はてなキーワード: 信頼関係とは
ポスターのやつ、いろいろな記事を読みつつ、自分の考えを整理するために書き出していたら、結構な量になってしまった。論点が多くてあまりまとまっていないが、せっかくなのでここに置いておく。少しずつメモ帳に書いてたら気がついたらめちゃくちゃ長文になっていてビビったというか、途中で切らられちゃうので分割するはめになった・・・・。
ポジショニングを先に述べておくと、私は男で、オタク、宇崎ちゃんポスターはギリセーフかな?ぐらいの認識だ。
いきなりだが、ポスター擁護側の反応が過剰である、という意見がある。これは、ポスター擁護側の危機感の強さに由来するものと考えている。「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という有名な言葉があるが、ポスター擁護派にとって、オタク表現に対する段階的な譲歩は、最終的にはすべてのオタク表現が認めらない未来につながる、という危機意識があるのではないだろうか。この危機意識を補強する要素として、これまでの事例(NHKにおけるキズナアイや人工知能学会の表紙など)も存在する。一方で、ポスター批判派にとっては、あくまでも自分の信じる妥当な指摘をしているし、これまでの個別の事例は必ずしも自らによるものでないので、ここまで反発を受ける理由が分かりづらいのかもしれない。
ここで問題となるのが、ポスター批判派と擁護派の間に信頼関係が無いことである。ポスター擁護派にとって、ポスター批判派とは、個々人の「常識」に基づいて、それぞれ微妙に異なる理由でポスターの問題点を指摘する存在に見えている。特に共有されたガイドラインがない状況でこうなってしまうと、ポスター擁護派は最終的にどこまで譲歩すればいいのかわからない以上、一歩たりとも引くことができなくなってしまう。ポスター擁護派が「お気持ち案件」と言うのはこういう理由からであろう。両陣営の間に紳士協定が存在しない以上、お互いに譲歩は難しい。
個々人の嗜好や常識が異なる以上、必要となるのは各陣営の同意が得られたガイドラインになるであろう。現時点で即効性があるガイドラインは恐らく法律のみであり、法律に基づくのであれば、法的な「わいせつ物」でなければ問題ない、ということになる。もちろん、「TPOやマナーをわきまえろ」という意見もあるだろうが、TPOやマナーへの遵守はベストエフォートであり、必ずしも守る必要がない。法律のみを基準として考えた場合、件のポスターが「わいせつ物」とは言えない以上、それ以上の規制を求めることは「過剰な要求」と映ることもあるだろう。ポスター擁護派には、恐らく規制派の意見が法律を超えた「過剰な要求」に映っている。
では、みんなが納得するようなガイドラインを、批判派と擁護派が一緒になって作ることは可能だろうか。残念だが、私の印象としては、そのようなことは難しいように感じられる。各人それぞれ譲れない線があるらしく、すり合わせは容易ではない。しかし、後述するが、私はそのようなガイドラインは「表現する側」が作れば良いと考えている。
安易なポスターの取り下げ要求は、表現への萎縮につながるという説もある。これは一理あると同時に、必要な行為でもある。私自身は、自由はなるべく保証されているべきだと考えているので、ポスターへの批判をTwitter上で放言することは、それがどのような理由に基づくとしても、認められるべきだと考えている。たとえそれが、個人的な心情に基づいたものだとしてもだ。また、赤十字に対して直接的に取り下げを求める行為についても、特に問題はないと考えている。なぜなら、圧力、あるいはロビイングは、自分の信じる世界を作るための戦術の一つであると考えているからだ。批判派も擁護派も、お互いにやればいい。
さて、赤十字にも、表現の自由がある。赤十字が公的団体か私的団体かに関わらず、赤十字にはどのような表現を行うかを自発的に決める権利がある。もし、赤十字が、批判に対して「なるほどそういう考え方もあるのか」と考えてポスターを取り下げるのであれば、それは赤十字の自由だ。一方で、批判を受けた上でポスターを取り下げないのも、赤十字の自由だ。赤十字がインターネット上でどちらの意見が多いかを見定めで、それに基づいて判断を下したとしても(統計的な正確性の問題を別として)、問題ないだろう。決めるのは赤十字である。
前述のとおり、私は、批判派と擁護派が意見をすり合わせて統一ガイドラインに至ることは難しいと考えている。となれば、最終的には、どのような表現が認められるかどうかは、その表現の発信者が決めるしかない(この場合は赤十字だ)。この前提に立つ場合、両陣営は、発信者を説得するために最善を尽くすのがミッションとなる。つまり、ロビイング合戦だ。実際のところ、自治体はもちろん出版業界や放送業界などを始めとして、様々な企業や業界には、表現者として独自のガイドラインがある。これらは過去のロビイングによって少しずつ構築されてきたものであり、それぞれの価値観をすり合わせた結果とも言える。そして、このような自主規制ルールを作る上では、表現の自由は関係が無い。
ところで、何人たりともリソースの限界というものがある。特に赤十字にとっては両陣営からの意見を受け付けて適切に判断を下す、という非常にリソースを消費する作業が求められる。結果的に、赤十字は、問題が起こりにくい表現のみを使うようになる、つまり表現の萎縮が起こるという懸念が残る。しかし、究極的に言えば、私はこれは問題が無いと考えている。ポスターなどの表現は結局はコストパフォーマンスの問題であり、クレーム対応へのコストと得られる利益(この場合は血液量だろうか)のバランスを鑑みて、最終的には収束するであろう。コスト削減のために無難な表現を選ぶ、というのも戦略の一つであるし、多少苦情が来るのを受け入れつつ、血液を大量に集められる方向に舵を切るのも赤十字の判断だ。赤十字には自由がある。
しかし、ここで注意しなければいけないのは、必要リソース量には非対称性があるということだ。たとえば、赤十字に対して長時間苦情の電話をかけ続けるといった手法は、ロビイングの方法としては好ましくないと、私は考えている。表現者のリソースを飽和させることによって、半ば強引に要求を飲ませる手法は、私の目には品が良く映らない。人によっては、この手法自体を、不当な手段による「表現の抑制」と見なすこともあるであろう。意見の伝達は、なるべく相手のリソースを消費しないように心がけたい。もちろん、あなたがどうしても相手に飲ませたい要求であれば、多少強引な手法を取ることは(法律で禁止されていない範囲で)可能でもある。しかしその場合、まさにその行為自体が非難の対象となり、結果的に周囲からを理解も得られない結果になることもあるだろう。私自身は、Twitter上で意見をつぶやくぐらいが、相手にとって負担の少ない範囲だと考えている。
ロビイング合戦となると、「声が大きいほうが勝つのかよ」という非難もあるかもしれない。そうなのだ、声が大きいほうが勝つのだ。こればっかりは民主主義の必要コストなのか、いわゆる自由のための「不断の努力」というものなのか、各人が自分の信じる事を唱え続け、みんなを説得するしか無い。しんどいが、そういうものみたいだ。もちろん、弊害もある。「米国はNRAがロビイングを続けているせいで、いつまで経っても銃乱射事件が無くならない」という人もいるだろう。しかし、ではNRAの発言権を強制的に奪うことができるかというと、そうはならない。あなたにできるのは、あなたの意見で周りを説得して、支持者を増やすことだけだ。でも、しんどい。できれば相手に静かにしておいて欲しい。きっとお互いに「またかよ」と思うこともあるだろう。不毛に見えることもあるかもしれないが、自由とはそういうものなのだろう。
さて、表現の萎縮を懸念する材料として、一度決まったルールは安易に緩和されないという指摘も考慮する必要がある。
たとえば、知っている人にとっては「定番の話」であり、それ以外の人には「なんでそんなことに」と思われがちな自主規制として、「4本指のイラストは禁止」という決まりがある。これは、自主規制ルールとしてそれなりに広く運用されているはずのルールだ。このルールは部落開放同盟からの意見が由来らしいのだが、私自身(関東出身)は最初に聞いたときは「なんじゃそりゃ」と感じた。今現在も、「そろそろ無くしてもいいんじゃないの」と思っている。
一般に、規制というものは強くなる方向に圧力がかかる。形骸化したルールが、それを理由に削除されることは、傾向としては少ない。そのため、理由はどうであれ、細かいルールを積み重ねていくと、最終的には非常に厳しい規制が完成する。この傾向は、表現の自由度を求める陣営にとっては脅威である。一度決まりができてしまうと、それを覆すのは難しい。もちろん、ロビイングや社会の変化によって緩和が行われることもあるだろうが、できるならば規制が生まれる事自体を避けたい。この非対称性を考慮した場合、ポスター擁護派が過敏に反応することは、ある程度理解できる。譲歩の積み重ねが厳しい規制につながることを懸念するのであれば、今がまさに踏ん張りどころだと言える。
日本赤十字は半ば公的な機関であるので、より安全なルールを運用するべきではないのか、という指摘は、私自身は一理あると考えている。赤十字を公的機関と見なすかどうかについてはここでは議論しないが、公的機関がなるべく安全な表現を使う、というのは、すべての人へのサービスを提供する以上必要なことである。たとえば、政府がセクハラを是とした表現を行うことは望ましくない。なぜならば、セクハラは良くない行為であるという、社会通念上の合意が得られているし、法律という形で明文化もされている。あるいは、政府が過度に性的な表現を行うのもまた、望ましくないであろう。これは、公の場では性的なものを隠すという社会通念上の認識が共有されているからだ。
では、どのような表現が「望ましくない」ものとして社会で共有されているか、となると、全くもって難しい問題である。法的に認められていない行為は当然「望ましくない」し、差別を助長するような表現も、おそらくは「望ましくない」。しかし、社会の大部分は実際のところ未定義エリアとなっており、個別の案件ごとに勘案することになる。すでに広く指摘されている通り、たとえどのような表現でも人を傷つけることは往々にしてある。その前提に立つ場合、単純に「私(や私の周りの人々が)が傷ついたから」という理由だけで「望ましい」かどうかを定義することはできない。たとえば、単に子供が掲載されているポスターがあるとして、どうしても子供を授かることができない夫婦が傷つくからといって、そのポスターを取り下げるべきだろうか。この例に対する答えはない。もし、そのような人が日本で大多数を占める状況であれば、きっと日本政府はそのポスターを取り下げるべきであろうし、あるいは、その傷つき方が非常に強いものであれば、少数のために取り下げることもありえるだろう。(なお、この例示自体が、そのような人を傷つけているだろうという指摘も当然ある)
今回のポスターは、擁護派にとっては、このような未定義エリアの問題であり、どちらかといえば問題がないものとして想定されている。一方で、批判派は「望ましくない」ことが確定したもの、具体的には性差別の問題として認識している。この前提が異なる以上、公的機関が今回のポスターを掲示することの是非について議論するのは、あまり意味がないように考えられる。極端な話、件のポスターがポルノであれば、赤十字が掲示するのは不適切であろう。しかし、そもそもポルノかどうかという点が両陣営の間で確定していない状態では、それ以上の話はしようがないのである。
ところで、公的機関にとっての表現のコストパフォーマンスとは何だろうか。恐らくは、どれだけ全体を幸福を最大化できるか、という観点になるだろう。そして、なるべく多くの人が傷つかない、ある意味では無難な表現を用いるという戦略は、単純にコストパフォーマンスに優れるであろう。そういう意味では、公的機関を特別視するというよりも、彼らは単にコスパがいいから無難な表現を好む、と考えるのが妥当なのかもしれない。
献血を推進するためであれば、ポスターが引き起こす問題は無視されても構わない、という考え方が観測される。これは是でもあり非でもあるだろう。
ここで重要となるのが、ポスターが引き起こす問題とは何なのか、である。仮に、その問題が差別問題であると判断される場合、たとえ献血目的であろうとも、その表現は認められないと考えられる。例えば、「白人は慈愛に満ちているので、どんどん献血に行こう」と書かれたポスターは、現在の社会通念上認められないだろう。一方で、「差別とまではいかないけれど、傷つく人もいる」表現の場合、献血の重要性を理由に、多少の問題は無視されることもあるだろう。先程の例を再び使うのであれば、献血ポスターに子供を掲載することは、おそらく現在の日本では問題となることはない。
さて、ここまで来るとまた同じ話になるのであるが、今回の文脈において、ポスター擁護派は今回の問題を差別問題であると認識していない。一方で、批判派は、これは性差別の問題であると認識している。そのため、両者の話は噛み合わなくなる。結局の所、この論点もあまり意味がない。件のポスターがポルノであれば、それを公の場に掲示するのは、女性差別になるであろうから、献血のためとはいえ認められないであろう。一方で、ポスターがポルノでない場合、献血のためであれば、多少のことは無視される可能性はある。
続くよ
仕事帰り、部下と一緒に。
部下「いや定期としてなんで、定期としてしか使ってないんでw」
「定期の範囲しか行動しないんで他の電車代は入ってないんすよ」※だが定期で池袋~渋谷には行ける模様
『お前その割には「ニコニコ現金払い」とか古っるいこと言ってっけど本当に年下か?って思うわ』
『クレジットカードとかは持ってないの?』
「リボ払い?が怖くないすか?とりあえず持たないようにしてんすよ」
「チャージ的なことしても仮に使わなかったらチャージしたぶん損じゃないすか?」
『使える所で使えばいいだろ』
「それって使える所ありきで無駄な買い物することになりません?」
「それ結構みんなから言われるんすよね、コンビニも行かないんすよねー」
『え、じゃあ金使うとしたら』
「んーメシか飲みかって感じじゃないすかね?」
「そうすね、一緒に飲む人がポイント貯めさしてくれぃとか言ってくるんで、ワリカンするとき俺の分はそいつに現金渡して、そいつがオトクなやり方で払ってんじゃないすかね」
『それお前ちょっと損してんじゃん』
『貸しになんの?』
「こういう信頼関係みたいなのもある意味キャッシュレスって言ったりしないんすかねー」
などと言ってるうちに駅到着。
これ
https://note.mu/vino_cavolfiore/n/n98131f3f9bf5
を読んで、ブコメでもいろいろ書かれていたけど、お客さんの気持ちもわかるし、
結局のところ、これはお店とお客のミスマッチで、
元ツイートも要はただのミスマッチで事故みたいなものなので、気にせずに流せばよいのに、
なんで、こんなミスマッチが発生するんだろう?
といえば、やはりおとなの週末のようなグルメ雑誌や食べログのような情報によって、
誰もが一流店を知ってしまうことにある。
たとえば、一人5万するお寿司屋さんに、自分の金で行こうと思う貧乏人はいないわけだけど、
「パチンコで10万勝ったから東京一の寿司屋に行くか!」だとか
「いままで東京に来たことないおふくろが初めて東京に来るから、田舎にはないフランス料理を食べさせてやるか!」だとか
そのときに、自分の住んでる家の近くの寿司屋や(ビストロくらいの)フランス料理屋に行けばいいのに、
変に情報がいっぱいあるがゆえに、検索してそういう身の丈に合わないところに行ってしまうわけだ。
私見では、ないと思う。ただし、貧乏かどうかが問題ではなくて、客とお店の間にリスペクトや信頼関係があるかが重要。
今回の例でいえば、申し訳ないけど、リストランテでパスタしか頼まないとか、
高級レストランで龍のスカジャンで来るとか、そういうのはやはりそのお店や料理の文脈に沿っていないと思うのです。
文脈に沿っている、ということはとても重要なことで、「はいはい、また空気を読めってことね」と言われるかもしれないけど、
その通りなのです。
でも、美味しいお店を紹介してくれる先輩とか、いろいろと教育してくれるお店とか、
そういう経験で、なんとか少しずつ学んでいる最中。なぜなら、美味しいものをつくっている人をリスペクトしているからね。
それは向こうにも伝わるので、「(あなたがいまお金ないのは知ってるけどお金ができたら)今度はこれ試してみてくださいね」と言ってくれるわけだ。
横浜の店長も同じで、スカジャンの彼自身がお店をリスペクトせずに来てしまったことを自覚していたからこそ、
「今度はこういう格好で来てくださいね」って言おうとしたんだと思う。
逆に元ツイートの親子は不幸なミスマッチではあったけれど、「こっちはお金払ってる客なのに、なんでこんなこと言われなきゃいけないの?」というのが顔に出てたんだと思う。
もちろん元ツイート主はこんなことツイートすべきじゃなかったと思うけど。
あー、めんどくせーなーと思った人。
それなら自分も相手もいい気分で仕事したいですよね。だから、そのお店の雰囲気や文化を大切にしなきゃいけないんです。
そうじゃないと、ファストフードやチェーン店でいいじゃないですか。
食事なんてどこでもできるわけで、ファストフードやチェーン店は十分美味しいどころか、コスパを考えたら最強ですよ。
コスパ度外視で、エンタメ目的で行くのがレストランなのであって、やっぱそこには個々の、独自のルールや文化があってもいいはずです。
で、最後に。じゃあ、どうやってお客はそれを学ぶの?って話。
一番いいのは誰かに教えてもらうことだけど、それは難しいので、
まずは家の近くとか、一番大きな最寄り駅付近のお店に行くこと。
いきなりおとなの週末やら、食べログやらで東京1位の店に行こうだなんて思わないこと。
これほんとに重要。
そこで、自分にとって美味しいものとか、好みとか、新しいものを試したときの面白さとか失敗とかいろいろ学ぶから。
で、新しいお店に入って、頼み方やルールがわからないときは、お店の人に恥ずかしがらずに聞こう。
でも、予算がよくわからない場合があるので、多めにお金を持って行った方がいいと思う。
次に、お店の人におすすめを聞こう。たぶん一番高いやつを進められるかもしれない。
そうしたら、それを頼めばよいし、それが美味しくなければ、その店はその程度ということで二度と行かなくてよい。
これが勉強代ってやつだ。
だんだんそうやって慣れていくことで、その手のお店に入っても、特に緊張することなく、自分の好きなものを頼めるようになる。
元ツイートのお店だって、もしよく通っていて、常連になっていたとしたら、
「今日はあんまりお腹すいてないから、軽めの食事がしたいんです。パスタだけ頼んでもいい?」って聞けば、
快くOKしてくれたんじゃないかと思う。だって、いつもはお店の文化を知ってくれてる良いお客さん(これは金払いがよいお客さんというわけではない)なので、
それくらいのわがままは聞くと思うよ。リスペクトされてることお互いに知っているわけで、信頼関係があるんだもん。
お金が全てじゃないよ。
これらは「こだわり」でもないと思うよ。
そうではなくて、マッチ・ミスマッチをはっきりさせるための一つの手段。
10年位前にある先輩に連れて行ってもらったレストランのジビエは本当に美味しかった。
かなり背伸びしたお値段だったけど、払ってよかった。一つ自分のレベルが上がったなって思った。
たしかにそういう部分が多くある。美術館に例えるのは、格式が高すぎるかもしれないけど、
そういうところに行くのに、いきなり行っても面白いけど、
少し美術史を勉強してから行くと、もっと面白いじゃないですか。
よりすごさがわかるというか。
例えばストーカーになったり、セクハラされたり、依存されたり、束縛されたり、暴言吐かれたり、裏切られたり、軽く扱われたり。
わいは人間については自分しか信じない疑り深い女なので表ではにこやかに笑ってても信頼関係を築くには1年以上かけて見極めている。特にビジネスにおいては。— 須賀ちゃん (@aki0217a) October 16, 2019
樹が5人兄弟の4男で、わいは5人姉妹の4女なのよ。運命かな!!!(違う)— なちた (@i_am_nathi_) October 16, 2019
わいの友達、元彼と復縁してたんすよ。
すごいなって思う。だって浮気された元彼とだよ?今だって周りに言わないでね?とか、SNSにあげないでね?とか。
信じられない。人によって幸せの形はちげぇけど、わいは、その男許せない。— またろ。 (@mataro_111) October 16, 2019
これらを見て自分の頭の中に浮かんだのは、だらしない、どうしようもない、甲斐性なしのヒモ男の姿だった。でも、こういう姿も想像できるんじゃないだろうか。男は専業主夫として家事育児を一手に引き受け、外で働く年上の妻を支えていた。難しい時期の子供と必死に信頼関係を築こうとしていたが、どうしてもうまく行かず、思い詰めていたところに、自分が一番気にしている、気にしていると思われたくない、残酷な事実を告げられてしまった。
もちろん、しでかした事はどんな理由があろうと決して容認されることではないし、実際にどんな背景があったのかもまだ分からない。まだ分からないのに自分の頭に浮かんでしまった男の姿は、紛れもなく、偏ったものの見方をしてしまう自分の未熟さだ。
一つも具体的な誤りを指摘しないで雰囲気論破してるアホがいますね。こういう態度取る人間は論破できるところあったらそこ大げさに騒ぐのにそれをしないってことは、具体的に反論できるところがないんだなってわかって自身が付きました
ソース無し版。ソース付き版はこちら →https://anond.hatelabo.jp/20190909174742
①日本政府は、最初から徴用工に未払い金を払うつもりで1946年から供託金を積んでいた
②1965年に戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」と両国間で同意して当時の韓国の国家予算の倍=今でいえば47×2.3で110兆円規模の支払いをした
③韓国政府や韓国メディアは、戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」とする1965年の日韓請求権協定を当時韓国国民に積極的に周知を行うことがなかった
④のちに戦後補償がこの協定により完全解決していることは、政府レベルでは韓国側議事録でも確認され、日本政府もこの協定により日韓間の請求権問題が解決したとしてきた。
⑥あげく韓国の議員がゴネだしたので言う通り当時の条約締結の過程を掘り返したら韓国側が墓穴を掘った。自分から事実確認を求めたくせに、事実が自分に都合が悪くなったらなかったことにした。
⑦2010年李明博大統領の時、「韓国政府は慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者については対象外だ」と後出しじゃんけんを始めた
⑨自国内の判決で過去の判決に手のひらクルーしただけでなく、他国の司法判断に干渉を始めた
⑩ルールが変わったので、2013年からは過払い金訴訟の感覚で日本を訴える人が続出
⑪最後の一線として「日韓請求権協定は違憲」という訴えを却下する程度の理性は残ってた
⑫パククネ政権では、徴用工問題について日本に厳しい判決を出さない司法が弾圧されるなど三権分立がさらに崩壊してしまう
⑬行政からの弾圧を受けた大法院がついに「日韓請求権協定」を無視した判決を確定させ、日韓の信頼関係に大きなひびがはいる
⑭日本から「補償金」という名目で多額の支援を受けてたのを国民に隠していた政府がその事実から目をそらすために三権分立を破壊してまで日本を執拗に攻撃していた
⑯ムンジェイミン、教科書を変えれば過去がなかったことにできると考え、司法だけでなく教育まで変えようとする
今ここ。
Wikipedia読んだ。
条約締結以前の1946年、日本政府は日本企業に対して朝鮮人に対する未払い額を供託所に供託するよう指示を行っている。2009年8月現在、日本に供託形態で保管されたままとなっている韓国・朝鮮人への不払い賃金額は、強制動員労務者2億1500万円、軍人・軍属9100万円などで総額3億600万円となっている
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定 - Wikipedia
・第2条が日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」規定
・この協定に基づき、日本は、韓国との正式国交開始と同時に、韓国に対し、合計5億米ドル(無償3億米ドル、有償2億米ドル)及び民間融資3億米ドルの経済協力支援を行った。当時の韓国の国家予算は3.5億米ドル程度、日本の外貨準備額は18億米ドルであった
2009年8月14日、ソウル行政裁判所は、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した1965年当時の書面に「日本に動員された被害者(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにした[2][3]。韓国政府は、日韓基本条約締結時からこの付随協定の内容を韓国民に伏せて
2005年の盧武鉉政権から、韓国政府は慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者の問題については日韓請求権協定の対象外だったと主張し始めた
韓国の与野党議員27人が、1965年の日韓基本条約が屈辱的であるとして破棄し、同時に日本統治下に被害を受けた個人への賠償などを義務付ける内容の新しい条約を改めて締結するよう求める決議案を韓国国会に提出するとともに、日韓両政府が日韓基本条約締結の過程を外交文書ですべて明らかにした上で韓国政府が日本に謝罪させるよう要求した。
2009年8月14日、ソウル行政裁判所は、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した書面に「日本に動員された被害者のための(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにした
韓国政府は元徴用工の対日補償請求はできないと表明していたが、韓国大法院は2012年5月23日、日韓併合時の日本企業による徴用者の賠償請求を初めて認めた。
韓国大法院は「1965年に締結された日韓請求権協定は日本の植民地支配の賠償を請求するための交渉ではないため、日帝が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」とし、「消滅時効が過ぎて賠償責任はないという被告の主張は信義誠実の原則に反して認められない」と主張した。
また、元徴用工が日本で起こした同趣の訴訟で敗訴確定判決が出たことに対しても、「日本の裁判所の判決は植民地支配が合法的だという認識を前提としたもので、強制動員自体を不法と見なす大韓民国憲法の核心的価値と正面から衝突するため、その効力を承認することはできない」と主張した
韓国の下級裁判所では元徴用工と元徴用工の遺族が日本企業3社(新日鉄住金、三菱重工業、不二越)に損害賠償を求める裁判を相次いで起こしている。
2015年12月24日現在、確認されただけで係争中の裁判が13件あり、このうち5件で日本企業側に損害賠償を命じる判決が出ており、3件が韓国大法院の判断を待つ状態になっている
2015年12月23日、1965年に締結された日韓請求権協定は違憲だとする元徴用工の遺族の訴えを審判の要件を満たしていないとして却下した。
韓国大法院は2018年までの約5年間徴用工訴訟について判決を出していなかったが、2018年に韓国の検察当局は朴槿恵政権期に大法院が大統領府や外交省と協議し故意に判決を先送りしてきた疑いがあるとし法院行政所の元幹部などを起訴[19][20]。2018年12月3日には職権乱用などの容疑で当時大法官(最高裁判事)だった朴炳大の逮捕状をソウル中央地裁に請求した
2018年10月30日、韓国の最高裁にあたる大法院は差し戻し審で新日本製鉄(現新日鉄住金)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。徴用工訴訟において大法院で結審したのは初めて。
2018年12月、戦時中に日本企業に徴用されたとする韓国人とその遺族が、1965年の日韓請求権協定で日本政府から3億ドルの無償支援を受け取った韓国政府に補償責任があるとして、韓国政府に対して1人当たり1億ウォン(約1千万円)の補償金の支払いを求める集団訴訟を提起することが明らかになった[23]。
小学校の教科書から「漢江の奇跡」を削除……韓国の歴史とは「道徳教育」である | 文春オンライン
韓国大統領、教科書から「黒歴史」消してさらなる親日潰し(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
でも8月15日時点ではここまでやばくなかったんだよな
昨日(9月5日)、たまたま予定が空いたので朝、ふらっと裁判傍聴に行ってきた。
傍聴券が当たったのはほんと奇跡。
まあ大抵のことは、産経新聞の目黒女児虐待死、母親被告人質問詳報を読んでくれ(https://www.sankei.com/affairs/news/190905/afr1909050041-n1.html)
なのでここには記事には記載されていない事や記載されてても私の印象に残ったことを書いていこうと思う。
あくまでも私の記憶を元に私の主観も入ったものなので記憶違いや私の解釈による違いなどあると思うのでそのことを前提に読んでください。
結愛ちゃんだけを診ていたのかと思ったら、子育て支援ということで母親とも1時間2時間話すこともあったよう。
・自己肯定感が低く、私はバカだから、という発言が印象に残っている。(確かに、午後の被告人質問でも「バカだから」「バカみたいに」が多発)
・雄大被告から「太った女は醜い」と言われていて、食事にかなり気を使っていた。ご飯にこんにゃくを混ぜようかという相談をされた。そのため、栄養指導を受けるようにつないだ。
・過食嘔吐をして下剤を服用していると優里被告から言われ、精神科に繋いだが一回目だけで二回目以降に繋がらなかった。他の精神科も紹介したが行かなかった。
・優里被告の自己肯定感がとても低く、とてもパワーバランスの悪い夫婦という印象。(パワーバランスが悪いということを何度か言っていた。)
・被告は結愛ちゃんが大好きだったし、結愛ちゃんも被告が好きだった。食事も全部手作りのようだった。
・雄大が帰ってきたら出来立てを食べさせなかれない、お弁当をちゃんと手作りでしなければならないと~しなければならないという雄大被告からの脅迫観念が強い印象。
・子供を大切に思っており、冷たいわけではないが、子供と距離があるように感じた。どのように接すればいいのか分からないといった印象で病院では結愛ちゃんが片付けができたら褒めたり、ハイタッチをしたりしてどのように接すればいいのかということを見せたりしていた。
・結愛ちゃんが一時保護されたいと言われたさいに児相が一時保護をしなかったことについて、やはり一回分離をするとその後、どのように家庭に戻すのか、親との信頼関係やケアをしていくのか難しい面もある。私とは意見の違いがあるが理解はできる。現状の制度の中でできることをしていたと思う。
・離婚したほうが楽かもしれないという相談をされたことがある。ただ、やはり世間体や他の色んなことを考えてふんぎりがつかなかったよう。
・逮捕されたときに警察から「雄大の呪縛から解かないと」と言われ、最初なんのことか分からなかった。(警察でさえ、雄大被告の影響を認識してたのね)
・結愛が一時保護された際は、雄大被告がA4の紙2枚の受け答えのマニュアルを作り、全部読んで覚えろと言われた。その後はそれを取り上げられて使われてる熟語の意味のテストから始まり、ちゃんとマニュアルを覚えたかテストをされた。その後、雄大被告が不起訴なり、ほんとうに雄大被告のことを聞いてれば大丈夫なんだと感じた。
・雄大は女は小食のほうがいいと思っており、コンビニのお弁当を一個食べたさいに「女なのにありえない」と言われ、雄大の前で食事が取れなくなった。キャベツしか食べれなくなった。
・雄大の前でどうしても一緒に食べなければならないときは、半分だけ食べて、雄大に渡す。雄大は「お願いですから半分食べてくださいって言え」って言っていて、そう言うと喜ぶ。そして食べる。(私、ドン引き)
・精神科は、最初に行った際に過食嘔吐と下剤服用を伝えたら「驚かないから何錠飲んでるか教えて」って言われて、「2錠」と伝えると「なんだ。大丈夫だよ。すごい人はね、一回に30錠とか飲むんだから」と言われて、雄大から努力が足りないと毎日のように言われ、人間としても女としても母親としても認められてなくて、でも私は頑張ってるって思ってたけど、やっぱり雄大の言ってることは本当でこんな努力の足りない人間が精神科に通うのは恥ずかしいことなんだと思った。(号泣しながら)(お医者さんは励まそうとしたんだろうけど、伝え方って難しいね)
・ほかに紹介された精神科は少し遠いことなどもあり、行かなかった。(精神科医に行っても意味がないと1回目の精神科受診で思っちゃったんだね。)
・雄大に説教をされたあとに気持ちの切り替えが早いほうで、ニコニコしてると怒られ、真顔だと不貞腐れてると怒られ、泣いてても怒られた。
・結愛にも弟にも赤ちゃん言葉を使ったり、「喉乾いてない?」など聞くと子供扱いをするなと怒られ、ハグなども怒られた。
・雄大が結愛に怒ってるときに「ママにも謝れ」と言って、結愛を私に謝らせたさいに「私はそんなの別にいいよ~」というと雄大に怒られた。それから結愛は私にも謝ってくるようになった。
・結愛の食事制限が始まってからは、朝、まだ雄大が寝てる間にお風呂場で隠れて、前日の夜にカサカサと音がしないために分けておいたお菓子やドライフルーツなどを与えていた。
・結愛ちゃんと朝4時起きるようにと雄大被告に言われていたので起きたふりをしていた。起床時間は大体朝7時半くらい。
・東京に引っ越してから、朝、結愛と勉強をするときはテーブルにハンカチを敷いて、鉛筆を置く音などがして雄大を起こさないようにしていた。
・相談ができたとしたら唯一、両親かもしれない。ただ雄大被告が私の両親をバカにしており、お前みたいな両親が育てたからお前みたいなバカができたんだ。いつまでもすねをかじってるなと言われたから相談できなかった。
・結婚したときから、ずっと離婚したほうがいいのか悩んでいた。
・雄大被告に反論すると「専業主婦のくせに」「育児もろくにできないのに言い返すな」などと言われた。
・私は聞いた記憶がないのですが(最後は集中力が切れてきたので)、検察側質問「子どもは「おかあさん、お腹空いた」と言わなかったですか?」 優里被告「おかあさん、お腹空かないの、とは聞かれました」(参照 https://twitter.com/myksrkw/status/1169762734696624128)
【追記】
・結愛と一緒にお風呂に入るのは禁止されており、雄大被告がいないときにだけ時々一緒にお風呂に入ることがあった。
ネットでは、優里被告が雄大被告から精神的DVを受けていて、洗脳状態だったという主張に対して、千葉県野田の事件以降、子供が虐待死したら夫からの精神的DVを主張するのがブームなんじゃないか、責任逃れという意見もあった。
身の回りでも夫のモラハラなどを主張してる奥さんの話を聞いてみると、確かにあまり人の話を聞かない傾向がある夫だけど、奥さんの伝え方が悪かったり、前提となる価値観が違いすぎたりするだけで、モラハラというほどか??ということもあったりはする。
しかし、今回のケースは、少なくとも取り調べをした警察も弁護側も夫からの強い影響力は認識していて、実際に暴力や暴言、妻や子へのコントロールはあったのだと感じた。
私は身の回りに福祉関係者がそれなりにいたりして話を聞く機会も多く、どちらかというと、もっと行政にできたことはないか、矯正より更生が必要、制度があっても自分から助けを求められない人もいるから積極的に行政が出ていかなければとは思っている。
もちろん、今回も関係者はもっとできたことがあるのではないか、必要な制度改正もあるとは思っている。
今回傍聴していて、被告人は私バカだからと何回も裁判でも言っていたが、確かに裁判で熟語や質問の意味が理解出来ずに何回も聞き返していたりして、あまり頭は良くないんだろうなとは思った。
傍聴全体を通じて感じたのは、『ケーキの切れない非行少年たち』で書かれているような被告人の認知機能の弱さを感じた。ある程度、先を予想するというか。目の前のことでいっぱいになってしまうというか。今日の審理(9月6日)では死ぬとは思ってなかった。と言ったそうだが、本当に思ってなかったんだろうなと思う。
結愛ちゃんを大切に思っていたし、愛してはいた。だけど、その大切な存在のために自分がなにをすべきなのかちゃんと判断できてない。
そして、今回一番感じたのは安きに流れる性格というか雄大被告に流されるままみたいな被告人の性格を感じた。先ほど書いた認知機能の弱さと関連してくるのかもしれないけど。
最初に書いたように私は今でも矯正より更生が必要だと思ってるし、もっと現状の制度が良くなればいいと思う。
ただ、今回傍聴して、月並みな言葉だけど裁判で審理をしっかり行って、自分の行ったことを突き付けられたり、自分で振り返って後悔しないと形を変えてまた似たようなことを起こすんじゃないかと感じた。
そのためにはある程度、重い刑も自分のしたことを(やらなかったこと)をしっかり反省するために必要なんじゃないかと感じた。
今まで、類似ケースでこの人だってある意味、被害者。罰してもしょうがない。それよりも支援をと考えてたけど、自分の考えがすこし変わって驚いた。
今も優里被告もある意味、被害者だと思うし、支援も充実させないとは思うけど、本人にも変わらなければならないところはある。
ちゃんと変わるためにもしっかり裁判を行って、罰される必要があると思った。
もちろん、優里被告がしっかり反省するために雄大被告の影響もしっかり審理したうえで。
私が精神的DVにあったことがないと言われたらそれまでだけど。
・なかなか児相も親との関係もあったりして簡単には介入できないと再認識。ブログやTwitterで児相に子供を連れ去られたって騒いでる人たちは本当に結構ヤバいなと思った。
・傍聴希望者の数しゅごい。400人弱くらい多分いた。当選したのは奇跡。
・被告人、髪の毛とっても綺麗。天使の輪がある。まあ裁判用に黒染めしたんだろうからその効果かもしれない。逮捕時のほうが荒れてた。
・裁判所内はスマホの電波がとっても悪い。なんであんなに遅いのか。
・たまに証拠がプロジェクターで映し出されるが、文字が小さすぎて傍聴席からは見えない。
・裁判所内ではスマホの撮影禁止なんだけど、特に傍聴券抽選のあたりでは結構裁判所職員がしっかり監視。写真撮って消させられてる。
・報道席以外にも報道関係者がとっても多い。人を雇ってるんだろうなーと。自分の当選も一瞬売ったらいくらかと考えてしまった。でも聞いたら迷うから聞かない。
・法廷画家が3~4組くらいいた。みんなサラサラと書いて席を立っていく。鉛筆一本で縦線横線、線の太さ細さであれだけ表現できるのしゅごい。
・同じ日に青汁王子の裁判もあったらしく、報道関係者はそっちにも出入りしなきゃならないみたいだった。
・法廷画家は場合によっては、10分、5分、3分とか時間制限があるときがあるみたい。
・法廷内は電子機器の完全持ち込み禁止で金属探知機でチェックがあるため、報道関係者は一言一句全部ノートに手書き。それを10時から5時まで。傍聴券のために並ぶなら午前9時過ぎから。閉廷後も文字起こしとかあるだろうし。本当に大変だなと思った。(休憩もたまにあるけど。)
保育士の仕事を侮っている人は知識を覚える事と実践する事の区別がついていないじゃないかと思う。
例えば下記(実践すべきことの一部だけど)を覚えたからって、簡単に実践できる人がそんなに多いのかという話。
想像だが保育士の仕事を侮っている人は暗記は出来ても実践は出来ない人も多い気がする。
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000160000.pdf
① 保育士等との信頼関係に支えられて自分自身の生活を確立していくことが人と関わる基
盤となることを考慮し、子どもが自ら周囲に働き掛けることにより多様な感情を体験し、
試行錯誤しながら諦めずにやり遂げることの達成感や、前向きな見通しをもって自分の力
で行うことの充実感を味わうことができるよう、子どもの行動を見守りながら適切な援助
を行うようにすること。
② 一人一人を生かした集団を形成しながら人と関わる力を育てていくようにすること。そ
の際、集団の生活の中で、子どもが自己を発揮し、保育士等や他の子どもに認められる体
験をし、自分のよさや特徴に気付き、自信をもって行動できるようにすること。
③ 子どもが互いに関わりを深め、協同して遊ぶようになるため、自ら行動する力を育てる
とともに、他の子どもと試行錯誤しながら活動を展開する楽しさや共通の目的が実現する
喜びを味わうことができるようにすること。
④ 道徳性の芽生えを培うに当たっては、基本的な生活習慣の形成を図るとともに、子ども
が他の子どもとの関わりの中で他人の存在に気付き、相手を尊重する気持ちをもって行動
できるようにし、また、自然や身近な動植物に親しむことなどを通して豊かな心情が育つ
ようにすること。特に、人に対する信頼感や思いやりの気持ちは、葛藤やつまずきをも体
験し、それらを乗り越えることにより次第に芽生えてくることに配慮すること。
⑤ 集団の生活を通して、子どもが人との関わりを深め、規範意識の芽生えが培われること
を考慮し、子どもが保育士等との信頼関係に支えられて自己を発揮する中で、互いに思い
を主張し、折り合いを付ける体験をし、きまりの必要性などに気付き、自分の気持ちを調
整する力が育つようにすること。
⑥ 高齢者をはじめ地域の人々などの自分の生活に関係の深いいろいろな人と触れ合い、自
分の感情や意志を表現しながら共に楽しみ、共感し合う体験を通して、これらの人々など
に親しみをもち、人と関わることの楽しさや人の役に立つ喜びを味わうことができるよう
にすること。また、生活を通して親や祖父母などの家族の愛情に気付き、家族を大切にし
ようとする気持ちが育つようにすること。
Bloombergへの寄稿は無能が一線を越えたように思う。論理が破綻している論説を日本の外務大臣の名前で国際メディアに出すのはやめてほしい。要約するとこういう内容だ。
1. 現在の日韓関係の悪化の原因は、徴用工の問題など、信頼を毀損する行為を韓国がしてきたからだ。
2. ホワイト国外しは徴用工とは全く異なる純粋に安全保障上の問題だ。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-03/PX6F9MT1UM0W01
1と2は一つの文章でつながらないだろう。もし、2が正しいのなら、前段の信頼が云々という話は、ホワイト国外しに始まるここ数か月の急速な関係悪化と関係がないことになる。だったらなぜ1の話をしているのか。なぜ信頼をタイトルに入れたのか。論理的な文章を書けない無能か、論理的でない文章をあえて書く厚顔かのどちらかだ。
「ホワイト国外しと徴用工は関係ない」というのは、「尖閣諸島では係争はない」とか「沖ノ鳥島は国際法上の島だ」みたいな外交上のフィクションだ。それが嘘なことは極東情勢に関心がある人ならだれでも知っているけど、日本がそう主張するのは国益にかなうし、まあ分かるよね、みたいな話。別に外務省が記者会見とか声明でフィクションを言うのはかまわない。
でも、わざわざ国際メディアに寄稿して誰も信じてないフィクションを主張するのは、日本の信頼を毀損する。メディアへの寄稿、とくに外務大臣みたいな大物からの寄稿に期待されているのは、ウェブサイトを見ればわかるような公式見解を超えた、率直で感情に訴える意見だ。建前を守るためには論理が破たんした主張しかできないなら、メディアに出るな。
そもそも、最初から「徴用工その他の問題で信頼関係が悪化した結果、ホワイト国外しをした。」という主張をしなかったのは戦略ミスと考える。日韓基本条約への挑戦は、第二次世界大戦によって作られた現在の国際秩序への挑戦なんだから、その筋で押せば普通に勝利できたように思う。日本の外交の伝統である「80点の勝利を受け入れず、100点、120点を目指して全部ダメにする」をまたやっているように見える。
日本政府は「信頼は毀損されたけど、ホワイト国外しは関係ない。ホワイト国外しは安全保障の理由だけど、根拠を開示するつもりはない。」と主張している。正直、第三者からみたら、韓国の「日本が突然敵対的な行動をとってきた。安全保障上だという理由を付けているが、その証拠を開示しろと言っても応じない。もしかしたら以前の遺恨を持っているのかもしれないが、日本は否定しているし、話し合いも拒絶されているし、こちらとしては困惑している。」のほうが理があるように思う。
他はともかく、少なくともホワイト国外しに関しては、韓国人が自国を支持するのはよくわかる。そして、何度も自国を侵略した隣の大国が経済攻撃をしかけてきたら、激烈な反応をすることも理解できる。ホワイト国外しって韓国経済に三千億円(=韓国GDPの0.2パーセント)以上の被害を与える話だって理解しているんだろうか。外交交渉しようとしても建前ばかり言われて、「根拠は開示できない」だったらキレるだろうよ。
韓国をレッドチームに追いやる時期を少しでも遅らせたいのであれば、どこかで韓国とは落としどころを探らなければならない。最初から両国の信頼関係全般を問題にしていれば、もうちょっと韓国側でも動きようがあったのではないかと思う。「いや、安全保障上の理由ですから。徴用工は関係ないですよ。」って日本が言い続けるのは問題解決のプラスにならない。河野外務大臣は失敗したように思う。
補足:「ホワイト国外しは他の国と同じ扱いにするだけだ」という主張をよく聞くけど、それは間違っている。もともとホワイト国に入っていなければ、サプライチェーンをその前提で作れていただろうけど、いきなり追い出されたら、大きなコストをかけてサプライチェーンの再構築が必要になる。
大手スーパーが地元の商店街を駆逐した後に、突然撤退されたら地元住民は困るだろう。「隣の県にはうちありますから、車で一時間かけて来ることはできますよ。そもそも西日本には進出してないですけど、誰も困っていないようですが。」みたいな話だ。スーパーが赤字で撤退したならまだ理解ができるし、準備もできるだろうけど、今回は県知事と経団連の会長の学生時代にあった遺恨のとばっちりで撤退を命じられた、みたいな話だし。迷惑だ。
中国が日本に変わって東アジアの悪役になるまで60年以上かかったのに、これでパアだ。日本経済の真の強みは中国、ASEANを含む東アジアサプライチェーンの最上流で高付加価値産品に注力していることなのに、国際サプライチェーンそのものの信頼を毀損してどうするつもりなんだ。これで韓国は日本を頂点とするサプライチェーンから抜けて、日本のライバルになるトップノードを国を挙げて目指すぞ。日本と韓国が同じものを作るよう促すのは、価格が下がり、売れる量が減り、規模の利益が下がる、Lose-Loseの戦略だ。トランプ、ブレクジットの自爆の流行りに乗ってどうするつもりなのか。選挙を経てない分、ブレクジット越えのアホじゃないか。
昔から、価値観がある程度合う話をしていて楽しい男性に限り、好意を持たれて告白された場合、ひとまずセックスをして身体の相性が良ければ付き合い、そうでなければお断りする事を繰り返してきた。
一般的な価値観では付き合う前に性交渉するのは良くないらしい。でも私にとっては性格も体の相性も大切な要素で、付き合ってからセックスの相性に不満が生じて別れる事の方が不誠実に思えるので、独自ルールを採用している。
交際する相手は一人だが、交際期間にも声を掛けられたら同じ様に求めに応じ、よりときめきを感じた方と交際をする、というのをずっと続けて来た。交際期間は平均3年。私には結婚願望もないし、妊娠は嫌なのでピルを飲んでいる。感染症も嫌なのでゴムも使う。
彼氏がいるのに他の男性とセックスするのはあまり受け入れられる事ではないと思うけれど、今まで付き合ってきた男性達自身が、私が彼氏がいるときに関係を持っている。私が人と付き合い始める過程を知っているので、当事者間で折り合いがついていれば問題がないと思っていた。
私の恋愛遍歴を知っているのに、なぜか歴代の彼氏はポリアモリータイプではなく、結婚を提案する人ばかりだった。そういった関係の非対称さに、悪い事をしてるんだろうなぁ、と居心地の悪さも感じている。
広く受け入れられている恋愛関係の価値観について、自分なりに以下のように捉えている。
・交際期間には異性と性交渉をしない。つまり二人の関係に排他性を持たせることで、お互いの存在を特別なものとして扱うこと。
・より良い条件や素質を持っているからといって、恋人を変えるのは良くない。恋や愛の尊さは代替不可能性にある。人を能力や条件で切り捨てる事は、自分も切り捨てられる事につながる。
・相手の価値は利害関係で決まるものではない。自分にとって相手が有益かどうかではなく、一緒に体験した時間や行為によって愛着や愛情が生まれる。そして自分から相手に与えたい、という気持ちを互いに持つことがより深い信頼関係を作っていく。
この前提を頭では分かっているんだけれど、どうしても上手く実践できない。
最低ラインとして、第三者を巻き込まないように、彼女持ちの男性や既婚者はずっと避けてきた。
私は研究職なので、施設を使うために地方と東京を往復する生活をしている。人の出入りが激しいのでそこで新しく出会う人達も居るし、たまには口説かれたりもする。
今年はたまたま良いなぁ、と思う男性がいたので関係を持った。その後しばらくして男性には東京に彼女がいる事を知った。
話を聞くと彼は昔から複数人と同時進行で関係を持つタイプの人らしく、彼女と遠距離恋愛をしながら、私に二股をしていたわけだ。東京に戻ったら同棲を始めるという。
わたしが浮気相手なので身を引こうとしていた矢先、どこで知ったか彼女からSNS経由で私宛に連絡が来た。
私の起こした行為に苦しみ悲しんでいること。彼と縁を切って欲しいことが綴られていた。
彼女がいる事を黙って、私に手を出してきた男性がほぼほぼ悪いと思うけれど、私にもっと “一般的な恋愛価値観” があれば、もっと警戒心を持って、軽はずみに異性と関係を持たなかっただろうし、こんな事態を引きおこなさなくて済んだかもしれない、と考え反省している。
自分なりに理解した社会ルールを頑張ってトレースしようとしているんだけど、どうやら上手く出来ていないので、人を傷つけてしまうらしい。
むしろ中途半端に擬態しようとしている事が相手を苦しめるのかもしれない。
今まで付き合って来た男性にも、他の異性とセックスをした経緯を話した時に、人の形を真似しているだけの、人もどき、という名前を付けられた事がある。
前職でも入社してすぐセクハラ受けたんだけど、それが思ってた以上にトラウマになってたみたいで無理だった
で、このように2連続でこの有り様なのでもちろん私にも何かしらの原因があると考えて調べたりしてみた
そしたらやっぱりセクハラ受けやすいタイプにかなり当てはまってた
実際は結構すぐキレるタイプなんだけど、入社したてだと猫かぶってしまう
で男性にマンツーマンで指導してもらうシチュエーションになると2日目くらいに何かが起き始める
入社したてって、まだ他の人と仲良くもなってないし加害者と他の人の方が信頼関係あるだろうし
だから入社してすぐハラスメントが始まると、耐えるか辞めるかしかない
で今回辞めるのを選んだんだけど、
前職は泣き寝入りだったので今回はちゃんとハラスメントの事言ったら上司に遠回しに自意識過剰だみたいな事を言われた
たまに知り合いのつてで仕事の依頼をされる
依頼されると、車で相手の家に出向いていく
そこで依頼主である高齢の夫婦と挨拶をし、ご自宅にお邪魔させていただく
ざっくりと家の中を観察し、この家庭のことを推測し、依頼主夫婦にいくつかの質問をぶつける
しかし、これをやっておかないと依頼完遂しないのだ
一通り質問が終ったら、今まで聞いたことや観察したことをノートにまとめ、思考をまとめる
いや仕事やってる感を依頼者の前で出すことにしている、ただボケッと話を聞いてるだけだと、依頼主も不安だろうから
ここから本腰を入れて取り組まなければならないのが私の仕事である
依頼主のお子さんを私の前に連れて来てもらい、私がお子さんをつぶさに観察するのだ
たまに部屋から出てこないお子さんもいるが、その時は臨機応変に私が部屋まで出向くこともある
その場合は料金上乗せなどという非人道的なことはしない、私の仕事はあくまでも善意でやっていることなのだ
さてお子さんと世間話をする、世間話からお子さんが普段何を考え、何をしているのかを探りを入れるのだ
10分も話していれば、お子さんの人となりが見えてくるがここで話を急がせて信頼関係を壊してしまっては意味がない
私はさらに10数分お子さんの話に付き合うことにしている、こちらが聞いてもいないことを話し出したら、信頼を得たと見ていいだろう
たまに茶が入ってる湯飲みを投げられ交渉決裂することもあるが、そういう時のために緊急避難的話の糸口を作っておくのも大切なことなのだが
それはまた今度の機会にしようと思う
お子さんに信頼を得たら、いよいよ本題である
私が遠路はるばる依頼主のご自宅まで来た理由でもある
私は満を持してお子さんに問うのだ
お子さんは一瞬きょとんとし、答える者もいれば押し黙る者もいる、人数的には半々ぐらいだ。
お子さんが答えた仕事と今までお子さんと会話してきた内容を精査し、不自然なところはないか一つ一つチェックしていくのだ
もちろん私の頭の中でである
不自然さがなければ、そうですかと納得し、あとで依頼主に心配はありませんお子さんが答えた職業で間違いありませんと報告をし謝礼を受け取って帰る
不自然ならここからお子さんを問いただして本当の職業を探っていかなければならないのだ
数分で探ることもあれば、何日もかかることがある、その時のお子さんの気分次第としかいえないのだ、私の経験や勘などお子さんの気持ちの前では吹き飛んでしまうのだ
自分はブロンズに始まり、サポートをメインとしてプラチナ周辺まで上がってきました。
先日、幸いなことにプロゲーマーからブロンズまで幅広い人たちとチームを組んでカスタムゲームをする機会を得ました。
その時、自分はメインロールであるサポートとしてみなさんを後ろから見ることができたので、その感想と普段見ている配信の考察などを。
・射線の管理が違う
ですがレートの低い人は「自分の射線が通る=相手の射線が通る」ということが理解できていません。この大原則はありながら、「相手の射線は通りにくいが自分の射線は通しやすい」というポジションも存在します。その理解度の差がレベルの差と言っても過言ではないほど、大きな差があります。
また、斜線の管理に加えて常に逃げ道を用意しています。危なくなったらすぐに物陰に隠れ、そのままヒールを待てるか回復パックをとりに行くことができるのです。
この差があとの項目に繋がっていくでしょう。
・被弾率が違う
プロゲーマーはほとんど被弾しません。プロレベルだとウィドウやハンゾーで一発でやられるのが基本なのもあるかもしれませんが、たまに流れ弾みたいなのが当たる程度で、ヒールもアナの弾一発で事足ります。強豪プレイヤーの配信でアナを見ていると結構頻繁に攻撃していますが、これは味方が被弾せず、ヒールが常時必要な状態ではないことが前提となっていますし、それはタンクも、ダメージも、サポートも了解の上で成り立っているな、と感じます。野良であっても必要な程度にはヒールが飛んでくるし、常にヒールする必要がない、しかしサポートが見てくれているという信頼関係が存在するのです。
逆にブロンズ帯はダメージをもらっていても気にせずつっこむし、そもそもの立ち回りも悪いのでとにかく被弾します。食らい始めたら隠れるようなこともしません。アナ+モイラなどでも間に合わないレベルで食らいます。それがどういう結果につながるかというと、相手のウルトはたまるし、味方のタンクはヒールがもらえないという不満が募ります。フル回転でヒールしていても「ヒールが薄い!」とののしられるわけです。回復よりダメージの方が早いんですけどね。
・デッドラインが違う
うまい人はおそらく6割程度をデッドラインとして下がってきます。
下手な人はほんとうにギリギリ、30とか、50とか、そんなレベルを目安に下がってきます。そんなですから、下がってる途中に一発もらって死ぬこともザラです。だいたいマクリーの攻撃がマトモに当たったら70なんだから、それ以下だと簡単に即死する状況であることが理解できていないのです。
更にうまい人達になってくると、HPを見て引き際を決めません。
自分にフォーカスが集まっていると思ったら下がってきます。自分のHP量はほとんど関係ありません。もちろん半分以下になれば下がってくることが多いですが、先述の通り「被弾しない立ち回り」をしているので、普段の立ち回りでの下がってくるときはHPが理由ではなく、敵が集まってきたとか、人数差ができてしまったとか、そんな理由です。
ちょうどお盆休みの始め、田舎で友人の結婚式に出てきた。良い式だった。荘厳な結婚式場、楽団の生演奏、多くの友人、親族、職場の上司。スピーチ、豪華な料理。
友人の結婚式にでたのは初めてではないが、今回は、泣けた。
私は田舎を出て、借金をしながら、大学院でアカハラに耐えながら、2年留年の末やっと博士を取り、愛する人を見つけ、一緒になろうと思い、そしてバカな行動で失った矢先であった。
私がわけのわからん細胞を相手にしている時に、地元に残った彼女らは他人と、その家族と一から信頼関係を築き、新しい命を育もうとすらしている。
あの式の中心にいる私も、隣にいる人も、祝ってくれる沢山の友人も、今の自分には想像できない。そんな資格はない。相手の気持ちもわからず、ただ通り一辺倒の親切らしいことしか私はできなかった。これまであまりにも人間の心を見ようとしていなかった。
今自分にあるのは、研究だけである。研究への情熱は、いつまであるだろうか。それを失った時、なに私に残るものはあるだろうか。
人とのコミュニケーションの仕方や、信頼関係の築き方が分からない。
まず人と話すことが怖いし、相手とかかわることにプレッシャーを強く感じてしまう。
人の前でしゃべろうとすると声が掠れてしまう、頭が真っ白になってしまってうまく説明できず場の空気を悪くしてしまう。
無意識に自分は出来ないからとか、どうせやってもうまくいかないからといった
諦めが出てきているのかもしれない。または、もう周りに嫌われている・馬鹿にされているのだから
頑張ったところで誰にも認められないし、やって意味があるのかと思ってしまう。
自分を変えたいと思うけど、頑張ったところで自分が変わることが出来るようになるのか。
また嫌な思いをするんじゃないか、人から白い目で見られることが怖くて、本心では何もしたくない。
したくないけれど、生きていくためには変わらないと、集団の中でずっと生きづらさを抱えて生きていくしかないし
年齢を重ねて詰む前にどうにかしないとと思う。