他の学童所の子供たちや保護者などが一同に介するため、ある意味では学校より盛り上がっていたかもしれない。
「ハテナ学童のカンくん、これは速い! 一輪走の関門、魔の直角コーナーを何なく曲がっていく!」
「ははん、当たり前田のクリケットや! ワイほど一輪車をこいどる人間は、この世に誰一人おらん!」
あくまで学童所での交流が目的であるためか、競技性を重視しないものが多かった。
「ブクマ学童のシオリ先生は、素手で瓦を一枚割れる。○か×か」
「そんなの知らんがな」
「まあ、でも一枚くらいなら割れるんじゃない?」
「じゃあ○の方に行こう」
「正解は……シオリ先生、実際にどうぞ!」
「せいっ!……痛い」
「ヒビすら入ってないじゃん」
保護者が参加する、障害物盛りだくさんのパン食い競争なんてものもあった。
「マスダくんのお父さん、全身を紙テープと粉まみれにしながらも、堂々の1位でゴール!」
「ぜはっ、ぜえ……げほ……」
「デスクワークのくせにやるじゃん、父さん」
「子供の前だからって、パン食い競争で本気出し過ぎじゃないか?」
「はあっ……母さんがいれば、もう少し楽に勝てたんだろうがな……」
「父さん、そういうノリ、こっちも反応に困るからやめてくれよ」
「すまん……」
「湿っぽい雰囲気出すのもやめてくれって。変に含みのある言い方するから、周りには離婚したとか、母さんが死んだとか思われてんだよ」
「そうなのか……おえっ……ほら、餡パンだ」
「いらねえよ、歯形ついてんじゃん」
思い返してみると、この頃の父は少しテンションがおかしかった気がする。
母が戻ってくるまでの間、最も辛い思いをしていたのは父だったのかもしれない。
俺が参加したのはリレー。
「コマの回転は全くゆるまな~い!」
まさか学童が暇つぶしにやっていたコマ回しを、こんな風に活用させてくるとは思いもよらなかった。
「おい、何やってんだよタイナイ。ゴール近いんだから、そんな丁寧に巻かなくてもいいだろ」
「僕の腕じゃあ、中途半端に巻いての手乗りは無理なんだよ。どじょうすくいだってギリギリなんだから」
まあ、結果としては3位だったが、タイナイが言うには2位だったらしい。
「今でもマスダは、この日のことを根に持ってるよね」と、よくタイナイは語る。
弟は缶ぽっくり競争に出場。
「おーっと、次男のマスダくん。これは速い、圧倒的だ!」
ハテナ学童内でもダントツだった弟の缶ぽっくりは、外でも変わることはなかった。
普通に走るのと大差ないスピードで、他を寄せ付けることなくゴールにたどり着いた。
「あれ、もう終わり? 短っ」
「さすがといったところだな、弟よ」
「兄貴の作ってくれた缶ぽっくりのおかげさ!」
「いや、缶に穴を開けて、紐を通しただけだから誰でも作れるぞ」
だが、あの時の俺たちは本気でやったし、その結果に一喜一憂することができた。
何の意義があるか分からないまま、漫然とやっていたこともあった。
「お願いしま~す」
ある日、俺たちは署名運動をやることになった。
何のためにそんなことをしていたのか。
答えは「さあ?」だ。
わざわざそんなことをさせるんだから、俺たちにも関係のある事だったのかもしれない。
しかし、いずれにしろガキには分からないし、知ったこっちゃなかった。
それでも言えるのは、全くもって楽しくないってこと。
「お願いしま~す」
「……」
見知らぬ人にいきなり話しかけ、とにかく名前を書いてもらうよう頼み込む。
人と接するのがよほど好きだとかでもない限り、基本的にストレスが溜まる行為だ。
有り体に言って不愉快だった。
「お願いしま~す」
無視してきたり、ぶっきらぼうに応対する人もいるから尚更である。
いい気はしなかったが、その人たちに恨みはない。
つまり俺は、自分がされて嫌なことを赤の他人に対してやっていたわけだ。
「はい」
それでも、なんだかんだで署名は集まった。
我ながら無愛想な態度だったが、書いてくれる人は意外にもいた。
なんとも不可解な出来事だ。
よく分からないまま名前を集める俺たちと、よく分からないまま名前を書く誰か。
そうして集まったこの紙の束に、一体どんな意味があるのだろう。
「兄貴……」
弟はというと、その日はずっと申し訳なさそうにしていた。
弟は当時、人見知りが激しかった。
免疫細胞がなくなれば、人は泣き喚く以外の行動はできなくなる。
「自分の分をやっただけだ。謝られる筋合いはない」
実際、ノルマがあるわけでもなかったので、俺は弟の分までやったとは思っていない。
サボりたかった気持ちを、長男の安っぽいプライドが邪魔しただけだ。
お互い誇れるようなことはしていないが、恥じるようなこともしていない。
「でもさあ……」
「それでも何か言いたいことがあるなら、謝るより感謝してくれ。どっちかっていうと、そっちの方がマシだ」
結局、あの署名にどのような効果があったのか、今になっても俺たちは知らない。
ただ、あの時やったことが何かに繋がっている、と願うしかなかった。
例えば、相手を名指しで呼ぶ時。
「マスダ、お前の番やで」
基本は呼び捨てであるが、学年が上の相手へは少しだけ気をつかって「くん」付け。
「ちゃうやろ、マスダ弟ぉ」
「え?」
「ワイのことは“カン先輩”と呼べ。“カンくん”とか、むず痒くてかなわん」
「先輩呼びだったら痒くないの?」
「あ~?……なんや、不服なんか? そこまでして“カンくん”って呼びたいんか?」
「“カンくん”呼びやめろとは言うたけど、ディスってええわけちゃうぞ」
「ねえ、マスダ」
「ん? どっち」
「弟の方。マスダの兄さんじゃない」
俺だったら「マスダ(くん)」または「マスダの兄さん(ちゃん)」。
弟は「マスダ(くん)」または「マスダの弟(くん)」。
面倒くさがりな奴からは「マス兄」、「マス弟」とゾンザイに呼ばれていたこともある。
呼び方がまるで安定しないため、俺たちはしばらく混乱していた。
この独自の呼称ルールは、学童所に唯一存在する大人である指導員にもあった。
「なあ、マスダ」
「どっちのこと言ってんの、ハリセン」
名前にハリが含まれていたからハリ先生、略して「ハリセン」だ。
本名は知らない。
見た目から来る印象も朧げだ。
よく不精髭をたくわえていたので中年だと思うが、剃った時の顔は20代のようにも見えた。
声は妙に甲高かった気がする。
「ほら、こういうことになるから、肩を叩くなりして呼べばいいって言ったじゃんか」
「ああ、すまん、すまん。どうも忘れっぽくてな」
学童はみんなタメ口で喋ったが、ハリセンは咎めることもなくフランクに接した。
しばらく後になって知ったことだが、学童保育に就く人間は、学校の教員とは色々と勝手が異なるらしい。
俺たちのあんな態度を気にも留めなかったのは、むしろそっちのほうが自然だったからなのだろう。
そこでの生活は学校ほどかしこまってはいないが、俺たちにとっては監獄も同然だった。
だが、俺たちは悪いことをしたからそんな場所にいるわけじゃない。
さしあたっての問題は、退屈をどう紛らわすかであった。
現代の娯楽に慣れ親しんだ子供にとって、学童所の空間は何とも味気ない。
いつからあるかは分からないが、どの玩具も使い込まれており、修理された箇所があった。
「へえ、マスダ、糸なしでできるんだ」
あまり興味はわかなかったが、何もしないよりはマシだった。
「すごいなマスダ、もうコマを指のせできたのか」
「ああ、つなわたりも出来るぜ」
学童所内には、それらの技表が壁に貼られており、難易度が設定されている。
誰がどういう基準で設けたのか知らない。
だが、とりあえず挑戦心はくすぐられたし、退屈しのぎとしては十分なスパイスだった。
「そういえば、弟くんはどこで何してるの?」
「ふ~ん、まさか缶ぽっくりで?」
特に缶で作った下駄、通称「缶ぽっくり」は足の一部のように動かせる程だ。
その他だと、少ないが本棚もあった。
「ん~? なんでこのキャラ死んでんだ?」
漫画もあるにはあったが巻数が揃っておらずバラバラで、読んでも話が分からない。
「あのなあ、お前そういうのでハシャぐのやめ……なんでそいつ両方あるんだ?」
そもそも俺たち子供が読むことすら想定していない、ビミョーな内容のものも多くあった。
破れていたり、落書きされていてマトモに読めないものもあったので、あそこは放置に近い状態だったんだろう。
そんな感じで、退屈な環境ではあったが、そうならないようにする余地は多かった。
近くには小さいけれど公園があったし、自由に動ける範囲内には川原やら遊べる場所はたくさんあった。
やれることは、当時の目線から見ても前時代的な遊びばかりだったが、それでも子供たちが昔から親しんでいたモノだ。
俺たちが楽しめない道理はない。
それでも、いよいよ手持ち無沙汰になったら、最終手段。
手持ち式の数取器を、ひたすらカチカチやる。
「兄貴ぃ、いまどれ位?」
「623……4だな」
「少なっ、こっちはもう1000いったよ」
「と言いつつ、いま横のツマミ回しただろ!」
そうして数取器のカチカチ音を聞いていれば、「何か別のことをやりたい」という意欲が湧いてくる。
9の数字が並んだことも一度や二度じゃない。
その頃の名残で、俺の親指は今でも歪な形をしている。
年号が変わる意味なんて分からないけれど、何事にも節目ってのはある。
身長は伸び、それに比例して体重も増えて、ついでに色んな所にも毛が生えた。
やりたいことも、やれることも、やらなきゃいけないことも両手に収まらない。
でも年号と同じく、時間は俺たちの気持ちとは関係なく流れ、距離はどんどん離されていく。
だからこそ思いを馳せたがるのかもしれない。
俺が今よりもガキだった頃、ちょうど今の弟くらいだった時にまで記憶は遡る。
あの頃の俺と弟は、とても不自由な思いをしていた。
平日のスケジュールはこうだ。
まず午前7時に起床。
朝食を摂ったり、身支度を整えるのに1時間弱。
父親が迎えに来る午後6時過ぎまで、そこで過ごす。
買い物を済ませ、家に着いた頃には午後7時前後。
そこから晩飯や入浴、睡眠もあることも踏まえれば、自由に過ごせる時間は皆無に等しい。
当然、夜遅いので友達の家に行って遊ぶだとかの選択肢は存在しない。
俺たちは実質、1日の半分以上を自宅以外で過ごし、子供時代の豊かで自由な時間を拘束されていたわけだ。
まあ、子供の自由な時間なんて、総体的に見れば無駄だとは思う。
その不自由感の象徴ともいえるのが、当時通っていた『ハテナ学童保育所』だ。
小学生向け保育園みたいな場所で、親が仕事を終えるまで子供たちが時間を潰す場所だった。
「マスダは何で学童に?」
「母さんが母さんでなくなっちゃったらしくて」
「え……」
この時、俺たちの町では『親免許制度』なるものが実地されていた。
体の9割が機械化していた母はこれに引っかかったんだ。
仕事で家にいないことが多い父は、止むを得ず俺たちをここに預けたってわけ。
「マスダ、ほんとゴメン。ちょっと無神経だったよ」
「別に謝るようなことでもないと思うが……」
あの時、理由を聞いてきた学童仲間がすごく気まずそうにしていたが、何だか誤解されていた気がする。
ないよりマシ程度のボロ屋で、壁や柱には歴代の学童たちの落書きと傷で溢れている。
「……弟よ。口を開けたまま、天井をずっと見ているが、バカみたいだぞ」
「なんか、天井から水が落ちてくるから、どんな味かなあ~って」
娘が好きになりそうなものを、フォンさんは率先して好きになることで親子の絆を築いた。
時が経ち、なんのためにやっていたかフォンさん自身は忘れていたが、あの『キュークール』によってその習性が呼び起こされたらしい。
「好きなものを好きなように愛でる、お父様はそれをワタクシに教えてくれていた。その想いの強さを、大人になって改めて実感しました。涙がちょちょぎれましたわ……」
俺はさすがに涙は出てこないが、確かに悲しい話だと思う。
子供のために自分を捨てた人間が、今はただ自分を見失っている。
自分のためにやる趣味なのに、そこに自分がいないんだから虚しいのは当たり前だ。
当事者ともいえるジョウ先輩にとって、そんな父の姿は見るに堪えないだろう。
「……ですが、それでも、野暮を承知で、あえてワタクシはお父様に言わなければなりません」
ジョウ先輩は袖で涙やらその他もろもろの汁を拭う。
そして意を決し、慈悲に溢れた言葉をフォンさんに送った。
「っっっ!?」
それがフォンさんの脳天に打ち込まれた。
「がっ……は……」
「い、言いやがったぞ、あのドギツい格好した嬢ちゃん。オレたちが言わないことを、平然と」
「社会的に自立した子が、親の趣味に物申すってのはよっぽどですよ」
「言うにしても、もう少し穏当な表現もあったでしょうに、まさかあそこまで……」
愛娘からモロに喰らった急所攻撃に、フォンさんは呼吸もままならない。
だが愚かな真似をしていると思ったのなら、言ってやるべきだ。
少なくとも、互いを想い合っている親子ならば。
「み、みっともない……ワタシが……」
「好きなものを貫くということは、自分を貫くということです。今のお父様に、その高潔さはまるで感じられませんわ。自分の心に嘘をついて、半ば意地になってやっている。そうでしょう?」
こんなことを言っているが、ジョウ先輩も少し前までは趣味に対して大人気なかった。
俺の弟と新発売のカードを巡って小競り合いを起こしたこともある。
「趣味は自分自身の“心”がモノを言います。ですが自分の“心”さえ誤魔化していたら、それは趣味として不適切ですわ」
だけど、社会人を続けていく中で何か思うところでもあったのだろう。
人はいくつになっても学べる。
その学びを、今度は自分の親に教えているのかもしれない。
「それに、お父様。ワタクシもう成人してましてよ? さすがにキュアキュアは卒業しましたわ。だから同じジャンルの『キュークール』も観ていませんの」
「ソツギョウ? 卒業ってなんだ。好きなものに卒業なんてものはないんだぞ」
「お父様の手前、今まで言いにくかったのですが……とうの昔に興味を失っていましたわ。大した理由もありません。蝶が蜜を吸うのと同じですわ」
「な、なに?」
「お父さまがいつも言っていたことですわ。『他人の趣味にケチをつけるな』と。だからワタクシも言わないようにしていたのです。でも、未だに誘ってくるんですもの」
お互いのことを想っていたのに、すれ違っていたんだな。
その肩身の狭さに耐えられるほど、フォンさんの『キュークール』に対する想いは強くない。
娘への想いがきっかけで始めたんだ、娘には勝てない。
「はは……ワタシは娘の卒業式を見そびれたというわけか」
「お父様……あなたの“趣味そのもの”に文句を言うつもりは、今でも毛頭ありませんわ。いくつになっても、環境が変わろうとも、好きなものをを貫く姿は素晴らしいと思います。ですが、“趣味との付き合い方”まで同じであろうともがく、そのお姿は美しくありませんわ」
こうして十数年越しに、娘の手から、フォンさんへ卒業証書が渡されたのであった。
「感動的な親子シーンですね……」
それから数日後、フォンさんはまるで憑き物が落ちたかのように元に戻った。
本当にあの『キュークール』には変な魔力でもあったのだろうか。
「フォンさん、最近『キュークール』の話をしませんね。少し前までは、隙あらば語っていたのに」
「ええ、年甲斐もなく、ちょっとハシャぎ過ぎましたからね。これからは等身大の楽しみ方をしますよ」
フォンさんは、そう爽やかに答えた。
「“等身大”……ねえ」
ふと周りを見渡すと、スタッフ全員がフォンさんに冷ややかな視線を向けていた。
やあ 大きいお友達
そのサブカル論
痛々しくて キモい
体と 景色は
ずっと前に 通り過ぎた
けれど心は そこかい
「話は聞かせて貰いましたわ!」
「じ、じょ、ジョウ? なぜここに? 話を聞いていたって、どこで、どうやって……」
フォンさんは娘の電撃来店に慌てふためく。
この場に居合わせているだけのタケモトさんやマスターは尚さら事態が飲み込めない。
「あー、えーっと、ですね……」
「お父様、ワタクシはここ最近、不思議でしたの。お父様の『キュークール』に対する、病的なまでの活動。ただハマったというだけで納得するには、あまりにも異常でしたもの」
センセイが順を追って説明しようとしているのに、ジョウ先輩はそれを遮って一方的に語り始めた。
自分の述懐を優先させるところはフォンさんと似ていて、やっぱり親子って感じだ。
「あそこまで執着していたのは……ワタクシのためでしたのね、お父様」
だが俺たちにはまるで理解できない。
「な、なんのこっちゃ……誰か、誰か説明してくれよー!」
タケモトさんの悲痛な叫びが店内に木霊した。
それから語られる、ジョウ先輩の断片的な思い出話。
それを俺なりに組み立てると、こんな感じだ。
自分の考えを表に出さず、行動も控えめで周りに言われたことしかやらない。
口調も普通だ。
それは親に対してもほぼ同じだった。
フォンさんは仕事で忙しく、家にほとんどいなかったため娘と会話すらマトモにできなかったんだ。
年頃の親子とは思えないほど、二人の関係には距離ができていた。
しかし、そんな状態を『キュアキュア』とかいう、当時やっていたアニメが救う。
ジョウ先輩はその映像に魅了され、時に親の忠告を無視するほど熱中することもあった。
しかし、そんな困った状況をフォンさんは逆に喜んだ。
だから、その心を育むため、フォンさんは娘の趣味を咎めなかった。
娘が好きなものを好きなように愛せるよう、怖気づかせないように、その姿を見せ続けた。
何となくだが、ようやっと話が見えてきた。
フォンさんの『キュークール』に対する愛情表現は、その頃の“クセ”ってことか。
子供の趣味を、子供のように大人が楽しむには、多少の羞恥心は気にしてられない。
ひとまず、どっかそこらへんに置いておく必要がある。
多少やりすぎでも、娘がそれで自信を持ってくれれば、と。
だけど、フォンさんは置きっぱなしにしてしまった。
どこに置いておいたのか忘れてしまったんだ。
「『キュークール』も観ているんですか。キュアキュアを観ていたってことは、そういったジャンルはかなり長いんですねえ」
「何が悪いんですか。子供の頃に持った趣味を、今もなお続けている。良いことじゃありませんか。悪い理由がない」
「いきなり、どうしたんですか。別に悪いだなんて言ってないでしょう」
フォンさんの拗らせ方は、些か厄介といえた。
「やはり子供がいると自分の時間が徐々になくなって、以前のように趣味に没頭できなくなるでしょう」
「子供を言い訳に使う人は、所詮その程度だったんですよ。ワタシはキュアキュアを観ていました、子供と一緒に!」
「なぜ、そこまで“子供と一緒に”を強調する」
“現在の社会的生活を維持しつつ、趣味も維持する自分”というものに並々ならぬプライドがあるらしい。
“趣味を継続させる”って意識が、そもそもズレているような気もするが。
「この歳になっても最新の動向を追いつつ、長年続けていくのは趣味だとしても大変でしょう」
「別に大変だと思ったことはありません。仮に大変だったとして何も問題はない」
「ふむ、確かに。自分はこの年齢になってからアニメを熱心に観るようになりましたね。たまにちょっと疲れていて、観ている途中で寝てしまいますが、ハハハ」
「それは年寄りがゲートボールやり始めるようなもんでしょ。若い頃に始めた趣味を継続させられるかって話と、ワタシの話を同列で語らないでくれ」
しかも、酷く敏感になっている。
マスターの個人的なエピソードにすら、まるで自分が否定されているかのように噛みつく。
「あなたたちはワタシの趣味を軽んじている。年寄りの冷や水だと思っているんでしょう! ワタシが飲んだら腹を下すと思っている!」
言葉の解釈に差異こそあれど、“そう聞こえてしまうこと”に過敏なのは“思うところがあるから”だ。
他人の生き方が自分と違っていても、それはイコール否定にはなりえない。
自分は上手くいっているからだとか、自分のやり方がそうだからってのは大した理屈じゃない。
なのにそう言って憚らず、他人もそうあるべきだ、でなければ趣味人としては落第だと言うのは間違っている。
「ワタシはアニメに関する仕事をしているし、そういったものにも理解がある。ワタシは子供向けだからだとか、色眼鏡で見たりしない。ワタシは『キュークール』の大ファンだ!」
にも関わらずフォンさんは、他人の姿勢を否定して、己を大きく見せてまで自尊心を保とうとする。
ネガティブな思考で「自分はポジティブに趣味に励んでいる」と捲くし立てる。
「あの作品には自由、愛、平和の多様性が溢れているのに、あなたたちにはそれが分からないのか!」
そう語るフォンさんが、そのアニメから何も吸収できていないのは皮肉な話だ。
まあ、アニメの影響力なんて良くも悪くも所詮そんなもんってことなのだろう。
「ワタシは楽しんでいる! 有意義だ! 納得している! あなた達とは違うんです!」
マトモに笑うこともできないまま、いきり立って「自分は楽しんでますよ」といっても説得力はない。
「だめだ、だめだ。あの『キュークール』の素晴らしさと先見性が分からないなんて! アニメオタクに未だこんなのがいるから、この国は前時代的な表現がのさばり続けるんだ!」
フォンさんのおかしさを、恐らくセンセイたちも感じ取っている。
言語化して、指摘することもできるだろう。
だが、言わない、言えない。
なにせ本人が「楽しんでいる」、「有意義だ」と言い張っているから。
傍から見て、明らかに意固地になっていたとしても、本人が良いと言っているのだから。
非合法でもない限り、他人の趣味にとやかく言うべきじゃない、なんて言うまでもない。
だが、それでも、今のフォンさんにあえて投げかけるべきはそういった言葉だ。
もし、言える人間がいるとするならば……。
「お父様……ひょっとして」
ジョウ先輩が何かに気づいたようだ。
突如、ドレスを着込んでいるとは思えないほどのスピードで走り出す。
そしてフォンさんのいる、喫茶店の扉を勢いよく開けた。
しばらく歩くと喫茶店に着いた。
俺やセンセイの行きつけの店だ。
「ここでマスダのお父さんと、ジョウさんのお父さんが待ち合わせしている。マスダのお父さんはやや遅れてしまっているようだね」
なぜそれをセンセイが知っているのか。
まあ、恐らく俺の父を通じてフォンさんにこの喫茶店で待つよう連絡をよこした、とかだろう。
手回しが早いというか、回りくどいというか。
まさかあのアテもない徒歩の時間は、この場を調えるのも計算に入れていた、とか?
だとしたらセンセイには感嘆せざるを得ない。
「とりあえず、私だけで話してみよう。君たちは離れた場所で、これを」
そう言ってセンセイは俺たちに録音機らしきものを渡した。
これで店内でのやり取りが聴こえるんだとか。
「センセイ、これ常備してるんですか?」
「社会人の嗜みさ」
「ワタクシも社会人ですが、初耳ですわよ」
「社会にも色々あるのだよ」
センセイにとっての“社会”とは、どういったものなのだろうか。
答えてくれるとも思えないし、もし答えてくれたとして逆にこっちが困りそうな気がする。
「では、行ってくる」
センセイはおもむろに店に入っていく。
「いらっしゃい」
「よお、センセイ」
そして、センセイの言っていた通り、待ちぼうけをくらっているフォンさんも。
「おや、今日は珍しい客人がいるね」
「ええ、仕事の打ち合わせで人を待っていまして」
「奇遇ですね。私もここで待ち合わせなんですよ。マスダっていう子なんですがね」
「……マスダ?」
「ん? 別に珍しい名前ではありませんが、何か気がかりでしたか。ひょっとして……あなたが待っているのもマスダだとか?」
「え、ええ、偶然ですね」
「まあ、彼は学生なので、あくまで同姓同名ってだけでしょうけれど……もしかしたら親子なのかもしれませんね」
ともあれ、これで親と子の話をしつつ、フォンさんの趣味についても聞ける取っ掛かりは出来た。
「へえー、キュアキュア観てたんですか」
「まあ、きっかけが何であれ、大人でも好きな奴は結構いましたよ」
「そうそう、子供向けアニメだろうが作ってるのは大人なんだ。大人が観れるように出来てても不思議じゃない」
そこにマスターとタケモトさんも参加し、フォンさんの口も徐々に滑らかになっていく。
そうして会話を続けていくと、フォンさんがなぜ『キュークール』をあんな風に愛でるのか、その理由が徐々に見えてきた。
ジョウ先輩の話は予想以上に長く、結局バスが目的地に着いても終わらなかった。
しかし、途中で中断するのも気持ちが悪いと、ジョウ先輩とセンセイの間で意見が一致した。
俺もセンセイの手前、「急ぎの用はないですが、早く家に帰りたい気分なんです」とは言えない。
ということで、三人で適当な場所で降りて、どこへ向かうともなく歩きながら会話を始めた。
「……つまり、あなたのお父さんが『キュークール』に熱を上げすぎていると」
ジョウ先輩の父とは、フォンさんのことだ。
なので最近のフォンさんの動向は、俺もちょっとだけ聞いた覚えがあった。
「確かに、いたたまれないですね。中年の身内が流行りに乗っかる姿は、子にはキツい」
「いえ、それ自体は気にしていませんの。何か夢中になれるものがあるのは素晴らしいことですわ」
では、何が問題だと思っているんだろうか。
「父は……些か無理をしているようですの。心と体の間に溝ができてしまっている」
ジョウ先輩が言うには、フォンさんの『キュークール』に対する振る舞いは、身の丈にあったものではないんだとか。
その“身の丈”がどんな形と大きさをしているかはイマイチ要領を得ないが。
まあ、話がこじれるだけなので口には出さないが。
「父は内心、『キュークール』をそこまで評価していないんですの。けれどアレを愛し、そんな己の姿を周りに誇示する。そうすることで父は“何か”を守っているようですわ」
「“何か”、とは?」
「それは分かりません。ただ、無理をして『キュークール』に“熱中しているフリ”をしている、それは確かですわ」
「子の勘、って奴ですか」
「確かな経験則です。ワタクシのこのスタイルは、元を辿ればアニメのキャラクターがきっかけ。それを自分の中で十数年かけて浸透させたんですの。そんなワタクシだからこそ断言できますわ。父は馴染んでいないし、これから馴染むこともない、と!」
そこまで言い切るからには、きっと“何か”あるのだろう。
壊れていない家電製品をゴミ置き場に放つが如く、フォンさんは恥や外聞を捨てている。
オサカの奴も『キュークール』をやたらと語っていたが、あいつはブログでレビュー記事を書いているので、そこからくる言動だってのが分かる。
ではフォンさんの場合はどうだろうか。
単に『キュークール』に滅茶苦茶ハマっている人……とするには、あまりにも目に余る。
「父には己の自我と向き合い、思うまま受け入れ、相応に振舞って欲しいだけですわ。ワタクシがそうであるように」
素直に納得するにはジョウ先輩のケースは特殊な気がする。
「そうか……では、私が君のお父さんに尋ねてみよう」
センセイが予想外のことを言い出す。
「……センセイ殿が、ですか?」
ジョウ先輩の話を随分と聞きたがると思っていたが、そこまで首を突っ込みたがるほど興味があったのか。
「ええっ、本気ですか。センセイって、そんなにお節介な人間でしたっけ」
「仕事柄、知らんぷりともいかなくてね。その『キュークール』ってのは、ラボハテの息がかかったアニメなんだろ?」
なるほど、だからセンセイは関心が強かったのか。
……いや、それがどう関係しているというんだ。
俺がそう訪ねると、センセイは「しまった」と言った顔をする。
「……まあ、そんなところ。相手が言いたがらないのに、あまり詮索するものではないよ、マスダ」
明らかに取り繕っているのは気になるが、俺は言われたとおり詮索しないことにした。
これ以上の面倒くさい展開は避けたい。
そんな状況に心を痛める者が一人いた。
「あら、マスダ。奇遇ですわね」
ジョウ先輩だ。
「あ、どうも……」
俺は気まずそうに会釈をした。
とってつけたようなお嬢様言葉に、とってつけたようなお嬢様服。
見た目や言動が強烈なのも相まって、俺はこの人が苦手だ。
「へえ、マスダ。このような御令嬢と知り合いだったのかい。人脈が広いね」
隣にいたセンセイが会話に入ってくる。
実際にはセンセイと俺の会話中にジョウ先輩が入ってきた、といった方が正しいが。
「いえ、センセイ。彼女が在学中に先輩後輩の関係だっただけですよ。この喋り方や服装は彼女の趣味なんです」
「え、じゃあ、それはただのキャラクター作りの一環というわけかい」
センセイ、そこはあまり掘り下げなくてもいい。
「おや、それは……気をつけていたつもりだったが、見た目や言葉遣いで安易に人を判断してしまったようだ。申し訳ない」
「むしろ安易に判断してくれて結構ですわ。そのためにしているのですから」
「ほう、そこまで割り切れるとは、達観した考えをお持ちのようだ。あなたにとってそれは、もはや体の一部なのですね」
初対面なのに、センセイはよく落ち着いた対応ができるな。
居心地が悪いのは、二人に挟まれている俺だけのようだ。
「ただ……周りがどう思うかを気にしすぎないのも考えものですわね」
何やらジョウ先輩が通俗的なことを言っている。
いや、この人は普段から割と俗っぽいから、驚くには値しないが。
だが、ここで興味本位に追求はしない。
明らかにジョウ先輩は話を聞いて欲しそうな素振りだったが、俺はこれ以上、話に花を咲かせたくなかった。
「……と、言いますと?」
まあ、俺にそのつもりがなくても、センセイが聞き出してしまうため無意味ではあったが。
「話してもよろしいですが……長くなりましてよ、少々」
「大歓迎さ。目的地に着くのはずっと先なのでね。君もそうだろ、マスダ?」
「……生憎、そうですね」
「では……そうですわね、まずはワタクシの父について、お話しましょう」
そうしてジョウ先輩は、初めからそのつもりだったのを証明するかのように淀みなく話し始めた。
「うちの両親がやたらと一緒に観たがってさ。僕はそこまで観たいと思ってないのに」
「あ、あた、おれもそんな感じ。『タメになる』とか、『あなたにとって、いいものだから』とか何とか……」
しかし物語だとかキャラクターについてだとか、アニメの内容に関することではなく、それを観ている親についての愚痴に近かった。
「まあ、あれって如何にも女子向けって感じだしな。俺たちが観るもんじゃない」
「あ、あれ……意外だね。タオナケは好きそうなのに」
「私、その言い方すごく引っかかるんだけど、どういう意味なのかしら? 女子の大半はああいうのが好きだと見くびってるわけ? それとも私個人に対するイメージの押し付け?」
「おいおい、ドッペルにそういう絡み方してやるなよ」
こんな調子で、本来想定されているであろう層への評判がイマイチという状態だった。
「私、うまく言えないんだけど……あのアニメって大人の顔色うかがいながら作ってる感じがするの。しかも……うちのママみたいな一部の大人の顔色」
明け透けにモノを言うタオナケが、なんとも歯切れの悪い言い方をしている。
「な、なんか変な感じだね。子供よりも大人の方が熱中してるだなんて……」
「いや、むしろそのせいだろ。大人がマジになればなるほど、俺たち子供はヒくんだよ」
弟の指摘がどこまで的を射ているかはともかく、実際『キュークール』の子供ウケはお世辞にもいいとはいえなかった。
しかし大抵の子供は、そういったリアクションを上手く伝える術を持たない。
俺も弟たちも、『キュークル』の面白さがイマイチ理解できないでいた。
観ている人がいるってのは分かるし、彼らが何に熱中しているかってのも表向きには分かるんだけど。
こうして大人と子供の間で意識が剥離していくなか、『キュークール』は“流行って”いった。
父の周りでも、やや特殊な状況ながら『キュークール』の話題は盛んだった。
だけど、少し状況や認識が違う。
「『キュークール』の15話、ネットですごい話題のようですね」
「そうらしいな。オレは何が面白いか分からんので観ていないが」
「シューゴさん、監督なんですから話題の作品はチェックしといた方がいいですよ。そもそも、観なければ面白いかどうかも分からないでしょ」
「理屈なんていらねえ。オレくらいになると、観なくても面白いかどうか分かるんだよ。オレが観たいと思えない作品はイコール面白くない、これが名実。他の奴らがどう思うかなんて関係ないね」
「……まあ、個人の自由なので結構ですが、それをインタビューとかで誇らしげに言うのはやめてくださいね。分かる気もないのに、分かってるようなことを言ったらまた火傷しますよ」
父の職場はアニメのスタジオなので、同業の話題には注目せざるを得なかった。
「あ、お二人方、おはようございます。『キュークール』の15話、すごかったですねえ。1話から出ていたモブキャラが満を持して変身を……と思いきや、まさかの拒否。『誰でも魔法少女になれる』っていうコンセプトのアニメで、あの展開をやるなんて。個人の自由意志を尊重しているというメッセージが、これでもかと押し寄せてきますね!」
だが、それを抜きにしても同僚のフォンさんは格別だった。
作品の動向をチェックしているというよりは、ただファンになっているようだった。
「ワタシ感動しちゃいましたね。とうとう子供向けアニメも、ここまで来たかと。感動のあまり『キュークール・クーラー』買っちゃいましたよ。ほら、魔法の力で、いつでもどこでもチョー涼しい! これでもワタシも魔法少女!」
『ラボハテ』っていうロボットメーカーが、以前から力を入れている企画があった。
「誰でも魔法少女に変身して、素敵な力を使える」っていうふれ込みらしい。
時おり、町で自警活動やらアイドルの真似事をやっているのを見かけるが、そんなに大したもんじゃない。
やってることは大掛かりだが、実際にはキツい格好をした少女型アンドロイドを遠隔操作しているだけ。
変身しているというよりは、ゲームのキャラクターを現実で動かしているようなものだ。
この町にいる魔法少女だって、アラサーの女性がボランティアでやっている。
技術的にはすごいことをやっているのかもしれないが、夢のある話とは言いにくい。
ラボハテも手ごたえを感じていなかったのか、プロジェクトの認知度をより上げるために新たなプロモーションを打ち出す。
キュートでクールな女の子たちが主役のアニメで、魔法少女に変身して様々な事件を解決するのが主な内容だ。
主役以外にも、老若男女なゲストキャラも変身して「誰でも魔法少女に変身して、素敵な力を使える」ことを強く宣伝している。
ある種ノスタルジーを感じる作りと、現代的なテーマが一部の大人たちにウケて、にわかに話題を集めているらしい。
バイト仲間のオサカが、そう言っていた。
「子供向けじゃないねあれは。いや子供騙しって意味じゃなくて中々に侮れない作りって意味だけど。一昔前の女子向けアニメをオマージュした演出が多くてでも話のテーマは現代の社会問題を扱ってて話題性がある。あれは子供向けアニメの皮を被った大人向け作品だ」
こんな調子に、聞いてもないのに隙あらば語ってくる。
「お前がその作品を好きなのは十分伝わったから、その辺にしないか。その口を動かすエネルギーをバイトのために温存しておこうぜ」
「えぇ?」
「まず基本子供向け作品だという視点で作られていない。エンターテイメント性が希薄で子供が置いてけぼりだ。大人にしか分からないようなネタは昔のアニメにもあるが大筋は子供でも理解できて楽しめるように作られていることも多いのにそういった噛み砕きが『キュークール』には足りない。現代的なテーマ選びや話作りも説教臭くて陳腐だとすら言える。画一的なソーシャルアジェンダを推し進めようっていうエゴの押し売り感が酷い」
ほんと、こいつはどんな作品だろうがわざわざ観て、やたらと熱心に話したがるよな。
そうまでして語らせる、何らかの魔力でもあるのだろうか。
僕は簡単に 想いを重ねたりはしない
「善良デアレ」と責める この界の基本構造は
彼らもしばらく 普通になる予定はなさそうさ
オリジナル作品貫いて
あの意図だけ 心の清涼剤
忘れてるね
「どういうことだ。なんだその歌」
「あれこの歌をご存じない? ジェネレーションギャップ」
好きなものに対する拘りは人によって違う。
ある人は知識が豊富だったり、ある人はモノを集めたり、ある人は独特なアプローチを図る。
それでも言えるとするならば、関心のない人よりも見えている景色が違うのは確かだってこと。
だけど“恋は盲目”って言葉があるように、好きであればあるほど物事は不鮮明に映りやすい。
その時、どういった姿勢が問われるか。
誰が、誰を、どのように問うのか。
「卒業」って言葉を聞くと、俺たちみたいな生徒は学校のことを連想するだろう。
だけど、その他のシチュエーションで使われるケースだってある。
例えばアイドル。
「はあ~」
「カン先輩、溜め息をつくなら、せめてペースを落としてくれませんか」
「そりゃ、無理な相談やでマスダ。むしろ溜め息で済んでるのを感謝すべきや」
応援していたアイドルが数週間前に卒業して、未だそのショックを引きずっている。
黙々と作業をしている時にふと思い出してしまい、それらが二酸化炭素として排出されるメカニズムらしい。
「ワイらのアメ子ちゃんが卒業……普通の女の子に戻ってもうた」
“ワイら”ってことは複数人の共有物なのか、“普通の女の子”って何を基準に言ってるのか。
“卒業”って言ってるが、要は“引退”の言い換えだとしか思えない。
俺がその界隈について詳しくないからかもしれないが、カン先輩の言動には疑問符が溢れ出てくる。
「気になったんですけど、なんでアイドルが辞めることを“卒業”って言うんです?」
「ああ?……そりゃあ、“辞める”とか言ったらバツが悪いからや」
「……マスダ、その聞き方、めっちゃ腹立つわ」
こんな感じで、卒業ってのは学校のそれとは違い漠然としている。
次のスタートへ向かうために設けられている、定められた一つのゴールだ。
環境の変化に未練こそ感じても、基本的には前向きに進むものとして存在する。
後ろ向きのまま歩いたんじゃあ、危なっかしくて進めない。
そう認識している俺にとって、他のケースで使われる“卒業”という言葉はどうも計りかねた。
趣味などをやめるのも卒業って呼ばれるが、あれも漠然としている。
そのせいで人々はいつ卒業するのか、そもそもすべきなのかすら分からない。
いや、そもそも卒業って表現が不適当なのだから、留年生と呼ぶべきではないかもしれないが。
それでも、あえて“留年生”と呼ぶのなら、その人達はいつまで“趣味という名の学校”にいられるのだろうか。
とあるアニメが地上の波を漂う時、一人の留年生はその資質を問われることになる。
ちなみにカン先輩のことじゃない。
敵がすごく長い槍を振り回すので、手も足も出せなかったのです。
この時に彼はとても悔しがりますが、それは攻撃が届かないからではなく、自分の正義が届かないからだと思いました。
しかし、そんな彼に「ジャスト・コーズ」という独特な能力が宿ります。
何でもできて便利な能力ですが、ヴェノラが「俺には正当な理由があります」と感じた時にしか使えません。
この上なく彼の正義感を表していると僕は思いました。
三章でも語られていますが、正義と力の使い方を工夫しているのでしょう。
特に五章でヴェノラが火と水の魔法を組み合わせて温かい水を作り出し、それを拳にエンチャントした場面はすごいと思います。
そんな発想がなかったので、読んだとき思わず「なるほど」と声に出してしまいました。
正義の有り方だけではなく、色々なことを学ばせてくれる『ヴァリアブルオリジナル』はとても良い作品だと僕は思いました。
「はい、読んだ時の感動がダイレクトに伝わってくるようでしたね。マスダくん、ありがとう~」
その音は俺に向けられたものですらなく、ただ手を叩いているだけのように聴こえた。
なぜそう聴こえたかというと、俺の読書感想文はあと半分くらい残っているからである。
「たくさん書いてくれたのは結構ですが、原稿用紙5枚までに収めることも条件に出したでしょう。短いのもダメですが、だからといって長々と書けばいいというものでもありません」
先生の理屈は分からなくもないけど、どうにも腑に落ちなかった。
頑張って書いてきた生徒に対して、ちょっと冷たい気がする。
「あと、本の種類を問わないとは言いましたが、マスダくんが読んだの……漫画じゃないですか?」
こうなったら俺も簡単には引き下がれない。
「漫画だって立派な読書だ。図書室にだって漫画はあるし、絵本だって漫画みたいなもんだ。だけど俺はそこから色々なものを学んでる。だから感想文だってこんなに書いてきたんだ!」
「マスダくん、あなたがその場しのぎの詭弁ではなく、本当に有意義な議論がしたくてそう言っているのなら放課後に話しましょう」
「はい、じゃあ次はツクヒ君どうぞ」
先生の奴、扱いが慣れてやがる。
たぶん、俺みたいな生徒が毎年いるんだろうな。
「まあ、仕方ないよ。サブカルを基盤に人生や社会を大真面目に語るのって結構キツいからね。よほど上手くやらないと、大抵は薄っぺらい自分語りになっちゃう」
隣の席にいたブリー君が、俺にだけ聞こえるよう小声でそう言った。
嫌味にしか聞こえないが、彼なりにフォローしているつもりなのだろう。
彼の正義感は異世界でも発揮され、凶暴なモンスターや悪い人間を倒して人々に慕われます。
例えば第二章では海賊が山から下りてきて、近くの村を荒らしまくります。
海賊たちは口が悪いし、暴力もふるうし、悪い事をするためだけに生まれてきたようなキャラです。
そんな奴に対してヴェノラは決めゼリフを言います。
「俺がこらしめてやる。溜飲を下げさせてもらう」
そして「俺には正当な理由があります」と付け加えて悪党をあっという間に倒します。
このセリフがすごいのは、彼の正義感をこれ以上なく表現している点にあると思います。
悪を見過ごせない心だけではなく、戦う理由も考えている。
しかも「こらしめてやる」と言うように、やりすぎるつもりもありません。
敵は悪者だから、ちょっと位やりすぎてもいいと思うのですが、そこに正義はないからヴェノラはやらないんです。
第三章では、正義と力を持つ人間がどう振る舞うべきかが描かれました。
村の人々は宴を開き、ヴェノラの今までやってきた行いを評価して、彼の性格や能力を褒め称えます。
自分自身を客観的に評価しているので、周りにもそうしてもらえるよう望んでいるからです。
僕は、これは現実にも言えることだなあと思いました。
必要以上に評価されて期待されることも嫌ですが、だからといって評価されないことも嫌です。
そのためには自分が自分のことをどう思っているか考え、他人にもそう見てもらえるよう頑張ればいい。
だけどヴェノラは自分の力をひけらかして、その評価を得ようとはしません。
二章で描かれた彼の正義感は三章になっても変わっていないんだなあ、と感心しました。
僕は正義のあり方を学ぶと同時に、村の人たちと一緒にヴェノラを褒め称えたい気持ちになりました。
僕はこの『ヴァリアブルオリジナル』を読んで、正義とは何か、愛や平和とは何かを学びました。
まず序章では主人公ヴェノラの、現世での日常生活が丁寧に描かれます。
そんな疑問も長くは続かず、主人公は5ページ目あたりで幼馴染をかばって大型の貨物自動車に轢かれます。
そして、どっかの神様が彼の決死の行動に感動し、異世界で新たに生きるチャンスを与えて序章は終わります。
異世界での冒険を早く読みたかった僕は、最初この話を余計だと感じていました。
異世界行くんだから現世の話を長くやる必要はないんじゃないかと思ったのです。
だけど後になって、この序章は主人公の人格を早めに読者に印象付けつつ、彼が異世界へ行くことに説得力を持たせるためのものだと気づきました。
おかげで僕は自然とヴェノラのキャラクターに魅了され、彼が異世界で冒険することに何も疑問を持たなくて済んだのです。
続く第一章では、主人公を通じて異世界がどのようなシステムかが描かれました。
異世界は彼が元いた世界とは違う世界であり、勿論そこで生きる人々や動物も似て非なるものです。
ロールプレイングゲームのような魔法やスキルもあって、まさに異世界なんだと伝わってきます。
そんな世界の違いに戸惑うヴェノラの姿にはとてもリアリティがあり、僕は「外国にホームステイしたらこんな感じなんだろうな」と思いました。
だけど、生きていくためにヴェノラは試行錯誤してシステムを学んでいきます。
僕は読んでいて最初は「うわー、勉強イヤだなあ」と思いましたが、ゲームのような世界観のおかげで分かりやすくて、スラスラ読むことができました。
ヴェノラが魔法やスキルを理解するのと同じスピードで、読者である僕も世界観を感じていくので、何だか二人三脚で走っているような気分でした。
僕はこの第一章で、自ら進んで何かを学ぼうとする姿勢の大切さを知りました。
ウサク曰く「票が欲しけりゃ媚を売れ。媚びは売っても賄賂にならぬ」
東に単純な子供がいれば、行って芸を見せてやる。
北に暇な老人がいれば、行って長話を聞いてやる。
そして、公約を掲げて期待を煽る。
「役所で要求される面倒な手続きはシンプルに。ハンコなんていりません!」
公約を守れなかったら当然その信頼を裏切ることになるが、その時はその時。
“努力及ばず”、“結果及ばず”なんて、この世の中じゃあ日常茶飯事だからな。
演説の最後にキャッチフレーズを入れて、自分に投票せよと言うのも忘れない。
そんな調子で市長は様々な場所に顔を出し、有権者への評価を獲得していった。
今まで対立しながらも邂逅すらなかった二人が、ここにきて初めて直接的な戦いを繰り広げたんだ。
「市長は『クールビズ月間』というのをやったことがあるが、あれは明らかに電気供給を間違えた結果の苦肉の策だ」
フクマはいつも通り、市長が考えたこれまでの政策を挙げて、その結果や過程がビミョーであることを指摘していく。
だけど、コレに対する対処法をウサクは伝授済みだ。
「フクマさん、あなたが選挙運動で一般市民から寄付という形で金を受け取っていたように、私はそこに致命的な問題があるように思えません」
「うん?……どういう意味?」
これがウサク直伝の戦法。
反論しにくい指摘に対しては、毅然とした態度で“反論している感じ”を出す。
分かりにくいことを言って煙に巻き、指摘する側の事情を絡めて理解を遅らせるんだ。
「フクマさんは様々な公約を掲げていますが、それらを実行するための具体的な予算の配分について教えてください」
「配分?……えー……」
市長を引き摺り下ろすためだけに立候補した人間がそこまで考えているはずもなく、フクマは言葉を詰まらせる。
「先ほど電気供給の話をフクマさんはしましたが、我が市がどこの発電所から、どの程度の電気を頂いているかご存知ですか。我が市には風力発電もあり、理論上何パーセントを賄えているかを踏まえた上で足りなかった場合の代替案も数種あるわけですが、フクマさんの案もお聞かせください」
「それは……」
市長は捲くし立て、フクマはそれに言葉を途切れ気味に挟むことしか出来ない。
『ネットのレスバトルをちょっと上品にしたレベルでいい。大衆は雰囲気で世相を観てる』
そんなことを市長選に関わるこの場面でやっているのだから、世知辛いと思わずにはいられない。
とはいえ事実、市長が優勢な雰囲気を醸し出していたのは否定できなかった。
「私より有能で、町をより良くしたいと志す人間はきっとどこかにいるでしょう。ですが、それは少なくともあなたではない。今日の討論会で良く分かりました」
そして投票が終わり、結果が発表される。
実はフクマ支持者の半数は投票すらしていないという、締りの悪いオチもついたが。
「我が知恵を出したのだから当前の結果だが、実行したのは貴様だ。その点は誇りに思え」
「ありがとうございます皆さん。政治に長年関わってきて、ここまで市民の方々に応援していただいたのは初めてです」
周りの力が大きくても、多少アレなところはあっても、市長には市長でいるだけの相応の理由があるのかもしれない。
弟も何か思うところがあったのか、嫌っていた市長に賛辞の言葉を述べた。
「市長、あんたはカレー味のウンコでも、ウンコ味のカレーでもない。美味しくないカレーだったんだな」
そう言って市長の背中を叩いて、すぐさまどこかへ行ってしまった。
弟も随分と軟化したものだ。
「え……どういう意味ですか、今の」
そうして数日が経った。
「技は覚えてきたか?」
「エンドウ、タマゴ、シラスもどきは出来るようになりました。あと、月歩と無重力も一応」
「まあ、よかろう」
ウサク流選挙術を会得した市長は、実践がてら子供の多い集会場でその成果を試すことになった。
子供の周りにいる大人たちには投票権があるし、将来的な話をすれば等しく有権者ともいえる。
つまりこの演説の目的は、チェーン店のお子様ランチと同じ理屈なのだろう。
「本当にこんな見せ掛けの方法で良い印象を与えられるでしょうか……」
「問題ない。投票する人間の半分は政治のことなんてロクに分かってないからな」
ウサク直伝の技を試すには持ってこいってわけだ。
「ほら市長、早く行ってこいよ。子供は子供だから大人しく待てないぞ」
俺は市長の背中を物理的に押して、半ば無理やりステージに立たせた。
「むむ……よしっ、それ!」
意を決した市長は、押された勢いのまま高く飛び上がる。
そして空中で宙返りをして捻りも加えつつ、マイクのある場所で着地を決めた。
「おおっ、すげえー!」
本場の体操選手とは比ぶべくもない完成度ではあったが、ガキ共の視線を集めるには十分な出来だ。
会場からは感嘆に近いどよめきが漂った。
『お集まりの皆さん、こんにちは。この度は耳よりな情報をお届けに参りました』
注目してもらったところで、次は耳を傾けてもらう。
『勉強嫌いな子も、給食は楽しみの一つでしょう。でも、その給食で嫌いなものや、美味しくないものが出てきたら嫌ですよね? 食べたくありません。そのせいで栄養が足りなくて、元気が出ないまま午後の授業を過ごしてしまう。皆さんにとっても、それを作った人にとっても嬉しいことではありません』
「確かにー!」
喋りは一定のテンポで、低く落ち着いた声でストレスなく耳に届きやすい。
そして子供に共感してもらえるようなテーマで話を進めつつ、単純な表現を使って自身の制作体制を説明していく。
『そこで好き嫌いをせず食べようと言うだけなら簡単です。或いは栄養のある食べ物なんだよ~なんて説明をしたり。でも、そんなことで食べられるようになるわけもありません』
「いえてるー!」
『皆が好きなものを食べても、栄養が足りていればいいんです!』
「そーだ、そーだ!」
市長の演説は陳腐だが分かりやすくはあり、徐々に子供たちの心を掴んでいく。
『私が市長ならば、皆さんの給食にカレーやハンバーグが週一でやってくるでしょう』
そして、ここで必殺の一撃、公約を炸裂させた。
「うおおー、いいぞー!」
俺は幕の陰から、その状況をヒき気味に眺めていた。
かなり懐疑的だったが、ここまでウサクの思惑にハマるものなのか。
「ウサク、お前将来は政治家にでもなるつもりか?」
「つまらん茶化しはよせ。宗教学者に『新興宗教でも始めるつもりか?』なんて質問はしないだろう」
なんだ、その例え。
「お疲れ様。手ごたえは感じられたようだな」
「ええ……少々、複雑な心境ですが」
「お前もお疲れ」
「うげえーっ、自分で言ってて吐きそうだったよ……」
そして俺は弟に労いの言葉をかける。
何を隠そう、先ほど客席からたびたび相槌を打っていたのは弟だ。
意見を先鋭させるため、盛り上げ役も用意していたんだ。
子供ウケを狙うのはアレだと思うが、実際その効果は明らかだった。
「よし、この調子で明日は票集めの主戦場、老人の溜まり場に行くぞ」
「……分かりました。話を聞かせてください」
「では移動しながら説明しよう」
襟を正せ 背筋を伸ばせ
やれること やっていこう
まずは
服を少し変えるのだ 見る人の目も変わるだろ
色はワンポイント 明るめに
トレードマークをつけろ
己が着るのは制服じゃない
笠に着ろ 金があれば
声の高さが違うだけで 言葉が耳に残るだろ
抑揚を少し変えるだけ イメージ変わる
喋りは短く 簡潔に言え
要点だけ覚えてもらう
低く (低く)
高く (高く)
脳に擦り付けてやれ
振る舞いを細かく固めれば イメージも形作るさ
やれることからやり続ければ 票も集まるさ
「選挙において、重要なのは印象だ。握手はしっかりと、目を見て話せ。真摯な気持ちを相手の触覚と視覚に焼き付けるように」
とにかく少しでも良い印象を与えるために、ウサクの指導は一挙手一投足に及んだ。
傍から説明を聞いていてなるほどと思えるものもあれば、エビデンスがあるか怪しい心理的な方法論もあった。
「何か学生時代にやっていたこととか、今でも趣味程度にやっていることはあるか?」
「昔、体操をかじっていたので、その名残で運動するくらいですかね」
「よし、演説のパフォーマンスのためにいくつか技を練習しておけ」
「貴様、まさか坦々と喋っているだけで人々が自分を気にかけてくれると思っていないか? 皆に良い印象をもってもらうなら、それくらいのことはやれ」
「わ、分かりましたよ……はあ、まさか市長でいるためにこんなことするハメになるとは」
しかし市長は少しでも票に繋がるのならばと、訝しげに思いながらも技術を吸収していった。
「ここは市長がお忍びで利用する、行きつけの店だ」
そう言ってウサクは店内に入っていくので、俺も後ろをついていく。
店内を見渡すと、隅っこの席に本当にいた。
酒を舐めるように飲んでいたが、“舐める”と表現するべきか分からないほどペースが早い。
「あ、誰かと思えば市長じゃん」
「相席、失礼する」
俺たちはおもむろに市長に話しかけつつ、近くの席に座りこんだ。
未成年だけでわざわざ居酒屋に来る時点で不自然だし、セリフも些か白々しかったが、市長は酒が入っているようで気にも留めない。
「この店の接客サービスが好きでしてね。素っ気ない……と言えば聞こえは悪いですが、ほっといてくれるのは時に心地よいものです」
そう呟く市長の態度が何より素っ気ない。
遠回しに「話したい気分ではない」と言いたげだった。
まあ、プライベートでの過干渉なんて俺も嫌だが、そうもいかない。
まずはこちらに関心を持ってもらうため、何気ない雑談から始めよう。
「……この酒を知らないのですか?」
「生憎、酒は飲めないんで」
「なら知らないのも無理はないかもしれませんね」
コミニケーションのとっかかりは疑問をぶつけることだ。
「この『ドカシス月光』は作っている場所こそ違いますが、原材料は全てこの市が生産しているんです。カクテルや料理に使われることの方が多い酒ですが、そのまま飲んでも美味しい。自慢の名産と言ってもいいでしょう」
「作ってるのは別の場所なんだ」
「本当は酒の製造も市でやりたいんです。でも原材料にすら税金がかかっているのに、酒そのものにも高い税金が発生するから地元じゃ誰も作りたがらないんですよ。だから酒税のない地域で作ってもらって、それを個人で取り引きしたほうが安上がりなんです」
「なんだか脱法の密造酒みたいだな」
酒飲みの語りは老人の長話くらい聞くに堪えないものだが、今この状況においては都合がいい。
そうして十数分後、市長も酒が大分回ってきたようで、顔は明らかに紅潮していた。
「私にだって子供らしい夢はありましたよ。大統領になって、世界を愛と平和に満ちたものにするっていう……」
「この国、大統領制じゃないぞ」
深酒が過ぎたかもしれないな。
日を改めるべきか。
「……まあ、仮にそうだったとしても結果は同じでしょう。この町の市長であることが、私のこなせる精一杯の役割だった。だけど今はその役割すら失おうとしている」
本題に入るなら今だ。
「おいおい、市長。期日にはまだ時間がある。結果が決まるまで、やれることはやったほうがいいんじゃないか?」
「だけどこちらの不利は明らかです。やれることもやりました」
「いや、俺たちから言わせれば、まだやれることはたくさんある」
「市長、貴様が若造の意見を取り入れる意欲があるのならば、我々の言葉に耳を傾けろ」
「え、どうしたの、兄貴」
「……ああっ、そうだった!」
俺のいる国では希少なウナギの稚魚が好物であるため、一時期は害獣指定にされたこともある。
それを緩和させたのが『外来生物保護法』なのだが、“動物を愛でて護りたい市民団体”の間ですら賛否両論というビミョーな代物だった。
ただ、それのおかげでキトゥンをのびのびと飼えている側面もあり、個人的には助かっている法なのだ。
「バレないよう、家でこっそり飼わなきゃいけなくなるな」
「マジかよ、もー! 役に立って欲しい時に限って役に立たねえなあ、あの市長!」
さすがにその怒り方は理不尽だと思うぞ弟よ。
「ともかく、こうなると他人事って顔をするわけにはいかないな」
こうして些か不本意ではあるものの、市長に市長でい続けてもらう必要が出てきてしまった。
といっても政治にあまり関心のない俺がとれる選択肢は多くない。
フクマみたいな目立つ行動はとりたくなかったし、それを自分がやって効果的だとも思えなかった。
それにこれは市長の戦いであり、俺が前面に出て干渉するべきものじゃない。
別のアプローチが求められる。
クラスの中でも特に政治関連の意識が強い奴だし、学部も社会やら何やら専攻だから色々知っているだろう。
以前からウサクと遊ぶ約束をしていた俺は、その時にそれとなく尋ねてみたんだ。
「なあ、ウサク。市長選挙だけどさ、お前はどっちを支持してるのかっていうの、ある?」
我ながら何とも歯切れの悪い言い方である。
こういう話はいつもウサクがほぼ一方的にしていたので、どう切り出せばいいか分からなかったんだ。
「まあ、市長が久々に代わるかもしれないからな。ちょっと気になって……」
「ふぅん……このままだとフクマが勝ちそうではあるが、あまり喜ばしくはないな。彼奴の保守的態度は歪で肌に合わん」
ウサクが猛烈なフクマ支持者だったらどうしようかとヒヤヒヤしていたが、口ぶりからしてそうじゃないようでひとまず安心だ。
「ウサクは現市長を支持しているのか?」
「そう言うと語弊があるがな。市長のリベラリズムは安易な世論に流されて上澄みしか汲み取っていないのが難点だ。しかし少なくとも柔軟であろうという姿勢は買いたいし、政策をすぐさま実行に移せる迅速さも結果に繋がりにくい点を除けば評価に値する。市長を長年やってきたという実績も、普段の業務は卒なくこなしているということだからバカにはできない」
何だか面倒くさいことを言ってるが、とりあえずフクマよりは支持しているってことらしい。
これなら協力を仰げそうだ。
「そうか……でもこのままだとフクマの勝利が濃厚なんだろ。市長がここから勝つのは無理じゃないか?」
「やり方次第だ。フクマの活動は決して優れているわけじゃないし、隙はいくらでもある」
「ええ~、じゃあ何か? ウサクがその気になれば、市長を御輿に担ぐのなんて簡単なのか?」
「ふん、やろうと思えばできる。やらないだけだ」
「つまりウサクにはやる気がないと。実はフクマ支持者なんじゃないかあ?」
もちろん、市長の味方をしない=フクマの味方だって解釈は無理筋だ。
だけど俺はあえてその詭弁を使い、ウサクの神経を逆撫でさせた。
「そんなことは言ってないだろ」
「じゃあ、やる気があるんだな。だったら善は急げだ」
「……何だか我が担がれているような気がするが、まあ今回は乗ってやろうではないか」
今回の選挙戦を冷めた目で見ていたのは俺だけじゃなかった。
二人はそれぞれ愛用の銘柄を吹かしながら、どちらに投票するかという雑談を交わしていた。
「センセイ、あんたはどっちに投票する? オレは『禁煙法』の件があるから、現市長は絶対イヤだが……」
「私も市長には投票したくないですね。あれのせいで余計な対立を生みましたし……でも、そうですねえ……」
市長は以前、『禁煙法』を作って市内のタバコの流通と使用を止めたことがある。
結局、それは上手くいかなかったが、対立や重税などの遺恨を残した。
市長の政策によって引っ掻き回されるのは今に始まったことではないが、喫煙家である二人は特にこの一件を根に持っていたのである。
だが、それにつけても歯切れの悪い言い方しかできない。
「ふぅむ、今の市長がアレなのは確かですが、ではフクマという人物が市長であるべきかというと……」
権威の象徴がいれば、得てしてそれをやっつけようとする者も登場する。
これが冒険活劇モノならば権威の象徴は分かりやすい悪役で、やっつけようとする者はヒーローだ。
しかし現実はそう単純じゃないことをマスターたちは分かっていたのである。
「そうなんだよなあ、フクマの演説は『今の市長はダメ』っていう批判ばっかで、『自分こそが市長にふさわしい』って内容じゃないからなあ」
市長が日々どのように働いているかなんて知らないし、何を考え、何を食べているかなんて知らない。
ただ、市民が実感できるような何かをやると、大抵は顔をしかめる人々で溢れるのは確かだ。
それを指摘するフクマの主張も尤もだろうが、だからといってフクマに投票するのが賢明な判断だとも思えなかった。
投票の期日は刻々と迫る。
『現市長は地に足をつけずブラブラさせながら、綺麗な歌を口ずさむ。歌詞やメロディのおかげで今まで気にならなかったけれど、実は音痴なんです』
人は変化を恐れる生き物らしい。
変化で得られるメリットよりも、そのままでいるメリットを重く見る。
市長がこれまで市長でい続けられたのも、人々が変化を恐れていたからだろう。
逆にいえば、いま変化がおきようとしているのは、それだけ皆が市長にウンザリしてきていることの証明でもある。
市長はこれまでも変な政策を打ち出してきて、それはいずれも空回り。
その気づきによる快感のせいで、他にもある重要な事柄を見逃していると気づかずに。
そして俺はその様子を冷笑気味に静観していた。
どうせ、どう転ぼうが、俺には大して関係がないと思っていたからだ。
しかし、転機は不意に訪れる。
その日の俺は、部屋で弟とテレビを観ていた。
俺は他に観るものもなかったため、キトゥンの世話をする合間に流し観していただけだ。
「観てないよ。第2シーズンのキャストで声を録り直してるし、作画の細かい修正もされてるんだから」
「いや、つまり同じだろ」
そうしてダラダラと観ていたアニメも終わり、次の番組の間に挟まる地元の日報ニュースが流れた。
『フクマ氏は、市長になった暁には現政策の全てを見直すことを語っています』
内容は選挙戦についてであり、俺は「またこれか」と舌打ちした。
チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばしたその時、フクマが演説する映像、その音声が耳に入った。
『市長の考えた外来生物保護法についても、大幅に作り直すか、まるごと廃止するつもりだ』
フクマの存在は市役所の人間たちも知るところであったが、草の根から花が咲こうとしているのなら穏やかではいられない。
「市長、近隣でフクマという人物が、演説をしているのはご存知ですね? 彼が、次の市長は自分がなると宣言しました」
「え? 何ですか、それ」
学校の委員会みたく「やりたいという人間がいるのだからそいつにやらせよう」というノリで決まったのが今の市長なのである。
他に市長をやりたがる者が誰一人いなかったため、これまで必然的になっていたに過ぎない。
「この町の掟らしいです。立候補者が出た以上、しっかり選挙戦をしなければなりません」
「それで……私は一体どうすればいいのでしょう?」
「……投票の期日までに、何かやれることをやりましょう」
こうして俺たちの町は、久々に市長を選挙で決めることになったんだ。
前半戦は、フクマが大きく有利といえた。
『現市長は無能です。例えば『超絶平等』。社会における平等という概念を拡大解釈し、無理やり人々の足並みを揃わせるという無意味な政策でした』
「そうだ、そうだ!」
今まで市長がやってきたヘマを挙げて、彼が如何に市のトップとして不適格かということを述べていくのである。
やや悪意と脚色の混じる主張ではあったが大本は事実なため、市長に対して不満のある人たちの心根をくすぐった。
対して、市長も自身の理念を語っていくが民衆からの評価は芳しくなかった。
「ざけんな! あんたの言ってる“差別のない社会”ってのは、普通に歩ける人間に松葉杖をつかせることだろうが!」
演説の内容は彼が普段からやっていることの延長線上でしかなく、逆にフクマの市長批判を裏付けるものにすらなっていた。
更に市長には選挙戦のノウハウもなく、周りに適格なアドバイザーも存在しないという状態。
それはフクマも同様だったが、市長のこれまでのマイナスイメージが大きなハンディキャップとなっていたんだ。
市長側が選挙活動で何をすればいいか右往左往している間に、フクマはどんどんリードを奪っていった。
「むぅ、フクマという人物。富裕層でもないのに何であそこまで活動資金があるんでしょう」
「どうやら支持者が彼に投げ銭しているようですね」
「そんな金あるなら、税金ちゃんと払ってくれればいいのに……」
そんな事態を一市民の俺はどう見ていたかというと、漫然と澄ました顔で見ていた。
明け透けに言うなら、政治のことがよく分からないのでどうでもよかったんだ。
この町の歴史の1ページに載るであろう出来事だとは思うんだが、選挙ってものにイマイチ関心がもてない。
総体的に見て一人一人の一票や、それに対する意識が大事というのを理屈の上では分かってるんだが、どうにもピンとこなかったんだ。
ちなみに投票権のない弟はというと、圧倒的にフクマ支持者だった。
「だって市長の『親免許制度』のせいで、俺たち家族は数ヶ月間バラバラだったんだよ。市長に投票なんて有り得ないね。兄貴だってそうだろ?」
「まあ、それはそうなんだがな……」
フクマの言うことには頷く部分も多いが、それが彼を支持する理由にはならない。
弟は政治の理解度がメロス並だったので、その分別ができないのだろう。
だけどずっと感情的になっていても仕方がないだろう。
政治のことばかり考えていれば生きていけるわけじゃない。
市長が誰になったところで日々の勉強が捗るわけでも、シーズン毎の休みが増えるわけでもない。
食べる飯の味は変わらないし、バイトは楽しくないままだ。
秤に乗せるまでもなく、俺の日常にそれを思考する余地はないといえる。
だから俺はごく個人的かつ意識の低い理由で、投票する権利を放棄するという権利を行使するつもりだった。
特定の役割というものは、特定の人たちから嫌われやすいものだ。
長年その地位にいるのだから、さぞかし市民から支持されている有能な人物なのだろうと思われるかもしれないが、別にそんなことはない。
善良で思慮浅く、働き者で生産性がない。
市のトップとしては些か頼りないと言わざるを得ないだろう。
それはなぜなのか。
市長の椅子が揺らされたある日、俺はその理由を知ることになる。
『市民の皆さん! 今のこの町、より具体的には今の市長に不満はないか?』
彼はたった一人で、しかも市役所から数十メートル離れた場所でそれをやっていた。
中々に剛胆な奴といえよう。
「フクマ?」
タイナイが言うには、フクマは動画サイトやSNSなどで政治をあれこれ語っている人物だとか。
そして、彼が最近ご執心なのがこの町のもろもろで、特に市長については批判的な言及をよくしていたらしい。
「だけど反響はイマイチなかったみたい。たまにコメントで夕飯の献立が書き込まれる位で」
つまり、あのフクマって奴はその現状にやきもきして、自分の主張をもっと轟かせられる場を求めにきたわけだ。
それだけこの町の政治について、或いは市長に対して強い情念があるのだろうな。
『今の市長が市長でい続ける限り、この町は悪くなることはあっても良くなることは絶対にない!』
だけど俺たちは、その思いを感じ取れるほど強い関心をもてなかった。
何も思うところがないといったら嘘になるが、彼の演説を立ち止まって聞くほどじゃない。
「まあ、この世にああいう草の根が未だ存在しているなら、民主主義もまだまだ形骸化してないと思えるね」
「いや、僕もよく分かんない。なんか政治的なことを言ってみたくて」
俺たちはマイク音が耳から抜けるのを感じながら、スタスタと広場の横を通り過ぎる。
それは他の人たちも同じだった。
『市長はちゃんと考えていないのです。いや、恐らく出来ないのでしょう』
「いいぞ、よく言った!」
「わしらも大体同じこと思っとった!」
1ヵ月後も経つ頃には、広場がフクマ目当ての人間たちで溢れていたんだ。
『そのことを市民である我々は気づいた。次は市長に気づかせる!』
「その通り!」
フクマのマイク音と、集まった人達の同調する声によって辺りはお祭り状態。
『今の市長に期待をする時期はとうに過ぎた!』
「そうだー!」
以前から政治や市長に不満を持っている人間は多くいたが、彼を媒介として露になった形だ。
そして誰かが何気なく、だけど決定的な号令を鳴らしたのだ。
『え……』
「……ああ、確かに。それが一番いい!」
周りの支持者も、その号令に同調する。