はてなキーワード: 背中とは
前半
https://anond.hatelabo.jp/20210104090522
グループ自体はジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。
驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか。
こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。
なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスのバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンスの方向性がべたな「カワイイ系」の日本のアイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気が似てる。単純に9人組だからそう錯覚すんのかな。
出で立ちとかパフォーマンスは日本人好みにチューニングされてる感じだけど、曲自体はJ-popであまり見られない作りだったのがヒットした一要因かもしれない。あんな一定のリズムやテンションでサビまで流れ込む曲は「サビで爆発する」J-popにはなかなかなくて、それを幼さが残る可愛らしいアイドルが歌う新鮮さがあった。
まあなんだかんだいってもNiziUが売れた最大の要因はJ.Y.パークのマネジメントセオリーが注目されたことだと思ってる。
ドルチェアンドガッバーナはNHK的にセーフか否かで一部盛り上がりましたね。
オーソドックスなフォークソングのスタイルを下地に、R&Bとかレゲエのエッセンスをなんの疑問もなく混ぜ込む、このバランス感覚は今どきの若者だからこそだろうなと思う。どこまで意図したかはわからないけど結果として長渕とか井上陽水を聴いて青春を過ごした中高年から、SpotifyやTikTokに浸る今の学生世代にもしっかり刺さる名曲ができてしまった。
「香水」みたいな同じリフを繰り返すタイプのアコギの弾き語りってエドシーランとかがやってるのと同じアプローチで、エドシーランはヒップホップとかとのミクスチャーのつもりで意図的にやってるんだよね。
ヒップホップ感覚で聴けるポップスがヒットしたことに時代の変化を感じる。
「ヒップホップは歌えない」って曲も出してるけど意外と瑛人はフリースタイルとか出来ちゃいそう。
当たり障りないけど誰にも一度は経験ありそうな普遍的なシチュエーションにLINEやドルガバなどの固有名詞を放り込む詩世界も素敵だ。
Perfumeもとうとうメドレーを求められるような境地に入ったのか。来年も紅白で見たい。
せっかくの別スタジオだからライゾマティクスに期待しすぎてしまった。
Perfumeに続けてベビメタが出るのは紅白出演者の世代交代のつもりだったりとか…じゃないよな流石に。
テレビ出演してないとまだまだ認知度も比較的低いのかともに見ていた母は認知していなかった。母はあまりにも情報量が多すぎてぽかんとしていたが曲タイトルだけは「そのまんまじゃんw」と笑っていた。
今回の紅白は無観客だったり別撮りだったりでカメラワークの制限が少ないから寄りのショットやボーカルでないメンバーを抜いたショットが多いかもしれない。
サポートメンバーは博多華丸の娘さんらしい。個人的には鞘師里保に出てほしかったけど、かっこよかったね。
筒美京平追悼メドレー。
なんかちょっと背中が丸まってて流石に郷ひろみも歳とったなーなんて思ったり。ベテランはそれが味だよな。
ヘアスタイリングはあれでよかったのか?スネ夫みたいになってた。
冒頭の司会とのやりとりからして癖が強い。立ち姿からして唯一無二。こんな奴見たことない。
こんな声が裏返ってたっけ?
セットに囲まれて360度カメラがぐるっと回り込むのは無観客ならではで感心した。
この人高橋真梨子みたいにこれからちょくちょく出演するんだろうな〜
山崎育三郎は安倍なつみの前でもあんなキザな顔をしているのだろうか。
視聴者がこの件で一番期待していたのはおそらくGreeeenの顔出しじゃなくて"岩城さん"が歌う「イヨマンテの夜」だった。
3曲メドレーそしてうち1曲はフル尺という破格の待遇だが、国内トップクラスの人気を持つグループなのは間違いないし、歴代の紅白司会者かつ東京オリンピックテーマソングを歌う歌手という功労者であることは拭い去りようがないので、これもまあ妥当な扱いだろう。
昨年と同じく新国立競技場からの中継。「カイト」の合唱は広いグラウンドの真ん中で5人だけで歌っていた昨年からここまで歌が世間に浸透したんだという感慨があってよかった。でもバック映像がちょっとくどかったかなー。テロップでポエム流すのとかちょっと寒かった。
Cメロ部分をまるまる口上にしていた。普段はこういうのファン以外は喜ばないからやってほしくないと思う達だけど、今回はこの瞬間だからこそわざわざいう必要があったしいい演出だったと思う。
こういういかにもアイドルっぽい曲調の応援歌を投入してくるところにサービス精神を感じる。
NiziUでもそうだけど今ニーズがあるポップスってやっぱ応援歌なのかもな。
オリンピック関係で求められる「カイト」、自分たちが世間へのエールとして歌いたい「君のうた」、自分たちの代表曲の一つで大衆に求められている「Happiness」で、3曲披露する意義をそれなりに示してた。
さまざまな記録を提げ鳴り物入りで登場。
舞台セットが累との戦いのイメージだったり背景映像が日頃見かける紹介VTRでは見ない映像だったり。スタッフがちゃんとリサーチして作ってるのか、そこまで「鬼滅の刃」が世の中に浸透しているということなのか。なんかわからないけどディテールが凝った演出。
去年もそうだったけど紅白だとすごく歌いづらそう。PAに嫌われてんのか?
管楽のサポートメンバーイントロしか出番ないじゃんと思ってたら合いの手とかハンドクラップもやってた。
ギターも出番少ないなこの曲。
去年までは音像とか音色とかの上物は洋楽に寄せてその代わり大枠はJ-popのセオリーに従った構成で大衆性も獲得するヒゲダンとかKing Gnuみたいなのが売れるタイプだったけど、
それとは真逆で、音やフレーズは従来からあるJ-popやフォークなのに、曲のアプローチそのものは現代的な洋楽のそれに肉薄してる「夜に駆ける」や「香水」が大ヒットしたのはパラダイムシフトかもしれないな。
真ん中のアリーナステージも上手いこと使ってたね。
歌い終わりにけん玉リレーが追いついてないの一番残念なパターンかもな。
CDを出さない。ネットでは普通に露出してるしバラエティ番組にも頻繁に出るけど音楽番組は避ける。曲もそうだけど活動自体に斬新さがまだまだあると思う。
この曲って一聴するとaccessとかfripSideとかの昔からあるザJ-popって感じのシンセポップぽいんだけど、基本的にベース部分はA♭→Gm→Cmの繰り返しで、そこにB♭やE♭のコードを場繋ぎとして差し込んだり細かい細工をして展開を作ってるんだよね。それでドラムパターンも一定でクラブとかで流しても違和感なく踊れるような作りになってる。
最後のサビで半音さがるっていう転調を行ってるんだけど、コード進行がシンプルなおかげでそこがすごく目立つ。やっぱ転調は肝心なときしかやっちゃいけない技だよ。
やっぱメインボーカル2人ともいなくなるのは痛い。
いろんな曲のフレーズが散りばめられていたけど世代的になんとなくわかっちゃう。伊達に16年前からやってるバンドじゃねえわな。
この時期に阿波踊りしてるの見せられてもなんとも変に思わない歌手は椎名林檎だけだな。
最後のウィスパーボイスセクシーだな。「母親か」ってすげえツッコミだなおい。
ゆずの曲をフルオーケストラで聴く機会なんてないからこれは面白いものを見た。
篠笛の人が妙に目立ってた。刺客みたいになってた。
おじさんのあいみょん好きは本当に謎。いやいい曲だけど。
吉沢亮が出ててあいみょんが主題歌の映画なんてあったっけ?と思って調べたら、吉沢亮って「空の青さを知る人よ」の生霊の役やってたんだ!観てたのに全然気が付かなかった。流石だわ。
「マリーゴールド」のイントロのギターのフィードバック音とか「裸の心」のぽんぽん鳴ってる音とか、これよく聞くと歌が始まってもずっとループで鳴り続けてる。普通のポップスって顔しながらこういうブレイクビーツぽいのを密かに延々と鳴らし続けてるのラナデルレイみたいでかっこいい。
We Are The World的なドリームチームをさくっと作っちゃったYOSHIKIのパフォーマンス。
ロサンゼルスと中継だとタイムラグがあるだろうによくオケに合わせてピアノ弾けたな。
凄いスケール感だったけどやっぱりこの曲はまだ歌われる時期ではないような気がする。
バロック調でのオーケストラアレンジは何回も聴いた「愛をこめて花束を」に新しい解釈ができて楽しかった。
普段のでっかい花束を抱えてくる様なパワフルなパフォーマンスもいいけど、ボッティチェッリのプリマヴェーラの様な軽やかを携えたこのバージョンも好き。
自分が歌いたいマイナーな歌を歌って見ている側にも響くものがあるのが凄いな。ミスチルというブランド力だな。
モノトーンで無機質なんだけどどこか暖かみがあるセットがちょっと丹下紘希ぽい。「IT'S A WONDERFUL WORLD」から「I ❤️U」の頃が僕にとってミスチルが一番身近だったのでなんだか懐かしい気持ちになった。
ギターはアンプ直刺しでドラムセットも簡素。サポートメンバーもストリングスとピアノにかぎっていて(コーラスは被せ?)、機材がなるたけシンプルなのが潔い感じでかっこいい。
1番の終わりのコードがマイナー調で暗いのが大サビの後で暖かい響きのものに変わってるのがベタだけど良いな。
いつもの「天城越え」だけど冒頭のピアノのアルペジオが繊細な印象。
当然のように上手い。
思うことは色々あるけど、「期せずしてYOSHIKIの「Endless Rain」へのアンサーになった。」ということだけに留めたい。書ききれない気がする。
メイク濃くなってから観月ありさと見分けがつかなくなってきてる。
「どうなっちゃうんでしょうね」
この曲カバーしてる人何人かいるけどかわいくみせてやろうって衒いがあるんだよね。本人は流石にすっきりしてる。
合唱やる人多すぎてここにきてなんか見飽きだしてたから、冒頭の演出で「またか」とはやとちりした、すまん。
「守ってあげたい」は名曲。カバーだと鬼束ちひろバージョンが好き。
20分くらいまえから時たま怒号が聞こえてた気がするけど、玉置浩二のスタンバイでなんかトラブルあったのかな?
「田園」だからベートーベンの「田園」をモチーフにしてるのか。Superflyのときも思ったけどオーケストラアレンジもいつになく拘ってたよな。
良くも悪くも星野源と対照的なパフォーマンス。星野源が月なら福山雅治は太陽みたいな人。僕みたいな日影者はなんか感覚が合わないな。嫌いじゃないけど。
まだ13回しか出てないのなんか意外だわ。
今剛は一瞬しか映らなくてもすぐわかるな。今剛とJマスシスぐらいだろそんなの。
MISIAは鼻腔共鳴が半端なさすぎてたまに何言ってるのかわからないときがある。でもそんなこと気にならないほど歌が上手いからなんとかなってる、圧巻。
サブちゃんの「今の若者は世界を歌ってる」っつうのは的確なコメントだったと思う。ただコメント全体的に長かった。
ジャニーズ多かった。2枠をJO1とDISH//に譲るべきだ。
優勝旗ってどこに保管されてるんだろうね。
リスクは承知のうえ。すばらしい。それではビットコインにすべて注ぎ込みましょう。
ビットコインはわずか100ドルの頃からもう暴落するすぐに暴落するといわれてきました。
たしかに暴落した時期もありましたが現在は過去最高の3万ドル。
暴騰していることが一般に知られるようになってはもう落ちるしかないという人もいますが、実際はそうではありません。
仮想通貨バブルのときでさえ2万ドル行かなかったので今回も2万ドルが天井だと思って利確した人もいましたが、投機に過去の常識は通用しないのです。
現在と未来だけを見ましょう。仮想通貨は3万ドルで頭打ちか?4万ドル以上はさすがにないか?そんなことはありません。
ビットコインが秘めているポテンシャルはこんなものではありませんよ。
仮想通貨は世界が必要としています。これからもっと必要になります。
私が背中を押してあげましょう。
金を失うことはあるでしょう。名誉を失うこともあるでしょう。
紅白で『家族になろうよ』を歌うのは時代遅れでダサいからやめろ、みたいな意見を、知り合いのリベラルの人らが言ったりファボしたりしとる
あの歌聴いたことねえんだけど、歌詞に目を通してみたところ別に押し付けがましくはないんだよな 個人の話として読める
父は大きな背中で語り、母は物静かで優しかった ああいうのええよね〜 俺たち(2人)もあんな感じ目指そうや〜 程度のことしか言ってなくて、べつに「男はドンと構えろ!女は黙っとれい!全員異性と結婚して家族作れ!」って歌ではない
「クリアアサヒが家で冷えてる」ってCMに「家がない人だっているんですよ!」ってツッコミが入るような感じに見えて、なんつうかもうちょっと余裕持って生きられねえのかと思う
あの人ら、君のことを愛してる〜って歌聞いて「一方的に告白された!加害だ!」と思うのかな 歌詞って普通とりあえずは「個人(自分以外)→個人(自分以外)」って図式のものとして読まない?
俺個人としては家族になろうよの歌詞はキモいと思うんだが、「紅白で歌うな(なぜなら正しくないから)」みたいな態度になるのはちょっと度し難い
リアルのひととなりを知っているリベラル・フェミニストは貴重だと思って彼らの意見はよく見るようにしてんだけど、だんだんしんどくなってきた
当たり判定デカすぎんだよな
今の彼氏とは付き合って2年になる。
私がパニック発作を起こしてうずくまると背中をさすったり、過呼吸になるとレジ袋をカバンから出して
「はーい大きく吸ってー、吐いてー」
とかしてくれるし、頓服飲むための飲み物を買ったりしてくれる。
うつで調子悪くてデート行けない、と連絡すれば、俺がいなくて大丈夫か?家に行こうか?と聞いてくる。
多分これが「理解ある彼くん」というのだろう。
ただ、彼は私がどうしてそうなるのかは興味や関心がない。持病がある彼女だとは思っているんだが、その病気が何であるかはどうでもいいらしい。
ただ、つらそうなら辛い時に人にされて助かることや、自分ならこうして欲しいということをしてるだけで、メンヘラだからこうやってケアしようとか考えたことがない、と言っていた。
うつやパニック障害についてネットで調べはしたが、ただの病人くらいに思っているそうな。
私は彼氏の「助ける方法に理解があるが病気に理解がない」ところが好きだが、世間でいう「理解のある彼くん」て、病気にも助け方にも理解があるべきなのかな?
【要約】
【詳細】
年始(1/5~6or7)に彼氏が東京に来るんだが、まともなデートプランが思い付かん
助けて増田
『(料理が好きだから)かっぱ橋を見たい。他は...東京ようわからんしなあ、案内してや(関西弁)』
とりあえず1日目は、かっぱ橋とあわせて浅草でお参りしよう、と思うも、浅草ってどこ回ればいいのか、何度か行ってるのにも関わらず、あまりよくわかっていないのだ。
・雷門集合
・浅草寺を背中に右側を散歩。だいたいメンチカツ食べるぐらいしかしてない。浅草寺を背中に左側を散歩。だいたいイタリア(漢字)屋のジェラート食べるぐらいしかしてない。
お笑いとか見た方がいいの??私笑いのツボ深すぎて大抵のお笑い番組笑えんのだが...
2日目以降については未定である。
東京駅丸の内ぐらいは見せた方がいいとは思っている。が、他は。。。
【プラン1】
【ご飯系】
・レモンパイ(浅草西)(イートインありません!その通りです!)
【観光】
【検討】
・国会図書館(桜田門)(料理系の評論同人誌を見たいが怪しい 下見無しには採用できない)
【またいつか】
ロマンスタイプに普段敵意丸出しな方々は、一体何が何がそんなに気に食わないんでしょうか。
着飾らないと外に出られないロマンスの悪口を言うのはやめてください。】
パーソナルデザインロマンスの人は、Twitterのロマンスに憧れる人たちにウンザリしています。
ロマンスタイプを勘違い不美人の心の拠り所にするのは、やめてください。
ロマンスタイプかも?と言っている人たちのツイートを毎日見ますが、学生服で色気がすごいと言われるとか、すっぴんで色気があると言われるなど、色気色気と色気を魔法か何かと勘違いしていますが、すっぴん学生服で色気があると言われるのは間違いなくロマンスではありません。
ロマンスタイプは間違いなく幼少期から学生時代に得をするタイプではありません、むしろ損ばかりのタイプです。
ステージに上がるようなスターでもない限り、ロマンスタイプの装いにロマンスタイプが辿り着くことなんてありません。
さなぎの状態のロマンスタイプはゴージャスな巻き髪に華やかなメイク、大きなアクセサリーが似合うなんてことに気づけないし、気付いたとしても幼少期から学生時代に積み重なってきたファッションに関する嫌な思いのせいでそんな格好で気軽には出かけられません。
気づくことには、気づくこともあるでしょう。
巻き髪の方がわたしは素敵になるなぁ
だけどこんな張り切ったように見えるかもしれないものを身につけていいのかな?と不安が勝つんです。
ロマンスタイプのすっぴんは頼りなく弱々しい、とてもじゃないけど見れたもんじゃありません。
そんな弱々しいスッピンの自分が華やかなものが似合うと気付いても自分から装備できるはずがないんですよ。
舐められるなんてことは日常茶飯事、痴漢にもあいやすく、コスメカウンターで何も買うものがないと落ち込んだり、会社の制服やリクルートスーツを着て頼りなく見える自分に苛立ったり、そういうのがロマンスタイプの日常なんです。
キュートタイプの女性は適当にインスタに乗っている服装メイクで垢抜けて、顔立ちはさほど良くない、むしろぐちゃっと崩れていても男性が好む軽さゆるさを出すことができる。女性の敵にはなりづらい外見なので、こちらが悪者にされる。
グレースタイプの女性は正統派美人の装いが似合い、ロマンスタイプの自分はイロモノ美人タイプなのだと自覚し落ち込む。
ナチュラルタイプはまさに自分の憧れを体現したものだと感じ落ち込む。さりげないのが一番様になるのが、羨ましい。
ファッショナブルタイプは自立した女性であり、一人でも生きていけそうな強い雰囲気と、滅多なことがなければ舐められないところと、いくらでも際限なく盛りが通用するという点に憧れを持つ。
フェミニンタイプは言わずもがな雰囲気美人といった感じで、婚活服を毎日着ていれば正解かつ、雑誌なども豊富にあり美人百科の安い付録を身につけてもサマになるのだろう。
そして、自己診断ロマンスは、ロマンスタイプがロマンス以外の装いをしたときの体験をしたことがないからこそ、色気があるからわたしはロマンスタイプ!などという勘違い不美人発言をしてしまうんです。
ロマンスタイプの診断は、色気があるとかプラスの側面からではなく、マイナスの側面から見るべきです。
キュートの装いをしてイタイ人に見られた。グレースの装いをして弱々しく見られ、舐められた。
フェミニンの装いをして、自分がキモチワルイと感じ、似合わない。評判も悪い。
ナチュラルの装いなんて、お笑いです。部屋着ですよ。犬のお散歩さえ行けません。
ロマンスタイプのあるあるとして、自分が大人の女性であるなんて全く想像もせず対極のボーイッシュなものに憧れるというのも、自己診断ロマンスさんは知っておくべきではないでしょうか?
わたしは大学に入学したてのころ、miniという雑誌のような装いに憧れていました。
ざっくりしたパーカーやニットを着て膝上スカートを履いてスニーカー、大きめのリュックを背負って跳ねるように歩くことに憧れていました。
メイクもごく薄く、爽やかで弾けるような笑顔に憧れていました。
胸下まで伸ばしたロングヘアは手入れが面倒で、乾かすのにも時間がかかって巻かないで下ろしているとただのメイク途中の人になります。
メイクだけをしても綺麗にはなれません。髪を巻くまでがメイクです。
女神降臨という漫画のイラストに共感しつつ、すっぴんはこんなに酷いのかと落ち込みます。
化粧をしない顔を見たくないので、ギリギリまでメイクを落としません。
スポーツの場に行っても、スニーカーが必須なので、スニーカーが似合うタイプに嫉妬します。
一日中歩き回ってもロマンスタイプの服なんてほとんど見つけられませんよ。
ロマンスタイプはウィンドウショッピングとは無縁とまでは言いませんが、あまり好きではない人が多いのでは?
一日中歩き回ってあっちの店へ、こっちの店へ、なんてことが好きなのはキュートタイプですね。
通販で買う方がずっと早くて、安くて、似合うものが見つけられます。
スニーカーが必要な場面ってあれこれあるけど、結局正解はなんだか分からないんです。
毎日毎日髪を巻いて、下着姿が一番マシなんじゃないかと思うのは気分が良くないですよ。
化粧を落として部屋着に着替えてガッカリしたいですか?
自己診断ロマンスさんは色気にずいぶん憧れがあるようですが、そんなにいいものではありませんよ。
冒頭でも言いましたがロマンスタイプなんて結局着飾らないと色気が出ないイロモノなんです。
だいたい自己診断ロマンスの人が思い浮かべるロマンスタイプの装いをしたら種類はどうあれ、誰でもそれなりに色っぽく見えるはずです。
谷間を出したり、やたらとオーバーリップにしてみたり、目や口を半開きにしてみたり、舌を出してみたり、二の腕を出したり安いキャバクラのお姉さんのような服を着て、自分には色気があるからロマンスタイプだ!などとつぶやくのはやめませんか?
ロマンスタイプは影か光かと言えば影ですが、品がない方と一緒くたにされることは不快ですよ。
色気という言葉はロマンスタイプを表すのにぴったりですが、そのせいで何か自分を勘違いした自己診断ロマンスさんが多くいることを非常に残念に思います。
調べると声優ライブや、アニメグッズ(フィギュアなど)も売ってることを知り、早速二人でアニメショップを見に行った。
初めてのアニメショップ。人が多い。
何かのキャラクターに向けて写真撮ったり、黄色い声を出したり。
目の前の好きなものがはっきりして、楽しそうに笑顔になる、女の子たちみんなが可愛く見えながら、目的のグッズを見つけた。
こんなに展開してたのは、知らなかった。
その時、目に入ったトレーディングフィギュアをみつけた。
そのフィギュアの前に女の子がスマホをいじって立っていたが、横からはこのデザインが見えた。
トレーディングフィギュアは、全種の中から一個のフィギュアが入ってるが何が入ってるかわからない。
だから、入ったものが自分の目的のものじゃなかった場合は、目的が合致した人とトレーディングして欲しいものを手に入れる。
そのフィギュアには私たちが好きなキャラが入ってた。テンションが上がった。
残り5個。
私たちは見つけたと同時に運試しで、一個ずつ取った。
その時、
ばっ
箱の前に立っていた、スマホをいじった女の子が残りのトレーディングフィギュアの抱え、そそくさとその場を立ち去った。
ぽかんとする私たち。
「な、なんなん?」
「わからんが、一気に取ったな…」
特に一人何個までなど規定数はなかったが、さすがに勢いよく去ったことに、親近感があった。
あの行動は、怒り。
昔、満員のエレベーターで隣にいたカップルが抱き合っているのをみたことがある。
甘い猫声の女、お尻を撫でる男がやけに目と耳に入り、気持ち悪かった。観たくない。
エレベーター降り際、その怒りと嫉妬心のあまり、わざとカップルにカバンをぶつけ、去ったのだ。
かなり酷い人間だった事を今でも書くだけで苦しい。あの時はごめん。
さて、先程の女の子が次に何をやるかと言うと
人はその場に共感者がいないとSNSで繋がりがある人、または愚痴の吐きどころでSNSを活用する。
実際にあったことを一つ。
満員電車で立っていた時、暇潰しのあまりDSでゲームをしていた。
ぐ、ぐ、ぐ、
押す力を感じた。腰が背中あたり。
それが自分が降りるまで続き、最後まで押して、何か小言を言われた。
周りに共感者がいないため、SNSに口を書き、寄り添ってくれる人を求めそうな性格だった。
身なりも綺麗だし、私物も明るい色。
全身黒い服を着た私にポテンシャルを見下しそうに思えたからだ。
あった!
「前にゲームをしてる女が邪魔〜( *`ω´)いちいち押すなよ!」
やはり、他の子が何らかのコメントをしてるのは見たがそこまでは見なかった。
ただ見たのは、彼女が有名な大学に在学中だった個人情報が書いてあった。
話を戻して。
このことがあり、スマホを持ってた女の子も同様なことをしそうだったので、同じ様にやってみた。
いた。。
自分の勘がここまで働くと逆に怖い。
書かれた文章は控えるが、ここで驚いたのは「運試しで買うな」と言う愚痴だった。
トレーディングフィギュアは運試しでないとなるとアニメオタクにはどう言う目で見てるのか。
ただし一個あれば良いのではなく、複数個持たないと満足しない感覚。
初めてアニメショップに立ち入った私には衝撃だった。
ちなみにこのことを彼氏に話すと「いろんな人がいるね」と言って終わった。
そして、私が買ったフィギュアはアイコン画像と同じ人物だった。
ここで仕返ししていいなら、これでオチをつけよう
「ざまぁみろ。」
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
電熱ベストを買った。
暖かさは使い捨ての貼るカイロくらい。腰と背中がじんわり温かい、という程度。
5000mAh のモバイルバッテリーが数時間で無くなる。仕事で1日着ているのに上記のサイズのバッテリーを2つ消費する。
電熱ベストだけで6000円、バッテリーは別売りのものを購入した。平均的な価格はバッテリー込み5000〜6000円くらいだと思うので気持ちお高め。けど日本製の安心感。
充電の手間、予備バッテリーの費用、重いバッテリーを持ち歩く負担などを考えると、安い使い捨てカイロの方がまだまだ便利だなと感じた。
貼るカイロなら50個、60個入りで1000円しない。1日3枚毎日使ったとして1ヶ月90個、3ヶ月で270個。一冬で4500円ほど。
いないね
別れた結婚相手とはしてたけど今後結婚はしないしする相手もいないかも
仲がいいとか気の置けないとか気さくなみたいな気軽に気持ちがやり取りできる相手が大事とかいわれるけど
背中を預けられるというか自分の半身がふっとんだとして頼れる相手か弱音を吐ける相手か それとも殺してくれって言っちゃう相手かみたいな
親友とかまでなら「いっそ殺して」と醜くあがく自分になるまえに人の責任においてリタイアをお願いする道を選んじゃうと思うけど
自分の本当にダメな姿をみせてそれがかなわないとしても受け入れられなくてもこちらからは晒していいと思えて縋りつける相手って一人いるかどうか
総武線で新宿を出て三鷹方面に向かうとき、中野で停車する時間が無駄に長い。誰も乗り降りすることはないのに列車はドアを開けたまま停まっている。この時間がほんとうに長い。停車時間は2分とアナウンスが入るが、この2分はぜったいに2分じゃないと感じる。中野から2駅あとの阿佐ヶ谷で降りる自分にはこれがいつも軽いストレスだった。
中野でこれから2時間停車と車内放送が聞こえたときには、聞き間違いだろうと思った。先週までは(たぶん)2分後に列車はきちんと走り出していた。だが乗客はどんどん列車を降りていき、車内には自分だけになった。東日本国有鉄道の業績が疫病のせいで傾いていると新聞に載っていた。そのしわ寄せが来るとしたら中野のような所なのだろう。しかたがないから降りたが、中野でなにかをするあてがあるわけでもない。
中野は阿佐ヶ谷に比べると殺伐としているので、本当に用事があるときでないと降りない。改札には人が立って切符に鋏を入れていて、SUICAは使えない。さんざん並んで一時降車証明書をもらって駅を出ると、乾いた小便の臭いが鼻を突く。駅の軒下には浮浪児がたむろして寝転がったり莨(たばこ)を呑んだり、片足の傷痍軍人がアコーディオンで天然の美をプカプカ弾いたりしている。
駅前に広がる街があきらかに茶色い。泥のなかに崩れかかったバラックがごたごたと並んで店を出して、どこの盗品かわからないようなベルトや万年筆、シケモクをほぐして干したものを売っている。食べ物といえばすいとんやじゃんぎ丼のようなものを出す屋台しかなく、労務者が地べたにしゃがみ込んで丼を掻き込んでいる。疥癬で背中がボロボロになった野良犬が物欲しそうにそれを見ている。
中野で途中下車する乗客をあてこんだ商売も出始めていた。ピンク色の法被に黒のスラックス姿の男が、新しめのバラックの前に立っている。そばを通ると、「発車までお遊びどうですか」と声をかけてきた。傍らの看板には毛筆で『列車ヲ待チナガラ花ビラ大回轉 一時間五千圓ポツキリ』とある。いくら時間があっても密室で接待を受けていたら疫病にかかるかもしれない。とても無理だなと思いながら通り過ぎると、サラリーマン風の男二人が店に入っていった。
最近都内で増えている屋外の娯楽がパブリックハンギングだ。中野駅前の広場にも櫓ができて、周りに人が集まっている。場所にもよるが1000円くらい払うと、櫓の上に設置した処刑台に人を吊ったり、自分が吊られたりすることができる。目隠しをした相手の首に縄をかけるか、自分がそうされるかを選べる。吊られた人はすぐに下のトランポリンに落下して大きく飛び跳ねる。野次馬は拍手したりしなかったりする。他愛ないといえば他愛ない遊びだが、最近なぜか流行っていた。世相のせいだろうか。
そんなに刺激を求めているわけではないが、スマートボールはこの前やったばかりなので、結局自分はうずら園で時間をつぶすことにした。入場料を払って囲いの中に入ると、うずらがたくさんいて地面を歩き回ったり、藁の上に休んでいたりする。その辺を探すと卵が見つかることがある。これは持って帰ってよいことになっている。うずらの攻撃を避けながら制限時間内に卵を探すだけの地味な遊びだが、自分はこれがけっこう好きだった。
駅から徒歩5分ほどのところにある中野のうずら園は、それなりの規模だった。囲いの中には植え込みがたくさんあって、2、30羽はいるうずらが好き勝手にやっていた。真ん中には丸いテーブルと椅子があり、ポットからお湯を注いでハーブティーを飲めるようになっていた。
ミントティーを飲みながらうずらを眺めていると、植え込みの中に先客がいることに気づいた。グレーのスーツにスカート姿の、髪の長い女性らしい人がしゃがみ込んで、両手で顔を覆ったまま動かない。
囲いのゲートが開いてまた一人やってきた。背の高いおじいさんで、白髪交じりの長い髪は何年前に洗ったのか不明なほど汚れていて、フエルトのように固まっていた。染みだらけの黒いベンチコードにピンストライプのスラックスをはいていて、左右の靴が違った。おじいさんは恍惚とした満面の笑みで、腕を上げてゆっくりとしたリズムの手拍子を打ちながらこちらに近づいてくる。手拍子は歌にあわせていることが、近づくにつれてわかる。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、あっ、おあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、あいおー。これはあれだ。植え込みにうずくまったままの女は動かない。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、自分は手拍子だけでつきあおうと思ったら、あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、電車の発車時刻はおあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、ああいおあんあああっあ、あいおー
特定されっこないと自分基準で判断してるけど画像の情報量は多い。
だからぼかしたり捻ったり、こうして増田で文章だけで描くにはまだ安全だと思うけど、
画像は言い逃れできないレベルの情報量を提示するドラレコやボイスレコーダーみたいなものだから、
プレゼントした人は気付くかもしれないし、またこれくらい大丈夫とする人間は他の画像も晒すから
より特定もされ易くなる。
特に私怨を招くような、今回のプレゼントをバカにするような行為は、晒された側が大丈夫な人間か
そんな保証はないわけだから、例えば性悪女として匿名サイトでリアル情報流されるかもしれないし
最悪は死傷事件にまで発展する。
その時悪いのは死傷事件を起こしたり、リアル情報を晒した人間が最もな悪として評価されるだろうけど、
起こったことは戻らない。
晒された情報は伝播していくし、死傷事件と言う不幸も消えることはない。
つまり誰が悪いかとかじゃなくてさ、最悪の事態になる事を避けて欲しいんだよね。
見ていて危なっかしい。
今晒した本人に同調して晒すことに何の問題がとか、勝手なプレゼントする人が悪いとか言ってる人は、
晒した人の背中押しまくってるけど、いざ最悪のことが起こったらなんて言うの。取り返しがつかないよ。
晒した人の自己責任だから自分には関係ないじゃ割り切れないでしょ。
先にも言ったけどせめて画像なしで内容ぼかしたり、鍵付きで身内限定にしたり、増田でもいい、
まずは自衛を進めるべきだと思う。
その上で勝手なプレゼントが悪いと断罪するなり煮るなり焼くなりは個人の自由なので全く問題ない。
ただ本当自衛だけはして欲しい。それが出来てない人にはリテラシーとして推めて欲しい。
誰もが大丈夫、ネットで吠えてるだけだと思っていたらガチの殺人事件になっちゃった。
またそれを繰り返して、皆で悲痛なコメントでも出すの?
これを書いたのは4℃とか元ツイ主とかプレゼントがどうとかに限った話じゃなくて、
投稿者が特定された上、私怨を招いて報復され兼ねない晒し上げを大多数の人が許している空気が怖かったから書いたんだよ。
黄色信号なのにブレーキも踏まずアクセルそのままでガンガン突っ込んでいく車の流れ、見てて怖いじゃん。
誰がいつ被害者になるかもしれない。本件なってないから大丈夫じゃないんだよ。
誰かがなってから皆反省しようなんて嘆くの見るのも馬鹿らしいから、気をつけるところは気をつけて欲しいと言うリテラシーの話だよ。
あと本人が何かされなくてもメンタル次第じゃ晒された人が命を絶つと言う事もあるかも知れないしね。
特定されっこないと自分基準で判断してるけど画像の情報量は多い。
だからぼかしたり捻ったり、こうして増田で文章だけで描くにはまだ安全だと思うけど、
画像は言い逃れできないレベルの情報量を提示するボイスレコーダーみたいなものだから、
プレゼントした人は気付くかもしれないし、またこれくらい大丈夫とする人間は他の画像も晒すから
より特定もされ易くなる。
特に私怨を招くような、今回のプレゼントをバカにするような行為は、晒された側が大丈夫な人間か
そんな保証はないわけだから、例えば性悪女として匿名サイトでリアル情報流されるかもしれないし
最悪は死傷事件にまで発展する。
その時悪いのは死傷事件を起こしたり、リアル情報を晒した人間が最もな悪として評価されるだろうけど、
起こったことは戻らない。
晒された情報は伝播していくし、死傷事件と言う不幸も消えることはない。
つまり誰が悪いかとかじゃなくてさ、最悪の事態になる事を避けて欲しいんだよね。
見ていて危なっかしい。
今晒した本人に同調して晒すことに何の問題がとか、勝手なプレゼントする人が悪いとか言ってる人は、
晒した人の背中押しまくってるけど、いざ最悪のことが起こったらなんて言うの。取り返しがつかないよ。
晒した人の自己責任だから自分には関係ないじゃ割り切れないよ。
先にも言ったけどせめて画像なしで内容ぼかしたり、鍵付きで身内限定にしたり、増田でもいい、
まずは自衛を進めるべきだと思う。
それはそれでわかる話だから。
ただ本当自衛だけはして欲しい。それが出来てない人にはリテラシーとして推めて欲しい。
誰もが大丈夫、ネットで吠えてるだけだと思っていたらガチの殺人事件になっちゃった。
またそれを繰り返して、皆で悲痛なコメントでも出すの?