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はてなキーワード: 考察とは

2016-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20160304110325

いや、萌え映画だろうとアニメライブだろうと全部一人で行くだろ甘ったれんなやおじさん

その上でブログめっちゃ知的で素晴らしい考察ファン目線ならではの熱い感想を書いて、大量の半券写真グルメ写真をアップして、幸せオタ充生活を見せつけやがれ

2016-03-03

妻の考察24

妻と警察24時を見ていた。

盗撮犯を捕まえろ!のコーナーで妻が「この犯人(男)って結婚してるのかな?」と言った。

私は「どうだろうね」と曖昧に答えて少し考えた。妻はどういうつもりで結婚してるのかな?と言ったのだろう。

「いい歳して結婚してない男はやばい」という意味で言ったのだろうか。あまり妻はそういった決めつけてものを言うような事をしない人だと思っていたのだが…

しばらくして妻が口を開いた。「あなた盗撮とか…やめてね?」

おい!

2016-03-02

クロノクロス最初のウロコ集めで飽きてやめたけど、あらすじと考察読んでEDだけyoutubeで見たらなんかしらんがめっちゃ感動するわ・・・

よく暗い暗いって言われてるけど、ヘタなRPGなんかよりよっぽど明るい生命賛歌の輝きがあるRPGなんだなあ・・・

[]月刊増田1月号

増田読者の増田の皆さん、読み逃した増田はありませんか?

おおむね10ブクマ以下を目安に、もう少し評価されてもいいのになーという増田を集めてみました。

http://anond.hatelabo.jp/20160101213351 童貞だいすき。

これがいつまで続くのだろうか、と思ってしまうが、幸せそうだからあいいか。うまくやってください。


http://anond.hatelabo.jp/20160102143038 ミニマリストの思い出

「夫の鉄道模型を妻が勝手処分ちゃう話」の初期のバリアント(夫がどんどん自分のもの捨てちゃう奴)を思い出した。背筋に同じ種類の寒気を感じるというか。


http://anond.hatelabo.jp/20160102191839 あれから3年

幼少から弾いていたヴァイオリンを本格的に再開した話。勇気づけられるが、読んでるだけじゃだめなのは明らかでもある。


http://anond.hatelabo.jp/20160103024325 ノスタルジーセックスコミュニケーション

だいたいタイトル通りだけど、普通に文章うまい。気が向いたらでいいので続きを書いてほしい。


http://anond.hatelabo.jp/20160104024330 ダメな奴の話

あなたはこの増田に石を投げられるだろうか。


http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 男性教員女子学生から好かれる確率

これは面白い体験談。ある種の業界内幕話ではあるかな

http://anond.hatelabo.jp/20160131185333 教員女子学生交際する話

上の続編。実際につきあっちゃう人は……という話。


http://anond.hatelabo.jp/20160111034644 秋葉原のお触り系の店でバイトしてた話。

この手の風俗未満みたいなアルバイト体験談って一定の頻度で書き込まれる印象。増田向きの話題だとは思うけど。


http://anond.hatelabo.jp/20160111172921 (無題)ど田舎の村にふるさと納税たくさんしたら返礼品届けに来た女の子

こんだけ楽しそうなのほんとすばらしいと思う。自分で書いたらいいと思う。


http://anond.hatelabo.jp/20160111222228 過労死しそうだったホテル責任者が怒り心頭・・ていうかさ。

増田常連、というほどではないけど時々現れるホテルのひと。いろいろぶっちゃけて書いてくれるのでけっこう好き。


http://anond.hatelabo.jp/20160111223730 僕は心に童貞を飼っている。

後半の自己分析が少し腑に落ちない。


http://anond.hatelabo.jp/20160112011532 死にたい波がやってくる

増田は意外とおせっかいで、こういうエントリにはだいたい励ましや共感トラバがつくんだけど、これはブクマも0でトラバがご覧のとおりなのでちょっと気になっている。今更だけどだいじょうぶ?


http://anond.hatelabo.jp/20160112060330 増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!25

正月明けの神社の寸描。普通に面白いんだけどトラバが(元増田のも含めて)びっくりするほどクソ。


http://anond.hatelabo.jp/20160112091927 元デブから言わせてもらいたいこと。

リアクションほとんどなかったけど、これはわりと大事なことで、なぜか太ってるのって自己責任だと思われがちなんだよね。必ずしもそうではない、ということ。


http://anond.hatelabo.jp/20160112183533 スーパーマーケットレジ待ち時間理論

増田名物馬鹿馬鹿しいことを真面目に考察するねた。でもレジ待ちは題材としてちょっと有用すぎるし考察ももう少し執拗さがほしい。


http://anond.hatelabo.jp/20160112183433 (無題)私は一人でアメリカ東海岸とある空港に降り立った

ねたとしてはそこまで珍しくなく、一歩間違えばあざとくなりそうなところを踏みとどまっていて、何故だろうと思ったら実は……という話。

http://anond.hatelabo.jp/20160113151106 Re:

上の話の続きを別の人が書いた続編。文体が少し軽いのが惜しい。もう少し淡々と書いていた方が味があったと思う。


http://anond.hatelabo.jp/20160113192011 好きな人セックスをした。

短いけどなにか切なくなるような文章。ずっと続くといいね


http://anond.hatelabo.jp/20160114015909 ある夕方、駅のホーム

どうってことな日常の寸描だけどほのかなノスタルジアが漂う文章


http://anond.hatelabo.jp/20160119235245 21歳、デートを考える

なんだかかわいい増田都内にお住まいのようなので散歩をすすめる。適当に歩いてもそれはいろいろなものがあるしやがてはどこかの駅に着くから


http://anond.hatelabo.jp/20160121073207 人生賞味期限

人生に遅すぎることなんてない。


http://anond.hatelabo.jp/20160125055451 新年会の後で

続きが気になる。


http://anond.hatelabo.jp/20160127020314 失恋した

そういえば失恋ねたも増田には多い。まあ元気出してね。自己申告がほんとならいい男いくらでも見つかるよ。でもハイヒールでは走らない方がいいよ。


http://anond.hatelabo.jp/20160131160415 TKC会計事務所

会計事務所業務の話。タイトルには TKC って入ってるんだけど、わりと一般的な話も多い気がする。この人たぶん以前個別の事例の話をフェイクを入れつつ書いてた人じゃないかな。そうだったらまたああいうの書いてほしい。
 →消えてた。ざんねん。


http://anond.hatelabo.jp/20160131130635 3速で登った峠は3速で下る

例のバス事故関係の話。碓氷峠の図がかわいいバスでも同じ挙動なんだろうか。


http://anond.hatelabo.jp/20160131091646 Copy__writingと中の人Fall(TM)の動きと女子高生に関する考察(minne事件以降)

最近の動向って意外と見なかった気がする。まあ知ってどうなるものでもないのだが。


http://anond.hatelabo.jp/20160131034108 妹のことを思い出した

持つものと持たざるものの話。一般論としてありそうなのだけど互いの趣味に具体性が欠けていて没入感が低い。



1月分は以上です。たぶんもうやりません大変すぎる。月刊増田でした!

2016-02-28

研究に向いてない学生には全力で就職活動をさせたほうがいいと思うよマジで

今年の卒論修論が一段落した.そこで思うのあるが,研究室学生をみていると,学部修士博士を問わず研究(者)に向いているかってのは,かなり簡単に判断できるよな.研究者として就職できるかってなるとまたコネなど色々な要素が関連してくるので一概にいえないのだが,たとえば「こいつにファースト(筆頭)で論文を書かせて査読を通せそうか」あるいはそういう人間に成長しそうかってのはけっこう早い段階で分かる.

論文の元となる調査実験のものには失敗がつきものなので,卒論修論研究が頑張った割にいいものにならないってのは,運の要素もある.しかしそこはおいといて,「そこそこ意味のある調査結果が得られた場合に,通るんじゃないかと期待を持てる論文を書けるかどうか」は,レポートプレゼン資料論文を書き上げる際の態度みたいなもので,かなり判断できるのだ.

 

その態度というのは,昔から言われている平凡な真実なのでわざわざ言うほどのことでもないんだが,結局のところ研究目的,つまり「何を明らかにしたいのか」をしっかり考えているかということに尽きる.要は「問い」がしっかりしているかどうかということだ.

俺が学生を見るとき注視しているのは,振り返ってみると,

 

  • 先行研究を調べた上で立てている「問い」であるかどうか.まだ調べてない段階であっても,調べようという意識があるかどうか.
  • そいつの心のなかで,その「問い」が切実なものであるか.つまり本当に心の底から「知りたい」「明らかにしたい」と思って言っているかどうか.

 

の2点な気がする.「問い」が明確に定義されているかどうかってのも大事なのだが,それは結局,先行研究を掘っていく中ではっきりしてくるものだと(少なくとも俺が関わっている分野では)言えるので,上記2点をみていればだいたい学生資質は分かる.まぁ,見ていればっていうか,自然に見えてくるものなので,特に頑張って見極めようとしているわけでもないんだが.これらは,「目をみれば分かる」というと文学的すぎるがそれに近いものがあって,ちょっとした会話やメールの文面なんかにも如実に現れてくる.

 

 

それで最近思ったのは,上記2つの態度は,指導してもあまり変わらないんじゃないかということだ(もちろん人は変わることがあるので,見切りを付けるのが早過ぎるのも問題だが,多くの人がイメージするよりも早い段階で,簡単に見抜けるもんですよということをいいたい).

先行研究で既に明らかにされていることは何で,いま自分が取り組もうとしているテーマは先行研究から文脈上にどう位置づけられるのかが「気になる」かどうかというのは,かなり「性格」に左右される問題なんじゃないかという実感がある.真面目な学生であれば,調べろと言えば調べるのだが,言われなくても調べるorまだ調べて無いけどこれから調べなきゃという意識自分で持っている学生と,そうでない学生の間には,大きな壁がある.

また,「問い」が切実であるかどうかというのも,結局は「本当のところどうなのかが気になって仕方がない.だから考える」「人がまだ考えていないことを俺が考えて明らかにしてやりたい」という,ほっといても調査考察が加速していくような「性格」を持っているかどうかで,ほとんど決まる.

 

勉強が好きで,「研究者」という存在になることそのものへの願望が強い学生であったり,非常に優秀で要領の良い学生であったりしても,上記2つの性格」を本当に持ちあわせていない奴はけっこういる.そういう奴には,民間企業や,役所事務官技官を問わず)への就職を勧めることにしている.

たとえば,とても「知的」でしっかり教科書などを読んでいて,「研究」という活動に憧れを抱いているんだけど,自分の頭で考えたことが何か素晴らしいものであるとの思い込みが強く,他人研究を参照する努力を怠ってしまう奴がいる.少し調べると,自分ときの思いつきなんていかにショボイものであるかとか,すでに30年前から議論されているのだというようなことがすぐにわかるのに,それをやらない.

また,めちゃめちゃ頭がよくて努力を惜しまないのだが,何か本質的なことを「明らかにしたい」という願望を強く持っていない奴がいる.そういう奴は,たとえば大手コンサル会社などに就職すると,極めて有能なビジネスマンになっていたりするのであるが,研究職には全く向いていないのだ.

 

たとえば東大学部から大学院に来た学生は,地方国立やそこらへんの私大出身学生よりも優秀なことが多いのであるが,上記1と2を持ちあわせない東大生は,結局のところ研究者としては,それらを持ち合わせる他大出身者にかなわないのだ.東大生京大生は,不向きな道に勘違いして進んでも,脳のスペックである程度まで押し切ってしまうことも多いのだが,どこかで壁に当たるというか,研究に飽きてしまうようなことも多いように思う.(しかしなんだかんだで,旧帝大出身者のほうが,上記1と2を持ち合わせる学生が多いような印象はある.頭がいいけど研究者として使い物にならない学生は,上位私大に多いかな.)

※注記しておくと,オボ何とかさんみたいなのはそれ以前・以外の問題を色々抱えていそうなので,あまり興味がない.

 

 

それで,他の大学研究室教官に言いたくなることがよくあるのは,研究者としての見込みの無いやつに,研究者としての自分のやり方みたいなものについてくることを過度に期待するのはやめたほうがいいでしょということだ.学生本人がどんだけ優秀であっても,どんだけ「研究者」にあこがれていても,向いてない奴には全力で「民間就職」へ向けて頑張らせるべきだ.大学大学院研究の場であり,研究者としての姿をみせるのが仕事だと思っている教授准教授は多いのだが,研究に向いてる学生なんてそう多くはないのだから卒論修論適当にすませておいて,就職活動をがんばるようにと早い段階で言ってやったほうがいいのだ.

あと,研究者としての見込みがないことを見極められずに,うちの研究室学生を送り込んでくる他大の先生方にも困るときがある.まぁこっちは研究室としての学生受け入れの枠はけっこうあるから,最低限の水準をみたしていれば進学はさせるし,途中で化ける奴がいないとは言わないけど,どっちみち民間就職したほうが活躍できる人材には,手前の段階でそのアドバイスをしてやったほうがいいのではないか.

 

まあ,研究に向いてなくても,修士で2年間研究に取り組んだという経験が,企業に入ってからとても役にたったというような話はよく聞くので,そういうのを無くすべきとまで思っているわけではない.こっちは研究が本職だから研究に向いてないやつに指導をして,とりあえず学位をとって卒業するためだけの論文添削をしたりするのもダルいのではあるが,そうやって民間就職組の人生の糧になるようなものを与えてやるのも,大学人としての義務の一つだとは思っている.てか,そういう義務意識のない,研究世界に閉じ込もっているような先生に限って,学生の向き不向きの見分けが付かずに「無駄な進学」や「無駄ゼミ出席」を量産してるんじゃないかという気もするが,どうなんだろうね.俺はどっちかというと,「ゼミなんか出なくていいから企業説明会にでも行ってろ,単位学位ギリギリもらえる程度に仕上げるための指導はちゃんとしてやるからな」ぐらいの意識なのだが.

 

そういえば学部3年から就職活動をするのが,勉学をおろそかにしているとかいって問題化していたと思うが,それもそんなに大問題なんだろうか.たしか大学人としては,学生には,たくさんの論文教科書を読み,データとにらめっこしながらああだこうだ悩むような学生生活を送って欲しいという思いはあるものの,結局のところ研究に向いていない学生にとっては,「そこそこ以上の待遇会社就職できるかどうか」のほうが人生上のインパクトはるかに大きいのだから,もうそっち優先でいいんじゃないのかと思う.

最近進んできたように,企業が一致して就活期間を短縮すれば,同程度に就活を優先していても勉学に割ける時間は多くなるだろうが,「最初にどこに就職するか」はかなり大きく人生を左右すると思うので,就職について考える期間が長いほうがむしろいいという気がしなくもない.

というか,周りでも「就活優先でいいんじゃない?」派の人が多いので,新聞などで早期の就活問題だと書いてあっても,そもそもそんなの問題化してたっけ?という疑問はあるのだが.

だいたい,研究職についている先生方の中にも,学部自体は遊び呆けていて院に進学する間際でなんとなく勉強し,その後なんとなく大学に残り続けているって人はけっこういるぞ.そしてそういう人が,割と尊敬に値する研究業績を挙げていたりもするのだ.そういう先生方は,本質的研究に向いていたか宿命のようなものに沿って研究者として生き残っているのであって,「就活より勉学を優先したから生き残っている」というようなことは全くない.「この人が他人講義に真面目に出席して聴いてる姿なんて想像できない」って人だってけっこういるしな.

2016-02-27

エルフドワーフ現代日本を楽しめるか

以前、エルフドワーフTV見て楽しめるかは微妙な線だと考察した事があるんでここに吐き出しときます

というのも、愛読しているなろう小説で、エルフTV見てるシーンがあったもの・・・

TVって、3色の光源からなる静止画を30fpsで切り替えるシロモノで、

有り体に言って「人間の目を騙す事に特化した機械」なんですよね。

3色しかないのに様々な色に見えるのは、人間錐体細胞が3種類しかないためで、ごくまれにいる4種類の錐体細胞を持つ人には、テレビで見る色と実際の色は異なって感じられるそうです。

エルフドワーフ赤外線視力という闇を見通す目を持っており、おそらく人間とは錐体細胞が違うと思われます

まり、彼らはTVに映った画像の色が変なふうになると思われます

というか、3色の光源が様々な色に見えるのは、画面の解像度人間の目の分解能を超えているからできている事なので、

仮にエルフの目の分解能が人間を遥かに超えていた場合人間でもマサイ族は視力10.0とかあるらしいですが)、

彼らの目には、我々が解像度の粗いディスプレイに目を近づけて見た時のように、もろに「3色の点の集合」に見える可能性があります

ついでにもし動体視力まで人間を超えていた場合、30fpsの切り替わりでも「なめらかな動画」と感じず、「切り替わる静止画」または「カクカク動く動画」と感じられるはずです。

更にTVあくまで平面上に表示する事しかできないので、エルフ深視力(遠近感)が優れていた場合写真TVに映った光景は、あくまで「平面上に描かれた絵」と認識される可能性があります

まり、最悪の場合エルフの目にはTVというのは、「3色のちっちゃいランプがパッパパッパ明滅して砂絵のような物を切り替えていく物体。見てると酔いそう」って感じになる可能性があるんでないかなー

・・・などとつらつら思ったわけであります

昨今、現代日本料理を異世界人に食わせる作品が多発してるわけですが、

味覚の違いとか化学調味料への慣れとか考えたら、あれがゲロ不味に感じられないのって、割と運がいいだけだよなとか考えてるタチの悪い読者のダベリでした。

まあ、TV見て体調崩してゲロ吐くエルフとか、

日本食品食ってゲロ吐く異世界人とか、

ゲートの日本編がゲロインだらけとかなったら誰得ですし、

全然需要がないだろうから誰も書かないだけなんでしょうけどね・・・

なぜうんこ漏れるのかその理論構造考察

なんなのであろうか

スパム増えてる件考察

スパムがくるようになったのは、上場した後頃からだったと思う。

スパムの内容は英語圏リンクが連投するというものだ。

たまに自分スパムに会話をしているようにトラバしてスパムリンクをすることもあった(これは別の愉快犯かもしれない)。

時間帯によっては、1ページ25件のうち20件ほどそれで埋まることもあった。

統計などはとっていないが、どの時間帯でも現れる気がする。

ウイルスとかはなさそうだけど、自分が見た記事はだいたいラグビースポーツ?)ライブ関連のもののようだ。


ちなみに、増田投稿フリーサイトではない。投稿するのに認証必要である

まり翻訳サイトなどではてなアカウントを取得したか日本語が多少使えるのだ。もしくは日本語扱える人が存在する企業組織的ものか。


そして、はてラボ利用規約は下記だ。

http://www.hatena.ne.jp/rule/laborule

5条が禁止事項なのでそこだけ読んだ。

一応、はてなも一部上場企業なので利用規約はきちんとしてる。「公序良俗に反するかあるいは社会的不適切な行動と解される行為」は禁止されている。

明確にそのスパム禁止かというとちょっと難しい気もするが、多数の人間スパムの垢バンを望み、通報したならば、利用規約を盾に平和を守れるのだろうと思う。


しかし、そうはならない。なぜか。

ワタシは2つの推理にたどりついた。


一つ目。

はてなスパムを増やすことにより、増田を閉じる準備をすすめるためだ。

そもそも増田というサービス自体が一部上場企業には不都合だろう。

定期的に、しかも回数が多くスパムがくる、というならばユーザーにも株主にも一応スジが通ることになるだろう。

対処してもどんどん押し寄せてくる。稼ぎもほとんどないコンテンツなので、閉じさせてください。というシナリオを描く。

という、はてな自演で行っているとする推理

この場合、閉じようと思った時期をねらって、スパム投稿がどんどん加速し、内容も過激になっていくだろう。


二つ目

利用規約 5-3-1 を見て欲しい。

第5条(禁止事項)

(中略)

3. ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような本サービス利用上不適切行為を行ってはなりません。

  1. 宣伝や商用を目的とした広告勧誘その他の行為。ただし、当社が特に許諾する場合はその限りではありません。

宣伝、商用行為禁止されている。中身を追ってないので微妙ラインだが、このスパムは商用のストリーミングサービス宣伝にあたるだろう。

1ヶ月ぐらい続いているので、そろそろ禁止されてもいいはずである。なぜ止まらないか。ーーはてなが許諾している・・・

その線でいくと、このスパムサイト・・・一部上場企業提携する予定の海外パートナー・・・

目的はわからないが、そんなパートナーと組んでなにをやるつもりなのか

anond:20160227000822

会社評価するのは(私が受けた)プログラムが、再休職をしないことを目標とするプログラムからです

まり継続して勤務できるようになる、会社にとっても部署根付ことなく再度休職してしまうのは困るからでしょう

さて

増田がどれほど深刻な状況か測りかねますが、素人意見を聞かずに、まずは自治体に問い合わせましょう、この一歩さえあれば就職出来ると

思います

これは安易な励ましでは無く、実際に支援プログラムが始まると人格が云々とごねている場合じゃなくなります

例えば、まずは日常生活リズムを整えることからまり、単にリズムが整ったということではなく具体的に一日の行動を記録させられます

その中から自分がどういった生活の傾向があるとか、ストレスを受けやすい場面とか、体力についてもどれだけ回復しているか分析しながら考察

数値で評価し、今後起きうる状況に対処するための記録文章として残すといった具体的、また半ば機械的カリキュラムプログラムが進みます

この日々何週間も記録することもストレスなのですが、これもストレス耐性を付けるといった違う面でのプログラムの一部です

次に支援室に通所する段階に進み、ストレス対処法、認知行動、ライフワークコミュニケーション法などを座学で履修しま

この通所も通勤を想定していて、毎日決まった時間出所して、数時間拘束されて、その際のストレスを把握して対処方法を身に付けていきます

まり何をどうやったら分からないといったことに悩む必要は無く、カウンセラーとの話し合いで自分に合ったプログラム自分に足りないところを

補間するためのプログラムを組み立てて、実施していきます

_

この支援プログラム自己啓発セミナーではありません、プログラムの中で実際にやってみて(やらされて)身に付けていきます

また受講生はお客さんでは無く、この支援プログラムではストレスに晒されますストレスに晒されてもうまく対処できる方法を身に付けます

カウンセラースタッフ復職支援プロで、彼らは増田が思うより復職の難しさ知っていて、しかしその難しさを乗り越える方法も知っています

考え悩んで家で悶々としているより、この復職支援プログラムの乗ってしまうのです

残念ながらこの支援では就職斡旋してません、資格取得はできません、再就職先に支援プログラム受講といっても通じないと思います

戻る会社がある受講生がほとんではないかと思います

私が受講したプログラムは随時30名(2週間ごとに5名程度卒業、で受講生が入ってくる)

受講生のプライベートなことは探ったりしませんが、上記の通り模擬職場を想定したプログラムでしたので1名くらい再就職するためのスキル

ために受講している方もいたような感じでした

就職の際にカミングアウトするか否かは彼らプロ相談すればいいのです、とにかくソフトランディングする方法を探るのです

_

ちなみに自治体復職支援プログラム受講はタダです

個人の状況によって受講プログラムが変わると思いますが、私は準備に半年プログラムが3か月でした

また病気罹患状況によっても、精神デイケア社会復帰または復職支援と変わると思います

_

稚拙文章で恐縮ですが「とんち」やブラフはありません

また書いていると「私は私は」とダラダラと長くなってしまますので質問があったらどうぞ

いやー書くのに2時間かかったよ

追記

月並みな言い方ですが、6カ月の準備と3カ月のプログラムをこなしたことで復職できる自信が付きましたよ

2016-02-26

会社トイレウンコしながら

しながら、ではないな。もうウンコは済ませて、今トイレットーペーパーを見ながら考察しているところだ。

弊社のトイレは最新式で、ウォシュレットマイクロバブルかいって肛門*を柔らかくしっかりと洗浄するはず。

それがだ、水気を拭うためにトイレットペーパーを当てたら点でウンコちゃんが付いていた。

あれ?肛門*がもう一個できたのだろうか? 痔ろう、いわゆる穴痔というやつか、まったく参ったな。

もう一度念入りに洗浄する、マッサージするように。

悦に入ったところで、トイレットペーパーには拭った水の染みと指の跡が二つ。

肛門*にあてがった指がいつも使う人差し指のところを中指だったのだ。

指一本分の穴位置のずれを新たな肛門*の出現と、脳が勘違いしたのだろう。

ウンコちゃんが残っていたのは反省し以後気を付けます

では結論が出たところで、ウンコも出たことだし永訣のレバーをひねって仕事に戻ろう。

おっと弊社のトイレレバーが無いのを忘れていた、自動で流れる最新式のトイレなのだ

街中で流していないトイレがあったら私だ、許せ

円周率3.14問題雑感

まあ自転車置き場の議論感はあるけど, 自転車置き場の議論楽しいので許してほしい, と言い訳をした上で書く. くだくだしくどうでもいいことを書くのでお暇な方だけどうぞ. 私自身は円周率3.14で教えるべきか否か, というのには特に意見がない. それはそれとして, の話.

追記:増田勝手に半角の不等号を文字実体参照に直すのやめろ!!!!!(全角に直した)

2016-02-25

人狼オンラインサービス終了

ヤフーゲームmixiゲーム内の「人狼オンライン」が2016年3月末でサービス終了。

どこかのゲーム会社に引き継つがず、ゲーム終了らしい。

サービス開始が2014年9月ごろなので、大体1年半(18か月)くらいのサービス期間。

まあ、どちらかというとサービス提供期間は短い方なんだと思う。

ここで、なぜこれだけの期間でサービス終了してしまったのかを考察してみたい。

サービス終了する=売上が上がらないからほとんどがこれでしょう。

ではなぜ売上が上がらないのか?

1)課金要素が少ない。

人狼オンラインは「月額課金制」です。もちろん無料でもプレイ可能です。

月額課金した人は「VIP」と呼ばれ、ゲームルー設立などでかなり優位になります

この月額課金というのが、このコンテンツの月間の売上を確定させてしまっています

そうなると、この売上から開発や運営に回す金額をやりくりしますので、どうしても開発が後手後手に

なってしまったのかな?と思います

2)課金者(VIP)でも無課金でも制限なくプレイできる。

スタミナ制を採用していない為、時間がある人は無課金でもずーーっとプレイが出来ます

また、課金者だからといってチートができる訳ではありません。

※好みの役職になれるカードはありますが、これもランダムです。

この無制限プレイできるというのが、後々響いてきたんだと思います

3)可愛いアバターが少ない。

アバタークリエイターセンスによると思いますが、「絶対欲しい」と思えるようなアバターほとんど

無かったと思います。逆に「こんなアバは目障りだ」というアバが1つあります。(ハゲデブアバ)

アニメ企業コラボすれば良かったと思うんですが、その機会もほとんどなかったです。

4)結局時間がある人に有利

他のゲームは「時間を金で買う」事ができます。 課金して武装強化して一気にレベルアップするパターン

人狼オンラインは「時間がある者が有利」なんです。そこに課金の要素はありませんでした。

これが後からプレイを始める人の障害となったと思います。(後続プレイ参加者の減少)

5)初心者に厳しい

チャットゲームという性格もありますが、初心者は一度チュートリアルをしたら、すぐに野に放たれます

一人プレイモードなんてのもありません。

から「練習モード」なんてのもありますが、これも結局は人対人のゲームになります

この初心者に優しくない環境参入障壁となっていたと思います

6)人格攻撃される事がある

いわゆる荒らしとはまた別のプロ人狼プレイヤーが他のプレイヤー人格攻撃するところを

たまに見かけます普通生活でも疲れて、このネット世界でも人格攻撃されたらたまったもんじゃありません。



結局はスタミナ制を採用しなかった、初心者に厳しい という点が早期のサービス終了になったんじゃないかなーと思いました。

何をそう「呼ぶか」という定義は難しい

初詣起源についての一考察(http://anond.hatelabo.jp/20160225024404)はなかなか面白かったです。

興味をもって、思い立ち調べたのですが、「賽銭」についてのWikiディア記事がなかなか参考になるっぽいです。

そもそも、神仏に供える銭を「投げる」という行為に大変違和感があったのですが、発端が「散米」といって神に供えるのに米を投げるという行為が源流であったかもという説はなかなか興味深く、なんとなくこれが賽銭を投げ入れるという行為につながっているという説には説得力がありました。アジア各地で神社仏閣等にお金を供える箱はあっても、「上から放り込む」式の箱はないのだとか。一般人賽銭をまつる風習室町にさかのぼり、記録上最初賽銭箱は1540年鶴岡八幡宮におかれたとか、そういった記述を見ると、なるほど増田さんのおっしゃるように、戦国期には、今日の我々の行動につながる神社参詣のひとつの形が生まれているのかもしれません。

ただ、そういった神への感謝の独特な表し方の一端が初詣につながっているとしても、「お正月に着飾って物詣にまいりましょう。これが日本のよき風俗です」とやらかしてうまうまと伝統の衣をかぶせやがったのが明治末期の鉄道屋連中であることはハッキリしておるわけで、嘘を吐くときに何かもっともらしい由縁を持ち出してくるのは、その手の広告屋のやり口ですから、上記のようなことがあるとしても、それでそのまま「初詣日本の伝統」とはならないわけです。婚約指輪とか、あるいは近い例では恵方巻とか。いくら由緒があろうが、それらが商業的な都合によるキャンペーンなどで「作られた伝統であることはゆるぎないわけですね。たとえば、新興宗教既存神様を祀ったところで、その宗教伝統ある宗教ということにはならない。それと同じです。

ただ、もちろん「作られた伝統」の中にも、定着するもの/しないものが歴然とあるのは事実です。それらは、単に「よい風習だと感じられたから残った」ものもあれば、どこかで伝統リンクする部分があって定着するための下地があった場合もあると思います。上のたとえを使うなら、ある新興宗教成功したとしたら、それが「新興宗教であることはゆるぎないとしても、どこかで合理性、あるいは伝統との関連性を持ち得ているという可能性はある。

ですから、「下地があった」ことからすぐに「作られた伝統ではない!」という発想に飛びつくのではなく、「定着した」という事実があったとき、それをもとに理由を調べてみるという態度が大切です。文化というのがどのような関連をもちうるものか、それ自体が定かではないわけですから、由来や起源を事細かに言い立てて変に権威化を図るより、素直に目の前のことを分析することの方に理があると思います

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

http://anond.hatelabo.jp/20160221211517

 ブログではその後、キャラクター描写観点から批判が展開されている。自分アニメラブライブキャラクター描写について感じたことについては既に言及した部分が多いが、この部分の論述についても内容的には概ね同意できるものである

 ただ、だからそそう考えるのであれば、突っ込みたい箇所がある。

以下では、以上で書いてきたのと本質的には同じことを別の観点から論じてみたい。それは、キャラクター描写という観点である

(中略)

このように8人のメンバー主体性が奪われてきた一方で、それと反比例するかのように各メンバー薄っぺらキャラ付けは強化されてきた。(中略)

たとえばこの劇場版において花陽が最も目立つシーンは、花陽がいつも通りにお米キチガイであるということがこれでもかというぐらいにしつこく描かれるシーンである。この劇場版において、花陽がどういう想いでアイドル活動をやっているのかとか、メンバーとのあいだにどんな新しい人間関係が生まれたのかとか、そういうことは全然描かれない。その代わりに、とにかく花陽はお米が大好きで白米が食べられないと気が狂ってしまうほどだということだけが強調されるのである。端的に言って、この映画を作った人たちは小泉花陽バカにしているのではないかと思う。


キャラ付けにおいては現実アイドルだってそんなもんじゃないかと思う人がいるかもしれないが、そうではない。たとえば、いつもカメラ目線を絶やさず満開の笑顔視聴者アピールする「まゆゆ」という優等生キャラクターがなぜ魅力的なのか。それは、ファンがそこに渡辺麻友の野心の大きさと意志の強さ、そして完璧アイドル像への執念を見て取るからであるスキャンダルで名を売ったり、アイドルの殻を破る破天荒な行動を取るメンバーたちが人気を集めるなかで、それでもなお自分が信じた理想アイドル像にこだわり、それに徹しようとしている。アイドルファン距離がぐっと縮まった現代において、完璧アイドルを演じ続けることの困難さ、時代遅れさを自覚しつつも、それでもなおその道を貫こうとしている。その職人気質ストイックさ、生き方が人を惹きつけるわけである。このように、アイドルキャラ付けは表面的にわかやすものであると同時に、その人の人生や信念と深く結びついたものでもあるからこそ、見る人の心を惹きつける。アイドル人間からこそ、魅力的なのだ


翻って劇場版ラブライブ!』において、我々は花陽の白米キチキャラに何を見ればいいのか。あるいは、一様にニコニコとして歌い踊るμ'sの9人のその笑顔の裏に何を見られるのか。それこそが問題なのだが、今の制作陣にそのような問題意識はまるでないようで、判で押したような浅薄キャラ付けを毎度繰り返すばかりである。もちろん、判で押したようなキャラ付け普遍的に悪いと言っているわけではない。そういうキャラクターが適している作品だってある。しかし『ラブライブ!』は、元々はそういうキャラ付けをする作品ではなかった。それなのに作品人気が高まりファン層が入れ替わるにつれて、人間を描こうという当初のスタンスがすっかり失われてしまった。雑誌連載時代そして第1期の頃に比べて、μ'sメンバーの魅力がめっきり減ってしまったように感じられるのは本当に残念なことである。『ラブライブ!』を、こんな消費の仕方をするための作品にしないでほしかった。(以下略)

 この批判においても現実アイドルである渡辺麻友比較対象に出されている。AKBについてはあまり詳しくはないので渡辺麻友が実際語られている通りのアイドルなのかは分からないが、ここで語られている渡辺麻友の魅力を読むと自分にはかつて存在したあるスクールアイドルの姿が思い起こされるのである

 言わずもがな矢澤にこである

 アニメ以前の矢澤にこプライベート含めて完璧アイドルに近い存在として描かれていた。また、本人も最高のアイドルになれる器だと自覚し、なろうと努力を続けている存在であったし、その姿勢ポテンシャルメンバー尊敬を集めたりしてもいた。(公野櫻子原案鴇田アルミ作画漫画版過去CDドラマ参照)

 そのようなにこのキャラクター性、物語性が人気と支持を得て総選挙1位も獲得したし、自分などはこのキャラクターもっと様々な舞台で見てみたいと期待していたのだが、TVアニメ以降は大幅な設定改変を行われて、矢澤にこというキャラクターは闇に葬り去られてしまった。

 TVアニメではかつての設定は面白おかしねじ曲げられてネタにされるのみであり、後輩含めた他のメンバーから馬鹿にされることばかりで、本人もアイドルになりたいというよりはただのアイドルオタクという部分が強調され、努力の跡はあまり見られない。

 京極尚彦花田十輝両氏は元々典型的先輩らしさがなかった絵里以外の3年生キャラを先輩らしい役割を与えたかったために矢澤にこ東條希キャラクターを改変したらしい(電撃ラブライブ!3学期参照)が、TVアニメのにこの良い意味での先輩らしさは1期終盤の数箇所くらいであり、他は悪い意味でただ偉そうにするだけの残念な存在として描写されている。その点を抜きにしても適当ににっこにっこにーと言わせておけばいいというように薄っぺらく判を押されただけのキャラクターとしてアニメ以降のファンに印象付けさせられてしまった。

 つまり、前半にも同様の指摘をしたように第1期の時点でキャラクター人間として描こうとする当初のスタンスは失われていたことを指摘しておきたい。

 ブログ著者の批判の仕方はもっとであるが、渡辺麻友をそのように態々例に出して語りながら、矢澤にこをはじめとするTVアニメ以降のキャラクターの改変について無視して語り通すことに違和感を覚えるし、所詮第1期アニメについては盲目的な信者である所以が見え隠れする。

 第1期をはじめとするアニメ版劇場版評価する人の存在も個人の好み故に仕方のない部分だが、2期や劇場版キャラクター性や物語性をあのように初期や現実アイドル比較する論理から批判しておいて1期は問題なく賛美する見方に関しては異議を唱えたい。


 結局批判に近いような形で締めてしまったが、基本的には概ね同意できる内容であるし、劇場版公開間もない頃にはっきりと内容を批判する記事を公開したのは当時は勿論だったが今から考えても意欲的な試みで素晴らしかったと思う。それまでファンアンチ盲目的で説得力と内容のない賛美と批判ばかりがありふれていた中で、ファンに多少は内容に目を向けるように刺激を与えた意味画期的ものだった。

 彼の批判たまたま拡散されたからというのもあるが、個人的に、TVアニメ化以降のラブライブ関係イベントで最も興味深く見る価値があったのはアニメの内容やライブ紅白出場などよりも彼の批判ブログとその反応関係だったのではとすら思っている。

劇場版ラブライブ!批判考察

http://anond.hatelabo.jp/20160221211019

しかにμ'sのメンバー二次元キャラクターであり、実在する人物ではない。しかし、雑誌連載時代ファン彼女らがまるで生きている人間であるかのように交流応援してきたのではなかっただろうか。もちろん本当に生きているわけではないと知りつつも、それでも彼女らの人生を共有できると信じる真摯姿勢、それこそがTV版第1期の物語を生み出した原動力であったと思う。劇場版脚本では、そのような真摯さはすっかり失われてしまった。μ'sのメンバーはこれまでどのような人生を歩んできて、どういう動機でμ'sに参加し、何を考えて今まで活動してきたのか、そして今後はどうするつもりなのか。それらのことを踏まえれば、μ'sはどのような結末を迎えるのがふさわしかったのか。そういったことを真剣に考えた上で脚本を練り込んでほしかった。


アイドルは単に華やかに笑顔で歌って踊っているから魅力的なのだとか、メンバー同士仲睦まじく百合関係性を構築しているから魅力的なのだかいうのは、それぞれ一つのアイドルであるし、それ自体が悪いわけではない。しかし、アニメ制作陣、つまりアイドルを生み出す側の人間までそのようなアイドル観に染まってしまってはならなかった。アイドルにはそれぞれの人生があり、物語性があるからこそ魅力的なのだ。そのことをわかってほしかったと思う。

 ここで述べられている通り、アニメ以前のラブライブというプロジェクトの魅力はμ'sのキャラクター実在するアイドルのように描写し、またファン自らがアイドルと自らを実在するアイドルとそのファンのように認識応援するスタイルであったことである

 ただ、ブログにおいては、その姿勢過程TV版第1期を生み出した原動力になったとまとめられているが、その点については異議を唱えたい。

 この部分においてはμ'sのメンバーそれぞれの人生物語性と、その重要性について述べられており、また、雑誌連載時代、つまり初期やアニメ化以前の内容やファンについて言及しているのだから、それを持ち出す際には当時のキャラクター設定やコンセプトについて思いを馳せておくべきである。そして、そうすると上述のようにそれまでのキャラクタープロジェクトの歩みを表面的にしか理解配慮せずに改変・軽視したのがTVアニメ第1期であるし、その経緯については第1期直後の脚本家インタビューで語られている。

 つまりブログ著者が言うようにメンバーを生きている人間であるようにとらえ応援するのであればTV第1期の時点でアニメ価値体系を崩壊させているのである特に矢澤にこ東條希西木野真姫は誤差やアレンジという範囲を超えた別人である。また、それぞれのキャラ作品内人気は低くなかったのでアイドルや一人のキャラクターとして見た場合改変の必要性はなかった。特に矢澤にこ総選挙1位を獲得しており最上クラスの人気を誇っていたのだから、あらゆる面において一人の人間としてキャラクターとして配慮されていたとは言えない。西木野真姫に関してもμ'sの名付け親として知られる最古参の一人御児勇馬氏Twitterキャラクター改変を嘆いていたほどであり、本当に生きている人間の一人、初期から続くキャラクターの魅力や物語性を重視して応援するならばアニメ版は第1期から問題が大いにあることを主張しておかなければならない。

 また、現在ファンの多くが主張する百合さえあればいいという価値観についても矛盾があることがその点から導き出せる部分がある。現在ラブライブ百合好き界隈において人気ナンバーワンのカップリングといえば恐らく「にこまき」なのだろうと思われるが、そもそも今のにこまきが人気を得た大元の原因は何かといえばアニメ以前よりにこまきが人気だったことが影響している。その延長線上で新規参入ファンもにこまきを嗜もうという流れから人気が高まった過程自分は感知していた。

 しかし、アニメ以前に人気を得たにこまきのカップリング性質というのは現在のものとは180度違うものである。先述したように矢澤にこ西木野真姫アニメ以前と以後では大きくキャラクター立場が変わっており別人である名前と見た目の記号条件が同じだけの別人同士のカップリング伝統カップリングのように捉えられて人気を得ている現状は苦笑いするしかなく、ブログ著者が主張するように現在ラブライバーの大半は物語性軽視甚だしいだけでなくただの百合好きとして見てもただ状況に流されるだけで本当に百合キャラクター関係性や魅力を捉えて楽しんでいるかすら怪しいファンが多すぎるのではないかと考えられる。いわゆるラブライバーである自分が好き状態であるし、細かくいえば○○(任意キャラ/楽曲/カップリングなど)を尊いと言う自分が好きという状態でその中身への興味や理解が足りなすぎるのである

 …というように突っ込んでいくと、TVアニメ版のキャラクター物語性の価値が第1期も含めて崩壊してしまうので、第1期を高く評価しているブログ著者としては都合が悪かった理由があるかもしれない。

 また、それらに付け加えて言及するべきなのがアニメ第2期放送中に物議を醸した海外ドラマglee盗作疑惑問題の件である劇場版や第2期を中心としたアニメラブライブの行き当たりばったりの内容を批判する際には説を補強するためにも言及する価値必要のある問題だと思うが、件のブログにおいて言及がないことが残念である。主に彼の批判文を読むのが作品批判に慣れていないラブライバーであるため、または彼の所属していたコミュニティにそのようなファンが多いために遠慮した部分もあるかもしれない。

 あれがオマージュなのか盗作なのかという問題以前に、盗作引用などする必要なくコンセプトや設定がちゃんと存在しているプロジェクト作品に、無関係場所から話や設定を引っ張ってきてそれをなぞらせるために設定や物語ねじ曲げる行為自体が、ブログ著者が主張するようなキャラクター実在人間の一人としてとらえるような観点作品物語性を重視する観点で見たら大問題であるし、キャラクター作品を愛するファンであれば問題視し怒って然るべき問題だと感じるが、疑惑が立ち上った途端にラブライバーの多くは黙り込んだり、それを持ち出して批判する者を無差別アンチ認定して閉じこもり無理矢理な擁護に回ったのを見て自分はこのプロジェクトには本当にキャラクター作品の内容を愛しているファンはまともに存在しないことが分かりもうこのプロジェクトは駄目だと確信したのを記憶している。

 以後、その予想が当たり、公式はその件を反省することはなく逆に開き直って先導するような形でそのような流れがラブライブプロジェクト全体に蔓延した現状があるわけである

 そのような流れを受けて流石に劇場版以後からありがとうプロジェクトに至るまでの間に、ブログ著者をはじめ、少しはプロジェクトのあり方に疑問を抱く人が増えたようではあるが、先述したように盗作疑惑の件や設定改変や統一化の闇について語る者は依然として少なく残念に感じる。

劇場版ラブライブ!批判考察

 一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!批判記事があった。

 それは、おりあそ氏による

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html

である


 自分TVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品うんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。

 そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。

 批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブ表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。


彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判問題提起が始まる。

しかし、アニメラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである


問題点明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭りアイドル臨時総会~」といって、普段ライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベント話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版クライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。


実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドル人生物語象徴するイベントだったかである。もともと指原は故郷大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京自分自身AKBメンバーとなり、ブレイク果たしてこのようなイベント企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタク成り上がりストーリー体現たからこそ、感動的なイベントだったのである

 この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元アイドルアニメというジャンル批評実在アイドルAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。


 実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソード写真が残っているようである

 そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分リスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭り主催したことは確かに快挙である

 そして、この「ゆび祭り」というイベントチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在アイドル達やアイドルオタク還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。


 それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭り比較されながら述べられているのが以下である

では、アニメラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドル未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルことなんかちっとも考えてこなかったのである最後最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

 指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭り主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。

 廃校を阻止しようという目標最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。

 また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベント比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現揶揄されても仕方がないものといえる。

 一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものであるしかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルファンへの還元の面でも現実アイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。

 したがって、あのスクールアイドルお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブ劇場版というお祭り観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。


 その次に述べられているのが劇場版単体の内容の問題点である

今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係ストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人交流したりするだけである。また、ニューヨーク迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガー出会いホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガー帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画キーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画ストーリー全然そぐわないなど、とにかくこの映画脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである

 と、ここも個人的意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。

 そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。

 たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来コンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味もつながってくることになる。

 しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標プロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。

 アニメラブライブ肯定的ファンの間では「アイドル活動廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。

 また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京関東地区では。

 ところが、劇場版はその描写から矛盾点を生じさせている。

 脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東空港である日本空港に帰ってきたところでファン出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版アニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係ストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである


 続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。

さて、劇場版ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである


ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本二次元コンテンツ代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバー共感したり、あるいは彼女から何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品のものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本崩壊だと考えられるのである

 そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。

 何故かというと、このアニメラブライブ脚本家である花田十輝氏や監督京極尚彦氏は自分たち志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)

 いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案公野櫻子であるため、彼らは作品物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務責任を負わなければ話にならない。

 本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである

http://anond.hatelabo.jp/20160221060618

こういう考察不思議しょうがない。

モテない童貞オタクとかに多いんだけど、女性人間扱いしてないやつって結構いるように見える

モテない童貞オタクが周りにたくさんいる環境ってなんなの?

そういう人ってボッチだったりしないの?

男同士だったとしてもそんなに人と関わったりするの?

2016-02-17

埼玉県ダサい歴史的必然性を考察する

埼玉県ダサい

都道府県魅力度ランキングで、毎度ワースト争いをするのも致し方ないといえる程度にはダサい

埼玉県に生まれ育った自分が言うんだから、間違いない。

そもそも、律令国時代には「武蔵国」として、埼玉県東京都と一体だったのだ。

で、武蔵国から東京を分離した「あまりの部分」が現在埼玉県なのだから、これがダサくなくてなんであろう。

(余談ながら、ことあるごとに埼玉はおろか、東京すらも下に見る、あの鼻持ちならない「横浜」という地域の大半も、

かつては「武蔵国」であって、そういう意味では、横浜埼玉兄弟であって、ペリーの来航による開港がなければ、

せいぜい千葉と同程度の存在だったはずである)。

日本の各地に行くと、県庁所在地がもとは城下町であって、

かつての城跡あたりに県庁やら市役所やらNHKやらが集まっている地域が多い。

そこには、それぞれに領主がいて、城下繁栄させ独自文化産業をはぐくんでいたのだろうが、

埼玉県県庁所在地であるさいたま市城下町ではない。

合併前の県庁所在地たる旧浦和市は、ただの小さな宿場町だ。

さしたる文化的な蓄積がない。

そもそも幕府の直轄領だったらしいから、まあ、東京江戸)の一部みたいなもので、独自性へったくれもない。

埼玉にある「城下町」で、かつて最も栄えたのは川越だろう。

実際、小江戸と言われたこの街には、日本百名城の一つがあるし、寺社仏閣や蔵造の街並みが観光資源として使える程度には残っている。

にもかかわらず、今一つ存在感が薄いのは、この地をがっちりと育ててきた大名存在しないからではないか。

川越藩というのは藩主がたびたび替わっている。

大坂の陣江戸留守居役を務めた酒井重忠とか、家光・家綱に仕えた酒井忠勝とか、

知恵伊豆こと松平信綱とか、綱吉の寵愛を受けた大老柳沢吉保とか

それなりのビッグネーム藩主だったりするのだが

これは要するに、徳川政権高級官僚が、江戸の手近のところに領地を与えられたという話であって、

川越の殿様」というより「江戸幕府の重臣」だろう。

これはつまり高級官僚官舎埼玉県にあったみたいな話で、

「優秀な人ほど、東京通勤していて、地元にそんなに愛着がない」という

現在埼玉県と一緒じゃねえか。

かくて江戸時代から現在に至るまで、

埼玉県は「東京を支える」役割を、地味に担わされてきた。


西武線沿線東武東上線沿線JR東北・高崎線沿線東武伊勢崎線沿線と、

東京と各地を結ぶ鉄道沿線沿いに都市圏が発達し、住民はなにかと東京のほうを向いていて

県内の各地域の「横の連携」が弱く、それ故に県としての一体感が弱いのも埼玉県の特徴だ。

たとえば「埼玉西武ライオンズ」といっても、さいたま市あたりの住民などは、ほとんど愛着がない。

なにしろライオンズ本拠地たる所沢に行こうにも、鉄道で行くとなると、

いったん、池袋埼玉県であるとの説もあるが、行政区画としては東京都)に出なければならないのだ。

愛着なぞ沸くはずもない。

こうした地域の分断も、江戸時代以前に起源を有する。

なぜなら、各地域の基盤となっている前述の鉄道路線が、おおむねかつての街道筋に沿っているかである

かくて、独自文化も今一つ発達せず、地域が分断されている埼玉県ダサいのは、

歴史的必然なのである

毒にも薬にもならないコメントなら不要

あるまとめブログを見ている

記事自体別にいい

でも記事最後管理人の毒にも薬にもならないコメントがあるのがイラッとする

例えば装備考察についてのまとめのラストで「無理せず最適な装備を選びたいですね」とか。

張り付きが必要イベント記事ラストで「体調には気をつけてのぞみたいですね」

はあ?マジはあ?って感じ

ほんとクソみたいなコメントセンスのかけらもない

マジでやめてほしい

ほんといらない

2016-02-14

世の中アカデミックなことにコンプレックスのあるやつ多いな

http://togetter.com/li/929278

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/929278

魔女宅配便で、落ちる人を片手で掴むのがすごいみたいな話が大受け

http://blog-imgs-11.fc2.com/h/o/m/hom16ichirou/kyo8-6.jpg

↑でも、アニメでこういう崖から落ちそうになって片手でキャッチというシーンはよくあって、物理計算とかできなくても「現実には無理だよな」ってのは分かるよな。

空想科学とかでもそうだけど、普通は「まあアニメから」みたいにいちいちツッコミいれてないような事でも「科学的に考察するとこうです」みたいなことを言われると、やたらと面白がって感心するのって、なにかこういう方面コンプレックスのある人たちなんだろうなと思ってる。

2016-02-12

たとえば、オリンピック選手子供産んで、親兼コーチとして指導して、子供オリンピックに出たりすると、親子二人三脚美談になるわけだけれど、政治家子供産んでしっかり帝王学授けて子供議員になったという話はあんまり美談にならない。

なぜなのか、考察に値するような気がしている。

2016-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20160208203416

文系でも検証したり考察したりするけどね。

例えばスポーツマラソンしたり短距離走をする時にタイムを図る。

図ったタイムは何回走ったかを見比べたりどうすれば早く走れるか軽くなるかを調べる。

それは理系じゃなくても可能なんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20160208202908

理科は、分野によるが実験や観察を行う。

実物を見て、実際に自分の手で操作して検証考察する。

これは社会においても必要なことでは?

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