ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。
祖母は沖縄県中部の農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。
毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。
突然学校でウチナーグチ(沖縄の方言)を話すことを全面的に禁止されたのだ。ウチナーグチは本土の人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、
こんなものを日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。
日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチがポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ、
ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。
祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)
そんなこわがりな祖母が一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。
しかしそんなしみったれた学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍が沖縄本島に上陸する。
祖母は家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。
毎日「悪いようにはしない、県民は大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。
米兵の捕虜になれば男子は死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたからである。
現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめる手段がいくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。
毎日空から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。
米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。
しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。
この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間で家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。
このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれば死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。
「米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。
ここからが驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである。
死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。
もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍のバンに乗せられていたらしい。
祖母が声を上げたおかげで結果的に家族は自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。
このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。
私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。
真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。
祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母の勇気を思う。
※補足※
>些細なことだし、現代の人にわかりやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学に入学したあたりでそれまでの環境が一変した。
ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代の義務教育と照らして分かりやすいように祖母が説明してくれたのだと思います。
最高の記事だった
捨て石の浮沈空母が今も昔も沖縄の既定路線だけど昔と違って本土移住のコストは低い 戦争なって逃げた先のガマで89式小銃で撃たれたくなかったら沖縄から出ていけばいいのに 何で...
フクシマ人にも言ってやって
なんで沖縄から移住しないかって? それはね、ふるさとだからだよ
こういう話しが出るといつも思うのだが 沖縄戦では、米兵は市民に対し(強い抵抗がなければ)丁寧に扱っていたと思うのだが ベトナム戦争では蛮行を行っていたとされていて。 こ...
ベトナムでは「山川草木皆敵なり」状態だったからね。 これは第二次大戦の米軍もすでにそういう教育はされていたらしいが。
ベトナムでも最初はちゃんと民間人は丁重に扱ってた。 でも農村の民間人にゲリラが紛れて攻撃してきたり、 その対策で民間人とゲリラを分断しようと民間人の強制移住をさせて反感を...