民族という概念は、まともな英訳すらできない以上は普遍的な概念ではありえない。というか肌の色で差別することができなかった諸国において差別を実施するために再発明されたものである以上はそもそも概念からして誤りを多分に含んでいる。
Ethnic group 程度の意味合いで使う分には良いように思えるが、扱いに非常に丁寧にならなければならないこの言葉を適当に使う奴は敵だ。
そもそも帰属意識という主観性の強いものが客観的定義である糞みたいな概念が自明に存在すると考える方がどうかしている。具体的に言えばある人間は必ず特定の民族にただ一つ属すると考える人間は学問と知性のどちらも決定的に足りない。そんなものを信じる人間は学習能力に欠陥があるか、脳に物理的な欠陥があるか、成長段階の環境が悲惨だったかのどれかとしか言いようがない。それはそれで可哀想だとは思うけれど、それでも害悪となる概念を振り回す権利はない。
民族伝統という言葉は指し示す概念は存在しないので嫌い以前の問題だ。からして民族というものに根差すという幻想を共有している人間は須く無能だ。考え方が完全に逆である。民族があって伝統があるのではない。伝統を守るものがその民族なのだ。肌の色や血筋は関係がない。そんなものは何も規定はしない。そして一人の人間は複数の民族であるのだ。〇〇民族でありながら△△民族であり得るのだ。
君の身に付けているものだけが君を定義する。先祖からの伝統だからと言って何も正当化され得ない。やりたいなら自身の責任において全てをおっかぶり貫くべきだ。伝統だからは言い訳に過ぎない。例えそれがなにであれ、
私は
これを
やるべきだと考える
だから
やる
以外に正当な理由はない。人のせいにしているんじゃねえ。君の行動は君の自由意志にのみ立脚する。そして君が何者であるかも君の自由意思によってのみ規定される。甘えるな。