はてなキーワード: 英訳とは
あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいたものの、何となくツイッターでブルマーと検索したときに、ヨーロッパの女の子のブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちら。フェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧のブルマーの普及っていつからだったんだ?
以前の調査でも、チェコやポーランドにもブルマーが存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学や音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。
社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。
体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義の時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。
男子は白いタンクトップに赤い短パン、女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象は階級のない社会主義の未来の象徴だった。これは1965年、チェコの3回目のSpartakiada(東側の体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗の三色を再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。
女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。
ちなみに、この時代の運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。
Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory
https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html
プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコの国民性の形成に重要な役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家からの独立を目指す意図を持っていた。
ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年にスラヴ・ソコル連盟が設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国の連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能なマスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。
両大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動を禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動を禁止され、協会は国外で活動を継続した。1948年にプラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。
チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会が1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。
なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民を教育しようとしたこの運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族の自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)
ソビエト連邦がスポンサーになったスポーツの大会である。ソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前はスパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義を象徴する。貴族的・資本主義的な(古代)オリンピックとの対比になっている。
その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。
1955年から5年ごとに開かれたが、1970年はプラハの春で中止、1990年はビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。
1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームやパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。
https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]
経緯としては、デイリーメールによって、2019年にバルサが来日した際に以下の様な動画が撮影され、その内容が問題であることを報じられた事に始まった問題だけど
デンベレ選手やグリーズマン選手らを処罰して個人の意識の問題にすることに違和感を感じている、と言う話。
個人的には、両選手が日本人を特別に嘲笑って差別しているという風には感じなかったけど、問題の根はもっと深くてエグイなとも感じた。
https://www.youtube.com/watch?v=xgZJC6QAZgA
フランス語の以下の英訳が差別的な発言であるという印象を強めている。
スラング入りなので意訳してみると
「この連中は何だ?お前がPESを遊べるようにするためにいるのか?そんなことの為に、こんな連中呼んではずかしくねぇのかよ?」、この連中を直訳して醜い顔の連中と置き換えるとセンセーションではある。
「は?何言ってんだか分からねぇよ」、どんな遅れた言葉だよ、って直訳するとヤバさは際立ちますね。
「お前らはこの国じゃ技術のある人間じゃないのかよ?」、これは直訳も糞もなく字義通りでしょう。
俺の最初の印象としては、「なんだ?このガキは。癇癪起こしてんじゃねぇよ」って感じだったけど、世論は一気に吹き上がった感があって不思議ではあった。
辻氏だけではなく複数のフランス語話者が、意図的な誤訳が含まれるという点を指摘しているけれど、俺は英語は使えてもフランス語は全く分からんので真偽の判定は難しい。DeelL翻訳で英語にしてみる。
フランス語の抜出を辻氏が嘘をついてる可能性も考えないではないが、公開されている映像で、辻仁成ほど名の知れた人がそれをやる意味が見いだせないので内容は信じたい。
Toutes ces sales gueules pour jouer un PES bordel! Ils n’ont pas honte?
All these ugly faces to play a PES damn! Don't they have any shame?
「この醜い連中はPESを遊ぶ為にいる、恥ずかしくないのか?」醜い顔が恥ずかしいと言ってる様な文脈にはとても思えない。
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-1980/
これは日本で起こったことですが、世界のどこで起こってもおかしくないことであり、場所に関係なく同じ言葉を使っていたと思います。特定のコミュニティに向けたものではありません
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2ec34c371d23a3bc97547d6028d4d728f48906e
と言っているけれど、俺はこの発言は言い逃れやいい訳ではなくて、本当にそうなのだろうと思った。
理由は、経緯をおいつつ発言の内容を英語で理解しようとした時に、デンベレ選手は「作業がスムーズに進まないで、要求が満たされない事にキレ散らかしてる」としか思えなかったからだ。
あの場面で、作業をしている人にフランス語話者がいれば酷い罵倒に取られる訳で、いかに職業意識が高い日本人でも、要求にスマートに答えられない申し訳なさよりも怒りが勝つかもしれない。
それくらいリスペクトに欠けた言葉遣いだったことは疑いないけど、差別のつもりではなかったってのは、そうなのだろうと理解はした。
今分かる事は、日本人に対して差別の意識があるかどうかはともかくとして、デンベレ選手自身は、汚いスラングを使って日常的に会話する人であるという事だろう。
サッカー選手はジネディーヌ・ジダン氏からして、デンベレ選手同様に移民の子であり、犯罪率も高いスラムの様な場所で育ちサッカー選手としての才能と努力でのし上がって来た成功者が多い。
ブラジル人だと、毎日誰かが殺されるようなスラムから抜け出す事が出来て嬉しい、と言うようなことを来日した選手がいっていることはよくある。そして、彼らは家族や仲間への愛情がひときわ強い。
欧州に今もなお健在の階級の壁を才能によって超えたとはいっても、彼らの育ったバックグラウンドが消える訳じゃない。地元に戻って友達と話せば、上品な言葉ではなく、スラング交じりのカッコつけた言葉で話するだろう。
日本でも、ほとんど耳にすることもないけれど、ヤンキーが、サツカンとか、ポリとか警察を呼ぶような俗語があった。今も不良少年の間で、俗語が使われてるかは知らんけど、世界中のどこにでもあるだろう。
日本の不良少年は大人になり社会に出るとそういう俗語は捨てる(だけの教養は自然と備わる)が、同じような立場の選手も多いサッカー選手同士だと、そんな話し方が常態化してるのかもしれない。
フランスの中で放置され、隔絶され、隠されてる貧困層の文化を持った青年が、選手として成功する事で、地元の仲間内では普通の文化を表社会に見せてしまう事があるという事なんだろう。
フランス人も含めて世界中で、これは差別だと一斉に叩いているけれど、欧米人お得意のポリコレこん棒の過剰な振り回しの側面は否めないと思う。
同時に、フランスの恥部に向き合う事なく、選手個人の問題にして切り離そうとしてるのが更に酷い問題に思えた。
社会に存在する階級の差を放置したまま、ポリコレこん棒で叩いて表立った問題は起こさない様にしたところで、本当の差別は消えないだろう。
貧しいものは、自分たちの仕事を奪う移民を嫌うのは、昨今の欧米の時事を追えば誰にでもわかることだ。そこから差別が生まれ続ける。
デンベレ選手の問題を個人の恥ずべき行動だと切り離して、階級の差から目を背けている間は、フランスの社会が差別をなくすことなんて200%出来ないなと強く思う。
スラングが表に出てくるのが嫌なら、階級の差をなくして、移民差別黒人差別も無くして、きちんと教育して社会に送り出せ。これは、ただのフランスの恥でしかないし、日本人が付き合って怒ってやるのも馬鹿らしい話だ。
https://twitter.com/DabadieTV/status/1412191937495388160
フローラン・ダバディ氏が、本質的なところでは同意見だということで、ほらなと言う感じだ。
フランスが目を背けて逃げてる移民・黒人との階級の差が、成功によって日の目を見てるだけなのだ。十分な教育が行き届いてない事実が見えるだけだ。
YOASOBI「Into the night」はご存知でしょうか?
「夜に駆ける」の英訳バージョンとして発表されたこの楽曲、まずはとりあえず日本語バージョンから聴いてみてください。そのあと英語バージョンへ。
https://www.uta-net.com/song/284748/
https://www.uta-net.com/song/304176/
そう、この楽曲、「日本語の発音に英語を当てはめながら英訳としても意味を成している」んですね。
この英訳の音の当てはめ方。聴いた瞬間にもう膝を打ってしまったわけですが、英語の成績はそこまで良くなかった私では英訳の上手さを十分に理解しきれない、よりこの英訳について掘り下げたい!と思い、英語が堪能な友人と少しTwitterのDMで話し合ってみました。
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自分…日本在住。英語は多少の理解、会話が可能。(簡単な道案内ができる程度)
文法はなどはあまり理解しておらず、ノリと勢いで会話を乗り切る人間。
英会話で困った時は「幼稚園の子供に話すようにしゃべって!」と言って苦笑いされるタイプ。
友人…英国在住。英語話者のパートナーを持つ。学生時代から成績優秀。語学に堪能であり、大学では談話分析などに触れる。
最近ではTwitterでゆるく繋がっているくらいの距離感であり、一対一で会話のやりとりをするのは数年ぶりでした。
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急な連絡ごめんなさい!
ちょっと気になったことを聞いてみたくて英語に堪能なあなたにご連絡した次第です。
暇なときにふわっとなんか返してくれると嬉しいな!
日本で最近有名なアーティストさんが、もともと日本語の曲を全部英訳して英語バージョンを出したのね。
聞くとわかるかと思うけど「日本語の発音を英語バージョンでも織り交ぜて似た響き」にしてるんだよね。
日: 沈むように溶けていくように
英: Seize a move, you're on me, falling, and we were dissolving.
みたいな。
自分は聞いたとき、うわっ、日本語への音の一致が巧みすぎるな!と感動したんだけどふと疑問に思って。
これって英訳としてちゃんと意味を成した歌詞になってるのかな?
簡単な英文なら読めるけど詳しい文法とかになるとてんでダメだから詳しい方の分析を聞いてみたい!っていう、ほんとただ趣味の質問でした。
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友人
むしろ大歓迎!
YOASOBIのこの曲はギリ知ってますよー。
耳に残りやすい語尾は完全に一致されるように作られてると思う。
(例えば「沈むように」「騒がしい」とか)
あまり日常的には聞かないような文章の作り方をしてる部分があるかな。
例えば、サビのSaw what got seen hid beneath, and louder nights keep beatingは、
「騒がしい日々に笑えない君に」を指してるけど
日本語では騒がしい日々という一つの句になってる部分が、louder nights keep beatingが英詞一つの文に落とし込んでたり。
Saw what got seen hid beneathは本来の英文法だったら、(I) saw what (I) got seen (is) hid(den) beneath.
意味も「僕は見たもの( i.e. 君)が影に隠してるのを見た」だしね。
それが完全に変とは言えないけどね。
Be動詞を全部ain’tに変えたりとか、
三人称単数のhasになるところをhaveにしてみたりとかさ。
あと、英語はどうしても主語ありきなところと、1拍に一音以上乗せられるから※、
新たな情景が多少追加されてる部分があるかな。
具体的にはAメロのSeize a move, you’re on meは
直訳は「動きを止めて、君は僕にいる ( = コントロール下にいるイメージ)」は
サビのI’m going to youは歌い手の「僕」が「君」に近づいてっちゃってるプラス、
You could run with meとか更に逃げ道の選択肢を与えてる気がするかな。
日本語の発音でcatを言ったら、キャ-ット (kya-tto)で二拍必要になる
→ 同じメロディ・拍数があっても載せられる情報量が変わってくる。
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こういうのを待ってた!!!
めちゃくちゃに勉強になる〜、一拍に一音の説明もわかりやすい…最高…。
意味はほぼ一致してるという点は自分もそう読み取ってたから合っててよかった〜情景の描写とかは割と忠実だよね。
自分が引っかかってたのは
「英訳の方が歌詞の主観者が能動的」だなぁって若干感じていたんだよね。(意味伝わるかな…)
「二人今、夜に駆け出していく」
が、二人と描写されてるからここだけ第三者目線で描かれて「僕」から離れているのに対して英訳では
「you and me are running through the night in the dark, I'll take you」
となって、視点が「僕」から変わらないままである。なおかつただ駆け出すだけでなくI'll take you.つまり「僕が君を連れ出す」と能動的に動いている。
この辺りの視点の違いになんとなく不思議な感覚を覚えたので今回質問に至ったんだよね。
でも「英語は主語ありき」という説明でめちゃくちゃに腑に落ちた!
英語だと音を詰められるから歌詞を追加する必要があるのと主語をハッキリさせる必要があったために、そこで新たな描写が増えていて「僕」の主観がより顕著になっていたと!!
そういう解釈…であってるよね?
いやこれめちゃくちゃ楽しいわ、こんな楽しい会話ができる素敵な方、君しかいないわ〜!!本当に付き合ってくれてありがとう!!
あと主語ありきの話で言うと、よくよく考えると日本語だと少なくとも歌詞の世界の中では君と僕に性別は設定されてない(想定されているかもしれないが明言はされていない)のに対して英語版だとSheと少なくとも「君=女性」と確定しているのもなんとも言語の特徴が表れてるな〜って感じました。
なんかもうちょっと情緒というか、三人称に性別の明確性を持たない言葉があればいいのにね〜ってちょっとだけ思った、蛇足だけど。
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友人
そうだね、多分能動的だなって感じるのは、
英訳版が主語が明確じゃない部分でさえも主語を明示的にしてるのと、
拍の量と文化的に「僕」の描写を若干足してるからだと思うんだ。
というのも追加された「僕」の描写や純粋な日本語の訳を考えたときに、
英語に直した時にやっぱり誰の話?というか
誰が動いてるのかが顕著に足りない気がするんだよね。
君のいう通り、
歌詞に「二人」という表現がいくつも出てきて、僕と君から視点が離れてるけど、
日本語では感覚的と前後の文章で君と僕 (you and me)の話をしてることがすぐに分かるじゃない?
英語だと both of them, both of you, two people, both of us, theyとか選択出てくると思うのよ。
でも現実的にboth of them, both of you, two people, theyは、
この場合の「二人」の代わりにはならないし、
で、ご指摘のyou and me are running ~は言葉を顕著に受け取ると、
すでに夜の中を走ってるわけだから、
”I’ll take you”を入れることで「駆け出し」感? 今始まる感を演出してると思う。
駆け出すきっかけを作ってるのは僕だし、主語ないと今から始まる感が今ひとつになる気がする。
あと、蛇足の君がsheになってるのは、やっぱり主語抜きにできないし、
無理くり主語抜きにして、受動態とか使うと情景がボケるからでは?
最近はLGBTQ+の台頭によって、
theyを三人称単数でも使われることも出てきたのね。
(sheでもheでもないノンバイナリーの方もしくは性別が分からない人等場合はthey)
でも、まだまだメインストリームな使い方じゃないし、
ここでtheyが使われたりしたら、きっとどこか”LGBTQ+”を意識してると思われそうよね。
一瞬大学の談話分析とか思い出しちゃったけどw、すごく楽しかった!
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数年ぶりの対話でここまで付き合ってくれる友人神かよ…。
そんなこんなで久しぶりの会話が割と弾んでしまい、なんだかもっとたくさんの意見を聞いてみたい!と思い今回投稿をしてみた次第です。
YOASOBI「Into the night」を聴いて、皆さんはどんなことを考えましたか?
個人的にもう少し掘り下げてみたいな〜って感じているのは、
・「日本語らしさ」とは何か?(発音をどこまで崩しても「日本語」として認識されるか?)
という点ですね。
似たような試みをしたのは
COLTEMONIKHA「そらとぶひかり」
https://music.apple.com/jp/album/natural-lips/1538259833?i=1538259836
あたりかと思いますが、なんか言語学に詳しい方いらっしゃったらご教示頂けたら幸いです。
長文ご覧頂き誠にありがとうございました。
・fun fiction (人が答えてるの)
・derivative work(直訳で派生活動) (google、weblio翻訳)
っていうらしい
2つあるのは多分、「二次創作」と「原作ありの同人」程度の認識なんだろう
とりあえず前提知識としてはそんな感じで本題
わかりやすい!
日本では創作活動が活発だから必要になった概念だから、海外では要らなかった概念なんだろう
じゃあ今後も全く要らない概念ってわけでもないと思うから三次創作の英訳を考えていこう
「fun fiction」を次数上げると「fun fiction fun fiction」になる、ダサいぞ
「derivative work」の次数を上げると「derivative derivative work」になるがこれを凝縮して「W derivative work」とかで、まぁまぁダサい
自分的には日本と同じ考え方で「3rd creation」なんかでいいと思うんだけど、「1st creation」「2nd creation」という概念が普及していないからいきなり3rdは難しいかも
なんかダサくないのない?
受験てゲームだったと思ってる。ゲームのルールにこっちから注文つける気なかったな。得意科目も不得意科目もあったけど、とにかくそれをクリアしたことで得られたものがあって、それがベースになって、その後グイグイ上がるゲームの難度に食いついていけた気がする。そんでだんだんゲームの作りにまで踏み込むようになる。
この頃マンガの英訳読んでて、誤訳以前の問題として、発話者ってか、そのフキダシが誰から出てきたかのあきらかな取り違えが目だつって分かった。これ、主語の認定とか、動作主とか動作の受け手とかの問題だよね。われわれ何の疑問ももたず、ほとんど本能的に読んでるのに、日本語が母語じゃない人にはそうはいかないんだなって。源氏物語の時代から日本語の性質ってあんま変わんないんだなーって思った。
これ、釣られ?
英語の勉強傍ら、DeepLでの翻訳をもとに、英文化してみた。
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When I was in college, I had a part-time job writing moaning voices incessantly.
It was a part-time job at an erotic game company that I was introduced to by one of my seniors.
The company put a lot of effort into the story of their erotic games, and the writers who worked there were all people who took pride in their writing.
From their point of view, it was a pain to write the moaning voices in the sex scenes, so they decided to leave it to the part-time workers.
First, I was given the "gist" of the sex scene, such as "unzipping" or "moving hips faster.
2. I would then add my own moaning voices, such as "mmm ......" and "ahhhhhh", in a reasonable amount of salt.
3. the scenario writer checks it and it's done.
This may sound easy, but it is surprisingly difficult.
First of all, there is a certain length to an sex scene, so it is necessary to make it exciting precisely within that range.
The sounds used must be gradual, so that the audience does not get bored, and the excitement must be gradually increased.
It is also important to adjust the length of the text.
If the text is too short, it won't convey a sexual pleasure feeling, but if it is too long, the voice will become redundant.
In this way, a sense of balance and systematic pacing is required to get a bird's eye view of eroticism.
It was definitely not a job that I could just bang on the keyboard as I pleased.
My first work was a "younger sister" story, and I had a hard time allocating the "a" sound for the second sex scene.
If she said "aaaaah" from the beginning, it would sound like a seasoned whore's moaning voices, but if She said "an", it would not be erotic enough.
I finished it after much effort, but the writer said, "Couldn't you make it faster?” I'm disappointed.
As I was puzzling over what to do with ...... in front of the computer left by my predecessor (only the "A"key on the keyboard was strangely shiny), I noticed the existence of a file.
It was an Excel file titled "moaning-editor.xls," and it was a macro left by my predecessor specifically for making moaning voice.
By entering lines one by one in the vertically aligned cells, the phonetic elements such as vowels and consonants in each line were automatically converted into numerical values.
Furthermore, by adding and subtracting the numerical values, a value called "climax level" was calculated.
This "climax level" make a breakthrough to creating the ideal moaning voice.
If the sentence is constructed in such a way that this value gradually increases from the beginning to the end of the scene, the voice comes ideally.
It seemed that my predecessor had single-handedly created such an amazing and awesome Excel program.
I guess he wanted to share it with me, his successor, while hiding it from his boss as a secret tool.
Thanks to this tool, my work became much easier, and I could continue to make moving sounds with a stable quality.
One day, while I was working, I noticed something.
Theoretically, any text can be entered into the cell where the moaning voice is supposed input.
In other words to that, any text other than a moaning voice could be used to calculate the "climax level".
So I tried to calculate the "climax level" of famous works in the history of literature.
For example, "I have always called him teacher." for exampleis 12, and "He is reckless like his parents and has been doing nothing but losing money since he was a child. " is 30.
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I have always called him teacher.
Kokoro
Author , Natume Soseki
Out , in 1914
Story of distressed man who robbed lover from his friend by lying.
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He is reckless like his parents and has been doing nothing but losing money since he was a child.
Bocchan
Author , Natume Soseki
Out , in 1906
Story that revenge of one teacher, who was naughty boy in youth ,to nasty coworker.
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I hadn't expected this, but as I researched, I found that many of the masterpieces were written on the same principle as my work.
In other words, the degree of "climax" increases toward the end.
The most notable example is Akutagawa's "Nobody knows where the servant" is. The number of climaxes in this story is 367.
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Nobody knows where the servant
Author , Akutagawa Ryunosuke
Out , in 1915
Story of one fired servant struggle to survive and he decide throw aside his human conscience.
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The scene in which a drugged married woman faints with the whites of her eyes is at most 330, so you can see how astonishing the number is.
It turns out that "climax" is a universal rule that applies to all kinds of writing.
After realizing this fact, I started to write every sentence as if it were a gasp.
And I have been successful in every aspect of my life.
In job-hunting entry sheets, too, it is the distribution of the "climax level" that is important.
For example, in the education section, if you drop out of the university with the name that has the highest "climax level" and use it as your final education, it will look very different.
(It depends on the name of the university, but in general, "dropped out" has a higher climax level than "graduated.)
As some of you may have noticed, I've been writing this article in such a way as to gradually increase the climax level.
↑The climax level of this sentence is 290.
I'd like to end this sentence here, since it's getting quite high.
Ohhhh! Aaahhhh!
例えばこんな文を英訳してみるとしよう。
これをGoogle翻訳に通すとこうなる。
この結果、実はどちらもやや不自然で、あえて再翻訳するならこういった調子になる。
では人間ならうまく翻訳できるのかというと、自然にはなるかもしれないが完璧にはならない。ためしにやってみると、
となるが、これは(偏見に基づいて)確率が一番高そうなものを選んだだけだ。実際には以下のように、文中にいくつもの選択肢が現れる。文の構成についても考えないといけないかもしれない。
(I? We?) met (a? the? our? your?) teacher yesterday, and (he? she?) was with (a? the? his? her?) (child? children?).
そういったいくつもの選択肢がある中で、どれが正解かは話者の意図、より一般的な言い方をすれば文脈を知らなければわからない。
ここで示したのはあくまで一例で、英語にある性・数・定性が日本語では曖昧なことから生じる問題だ。逆に日本語では明確な違いとして現れる概念(例えば「私は食べる」と「私が食べる」)が他の言語では曖昧で、日本語訳が本来の意図を正確に表現したものにならないこともあるかもしれない。もっと単純に、言語間で一対一に対応しない語のニュアンスをうまく一致させられないこともあるだろう。
結局何が言いたいかというと、翻訳をするのが人間だろうと機械だろうと、文脈がなければ良い翻訳は難しいことを知ってほしい。特に短い文なんかの翻訳を人間に依頼するときには、文脈を必要なだけ補完すること。機械翻訳を使うなら文脈的な間違いを人力で修正するか、あるいは間違うものだと受け入れて使うこと。いくら文法的な精度が上がっているからといって過信をしてはいけない。
とあるSNSに、私の推しが黒人のミックスの子(以下、分かりやすく黒人ミックスではなく黒人ハーフとしておくが)を思いっきり揶揄している動画が出た。「(黒人ハーフは)異国の血が入ってるから俺たち日本人とは違う。髪の毛がチリチリ〜」くらいまで言っていた。思い切り言っていた。動画は秒速で拡散され、推しのセリフは英訳されて海外ファンダムにも「差別主義者!」「なんだこのクソ野郎は!」とギャンギャンに罵られていた。
私は推しの努力家なところ、くるくる変わる表情、明るい笑顔が好きで、ずっと応援していた。推しの言葉の端端から勝ち気な子だな、とは思っていたけど、頭のいい子だし責任感も強いし有言実行タイプだから、強気な発言をして叩かれていても、「叩いている人たちは推しの本当の姿を知らないんだ。推しは少し不器用だけど、それ以上に魅力的なんだ」くらいにしか思っていなかった。
しかしながら、ここにきて推しは10:0で自分の過失で叩かれている。あの発言は失言どころの騒ぎではなく、マジモンの差別発言である。より悪いことにその黒人ハーフの子は日本生まれの日本育ちを公言しているので(なので日本で教育を受けた日本国籍保持者だ)、推しは本当に黒人ハーフの子の外見だけを見て「俺たち日本人とは違う」と言い切ったのである。推しは、その人がどこで生まれ育ってどんな文化を持っているかではなく、見た目だけで「俺たち日本人とは違う」と言い切った。
私だって日本育ちの日本人だ。街中で黒人をみると、その体つきや髪型におお、と思うことがある。でも、私のそう豊かではない人生経験の中でも、ハーフの子に出会ったこともあるし、海外に暮らす日本人や反対に日本にやってきた外国人に出会うこともあった。その人たちと私の間には、文化や考え方の差異はあっても、それでもその違いは「私」と「誰か」の違いであって、「日本人」と「外国人」の差異ではなかった。私自身が海外旅行した時も、「私」の話を聞いてくれる人に会えれば嬉しかったし、私がアジア人だからと言って、街中で「中国人!」なんて揶揄されれば悲しかった。そんな浅い経験しかない私だって、「黒人ハーフは俺たち日本人とは違う」という発言が相当にやばいことが分かる。しかもこのご時世出た。BLMどころかアジアンヘイトクライムの今、地球のどこがではアジア人というだけで攻撃される可能性のある日本人の推しが、黒人ハーフの日本人を揶揄?推しが時流に乗れてなさすぎて、または頭が悪すぎてクラクラする。
でも、推しが差別主義者だとしても、時代の流れから取り残されたアホンダラだとしても、私の推しは魅力的だ。推しのが見たいし声も聞きたい。推しが努力家で責任感があって向上心が強いことに、そしてそれに私が惹かれたことには変わりがない。でも、許されないことをしたとも思う。
推しは別に犯罪を犯したわけではない。恋愛スキャンダルもないし、暴力を振るったわけでもない。でも、人としてやってはいけないことをしていると思うと、とても庇う気になれない。
好きだから辛い。推しにはこれからも活躍して欲しいし、好きだからこそ今回の件で謹慎するなり何なりしてもいいくらいだとも思う。お咎めなしというわけにはいかないし、そんな贔屓みたいなことはしてほしくない。だけど、推しが見れなくなるのは嫌だ。矛盾しているけど、どうしようもない。悲しい。
初投稿
https://anond.hatelabo.jp/20180415014902
こちらの記事でFAKKUのエロ漫画を日本で読む方法を知り、たいへんお世話になったので自分も知識を提供しようと考えて投稿した
FAKKUについてざっくりと
海外で快楽天シリーズやcomicBAVELの漫画を公開しているサイト
セリフは英訳されているが、全ての漫画がなんと局部無修正になっている
しかし日本だと残念ながら「おま国」と呼ばれる規制に引っかかり閲覧ができない
たが、上記URLの記事はそれを解決してFAKKUを閲覧する方法が説明されている
実際、私も2年以上もこのサイトを利用している
記事にしてくれた方には本当に頭が上がらない
「FAKKUって何ぞや?」という方は元URLを読んで頂くとして、本記事はFAKKUを利用する上で元URLには載っていない私の持つ知識を紹介する
順に紹介しよう
VPNは『おま国』回避に必須だが、有料だと月々1000円以上が必要になる。
しかし同じVPNのみを使用し続けていると、ある日突然アクセスできなくなるケースがある(理由は後述)
そうなると支払いが無駄になるため、有料よりも無料のVPNアプリを複数インストールして使い分けるのが私のオススメである
速度の遅さも、後述する裏ワザを使えばほとんど気にならないと思う
有名なVPN
月に10Gまでなら無料で高速版を使用でき、しかも接続する度に煩わしい広告が無いため、非常に使いやすい
私が使用したところ何故か2Gしか使ってないのに制限モードになった
しかし一度アプリを消去してから再度DLして開くとなぜか使用量がリセットされ、月を跨がなくてもまた10Gから使用できるようになる
使い勝手が良いので私が最初に利用したVPNだか、何故かある日突然FAKKUにアクセスできなくなった
こちらも有名
iOS版だと接続の度に広告が流れるのが煩わしいが、接続速度は良好
PCならChromeの拡張機能版にすれば広告が無いため非常に使い勝手が良く、私もPCで閲覧するときはこれがメインになっている
・VPN - Super Unlimited Proxy(iOS版)
Hotspot Shieldと同じく接続の度に広告が流れるが、5秒待たなくても即スキップできる
無料版のみ
しかし上記3つだとアクセスできない日でも、なぜかVPNネコだけアクセスが可能だったりするため重宝している
VPNを経由してサイトを閲覧すると、どうしても通常よりも接続が遅くなる
FAKKUのような画像を大量に閲覧するサイトだと致命的で、遅すぎるために有料VPNを使用する人も多いだろう(実際私も最初はそうだった)
おま国規制はページにアクセスした瞬間だけ行われているらしく、画像を読み込んでいる間は通常のアクセスに戻してもブロックされない
つまり、画像の読み込みが始まったらVPNを切断すれば良いのだ
例えば作品ページ内の『 Start Reading』を押してリーダーが起動させ、最初のページが開いたらVPNを切断する
こうするだけで、全てのページを通常回線で読み込めるため、長い読み込み時間に悩まされることが無くなるのである
これは有料の電子書籍を落とす際も有効で、DLが始まったらVPNを切断することで高速DLが可能だ
この方法は既にFAKKUを利用していて、回線速度の遅延に悩んでいる人も試して欲しい
なおVPNを切断したまま別ページに移動すると規制に引っ掛かってブロックされるため、再度接続し直す必要があるので注意
【3】高画質スクリーンショット、画像保存(iPhoneのみ)
これはFAKKUでお気に入りの漫画を見つけて、保存したくなった場合のオススメのやり方
FAKKUの漫画は他のweb漫画と同様に、右クリック(タップ長押し)からの画像保存ができない
そのため、お気に入りの漫画を保存したくなった場合はページをスクリーンショットするしかない。
(スクショ撮って画像処理アプリで高画質化したり、Chrome拡張機能を試したり)
その結果、もっとも良いと思える方法を見つけたため、ここでシェアする
↓
FAKKUにアクセスし、保存する画像を全体が見えるように表示する
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画面左下にスクリーンショットのプレビューが表示されるので、それをタップ
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スクリーンショットの編集画面が表示されるので、上部にある『フルページ』をタップ
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フルページ表示されるので、『完了』→『PDFを“ファイル”に保存』を順にタップ
↓
このやり方で画像を保存すると、通常のスクショで撮影した画像よりも高画質(オリジナルとほぼ同等)になる
後は全てのページで同じ処理をすれば、無修正高画質エロマンガの保存が完了だ
画像はPDF形式なので、JPGに変換したい場合はiOSのショートカットアプリを利用するのが良い
参考
https://www.blky.me/2017/12/07/pdf-to-jpeg-workflow-01/
なお、保存した画像を他人に見せたり、配布することは当然違法である
VPN経由でFAKKUを利用していると、『おま国』とは別にアクセスできなくなる場合がある
“ FAKKU is temporarily down for maintenance.”
これ、なぜか1種類のVPNだけを使用していると起こる現象で、原因は不明である
私も当初はHide.meを利用していたが、これのせいで何日もアクセスできなくなってしまった(アクセスできないのでサブスク解約もできない)
【1】で紹介したような、他のVPNを使用してアクセスし直すのだ
日によって使用できるVPNが入れ替わったりするため、例えばネコVPNだと昨日まではアクセス出来なかったのに、今日はアクセスできる
その代わり他の3つだとアクセスできない
どうしてこういった現象が起こるのか、VPNの知識に乏しいので全く分からないが、私はこの方法で何とか毎日アクセスできるようになっている
以上、FAKKUを利用する上で役立つと思われる知識を4つ紹介した
紹介した内容により、読者のQOL向上に少しでも役立てたらと思う
同時に、元記事の筆者には心から感謝を捧げるとともに、日本もさっさと無修正解禁される日が来ることを祈りながら、記事を終わりにする
雪組だけに?
これ一幕ものでよかった、と思う。
雪原?ロシア?ロシア。ナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。
ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスのマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。
ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」
ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。
出生名
ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」
わらった。
!!ナポレオンてEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!
音楽は数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。
再び勝利。
「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」
ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」
ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11場ウィーン会議にロッシーニがいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。
謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」
ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。
謎の女「死は、救いなの」
ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」
あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。
「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」
上田氏の京大講演会「経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快なものなら、当然、それがなくなることはない」
ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手がオーボエパート、望海の左手がクラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。
モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」
シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつはURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつの出典では『自由賛歌』がシラーの作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作が都市伝説の元なのかな。
ベートーヴェン「あー」(A4)
運命「あー」(A5)
1815年の手紙から。日本語訳がピッタリこないけどドイツ語わからないから2つの英訳。
"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."
"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."
よかったね天国行きだよ!
あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。
und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.
ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞の解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害・天国/楽園行きを阻むもの・自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。
今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?
そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。
きたー
ベートーヴェンの葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。
うたえ 生きとし生けるもののうた
なんかここのベートーヴェン(推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。
ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)
耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後の交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。
お見事。
配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトルの意味しかり。
重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンのイメージはシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。
第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。
*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオン、ゲーテが左右におり、謎の女もいるので。
うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。
洋ゲーはおおむね以下の二つに分けられる
もちろんちゃんとした邦訳のゲームもあるが、少ない けっこう少ない
「ミックスウッドの家具が欲しいならトゥー・カーペンターズに行け、とKevinが言っていたよ。」的なクオリティの訳がかなり多い わかるけど、絶対原語でやったほうが楽しいんですよ
バカにしてるとかではない ゲームの訳、絶対難しいし、絶対やりたくないもん 仕方ない
しかし、英語が読めれば、というか、英語を無理矢理でも読んでやれば、このカテゴリわけは途端に意味を失う
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「日本語訳が出るのが待ち遠しいです」
こういう言及を全部なぎ倒して、おのれの力でそのままプレイできる modなんかも基本的に入れ放題 英語に英語の追加コンテンツを足してミスマッチは生じねえ
英語と日本語が読めて快適にプレイできないゲームはそんなに多くはない
「もともとロシア語で、英訳もあるがけっこうガバガバ翻訳」みたいなのはそこそこあるが、あまり問題にならない
なぜか?
英語がガバガバであることには、あまり気付かないからだ 非ネイティヴの強みがここにある
かなり長いメッセージが出て、ウオ、と思っているうちに消えたりするからだ
オススメなのは、アイテムがたくさん出てきて、クラフトとかビルディングとかサバイバルとか、そういう感じのことをするゲーム
木を切って木材を得る そういう動作から、Wood, timber, sapling, sap, acorn, log, branch, くらいの単語が学べる
こういうのが積み重なるので、基礎語彙がかなり増える
俺はstarboundとrimworld とstardew valleyの三本柱を合計1000時間以上やって、初めて受けたTOEICで950点をとれた
正直もともと英語ができなかったわけではないから、完全にゲームのおかげとは言い難い
でも受験から何年も経ち、英語といえばゲームくらいしかしてない状態でそれだったわけだし、概ねゲームのおかげだとは言えそう
実際、試験中たびたび「あっ、これスターバウンド でやった単語だ!」みたいなことを思った
いいんだよ洋ゲー
やりましょう
民族という概念は、まともな英訳すらできない以上は普遍的な概念ではありえない。というか肌の色で差別することができなかった諸国において差別を実施するために再発明されたものである以上はそもそも概念からして誤りを多分に含んでいる。
Ethnic group 程度の意味合いで使う分には良いように思えるが、扱いに非常に丁寧にならなければならないこの言葉を適当に使う奴は敵だ。
そもそも帰属意識という主観性の強いものが客観的定義である糞みたいな概念が自明に存在すると考える方がどうかしている。具体的に言えばある人間は必ず特定の民族にただ一つ属すると考える人間は学問と知性のどちらも決定的に足りない。そんなものを信じる人間は学習能力に欠陥があるか、脳に物理的な欠陥があるか、成長段階の環境が悲惨だったかのどれかとしか言いようがない。それはそれで可哀想だとは思うけれど、それでも害悪となる概念を振り回す権利はない。
民族伝統という言葉は指し示す概念は存在しないので嫌い以前の問題だ。からして民族というものに根差すという幻想を共有している人間は須く無能だ。考え方が完全に逆である。民族があって伝統があるのではない。伝統を守るものがその民族なのだ。肌の色や血筋は関係がない。そんなものは何も規定はしない。そして一人の人間は複数の民族であるのだ。〇〇民族でありながら△△民族であり得るのだ。
君の身に付けているものだけが君を定義する。先祖からの伝統だからと言って何も正当化され得ない。やりたいなら自身の責任において全てをおっかぶり貫くべきだ。伝統だからは言い訳に過ぎない。例えそれがなにであれ、
私は
これを
やるべきだと考える
だから
やる
以外に正当な理由はない。人のせいにしているんじゃねえ。君の行動は君の自由意志にのみ立脚する。そして君が何者であるかも君の自由意思によってのみ規定される。甘えるな。
知的障害を伴わない発達障害の存在が世間に広く認知されるようになって10年以上になるだろうか。
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)やADHDなどの、コミュニケーション不全の障害は、現在の高度情報化社会に適合することが困難な人々を障害者として認定したもので、そのような意味で「新しい障害」「時代によって創られた障害」とも言われている。
歴史的経緯から俯瞰すれば、社会の構成員の多くが第一次産業に従事していた時代には、軽度な発達障害は障害としては認識されていなかった。社会にとっては身体的な機能障害の有無が、何より重要視された。
機械を使わない農作業では人間の身体が頑強であるか否かが生きていく上で重要である。逆にこのような時代において、体格さえ頑丈でよく働くことが出来ればよく、発達障害の有無が社会の構成員にふさわしいか否かの判断基準とされることはほとんどなく、それどころか知的レベルで多少劣っていても問題とはされなかった。
ところが産業革命が起こり、人々が工業生産すなわち第二次産業に従事する者が多くなってくると、知的レベルが低い者は労働生産性において不利となり、工場などで働くことがままならず、障害者としてみなされるようになる。どれだけ体格が頑丈であっても、軽度知的障害者は障害者として扱われる。
そして現在の高度情報化社会では、第三次産業に従事する者が多くなっている。情報通信業を含むサービス産業においては、他人との間の情報の伝達に問題を生じる者、すなわちコミュニケーション能力が低い者が障害者と認定されてしまう。認定を受けた者やその予備軍は、生きづらさを抱えて生きていかなければならなくなったのである。
こうして、今日の社会では他者とのコミュニケーションが困難な者は軽度であっても、総称して「発達障害者」と呼ばれ、障害者として取り扱われ、治療の対象となり、障害者枠で働くことが可能になってしまった。
生きづらさを抱える人々が社会から援助されるようになったのだから、それは社会の進歩である、ととらえる人もいるが、高度情報化社会が発達障害であることが生きづらくしてしまったのだから、発達障害者にとっては社会の悪化であろう。
ところが社会の進歩(あるいは対象者にとっての悪化)はとどまることを知らない。高度情報化社会から次の社会へとステップアップする中で、今後クローズアップされるであろう障害が、掲題の第四の障害である「嫌感障害(けんかんしょうがい)」(英訳するとharassmental disability)ではないか、というのが私の予想である。
「嫌感(けんかん)」とは私の造語で、嫌感障害者は、他人の嫌悪感を感じ取れずに、あるいは知りながらも敢えて、ハラスメントを行う人々のことを指している。
(同様に"harassmental disability"も、発達障害=disappointmental abilityに寄せて作った造語)
「それは一般の発達障害とどこが違うのか?」と問われるかもしれないが、知的障害が身体の脳の障害という意味で広義の身体障害者であり、発達障害が広義の知的障害であるのと同様に、嫌感障害もまた、広義の発達障害ととらえて差し支えない。
しかしこれまでの発達障害という概念の中には、共感性が低いために他人の感情が分からずに意図せず他人に嫌悪感を与えることをその中に含みつつも、「他人が嫌がることがわかっていながら他人の嫌がることをすること」、いわゆるセクハラやパワハラをすることまでを障害の一種だと認定することはなかった。
今回私が提唱する「嫌感障害」は、一歩踏み込み、発達障害者の中で他人に嫌悪感を与え続けてやまない行動発言をする人々と、攻撃的であったり、あるいは人が嫌がることをすることをやめられない人々を、まとめて新たな障害者として認定するものだ。
第1の障害が身体障害、第2の障害が知的障害、第3の障害が発達障害ととらえたことが、嫌感障害を第4の障害ととらえる所以である。
昨今の脳科学では、人間の自由意志の存在は否定され、すべてが所与の条件、すなわち、遺伝子と環境、構造などによって思考は自動的に決定されているという。
自分の意思によって他人の嫌がることを行う人もまた、ある意味自分ではどうしようもない衝動によって突き動かされ、社会に不適合な行動を取らざるを得ない障害者と言えるのではないか。
彼らが適合できない社会とはなんであるか。それは女性や障害者が多く進出した社会であり、多様な社会であり、弱者が認められ、生きやすく、守られる社会である。
この社会では、強者や多数派が、その力でもって弱者や少数派の人権を踏みにじることは、もはや許容されない。
強者が所有していた権力、多数派が所有していた圧力でもって、他人の自由を拘束し、口をふさぎ、多様性を蹂躪することは社会がもはや許さないのである。
他人への嫌がらせを許さない社会は、高度情報化社会が発達し、様々なサービスが生まれる中で、人々が夢中になるサービスに人々の興味が集約していく中で育まれていった。人々が夢中になるサービスとは、SNSである。
高度情報化社会が理性の支配する知識の共有を成し遂げたものであるならば、その中で育てられてきたSNS内では、感情の共有が重要なものとして形作られてきた。
それは「高度感情化社会」と言えるものである。私達は高度感情化社会という新しいセクターに生きており、産業革命、情報革命の次に生じた、感情革命の只中にいるのである。
GAFAが情報化社会の雄ならば、そこに入っていないTwitterは感情化社会の雄であり、今後は感情産業と言われるような感情の共有化をビジネスの柱とする産業(第四次産業?)に、多くの人々が従事するようになるだろう。
その産業の中で障害となるのが、他人の感情を傷つけて平然とする人々である。その問題が今、ジワジワと、次々にクローズアップされているのを私達は知っている。
「こんなことまでハラスメントなのか?」
という疑問を抱いた人は、多いのではないだろうか。なぜ新しいハラスメントが次々に問題視されているのか、わからない人も多いはずだ。戸惑っている人々も多いだろう。新しいハラスメントを提唱する人々に「お気持ちギャング」というレッテルを貼る人々も少なくない。
しかし、これが時代の趨勢である、ととらえると、納得できるのではないだろうか。他人に嫌悪感を抱かせるのは障害である、という新しい常識が広まりつつある過程なのだ。
嫌感障害という概念が確立されるメリットとしてまず考えつくのが、嫌感障害は障害であるのだから、治療の対象となり、医療が解決する分野となることだ。
発達障害がコンサータなどの投薬で治療されてきたように、いずれ嫌感障害を解決する薬が見つかることになるだろう。
次に挙げられるメリットとしては、パワハラ、セクハラをしてきた人々が、ひとくくりの集団として可視化され、社会活動における「障害」の持ち主と認識されることだ。
発達障害という概念が、コミュニケーションの重要性を浮き彫りにしたように、嫌感障害という概念は、他人への攻撃性を抑止できる能力の重要性を明らかにする。
パワハラ、セクハラ、モラハラを、無意識であれ意図的であれ、行ってはいけないし、それは教育によって徹底されていき、矯正できないものは「障害」がある者として取り扱われることになるだろう。
このような潮流が社会に表出しようとしていることを、私達はこれから目の当たりにすることになるだろう。
なお、以上のようなことがふと頭に浮かび、自分のオリジナルなアイデアかもしれないと思い、一気呵成に書き上げたが、研究者でも専門家でもない私の思いつくようなことは、すでにどこかで誰かが考えついているかもしれない。
「高度感情化社会」「嫌感障害」といった概念に似たことが書かれている本などがもしあれば、ぜひブックマークか増田返信で教えていただきたい。
逆にアイデアが私のオリジナルだった場合、用語やアイデアに関して、皆さんのご自由にお使いいただきたい。この記事からの引用である、などと断る必要もありません。
by tnkm