はてなキーワード: ブラック企業とは
そりゃ法律破ってるならその行為自体は非難されるべきだと思うけどさ。
所属してる奴らの99%くらいが、雇用主のお墨付きがなかったら何者にもなれないような奴らばっかじゃん。
学生時代に何一つ物事を成さなかった奴らがそれでも"社会人"になりたくて、ブラック企業受けるわけじゃん。
"社会人"のお墨付きが欲しくて欲しくてゴミカス企業に擦り寄ってるわけでしょ。自業自得じゃん。
地下アイドルも底辺声優も「ちゃんとした事務所」に所属する力もないくせに
"アイドル"やら"声優"やらになりたくてそのお墨付きをもらいたくてわけわからん事務所に所属するわけじゃん。
で、カッスカスになるまで搾り取られるわけだけど、元々の旨味が少ないんだからそれはもうぎゅうぎゅうに搾るよね。
今いるところで精一杯の努力をせよ、あるいは「置かれた場所で咲きなさい」という助言がある
その助言を信じるなら、私は転職をして高給へありつくのではなく、今の企業で真剣にタスクに取り組み、成功へと導けということになる
まず「転職で高給を」と考える人は仕事に責任感を持っていない可能性がある
今与えられている仕事を終了する前に転職するので、責任感がないのである
それよりは、自分が今いる環境で何をやるべきか理解して真剣に取り組むほうが、責任感があるように思える
確かに、反社的な環境やブラック企業から逃げ出したいというのであれば、それは別の問題だ。社会や自分に害を与えるような仕事をしているなら逃げ出すべきだろう
去年転職をした。
ブラック企業を渡り歩いてきたが、問屋なんてのはそんなもんだと思ってた。
だが、1社目は新卒には辛すぎたし
3社目は新社長がバカなのと社員もバカでしかも仲が悪い上に派閥闘争して(わずか40人そこそこの会社でだ)中がズタズタになった。
で、どうせ問屋だ、どこも大差ないだろうと思って怒鳴られる前に…と倉庫を掃除してたらやたら褒められた。
怒鳴られる前に…と思って先輩や上司に割と丁寧に接してたら妙に信頼された。
やって当然だろうと思って見積作成のときに現物に見入ったらやたら感心された。
なんのこっちゃと思いながらも独り立ちして営業しててもやたら褒められた。
なんてことはない。ただお客をこまめに回るだけ。んで、注文引っ張ってくるだけ。
特別なことといえば前の会社の取引先をひとつ飛び込みで取ったことくらい。
あとは普通に回って普通にお客とコミュニケーションとって、せいぜいデッドストック売ってた。
そしたらこのデッドストックの販売も評価されたらしい。いや、問屋の営業なら当たり前だろとしか思わなかった。
よくよく聞いたらそれまでの営業は凹缶ひとつ満足に売れなかったらしい。なんだそれは。
そんな具合で仕事は非常に順調だった。
けどこれはトラックに積み込みもあるしそりゃ問屋なら当然だろとしか思わなかった。
さらに去年の4月に新卒で入ってきた女の子がやたら可愛かった。
んで、まあなんとなく見てたりはしてたんだが、不覚にもあるときドキッとしてしまった。
困ったことに一回りも離れてる。
いやこれはないだろうと気持ちを抑えようとしてたんだが、なぜか今度はその子と仕事上の打ち合わせが必要になった。
いやこれはどうなんだ、と思ってたが仕事のときはそんな感情も出てこず冷静に会話もできてる。なんか助かってる。
そんな具合で仕事は普通にできるし、可愛い娘と会えるしで会社に行くのが楽しみになってる。
朝起きて会社行くときも、あの娘に会いに行くかって具合になってる。
んで、普通に営業も頑張れる。上手くやれれば格好つけれるから。
やりがい。あるもんですね。
まず書類が発行される
これはほんとすごいと思う
俺5年だかの間ほぼ24時間拘束で働いてたのにまともな書類1枚も貰ってないもん。
だから給与も一方的に月払いから日払いに切り替えられたし、給与総額も不明。
拘束時間と給与総額比較したら年金とか天引きなんだろうと思ってたけどどうやら親が善意で払ってる扱いだったらしい
週5の朝晩働いて土曜日出勤はデフォ、場合によっては日曜も拘束される生活で数万しか払わないって時給いくらだよ。待機時間は給与に含まねぇのか???
夜中でも早朝でも休日でも呼び出されて残業代は「その日の気分で」みたいな家業手伝いだった頃に比べたら、そもそも残業させない意識まであってすごいと思う。
俺の都合とか完全無視。というか相手は同居してるから俺の都合完全に把握してる。
その予定外の行動をするとめちゃくちゃ嫌味言われた上に詮索されるの。
その上たまに「今日は行かなくて良い」とか急にいいだして仕事がバラシニなるの
そら月払いだった頃はまだ許せたよ。
でもいまは日払いなんだわ。
一方的に押し付けたシフトに従って1日待機してさぁ行くぞってときにそんなこと一方的に言われても日当なしとかやられるとマジ殺意しかない
それにたいしてタイミーの当日バラしは保証がある。タイミーすごい!ホワイト過ぎワロタ!!
ここまで書いて比較対象がゴミ過ぎるだけだと自分でも思うんだけど、ブラック企業から転職した人の感覚ってこんなんなんだろうな
当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。
今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。
スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。
中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。
私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。
結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。
それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。
だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。
大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。
推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。
子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。
が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。
今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。
数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。
なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。
それができない我々のための話と思ってほしい。
大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。
卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。
テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。
クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?
行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。
スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。
あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。
(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)
そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。
生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。
とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。
時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。
顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。
あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。
もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。
顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。
無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。
賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。
万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。
多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。
暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。
大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。
大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。
もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。
けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。
正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。
あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。
あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。
それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。
一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。
小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。
でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。
あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。
正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。
でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。
なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。
死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。
あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。
健闘を祈る。
お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。
私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。
大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。
私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。
私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。
そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。
私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。
口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。
私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。
このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。
子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。
父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。
しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。
父と会わなければよいわけでもないのです。
子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。
ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。
そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。
結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。
しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。
長文、乱筆失礼しました。
(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)
このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。
疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。
温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。
ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。
その点について、もう少し書かせてください。
私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。
また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。
必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。
「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。
もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。
でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。
愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。
高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。
許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。
というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。
心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
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あらかじめご理解いただきたいが、タイトルで承認欲求たっぷりにブラック企業と図々しく書いたが、これは読者を引き寄せるための所謂YouTuberのサムネ詐欺のようなものである。実際はブラック企業ではあるもののどちらかというとチャコールグレーに近い黒ではあったし、ネットの死海を彷徨っているともはや仙人の域ともいえる黒い賢人がおられることも承知しており、賢人たちには同じ黒魔法の使い手(見習い)として畏敬の念すら抱いている。ブラック企業の文字を見て頭に血が昇り始めた賢人たちはどうか落ち着いて、できるだけ部屋を明るくして離れて見てほしい。
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さて、本題に入る。
私は平成初期生まれのゆとり世代で、一応大手企業に勤めている。特定の分野での業界シェア率50%超、従業員1000人以上の上場企業と言えばなんとなくイメージがつくだろうか。前になんかの日本の企業ランキング50位以内に入っていた気がするが、ランク内がホワイト企業ばっかりで辟易したため覚えていない。給料は同世代の平均くらいといったところで可もなく不可もない。
勤務時間は平均するとだいたい8-21時。みなし残業はついているが基本的にサビ残だZE☆。休みは本当は週休2日だが休日出勤も多く、代休制度はあるがそんなもん取ったら業務がマーライオンのように溢れてくる。
仕事は自分の裁量で回せることがほとんどになってきたしやりがいも多少あるし、勤務時間に関しても別に慣れてしまったからあまり問題視していない。今から転職しようにもキャリアアップが望める業界ではないし、他業種で一からお世話になるのも正直面倒くさい。
私は妻と2人の子供がいるが、帰宅したらだいたいみんな寝ている。嫁からは「あなたが仕事の日はシングルだと思ってるから大丈夫」と素直に感謝していいのかわからない言葉を向けられている(素直に感謝している)。
家に帰ったら軽くご飯を食べ風呂に入りTwitterやネットの記事を少し読んだらあらまぁ大変もう0時。就寝して5時半に起きて子供たちを送り出してまた8時には出社している。
しかし時代の流れもありここ数年で会社の考え方が変わってきたらしく、残業に対して厳しくなってきた。
初めは何時まで働こうがおかまいなしだったが、退社目標時間が定められ、それが21時から20時になり、段階を経て今では目標時間を超えるとお叱りをいただくようになった。
もちろん勤務時間内に仕事が片付くはずもないのだが、それを書き始めるとただの愚痴の大運動会になってしまうのでやめておく。我々サラリーマンは常に会社と共に変化していかなくてはいけない生き物なのだ(白目)。
退社時間が早まり、帰宅して家族と過ごす時間が増えた。みんなでご飯を食べたり、お風呂に入ったり、テレビを観たり。娘とお風呂に入りながら、あと何年一緒に入ってくれるのかなんて考えたりもした。いやひょっとしたらあと何ヶ月とかかもしれない。なんだよこのシャワーの水、しょっぺぇな。
最初の頃は勤務時間内に捌けなかった仕事を家でやることも多かったが、徐々に捌けるようになったのか諦めるようになったのか、それも減ってきた。
それが数ヶ月続いた頃、ある悩みが生まれた。
「寝るまで何をしたらいいんだろう」
機械的に日課をこなしていた日々に空白の時間が降ってきたせいで、その空白の埋め方がわからない。
趣味はあるが広く浅く熱しやすく冷めやすいタイプでありそこそこケチなためどれも長続きしないし、新しい趣味を始めたとしても長続きするビジョンも視えない。加えて変な美学も持っている。例えば私はむかし音楽をやっていて今も家に楽器はあるが、音楽は複数人の魂を共鳴し合うアンサンブルなりグルーヴを楽しむものとかいうわけのわからない固定概念があり、一人でしかも自宅での演奏ではアッパシオナートな時間を過ごすことなど到底できない。
出かけようにもそこそこの田舎なので娯楽施設も限られているし、買い物もネットで充分。運動しようにも膝を痛めているし(病院行け)、ゲームするとクリアするまで廃人みたいな生活になるし、酒は好きだがあまり強くないし、酒そのものよりは酒の場が好きなので一人で飲んでもすぐ寝てしまう。新しいことを始めようにも何かにつけて難癖つけてしまい始められない。いつから私はこんなに消極的なオッサンになってしまったんだ。
そもそも目標がないと何にも熱量を持って取り組めない性格のようでとにかく何をやっても長続きしないし、一旦目標が生まれるとすべての心力をそれに注ぎ込んでしまうせいで、空白の2〜3時間で取り組めるようなちょうどいいものが見当たらない。
結果、ぼーっとテレビやYouTubeを観ながら寝落ちして朝を迎えている。
残業時間が減り帰宅時間が早まったことは本来なら喜ぶべきことである。
しかし私のように路頭に迷ってしまう哀れな社畜がいることも、どうか知ってほしい。
そして願わくば、2〜3時間で打ち込める何かを教えてください。
教えてくれても難癖つけて始められないと思うけど。
氷河期世代の不遇を語るこの一連のポストに対し、途中までは共感しながら読んでたんだけど
普通、三流大学出身でそれゆえに苦労したならだったら、「学歴至上主義は間違ってる」って結論にならない?
たとえ三流大学出身だろうと、ブラック企業で搾取されていい理由になんかならないよ。
ていうか『学歴』じゃなくて『大学名』至上主義が正しいし。(しかも漢字間違ってるし)
しかも高学歴の例がGMARCH以上?はぁ?その程度で?氷河期世代だと早慶や東大京大でもまともな就職が出来なかった事例がざらなんだけど?
で、bioを見てみると、こいつ男なんだな。なるほど、だからか。
同世代の女はもっと上の大学でも就職に苦労してたのに、男はGMARCH程度でまともな就職が出来てたんだ、ふーーん。
つくづく男はイージーだな
この人の他のポストを見てても、考え方が幼いっつーか、文章が何か変なんだよね
まぁまともな人生積ませてもらえなかったせいでこうなったのかもしれんが、何処までも自分が自分がで、他者の不遇を考えるという視点がない
伊藤孝恵議員という女性議員の発言が発端なんだけど、こういうふうに氷河期世代の男は、同世代の女が男より遥かに就活に苦しんでいた事は頭にないもよう。
この人、圧迫面接で人格否定って具体的に何をされたのかな?ていうか人格否定ならば、自分で選びようのない性別を理由に否定されるよりは全然マシだとしか思えないけれど。
どうせこいつは男だから、面接で恋人いないの?結婚したらすぐやめるんでしょ?うちに育休はないけどいいの?と聞かれた事なんてないんでしょ?
一人暮らしなの?うちは実家暮らししか採らないんだよねえ、とか言われた事はないんでしょ?
学歴(大学名)で悩むだけで済んでるのは、それだけ恵まれてるからだよ
https://twitter.com/MelodyOfNight/status/1774805104367182062
𝑯𝒊𝒅𝒆
@MelodyOfNight
氷河期世代が下手すると10年以上かけて、到達した給料をいきなりもらえる今の新入社員たち。
氷河期世代の自分が体験したひどい経験を思い出すと、バカらしくてやってられない。
そもそも今の人手不足の原因は、氷河期世代を使い捨てにして、未婚化・少子化を推進したからだ。
https://twitter.com/MelodyOfNight/status/1774939189693624325
𝑯𝒊𝒅𝒆
@MelodyOfNight
氷河期世代は、GMARCH以上の学歴がないと、まともな仕事には就けなかったですからね。
個人的には、高学歴であることは、人生の一番になると思っています。
𝑯𝒊𝒅𝒆
@MelodyOfNight
訂正
まず真っ先に言えるのがコレ。
自衛隊は働かせホーダイプラン加入で全日サービス残業サービス出社だそうだが、それって基本給+残業40時間分ぐらいが常に出るってことでしょ?
民間なんてデスマ3ヶ月やって会社が倒産して経営者トンズラからの完全未払いとか普通にあるよ。
談合、横領、暴力、未成年飲酒が日常的に行われていて知らぬ間に関わることになる??
ゆーてその程度でしょ?
民間なんてハローワークに出てる会社に申し込んだはずのに気づいたら詐欺グループの一員になってたりするからね?
SNSのバイト募集なんて強盗集団の切られ役にアサインされたりもザラじゃん。
しかも自衛隊って犯罪に関わったとしても反省の色があれば続けられるんでしょ?
ハロワ経由でヤクザのフロント企業に入って前科者になったら、そのあとはもうまともな企業が雇ってもらえずに底辺を這いずり回ることになるけど、自衛隊なら死ぬまで公務員でしょ?
こんな低モラル犯罪集団と一緒に働けない!ってなったときに脱出しようとしたときに前職が公務員ってのは。
よく分かってない田舎のオッチャン相手に「戦争に本当に行くことになると思ったら突然怖くなった。自分勝手なのは分かっているけど、自分に嘘をついて軍に居続ける方が不誠実に感じた」と言っておけば簡単に雇って貰えるよ。
これが民間の詐欺会社だと会社の実態を調査されて「あれ?ここって暴力団関係じゃん?この人もスジモンかな?」となったらもう完全に終わりだから。
法律は「国家とかいう権力者や統治者がもう何があっても最低限これだけは守ってくれと出してるお触れ」である
なので「法律に反してはないけど道徳的に問題があること」はたくさんあるけど、明文化された法律も守らんようなブラック企業の連中が明文化されない道徳とか守れるわけないんだわ
倫理哲学という意味のある授業の時間がないことが問題なんだよな
道徳の授業やその他意味のない時間を過ごさせ、学校という権力迎合装置に突っ込んでおくんだよ
カルトや体育会系のブラック企業は水を簡単に飲ませず食事の時間や生活を厳しく制限して意味のないことをさせながら号令を繰り返したりするだろ
アレと一緒
ブラック企業の加害がネタとして消費される現状にモヤモヤしてる。
こういう辛い体験がネタとして消化されて終わり、という現状が悲しい。
もっと社会全体で問題視して、経営者やマネジメント層を厳しく注視していくべきじゃないのか。
彼らは加害者だ。
彼らは社会や個々の組織において強者なのだから、その分己を律する道義的責任があるはずなのだが、
残念ながら己の立場を利用して加害を繰り返す人で溢れかえっている。
という道徳的な警告を行い、ある程度その振る舞いを抑制する必要があるんじゃないたろうか。
これは既存の労働運動にはない観点で、権利や制度だけでなく、倫理や道徳という領域で企業と対峙していかないと企業の加害は防げないと思う。
在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ
「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代のおっさんの自分語り。
地方私立大学の理系に入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学の文系学部に転学し、言語学を学んだ。
良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学の就職は壊滅的に悪かった。同じ学部の卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。
これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部の新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区のマスコミの二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業からの内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区の企業を受けるという発想が無かったり、都市部の学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。
就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。
閑話休題。大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学の大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。
そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス『資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。
別の教員からは「国立大学の学生は私立大学の学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値があなたの研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。
ある日、大学院の師から「研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。
大学院時代の就職活動の結果、インフラ関係の会社からと、その旧帝大の事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料は月並みでも図書館等の設備があって都市部にアクセスしやすい後者を選んだ。学部時代の経験で、地方より都市部の方が学問しやすそうな気がしていた。
アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベルの大学に教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学で語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育や研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運だからだ。私には、そこまでの熱意はなかった。
大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論、経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義や社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。
仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。
(そこそこ長いので、さっさと結論の説明してほしい人は本論まで飛ばしてください)
僕はブラック企業で追い詰められて精神科に通い出した、典型的なうつ病患者。
手帳も貰ってるよ。
3級だからポリコレカードバトルだとあんまり環境に刺さってないけど。
会社に行くために電車に乗ってたら突然心臓がバクバクし、まだ秋口なのに全身に悪寒が走り手が震え出した。
近くにあった神経科のクリニックに行くと「新しい環境に馴染めないストレスから出た自律神経失調症」と診断された。
その日から会社は週に2回勤務できたら頑張った方で、基本的に布団から動けない。
動かないんじゃなくてな。
幸いにも手首から先と腰だけは動いたので、トイレに行って戻ったら寝る、そしてまた起きてトイレに行くの繰り返し。
手が震えて×ボタンが正確に押せねぇから広告の嵐を呼ぶジャングルよ。
いやお前らの言う事は分かる。
全くもってその通り。
日光浴してランニングして筋トレして風呂掃除してお湯張って浸かればうつは軽減されるだろうな。
毎朝6時に起きて日光浴して、9時から18時まで、残業も考えたら20時までかな。
それで退勤してからジムで汗流して入浴をこれから数年間続けられる?
あ、出来る人はここでお帰りください。
あなたは強い人なので、弱者の事は気にせず元気に幸せな人生を歩んでください。
比較的マシな日に、どうにかこうにか顔洗って身支度して、さあ出社しようとしたらな、
いや理屈では分かるよ、鍵開けてドアノブ回して前に押し込めば開くよな。
MAXの力を出してドアノブに手をかけたまではいいんだけど、次何すれば良いんだっけってなっちゃうのよ。
そのうち頭が真っ白になって30分以上そのままの体勢を取り続ける。
なぜならもうこれ以上、思考と行動のための脳のリソースが無くなっているから。
全力で100m走ってる人は「ユニフォーム汗でビチャビチャやから後でシャワー浴びよ」なんて考えてないでしょ?
そんな事してたら当然クビだわな。
そりゃそうだ、週に2回来れるか来れないかの人間雇う余裕なんてないもんな。
そうなると、元々少ない給料が無くなって、貯金残高がみるみるうちに減るわけだ。
自立支援医療とかのおかげで病院代と薬代は1割負担になったけど、それ以外の生活コストは減らせない。
自炊して食費を削る?
じゃあ生活保護貰うために役所のどの受付に行ってどんな書類書かないといけないのか、何を提出すればいいのか調べて思考しないとね。
「止まない雨はない」に対して「今降ってるこの雨が耐えられないって言ってんの」状態なんだよ。
僕だって何かを変えようとして、インフォームドコンセントを目的に神経科から精神科に移ろうと初診の予約で電話したよ。
そしたらどの病院やクリニックでも「最短でも1〜2ヶ月後になります」って言われちゃうもんな。
明日の事も考える余裕がない人間が明後日より先の事考えられるワケねぇだろ!
僕の場合は地元の先輩が心配してくれて、引越しの手伝いから生活費を援助してもらったりなど、生きるために必要な事をほとんど支援してくれたから今生きてるけど、大半のうつ病持ちはそんな都合の良い人居ないわな。
引越し先でようやく精神科に通ったら即うつ病認定されて、手帳の交付に必要な診断書とかの支援もしてもらえた。
手帳持ってると便利だぞ、電車の路線によっては半額で定期券が買えたりするからな。
そんなこんなで療養期間を設けて、何とか非正規雇用だけど雇ってくれるところを見つけた。
障害者雇用枠の求人と合わせて200社くらい受けて、9割以上は書類選考で落とされたけどな!
そう、障害者雇用枠における精神障害者の割合は身体障害者の半分以下なのである。
なぜならオフィスをバリアフリーにする等、身体的に関わる問題を解決すれば中身は健常者と同じなのでちゃんと働いてくれる。
しかし精神障害者は朝起きる瞬間まで出勤できるか分からないし、出社しても仕事が大変だとやれ「早退します」だの「身体が動かないので休ませてください」だのカスみたいな事を言い散らかすからである。
僕の場合は「雨が降ってて気分が沈んでいるので休みます」と連絡したのが1番パンチの効いた欠勤理由だったなぁと思う。
これで僕は「障害者と健常者、両方の性質を併せ持つ♡」というヒソカ状態になった。
勿論、就職が決まったからと言ってうつは治ってくれないし、手足の震えも止まらない。
様々な抗うつ薬(うつエアプ勢が分かりやすくする為にまとめて「抗うつ薬」として表記してます)や、普通はパーキンソン病患者に出す震え止め薬を通常使用量の3倍近く常飲し、急な不安が湧き出した時用に頓服の薬も処方された。
軽い運動や入浴など、どんなにセルフマネジメントを重ねてもダメな日はダメなのである。
職場にたどり着く事がまず困難なのに、仕事なんてできないわな。
「いやお前ガイジなんだから普通の人と同じ生活なんて出来るわけないじゃん(※超意訳)」
って言われた。まさに然もありなん。
前置きが長過ぎて既にページ滞在率は激減してると思うが、同じ精神疾患の人にはあるあるネタとして、シンプルに興味を持ってくれた人には感謝として本論書きます。
もう30%は寝てる時間なので何もできません。
人生の自由時間が30%以下なんてどう考えてもおかしいでしょ。
しかも若いうちに取れる自由時間は少なく、本当に自由を満喫できるのが65歳になってからなんて嫌すぎない?
ナウル共和国見てみろよ、生きてるだけで国からお金もらって公共料金全部タダだぜ?
(当然その姿勢が問題になっているのは承知の上で、国や人によって仕事の捉え方って違うよねって話です)
趣味に没頭するために、お金を稼ぐ手段として仕事をしている人も居るでしょう。
何年も無遅刻無欠席で出勤する。
それらをこなしている時点で、少なくとも僕は「貴方は狂ってます」と言います。
だって僕は趣味や好きだったことが全部できなくなったからです。
料理が好きでした。
自分しか食べないものを作る気力が湧かないから全部冷凍食品にしました。
編集画面を開くどころかパソコンの電源ボタンに触れることすら激減しました。
人生の意味なんて人によってあったりなかったり全然違ったりします。
でも意志がなくなってしまうと、もう何もかもができないんです。
毎日「通勤電車にジョーカーが乗ってきて銃で瞬殺してくれないかな」と思ってます。
「心という器は、ひとたび、ひとたび ひびが入れば二度とは 二度とは」
きっとその「何か」が漏れきった時、僕は押入れにしまっている縄と子供用プールを広げる日が来ると思ってます。
内田樹が触れているように、日本は「立ち帰るべき初期設定」(注1)がない国である。立ち返るべき初期設定がないということは、現行のルールを自発的に、外部からのイベントなしに、変更しにくいということでもある。何かがおかしいと感じられていても「平穏」である限り、そのルールは維持される。仮にその「平穏」がル・グウィンの書いた「理想都市オメラス」のような平穏であってもだ。「立ち返るべき初期設定」がないから、そのルールの良しあしを判断できないのだ。官僚機構は、自らに課せられたルールを忠実に守る。それが官僚機構の役目だからだ。官僚機構に自発的な変革は期待できないし、期待してはいけない。期待するとすれば、政治家と国民の、そして、外部からのイベントになる。
さて、ルールの再考のきっかけとなる、外部からのイベントの一つが、「人の死」である。ブラック企業対策のきっかけになったのは、高橋まつりさんの死だったし、統一教会対策に動き出したのは安倍晋三元首相の死がきっかけだった。でも、この2つはもともと国民の側にある程度の不満が溜まっていたからこそ、一人の死でここまで動いた。では、もし、国民と政治の側が致命的な選択肢を選んでいるにもかかわらず、その致命さに気づいておらず、不満も持っていなかったら?
参考になるのは、前世紀において、日本はアジアに対して行った侵略戦争である。日中戦争開始当時、そのことを間違っていると考えた国民は少数派だった。みずからの選択肢が誤っていると判断して無条件降伏するまで、多くの人が亡くなった。特に、戦争末期になって戦没者の数は急激に増える。全戦没者のうち9割を占めると言われる。最終的に、東京大空襲、沖縄戦、ソ連の侵攻、原爆投下にいたる。死者は軍人・軍属、民間人合わせて240万人〜310万人とも言われる。当時の総人口を7500万人とすると、3.2〜4.1%にあたる。それだけの犠牲者が出た段階で、ようやく政府は終戦を決断した。
さて、今現在、日本は、戦時下にある。それはCOVID-19との戦争である。互いに殺し殺されるという関係では、戦争も公衆衛生もたいして変わりがない。違うのは、ウイルスには意志も戦争遂行の責任者もない点である。歴史は繰り返さないが韻を踏むという。すでにその兆候は見えている。
・責任者の不在
5類の意向により、政府は感染対策を民間に丸投げし、積極的な感染対策を取らなくなった。
一方、民間は民間で、上の指示がない限り積極的に感染防止対策を行わない。結果、誰が責任者かわからないまま、だらだらと戦争は続いている。
すくなくとも、戦争が始まってからの数年間の動きは素晴らしかった。しかし、それらは、現場や民間の努力によるものであり、長続きはしなかった。
中国や米国の実力を見誤ったように、コロナウイルスの実力を甘く見積もる。「ただの風邪」という言説はその最たるものである。しかし、実際にはコロナウイルスは想定よりも厄介なウイルスである。心臓疾患や認知障害をはじめとする様々な疾患を引き起こし、感染性も高く、免疫逃避性も高い。繰り返し感染するごとに、後遺症を発症する確率もあがってゆく。
脱マスク、診療報酬の削減、ワクチンの任意接種化で、全数把握の取り止め、無料検査事業の終了、患者の届け出の把握など、わざと自らのリソースを削減する。
これらの結果、戦争開始当初は、現場の奮闘と戦術でうまくいくが、戦略の無さとリソースの不足でやがて負ける。いくら、指揮命令系統を強化しても意味がない。負ける理由は戦略の不足であり、決断の不足であり、思想の欠如であり、「立ち帰るべき初期設定」の欠如だからだ。幸か不幸か、戦争相手はウイルスであり、どこかに大本営があるわけではない。現場で戦う個々人に対し、リソースを潤沢に供給し、支援し、戦い続けられば、少なくとも五分五分には持ち込めるだろう。マスクを着用させ、手洗いを励行させ、ワクチンを接種させ、その代金を支援し、発熱外来やコロナ病床を提供する医療機関を資金面で支援し、ワクチンを製造し、備蓄し、抗原検査キットを配布させれば戦い続けることはできるであろう。しかし、緊縮財政の名のもとにそのリソースを絞ってしまった。
おそらく、前戦争におけるミッドウェー海戦に相当するものは、コロナウイルス感染症の5類移行である。あれをきっかけに潮目が変わった。明らかに、社会はコロナウイルス感染症は警戒しなくて良いというメッセージと受け取った。テレビでは、「コロナ明け」という単語が飛び交い、マスクをつけなくなり、飲み会に繰り出し、満員電車は復活し、学校では積極的に脱マスクが推進されている。ウイルスは弱毒化どころか、ますますその凶悪な性質が明らかになっているというのに。
やがて、免疫が弱体化して感染症が蔓延し、または、再感染でロングCOVIDが蔓延し、人がバタバタ死に始め、国民がおかしいと気づくまでこの状況は変わらないであろう。どのくらいの人が死ぬだろうか。前大戦では総人口の3.2〜4.1%であったことを思い出してほしい。2024年現在の日本の人口を1億2000万人とすると、死者数は、384〜492万人に及ぶ。そこまでの死者を出して、ようやく国民と政府は、自らの選択肢が間違っていると気づくであろう。