2017-09-17

現代オタク少女をどこまで「破壊」すれば安心するのだろうか

「君の顔を焼いたって不安は消えたりしない」

――緑のルーペ「AFFECTION:ERRORS-HERO-」

僕だけの安らかな世界は、嫉妬不安、疑い、コンプレックスや、あせり、苦痛にまみれてしまった

忠実なメイドとご主人様という「約束」を持たない彼女は、僕を無様に見せる鏡になった

幸せになればなる程、これは今だけの何かの間違いで、

喜んで受け取った瞬間になくなるものなんじゃないかと怖くなってくる

「同情とか、あわれみで僕といるなら、やめてください」

「本当は、緒方さんとつきあえば良かったとか、後悔とか、してるんでしょう?」

「…百ぺん「ちがう」て言うても、百一ぺん「ウソだ」って言うんやろ「ご主人様」?」

「まあ、ええ」

「言いたなくなるまで、一万べんでもつあいますよ」

――きづきあきら・サトウナンキ「メイド諸君!」第4巻

先程の記事に少し追記

基本的に、二次元的な「都合の良い女の子」とは、不安をもたらさなキャラクターを指すのだ

リアリズム志向しつつも、結局彼女らは主人公の元に帰ってくる

主人公を愛し、主人公の都合の良い様に振る舞い、主人公の好む属性を持つ


我々はついつい冗談のように「腱切り隊」を自称し、ヤンデレを好み、二次元少女を「ママ」と呼び慣わすが

それは結局、「自分不安にならない為の理由」を再確認するためだけの記号的な約束事に過ぎない

キャラクターというのは、人間性を徹底的に破壊し尽くした後の残骸を意味するのだろう

そこには壊れて人間ではなくなった人形が描出されているだけである

催眠洗脳、死姦、睡姦、強姦、薬物、性感操作などにわざわざ代表させなくとも

作品のあらゆる描写は、そしてストーリーの大半は

「ほら、これだけの理由があるから彼女らはあなたを裏切らないよ」という説明に終止する

記事への反応 -
  • 北山修が「自虐的世話役」という言葉を作ったのははるか昔であるが、その心性は未だに日本にあると私は考えている 諸家の名著を読んでいただいたり、下記のリンク先に飛んで頂けれ...

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