はてなキーワード: 作用とは
事あるごとにフェミって「男性嫌悪とフェミニズムは違う」って必死に否定するけど、否定を垂れ流すだけで排除は全くしないし、自浄作用全く働いてないよね。
男性嫌悪の書き込みしながら私はフェミですって名乗ったり信じてる人twitterにもここにも大勢いるよ。
「男性嫌悪とフェミニズムは違う」という主張 vs「男性嫌悪ばら撒いているフェミ」という事実 の現状があって、誰だって事実の方を真実と思うよね。
もしそういう主張を正しいと思わせたかったら、「男性嫌悪ばら撒いているフェミ」をフェミニスト全体が否定/排除する必要があるよ。でもtwitterみても現状全くそうなってないよね。
外部に「フェミニズムはこういう考えだ」と発信する前に、まずは男性嫌悪の否定をフェミニスト内部で統一見解として持つのが先じゃないの? やる事やってから主張しないと、オオカミ少年ですよ。
主張を信じてもらうためにフェミニストは何をすべきか、をまずフェミニスト界隈(内部)で考えるべきなんだよ。それからだよ、外部に発信するのは。
たくさんブクマいただいて恐縮です。
まず、文献を貼らずに・・・と何人かの麿が目を剥いていたので、ほぼ古典レベルのこの文献を貼っておく。
木下富雄(2002)リスク認知の構造とその国際比較, 安全工学 41 (6), 356-363
https://www.jstage.jst.go.jp/article/safety/41/6/41_356/_pdf/-char/ja
P.357これまでに日本で行われたほとんどすべての研究において、女性が男性に比べてリスクに敏感であることが知られている6)10)11)。そしてこの傾向は、科学技術のリスクだけではなく、BSE汚染や自衛隊の海外派遣のような、社会的な事態のリスクにも及んでいる12)。性差はさらに年齢とクロスしており、リスク認知が一番高まるのは、30~40歳代の女性であることが多い11)13)。これは、配偶者や子供など、身近に愛するものをかかえるこの年齢の女性が、リスクに過敏になるためではないかと解釈されている。
p.362ところが,中国では,たばこを除き男女差はほとんどない.さらにアメリカでは,レントゲンや麻薬において,男性のほうが女性よりも高いリスク認知を示している10).いずれにしてもリスクの認知が,文化の影響を強く受けていることだけは明らかといえるだろう.
この分野が面白いと思った麿は、最近の文献はGoogle ScholarやらPubMedで risk perception をキーワードに色々探してみて欲しい。
英語のPDF文献はShaper https://dream-exp.net/shaper/ で改行削除してDeepLで翻訳すると楽です。Shaper作ってくれた人ありがとう。
で、エントリを読んだ人にはほとんどわかっていただけたと思うが、自分は例のアンケートの元々の設計と結果の解釈が正直「まずい」というか「かなりまずい」と感じており、あのアンケートの結果をもって、
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
40代~の中高年層がやたらと「風紀委員」的になっているとか言ってしまっている人たちに、
いやいやちょっと落ち着こうやというつもりで今回のエントリを書いた。
仮説や解釈に言及しているひと、同業者の方だろうか、ありがとう。
自身のつらい体験や、大事な人のつらい体験を書いてくれている人も、共有してくれてありがとう。
良く分からないが「あれは絵だ」とか、「あの広告をなくしたところで痴漢は減らない」言っている人も、おそらくnot for meな長い文章をさいごまで読んだのはえらいなとおもった。とにかく読んでくれてありがとう。
どのコメントもすべてありがたく読んでいる。
特にn3922氏の
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
というコメントは、自分が広告の表象よりは講談社の意図が気になった根底には、これがあったんだなと、気づきを得た。
信頼感は、リスクの評価や受容に大きくかかわると言われている。
これを今のニュースで例えると、製薬会社やそれを指導管轄する国への信頼が低ければ、ワクチンが危ないという気持ちが強くなり、ワクチンを受容しようという気持ちが低くなるという仕組みになる。まあワクチンの場合はもっといろんな影響因があるが。
今回の件の場合、○○への信頼の○○には、「社会」が入るだろう。
具体的に言えば、「この社会は市民を性的被害から守ろうとしてくれる」という信頼感である。
この信頼感が高ければ、たわわの広告が「まずい」と感じる人は減ることが予測される。(この論理については後段でもう少し詳しく説明する。)
「まずい」と思う人が減れば、広告表象等に係わるコンフリクトが減ることが期待される。
これはみんなにとって良いことだろうと思い、講談社の意図と社会への信頼感の関係性をみる実験を考えた。
講談社の意図については、ブコメでは以下のお2人が回答してくれていた。他に見落としていたら申し訳ない。
yujimi-daifuku-2222氏
可愛らしい女の子が出てくるギャグファンタジーを読んで、新入社員に元気になってもらいたい以外の何があるのだろうか。/強敵との戦闘を楽しむDBの孫悟空は通行人に面白半分に殴りかかる事を肯定しているのですか?
ruin20氏
漫画の中の彼女たちの巨乳を拝んでありがたいなあ(しみじみ)みたいな形で元気をもらってくださいねって話だと思うんだけど、それだったとして何なの? なんか問題あんの?
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可愛らしい女の子が出てくるギャグファンタジー。彼女たちの巨乳を拝んでありがたいなあ(しみじみ)みたいな形で新入社員に元気になってもらいたい。
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しかしなにかまだ足りない。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
それを加えて、ターゲットと提供する価値を明確にしてみたのが以下である。
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新入社員のみなさんへ。
憂鬱な月曜日、巨乳を拝んでしみじみと癒され、元気になりましょう。
1~4巻発売中。ぜひ買ってね!
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どうだろうか。キャッチ―とは到底言えないが、割と過不足なく講談社の意図と広告の中身を説明できているのではないか。
(ギャグファンタジーはちょっと違うのではと思ったので単に漫画とした。すみませんyujimi-daifuku-2222氏)
これを、朝の新聞の1ページいっぱいに32ptくらいのフォントで書いて出す。
絵は、「オタクや萌え絵への忌避感」の影響を避けるために載せない。
それを見た時、「この社会は子供を性的被害から守ろうとしてくれる」という信頼感はどう変わるだろうか。
おそらく、性的被害の経験者はそうでない者と比較して、信頼感が有意に下がることが予想される。
理由は、「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
上記が納得いかない、という人もいるだろうから、その作用機作を証明するために同様の実験をするといい。
例えば、「痛みを伴うことを笑いの対象とする」バラエティー番組を宣伝する文章を掲示し、
「この社会は子供をいじめから守ろうとしてくれる」という信頼感の変化をみてみるのはどうだろう。
おそらく、いじめ被害者は、加害者と比較して、信頼感が有意に下がることが予想される。
いじめ被害者は「バラエティ番組で人を痛めつけることをコンテンツとして楽しむこと」といじめの具体的な被害への危機感がリンクしやすいからである。
ここまで書いて、なぜ私は1mmも自分の成果にならない実験の話をしているのだろう、と我に返ったが、まあいい。このまま投稿する。
夜中のテンションにまかせて書いたので、同業者諸氏に粗を指摘・改善いただいたうえで、この実験を例の計量経済学の先生にしてもらえると嬉しい。
たわわ広告への反応が、「風紀委員的な正義感」に基づいたものなのか、「被害経験に基づく社会への信頼感の低さ」に基づいたものなのか、より明確にできるだろう。
以上。
https://convergence.hatenadiary.org/entry/20060614/1150253507
血糖値が上がると満腹感が訪れるというメリットもあるが急速に上がった場合血糖値を下げようとインシュリンが出現する
一定値を超えた血糖をさっさと脂肪に変えようとする憎いアンチクショウ
同じカロリーを摂っても血糖値がゆっくり上昇すれば作られる脂肪は少ない
食事中に水分をとると塩分と結合するので水分を排出せず体内に蓄積する
胃液
水一杯だけでも殺菌作用が大きく減る
噛む力が育たない
食物が大きいまま体内に入るので消化がきちんと出来ず内臓も負担になるし便秘に
水分をとらないと飲み込めるまで咀嚼するので少量で満腹感も!
その他(どうしても飲みたいときなど)
緑茶はアルカリ性なので食事中は飲まないが吉。他のお茶が望ましい
食前30分、食後1時間程度は水分は摂らないほうがよい
https://anond.hatelabo.jp/20190318130406
40代後半の女だ。
最近はてなを眺めていて、たわわ関係で思うところがあったので日記を書く。長文だ。
言いたいことは
(1)40代女性があの広告を問題あると感じやすいのは自身の経験&既往研究と整合する。の1点だ。
幼稚園年長
近所のお兄さんにいきなりキスされ、舌でべろべろ唇をなめられた。気持ち悪くて泣いたら、お兄さんは逃げていった。なぜか親には言えなかった。
小学生高学年
土手沿いを自転車で走っているとき、知らないおじさんに声をかけられて、「かわいいね。」、「あっちにかわいい子犬がいたんだよ、見に行こう。」と川沿いのアシが茂った人気のない場所を場所を指さされた。あんなところに子犬がいるわけない、というのと、おじさんの目つきがなんともいえず気持ち悪かったので逃げた。親には知らない人と話すんじゃないと怒られそうで言わなかった。
混んだ電車で祖父母の家に母と出かけた時、いつのまにかスカートの内側に精液をかけられたことがあった。
当時は鼻水だと思っていたが、祖父母の家についてから母が「スカート脱いで」と言って、祖母と小さな声で話しながら裏地を怖い顔で洗い始めて、鼻水つけられたくらいで大げさだなと思っていた。
高校生になって、自転車通学になり、いきなり下半身露出男が日常になった。
学校の行きかえりや、高校のテニスコート周辺に、下半身露出男がしょっちゅうでた。
他には自転車で走っていると、車でのろのろと後ろからピッタリ尾けられることがときどきあった。追い抜く道幅は十分あるのに、なんでついてくるんだろと思っていた。
部活の試合で皆で移動しているとき、空いている電車内で向かいに座っている男が自分たちに向かって下半身を露出することもあった。
電車に乗り込むとき、部活の仲間の尻をスーツ姿のおっさんがさりげなく触っているのに気づいたこともあった。あのおじさんに触られてたよ!と仲間に伝えると、おじさんは気まずそうに次の駅で降りた。
電車通学が始まった。
高校生の時に下半身露出男が日常で、上記の痴漢目撃経験があったため、電車通学時は最大限の警戒態勢で臨んだ。
といっても、痴漢に遭遇したらぶん殴ってやる、と思いながら電車に乗るだけだ。しかし、それが効いた。
同級生と比較すると痴漢に遭遇する頻度は非常に低く、4年間で5回くらい。
胸をもまれたり、股間をまさぐられたり、尻をガシっとつかまれたり、下半身を露出したり、「こいつ、痴漢だ。」とはっきり分かったケースだけだが。
この数を言うと、同じように電車通学していた人には「少ない!」驚かれた。
痴漢にあうのは、風邪をひいたり精神的に落ち込んだりしているなど、弱っているときだった。
どの場合も蹴る、殴るなどして抵抗した。ほとんどの痴漢はこわばった顔で次の駅で降りて行った。
しかし一回だけ、痴漢に殴り返されたことがあった。その場合は、他の男性乗客が「お前が悪いんだろうが!」と殴り返してくれた。そいつは下半身露出タイプだったため、他の乗客にも変質者だとわかりやすかったというのもあると思う。
電車以外では、本屋で2回ほど痴漢にあったことがある。2回とも蹴っ飛ばしたら逃げていった。
アパートで独り暮らしをしていたのだが、歩いているときにBMWから降りてきた知らないスーツのおじさんに家まで尾けられた。
階段の入り口までこられ、私が2階に上がるところまでニヤニヤしながらジロジロみられたので、降りて行って、「おい、なんか用か?」と声をかけると「いや、かわいいなと思って」ともごもご言ってから小走りで車に逃げていった。
おっさんが車に乗り込んで逃げていくまで、お前の車覚えておくからな!と、おっさんの車のナンバーを大声で叫んだ。部屋に戻って鍵をかけたあと、自分の手が震えていることに気づいた。
今思えばセクハラだなと思うことは山ほど経験したが書ききれないので割愛。
結婚してから、仕事関係のおじさんに会食して相談したいことがある、と言われ、断りにくい関係性だったため、夫に相談したら、夫が会食の場の駐車場で待機してくれたことがあった。会食中、全然相談の話にならずセクハラな会話が続き、次の店に行こうと手を握られたので下の駐車場で夫が待っているので、と言って帰った。当時30代半ばだ。
どちらかというと少ない方だと思う。
それでも、40代も後半になって思うのは、いろいろ危なかったな、ということだ。
土手おじさんをはじめ、今思い返すとヒヤリとすることがあった。
若い人は真似をしない方がいい。なんか便利なアプリとかあるみたいだし、周囲に助けを求めて欲しい。
で、本題だ。
某アンケートで、40代以上の女性で広告を問題視する割合が増えるという結果があったが、なぜ割合が増えるのかについては、
①「あの時は危なかったな」と被害経験を客観視できるようになった。
②上記に加え、子供を守り育てる年齢になり、子供たちにああいう目に遭わせたくないなという気持ちが強くなる。
という作用機作があるとおもう。
①について、若かったころは、世の中こんなもんだ、と思い込んでいたが、今思えば、ずいぶんむき出しの危険に晒されていたというか、社会に守られていなかったなという実感がある。
自分はもっと怒るべきだったし、痴漢は蹴っ飛ばすだけじゃなくて周りに助けを求めたり、警察につきだすべきだった。
だから、電車で痴漢を殴り返してくれた男性には今も感謝している。
殴るという方法は良くないかもしれない。でも、周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。
あのときは小さな声でお礼しか言えなかった。感謝しています。ありがとうございます。
②について、様々な既往研究では化学物質等の危険なものについて、子供の有無に関係なく30代から40代の女性が他の属性よりも危ないと感じやすいという一般的傾向が確認されている。
子供の有無に関係なく、というのがポイントで、その年齢になると、危ないものをより危ないと感じやすくなるのだ。
子供を守り育てるための本能に近いものではないかと考えられている。
割と良く知られていることなので、なんであのアンケートの調査者が既往研究について触れないのかは謎だ。
このことについて、年増女の若い子への嫉妬だ、と揶揄する人もいる。電車内の高校生を性的に見て何が悪いんだ、という人もいる。
おそらくそう言えてしまう人は、男女関係なく、①の被害経験が少なく、「あの時は危なかったな」という客観視プロセスを経ていない人、②子供を性的な被害から守りたいという意識の薄い人、なのではないかと思う。
経験や知識、実感がないと理解できないのは当たり前であり、仕方ないことだと思う。
①と②の意識は男女、年代問わず、誰でも持っている。ただ、それが他の属性よりやや高くなりやすいのが40代女性ということである。
そのためもちろん個人差があり、40代女性でも、高校生の時は自分で自分を守ってきたという自負がある人もいるし、電車内の高校生を性的に見ることを社会として受容可能という人もいる。
40代女性も一人一人違うのである。量的調査をすれば、平均値が他の属性と比較して少し上がる、というだけだ。
以上、40代後半女による、40代女性が例の広告はまずいと思いやすい背景の説明である。
まあn=1なんだが、n=1だろ、と切り捨てるのも科学的態度ではない。そうした質的研究を行うことで、説得力のある量的研究の設計をすることができる。
ちなみに、自分自身は、あの広告の表象が女性差別とは思わない。
巨乳フェチ漫画自体が悪いとも思わないし、新聞社が悪いとも思わない。
なんちゃらアライアンスみたいなのは、事業者間の約束事で、外野がどうのこうの言うもんでもないなと思っている。取り決めを行った主体間で、問題があれば話し合いをしていけばいいだけの話だ。
編集者等、編集部の構成員に上記の①や②の意識はどの程度あるのか。
編集者は「4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうため全面広告を出しました。」というコメントをどのような意図で言ったのか?
その目的のため、広告を出すにあたってどのような工夫をしたか。
上記は別に糾弾するつもりはない。出版社ってどこまで考えてくれているのかなという、40代後半女の、単なる好奇心である。
以上。
だから票田を切り崩すため表現規制へ踏み込んだ?
完全な邪推だけれど、本当にもしそうであるならば勘違いも甚だしいぞ。
なぜ勘違いなのか?
第一に与党の勢いを削ぐための手法として表現規制をしても漫画好きは消えることはない。漫画好きを消すには生物的に殺すしかないだろう。
第二に表現規制をして漫画好きを追い込むと漫画好きは反表現規制を掲げる山田赤松両氏を擁する与党を支えようと動く。
第三にそもそも現代の表現規制をはじめたのは与党なので漫画好きは与党ですら疑いの目で見ている。
これらの理由から表現規制は何ら与党の票田を切り崩すことへ寄与しないばかりか、与党支持をより強固とし、野党の得票を減らす効果しかない。
「漫画好きは表現規制されると嫌なんだな。つまり今の動きは効果的というわけだ」という考え方は規制推進派へあるかも知れない。
認めよう。その通りで本当に効いている。効いているからこそ表現規制しようとする勢力から距離を置くし支持することはない。
表現規制推進派が効果的に動けば動くほど漫画好きの心は離れていく。
特に共産党、アナタたちはその党史から党員がマイノリティとして追い込まれた際、党員の結束が強くなったことを経験している政党じゃないか。
アナタたち野党が漫画好きを追い込めば追い込むほどに結束され与党支持の意志を固めていくんだ。
このような作用が気に食わないならば表現規制推進派は漫画好きを生物的に殺すしかない。
漫画を楽しいと思ってしまう心を私は止めることが出来ない。漫画を描くことを面白いと思ってしまう心を私は消すことが出来ない。
私の心をどうにかしようと思うのであれば私を生物的に殺すしかないだろう。
男性は男女平等であればそれで構わないので。わけのわからない謎理論で、女を優遇することが無ければ、そこにあるのはただの競争社会なので、競争社会が駄目ならばまた違ったレイヤーの主張になる。
簡単に言えば、女は「男女雇用機会均等法」による調整済みの状況を男女平等と捉えているが、男は本来の男女平等は、そういう調整の無い、自然の需給法則が働く状況を指している。この認識の差が、どちらがゲタを履かされているのか、の認識差になっている。
何の規制も無い男女平等な社会ならば、男が圧倒的に有利であるので、男はそれを自然状態、デフォルト状態と捉えている。女の不利は「能力の欠落」だ。女はそれを「男がゲタをはかされている」と言うが、それは実際にはかなり無理がある。法制度的な優遇があるわけではないし、慣習的な優遇もそれは男性の優位性の結果であって、原因ではないからだ。ありとあらゆる歴史、国において結果的には男性優位社会に帰結していったと言うのは、それが恣意的な作用によるものではない根拠の一例だろう。
例えば社会が女性医師ではなく男性医師が欲しいと言う状況に関しても、医師国家試験に、体力(耐久力)、持続可能性を能力としてカウントする要素があればおのずと収斂するはずだが、そうならないのは、座学でのお勉強だけを「」付きの能力とすると言う、女性側の操作が入るためである。それだけではなく、女性医科大学などの制度的な優遇措置もあり、このゆがめられた状況下で、女性がゲタを履かされていないと言う見方はかなり難しい。
要はデマンドサイドの理屈に沿って、市場原理に従って処理すれば、能力の結果によっておのずと女性は排除されてゆくので、男性にとって男性優遇措置は必要ない。「優遇措置全般」を排除すればいいのであって、スタートラインで男性と女性が同等であると見なすこと自体、それは女性の傲慢であり、いかに女性が優遇されているのかを無視する鈍感である。
食品値上げ 7月末までに6100品目 値上げ幅は平均11%に | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220424/k10013596301000.html
減税しろと減税するなで軽く殴り合ってる。
直感的に減税で景気が良くなることね〜だろって思ったので色々考えてみた。
経済素人がゆるふわになんとなく感じてることを文章化してるので、詳しい人補足とかツッコミしてくれるだろう。それがインターネッツってもんだよなぁ
日本国ちゃんは、コロナとかアベノミクスで大量に円を刷って、日本国債を購入したりETF買ったりして市場にお金を流しました。
過去数年間は日本人の謎の円信仰によって、円が使われることはなくばらまかれた円は売られるこなく何故か円価格は安定していました。
そのため、日本人はお金じゃぶじゃぶやっても日本余裕じゃ~んいえーいって思っていました。
緊急事態を回避するためにアメリカも日本と同じようにお金ばらまきましたが、ここはアメリカ人です。
アメリカ人ドル信じてないのでドル売りまくる。1年で6%近いアホみたいなインフレが発生しました。
FRB怒涛の利上げコンボ発表!インフレ抑制のためにドル高誘導します。
各国やべーアメリカさんの動きに遅れたら、対ドルで急激な通貨安になって国内経済に大ダメージがでるぞ!一緒に利上げするんだ!
日本国ちゃんは0.25%が上限です。なぜならこれ以上利上げをしてしまうと、アベノミクスのときに発行した大量の国債の利子が跳ね上がるからです。
国内向けの借金とはいえ、利子が跳ね上がるとめちゃくちゃ借金が増えます。国内向けの借金だから大丈夫みたいな考え方もありますが、借金の額とかを日本国民はとても重要視していますし、政治家もその動きに習っているので、減らしたくないのかも知れませんね。
(注記:ちょっと調べたけど日銀が金利の上昇を嫌がる理由がよくわかりませんでした。ブコメとかでも利上げできるわけ無いだろーっていっている人のコメントはおしなべて理由が書かれていないので、想像で書きました。マジで日銀が利上げできない理由は教えて欲しいです。円安を放置してまで利上げ阻止するべきだーっていう考えとか背景がよくわかりませんでした)
世界の各国はFRBの動きに強調して利上げをします。するとどうでしょう、どんどん各国の通貨の価値が上がっていくではありませんきか。
視点を各国の通貨にうつしてみましょう。利上げをしなかった日本円だけがみるみる価値が下がっていきます。
日本円「お、おちるーー!おちるよーー!」
でも日銀は落ちる円に石をぶつけるがごとく、指値オペを繰り返し、どんどん円の価格を落としていきます。
そして、そしてどうなるのでしょうか。
まず減税の提案を聞いたときに直感的に、減税無理だろうって思いました。理由は多分下記になります。
みたいな考えですね。何か見落としてる気もするので、誰かツッコミとか補足よろしくおなーーーっす。
で考えたんですけど、今回の円安の問題点は庶民の生活がぶっ壊れることが問題なんですね。だから税金の振り分けを変えれば、全体で増税を行いつつ、庶民向けに減税を行えるのではないかって言う考えですね。
法人税をあげます。法人税を上げるときに必ず起こる問題としては、税収を嫌った法人が海外に逃げるっていうものがありますが。
円安なので今から海外に逃げるほうが結構むずかしいんじゃないかなーっと思いました。海外に逃げて現地に税金を払うのと、増税されたとはいえ円安状態の日本に税金を払うのとでどちらがまだマシなのか、っていう感じでしょうか。
そのあたりを調整することで、増税されてうっとおしいけれど、円安だしわざわざ海外に行くほうがコストかかるからしょうがないよな〜って、企業が思うくらいの増税をすることで、意外と行けるんじゃないかなと。確かに思いました。
グローバル経済なので国外向けの仕事をするならば、日本国内に安い円で税金を払いつつ、効率よく外貨を獲得できるみちもあるよなといった戦略です。
富裕層増税も同じですね。ただ富裕層はすでに海外移住している人もいますし、増税したら普通に外に出ていく人が増えるだけのような気もします。
富裕層が日本を捨てて出ていくことに対してどれくらいの経済的な問題があるのかよくわかりませんでした。
もしも計算して問題がなければ、申告分離課税を増税するのも手かもしれません。
ただしその場合は、NISAなどで個人的に老後資産をを作っている人にも不利益が入ります。
まあ株を買えるレベルの人間は庶民ではないとみなして打ち捨てることもできると言えばできるのですかね。これ以上は私にはわかりません。
多分減税減税言われているのは消費税減税でしょう。例えば消費税を0%にします。
消費税を減税して、法人税を30ポイントくらいぶっこめば多分できるでしょう。そこまでやる必要はないかな?とにかく減税します。何が何でも減税します。
すると、商品の価格は……変わりません。なぜなら世界的なインフレと円安のせいで10%を遥かに超えるインフレが起きているからです。
2020年対比ならむしろ消費税0%したときよりも、物価は上がっていることでしょう。
そんななか消費が活発に行われるかというと、行われません。そもそも、日本国内の人口が減少傾向なので、消費自体があまりありません。
消費税を下げることで消費が活発化されることを期待しましたが。消費税をなくす程度では経済は活性化しませんでした。
というか消費税減税は経済を立て直すための施策なのでしょうか?そのことについて誰もが何も減税政策の背景を言わないので私にはわかりません。
もしかしたら、消費税減税は経済を活性化させるためのものではなく、社会福祉の観点から国民の生活を楽にするために行っていたのかも知れません。
しかし法人税の増税により、日本人の給与は強烈に頭打ちにされていました。
インフレと円安による、物価上昇を抑え込むには消費税撤廃は焼け石に水でしたし、消費税の代わりに増税した法人税のために、人件費が圧迫され日本人の給与は大幅に減りました。
そのうえ、社会保険料は増加の一途をたどります。その背景は人口ピラミッドを前提とした旧来の社会保障のシステムの改革を無視した結果でした。
数少ない現役世代が大量の老人をサポートする現状である限り、国民の所得は絶対に増えないことは約束されていました。
そして、経済は回復せず庶民の暮らし悪くなることはあっても、楽になることはけしてありませんでした。
うーん。だいぶソースとか根拠とかない状態で想像(妄想)で書いただけだから、ツッコミどころあると思うんすけど。どうでしょう。
減税がなにのためにするのかだけでもとりあえず、教えてほしい感じ。
減税をするというのはまあ手法なわけでして、何かしらの目的があると思うですよ。
その目的がどのように実現されるのか。教えてほしい感じ。
減税で経済が良くなる〜については、かなりいまさなな気がしていて、10年前前とか5年前位とか、まだ世界が正常だった時期に行っていればそこそこ効果はあったのかな〜って思うけど、今の閉塞感のある時期に行って経済になにかいい影響があるのか?みたいな疑問が拭いきれない。
スマホだとあまり炎上しないで、PCだとこういう指摘が入るのはすごくいい。
自浄作用?があるというか。
スマホとかプロバイダの2年縛り、割賦販売とかもほとんど詐欺だもんな。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikenta/20220423-00292698
EU、巨大IT企業へのコンテンツ規制法に合意 デマなど排除が義務
欧州連合(EU)は23日、グーグルやツイッター、フェイスブック(現メタ)などの巨大IT企業に対し、オンライン上の違法コンテンツの排除や広告の適正表示を義務づける「デジタルサービス法(DSA)」を制定することで合意した。市民が安心して使えるネット環境づくりを進める。
立法府の欧州理事会と欧州議会が、EU行政府の欧州委員会が提出した法案をもとに同日合意した。
欧州理事会などによると、DSAは児童ポルノやデマ、差別などを含む違法コンテンツの排除を義務づける。広告表示も基準を厳格化し、子どもをターゲット広告の対象にしないことなども盛り込んだ。月間利用者が4500万人未満の企業は、こうした義務の一部が軽減される。
改竄してるのはどっちだよ。そりゃゲイだし女性嫌悪の住人はいたけど、801板から凸があってから祭りになって、女性器呼びが広まったのは事実だろ。
今度は凸スレなかったなんて言い出すんじゃねえだろうな。マジで都合のいい頭してんな。
(関係なかったから書かなかったけど、当時は出会い系で男に成りすました腐女子が出てきたりしてたんだぞ。めちゃくちゃだったよ。)
「さっと触れて終わりで、自分がいかに傷ついたかの話を始める。」書いたまんまじゃねーか。同性愛板で女性認定されたら排斥されたのは別の問題だろ。
(一応BBSPINKに百合レズビアン板あったし、そっちでレズビアンが排斥されがちだったのは知ってるけど、それも別の問題だし。)
あとさー。
そもそも無個性、無性別が重視された2chでは、あめぞう時代からの流れで男性のオタクユーザーが一般的な無個性ユーザーのモデルとして浸透してたから、
女性を匂わせる書き込み=個性を匂わせる書き込みが叩かれてたってだけ(だから「俺」って書くと叩かれるので「漏れ」と書くのが良いとされた時期もあった)で、
そもそも「私と書くと叩かれる」のって女性憎悪とかじゃねーんだけど、説明しても理解しないよな。半年ROMれって言っても読むところもないしな。
追記:
読み直したけどこれひでーな
「801板の同性愛板凸スレだって荒らしが立てたもので、一般801住人に相手にされてなかったのは単に「荒らしはスルー」されてただけだろう」
こんな言い方で正当化したらなんでも通るだろ。「女性差別しているのは一部の異常な男性で、一般男性がそれに何も言及しないのは単に相手されていないだけだろう(だから自浄作用が働かなくても問題ない)」
さっきも書いた通り、腐女子が創作のネタにするためにゲイに成りすまして2chやその他Web上のゲイコミュニティに出入りしてたのは広く知られてるわけ。それともそれも「荒らし」って言うわけ?
元々腐女子ってその中でも「完全に開き直ったor特に良く考えてないBL無罪論者」と「BLは検索除け()や鍵垢で隠れてやれ勢」に分かれてて、んでそれぞれがことある度に争ってて混沌としてるイメージがあるから、一律で「表現お気持ち論がヒートアップするとBLも表で楽しめなくなる」と言ってもあんま効果ない気がしないでもない。
ゴールポストずらしたり何やかんや逆ギレしてBL無罪論への突っ込みを無視するのはまだいい方で、「だから私たちはBL表現を大っぴらにやってる痛い腐女子相手にも隠れろと言ってきた、男性向け界隈は自浄作用がない!」と本気で言ってくる層もそれなりにいそうというか。
そもそも表現お気持ち論にヒートアップしてる層ってBL二次創作は鍵垢でやれって(二次創作ガイドラインでOK出てる作品に対しても)ことある度に文句つけてくる層と結構被ってる印象なのだが、これは流石に私怨込みの悪口かもしれない。
俺は学生時代から典型的なコミュ障タイプの非モテで、社会人になってからも時間が無いという言い訳をして彼女を作ろうとしていなかった。
そしてネット上で見かけた以下の言説をそのまま信じていたわけじゃないけど、影響されて勝手にネガティブなイメージを持っていた。
しかし30代になってちょっと精神的余裕ができたタイミングで幸いにも初めて彼女ができて、大きく衝撃を受けた。
恋愛が想像を遥かに超えて素晴らしい体験だという意味でもそうなのだが、上に書いた1~3はどれも本質的でないし取るに足らない言説だと気づいたことにも衝撃を受けたので、それについてここに書きたい。
確かにイケメンもクズ男も第一印象が良くて不特定多数の女を引き寄せるには有効だと思うが、性格のいいイケメンは別として性格の悪いやつは長続きするかで言うと疑問に思う。
実際、俺の彼女も以前そういうやつに引っかかっていたりしたけど、結局すぐに破局していた。
で、そういう経験をしてきた彼女は優しくされることに飢えていたし、彼女の話を親身に聞いてあげるだけで相当に好意をもたれた。
(そしてこれは彼女に限った話ではなく、似たような経験を若いうちにしてきた女は他にも多くいるはずだ。)
俺はもともと非モテだったが、社会人として何年も仕事で揉まれて人の話をよく聞けるようになっていたから、いわゆる優しいやつにはなれていたと思う。
しかし俺は恋愛経験ゼロだし彼女との出会いも急だったので、本当に不器用で優しいだけのやつだったと思う。
もちろん正確には他にも好意を持たれた要素はいくつもあるんだが、それは単に相性の話であって、モテとは違う。(仕事を自分なりに頑張っていたところはモテ要素かも。)
とにかく相手の話をしっかり聞いて受け止めてあげる優しさは恋愛において最大の武器だと思う。
だから1の言説を信じて恋愛を諦めるのは、今振り返ると言い訳じみていると思った。(まあ10代とか20代前半とか若いときほど1の話が当てはまりがちなのかもしれないが。)
これは女性全体の統計的な話でいうとそうなのかもしれないが、探せばそうでない人もいると最近知った。
というのも俺の知り合いの多くが感情を制御しながら対話できる女を選んで彼女にしていたし、俺の彼女もそうだから、感情的で面倒でない相手をちゃんと探せば見つけられると思う。
それよりネット上でもリアルでも普段接する男で感情のコントロールが下手くそで面倒なやつはごまんといるわけで、統計的にとか平均的にとかそんなことは気にせず、相性のいい女を探せばいいだけだと思った。
マジで男女差より個人差の方が大きいから、男はこうで女はこうみたいな一般論をこねくり回すより、自分と相性のいい相手を実際に探した方が手っ取り早く幸せになれるはずだ。
(ただ、具体的な恋愛コミュニケーションテクは打率が大事だから、そういうのは統計的な話を活用するといいと思う。)
恋愛で一方的に自分のコンプレックスを解消してもらう、つまり相手に依存するだけの姿勢のやつは恋愛はうまくいかない。(そういう恋愛もありだとは思うが長続きさせるのが難しいと思う。)
そういう意味では正しいと思う。
しかしお互いのコンプレックスを受け止めたうえで仲を深める会話を重ねる関係になれば、コンプレックスは自分にとって矮小なものになる。
だから結果として恋愛でコンプレックスは気にならなくなるし、自己肯定感も凄まじくあがる。
恋愛ではお互いの欠点を認めた上でお互いのことを好きだと思っているわけだし、いわゆる無条件の肯定に近い愛情を感じられる。
たとえば片方がめんどくさいことをしても「ごめん」と「大丈夫だよ」のやり取りですぐ慰めてもらえるし、今日の○○ちゃんはどこどこが可愛いとか、今のxxくんのどこどこがかっこよかったとか、そういうお互いの良いとこ探しをするような言葉が毎日のように飛び交うわけだし、恋愛による自己肯定感の増幅作用はマジで凄い。
実はここが友人関係と恋愛関係の大きな違いだと思っていて、友人に対して相手の良いとこ探しをするのは善意であって限界があると思うが、恋人に対してはとにかく好きだという気持ちから本能的に良いところを探し続けるから、際限なく相手の良いところを伝え合うことができる。
だからコンプレックスを抱えてるやつは、頑張って恋愛した方が報われると思う。
そういう意味では(3の言説は)間違っていると思う。
もちろん、信頼関係を深める前にコンプレックスを一方的にぶつけるような自己中なやつはモテないと思うが、それは単に相手を配慮する力が欠如しているのであって、コンプレックスとは関係ない(単に性格が悪いだけ)と思う。
出会いの手段についてはいろいろあるからここでは触れないが、自分にぴったりはまる彼女を見つけるコツを一つ伝えたい。
それは、他の多くの人が許容できなかったり不快に思うことを、自分は許容できたり不快に思わない、そんな事柄が無いかを自己分析すること。
そういう事柄を女が抱えている場合、それを受け止めることを自分の役割にできるわけで、それだけで他の男より圧倒的に有利になる。
恋愛では自分が他の男より優れた点(モテ要素)を探そうとしがちだし、それも大事ではあるんだけど、それだけだと壮大なスペック競争に巻き込まれるし、女の側がもっといい男がいるかもという発想で浮気してしまう不安も尽きなくなる。
それよりも、彼女が普段周囲の人から不快に思われたり認めてもらえなくて寂しく思ったりコンプレックスに感じているようなことを、自分が優しく受け止めてあげられるのであれば、それは最強の武器になる。
なぜなら人の特定の振る舞いを「本当は不快なのに不快に思わないようにする」ことや「抵抗を感じるのに心からいいねと認めようとする」ことは至難の業で、それを自分が不快に思わなかったり心から認められるのであればそれは立派な才能だと思うから。
そしてこの逆も成り立つことが理想だ。
つまりもし自分が周囲に不快に思われたり認められないことを相手が受け止め、認めてくれるのなら、それがまさにぴったりはまる彼女だ。
もちろん、相性のいい相手を見つけるための自己分析は他にもいろいろあるけど、一つだけ選ぶとするなら俺はこれが大きいと思った。
ということで、今の時代は恋愛は二次元の疑似体験で十分とか性欲解消は風俗で十分とか、そう考える人も多いだろうし俺もそういう考えは尊重されていいと思うが、食わず嫌いで恋愛に手を出さないのはもったいないとも思うので、上に書いたネット上の言説はあまり鵜呑みにしない方がいいと思った。
ちなみに俺ももともと恋愛と性欲解消は二次元の疑似体験で十分だと思っていたし、それを超える体験なんて存在しないとまで思っていた(現実の恋愛は絶対に幻滅すると思っていた)過激派だけど、実際にリアルな恋愛を体験してみると二次元の疑似恋愛はそのサブセットに過ぎなかったと感じるくらい、リアルの恋愛は理想的で衝撃を受けたというのが正直な気持ちだ。
一言でいうと、恋愛は想像を遥かに超えるレベルでいいものだぞ。相性の良い相手が見つかれば。
https://odaibako.net/gacha/5976
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、その心理を使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別でないと言えるのかな…って
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
また悪口として避けられている側面がある状態の現状、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
(思想がめんどくさくてすみません)平和的でないという理由でNLもこのガチャでは使っていません…争いって最近のニュースとか見てると嫌気さすよね…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
考えに同意していただけたら他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(NL)など分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。※ハイフンを入れてco-edにしてください。coedだと男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まっていないのNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観を問題とされる方
はぜひ広めてほしいです。
トンデイルヤーッス
今日は1943年に科学者が初めてLSDの幻覚作用を確認した日ですね。
その幻覚作用の最中に自転車に乗って帰宅した時に景色が揺れて自転車が動いているように感じられなかったことから「自転車の日」と呼ばれています。
昔はそこら辺のルールが緩いのでそういう認識を持ち込むのはナンセンスでした。
とはいえ現代ではLSDは違法薬物ですし、運転に支障を及ぼす恐れのある状態で運転することは許されてません。
安全運転を心掛けるようにしたいところですね。
ということで本日は【運転前の点検よいか】でいきたいと思います。
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※CLとは※
Coは共同・対等
もとは英語でco-educationで男女共同教育を表していたが、現在は略したco-edのみで「男女混合」や「男女いっしょに」という意味で使われるようになっている。
そのため混同しないよう男女共学と表す際にCoed schoolと表記することもある。(韓流アイドルでもCoed schoolという男女混合グループが存在した)海外アパレルブランドのマ/ル/ジ/ェ|ラにもco-edという男女共用ラインがある。(男女混合として表す語はミックスが多いですが、メンズラブのMLがあるためこちらにしました)
ヘテロ(異性愛)は対義語がホモ(同性愛)として使われているため「ヘテロラブ表記をすることによりBLGLも同性愛者と決めつけてしまい創作にバイのキャラクターが暗に含まれない意味」となりますが、
「co‐edは対義語で同性愛と決めつけることなく単純に男同士の愛、女同士の愛、男女の愛という意味を差す」ことになり「より表現したい原義に近い」言葉だと言えます。
また男女いっしょだけでなく男女共用の意味もあるため、男か女かどちらか一方の性を断言できない方も含めて使えると言えます。
CoLはHLタグは語源がへテロセクシャルとして使われてそのへテロが悪口のニュアンスで使われている以上、HLの中に入ってくるバイやトランスジェンダーにも悪口を浴びせていること、異性愛者全体へのヘイト用語として使われることもあること、へテロは性的少数者を差してないなど、
そもそものへテロラブ表記の抱える直球の差別につながる要素を解消するための表記です
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
なによりHLを広めてる方でへテロを悪口や罵倒語のニュアンスとして使ってらっしゃる方が、少なくない数見受けられます…
罵倒として使っていらっしゃる方本人のセクシャリティをスルーしているのではなく、単純にオタクという対等な属性として考えたらマナー的に考えてよろしくないんじゃないかと・・・。
(特定の性への罵倒を堂々と行うのはどんな立場やセクシャリティであっても人として根本的にマナー違反ですし…)
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、差別用語のホモセクシャルと対称であることを使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
きっと私の主張を見て「世間の扱いとして差別されておらず釣り合いが取れてないから悪口として使われていてもスルーしていいし差別じゃない」と思った方もいるでしょうが、それは正直危険な考えではないかな・・・と自分は思います。
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別が発生せず配慮されていると言えるのかな…って
「構造上ヘテロとホモは対称であるには事実」でも「立場が違うため同一に扱えるものでない」ということは、「だから差別を作り出さない言葉になるということとイコールにならない」です。
異性愛の中にも少数者がいてその人たちを無視しているのは事実ではないでしょうか。
推奨している方々でもそのことを頭の片隅で一度は意識したことがある人はいるのでは・・・
マイノリティを日頃から意識されている中でそれらに言及した方もいたのではいでしょうか
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
ヘテロはホモの対象な言葉で、悪口として使う際は「同性愛と違って差別用語とされない差別や孤独と無縁な無自覚な人たち」という意味合いなんですよね
それって異性愛の中でセクシャリティで孤独を感じてる人に対して「結局はあなたの悩みはお遊びでしかない」とバイやパンセクに言ってるのと同じじゃないでしょうか。
あなたの苦しみなんて気遣う価値がないものだと言ってるのと同じじゃないでしょうか。
実際実在の該当者に対してそのような(結局はヘテロかよというような)悪態を吐く場面を見たことがあります。
それは差別でないと言えるんでしょうか。
そのことに気づかず善意で使っている方が、NL使用についてよく言われる「人を踏みつけているのに気付かない」を一番守りたいと考えている性的少数者に結果的に行ってしまっているのは悲しいことではないでしょうか・・・
平等のためと言っている方が多い中、意識して他人を踏みつけることが目的なわけではないでしょうし…
そのような考えの方がいらしても、それは性的少数者が悲しむのを自分のことのように受け止め悲しんでるからであって、個人の感情のみで発散の大義名分にされている方は少数だと思うので…(それがおもな理由でもそれはそれで何か理由があると思いますから適切な発散ができるとよいなと思います)
全体の大きな目的のためにふるい落とされる存在を瑣末なこととしてないもの扱いで無視されるのなら、それが差別意識っていうものなのではないかな…と
多分そう遠くない未来にバイやトランスやアセクシャル、パンセクシャル、その他さまざまな少数派のセクシャリティやジェンダーの方からHL表記から暗に排除されていることや悪口としての使用について意見が出る可能性は高いのでは・・・・
実際数年前からぽつぽつそういった当事者からの意見もお見かけしました。本当に少しですが・・・
逆に出ないほうが問題かなーと思います・・それは当事者が痛みに声を上げにくい社会になってしまっているということなので・・
そもそも悪口として自分が認知しているにも関わらず人に勧めるのはそれが少数者であっても良識的にアウトではないでしょうか。
もちろん声を上げて自分は普通だ、と主張することは自分は対等な人間であると表明するのに必要なことですが、悪口として自分が率先して使うこともある用語を事情について詳しく伝えず「正しい言い回しである」として勧めるというのはそれこそ「普通から外れ良識が欠如した異常な行動」に該当するのでは…
「自分達はアブノーマルでも良識から外れているわけでもなく、たただ当たり前に人を愛しているだけだ」と主張する行動を損なってしまうのではないでしょうか
ヘテロを悪口や罵倒のニュアンスで使いながらHLを勧めている方は、自分達は異常者でないと証明したい意図から外れ、過去に抱かれていた「良識がない異常者」というイメージを覆すどころか、差別を抱かれていたイメージに根拠を与える行動になりかねない、一部では既にそのようなイメージが強化されている人もすでに出ている印象です・・・・
分断を生む要素が多く悪口としての用法のイメージを抱いている人が少なくない以上、平等のために掲げる表記としては不適切な部分の方が多くなってしまっていると思います
また悪口として避けられている側面があるのでは、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
メジャーですが問題提起されるのが多い表記ですし…平和的でないという理由で…色々論争の的となっていて判定が難しいところがある…浸透していて変に変えるのは混乱が起こるし…と思います
直球で悪口として使われてるわけではないですが、人より異常でマイノリティなオタク趣味だからこそと楽しむ時代ではもうなくなっており、それぞれ平等な人間として扱いたい流れがあるので…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
海外ブランドのマ◯ジェラにも男女共用ラインでco-edがあります。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(男女CP) 、字数がきついならCo-ed Love(NL)などでもいいので分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。
※ただし使う際はハイフンを入れてco-edにしてください。coedloveだとTwitterでは男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まりにくいというのはNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・「マイノリティマジョリティ関係なく性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観」を問題とされる方
(※マジョリティ関係なくというのが重要で、多数派のBLジャンルの方が揶揄されがちなのもこれらの価値観が欠如してるため起きているのではと思います。)
何よりも
・異性を愛することもある性的少数者で、世間のマジョリティに不満を抱えている者同士で関わってみたものの異性の恋愛になるといくら叩いてもよい、悪口であることを
スルーしてもよいという風潮に苦しんでどこにも行き場がないと感じてしまっている。でも痛みを主張しづらいと感じている当事者の方
・または上記のマイノリティの中のさらにマイノリティの方の痛みをどうでもいいことだと決して考えていない方
はぜひ広めてほしいです。
社会的弱者であれば排他してよいという考えはいつか全ての人間を追い詰めるだろう、という論で配慮を促す意見をよく見ます。
それと同じく、世間的には被差別でなく差別する側であれば配慮がいらないという考えもまた、いずれ自分に降りかり追い詰めていくものではないでしょうか。
なによりお互い踏みつけることになるのを「配慮」と称して推奨するのは配慮の定義とは外れると思います。
そういった状態をナチュラルに肯定し、HL表記を勧めている方も見られる以上、争いの火種になってしまいます…できれば共有いただけると幸いです。
追記:ぽつぽつツイートしてくださる方お見かけしまして大変嬉しいです・・・!
でも表記や使っている方そのものに批判的な発言しながらの引用はしないでいてくれるとハッピーに変われていいと思います
HLが広まらないのは強く薦めてる方がNL使ってる人を侮辱的ともいえる悪口で批判したりNL表記は完全に悪で白い目で見られるものだ!って極端な考えて不快にさせるような物言いをする方が目立ってしまうことがあるのもかなり大きいと思うので・・・
HL使ってる人にこそ問題提起をしてほしくて記事を書いたので批判する内容にはなってるのですが、HL表記を広めたいって方の考え方は優しいし大事にすべきだと思うからあんまきつい言い方しないで広めてやってください〜
自分の言い方でHL使いたい人の気持ちそのものを悪いものだって言われたみたいに感じさせてたら自分が文章力なくてまことに申し訳ない気持ちです・・・
あくまで悪口や罵倒語として使われてるのをスルーして広めることをに私は問題提起したいのですが、うまく伝えれれてなくてすみません
ただやはり現状が問題提起される空気がないのは危ないと思うので、できればまだ浸透率が低い今のうちに軌道修正をはかったほうがいいのではと思います。
異性愛のみをノーマルとする考えが差別の温床であり撤廃すべきだと言うのなら、
異性愛の中に入ったのならマイノリティであっても罵倒してもいいという考えを補強するような用語を、
人権について語る人がいたずらに広めるような動きも撤廃しなければならないと考えます。
優しさや賢さがあって、他人に改められるよう声かけする勇気もあるのに、
王道的異性愛の創作を嗜好する人への、無思慮な面について認めて改める勇気がないのは何故でしょうか?
もし、男女の創作なら悪口スラングで元々使っていたものを使わせるのはむしろいい気味という考えなら、何をそんな小さいことを言ってるんでしょうか。
そんな平和や平等、悲しみをなくす為の活動らしくないことを言わないでください。
全てのLOVEを平等に扱いたいからNL表記に疑問を感じていたのではないですか。
それを広めることでどうなるか、広めようとしている方や
ノーマルという呼称で傷ついて来た方々ほどその痛みをよくご自覚なさっているはずだと思います・・
悲しいことの繰り返しはもうやめませんか・・・?
マジョリティの世界ではホモは差別用語でヘテロはそういうカテゴリに未だ認定されていないです。
でも、マイノリティはマイノリティのコミュニティを主に生きているのではないですか。
その中で排除されている方はどこに行ったらいいんでしょうか。
先方のセキュリティゲートがその声を掻き消す。その様は1日を彩るコンツェルトとは言い難く、調のズレた2人のエチュードがガナリあっているに過ぎなかった。
生意気にも門なんか構えやがって入れやしねえってことで納品物はスーツネクタイの群れに乗じて社員用通用口から納入されることにした。
なぜだ。なぜ先方は受け取らないのだ、愛に溢れたこの俺を。俺は満足度100%だぞ。俺は顧客に必ず作用する。
「てやんでい!検品!」
USB状の纏足は、彼の気持ちを全くと言っていいほど業務基幹システムに反映させなかった。機械仕掛けの事務システムは冷酷にUSBのドライバが見つからないことを告げた。
「いっけね、USBが反対だ!」
背を天に向けPCに支えられながらアラベスクを披露するも、USB取り外しの警告が想像と現実を隔てる渓谷を仄暗く照らしたのみだった。
USBポートは回転によって捻じれ、それをUSBポート閉塞で社内セキュリティに余念なし、と評した彼は今、先方の専務によってシュレッダーの口に顔を押し付けられている。
なんで、なんで納期間に合わなかったんだろ。締切に心壊された人夫に出せる答はなかった。
ああ俺が、俺の人生の成果物が。切り刻まれて適切な個人情報保護処理の後に廃棄されるぞ。天国の入口にも戸は立っているのだろうか。
たわわしかり温泉娘しかり宇崎ちゃんしかり、性的表現や性差別的表現が公共の場に現れて炎上した際に「これがダメならこれもダメでは?」の引き合いに出るものをまとめたかった。比較対象がブレるとわかりにくいので、今回は公共の場を一般の新聞に載る広告を想定。
・ananのセックス特集及び半裸男性のグラビア…子供が見て「ママこれなあに?」って言われたら困るだろうな、とは思う。
ただ、セックスそのもの=公共の場に出していけないというわけではないこと、特集のテーマがポジティブ(「愛のある〜」「幸せになる〜」みたいな)なため、掲載してもいい気はしている。男性が半裸であるべきか?はやや疑義ありるが、モデルが成人していること、セックスは通常裸ですることから、容認してもいいと思っている。
・女性向け下着の広告…これは下着を着た女性ではなく着用イメージを宣伝するものなので、新聞に載ってきていいと思う。水着も同様。二次元のイラストでも同様で、下着の宣伝なら下着姿の絵になると思うし、それが広告であっても不自然さはない。
・男性誌の広告のグラビア…体を見せるお仕事の方を起用し、それをアイキャッチに本を売ろうという戦略なので、いいはいいと思う。ターザンの男性モデルも同様。ただ、未成年とはっきりわかるモデル(17歳とか年齢が書いてある、未成年だと広く知られているなど)は、広告に載せるには不適切だと思う。若くて判断能力がない子の半裸を本を売るためのアイキャッチにするのは、健康的でない。
・男性アイドル雑誌の広告の水着グラビア…上と同じ理由で、未成年とはっきりわかる場合は少なくとも公共の場には出すべきではない。
・アニメや漫画の広告…企業が適切と思うなら載せればいい。ただ、性暴力や暴力を賛美している内容のものなら、不適切だと自浄作用が働いて欲しい。
・漫画やアニメの巨乳、薄着を強調したイラスト、水着や下着のイラスト…企業が適切と思うなら載せればいい。ただ、キャラが未成年と一目でわかる(制服を着ている)場合は不適切だと思う。これは巨乳キャラを排除しろと言う意味ではなく、アイキャッチに使われるのが不適切の意味。例えば学園もので巨乳の女の子が普通に暮らしている分にはいいと思うけど、巨乳が強調されている(胸を寄せて谷間を見せている、ブラが見えている、スカートの短さやそこから除く肌にフォーカスされた構図など)は違う気がする。
また、なんの脈絡もない体の強調、水着・薄着の場合は、それがその漫画やアニメの1番の魅力としてアピールすることになるけど、認識合ってますか?とは言いたい(ただ性的であることだけが魅力の漫画やアニメの広告を打つべきなのか、その漫画の魅力はそこだけなのか。)。