はてなキーワード: うろつきとは
何かと事故物件が話題になっているので自分が過去に住んで本当に怖かった物件を紹介する
3位 傾いた家
過去に自殺者の出たアパート2Fの角部屋、白を基調とした小綺麗な2Kの部屋で、駅は少し遠いがバス停は近く、都内にも関わらず家賃2万8千円の破格だったので入居することに。
自殺と言っても室内ではなく、居住者が駐車場で練炭自殺をしていたそうなので本来は事故物件扱いではないそうだが、立て続けに新規入居者が早期で解約しただけでなく、他の部屋の入居者まで出ていってしまったそうだ。
その結果仕方なく全体的に家賃を下げて、特に該当の部屋は安く貸し出すことにしたそうだった。
入居当初は何も問題無かったのだが、1ヶ月ほど経つと身体が重く、疲れが取れない日が続くようになった。
まさか…と思いながら生活していたが、ある日相談していた物件好きの友人が遊びに来て床に座るなり一言「ここはできる限り早く引っ越した方がいいよ」と言った。
驚いて理由を聞くと、友人は「ほら見て」と言ってエアコンのリモコンから単3電池を抜いて床に置くと、電池はなかなかの勢いでそのまま転がり続けていった。
そう、この部屋は盛大に傾いていたのであった。
友人曰く、歪んだ床の部屋で暮らしていると、段々と身体に不調が出始め、精神的にも不安定になる傾向があるそうで、事故物件と呼ばれる部屋の多くは「床が歪んでおり、かつ風通しの悪い部屋」だそうだ。
仕事の都合で大阪に半年ほど滞在することになり、とにかく安さと利便性だけで物件を探していた時に見つけた部屋。
駅近くの繁華街の中ある相当な古さの木造アパートで、コの字形に居酒屋や飲食店に囲まれているので騒がしいという難点があると説明を受けたが、1Kながら家賃2万円という驚愕の安さもあり即決した。
どこでも寝れるという特技があるので騒がしさは気にしていなかったが、本当の事故物件の理由は住み始めた夜に判明する。
周りの飲食店も閉まり始めた深夜2時頃、ガサガサという異音がやけに近くに感じられ、電気を付けると晩飯のコンビニ弁当のゴミに大小のゴキブリが十数匹群がっていた。
慌てて袋を縛ってゴキブリごと部屋の外に投げ捨てたが、耳をすませるとあちこちから這いずる音が聞こえてその日はしばらく眠れなかった。
翌日、ゴキブリ対策のグッズをあれこれ買うも絶対数が多過ぎたようで、ホイホイが一瞬で満杯になりホイホイごと動き出すという奇怪な現象を見るに至った。
(因みにこのホイホイを燃やしたらキーキーと音がしたがゴキブリの鳴き声だったのだろうか)
とある夏の日にはトイレの網戸の外が真っ暗だったが、よく見るとゴキブリがびっしり張り付いていたということもあった。
職場で夜を明かすことも多かったので結局我慢して半年間住んだが、それ以来飲食店の近くは避けることにしている。
1位 枕元に老人が立つ家
再度都内の話に戻るが、そこは築年数こそ長いが比較的小綺麗にされている木造アパートの一室で、仲の良い老夫婦が住んでいたものの旦那が先に痴呆になり、奥さんが面倒を見るも先に部屋内で病死し、旦那はそのまま施設送りになってしまったという部屋だった。
頭はボケていたものの婆さんが倒れているという通報は早かったために死体の腐乱などもなく、部屋はキレイなままだったが、家賃は2Kで2万円という驚異的な安さだった。
理由として「痴呆症の元居住者が施設を抜け出して訪ねてくる」という説明を受けたが、基本的に仕事が忙しく部屋にいる時間が少ない自分には関係無いので大喜びで契約した。
住み始めて数日後、居心地も良くすっかり住み慣れて気持ち良く眠っていた夜のこと、ガタガタという物音と気配を感じて目を覚ますと、80過ぎの爺さんが枕元に立って自分を見下ろしていた。
寝惚けて悪い夢か何かだと思っていると、その爺さんはそのまま部屋をうろつき始め、冷蔵庫や戸棚を開け出した。
ようやく覚醒して、恐る恐る話し掛けると「うちの婆さんを知りませんか」という言葉で不動産屋が話していたことを思い出した。
その日は結局警察に連絡して迎えに来てもらい、それからは施錠をしっかりすることで解決したと思ったのだが、その数日後にも鍵が掛けてある窓のガラス戸をあっさりと外して入ってこようとする爺さんを慌てて止めるなどのトラブルが多発した。
どうやらこの爺さんはかなり腕利きの大工だったらしく、鳶の仕事も全て自分でやっていたため、建物の2階だろうが平気で抜け出していってしまうらしかった。
加えて、このアパートも爺さんが建てたものだったため、どうすれば部屋に入れるかを熟知しており、戸締まりをどう頑張っても爺さんが入ってきた痕跡があるという状況で、金目の物が取られるということは無いが冷蔵庫の中身を勝手に食べられるという地味にストレスが溜まることをされ、次に来たら流石にどうにかしてやろうと考えていた。
とある日、しばらく爺さんの侵入の痕跡が無い日が続いたのだが、ある日テーブルの上に和菓子と大工道具が置かれており、持っていくだけでなく忘れ物までするのかと施設にクレームの電話を掛けたところ、
「ご迷惑をお掛けしており申し訳ございません、ただ入居者様は先週に亡くなられておりますので、その前に置いていかれたものでしょうか」
先日、服屋に行った。どこに行ったかは伏せるが自宅から電車で40分はかかるところだった。
もともと服を見るつもりはなかった。服ではなく、映画を見るためにその駅を降りたからだ。30分前に着けばいいと思っていたのが用意が早く終わって家を出ると、なんと予定の3本前の電車に間に合ってしまったのだ。結果、1時間半もの時間を私は持て余すことになった。ので、近くにある大きなビルを下から雑貨屋、服屋、化粧品、服屋と見ていくことにした。1店目の服屋は特に何もなかった。服の素材を右から左に触るだけの女だった。そこの店員がなかなかにアグレッシブで何かを手に取るたびに話しかけてきたから、逃げるように化粧品コーナーに逃げた。
そうしてビルの最上階にある服屋に入った私はさっきと同じように服を眺めていた。このあと映画を控えていたからもとより買う気は一切なかった。荷物を増やしたくなかったのだ。冷房の効いた室内でだらだらとしていても時間は1時間弱ほど余っていた。久々の外出ということもあって足も限界、最初から適当なカフェに入っておけばと自分を呪いながらマキシ丈のスカートを手に取ったその時、推しが横にいた。正確には推しではない。なぜなら私の推しは韓国アイドルでありこんなコロナのご時世に日本にいるはずがないのだ。そもそも日本ツアーが中止になった時点で逆立ちしても日本にいるわけがないに決まっている。こんなことは初めてだった。これまでの人生野中で日本一の男性アイドル事務所であるジャニーズのメンバーを追ったことはなかったが、ジャニーズファンの友達が「推しに似た人見た...」とうわ言のように呟くのを何回か見てきたことはあった。でも自分がそっちに回るとは思ってなかった。それでも隣に立って服を決まった場所に返している店員さんはどうしようもなく推しに見えた。とにかく目が似ていた。コロナ対策のマスクで目しか見えないからそれしか言えないが、目が似ていた。むしろマスクで見えないという事実が、もしかすると全体的に推しに似ているんじゃないかという妄想に拍車をかけた。そう考えているうちに店員さんは服を全部かけ終わって別のところに移動したがそれを見てまた思った。顔だけじゃない、体格も似てるんかい!!!!!!! 推しは足が長かった。実際の身長は180オーバーなため店員さんとは違うとわかっていたが悲しいかな私は未だ推しのサイズが実感できるような距離で推しを拝んだことはなかった。180越えの成人男性が米粒に見えるようなドームの端でしか見たことのない推し。唯一近距離で目視できる接近イベはせっかくの当選も虚しくコロナ禍で儚く消えた。
そんな私には店員さんが推しに見えた。自動販売機の横に立っては照れていたがそっくりな顔が付いている分こっちの方が100倍照れた。顔、滅茶苦茶小さかった。私の頭蓋骨をどれだけ削れば推しの小顔さに並べるのだろうかと思っていたが多分これはドリルなんかでどうこうするものじゃない。天性のものなんだろうな。現地で彼らを出待ちするファンってこんな気持ちだったのかな。推しの身長を体感できるの羨ましいな。Tシャツにジーンズだけでこんなにスタイルがよく見えるのって推しだけだと思ってた。裾を大きめに折り返すのも、そこから見える白ソックスもスニーカーも推しがしてたのを見たことがあった。髪型なんて私が推しにハマったきっかけのライブの髪型と同じだ。そのまま私は買いもしない服屋の店内をうろつきながら、たまに同じ列に服を返しに来る店員さんを視界の端に納めては馬鹿らしくドキドキしていた。しかも帰ってから気づいたことだが、推しに日本語は通じない。でも推しにそっくりな店員さんは日本語が通じるのだ。なんなら日本語が母国語なのだ。店にいた時も今も店員さんに話しかけるつもりは一切なかったが、声をかければ返ってきたのだ。寒いねと言えば寒いねと、暑いねと言えば暑いねと、普段私が行なっていたコールアンドレスポンスさながらの会話のキャッチコピーが推しとそっくりな人間とできる可能性が、日本人にはあるのだ。コロナで大変な世の中だけど、案外希望というのは残っているらしい。私にはないが。
インターネット老人と言うからには少なくともこれぐらいの前の話をしないとかなと思い、もちろん当時の情報を網羅とは言えない私個人の限られた範囲のネットウォッチの昔話をしてみます。
ネットウォッチはそれこそNIFTYなどの商用パソコン通信の頃から行われていて、インターネットの歴史と共に綿々と続いてきたものです。
パソコン通信などやる人はギークでナードな人しかいないので、変人ばかりで、中には我を通すために他人の心情など関係ないといったタイプもたくさんいました。
多くの人が自分も我がままな人間なのに小さいなコミュニティを守るため我慢してる中、傍若無人な振る舞いをする人に、あいつムカつくよなとか、なんとか揚げ足取ってやろうとか、中にはリアル情報を集めて何とか酷い仕打ちをしてやろうという人も出てきました。
今と違って、このコミュニティが気に入らないから別の場所と言えるほどネット世界は広くなく、ヘイトのるつぼになりがちな状況でしたが、逆にネットウォッチ的なものの情報集約コミュニティというものも皆無に等しく、あったとしてもNIFTYのPatioなど仲間内のクローズドなものに限定されてました。
私がこの界隈にうろつき始めたきっかけの山田AGもパソコン通信の東京BBSで暴れてた変人で、非常識な言動で多くの人を困らせていました。
彼に接した全ての人間が彼に不愉快な思いをさせられたといっても過言でなく、有名なvoidさんのようにその態度はないけど理屈はわかるといった救いもない人でした。
そんな中、インターネットに「ネットワーカー研究所」(通称ネ研)が現れ、パソコン通信やあちこちのBBS群などの困った人たちの情報を集めたサイトができました。
中身は個人情報などもありましたが、騒動の生ログが羅列されているものがほとんどなので、事情を知らない人にはなかなか簡単に理解できないものが多かった記憶があります。
私がネ研を知ったのは1998年か1999年の頃で、あめぞうにもあやしいわーるどにも出入りをしてない健全な生活(2ちゃんねるは一応存在してたけど、私は知らなかった)を送っており、山田AG周りの情報のみを見てたので、それ以外の人の話はあまり見ていませんでした。
前述の通り、生ログ収集がメインだったので状況把握が面倒で、おそらくですが、ネ研を見てた人の多くに横のつながりはなかったんじゃないかと思います。
otuneさんもここを見てたはずだし、どこかのBBSですれ違ったりしてたとは思うのですが、全く見た覚えがなく、少なくともこの頃は有名なネットウォッチャーという扱いではなかったと思います。
とはいえ、検索で引っかかるようなオープンな場所で、特定の誰かだけでなく多くの情報を集約したネットウォッチ活動の場として実際多くの人が見に来るサイトは他になかった気がします。
ただ、IP抜かれるのは死に値するため閲覧にすら串差してた時代、個人管理のサイトに気軽に書き込んだりメールして情報提供する人は多くなく、情報の新鮮さにはかけていました。
そして2000年5月にネオ麦茶事件が起こり、2chの知名度が一気に上がり、私もそこで初めてネットウォッチ板(通称ヲチ板)を知るわけです。
山田AGのヲチ活動も2chに移り、私も入り浸り、彼以外の人も覗き見するようになりました。
そこで体験したことはきりがないので、個々の出来事は避けます。
その当時、どのスレを見てもヲチ板のモットー「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」というのが徹底されていて、少しでも当人に接触しようものなら酷く叩かれてました。
この標語、私がヲチ板に来た頃から言われていたと思うので、最初期からあったものだと思います。
ネットウォッチは本来のネット活動の倫理からは外れる全うでないものだから、せめてヲチ対象を含めた他人に迷惑をかけてはいけない、という建て前もあったけど、私を含めネットウォッチする人はヲチ対象に不愉快な思いをさせられた事がきっかけだったりするので、人に迷惑をかける行動はヲチ対象と同レベルに成り下がる、同じ肥溜めの中にいるにしても顔ぐらいは外に出しておきたいという気持ちもありました。
そういった意識があったせいか、ヲチ対象に対するネガティブな言葉もせめて笑えるもの、お笑いのツッコミのようにエンターテイメントになるようなものが理屈で殴るようなものより喜ばれてました。
ツッコミが面白くなるのはそれはもうヲチ対象に直接言う方が面白い事が多く、住人であることを隠してツッコミを入れる人もいたけど、それをスレで「あれは俺だ」と報告しようもんなら袋だたきにあうという、自己顕示欲が強い人にはなかなか難しい感じでした。
さて、そんな中、その均衡が崩れたのが古式若葉で、スレ住人がネカマになってヲチ対象をいじり倒す事があり、それが面白いと人気に。
昔からのヲチ板住人の苦々しい視線もよそに、ネット上のおかしな人をいじって遊ぶがネットウォッチの意味に含まれるようになっていきました。
その後、1ch.tvなどでもヲチ対象に突撃するという手法が取られたけど、ヲチ板では最初はそういうのはよその板でやっくれないかという人もたくさんいました。
今でもヲチ板の代表的な出来事としてこの二つが上げられたりしますが、ヲチ板原理主義者としては少々不服ではあります。
長くなって来たので歴史的な話はこの辺りにしますが、その後、ヲチ板はネットが一般的になっていくうち、多少の頭おかしい人がいても目立たなくなり、隔離することも自分の逃げ場もつくれるので、そういった事が難しいネットゲームの世界だけになっていくのでした。
ただ、ネットウォッチ的なものがなくなった訳でなく、それが普通の場所で普通に行われてるため、ネットウォッチがゲスな事だと認識されないまま広まっているように見えます。
そのため、逆にネットウォッチと名の付くからには自分たちの普段やっているものよりも更に酷くゲスな事をやっているものだという印象を与えてしまいがちです。
個人的には本来ならネットウォッチという言葉はヲチ板衰退と共に消えていくべきものだと思っており、それに意義をこじつけて延命させる行為は歓迎できません。
ネットウォッチャーotuneさんの事ですが、私の記憶だとネットウォッチャーと言い出したのは本人でなく、周りが面白がって言い始めたことで、上記の通り、ネットウォッチは影に潜んでこっそりやるゲスな行為ということをよく理解してる人なので、一番最初は蔑称だったと思います。
本人がそう名乗った時は少し驚きましたが、自虐的なものだろうし、今でもその意味で使ってると思うので、ネットウォッチのすごい人って言われてるのを見ると私としてはずーっと悪口言われてる人のように見えてます。
本人も苦々しく思ってるかと思いきや、ここ数年だとは思うのですが、自虐的ながらもまんざらでもない様子が出てきて、ちょっとおかしな感じになってきました。
きちんとヲチしてるわけではないので何かきっかけがあったのか分かりませんが、ネットウォッチというものの本質を知っているはずなのに、あえて都合がいいようにズレた意味合いに動かし始め、遂には商売をはじめ、そもそもネットウォッチと自己顕示欲は相反するものという意識が強い昔の人から冷ややかな目で見られるようになっています。
彼をネットウォッチャー的観点でいうと、「ネットウォッチの原点を知らない人に俺は昔から知ってるというマウントを使ってズレた事をしているネットゴロ、とはいえ、まだまだ手の施しようが無くなるほどひどいとこまでは行ってない(行くほど儲けてない)ので、熟成するまでまだもう少し」という感じです。
さて、増田とはいえ、私もヲチャとしてはあるまじき自己顕示欲を出してしまったので、深く反省をし、これからも「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」を実践していきたいと思います。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201911/sp/0012897124.shtml
建物には著作権は適用されないからメーカーは悪くない!法的に問題が無いんだからグダグダ言うな!エロゲーを差別してるんだろ!という論調なのにちょっと引いてしまった。
普通に考えたら、飲食店を経営してたら無許可でアダルト関係の作品にモデルにされて、その関係の人間が店の周りをうろつき出すとか迷惑でしか無いとおもうんだが、それに文句を言うと表現の自由を弾圧する悪にされてしまうらしい
最近フェミニストを揶揄するときによく言及される「お気持ち」へのアレルギーが強くなりすぎてるのか、「法に抵触してなければモラルなんて無視していい」って思想の人が増えてきている気がする。法に引っかからないとしても最低限のマナーとかモラルは守った方が世の中の理解を得られると思うんだけどなぁ。
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
小児性愛障害は、小児(通常13歳以下)を対象とする、反復的で強い性的な興奮を引き起こす空想、衝動、行動を特徴とします。
小児性愛はパラフィリアの一種です。他者に危害を及ぼすことから、精神障害とみなされます。
A.少なくとも6ヵ月間にわたり、思春期前の子どもまたは複数の子ども(通常13歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。
B.これらの性的衝動を実行に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。
C.その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である
退行型情緒的に未熟で社会的能力に欠け、子供を同等者とみなすタイプ。本当は同等の成人と関係を結びたいのだが、自尊心が低い状態で、それができないので主に脅迫を用いて子供と行い、自分の子供を標的にする場合もある[5]。
倫理観欠如型反社会的で手当たり次第に虐待を行うタイプ。周囲を利用し暴力を振るうことが人生そのものであり、犯罪の罪悪感がほとんどなく、相手の弱さと犯行のタイミングを基準にして被害者を選ぶが、SM系のポルノグラフィーを収集している場合もあり、妻や友人なども虐待の対象に入り、子供も対象になるのは、たまたま条件に合ったからに過ぎない[6]。
性的嗜好が曖昧で、あらゆるタイプの性行動を試そうとするタイプ。セックスならば何でも試してみようとするタイプであり、子供を対象にするのは単なる実験であり、自分の子供も対象となり、大量のポルノグラフィーや猥褻文学などを保有している可能性も高いが、児童ポルノの占める比率は低い[7]。精神分析学の用語では多形倒錯と呼ばれる嗜好である[8]。
社会不適応者で、様々な障害などのある場合。この特徴を持つ人の多くは無害であるが、積もり積もった衝動がそのような行為へと走らせる場合があり、子供が弱いことを利用し、性的好奇心を満たそうとする[9]。被害者を殺害する場合もある。
内向型社会的スキルの欠如のため子供を誘惑できず、見ず知らずの子供か幼児を選ぶタイプ。子供の集まる場所をうろつき、観察したりいたずらしたりする。児童買春を利用する場合もある[11]。子連れの母親と結婚し、その子供を被害者にする場合もある。
加虐型被害者に苦痛を与えなければ性的満足を得られないタイプ。誘惑や強要で子供と接触し、性的暴行目的の誘拐殺人の事件を起こす場合もあるが、数はそれほど多くない
「いずれ大人になったら経験することなのだから教育的な観点で性的接触を行っただけだし、相手もそのことについて好意を持っていたはずだ」
「可愛いからついついかわいがるつもりで一線を越えてしまった。決して傷つけようと思ったわけではないし相手もそれを受け入れていた」
「盗撮されても、相手が気づいていなければ犯罪ではないし、誰も傷つけていない」
「他の性犯罪(強姦等)に比べて、自分のしていることはひどくない・大した事ないから捕まらない」
「前に捕まったのは、運や やり方が悪かったからだ」
「嫌なら逃げられるはずだ」
「嫌がられたらやめる(から嫌がる人にはしていない、触っても嫌がられていない)」
状況的児童性虐待者(性的行為の対象は児童のみに限定されない)
退行型情緒的に未熟で社会的能力に欠け、子供を同等者とみなすタイプ。本当は同等の成人と関係を結びたいのだが、自尊心が低い状態で、それができないので主に脅迫を用いて子供と行い、自分の子供を標的にする場合もある[5]。
倫理観欠如型反社会的で手当たり次第に虐待を行うタイプ。周囲を利用し暴力を振るうことが人生そのものであり、犯罪の罪悪感がほとんどなく、相手の弱さと犯行のタイミングを基準にして被害者を選ぶが、SM系のポルノグラフィーを収集している場合もあり、妻や友人なども虐待の対象に入り、子供も対象になるのは、たまたま条件に合ったからに過ぎない[6]。
性的嗜好が曖昧で、あらゆるタイプの性行動を試そうとするタイプ。セックスならば何でも試してみようとするタイプであり、子供を対象にするのは単なる実験であり、自分の子供も対象となり、大量のポルノグラフィーや猥褻文学などを保有している可能性も高いが、児童ポルノの占める比率は低い[7]。精神分析学の用語では多形倒錯と呼ばれる嗜好である[8]。
社会不適応者で、様々な障害などのある場合。この特徴を持つ人の多くは無害であるが、積もり積もった衝動がそのような行為へと走らせる場合があり、子供が弱いことを利用し、性的好奇心を満たそうとする[9]。被害者を殺害する場合もある。
内向型社会的スキルの欠如のため子供を誘惑できず、見ず知らずの子供か幼児を選ぶタイプ。子供の集まる場所をうろつき、観察したりいたずらしたりする。児童買春を利用する場合もある[11]。子連れの母親と結婚し、その子供を被害者にする場合もある。
加虐型被害者に苦痛を与えなければ性的満足を得られないタイプ。誘惑や強要で子供と接触し、性的暴行目的の誘拐殺人の事件を起こす場合もあるが、数はそれほど多くない
「いずれ大人になったら経験することなのだから教育的な観点で性的接触を行っただけだし、相手もそのことについて好意を持っていたはずだ」
「可愛いからついついかわいがるつもりで一線を越えてしまった。決して傷つけようと思ったわけではないし相手もそれを受け入れていた」
「盗撮されても、相手が気づいていなければ犯罪ではないし、誰も傷つけていない」
「他の性犯罪(強姦等)に比べて、自分のしていることはひどくない・大した事ないから捕まらない」
「前に捕まったのは、運や やり方が悪かったからだ」
「嫌なら逃げられるはずだ」
「嫌がられたらやめる(から嫌がる人にはしていない、触っても嫌がられていない)」
元増田が言ってる金持ちとは「小利口な小金持ち」の事でしかない。
で、あいつらの実態は?といえば裁判でボロ負けして賠償命令出てるが払いきれなかったりしている。
まぁどっかから金を引っ張れはするのだろうが、個人資産を持っていないので世間的には破産者と変わらん。
ちょっと冷静になって考えて欲しいんだが、破産者の語る金持ちって信用出来るか?
俺は信用出来ないと思うね。
それからね、コストパフォーマンスを考えている間は金持ちじゃないんだよ。
自分のコンフォートをコストパフォーマンス抜きで実現するのが金持ちなの。
自分がいいなら軽トラ作業着でそこらをうろつき、必要なら山中に豪邸も建てる。
だいたい純資産5億で富裕層の端くれ、20億くらいで自由人、100億超えたら仙人。もちろん相応のキャッシュフローつきでな。
フェミニズムの歴史を学ぶとわかるんだけど、宗教(この場合キリスト教)とすごく密接な関わりがあるんだよね。キリスト教は欧米の生活文化の基盤だし、そのキリスト教は強い父権社会の価値観を持つ宗教だから、つまり欧米社会=父権社会=男性社会であり、それに対する反発と改善の意識がフェミニズムの方向性を決めてきたって構造。
でも日本では、キリスト教の価値観がそこまで民衆のなかで内面化してないから、フェミニズムはどうしても「戦う相手が居ないのでサンドバッグを探してうろつきまわる狂犬」みたいになるんだよ。宗教を持ってないのにそれを防衛するという意味では保守なんだけど、それってやっぱり宗教じゃない。
カップル間における、セックスの正しい断り方ってなんだろうか??
私の場合は、そんな気になれなくても、相手が傷つくのが容易に想像できるので、上手く断ることができない。
けれども、セックスの優先順位があまりにも低くなってしまい、なかなかその気になれない。
子供二人と一つの布団で三人川の字で寝てると、どんなに長時間寝ても体の疲れが取れない。
寝かしつけながらの、変な体制で寝落ちして、朝までそのままでも、疲れが取れない。
だから、寝落ちせずに起きていられた日ぐらいは、ゆっくり一人で寝たい。
一人の時間も楽しみたい。
というか、人と離れていたい。
もともと、性欲がそれほど強くはないから、と言うのもあるかもしれないけれども。
日々、子供相手とは言え、おっぱいをさらけ出し、乳首を吸われ、時に乳首を指でつままれて。
Twitterで、オザケンと渡辺満里奈が閉店間際にやってくるから面倒だった、という元レジ打ちの人のツイートを見たことがある。
閉店間際にスーパーに行くことは迷惑なのかもしれないが、バイト終わりで駆け込むのでどうしてもその時間にしか行けない。
普段は人で賑わっている空間に誰もいない、という光景を見ている時の興奮は、真夜中の羽田空港に行った時の興奮に似ている。
まあ、人がいないということは、品揃えも悪いということだ。肉と野菜は揃っているが、魚はどの店も壊滅的。
刺し身でイケる魚は微妙に高いサーモンと、何だこのサイズは!ってくらい微妙なサイズで微妙に高いマグロくらいしか残っていない。
むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から「どんぶらこ、どんぶらこ」という聞き慣れないサウンドを放ちながら大きな亀が流れてきました。
おばあさんは亀を持ち帰り、おじいさんと協力して亀を斧で真っ二つにすると中から小さな男の子が出てきました。
二人は「浦島太郎」と名付け、大切に育てました。
おじいさんとおばあさんはきびだんごを渡し、浦島太郎を見送りました。
浦島太郎が浜辺に着くと、鬼が一人の子どもにいじめられているのを見つけました。助けてあげて、きびだんごを渡しました。
鬼をいじめていた子どもは「この日本一の桃太郎に何をするー」とか言いながら去っていきました。
「助けてくれてありがとうございます。お供させてください。お礼に竜宮城へご案内します」と鬼は言いました。
海を潜って到着した竜宮城は豪華絢爛、贅沢の極みで浦島太郎はすぐにその魅力に取り憑かれました。
料理も美味しい。特に、犬のソテー、猿の脳みその炙り焼き、雉の叩きは筆舌に尽くし難く絶品でした。きびだんごの比ではありません。
しかし、別れは来てしまうもの。浦島太郎はおじいさんとおばあさんに心配を掛けたくなかったので、龍宮城を去る決意をしました。
乙姫様は「せめてもの餞別にこれを」と浦島太郎に箱を渡しました。「絶対に開けてはなりませんよ」
浦島太郎はおじいさんとおばあさんの家に帰ってきました。
「おかえり、浦島。疲れただろう。ゆっくり休みなさい。おや、その箱は」
「これね、貰ったんだ。絶対に開けちゃだめだって。いいかい、絶対だよ」
「そうかい」
浦島太郎の寝静まった夜、金銀財宝が入っていると勘違いしたおじいさんとおばあさんはこっそりと箱を開けました。
すると、中からは大量の煙が出てきて、おじいさんとおばあさんは一瞬にして寿命を迎え、天国へ召されました。
その頃浦島太郎は温かい布団の中で、再び龍宮城を訪ねて乙姫様と結ばれ、幸せに暮らす夢を見ていました。
これのアニメ版が原因で1990年台に日本製アニメが英国で退潮した事件があったらしいんだけど何か知ってる人いる?
1990年代は第三波フェミニズムの勃興やあまりに強大になりすぎた日本との貿易摩擦や日本アニメの隆盛と合わせて
日本だけでなく世界的な規模で日本アニメに対する風当たりが強くなった感じがしてるんだけどこの辺の流れを日本だけじゃなくて世界的な視点からまとめられる人いないかなぁ。
ドラゴンボールやセーラームーンが生まれた時代でもあるんだけど。
なんかアニメが強くなりすぎて各国のテレビを独占してしまったのと合わせて色んな国で規制が強まったのではないかという線で見てる
フランスなんかは宮崎勤の事件を明確に持ち出して批判した政治家がいたらしくて同じく(自主?)規制が強まった流れがあるらしい。
http://cenecio.hatenablog.com/entry/2016/09/29/164511
https://togetter.com/li/177504
オランダとかでは遅れて2000年に入ってからドラゴンボールが流行ったらしくてその辺も規制の影響があったのでは・・・、逆に香港はほとんどタイムラグなかったみたいだけど(香港もちょっと騒がれたらしい。影響薄かったらしいけど)
まぁ調べてるって言っても興味本位でちょろちょろ見てるだけなんだけど。
しかし、クールジャパンとか言って自分から外に出そうとしてる今と違って、適当に売りまくってた過去の時代が文化侵略とか言われるのは皮肉すぎるな。
過去の同級と旧交を温めたいのか。
高校の頃の思い出話に花を咲かせたいのか。
悪いけど俺はゴメンだ。
俺が青春の痛みだの切なさだのをもって
かろうじて振り返れる思い出といえば
一人で何かしていたことばかりだ。
例えば文化祭の時、たった一人、
図書館かどこかでやってた百円市で
使われず封鎖されてた教室に入り込み
日が暮れるまで一人で楽しんだこととかさ。
東京タワーや秋葉原を一人ウキウキでうろつき回ったこととかさ。
下校のバスで一人、
テクノ聞いて秋の夕暮れがすげえ綺麗だと思ったこととかさ。
それで、そういうので、すげえ楽しかったんだよ。
オマエやオマエ達と友達風の付き合いはしていた。
あん時の結びつきは
振り返る時オマエはいない。
ヒドいこと言ってんのはわかるよ。
オマエすげえ喜んでたな。俺には何の感動もなかったのに。
オマエは俺を飲みに誘った。
そこはかとなく育っていたから、
でも、正直な話、
何かしらの感情が刺激されることも、
ホント、無かったんだ。
ヒドいのは俺だ。わかってんだけど、
でもどうしようも無いだろう。無いんだから。
あの頃俺は一人で勝手に満ち足りてた。
あれはあれで楽しかったんだ。
こんなことを書くというのは先日、
件の同級とまた再開したからだった。
場を切り上げたが、オマエは「また飲みに行こう」と言ったな。
オマエが俺をどう思ってんだか知らないけど、
俺はホント、こういう奴なんだよ。
そこは申し訳なく思う。
だからと言って飲みに行ったりはしないんだけど。
ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。
祖母は沖縄県中部の農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。
毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。
突然学校でウチナーグチ(沖縄の方言)を話すことを全面的に禁止されたのだ。ウチナーグチは本土の人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、
こんなものを日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。
日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチがポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ、
ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。
祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)
そんなこわがりな祖母が一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。
しかしそんなしみったれた学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍が沖縄本島に上陸する。
祖母は家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。
毎日「悪いようにはしない、県民は大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。
米兵の捕虜になれば男子は死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたからである。
現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめる手段がいくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。
毎日空から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。
米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。
しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。
この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間で家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。
このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれば死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。
「米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。
ここからが驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである。
死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。
もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍のバンに乗せられていたらしい。
祖母が声を上げたおかげで結果的に家族は自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。
このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。
私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。
真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。
祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母の勇気を思う。
※補足※
>些細なことだし、現代の人にわかりやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学に入学したあたりでそれまでの環境が一変した。
ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代の義務教育と照らして分かりやすいように祖母が説明してくれたのだと思います。
うつ病で7年間服薬してきたパキシルを切って、3か月たったころ。
吐き気やふらつき、船酔いのような違和感が徐々に収まってきた一方で、
体調不良で1日有休をもらい、ほぼ寝たきりで過ごして目を覚ました夕方。
異常な不安感とのどが締め付けられるような違和感、落ち着いて着席していられないほどの焦燥感が現れた。
一人暮らしの部屋にいるのが恐怖で、実家の母に電話し、眠るまで切らないでとお願いして2時間つないだままにしてもらった。
翌日からなんとか1週間出社した。
頭も回っていなかった。
「あと少し、あともう少し」と言い聞かせ、何とか出勤していたが、とうとう
職場でも着席していられない症状が現れた。
限界だった。
主治医は、離脱症状ではない、うつの再発だからと服薬の再開を強くすすめてきたが、薬をやめたい一心だった私は最低限の睡眠薬と安定剤だけ飲んだ。
症状は日増しに悪化していた。片時もじっとしていられず、家じゅうをうろつき、食事も着席してとれない。
夕方~夜は多少落ち着くものの、寝起きから午前中は地獄だった。
ほかにも、のどが締め付けられるような違和感(ヒステリー球というらしい)。
車やバスなどの狭い空間にいると閉塞感で落ち着かず、窓を開ける。
トンネルを通るときなどは恐怖で、運転席に座る母の腕にしがみついていた。
明け方、日中も一人でいられず、常に誰かのそばにいて、それでも不安と恐怖が強いときは手を握ってもらっていた。
窓とドアを開け放しておかないと閉じ込められているような閉塞感があり、真冬なのに網戸にしていた。
テレビやラジオで「殺人」「強盗」などの言葉を聞くとひどく恐ろしかった。
火星に一人で取り残される宇宙飛行士の映画「オデッセイ」も、恐怖でまったく見られなかった。
目にするもの、耳に入るもの全てが恐怖の連想につながり、今までどうしてこんな世界で生きてこられたのだろうと思った。
「まんまんまんまん曼珠沙華!」
と繰り返し発声してるおじさん(推定50代)がいて、周りの子供たちの目が釘付けになってた。
例の「性の悦びを〜」の人もこんな雰囲気だったのかなと感じたが、そのうちある男の子が「マンマンマンマン……」と真似し始めて、「やめなさい!」とお母さんに怒られてるの見て、まあそういうおじさんとは関わらないように生きていくのがコストのかからない賢い生き方だよな、とぼんやり思った。
でもそういうおじさんが家族だったら自分はどうするだろうか。想像するだけで暗い気持ちになってしまうのが申し訳なかった。
さらにもしも自分自身が曼珠沙華おじさんだったら?そんときはたぶん意外と、自分自身には不幸感ないのかもしれない。
おじさん、他人に迷惑だけはかけないでくれてね、そう思いながらレジで財布を出して、挽き肉を買い忘れたことに気がついた。
精肉売り場に戻るとさっきのおじさんが肉のパックのビニール部を指で押して凹ましながら「まんまんまんまん曼珠沙華!」と唱えていた。
ギルティ。
挽き肉はハナマサで買いました。小さいパックで良かったのにデカいの買っちゃったもんだから冷凍庫が挽き肉だらけです。どうしてくれるんだ。