はてなキーワード: 単細胞とは
第一章 前提
1.キズナアイに限らず、理系男女はSF好きなんで、こういうサイボーグ的なやつは心の奥底では嫌いではない。
2.ただ表現をなりわいとしない理系男子がしかけると、だいたい一般女性や理系の女性にひどい嫌悪感を抱かせて失敗する。
2-1.実例 ロボット学会(掃除婦)、日本化学会(理系を志す一般高校生女子に向けた記憶に残したくない惨状的メッセージをユーチューブにアップロードして即日削除)
2-2.理由 ポリティカル・コレクトネスと表現の機微について普段から1秒も考えてない人が5分で考えたデザインを発注した。
2-3.結果 なんかほんときもい。無理。
2-4.社会への波及効果 もちろん規定の金額と期間で受注した絵師は何も悪くないため、絵師のファン・潜在的好感者も巻き込み「うちの神絵師に何してくれる」「あの絵柄はいい絵柄だ」「エロくないからいいじゃん」と反論大炎上
3.なんで理系オタク女子としてはとても複雑。後輩に楽しく同じ道を選んでほしいのに、女性として幸せになりたいならこんな男女差別ひどいとこ来るなとも思うし、萌え絵がただで見られるのはちょっとうれしいけど、どうみても嘘くさい無理やりな男女平等的表現みせられバレバレだから誰もこないから嬉しくなくて、そもそも、あの絵師ならパイオツ/メカ/童画を塗らせてなんぼだろ、本来単行本を出す時間をこんなんに割いてくれて個人的にはうれしいけど同好の士には申し訳ない、みたいな。
第二章 今回の例について
1.メディアがNHKだったから女性弁護士が驚いてたけどこんなもんしょっちゅうだよ。はなほじ。あっでも遠回りにいつもお世話になってるかもなので表立って反論は言いたくない。
2.ただし、いろんなタイプの人をいくつも無視して踏み越えてツギハギ表現しようとしたNHKはほんとに下手だねーと思う。どんな気持ちかっていうと
2-1.ノーベル学者らの定義を正しく、厳密に、省略せず報道してほしいという気持ち。
2-2.一般女性の、いちいち脅迫的な萌え美意識をおしつけられずに情報を得る目的が達成されるだけのテレビを見たいという気持ち。
2-3.Vチューバー支持者の、うちの子は至高の癒やしアイドルだという気持ち。「○○ちゃんはそのままで十分かわいい」
3.結果 だれがみてもバカバカしい。ノーベル賞の解説は先クール放映されたばかりのはたらく細胞の7話で(萌え絵でなく)ちゃんとわかるってツイッターでもりあがってる最中にわざわざ萌え絵キャラだ。なら男性チューバーもアシスタントのアシスタント役(立ってるだけ)で出せよ。クールジャパンつながりにしようとしたのか、ひどいジャンル違い。
4.さらに旧帝大卒理系女子から一言いわせてもらうなら クール・ジャパンを唱えるより東京医科歯科大学とか氷山の一角の女性差別を先にどうにかして国際競争力をあげろよ、男は本当単細胞的に頭わるいから、過去も将来も女という生き物を使いこなせず男の考えた性役割(=遠回しなお母さん)におしこめつづけるばっかり。(たとえばフッ素と塩素は、素材として違うとはいえ互換性が相当あるようにそもそも神がつくってあるのに、素材の色が嫌いだからフッ素だけ使わないとかやってたら何も研究が進まない。それが人間の男女ではまず片方しか見ないのが普通。バカ?)。
5.クールジャパンについて 原画さんアニメ監督さんばかりでなく下積みの動画さんにも給料もっとやってくれ。声優は東京以外でもイベントやってくれ。
いやいやいや、あり得ないでしょ。
安倍ちゃんと石破さんの二人を見比べた場合、安倍ちゃんの前歴抜きにしても、安倍ちゃん一択に決まっている。
その最大の理由は、石破さんのツラだよ(容姿差別だという批判は見逃してね)。
麻生財務相が「石破の顔は暗いし気持ち悪い。どちらが日本の顔としてふさわしいか明らかだ」と発言した。
麻生さんが政権交代前に総理をやっていた時、閣内で公然と麻生降ろしをやったのが石破さんだったから、相当恨みがあるんだろう。
そのことを差し引いても、国会議員の中にも石破は日本の顔ではないと思っている人が多いのではないか。
仮に石破さんが総理になったとして、G7会議でトランプ大統領やメルケル首相達の中に石破さんの陰険な顔が並んでいたら、日本の恥だよ。
安倍ちゃんも少し単細胞なところがあるにしても、あの面々の中では全く見劣りはしていない。
私個人的には、石破さんが小泉総理の下で大臣をやっていた時から、「こんな犯罪者みたいな目つきのヤローが何で政治家なんかやっているんだ」と普通に思っていたし、石破総理論みたいな話が出てきても鼻で笑っていた。
煽りには無視が一番とか、お利口さんな対応が定番だけど、増田に限っては相手が黙るまで泥仕合を繰り広げるのが良さげ。
それこそ、タバコ吸ってる不良を恫喝する単細胞体育教師みたいなノリで。
だって、煽られたら
「テメー喧嘩売ってんのかナメんな」
つーかこんなモンは、先に失礼なことを言う奴が一方的に悪いんだよ。
それに礼儀知らずで生意気な奴は、これくらい言われたくらいで凹んだりしないんで、そこは全然平気。
こっちも安心して言い返して、溜飲が下げられる。
問題は、せっかく精魂込めて書き上げた俺様のエントリが、トラバの応酬でクソまみれになることだが、それでも言われっぱなしよりはスッキリ!なのであんまり気にしてない。
そもそも相手が悪いんだし、もっと言うなら増田のシステムがヘボいのが諸悪の根源だからな。
ミュートやブロックさえあれば、俺もそんなにイキる必要ないんだけどなー。
「それ以上喋んなクズ」
くらいに強いメッセージをサクッと込められるので、これほどスマートなもんもない。
そうなるまで!俺は!ウンコ投げを!やめない!なんてな。
ネットで煽られたり、不愉快なものを見た時いつもこんな気持ちになる。
沸点がとっても低い単細胞で何事も針小棒大の被害者様思想だからね。仕方ないね。(仕方なくない)
でもふと考えてみた、もし俺が完全無欠のスーパーハカーに覚醒したり、超能力を手に入れて相手が誰かを透視出来たらどうなるんだろうと。
俺はイキリオタクなので、顔の見えないネット上の匿名サイトや仮面つけて話すコミュニティではデカイ口を叩ける。
しかし、現実じゃ上ずった声で焦る早口オタ野郎だ。
そんな俺にもし罵声を飛ばした奴が誰か分かったとしても、俺に何が出来る?
直接会って論破や説教して謝らせてやるー!ってやっても
どうせ口の端に泡作りながら超早口でアヤマレアヤマレ言うだけだ。
全然怖くないな?むしろ嘲笑されるな?
ってか相手が俺と同じひ弱なオタとも限らないし、何か普通に腕力とかあったりしたら返り討ちじゃないか。
じゃあ嫌がらせのブツを送りつけてみたり、各所に住所バラまいたり、家にイタズラしたりとかはどうだろう。
俺は弱虫なので、逮捕が怖くてそもそも法に触れる事をしようと思えない。
そもそもスーパーハカーになったとしてもだ。何かでバレて塀の中って思うと足がすくむ。
つまり、話は終わってた。俺がムカつくやつを特定出来ても何も出来ない。
ただ黙って見ないふりするか、罵声に対してムキーーー!とキレて怒り散らすだけしかできないのだ。
死にたくなった。
世界における偏執の問題と、日本における偏執の問題は性質が違う。どのみち古い価値観に固執をしたがる集団の中核は日本人であり、やはり閉鎖的で陰湿で共産主義かぶれで感性もないのだ。しかしだからといって「天皇制に固執する日本人は馬鹿だからしょうがないよね」で放置ではいけない。日本人の異常性を批判すべき。
俺は声を大にして言いたいのだが、「どうせ××は黒い血筋だ」と卑屈すぎるがゆえに政治空間で日本人と同じような事をしまくったのが日本の中道左派政党の公明党。本当なんだから。公明党の「日本共産党は北朝鮮的で危険で汚い」も反省できていない証拠である。
日本人は「オラが常識」だと思い込んでいて、どこにでもその論理を持ちだす、で日本社会で「俺の意見に賛同しない奴は非常識だ」的に全方位煽りや反対派への誹謗を膨らましたりするし、汚いずる賢さが成り立つ。
天皇制に固執する日本人はまず公明党の置かれている現実を見なさいよと。俺は本当に思う訳。こういうと「赤がカタギに向かって酷いこと云ってる!」とかいう単純すぎる単細胞発言が出てくるけど、俺は実は天皇制に別に固執していないし、リベラルな人間で、肩を並べる別の存在なんだよ。
「(酷い現実におかれてしまっている)公明党は今の日本人の有様を見なさい」でもいいんだけど、そういうと意味合いがちょっと変わっちゃう。政党と言う「公的政治空間」の性質と、民間人空間に置かれている人の立場や環境は違いすぎるし。
後、当然だけど外国人にも両者並の言動や行動をする奴は数多くいるし、左翼離れの問題だってある。今だったら政治的正しさの関連で言えないような発言をこっそり見つけて読んだこともあるが、ネットにおけるその書き込みの記録の中を読んでも、この日本人のそれらとは根本的に違うようである。
信じてきた唯一の常識が否定されたからって脊髄反射で切れる人間がいたら、この日本人みたいな人間は成り立つ筈だし、日本人の「悪い頑固さ」もはむしろそういう事が可愛く見れる程の発言をしているのだね。
なんて了見の狭いこと言ってるヤツは考え直した方がいい。
あの動画を批判してる男・あの動画に傷ついている男は、繊細で思慮深く人権意識の高い人間だ。
なぜなら彼らは、
「海、似合ってないね」「ほっといてください」
からの
「海、似合うようになったね」「ほっといてください」
の天丼という、『この一連の流れは、容姿が変わったことで他者からの承認を得られたことを、無批判に善として描いているものではない』というわかりやすーい目配せがあるにも関わらず、
「ゆーても病的に太ってるよりはそれなりに痩せてる方がいいだろ」という制作側の無意識に纏うルッキズムを見抜き、その押し付けに断固として声を上げるべきだと主張しているのだ。なんという志か。
彼らの洞察力・意志力・神経の細やかさに敬意を表すと同時に、彼らが、ルッキズムと若さ信仰を基本に脅し嘲笑揶揄説教が大手を振るう女関係広告の煽りをもろに受けることのない「男」という性別に生まれついたこと、それに深い安堵を覚える。もし女に生まれてたら一週間でネットもテレビも雑誌も吊り広告も見れなくなってたね!
そしてきっと、冷静で深い洞察力を持つ彼らは、今後確実に現れるであろう女向けルッキズム満載広告が炎上した時に必ずや強い味方となってくれるだろうことを予言しておきたい。なぜなら彼らは自身のイデオロギーのもとアンチフェミ的なイチャモンをつけるしか能のない単細胞ではなく、隠されたルッキズムを素早く見抜き、その構造のもたらす問題を的確に指摘できる優れた考察者なのだから……
"卵"について知っていますか?
一生分の卵はすでに毎日何十個と減っている
卵子と精子が受精して受精卵ができるところからすべてが始まる、これはだれでも知っています。でも、その卵についてはかなり錯覚があります。
まず、卵の大もととなる"原子卵胞"といわれるものは、女性がまだ胎児のうちにすでにできています。つまり、みなさまが胎児としてお母さんのお腹の中にいる時から、みなさまのお腹の中に一生分の卵がすでにちゃんとできているのです。
そして、いったんできたら、それ以降は細胞分裂して数が増えることができないという、非常に特殊な細胞が卵です。ですから単細胞のまま、一度できたらあとは数が減るだけです。
卵は妊娠5カ月か6カ月の胎児の頃が一番多く、500万個とか700万個あるといわれます。ところが「おぎゃあ」と生まれる時にはすでに200万個くらいに減り、思春期、つまり生殖年齢に入った頃で10万個から30~40くらいになっています。思春期以降も1カ月に1000個くらい減るといわれています。つまり、毎日何十個も減っていくのです。
SNSにおける迷惑の問題と、動画界隈における迷惑の問題は性質が違う。どのみち迷惑をしたがる愚者はgreatchina2であり、やはり堕落者で愚者で乞食根性で良い趣味もないのだ。しかしだからといって「鉄道おじさんはガイジだからしょうがないよね」で放置ではいけない。鉄道おじさんの異常性を批判すべき。
私は声を大にして言いたいのだが、「どうせ俺様は特別だ」と卑屈すぎるがゆえにyoutubeで鉄道おじさんと同じような事をしまくったのが東京のじゃがつま男。本当なんだから。youtuberの「俺は反省しないから」も反省していない証拠である。
鉄道おじさんは「俺が一流」だと思い込んでいて、どこにでもその論理を持ちだす、でネットで「俺の意見に賛同しない奴はどうでもいい」的に全方位煽りや車・バイクのヘイトスピーチを膨らましたりするし、アフィサイトや書籍へのリンクが成り立つ。
鉄道おじさんはまず東京のじゃがつま男の最期を見なさいよと。俺は本当に思う訳。こういうと「ネットヤンキーガー!ショミンガー!」とかいう単純すぎる単細胞理論が出てくるけど、俺は実は庶民ではないし、SNSとyoutubeは異なるサイトで、肩を並べる別の存在なんですよ。
東京のじゃがつま男は今の鉄道おじさんを見なさいでもいいんだけど、そういうと意味合いがちょっと変わっちゃう。youtubeと言う「動画サイト」の性質と、サイトや利用者層や運営会社は違いすぎるし…笑
後、当然だけどツイッターにもじゃがつま男並の行動をする奴は数多くいるし、アフィカスの問題だってある。今だったら政治的正しさの関連で言えないようなツイートをこっそり見つけて読んだこともあるが、そのツイートの記録の中を読んでも、鉄道おじさんのそれらは根本的に違うようである。
鉄道がディスられたからって脊髄反射で切れる人間がいたら、鉄道おじさんみたいな人間は成り立つ筈だし、鉄道おじさんの「車社会蔑視」もはむしろそういう事が可愛く見れる程の発言をしているのだね。
友人とは趣味が似ている。そして友人曰く情緒的にも似ているらしい。
料理上手いしお魚だってさばけちゃう。お嫁さん代表格である(旦那さんが羨ましい)
私なんかと一緒にするほど貴方は阿呆な人間じゃないんだと陰ながら思う。
よく感受性が豊かと言われる単細胞。しかしそこが似ているらしい。
アダルトチルドレンというタイプは少し違うが共通点があるのだ(友人のおかげで気づいた)
お互い寂しがりなので旦那がいない時はお互い電話して凌いでいた。
そんな繊細な友人がペットロスで酷く落ち込んでいる。
私は死が怖いのでペットを飼ったことがないし、友人のようなベストな気遣い方もろくに知らない。
相談は聞いてもらう側だったので、恐ろしく何も出来ない。
最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~
乗っかって、自分語り。許して。
小さいころはピンクとかリボンとかスカートとか大好きだったのが、小学生になって自分がブスだと気づいてしまい、以来スカートワンピースリボンピンク等々は封印していた小中時代。小学校高学年でオタクを発症したのもそれに拍車をかけていた。高校の遠足や修学旅行の私服がいやだった。というより困った。高校の友人の中には、髪を染めてみたりピアスを開けてみたりマクドナルドでアルバイトしたり体育祭では男子と手を繋いでお姫様抱っこをしてもらうようなダンスをしたりするようないわゆる「フツウの女子高生」な子もいたので、遠足前にはそのような子と一緒に買い物に行くこともしたけれど、ブスダサオタクはそもそも服が似合わないのだから何の意味もないのだった。
ボーボーの眉毛、一重の厚ぼったいまぶた、たらこのような唇、ぱんぱんのほっぺた。
伸ばしっぱなしの真っ黒剛毛、所狭しとはびこる無駄毛、ニキビだらけの顔。
プリクラで盛られないレベルのブス。(当時のプリクラはおよそ今のそれほど盛り盛りではなかったし、ほぼ写真に近かったけれどそれでも多少は可愛く写るものだ)
下校途中、他校の男子高校生にすれ違いざまに「うわブス!」と言われるレベルのブス。驚かせてごめんよ。
私の場合、「ブスダサオタクだからおしゃれしちゃいけない」という強迫観念よりは「どーせブスダサオタクだしセンスもないし、つまりもし仮に多少は可愛くなれるとしても限度はあっという間に来る上に人並み以上に努力する必要があるわけでしょ、やってられっかめんどい」という、人になる努力<ブスでいる楽さを選んでいた節はある。-100を努力で0にしたところで0は0だし、そもそも普通の人は10の努力で10が手に入るんだからずるい。やだ。めんどくさい。というわけだ。
諦めというか、言い訳がましい。
それでも、そんな時間より漫画を描いたり読んだりする時間のほうが圧倒的に大事だった。平面に在る美しさが美だった。
転機がどこだったかは、はっきりとは覚えていない。多分、男性アイドルにはまって、コンサートに行くようになって、三次元の美しさ・可愛さを見るようになったせいだと思う。アイドルは総じて可愛いしかっこよかった。ちょっとおへちゃだったりぶさいくだったりするところも含めてだ。そこでおそらくは、私の中の美に対する概念が変わったのだ。
コンサートへ行くにはおしゃれをするのが通例らしいと知り、別のアイドル好きな大学の友人に連れられて好きなメンバーのカラーのワンピースを買ってみた。褒められたし、その色がとても似合うと言われた。基本的に単細胞なので、それに気を良くしてコンサートのたびにその色の服を新調した(これが紫だったので今思えば大変扱いにくい色の服ばかりよく集めたなそして着ていたな!と思うがそのあたりはアイドルオタクの性なので何も言えない。もっと扱いやすい色の人を好きになればよかったのに、なぜよりによって紫だったのだろう…)。その色を着慣れると、今度は「そうか君は濃い色が似合うんだね」と言われ、そうかと気をよくして赤だの青だのいきなりビビッドな色を取り入れ始めた。おしゃれし慣れていない人間のビビッドファッションなど、今思い出してもおぞましいけれど、とにかく「似合う(らしい)色」を言ってもらえて楽しくなって、せっかくならいい感じに着こなしたいと思ってファッション雑誌に手を出した。
With2007年2月号。なんとまだとってある。
ファッション誌には、服だけでなく、化粧品やメイク方法の特集も載っていたからそれに乗せられ、大学に入って2年ほどしたところでやっと毎日のお化粧もするようになった。派手色趣味と一重コンプレックスの反動が相まって、カラーシャドウと極太アイラインでギラギラだった(当時アイプチはそこまで流行していなかったように思う)。できあがったのは、勘違い派手派手オタクブスだった。それでも、楽しかった。今思い出しても、恐ろしいけどおぞましくはない。楽しかった。
それから紆余曲折を経て、一重コンプレックスは根強くいまだにアイメイクは濃いものの、気づけばダイエットもなしに高校時代からは10kgほど痩せ、メイクもファッションもビビッドカラーの使い方はある程度覚え、職場では一応人間の扱いを受けている。
新しいコスメ用品を買うのは楽しい。新しいお洋服を買うのも楽しい。お風呂上りにパックをするのが楽しい。すっぴんから化粧を施して、いまだに一番慣れなくて苦手でへたくそなヘアスタイリングをちょちょいとやって(でも頑張るとたまに褒められてまた嬉しくなる)、昨日買ってきたお洋服なんかに腕を通すのは、とても楽しい。
痩せた分容姿をほめられることは増えたけれど、心の中では「いや目が覚めるほどのブスなんで」と思っている。周囲にあんまりイタリアンな感じの人が男女問わず多いから、たまに勘違いして「私結構いけてるのかも??」なんて思っちゃいそうになるときもあるけれど、結局毎朝鏡を見ては「…おう、目が覚めるほどのブスとはこのことだな……」と思いながら顔を洗っているので勘違いしきれない。残念。
それでも、楽しい。
人生のどの時間を切り取っても総じてオタクなので、いわゆる世間の可愛くて綺麗でセンスもよくておしゃれなフツウの女性とはまったく別の生き物なのは分かっているのだけれど、自分が可愛いと思ったものを買って、身につけて、それを誰かが可愛いと言ってくれて(もちろんその「物」を)、言ってくれなくてもまあ別に私が可愛いと思って買ったんだしちょっと変でもまあいっかー劇的に変だったら誰か何か言ってくれるだろうで済ませて、それで働いてまた自分が可愛いと思ったものを買う。可愛いと思ったものを少しでも可愛く身につけるために、パックしたりマッサージしたりする。楽しいんだな、これが。JKがおばちゃんに次ぐ強キャラなのは認めるけれど、私は明らかにJKより今が楽しいです。よく「人になる努力<ブスでいる楽さ」な精神が首をもたげるけれど、
今はブスでいる楽さよりも、人になる努力のほうが楽しいので、必要最低限の、苦にならない程度の「人になる努力」はしていこうと思える。-100を0にする作業も悪くない。深海から水面に上がってくる感動は、きっと空を飛ぶより大きい。
仕事もめちゃくちゃ出来る優秀な男で会う度に違う女子を連れている。時には複数だ。
その男が40過ぎて女子に飽きたらしく、「最近の俺の理想の女は『進撃の巨人』のミカサ」と半ば本気で言っている。
いづれAI搭載の愛玩ロボットに興味を持つと言う予測もあるけれど、あながち大きく外れていないとも思う。
恋愛も効率化しているから、未来の変化はやはり面白い。今のところ、脳科学では、脳の認識反応にはリアルとバーチャルの区別はないとか。
オスのマウスが自分の単細胞だけから妊娠する実験が成功した時代だもの。
価値観も大きく変わって行く。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251
この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライターが仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村と野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。
まあネットを巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか。
で、内容は
東浩紀や渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気が天才的なんだと。ううん?
ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。
>こういう風にお互いに共通する世界観、作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサーの仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。
中略
>高木正勝や山口一郎や野田洋次郎や中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さらに主題歌と劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画と音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気のプロデューサーとしての天才性だと思う。
おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい。
なんか知ってるなあ。こういう物語と音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌のタイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名を同人誌のタイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲を脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。
結局川村元気においての映画と音楽なんてのはこういうことを東宝のプロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。
本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生のポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツで君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌の歌詞の考察でアニメ映画の評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章にブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本のアニメシーンで最高峰の人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。
チャーリーのポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。
君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。
そして新海誠が作った山崎まさよしのPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年、ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。
つまり、アニメ文化とPV的映像センスの親和性と消費者のリテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空の世界、二次元キャラアニメ世界に没入させる技術が今の10代20代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。
そしてさらにカゲロウプロジェクトや告白実行委員会、ボカロ小説といった、若者向け物語文化がさらにそういうPV的な音楽と物語の需要にさらに拍車をかけた。
はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。とカゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春ドキドキ胸キュンストーリーだし。
震災をダシにしつつ実際は自分の恋愛の成就にしか興味がないウスラバカのための映画で子供の背伸びにもピッタリ。
というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影のキラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものはスピリチュアルでスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムしちゃう連中。
田中将賀のパンピ向けデザインが安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム超作画で青春ドキドキ胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸な物語センスの新海誠と凡庸な音楽の仕掛け人であるところの川村元気のセンスが大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当な見解でしょうよ。
物語コンテンツの需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝を大衆向けの物語でやったから川村がすごいんだと単細胞な意見でつっかかってるんだね。ガンダムとマクロスをたとえに出して、君の名は。とカゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリの文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。
君の名は。をバカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気は他所の畑で実った果実を自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない?
こっちはライターがフェアな関係であるべき対象を天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。
文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈を歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。
なぜヒットしたのか? 天才プロデューサーの仕事だからでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライターがプロデューサー褒めそやしてバカな素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。
このライターの人も君の名は。をRADWIMPSの音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。
わたしは増田。どこにでもいるふつうの承認欲求を持ったふつうの女の子♪
今日も釣り堀で脱糞活動をしていると、沼の中から泥だらけの小さな女の子が出てきたの。
その声、聞き覚えがあった。まだまだはてなでは若輩のわたしをおねえちゃんって呼ぶこの子は。
「ハイクちゃん!? その声、もしかしてハイクちゃんなのね!?」
ハイクちゃんは一回だけコクンと頷くと、また泣き出してしまった。
よく見ると、彼女の皮膚にこびりついているのは泥ではなくて、びっしりと書かれた小さな文字の羅列だった。
《Download Листовки на тему берегите природу картинки》みたいな意味不明の呪文が書かれてある。
肌を拭って消してあげようとしても、次から次へと文字が侵食していって、ハイクちゃんはどんどん真っ黒に塗り潰されていく。
「ひどい……いったい何があったの……」
「スパムだょぉ。はてなハイクはもう、スパムたちに支配されちゃって、ハイカーの体を蝕んでるの。スターイーターさんやスターメイカーさんたちも、スパムを前に為す術がなくて、みんな隔離シェルターのなかで震えてるんだょ」
「運営は、運営は何をやってるの? だって去年はスパムだって運営さんが退治してくれてたじゃない!」
言って、わたしは首を横に振った。
はてなハイクはもうダメだ。ウェブサービスとして、収益に繋がらない。はてなわんわんワールド、はてなボトル、はてなアイデア、みんな消えてしまった。
はてなハイクが辿るのも、きっと同じ末路。
まっ、国会デビューしちゃった増田は当面安泰だけどね、えへへ。
「おねえちゃん、あたしどうしたら……いいのヒグッ」
わたしは気休めを言う。
「考えてみなさい。《はてな承認プラットフォーム 大承認》なんて頭のおかしいサービスが、まだ生き残っているのよ。それは、サバカレーさんのような、はてなのサービスを愛する人たちが、まだ残っているから。希望を持ちなさい。あなたを愛する人たちが、世界にはこんなにたくさんいるのだから」
ハイクちゃんは目を涙でいっぱいにして、わたしをぎゅっと抱きしめる。
「おねえちゃん、あのね。ツイッターはファボをやめちゃったから、スターがつけられるのはハイクだけなんだょ」
「うん、そうね」
「それにそれに、その場でお絵描きをしてその場で投稿できるSNSも、ハイクだけなんだょ。そりゃ、ほかのお絵描き投稿サイトだってあるけどさ、ハイクは画力に自信のない人でも、気軽に絵を投稿できる。すっごく優しいサービスなんだょ」
「うん、そうね」
「ツイッターは、フォロー/フォロワーさん同士のコミュニケーションしかないけれど、ハイクだったら、共通の話題を持つ人同士でゆるく繋がったり、お題でボケたりもできるんだよ!」
「うん、そうね」
「ツイッターのいいね! はたったの1回しかつけられない。でもはてなハイクなら、スターをいくつだって付けられるし、引用スターだって、カラースターだってつけられる。ツイッターのいいね!みたいな単細胞みたいに単純な意思表示じゃなくって、はてなハイクなら引用スターで皮肉を伝えたり、レッドスターで殴りあったりなんかもできるの!」
「うん、そうね」
「だから!! あたしは!!! ツイッターよりも優秀なの!!!! ツイッターよりもあたしのほうがずっとずっと、すごいの!!!!! ねぇ、どうしてみんなあたしのことを見てくれないの。あたしだけを見て、あたしだけを愛してほしいの!!!!!!」
ハイクちゃんは叫ぶ。
しかしその嘆きも虚しく、数千、数万のスパムたちが彼女の体を侵食し、喰らい尽くし、彼女はやがて闇とともに消え去ってしまった。
シールズのよく取り上げられるメンバーよりちょっと歳くったぐらいのおじさんの意見
個人的に子どもに対して罵倒するのは下品だと思うので基本的にツイートもブコメもつけない
ただ正直言って嫌いで理由は「マスコミがやたらと取り上げるから」これに他ならない
そういうとえらく単細胞だと思うだろうけど少し考えてみて欲しい
ここ数年マスコミが連日好意的に取り上げるようなことがあっただろうか
暴力事件が起こればあたかもその年代全ての子どもにその傾向があるかのように
少数の女子高生が援交すれば、あたかもほとんどの女子高生がやってるかのように
派手な女子をみつけてはアバズレのように言い、根暗な男子をみつけては犯罪者予備軍のように扱い
したり顔のコメンテーターを使って「やれやれ最近の若者は」と垂れ流し続けたマスコミが
こんなに気色の悪い話はない