はてなキーワード: 自由自在とは
飼っていた犬が天国に旅立った。
最後の1年は痙攣がよく起こるようになって。
落ち着くまでに3~6時間かかってた。
痙攣は脳にダメージが行くらしい。
うちの子は半年で10回以上起こってたからとんでもないダメージだったんだろうな。
とりあえず仕事をやめてずっと側にいた。寝るときもリビングに布団ひいて一緒に寝た。
8月には前足もだめになった。
痙攣で神経にもダメージが行ってるとのことだった。
足が動かなくても、うまく座れなくても、
食欲だけはすごかった!
腎臓の数値も前から悪かったので、腎臓サポートのご飯をあげてた。すごい食い付きでいつも食べてくれてた。
というかうまく食べられない感じで、飲み込むのがしんどいのか、半分くらい残すようになった。
病院に行ったら腎臓の数値がすごく悪くなってるから、点滴をしたほうがいいとのこと。
4日間は病院で点滴と抗生剤の注射をしてもらって、あとは家で自分で点滴をすることになった。
最初はその抗生剤で体調がよくなってたんだけど、日に日にしんどいのか寝れない日が続いて。1時間おきに起きては暴れて鳴いて、抱っこして過ごすって感じで。
犬も飼い主も疲弊してた。寝れないってつらいよね。
点滴の量を増やしても変わりなくて、先生が、
そしたらグッスリ寝てくれて、体調が戻った!
でもそれも1日だけ。
次の日から抗てんかん座薬をもらって、しんどそうなときに入れてたんだけど、効果が2時間くらいしかなくて。
結局次の日またその注射を打ってもらって、ゆっくり寝かせることになった。その注射を処方してもらって、しんどそうなら打ってくださいと言われた。
その日、法事があって、家族が実家に集まった。その日はうちの子も注射後で体調がよかったのか、元気な姿をみんなに見せてた。ご飯もバクバク食べてくれた!
あんな苦しそうな姿を見たら他の家族は泣いちゃうかもしれないな、と思ってたから安心した。
その日の夜、みんなが帰ってからまたしんどくなったみたいで、注射を半量だけ打ってあげた。
多分みんなを心配させたくないからいいところ見せようと頑張ってたんだろうな。
次の日、なんだか息がしづらそうにしてた。ゼェゼェ口を開けて息をしてる感じ?喉から変な音がしてる。
翌日がどうぶつ病院が休みの日だったので、その日のうちに見てもらうことにした。
しんどくなる=部分発作が起こってるということなので、抗てんかん注射を1日に3本打って、まずその発作をなくしてあげましょう。と言われた。
その日も注射を打ってもらった。でも息が荒いのはそのままで、寝てる間もずっと口を開けて息をしてた。お腹から息してる感じかな。
お昼に起きて息がうまくできずにしんどそうにしてる犬に注射を半量だけ打ってあげた。でもあんまり効果なくて。
唯一抱っこしてる間は寝れたみたいなので、家族で代わりばんこに抱っこしてた。置いたら起きるっていう赤ちゃん状態。
その日の夜中、またしんどそうにしてる犬に、注射を打つべきかどうか迷った。お昼は効かなかったし、息苦しいのと発作が本当に関係あるのかちょっと疑問だったから。
でも犬が苦しそうだから、少しでも寝れたらと思い、注射を打ってあげた。
母は苦しそうな犬を見て隠れて泣いていた。
夜中に何回も起きては息ができない犬を抱っこした。途中、晩御飯で食べたちゅーるを吐いて、ちょっと楽そうになったので、詰まってたのかもしれないな…。
次の日の9月14日、自分が一人で犬を見てた。朝から息がすごくしんどそうで、抱っこをしてもしんどそうだった。
体温がいつもより低く感じて、エアコンを止めて布団を何重にも着せて抱っこした。
息が苦しく口が閉じれないので、舌がだらんと垂れていた。朝ごはんのちゅーるもひと舐めもできなかった。
あまりにも舌が乾いてたので指で水をすくって濡らしてあげた。
もしかしたら今日か明日が山場かもしれないと思った。苦しそうな犬を見て、もう無理しなくていいんだよ、と思う自分と、もっと一緒にいたいと思う自分がいて、むちゃくちゃに涙が出てきた。
犬が寝れそうだったのでベッドに置いて仕事をしようとしたら、犬がキャンキャン!と吠えた。苦しいみたい。すぐに抱っこしてあげた。大丈夫だよ~と声をかけながら背中をさすってあげた。
そこから、犬の呼吸が今までにないくらい荒くなって、キャンキャン!と言ったあと、私の顔を見ながら荒かった息がスッと止まった。
私はパニックになって、声をかけながら、カイロで体を温めた、大丈夫だよ、大丈夫だよ、って。
そしたらこっちを見ながら、口がガクガクッと動いた。
多分「もういいよ」って言ってくれてたんだろうね。
朝からずっと苦しそうな表情してたくせに、最後は私の顔を見ながらめちゃくちゃ可愛い顔で死んでいった。
昨日から閉じれなかった口もすっと閉じて、くりくりした目でこっち見ながら、私の腕の中で逝った。
もちろん、覚悟はしてた。
でも耐えられない悲しみが襲ってきて、犬の体がびちゃびちゃになるくらいに泣いた。
最後まで頑張らせてしまった。十分頑張ってたのに。心配させないように可愛い顔で死んでった。
おっきくこっちを見てくれてた目を閉じてあげた。スッと寝れたみたいに、すごく穏やかな寝顔だった。
この2週間、薬なしではしんどくて寝れなかったから、やっと穏やかに寝れたみたいで安心した。
そこからベッドに寝かせてあげて、次の日の朝までずっと散髪してあげたり話しかけたり撫でたり匂い嗅いだりしてた。目の前でただ穏やかに寝てるみたいだった。
次の日、火葬に送った。大好きだったおやつをこれでもかってくらい入れてあげた。朝食べられなかったちゅーるもいっぱい入れてあげた。そこでは泣かなかった。ちゃんと送ってあげられた。
でもそのあとどうぶつ病院に挨拶にいったとき、いつもは犬を抱っこして連れていくから思い出して号泣してしまった。
昨日の夜、注射打たなかったら、もしかしたら、と思ってはあんなに苦しい思いをもうさせたくない、あれでよかったんだと色んな気持ちが葛藤して、涙が止まらなかった。
家に帰ってまだ犬の匂いがするブランケットを抱き締めて、いるはずの場所にいない虚無感に襲われて泣きながら寝てしまった。
起きたら犬は遺骨になって家に戻ってきた。
骨になった犬を見て、もう会えないんだなと実感した。
また涙が止まらなかった。
次の日もまた次の日も、仕事をしてたら大丈夫なんだけど、ご飯を食べてたり、テレビを見てたりすると、ふと最期が思い浮かんでは涙が出た。
犬を送って3日目、それが今これを書いてる今日。
昔の写真を整理しようと思って見てたら、2000枚以上あって、おバカなことしてる動画だったり、ご飯くれって吠えてる動画だったり、見てたらすっごく笑えて、色んな思い出が蘇った。
最後の1年間の介護生活の印象が強すぎて忘れてたけど、犬は17年間すっごい幸せに私たちと暮らしてきたんだった。
絶対に世界一幸せだったよね、ってくらいみんな犬のことが大好きだったし、犬も家族が大好きだった。
この辛さは多分人生で一番の辛さで、人生で一番の悲しみだけど、昔の犬の写真を見てるときだけが今唯一笑える時間。
天国では、自由自在に走り回って、大好きなおやつを食べまくって、グッスリ寝られてるといいんだけど。
もうきっと犬を飼うことはないけど、私が天国に行ったら絶対にまた一緒に過ごそう!
これから前向きに生きていくために記録として書かせてもらいました。
小学生のころからずっと一緒に育ってきた弟みたいな存在だったので、心にポカンと穴が空いてしまった感じで。最期腕の中で死んでいったのを思い出しては泣いてしまう感じです。
②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった
③時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれた
これは、為政者が政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された
④本来、「表現の自由」は行政や司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない
よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利の対立を解決できるようにするのが普通
⑤ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる
ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため
⑥人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる
⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれる
そこでは、女性差別、人種差別などを構成する偏見が助長されることすらNGとされた
⑧女性の権利強化が進み、女性を性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる
この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する
問題を「差別である」としたことで、玉虫色の意見をけん制できてしまった
事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見を構成できない
反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる
耐えてきたハラスメントなどが「性差別の産物」なのだと定義されるのだから当然の帰結
⑩人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)
「(一部の)女性を不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した
最終的には「男性社会の偏見の現れ」とかいう差別「性」に論がずれ
「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された
以後、定期的に萌え表現は燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる
⑪「お気持ち」返答が始まる
対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して
「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)
具体的にいけば
少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが
少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである
そして、それらのイケメンが、性的に安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである
※それらを享受することすら許さない楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロいセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない
そうした不整合を処理するのに生まれた概念が「性的にまなざす」だ
今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った
⑫ポリコレ集団は表現の撤去を求めてくるので表現の自由が使われる
相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動」であるため、「表現の自由」が使われることになる
当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態の相手と会話など成立しない
この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれる
彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団」であると定義される
ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現の戦場は「お気持ち」の戦場だ
「不人気」だってお気持ちだし、面白いが掲載場所が合わず死ぬ作品もある
「不快な表現」を理由に撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン)
問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村の村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ
これまでなら「妻がカレーを作るCMは不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCMは性差別」として叩けるようになった
なぞなぞだよ!
愛工大名電、アイアン・メイデン、ブライアン・メイ、メグ・ライアン
この中でとなりのトトロのサツキにメイのバカ!って言われてないのはキャッシー中島さーんだ。
ランチか何かしないって誘ったら、
いいよと言うので
この際だから今私が一所懸命集めて交換したいパンの白いお皿を地で行く餃子のお皿を交換すべく、
そんで加勢してもらおうって魂胆よ。
ちょっと話し変わるけど、
「魂胆」って英語で言うと読みが似ていて綴りKongTangってなるの。
でね、
そこの餃子屋さんは2つで1人前なので
凄く食べてる感が出るけど
実際は個数にするとそうでもないのよね。
100人前食べてもな、
もはやイナバ物置のレヴェルよね。
そんで、
エレベーターのドアの扉が開いたら目の前がすぐもう店内で横にはレジとか、
そんで、
どんどん近づいていくうちに
小さい音の餃子が焼けるじゅーじゅーって音がだんだんと大きくなっていって
到着して扉のドアが開いた瞬間
じゃんじゃんもうじゅーじゅーって焼ける音がけたたましいのよ。
なんかクラブみたいじゃない?
そのサウンドが。
細かく刻まれた美味しい具材に包まれた餃子を食べるテンションを爆上げさせるの。
そんでね、
途中味変味変戻り味変戻り返しと
いろいろな技を決められるように、
自由自在なタレで餃子ビートを刻みながら舌鼓も打てるわけなの。
私の選抜メンバーは
なかなかヴァリエーションに富んで飛びまくっているでしょ?
もうみんなで100人前は食べてるよ!なんつって止められちゃったけど、
ちなみに
ちまちまとここでは何人前とか言わなくて
それぞれ8人前16人前の餃子がやって来るの。
でもこれだけ食べても
餃子の白いお皿までの道のりはまだまだ長くて、
これ本当にスタンプ全部押せるのかしら?って思うぐらいよ。
結局はみんななんだかんだ言ってペロッと食べちゃうのよ。
ここのお店の通の常連さんは
私はその注文の仕方を1度見たんだけど
エイトフォーって言う頼み方でも32人前来て、
なんかカッコいい注文の仕方じゃない?って。
私も真似して、
8分の5で!って頼んでも、
この注文の仕方はスベりまくるわ。
今度から気を付けないと、
私もエイトフォーって言いたいのよ。
そう言う年頃でもあるし、
このお店に来たらまず歳の数だけ餃子を食べるってことになってるから、
初来店で来た人はビックリするみたいよ。
英語で複数形にならないシープとかフィッシュとかペーパーとかサーモンとかあるじゃない。
よく分からないけどふーんて感じよね。
で話戻すけど、
トップクラスだと累計100万人前ぐらい食べてる人がいたりなんかしてるから、
このランキングってもう私なんかのクラスの餃子好きでも到底ランクインなんて無理だわ。
無理すぎる前人未到の記録よ。
帰りのエレベーターの中で3人で
今日の餃子美味しかったね!ってヒーローインタビューに答えるのよ。
あまりに長くお店にいると髪の毛が餃子臭あぶらの香りが染みてしまうから、
それはそれで困ったり困らなかったりって話しよ。
以上そんな
うふふ。
これも飽きないわよね自分で言うけど
あんまり新商品ニューカマーなサンドイッチもないのも一つの原因ね。
横文字にするとカッコよく聞こえるわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
かわいくなりたい かわいくなりたいです
今まで一度も自分の容姿体型にコンプレックスなんて感じたこともなかった。外見でいじめられたことなんてないし、オシャレな格好をすると「かわいいじゃん」ってなる。そうなの、別に困ってるわけでも悩んでいるわけでもなくて、なのに今すごい自分がどうしようもない女に思える。日常は地味めだけど、遊ぶ時はオシャレしてメイクバッチリでめちゃくちゃかわいい!ってなるのが理想なのに、実際は背伸びしてるかわいそうな「かわいい」みたいで悲しい。
一浪した。わたし以外みんな現役。突然ごめんね、話がすっとんで。最近みんなのSNSがキラキラしてる。彼氏出来たり、知らない子が横にいることも多くなったり。自撮りなんてあげるタイプの子達じゃなかったのに、堂々としててびっくりした。なんかみんなオシャレで、みんなめちゃくちゃ可愛くて、ていうかもともと見た目には気を使っていた子達だけど最近すごい、すごい「めちゃくちゃかわいい」んだ。すごい。インスタのストーリー見て心臓がバクバクいってる。かわいい。すごくかわいい。スクショ撮ってアップにしながら見とれちゃうの。すごいかわいくて、笑い方も顔が歪んでなくて、楽しそうで、自然で上品で、すごい髪型も整ってて綺麗、自分に合ったお化粧も自由自在。つらいからインスタアプリ消した。スクショも消した。そんで最近削除した写真からも消した。心臓がどカンドカンいってる。
自分が、自分がなんていうか、かわいくなくて、あんな風には笑えないし、メイクも全然だし、服も全然垢抜けてない。おかしいな。かわいい、理想的だって思った服を上下セットで靴もカバンも一緒に買ってるのにおかしいな。学生時代は特別顔が整ってるわけでもなかった子達が、私と同じくらい凡庸な見た目の子達が、めちゃくちゃかわいいの。おかしいな、おかしいな。すごい。どうしたの。自信にあふれてる。自撮りをSNSにあげるのみんな興味なさげだったのに、それはちょっと……とか言ってたのに急にどうしたの。
わたしも、私も、かわいくなりたい。いまはイケイケのみんなと一緒に遊びに行くのが怖い。コロナに感謝しちゃうもん。最低だ。みんなは、私がノーメイクでジャージジーパンでも絶対引かないし悪口も言わないし、特に何も思わないであろう確固たる自信があるけど、やっぱり私も、わたしもかわいくなりたいよ。どうしよう、どうしよう、どうしよう、心臓がどカンドカンいってる。
おっと最初に言っておくぜ
じゃあ本題だ。
まずこれだ。
データがテキストファイル形式でも貰えると更に自由度は広がる。
紙の本は読み方を出版社が決めるが、電子書籍は読み手が決められる。
これは案外大事な話で、人によっては視線移動やスクロールのクセから縦読みか横読みのどっちかじゃないとちょっとねって人もいるわけだ。
紙の本は殿様商売だから「知らんわ?お前が勝手に頑張れば(は~なく~そほ~じほ~じ~)」だ。
次にこれだ。
紙の本の場合はカラーページとモノクロページが印刷の都合で分けられがちだが、電子書籍の場合は自由自在だ。
掲載する図面を気軽にカラーにも出来るし、漫画で突然カラー見開きを持ってきて読者を驚かせることだって出来る。
紙の本は装丁という部分では電子書籍より強いのかも知れない(IRとかガンガン使われるようになったら追い抜かれそうだが)が、中身については電子書籍の方が自由度が高い。
まあ紙の場合は臭いや質感を組み込めるのでどっちが上かは作品次第だ。
ただ言えるのは、そういった部分において紙は優れていて電子書籍は劣っているかのように語る輩の話は耳に入れる価値がないということだ。
得意分野が違うだけだからな。
電子書籍最大の強みはやはりここだ。
出し入れ自由自在じゃないの?
待ち合わせ型のデリヘルに通ってる人間からしたらラブホという空間はそれだけで安心空間です。寛ぎまくれる。
ビジホにデリヘル呼んでる人だったらビジホのほうが安定。
東京でも部屋があいてれば5000円とかで泊れるところがあった。ビジホ泊まるのと変わらない
デリヘル呼ぶと2人分の宿泊料金がかかったりするところもあるのでそれは事前にどういう宿泊プランにするか、受け付けのおばちゃんと認識を合わせよう。
基本2人での空間なので広い。あと地味に夜使ったバスタオルと朝風呂で使うバスタオルを分けれるとかが嬉しい。(良いビジホだとタオル多いところもあるが)
歯ブラシも2回分使える
ビジホだとカード買う必要があるところが多いが、ラブホだと見放題のところが多い。
番組表を見て、当たりの日に泊れば飽きるほどエロビ見れる(飽きる
しかも二人分!
運とか状況にもよるが、ビジホもカプホも埋まってるような時でも、深夜(飲んでから)に行けば部屋が空いてたりする。
特にオタクが集まるイベントとかではラブホの需要には影響ないので、受け付けのおばちゃんに訊ねれば、空き時間とかの案内をしてくれる。
特にこの時間を超えたら宿泊料金かかるとかっていう時間に訪問すれば、清掃時間だけ待ったら泊れることも多い。(宿泊せずに帰っていくカップルが結構居るので)
何に使うかわからんが
最近ラブホ行ってない人限定ではあるが、あーラブホ! って懐かしめる。
5年10年でそうそう変わるもんでもないので、思い出に浸れるし、ちょっと経験したことのない部屋でも、それはそれで楽しい。
あと、69個は?
Google製のSNSとして広く利用される可能性もあったんだろうか
自分が使った頃はAKBの記事ばかりで除外設定するも流れ込んで来て
使い込む前にやめてしまったという感じだった
Google+を最も多用していたのは間違いなくIngressでした。理由は複数存在しますが、
そんな感じ。Ingressは2陣営による争いが基本なのですが、面白いことに常日頃から陣営間の情報交換はあまり行われず、片方の陣営のみでコミュニティが完結するのが通例です。情報の秘匿に関してもかなり徹底されているので、中々Ingressに関するオープンな情報共有というのはしづらいのです。
Google+はそういう公開の場として非常に重宝されました。ときに作戦のSiterpを書いたり、ちょっとした日記にしたりとTwitterでは難しいことでもGoogle+なら平気、という人は数多くいたのです。
Google+では情報公開の範囲をかなり自由に設定できます。Twitterでは自分のフォロワーにだけ伝わるようにするには、鍵をかけるなどの大雑把なククリでしかゾーニングが出来ません。一方でGoogle+では「一般公開」「特定のフォロワーやサークルに通知」「コミュニティ内部だけの会話」「カテゴリーごとの投稿」など多彩です。
一般公開とはTwitterと同じで全体に公開され誰にでも見れます。Ingress界隈では俗に「パンコ」と言われていたやつです。
しかしそうではなく、例えば「緑陣営の人には見せられないので青の人たちだけに見えるようにしたい」という投稿でも、共有先をそういう人たちだけに設定することが可能です。Google+にはもともとサークル機能があり、フォロワーを属性ごとにサークルに分類することができます。そうすることで一つのアカウントで複数の話題を投稿することが結構楽になります。ただこの機能は後続のカテゴリー機能の登場であまり重要視されなくなります。
カテゴリー機能とは、自身の投稿をカテゴライズすることです。Ingressの話題なら「カテゴリー:Ingress」「カテゴリー:Ingressミッション」などとし、自分の投稿をそれに紐付けることが可能です。これの何が良いかというとカテゴリーごとに共有先を予め設定しておける点です。つまり「カテゴリー:Ingress」をIngressの共有先をIngressエージェント限定にしておけば、そのカテゴリーとして投稿するだけでゾーニングができます。また人をフォローせずにその人のカテゴリー自体をフォローすることも可能だったりします。これが地味に強力なんですよね。
共有範囲が自由自在なのはIngressというゲームの性質にマッチしています。
ちなみにカテゴリの使いやすさからか、ブックマークや自分だけの日記的に使うことも可能です。
IngressではGoogleのサービスがかなり多用される傾向にあります。そのため、Google謹製のサービスであるGoogle+との相性の良さは格別です。
Youtubeや他のGoogleサービスとの連携を共用されていた時代もあり、Googleアカウントを持っているとGoogle+を使う敷居は非常に低いものでした。にもかかわらずその無理やりな連携に悪意を感じることもあったり、機能面で優れていてもTwitterやFBより難しそうに思える部分もあり、存在を知っているし始めやすいけど使っている人は殆どイないSNSでした。この誰でもすぐに使えるのに誰も使っていないSNSというのはアングラなIngressにとっては丁度いい環境でした。
ちょうどIngressが普及しだした時期に実名制が解除されたのも良かったと思います。
利用者数の問題でしょうね。Youtube等と強引に連携したのに伸びなかったのは痛手だったかと。
あんなにIngressで普及したのはまさにIngressのためにあるような絶妙なさじ加減だったからで、逆に言えばIngressのような世間から隔絶された存在以外にはなじまなかったんでしょう。
あと、最初に実名制を強要していたのと、以降も投稿名がGoogleアカウントと紐付けられるのが嫌って人は一定数いたのでは。
まず俺のスペックを書く。
・35歳男性
かつては自分の不甲斐なさ、社会の冷たさに涙したこともあったが、ここ数年は比較的平穏に暮らせてる。
何故か。理由はいくつかあるかもしれないが、最大のものはネトゲを始めたからだと思う。
ネトゲに容姿は関係ない。自分の好きなアバターをつかって遊べる。格好いいイケメンも、可愛い女の子も自由自在だ。
俺は格好いいイケメンを作って遊んでいるが、結構褒められる。格好いいねーとか、その装備似合ってるねとか。
それはアバターが褒められているんであってお前が褒められているわけじゃない。空しくならないのか、と思うだろ?
それが案外空しくならない。何というか、自分の子供が褒められている感覚に近いかもしれない。俺に子供はいないけど、そう感じる。
自分の子供が褒められたら、多分嬉しいだろ。誇らしく感じさえするかもしれない。それを通じて自分も褒められているように感じているのかも。
大人になれば、普段の生活で褒められることなんてまず無い。弱者男性ならなおさらだ。
しかしネトゲなら簡単にそれがもらえる。これを知ったときは衝撃だったな。
特に深い考えがあったわけではなく、なんとなく女性キャラで遊んでみようかなーという程度。
そしたら驚いた。ただ単にフィールドを歩いているだけでも声をかけられるのだ。それに答えていたら簡単にフレンドが増えた。
他にも俺のキャラの動作にいちいち反応してくれたり、アイテムをポンとくれたり、ミスしても優しかったり。
男性キャラで遊んでいるときはまずこういうことは起こらない。ネカマにはまる人の気持ちがわかった気がした。
でも何故か罪悪感と違和感がつのり、そのキャラは消してしまった。別に騙していたわけではないんだけど。
そして容姿の問題がクリアできるなら、他者とのコミュニケーションは容易になる。
「俺みたいなのが話しかけて迷惑じゃないかな?」という考えが起こらないから、本当にポンポン話しかけられるのだ。例え初対面の相手であっても。
そのキャラいいね!から始まり、今どこら辺を遊んでいるのか、どこが難しいか、どのキャラが好きか。そのうち他の人も入ってきて、会話がキャッチボールのように飛び交う。
もうすごく楽しい。時間が矢のように過ぎていく。リアルではまずこんなことは無い。俺の人生では。
案外そうでもない。上手いに越したことは無いが、下手でもまあ問題ない。俺だって別に上手くはないしな。
何故なら、最近のネトゲはゲーム下手でも楽しめるように作られているからだ。
例えば生産系。いろんなアイテムをこねくり回して貴重なアイテムを作り出す。これにスキルはいらない。根気さえあれば誰にでもできる。
そうやって作ったアイテムを仲間に提供するだけでマジ感謝される。
最近のゲームはストーリーを追うだけだったらそれほど難易度は高くないし、自分が下手でも仲間が何とかしてくれる。
そしてそういった過程をSNSにアップするだけでもいいねが結構付く。
他にも世界設定を考察したりキャラのロールプレイをしたり。いいゲームは楽しみ方のすそ野が広い。
そういうのを通じて、他にも同じようなことが好きな人たちと繋がっていく。
要はネトゲをやれば俺たち弱者男性が求めてやまない「他者とのコミュニケーションと、それを通じた自己肯定感」が非常に容易に得られるということだ。
俺はこのお陰で日々の苦痛、虚しさをうまく中和できてる。それどころかネトゲ仲間と自分のアバターに恥じない自分でありたいと最近転職活動まで始めた。成功するかは分からないけどな。
以前の俺なら考えられなかったことだ。
ネックがあるとすれば初期投資がそれなりにかかるというところか。
ただはてなに居るならPCぐらい持ってるだろ?低スペックでも始められるネトゲはある筈だ。
まあダメだったらいつでも止めれるんだし、始めてみてもそう損はないんじゃないか?
そういう簡単でドライなところもネトゲのいいところだ。特にコミュニケーションに難がある俺たちみたいな人間には。
ネトゲでは容姿も年齢も経歴も能力も関係ない。ただできるだけ誠実であればいい。
これを読んでいる全ての弱者男性に、幸があるよう祈っている。
男は実は本気出せば大体の女はヤろうと思えばヤレるんだ
「2007年に全国初の女性向けがソープできて話題になったが、男性は自由自在に勃起できるわけではないので1年以内に閉店。当時のはてブでも話題になった。http://bit.ly/2U6U4WB http://bit.ly/2U2Yy06」
https://b.hatena.ne.jp/yoko_kitchen/20190120#bookmark-4663380094653476001
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。
さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさらの下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件を主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公の郷田三郎が、素人探偵の明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。
二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種の研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。
同僚を殺害して、その死体を実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉に通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラムの殺人罪、所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。
明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語の主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。
併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。
そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。
彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草の遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋と活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類と通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。
彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物や時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当な場所で外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。
併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白い事件を惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。
小学生の頃、近所の子のおもちゃ取り上げて返さないちょっとだけ遠い近所の子に「やめろ!バカ!」と言った瞬間
『お前にバカと言われる筋合いはない!』
という言葉が脳内に浮かんできた。すると、間を置かずその遠い近所の子は
「お前にバカと言われる筋合いはない!」
と、なんらかのアニメか漫画で見聞きしたであろうセリフ回しで俺に反論をしてきた。
中学生の頃、お母さんが銀行のATMで振り込みだか振り替え作業をしているのをじーっと斜後ろで待っていたら、隣のATMで知らないおばさんが振り込みだか振り替え作業をしていて、そちらのほうに視点を移した。画面の推移を見守っていると、
という名前が頭に浮かんだ。(正確には、そんな雰囲気の名前だっただけでもう覚えていない)
なんだそりゃ誰やねん。と片隅で思いながらもおばさんの操作を見守っていると、おそらく振込先の名前を入力していたであろう作業(もしくは、振込先の口座の名義が表示されるような作業)を終えたところで、タッチパネルには
という文字が映っていた。
大学生の頃は麻雀を打っていたときに何回かあったがあんなもんは選択肢が限られているゲームなので、直前までの迷いをただの直感と勘違いしていただけかもしれないので割愛。