2019-05-31

[] #74-4「ガクドー」

≪ 前

妙な風習こそあるものの、学童での活動義務じゃない。

強制させられる事柄がないのは数少ない長所だ。

ただ、ここでいう“強制”って言葉は、任意の逆を意味しない。

何の意義があるか分からないまま、漫然とやっていたこともあった。


「お願いしま~す」

ある日、俺たちは署名運動をやることになった。

人通りの多い、遊楽地の信号前に待ち構え、そこで署名を募る。

何のためにそんなことをしていたのか。

答えは「さあ?」だ。

きっと何か大事目的があったのだろう。

わざわざそんなことをさせるんだから、俺たちにも関係のある事だったのかもしれない。

しかし、いずれにしろガキには分からないし、知ったこっちゃなかった。

それでも言えるのは、全くもって楽しくないってこと。

「お願いしま~す」

「……」

見知らぬ人にいきなり話しかけ、とにかく名前を書いてもらうよう頼み込む。

人と接するのがよほど好きだとかでもない限り、基本的ストレスが溜まる行為だ。

免疫細胞には大きな負荷がかかり、徐々に減っていく。

有り体に言って不愉快だった。

「お願いしま~す」

ちょっと邪魔だよ! どいてくれ」

無視してきたり、ぶっきらぼうに応対する人もいるから尚更である

いい気はしなかったが、その人たちに恨みはない。

だって、逆の立場だったら「鬱陶しい」と思う。

まり俺は、自分がされて嫌なことを赤の他人に対してやっていたわけだ。

しかも、目的を把握していないまま。

「ああ、ごくろうさん。ここに名前を書けばいいのかい?」

はい

それでも、なんだかんだで署名は集まった。

我ながら無愛想な態度だったが、書いてくれる人は意外にもいた。

子供効果ってやつなのか、書く側も大して考えていないのか。

なんとも不可解な出来事だ。

よく分からないまま名前を集める俺たちと、よく分からないまま名前を書く誰か。

そうして集まったこの紙の束に、一体どんな意味があるのだろう。

兄貴……」

弟はというと、その日はずっと申し訳なさそうにしていた。

署名運動を早々にリタイアしてしまたからだ。

「ゴメンよ、兄貴……俺、ああいうのどうしても無理……」

弟は当時、人見知りが激しかった。

そのせいで、対人用の免疫細胞簡単死滅してしまうんだ。

免疫細胞がなくなれば、人は泣き喚く以外の行動はできなくなる。

弟がそうなってしまったら、兄は毅然と振舞うしかない。

だって兄貴、俺の分まで……」

自分の分をやっただけだ。謝られる筋合いはない」

実際、ノルマがあるわけでもなかったので、俺は弟の分までやったとは思っていない。

サボりたかった気持ちを、長男の安っぽいプライド邪魔しただけだ。

何となくやっていた俺と、何となくやらなかった弟。

お互い誇れるようなことはしていないが、恥じるようなこともしていない。

「でもさあ……」

「それでも何か言いたいことがあるなら、謝るより感謝してくれ。どっちかっていうと、そっちの方がマシだ」

「あ……ありがとう兄貴

結局、あの署名にどのような効果があったのか、今になっても俺たちは知らない。

ただ、あの時やったことが何かに繋がっている、と願うしかなかった。

それがせめてもの慰めである

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