうしようもないクズだってなかなか認められなかったのは、自分の血縁だったからっていう理由が根底にあったせいなんだな。
容認すればさっさとなんとでもなりそうなことなんだが、家族の中に最低な奴がいるって本能的に気づくのを避けていたんだよね。
すごいことに気づいたなあ。
★子供が「くもん」の国語教材で悪戦苦闘している。内容は「盲導犬」。
自分の世界(大人の世界・仕事の世界)だけだと、盲導犬の話と接することがない。
子供が悪戦苦闘している「おかげで」、盲導犬の話といろいろ接することが出来る。くもんの副次効果
★そもそも、自分が子供だった頃(1970年代)は、「盲導犬」という存在が社会的に広く認知されていたとは思えない。
正確な記憶ではないが、自分が盲導犬の存在を知ったのは、中学ないし高校の頃だと思う。
つまり、今の40歳以上の人は、「義務教育課程で、盲導犬の存在を学習していない世代」じゃないか?
★「1970年代当時、盲導犬を知っている大人の割合はせいぜい10%程度で、盲導犬を知っている子供の割合もせいぜい10%」
傍証として「盲導犬の飼育頭数」を調べてみたら、「70年代当時⇒90年代末で、盲導犬の数は5倍に急増」らしい。
よって、当時の大人は、盲導犬という犬種を認知している人の方が、ごく少数だったと推定される。
★以前、「今の40歳以上は、吉野ヶ里遺跡を義務教育課程で学習していない」とツイートした。
発見が彼らの義務教育課程以降だったので、学習の機会を逸している。
盲導犬も80年代に急増したので、急増した盲導犬に関して学習する機会を、今の40歳代以上は逸している
★何が言いたいか?と言えば、
「80年代、90年代に急増した事象・覚知された事象について、社会人に再教育する制度を、なんらかの形で用意した方がいいのでは?」という話。
吉野ヶ里遺跡について知らない大人がいてもそんなに問題ないが、盲導犬に関して知らない大人がいると困る
★よく「盲導犬を連れて日本旅館に泊まろうとしたら、拒否された」的な話があって、世間の無理解を批判する人が多い。
批判する人は「盲導犬が60年代・70年代から普及して、今の中年も義務教育課程で存在認知していた筈」と誤解している。
★自分は45年間人間やってるが、今回「くもんの国語教材」で人生で初めて知った盲導犬トリビアも多い。
⇒答え「日本語で命令すると、第三者の通行人が、キツイ命令語に驚いて反応してしまい、それが犬に影響する」から
変な話だが、「子供と一緒にくもんをする」ことで、70年代に義務教育にビルドインされてなかったことも、学習してしまう格好になる。
「訓練者の命令に対し、人間に危険が及びかねない局面では、あえて盲導犬が命令に背いて人間の安全を優先させる」ようにする訓練
ウチの子が躓いていたのが、この部分。直感的には、なぜ命令違反を訓練するのか、なかなか理解が難しい
★この「飼い主の安全のため、あえて命令違反する」の部分、これが「盲導犬型ロボット」開発時の最大のポイントじゃないか?
ロボットが犬を超えられるかどうか。
今、日本精工が盲導ロボットを開発中、早ければ2016年に登場との情報
というか、難聴障害解決ベンチャーにも出資するような大和ハウス辺りが、本気で盲導犬ロボを開発しそうな予感
★で、この「盲導犬ロボット」の試作画像を見た海外人の反応が、ネガティブ反応が多数派だったらしい。
「盲導犬には癒し効果がある、ロボットは代わりになれない」云々
このあたり、ロボットに好意的な日本人、イヌに好意的な欧米人の文化差が観察されて面白い
★そもそも日本と欧米では、今でも盲導犬普及率が格段の差。70年代当時はもっと差があった。
アメリカが最後に輝いていた、第二次大戦末期がSF調で再現されている。
欧州大陸を占領している敵(宇宙人みたいな奴ら)を殲滅すべく、地球防衛軍みたいな軍隊がイギリスからフランスへ上陸するところから映画は始まる。
地球防衛軍はノルマンディーで敵にあっさりやられるのだが、主人公(トム・クルーズ)はループ能力を獲得して"D-day"前日にタイムリープする。
出撃、全滅の"失敗したD-day"が繰り返され、トムはだんだん敵の弱点に近づいていく。
いきなり仲間が「こうすれば敵やっつけられるよ」と思い出したように言い、その通りトムが頑張ってあっさり敵を殲滅してしまう。
「東部戦線では中・ロ軍が何の抵抗も受けずに進撃しております。我ら西部戦線ともうじき合流するでしょう」
などと言う。ドイツへの当てこすりですか?
ネット上のニュースやブログで見かけるセブンイレブンの経営や商材についての記事は絶賛一色。
ここらで私が苦言を呈しておきたい。
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実際には寒天の上にフィルムが敷かれ、その上に蜜の袋が置いてある。
http://egg-is-world.com/wp-content/uploads/2014/08/20140831-202012.jpg
当然、寒天に蜜をかけ、その上にトッピングを載せてから食すわけだ。
画像ではさくらんぼの軸が芋餡の上に有るが、私が食べたものは軸がクリームの上に。
どれもが皿にくっついて離れない。
丸く綺麗に盛ってあるさつま芋餡はスプーンで掬ったは良いものの、今度はスプーンに引っ付いて離れない。
なんとか寒天の上に移設したもののグチャッと型崩れしてイラッ。
白玉も皿からは外れたものの、白玉同士がスプーンではどうやっても分離しない。
1つずつ優雅に食べること叶わず、2つ同時に口に含む羽目になってイラッ。
最後にクリーム。ウネウネと綺麗に形作られているが、原型を留めたまま移設はどうやっても不可能。
仕方なくスプーンで掬いつつ寒天ににじり付ける。またもイラッ。
「腹に入れば一緒でしょ」って意見もあるかも知れんが、食事は目で味わうものでもあるでしょ。
今回、私は一人で家で食べたからまだ良いものの、これ人前ではどうすんの?
悪戦苦闘しながらグチャグチャになったものを食す姿を私だったら他人に見られたくないし
人がそうする姿を見たくもない。
スイーツなんて必須の食事と違って楽しみの為に買って食べるものなのに
なんでこんな面倒な思いして、醜い見た目のものを食わなきゃならんの?
「嫌なら買うな」てのももっともだが、こんなんだと知ってたら買わなかったし
知った今となっては、今後二度と買わん。
こうやって分離して盛り付けておけば日持ちはするだろうってのは想像付くが
それは売る側の都合でしょ。
以上、レポっす。
http://egg-is-world.com/2014/08/31/seven-eleven-aki-anmitsu/
見よう見まねが全く出来ない人間にとって、この世は非常に生きにくい。
と、のっけから主語が大きい増田だが、自分の観測範囲でこのハンデを抱えていて幸せという人には会ったことがないので仕方ない。
見よう見まねが出来ない人間は、あらゆる物事の習得に、普通の人の数倍時間がかかるので、大抵習得出来ないまま終わる。
というのも、人間の諸活動で言語化できる範囲などたかが知れていて、大抵の物事はいちいち言語化されたノウハウやハウツーなど使わずに会得するものだからだ。
そして、そういう「非言語的アプローチ」の核になる知的要素が、見よう見まねと。
最近、暗黙知を形式知にすることの必要性が喧伝されているが、早晩限界に突き当たると自分が考えている理由でもある。
これだけだと何がどうハンデなのかピンと来ない人がいると思うのでもう少し説明すると、見よう見まねで覚える最たる物がスポーツとコミュニケーションだったりする。
こう書くと、見よう見まねが出来ないで大人になることのヤバさが多少は理解できるだろうか。
例えば球技の場合、キャッチボールから始まってバレーのサーブやテニスラケットのスイングまで、最低でも肩・肘・腰・脚の連動が必須で、これらがきちんと噛み合わない限り、絶対に上手くいかない。
しかし普通の人は、自分から言わせればそういう恐ろしく難しい動作を、ほぼ見よう見まねだけで習得してしまうのだから信じられない。
もしこれを自分が習得しようと思ったら指導者がいるのは前提で、更に「今手本を見せるからな、肘見てろよ、絶対だぞ!」とか細かく注意喚起してもらいながらやれば、そのうち出来るようになるかも?という体たらくだ。
というわけで、絶対こんなのより微積の問題とかのほうがまだ簡単じゃんと思ったり。
それでもスポーツは、コミュニケーションに比べれば、コーチングとかが確立している分、まだマシかも知れない。
何しろ、今のところコミュ力アップの方法は、心の広いリア充に色々連れ出してもらったり、或いはヤリチンヤリマンのおこぼれにあずかるのが最も効率良いというか、それくらいしか方法がない。
そうやって洗練された(?)コミュニケーションの渦中に放り込まれて、見よう見まねで悪戦苦闘しかないということだが、自分が最も苦手な方法が最も効率良いとか、全く最悪の状況だ。
やる前から壮絶にコストがかかると容易に予想できるものを、進んでやりたくなるわけがない。
とにかく、そんなわけで人間が生きる上で最も必要な知的能力が欠落したまま育つ結果、出来ることしかやらなかったり、努力というものに強いアレルギーを抱いた挙げ句、色々足りていない大人になると。
かくいう自分は勉強だけは出来たが、それも高校止まりで、気がつけば「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの変人」という流れだった。
かといって、当時もっと勉強を頑張って、後年「俺が高学歴なのは努力の結果だ、今まで遊んできた奴には(ry」などと言い放つのが幸せな人生だったかも大いに疑問。
う~む、レビューを見ると、やっぱり悪戦苦闘している方が半数といった印象。
コツを掴むのが難しいようですねぇ
コツを掴めれば最強ツールになりそうですね。
湾岸エリアでは「賃貸→分譲」「分譲→分譲」「低層階→高層階」「狭い住戸→広い住戸」のような
「住まいサーフィン」@沖有人が盛んだが、そういう物件移動を可能ならしめている条件があるような気がする。
逆の言い方をすれば、東京23区でも、例えば世田谷区とか練馬区とかでは、湾岸のような物件移動、
むしろ「ゲーム感覚でお宝物件ハンティング、物件サーフィンを楽しんでいる」という側面があるが、
別の面として「物件データが定型データだから」というのがあるのでは?
「定型データ」というのは、データ処理に詳しい人ならわかるだろうが、「曖昧性のない、大量処理しやすいデータ」のことで、
その意味では、湾岸エリアに流通している不動産物件情報は、大半が「定型データ」であり、一方で世田谷区とか練馬区で
どういうことか?と言えば、平たく言えば「湾岸エリアは大規模マンションデータが多く」、
世田谷区や練馬区は「戸建や中小マンションのデータが多く、大規模マンションのデータは少ない」のである。
まず、大きさも間取りもてんでバラバラ。施工者もバラバラで、品質はブラックボックス。
マンションについていえば、東京カンテイがマンションデータベースを整理していて、分譲マンションや一定規模以上の
賃貸マンションについていえばデータベース化がしっかりしている。
当然、分譲主名も施工者名も判明してるし、建物のグレードや管理状態もある程度わかる。
沖有人氏のアトラクターズラボも、戸建市場のデータ把握には苦労している。(松沢氏が悪戦苦闘)
なので、世田谷区や練馬区では、サーフィンしたくても、その基礎データが不足している状態である。
別の言い方をすると、売り主と買い主の間の「情報の非対称」「レモン問題」が発生している。
その点、湾岸エリアの物件は、大半が大規模マンションなので、不動産業者はもちろんのこと、
一般人(住民)も、どういうスペックの物件なのか、おおよそ把握できる(透明性が高い)。
最近では大規模物件は「マンションコミュニティ掲示板」(三菱地所の施工ミスの内部告発があった掲示板)が充実しているから、
「湾岸のAマンションでは、こういう管理上の問題が起こっているらしい」ということまでも、第三者は確認することができる。
一方、戸建とか、マンションコミュニティ掲示板スレもないような小規模マンションだと、第三者が問題把握することはできない。
これ書いてるのはたぶん、夏休みの高給バイトっつーことでよくわからんまま面接受けて、右も左もおぼつかず悪戦苦闘してる女子高生かフリーターなんだろうと思うが、かくいう自分も一応”中の人”経験者なので、事情を知らん他の人も含めてこの手の撮影商法に関してさらっと説明しておく。
(ただし園内での撮影許可に関しては、手元のパンフに「当園の委託を受けた業者が、お客様の撮影を行う場合があります」「入場の際には、お客様など入場者を含む写真が、当園の宣伝その他の目的に使われる事を許諾したものとします」などの断り書きがされてる例がほとんどだ。園内はそもそも、基本的には私有地であることを忘れんように)
観光地では昔から、地元の写真館が旅行記念写真撮影もやってる例が多いんだが、今じゃデジカメや携帯電話のカメラ機能が高性能化してるしでこのビジネスモデルは徐々に時流に合わなくなり、廃業や合併も珍しくなくなっている。まずここら辺の事情は、皆の想像通りだ。
元増田の場所では富士フイルム社製のライドフォト自動撮影システムが組まれてるけど、娯楽施設以外で販売されるものでは市販の「写真プリンタ」をRAID的に組むことで見た目の出力速度を向上させるソフト(ご丁寧に、ドングルプロテクト付きだ)でプリントした”写真”を渡す業者もある。
http://www.print-better.ne.jp/story_memo_view.asp?StoryID=6103
で、こんな写真を買う人がいるのかって?いるんだよ!そうでなきゃ、自分もとっくに食いっぱぐれてる。具体的な納入先を挙げると、企業や学校の旅行に老人クラブ(年金友の会)、各旅行代理店ごとのパック旅行ツアーでの団体撮影がメインだ。
撮影機材だが、昔は6x7のブローニーフィルムで周遊前に撮影・即座に現像して焼付けし、宿泊するホテルのロビーまで出張して販売していたものだが、最近は撮影からプリントまでフルデジタルでたったの3分。無線LAN経由で、キヤノン・ニコンのデジタル一眼で撮影・純正トランスミッターを使用してデータ転送がおこなわれる仕組みになっている。
・・・要はつまり、ガジェット好きな大半のはてなー諸君には、「いらんわ」と言われるだろう商売なわけだ。
ここでひとつ、疑問が浮かぶだろう。「撮影がデジタルカメラなら、なぜデータを売らないの?」。
自分も一度そう思った。やってみりゃいいのにと。
ところがそこからは、ウェブシステム系の構築や保守、といった壁が高く立ちはだかる。今まで培ってきた記念写真販売ビジネスのノウハウは、そこにはまったく通用しない。
具合の悪いことに、写真ビジネスに関わる人間というのはみな、どこかガンコなところを抱え、しかも年齢が高い人がそう少なくない。したがって、機材のデジタル化に対応できずに絶滅した業者が多いわけだ。
(ただしスタジオアリスなど系列の写真館では、「一定期間経過した後に」などの条件で撮影データの販売もしている。もっともこの辺は、ストロボや貸衣装などの撮影器材を常時稼働できるようメンテナンスしている分の人件費も込みのコスト、と考えたほうがいいだろう)
このため、近年の30代未満の旅行者がおそらく求めている「物質としての写真は不要・ブログにきれいにアップロードできるデータがほしい」といったニーズに、当の記念写真撮影業者側が対応し切れていない、という妙な状況に陥っているのだ。
いっそのことウェブストレージ系ビジネスと提携すれば話も早いのに、と自分は感じてしまう。
ただしビジネスとして考えた場合は別で、旅行の際にお金を自由に使えるのは、現状では高齢者が圧倒的だ。
だったら、彼ら向けに写真を売っていればまだ”延命”できる、と考えてしまうあたりがこの業界の悪弊というか、限界を見る思いがする。
※2015.Apr/06th 追記:
ブコメにも記しておりますように、このエントリの著者は id:guldeen であります。退職したタイミングだからこそ言える事というものも、世間にはあります。
プログラマーではないが、特殊な業務上の事情でプログラムを色々と書かないといけなかった。
もう転職して何年にもなるけど、その前職ではN88-BASICに始まり、QuickBasic、VisualBasicとBasic畑を突き進んだ。
一度だけ、C言語に挑戦するべきかどうか迷ったことがある。
速度の点でしばしば問題になることが多かったからだ。
それでも、色々とアルゴリズムなどを工夫してBasicで何とかしてきたが、0.1秒間隔の正確な時間単位で連続リアルタイム処理をするとあるプログラムを作っていた時にはほとんどお手上げになった。
最終的にはものすごい裏技的な、実に納得のいかない記述方法をとるとどうにかなってしまったのでBasic(VB)でなんとかなったけど、解決するまでの間、カーニハン&リッチーの「プログラミング言語C」などを買ったりしてたっけ。
理屈はそれなりに分かってたが、頭がこんがらがることこんがらがること。
こっちがポインタで、アドレスの指し示す変数がこれで、こう書くとポインタの意味になって、こうやって代入して、変数の中身はこれで、いやいやこっちがアドレス値だから、アドレスの指し示すポインタが…、…、…、あーもう!どれがどれやねーん!!!!!
C言語で記述することができれば、問題が解決することは分かってたし、ポインタの扱いをうまくやれば速度の問題は全くなくなることも分かっていたが、悪戦苦闘してもお手上げだった。
分かっている人からすれば笑い話なのだろうけど、当時は時間に追われてたし、勉強する暇もなかったから結局ポインタを理解できないままC言語を放り投げてしまった。
要はコンピュータそれ自体を扱う言語とコンピュータに扱われる言語の違いなんだろう。
嫁をうまく扱うより、嫁の尻にひかれている方がやっぱ俺的には楽なんだよな。
ガラケーを持っている方はすぐにスマートフォンに変更しましょう。
ガラケーのほうが電話がしやすいという意見が一部ではあるみたいですが、ガラケーは電話に特化されたものですから当然です。
小さく折り畳んで携帯でき、物理キーによるしっかりとした押しごたえはなかなかスマートフォン(以下スマホ)で体験できるものではありません。
しかしそれはよく考えれば当たり前のことで、まずスマホは電話ではありません。
いえ、もちろん歴史的な経緯を考えれば言うまでもなく携帯電話の延長線上にあるのですが、
事実として、スマホにおいては電話機能は百あるアプリの一つでしかありません。
通話するだけならば、ガラケー(特にらくらくホンのようなモデル)がベストなのは間違いありませんが、
そもそもの問題として、我々はどれだけ通話機能に比重を置いているのでしょうか。
仕事で用いる場合を除き、一日にそう何度もするものではないのではないしょうか。
我々はスマホによって、音楽を聞きながら近場の人気店を検索し、マップに導かれながら歩を進めることができます。
電車内ではSNSによって友人たちと思考を共有しながら、RSSリーダーで最新ニュースを流し見することもできますし、
ふと気になったものがあれば、即座に写真やメモとしてクラウド上にアップロードすることができます。
こうした生活は慣れない人からすれば奇妙に映るかも知れませんが、現実をより豊かに、便利にしていく存在として普及していくのは間違いないでしょう。
これらがなくとも生きていけると主張する向きも一方ではあるのかもしれませんが、
産業革命を例に出すまでもなく、古い概念によって設計されたものはやがて淘汰されていくのが宿命です。
ガラケーにおいて一番利用頻度の高いツールに電子メールというものがありますが、これらも衰退傾向にあります。
欧米の若者の間ではすでにSNSに取って代わられているという現実がありますが、そうでなくとも電子メールはあまりにも効率がわるく、
情報交換を円滑に行うツールとしては到底最適であるとは言えません。
ちょうど2年前の春先にiPadが発売された当初は日本でも多くの懐疑的な声が聞かれました。
しかし現実はどうでしょう。iPadは代を重ねるごとにその販売数を増し、
アップル社が時価総額世界一、もしくはマイクロソフト社の2倍という記録的な数字を叩き出すなかでその主力商品にまで成長して行きました。
iPadに限らず、タブレット型端末は今後のポストPC時代を大きく牽引していく製品になっていくでしょう。
こうした劇的な変動はいままさに起きており、旧来型の発想に囚われているようでは20年前の中間管理職がPCに悪戦苦闘したように、
時代の波からは大きく取り残され浦島太郎状態になってしまう恐れが大いにあります。