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2024-03-18

本当にジャップって幼稚になったよなあ

そうだよなあ身体障害者なんて弱者カード目の前に晒されたら自分達がお姫様王子様扱いして貰えねーもんなw困るよなあwww

ガハハ

構ってもらうには大腿骨折って助け呼ばねーとだよなwww

がんばれよwww

2024-03-10

追記した】競馬で当てた時に周りに飯奢るような気持ちを持て

反応があって嬉しかったので追記したわ。

【謝るべきこと】

「人の勝手押し付けんな」みたいな意見があって、それは本当にその通り。

押し付けるつもりなかったけど、タイトルもよくないな、「持て」とか。

申し訳ありませんでした。

  

【見透かされたこと】

「全部運やと思ってるやろ」

うん、そうやねー、結局この社会でうまくいくかどうかなんて運と縁だけやと思ってる。

個人能力やって、たまたまこ社会フィットするパラメータが高いだけとかあるし。

「『万物黎明』読み始めやろ」

読み始めたんは2か月以上前やけど、確かにまだ前1/3くらい。読みやすいねんけどね。

  

【驚いたこと】

この増田に反発しはる人たちの多くが「こっちは“努力“してる」みたいなこと言うてたこと。

努力できるというのも才能(つまり運)やし、努力しようっていうモチベ保てる状態にあるんも、環境に恵まれてると思うけどなー。

大谷名前出してる人もいたけど、好きなことを頑張れるんって、幸せやなとは思うけど、そうでない人より偉いとは俺は思わん。

 

【お前は金払ってんのか】

うーん、この話って「どんどん寄付しよう!」とかやなくて、

運のいい人は生活保護かにそんなめくじらたてんでええやん、って主旨やってんけど…

 

【一番納得した意見

トラバにも返信したけど、

友達(や家族)以外にも奢れんのかよ」って言葉

かになー。共同体が大きくなりすぎてて、自分が誰の手助けしてるんか見えへんのが問題なんかもなー。

 

競馬について】

これはまあ喩えで、なんかそれで不快になった人がいたらすみません

最近競馬場も行ってへんなー。

今日金鯱賞だけ5,000円買ってトリガミ

 

  • 追記終わり----------------

 

競馬場に友達と行って、自分が一番大きく勝ったら、その夜の飯くらいみんなに奢るやろ。

プラス分全てを吐き出す必要はないけど、ある程度は費うやん。

運で得たあぶく銭の費いかたとして正しいと思うんよ。

 

で、現代社会において、それなりに健康が維持できてて、ちゃん就職できてんのって、

本人の能力は少しは影響するかもしれんけど、まず運がええと思うんよ。

ガチャの当たりとか、環境的要因も含めて。

 

そうやって運がええことで得たものは、周りに還元してったらええと思うねん。

もちろん競馬当てた時も、「当てた俺を褒めてくれ」って気持ちで周りに奢ってるやろう。

から税金たくさん納めて社会に貢献したら「俺を褒めろや」って思ったり言ったりするんはええと思う。

でも、運が悪いだけの人に対して「お前はお前が買った馬券を外した無能自己責任コンビニおにぎり食って帰れ」とは言わんでしょ。

生活保護とかのやつを生かすために税金納めさせられるのは嫌」とか言い出すんはどうなんよ。

俺らはいつどんな不運が我が身に降りかかるかわからん競馬よりも浮き沈みの激しい世界に生きてて、

明日自分が大負けするかもしれへんねんで。

ほんのちょい浮きだけやとしても、今勝ってるんはただ運がええからなんやで。

 

人類学の話な。

旧石器時代やったか遺跡から大腿骨ダメになってる人間の骨が、健康な人の骨と一緒に埋葬されてんのが見つかったとか。

その折れ方やと絶対共同体に貢献できひんかった(お荷物になってた)やろういう感じで、

でもその共同体はその個体を受け入れて最後まで面倒みたっぽいと。

これが「人類がこの時点で文明を持っていたと言える証拠や」みたいな話。

うろ覚えから、『万物黎明』をちゃんと読んで確かめて)

 

自分が運がええだけ、という謙虚さ(というか冷静な自己分析)を持てへん人や

自分の浮き分は絶対他人に渡したくないいう人は

もはや文明をかなぐり捨てた野蛮人やと俺は思う。

2023-12-12

円安のおかげで半年結構金持ちになってしまった

41歳

去年の秋に親父が死んで数千万遺産が舞い込んできたんだけど

親父のことはマジで大好きだったので、あまりにつらくて仕事を辞めてしまった

ブラックでもホワイトでもないような会社で社内で開発されてたフレームワークスクリプトしか使えないという辞めたらなんの役にも立たないゴミカスニートになってしまって

母親子供部屋おじさんなのを世間体を気にしていやがってて春頃にはお決まり善意モラハラ攻撃

守ってくれた親父がいなくなり居心地の悪さから人生逆転を狙ってメキシコペソ遺産の半分を突っ込んだ

突っ込んだときは多分ネットニュースとかでよく見る遺産一瞬で溶かすおじさんのお約束パターンだけど、スワップポイント稼ぎだし大丈夫っしょ くらいの気持ちだった

その直後にバイクですっころんで右大腿骨バキバキしてしまって4か月入院 遺産で買った中古ジェイソンは一瞬で廃車、ショックすぎてFXことなんか完全に忘れたまま入院生活

退院が決まった直後くらいに思い出してチェックしたら...

未曾有の円安スワップポイントも含み益も見たことない数字になってたwww レクサス野球チーム作れるくらいの含み益9ケタの預金額初めて見た

遺産相続の時に紹介してもらった税理士さんに相談して、「失礼ながらこれは全くのラッキーで、息子さんの本来の実力ではないのですぐに利確して納税分を確保しましょう」とありがたい?アドバイスいただき

今は納税にかかる額とか、資産運用とかの相談してる 母親には言ってないし多分税理士以外のリアルの知り合いには言わないけど

アプリの通帳の数字見たらどうしてもどこかで言いたくなったので増田に共有することにした

2023-09-03

658 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (スプッッ Sd87-5k9J) sage 2023/09/03(日) 19:24:43.83 ID:dJEDVR7yd

ほのぼのくんについてお話します…

10年前にはほのぼのくんやそのお友達アートマンくん「ゲスクラ」と呼ばれるクラスタの有名アカウントでした

このゲスクラというのはインターネット炎上に物申したりして、ちんこまんこセックスの話をしたり、そうやってアルファ垢になってオフパコを目指すいい年してゲスいことやってるクラスタという意味らしいです

↓のトゲのMというのはほのぼのくんの前垢で彼はインターネット論客として「弱者男性死ねよ」という持論がありました

しかし彼は大事故で大腿骨骨折し、予後が悪ければ人工関節になりまともに歩けなくなるかもという診断を受けました

このとき彼はあまりのショックで連日弱音を吐いていました

すると当然ゲスラメバーであるこゆるぎ岬から「いや弱者死ねよって言ってたんだから言行一致させて死ねよ」と煽られてしまったのです

当然ほのぼのくんは大激怒し、こゆるぎ岬に対して虚実ないまぜ誹謗中傷を繰り返しています

アカウントが変わった現在でもこゆるぎ岬に対して悪口言ってるのはそういうことなんですね

KKO論争を巡るオッサンバトル 18'秋 togetter.com/li/1270238 #Togetter @togetter_jpから

2023-08-01

火葬場で焼いた遺骨

関東は遺骨は全部大きな骨壷に入れて持って帰るんだけど、

関西だとほんの一部を小さい骨壷に入れて、大半の骨は置いてくるんだって

死んだ友達関西の人だったけど、火葬関東でやったから骨は全部引き取れたよ!

友達の妹さんと二人で箸で、大きな大腿骨を持ち上げて骨壷に入れたなあ。

それで。遺骨を入れた骨壷って温かくなるんだよ。

東京駅までのバスの中、親御さんが骨壷を僕に持たせてくれたけど、ずっと温かかったなあ。

隣に妹さんが座ってて、駅に着いても鼻水垂れてて顔を上げられなかったよ。

しばらくしてから友達実家に行かせてもらったんだけど、

そのとき少し遺骨が分けてあって、お墓に行った時に僕に入れさせてくれたよ。

その時、人目を盗んで骨のかけらをパクって食べたんだ。

勝新太郎もやったし、骨噛みの風習もある。

関西人、好きな人の骨を火葬場に置いて帰るなんて、えげつないお別れしてまんな。

2023-04-30

20230430[アタック25]Next 2023年4月30日 兄弟姉妹大会 2023-04-30結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

10月からの本放送は1時「25」分から

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある2人の人物名前]阿部一二三・詩 あべひふみ・うた

・02 『宇宙兄弟

・03 レアル

・04 奇想天外

・05 錦織一清 にしきおりかずきよ

・06 [すべて][5つ]静岡県 鹿児島県 三重県 京都府 福岡県

・07 あの

・08 [近似値]79万9728

・09 [角度]108(度

10 マレー

11 [2択]転 入 届

12 原敬 はらたか

・13 3(つ

・14 朝倉さくら

・15 鴨居 かもい

・16 『THE FIRST) SLAM DUNK

17 [2択]離れている

・18 太田道灌 おおたどうかん

・19 [ふるさとクイズ][大分県]自動車(クラシックカー)

20 三浦大知 みうらだいち

・21 伯仲 はくちゅう

・22 オズワルド

23 3(番

24 [AC]是枝裕和 これえだひろかず

・25 [3択]4 千(平方メートル

・26 ロールパンナ

・27 大腿骨 だいたいこつ

28 ソルティドッグ

・29e [2択]大老 たいろう

・xx [あるとしの名前]A:岐阜市

2022-12-04

おじいちゃんの話。それから

https://anond.hatelabo.jp/20221121085518

 あっというまに、2週間が経ってしまった。

 忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。

 11/21のお昼前、母方の実家に着いた。

 突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体ますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。

 その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。

 枕経に来た菩提寺住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜葬儀日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。

 その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチ限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。

 本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたし経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。

 しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号うまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。

 30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父ももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。

 帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。

 そして11/23菩提寺葬儀をした。

 家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。

 式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。

 とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。

 でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。

 母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、

「○○さん(祖父)からさ、たった今、林檎が届いたんだよ」

 だそうだ。

 祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手マメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミング相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんから最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。

 さすがにちょっとしんどかった。

 あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。

 だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。

 でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。

 読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう

余談。

 わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母カタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。

2022-09-30

何の才覚もないゴミカスニートになったが気づいたら円安のおかげで半年結構金持ちになってしまった

ガチの子供部屋おじさん41歳

去年の秋に親父が死んで数千万遺産が舞い込んできたんだけど

親父のことはマジで大好きだったので、あまりにつらくて仕事を辞めてしまった

ブラックでもホワイトでもないような会社で社内で開発されてたフレームワークスクリプトしか使えないという辞めたらなんの役にも立たないゴミカスニートになってしまって

母親子供部屋おじさんなのを世間体を気にしていやがってて春頃にはお決まり善意モラハラ攻撃

守ってくれた親父がいなくなり居心地の悪さから人生逆転を狙ってメキシコペソ遺産の半分を突っ込んだ

突っ込んだときは多分ネットニュースとかでよく見る遺産一瞬で溶かすおじさんのお約束パターンだけど、スワップポイント稼ぎだし大丈夫っしょ くらいの気持ちだった

その直後にバイクですっころんで右大腿骨バキバキしてしまって4か月入院 遺産で買った中古ジェイソンは一瞬で廃車、ショックすぎてFXことなんか完全に忘れたまま入院生活

退院が決まった直後くらいに思い出してチェックしたら...

未曾有の円安スワップポイントも含み益も見たことない数字になってたwww レクサス野球チーム作れるくらいの含み益9ケタの預金額初めて見た

遺産相続の時に紹介してもらった税理士さんに相談して、「失礼ながらこれは全くのラッキーで、息子さんの本来の実力ではないのですぐに利確して納税分を確保しましょう」とありがたい?アドバイスいただき

今は納税にかかる額とか、資産運用とかの相談してる 母親には言ってないし多分税理士以外のリアルの知り合いには言わないけど

アプリの通帳の数字見たらどうしてもどこかで言いたくなったので増田に共有することにした

2021-12-25

anond:20211225101453

親に愛されて育ったんやろうな

ワイなんか親に「こんなブサイクになるってわかってたら生まなかった」って毎日言われ続けて

母親大腿骨へし折って施設に入れられて今では底辺人生

今ではどこにおるかもわからんけど見つけたら今度は確実に殺す

2020-11-19

anond:20201119200103

年代、2回目3回目はわかる。

今回のコロナ対策ではテレビバカ過ぎて毎日つらい。いや、わざとバカを言ってるんだろうな。

早く退院して、こんなテレビの雑音だらけの部屋から抜け出して仕事したいよ。お前も大腿骨には大事しろ

2020-02-23

anond:20200223222301

どこから栄養もらってどう育つかとかを考えたら、恐竜のやたらでっかいやつってなんか嘘くさいよね

ごめんなさい本当は恐竜大腿骨じゃなく木の幹の化石でしたみたいに正直に言ったほうが気が楽になると思う

2020-02-02

三大ほんとはなんなの

保母さん

大腿骨

他は?

2019-09-16

祖母に会いに行きたいが妻が・・・

今日敬老の日

そして昨日は祖母の97歳の誕生日だった。

9年くらい前にもここで祖母のことを書いた。

あのときはまだ多少目が見えていたが今は緑内障の進行で両目ともに失明している。

そして、大腿骨骨折により歩くことが不自由になり寝たきりの生活になっている。

介護レベルは5。酸素吸入器が必須入院している。

・・・いや、死ぬその時まで家には帰れないだろう。

からは間接的に聞いたことだが、兄が祖母のお見舞いした帰り際に

『連れて帰って』と言って縋り付いたという。

俺のときは「帰らんといて。」と握った手を話してくれなかった。

その時のことを思い出し、泣きながらも北陸から実家関西に帰ろうと思った。

しかし、妻子ある身。子供は二人共、小学生だ。

そして妻。毎回、実家に帰るとき喧嘩になる。

前回は何だったか・・・・たしか4泊5日は長すぎると怒られた

今回は10月の3連休有給を取得して3泊4日を考えている。

勇気と諦念を胸に妻へ「10月の3連休祖母の見舞いに行きたい」と告げる。

案の定、怒られた。

普段子供の通院や学校行事仕事が忙しいから休めないと言うのに、こういうときは休めるのかと。

もっとも。そのとおりだ。ただただ謝るしか出来ない。

ただ妻には言うと喧嘩になるため言えなかったが理由もある。

子供の通院は、妻じゃないと子供が嫌がって渋々妻が連れて行くことに。(積極的に休んで連れて行くと言ったのが・・・

学校行事も同様。あと、妻が見に行きたいからという理由もある。

仕事が落ち着くタイミングであることと、どうしても外せない打ち合わせの予定が無い。

・妻が倒れたときに、急いで仕事休んで病院に駆け込んだし、翌日も半休取ったくらい家族優先の意思はある。

さっき実家電話して行くことを妻に相談したら喧嘩になり、行けそうにないことを伝えようとしたが、すごく楽しみにしていた。

調子を合わせて電話を切るくらいしか出来ず、その後はただただ涙が出た。

どうすればいいんだろう。

からは「勝手にすればいい」と言われ、これをそのまま鵜呑みにして勝手にしたら絶対喧嘩になる。

そうは言っても祖母のことも心配だ。

GW家族実家に行った。

しかし、家族帯同だとどうしても子供比重を置いて

どこかに遊びに行ったりして結局お見舞いは初日と最終日で合わせて2時間程度。

それで妻は1年に1回は帰ってるのだから・・・という言う。

からすればNGワードもいいところだ。ふざけるなと言いたい。

自分実家近くに住んで、毎週実家の両親と会っているだろ。

子育てフォローしてもらっているが、『会える』という事実は変わらないだろ。

祖母に引き止められた時も一緒に居たくせに、

何で少しでも長く居たいという考えで有給取ることがダメなんだろうか。

敬老の日で妻の実家へ行ってる家族が帰ってきたら言おう。

祖母にどうしても会いたいこと。出来るだけ長く一緒に居たいことを。

ダメなところは直すから喧嘩せずに送り出してほしいことを。

ああ、祖母のつくった甘じょっぱい肉じゃが

大根厚揚げ煮物をまた食べたいな・・・・・。

2019-05-30

anond:20190530084220

ある日のこと、落ちていた動物大腿骨に目が留まった。

何かがひらめいた。拾い上げ、それを片手で器用にコントロールできる能力があることを確認した。

それは道具の発見というよりは、道具として扱う技法発見であった。

それにより勝利に導かれたとき、確かな進歩確信した。

2018-08-20

心って

大腿骨タイプ」か「肋骨タイプ」があると思うの。

大腿骨タイプ」の人は、一箇所折れちゃうともう立ち上がれなくなっちゃうけど、「肋骨タイプ」の人は、5〜6箇所折れていても気が付かなければ平気な顔をできる。

2018-06-24

流行ってないと見つからない

まさかセレクトショップメンズボトムに、タックが大々的(?)に復活するとは思わなかった。

太いのは苦手なので、細身を探す自分には困る流れだ。

特に今困っているのがショートパンツ

男がスネ毛見せんな?そんな毛深くないから勘弁してください。暑さには代えられません。

カプリとかサブリナとかの、膝下まで足にピッタリフィットする、ユニセックス的なやつが中々見つからなくて正直難儀している。

一番細いのでも、ロールアップで裾をすぼめてどうにかOKという感じ。

膝下の裾がダブつくのは正直困るんだよね。ロールアップはトップスでもボトムでも良いアクセントになるんだけど。


ちなみに自分スペックは176/64。BMI的には標準の範囲だが、問題はその体重下腹部と太ももに集中していること。

Yシャツが38/85なのに、デニム31インチ未満が入らないと言えば想像つくだろうか(ちな靴のサイズオールスターだと26.5cm)。

基本的に骨そのものが細いのに、腰骨大腿骨けがやたらと大きい感じ?

言うなればヒョロガリ下半身デブ」というやつだ。

なので、経験的にあらゆるアイテムタイトかつジャストフィットじゃないとキマらない。ルーズなシルエットはだらしなく見えたり、アイテムによってはオラついているように見えてしまう。


結果、メンズ定番アイテムであるテーラードジャケットは、タイトでもキツさを感じないジャージ素材が最高だったり。しかし、ずーっと2つボタンで推移しているのは何とかなりませんかね。2つボタンを1個だけ留めるとボタン飛びそうになるし、2個とも留めるのはイレギュラーな着方なので、いつまでもボタンを留められない。3つボタン早く復活してくれ。

シャツの柄は気がついたらギンガムチェックだらけになっていた。当然これもタイトじゃないといけないのであまり快適な着心地にはならない。

その点パーカーは、あんまりタイトだと変=多少ゆったりでもおかしくないので、シャツよりもお気に入り

チビTやピタTは大好きというか、Tシャツはそういうのしか着れない。ヒョロいお陰で乳首が透けることもなくジャストで着れる。

あとはニットソーのアンサンブルとか着てみたいけど売ってないんだよ。流行ってないからだとすると恨めしい。

そして春夏は、どれも七分袖が一番上手くキマる件。


ボトムはスキニーばっかり。これだと冬場ヒートテックを下に着れないのが辛い。そこは妥協してスリム買うしかないのか…という感じ。

靴は軽めのスニーカーで済ましてきたけど、流石に年齢的に子供っぽくなってきたので、今はデッキシューズしか履いていない。


体型の悩みは色々あるだろうが、細いのは細いなりに悩ましいのだ。

太い人の「そもそも選択肢がない」とは別の意味で。

2018-06-01

冗談まじりで Wink投げたら

頭蓋骨骨折及び脳挫傷。鼻骨骨折。第7歯から第4歯欠損。第1歯及び第2歯欠損。頚椎捻挫、左鎖骨不完全骨折。右上腕骨不完全骨折右手手根骨及び中手骨完全及び不完全骨折左前腕骨不完全骨折左手中手骨及び中節骨不完全骨折。基節骨完全骨折。右肋骨4番5番複雑骨折及び左肋骨7番完全骨折。左大腿骨及び………これで……やっと半分ってところだよ……

2018-03-13

親の介護、是非に及ばず

昭和一桁生まれの母が、朝方トイレに行く途中で転んで左大腿骨骨折した。

病院ではチタンを入れて接合してくれた。

ただ、この後2週間程度のリハビリを経て、母は退院してリハビリに特化した病院に転院する必要が生じている。

問題は、母が自分でもう一度歩きたいという意思はあるものの、リハビリ消極的という相矛盾した心理を持っているところ。

このままだと、自宅回帰はかなり困難で、施設入所を考えざるを得ない。

2018-03-10

一周忌直前に母が骨折

昨年、父が亡くなった。

父の生前は、「こぼした」「シャツの裾が出ている」等と口うるさかったが、いざ亡くなると「本当にいい人だった」としみじみ言っていた。

その後いろいろあったけど、一周忌法要を済ませようという日の直前に母が転んで大腿骨骨折してしまった。

幸い、要介護1であったこともあり、普段来ていた訪問介護スタッフがテキパキと処理して無事に病院入院し、手術も受けることができた。

母は、この手の自分弱者になる経験が少ないようでかなり動揺しており、リハビリがキチンとできるか心配

2017-01-24

​ 生まれてはじめて葬式にいってきた

この間、生まれて初めて葬式に行ってきたのだけど色々初めての新鮮な経験をしたので、思ったところをなんのとりとめもなくつらつらと書き連ねてみたいと思う。

初めての葬式は母方の祖父葬式だった。まあ葬式といってもそんな盛大なものではなくて、近い者たちだけで行う火葬式だった。祖父半年前ほどに末期ガン寿命宣告を受けていて、その死自体には何の驚きもなく、正直「やっとか……」という感じだった。というのも、祖父は数年前からいわゆるボケが始まっていて、祖母やたまに家を訪ねた母ともケンカばかりしていた。そして更にガンを患って入退院を繰り返し、同居して介護していた祖母疲弊しきっていた。素直に死を嘆き悲しむ事ができるような祖父は、はるか記憶の彼方に埋もれていた。そんな状況だったから、なんだかとても薄情に聞こえるかもしれないが、自分にとってはその死の報せで特に悲しむということもなく、「これでやっとみんな楽になるんだな」という感想が一番だった。

そんなわけで、大した感慨とある種の現実味もないまま葬儀当日を迎えた。車で数十分の距離にある市営の小奇麗な火葬場は小高い丘の上にあった。火葬場に着くと早々に祖父の棺が運ばれてきた。自分達は炉の前で「最期のお別れ」をすることとなった。母が用意した白い薔薇と今朝書いたばかりの祖父への手紙を棺に入れた。狭い棺のなかで花に囲まれ祖父はまるでただ眠っているだけで、今にも起き出しそうに見えた。いよいよ炉の扉が開かれ祖父の棺がほの暗いその中へと消えていった。炉の扉が閉ざされて火が入ると付き添っていた僧侶木魚を叩きながら経を唱え始めた。その瞬間、いきなり涙が溢れそうになり必死でこらえた。自分でも何故こうなったかからなかった。ただその場の雰囲気に飲まれたのか、何か自分の奥底に眠っていた感情とやらが溢れたのかもしれない。その後、亡骸を焼ききるには一時間ほどかかるらしく、待合室で数少ない親戚との久々のささやかな会話をしながらその終わりを待っていた。

その間に先程の経を唱えた僧侶が来て祖父戒名説明をしていた。ちなみにこの僧侶へは、式全体のパック料金には含まれないお布施を直接渡すことになっていた。そのお布施の額も決まっていて、値段によって僧侶の人数だのが明確に決められていた。旧来の檀家制度に比べてみればある意味良心的なのかもしれないが、「ビジネスだなぁ……」としみじみ感じてしまった。しか僧侶というのは大したもので、丁寧に戒名の由来を説明する姿や祖母や母の質問相談真摯に答える姿は、金銭の授受によって成立し提供されている一種の「サービスであることを一切感じさせず、その清い心の底から自分達に同情と共感を向けてくれているように思えた。自分はここで初めて本当の意味での宗教存在意義見出したのかもしれない。ミッション系の大学に通っているので、講義宗教必要性重要さ(キリスト教に関わらず)は訥々と説かれていたはずなのだが、懐疑的なところもあった。しかし、渡された戒名を眺めながら言った「これでじいちゃんもきっと向こうで喜んでるね」という祖母のありきたりのようにも思える台詞は、その疑念を実感を伴って払拭するような体験としては十分だった。

そして放送祖父名前が呼ばれ時が来たことを知らせた。その時自分は緊張していた。それはある叔父言葉きっかけだった。「じゃあお前たち、骨を拾うのも初めてってことだな」。それは自分達姉弟が葬儀に出席するのが初めてという話題に端を発し知らせられた衝撃の事実自分にとっては)だった。その時は、骨は焼かれた後は影も形もないほど粉々になり、そのまま骨壷へ収められていくものだと勝手勘違いしていていたので、まさか形が残っている骨を自らの手で拾わなくてはいけないとは夢にも思っていなかった。「あんまり形が残ってたらやだなあ……」などと考えながらいよいよ先程の炉の前に着いた。炉が開き、台車ゆっくりとこちらに向かってくる。その台車の上には軽石のような、なにか鉱石のようにも見える白い物体が載っていた。半ば逸らしていた目を向けよく見てみると、たしかに人の骨格をうっすらと思い起こさせる形をしていた。初めて人骨を目にしたが思ったより衝撃はなかった。二人一組になっていよいよ骨を拾い骨壷に入れる。自分の番になり、姉と一緒に恐る恐る遺骨を長い鉄製の箸でつかみ骨壷に入れた。一斉に骨を離した瞬間、骨壷のなかから乾いた音がした。もちろん骨はいくつもあるので、残りは火葬場の職員が手慣れた手つきで骨壷に収めていく。その時に「こちらは大腿骨です」とか骨の部位をいちいち説明してくるのだが、「そんなん言われても『へえ、これが大腿骨なんだ! 』以外どう思えっちゅうねん」と心のなかでツッコミを入れていたところ、母が「こんなに丈夫そうで、骨格は立派だったんだね」などと言い出し祖母もそれに同調し、「まさかこんな形で故人を偲ぶイベント葬式にあるとは……」と少し興味深く感じてしまった。その後も骨は骨壷に収められ着々と骨壷の中身はかさを増していくのだが、途中で「どう考えても骨が骨壷に収まりきらないぞ……」とその場に居た皆が感づき始めた頃、不意に、「このままでは収まりきらないのでお骨を少し砕きますね」という声がかかった。その刹那、その職員は箸でバリバリと骨を砕き始めた。それはもう容赦なくだった。粉になった遺骨をさらさらと骨壷に収めていくぐらいだろうと考えていた自分にとっては、かなり印象的な光景になった。一緒に骨を入れた姉と終わった後に「あんなにバリバリ砕くとはねえ~」と少し笑いあった。式を終えた帰りの車内で骨壷を抱えながら「お父さんもこんな中に収まっちゃった」という祖母の気が抜けたような言葉には、何とも言えない寂寥の念を感じさせた。

なんだかんだ書いてきたけど、結局人が身近な人の死をどう認識して受け入れていくのか、そのプロセスのために何が必要なのか、とかそういったことが伝統的な儀式の中には組み込まれてるんだな、という当たり前のことを認識させられた。戒名とかそのために何万も金払うのとか無駄だろwとか思ってなくもなかったけど、単なる損得勘定では考えられないこともあるということも分かった。そして終わってみるといろんなことを学んだ気がした。どうでもいいけど遺骨はさらさらの粉になって出てくるって勘違い、小さい子供が魚は切り身で海を泳いでると思う勘違いと似てるなって思った。ほんとにどうでもいいな。おわり。

2016-09-08

ばあちゃんが立った

数ヶ月前に転んで大腿骨頚部を折ったばあちゃんが退院した

90を超える上に元々足が悪くて運動量の少ないばあちゃんは体力がなく貧血気味で

そもそも手術に耐えられないかもしれない、手術が無理なら寝たきりだと言われていたが

点滴して輸血したらみるみる元気になって手術もあっけなく成功した

心配させやがって


そこからリハビリして体力つけるまでが大変だったが、先日ようやく退院許可が出た

転んで足折って何ヶ月も入院してる間に認知症になるパターンが本当に多いが

もともと家でもあんまり動かないばあちゃんだったので絶対安静の生活もお手の物

足の悪い年寄りとしての年季を見せ付けられた感じ


帰ってきた家は介護保険恩恵にフル預かりで手すりからスローからセンサーカメラまで設置され

ばあちゃん包囲網がすっかりできあがっていた

もう家から出られねえなあ! ばあちゃん

曾孫見せてやるからあと10年は生きてくれよ

2016-05-13

ばあちゃんが転んだ

米寿を越えた足の悪いばあちゃんが自宅でコケ入院した

大腿骨頸部の複雑骨折らしい

手術をしないと歩けるようにならないらしいが、現状でばあちゃんは手術に耐えられるだけの体力がないらしい

しばらく入院して弱った身体機能回復させ、それから手術の可不可を判断するとのこと

手術ができなければもう歩くことはできないだろうとの見込みだ

ばあちゃんは軽い認知症で、もし寝たきり生活にでもなってしまおうものなら

さらに症状が進んでしまうだろう

俺が結婚するのを心待ちにしているばあちゃんは、いつ来るか分からないその日まで俺を覚えていられるのだろうか

頼むから元気になってくれ俺も頑張るから

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