人と違うということは、人と深い意味での友だちになれないということ。恋人になれないということ。仲間に、味方に、同じ目線になれないということ。心の中で、他人を、話し相手を求めているということはわかる。が、同時に理性的に優秀な、価値のある人を求めている自分がいる。キャリアチェンジはこの人間的な苦しみを、キャリアと重ねていたから。変わっているという、この状態が普通になってほしいという願いを込めて選んだ職種だから。これを、いったん払拭してみないとわからないと思ったから。結果、呪は解けない。友だちになろうと、家族になろうと手を差し伸べてくる人がいても僕はその手を取れない。それは、僕の唯一の価値である能力を減らしうるものだから。変わっている人が一般的に世の中に受け入れられているのは、能力的に優れているから。僕も同じ。だから、研鑽の時間を奪う、遊ぶ、育むといった行為は僕は取れない。これは呪いだから。
そもそも、変わっているねと人に述べた時点で、一本境界線が引かれている。同じ場所、領域内には立っていない。踏み込みもしない。外から眺めているだけである。
結局、"僕は変わっている" のままだった。僕は普通になりたい。普通に友達を作りたい。社会に受け入れられるとは言わない。けど、例外になりたくない。同族意識ではなく。この矛盾の中で僕は死んでいく。
やりタイケンサンが出来る自慢だろ?