はてなキーワード: PDFとは
細かく作りこむよりPDF貼っといてそれを更新しとくようにしましょうか、
って話になった訳だけど、
このサイトを最初に作った時、画面見ながら「ここ1mmほど右に寄せて」
とか言ってたじゃないかデザイナーさんよぉ。
この数年は随分やり難い事もあったけど、
よ、ハナキンって言っただけで昭和の遺物扱いされて悲哀を感じるナ
色々あってすっぽかされて暇んなったから、NISAの話しとくか。
でも、レッスンだの仕込みだのイベントだの金が相当かかる。
そこで、有志を募って金を出し合って、この子を売りだそうとする。
結果、すんげえ盛り上がってスターダムにのし上がり、相応の見返りがあったとする。
で、ここで言う可愛い子が「事業」で、カネの出し合いが「出資」で、
盛り上がりが「利益」で、カネ出した割合に応じた見返りが「配当」だ。
当然金を出してるってこたクチも出したくなるから、株主総会なんてのがあるワケだ。
これがすべてのキホンで、あとは実情に応じた応用になる。
ただ、株ってのは売り買いできる。
最初は、「事業」をヤルためにカネ出してくれた有志の集まりだったが、
ま、途中で抜けたくなるヤツも居るし、譲ってくれって言うなら売ってやらんこともない。
なんてので、株式取引ってのが生まれるな。
で、だ。
ヤフオクでも何でもそうなんだが、取引ってのは、上手くやると儲かるわけだ。
例えば、街頭で歌ってる少女のサインなんてのは、まあ入手は難しくないわけだ。
でも、代役からチャンスを掴んでスターの座を駆け上った超時空シンデレラになっちまうと、こりゃ相当の高値になるワケだ。
株式会社ってのは相当数があって、かなりの取引がなされてる。売り買いは結構頻繁にできる。
で、「この会社の株式は、もしかすると高値になるんじゃねぇの?」と思ったら、買っとけば良いわけだ。
不確実性に賭けて儲けようとする。
インフレターゲット2%とか聞くな。
まあ、インフレ2%ってのは、物価が2%上がる、と思っときゃイイ。
理由は色々だな。
会社ってのは借金して事業拡大してナンボだとか、カネが動きさえすりゃ失業者が減るとか、まあムツカシイ事はエライ人に任せときゃインだよ。
物価が上がりゃ、賃金も上がる。まあ過去実績は未来を予言しないが、統計局のデータみると過去はナントカなってた。
問題はだ。物価が上がると貯めてるカネの価値が下がるってこった。
具体的に行こう。
オマエが100万円貯金してたとするな。今日100円のモノは、1万個買える。
ただ、物価が2%上がると、102円になる。すると9803個しか買えねぇな。
いきなり200個近く買えるモノが減るわけだ。
40年間ずーっとインフレ2%が継続するとかこの20年物価がほとんど変わってねぇのにお花畑みたいな前提だが、
まあそういう前提に立つとだ、100円ショップは220円ショップになって、貯めてるカネは実質目減りする。
売ってる商品の中身が変わってなくても、カネの価値が下がるってのがインフレで、物価上昇ってこった。
過去、定期預金金利はインフレを常に上回っていたからナントカなってたが、まあ今後はどうだろうな。
「フラット35で限界まで借金して豪邸建ててんだろうな?固定金利の借金とかゼロにナンだろ?ん?」て返そうな!
事業に魅力を感じて出資して、見返りとして配当を貰うってのも株主のあり様だが、
安い時に出資して、周りが高くてもイイからその株売ってくれって言った時に売って差額で儲けるのも、またアリなワケだ。
さらに言えば、株式取引ってのは「価格変動するモノ」の取引でしかないから、別にその会社に思い入れがなくてもイイ。
腐らねぇし保管も要らねぇし取引相手も大量に居るからヤフオクで転売するより何倍も楽なわけだ。
バカみてぇに取引が多いから、借りてきて売った後で買い戻すみたいな、日常生活じゃ考えづらい転売の方法もある。
投資と投機とはみてぇな、イケメンが語れば素敵って言ってもらえてもオッサンが言ったらウザがられる話題に踏み込まなくても、
結局のところ、不確実に賭けて儲けようと思ってやる行為ってのは、基本的には全てがギャンブルだ。
ただ、ギャンブルってのも大損しない為に使うと、意外に便利だったりする。
例えば「俺は今年怪我をするゼ」という方に賭けるギャンブルってのは、結構みんなやってる。
毎月賭け金をベットして、勝てば(怪我すりゃ)払い戻しがあって、負ければ(怪我しなきゃ)親に持ってかれちまう。
親が保険会社のギャンブル、ま、普通の呼び名で「傷害保険」だな。
火事になる方に賭けるのが火災保険だし、癌になる方に賭けるのがガン保険だ。
モチロン、コンナのは負けた方が嬉しい訳だ。
稼いだお給金守るんだったら銀行に預けときゃ良さそうなもんだが、実はコレ目減りする。
まあ、昭和の頃みたいに普通預金でも3%とかついてりゃ別にエエがな。インフレ2%より大きいからな。
ただ、金利は自由化されたし、銀行にしか預け先がないってのは如何にも問題だ。
だもんで、「今貯めてるカネが、インフレに負けて実質目減りしないようにする」ギャンブルってのは、
まあ、欲に眩んだギャンブルよりは多少はマシなわけだ。
さてとNISAだ。
ISAってのはイギリスのIndividual Savings Account(個人貯蓄口座)の事で、これがお手本になってる。
(読んで字のごとく個人の貯蓄を奨励する口座だが、イギリスのはちっとメンドウだ。カツアイ)
ま、日本の場合は、非課税ってあたりがキモで、要は税金が取られねぇ。
日本はな、稼いだカネにゃ税金がかかるんだ。転売も例外じゃ無え。
だけどな、政府が「こんな風に自助努力してくんねーかなー」って部分にゃ、優遇してくれるコトが多い。
判りやすいところで言うとだ、財形貯蓄ってのは利息に税金がかかんねぇ。
まー雀の涙にもならん利率の昨今だと意味ないが、例えば金利3%の時代ならマァマァ意味があったんだよ。
簡単に言うとだ、年上限100万でギャンブルに慣れろって制度だ。
NISAちゃんみたいな絵を石川雅之が書きゃイイんだよ。醸せよ。
あとで政府のインボウガーみたいなのは邪推するけど、制度だけサラッと説明するとだ、
これだけだな。
ナンカ落とし穴とか気になるワードだが、要は口座の中だけが非課税で、外出しちゃイカンってこったな。
ま、アタリマエっちゃあアタリマエのハナシだ。そういう口座なんだから。
あ、2023年までの10年間だから通算1000万円ぶんーとか言ってるのは聞き流してイイ。
5年間非課税ってことはだ、6年目には非課税枠が消えるわけで、結局5つしか枠はストックできねえな。
ちっと判り難いか。具体的に行こうか。
2019年時点では、以下のようになるな。
んでだ、
ま、年始に5年間使えるNISA枠がもらえて、買えるのは最初の一年だけ、ってな感じで理解すりゃエエな。
2018年まで使える「2014年NISA枠」は既に配布開始されてる。来年になったら「2015年NISA枠」が配布される。
これが今んトコ、2023年まで配布されるってこったな。
要はだ、素人がいきなり2000万とか5000万とか握りしめて鉄火場にやってこられちゃ困るわけだ。
いや、イイんだよ?スッてもおとなしく社会を乱さずヒッソリ暮らしてくれりゃ。
そうはならんだろ。
だから、ガーターガード付きボーリングみたいな、上限100万のお試し賭博場で、ちっと経験積んでくれってコトなわけだ。
「退職金の3000万で、○○の株を買った!儲かったら海外旅行に行くつもりだ」
○○には好きな会社の名前を入れて良いが、こう言うのやられたら困るわけだ。
だが、銀行におんぶにだっことか、年金だの公的支援だのに期待されても困る。
だから、「儲けるためのギャンブル」じゃなくて「インフレに負けない資産防衛」してもらいたい。
ただ、痛みを伴わない教訓は身につかない。
だからまあ、年100万ぐらいの規模で痛い目みながら学んでもらうってのが、目論見になっとるわけだ。
http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201306/3.html#anc04
いやあ、腐っても政府広報。
「投資はギャンブルではありません」とか書いてないトコロにシビれるネ。
安全にギャンブルを楽しむ方法を説明しているトコロが、実に誠実だな。
なんでもやってみなきゃ判んねぇとか言ってねぇで、良い年した大人ならある程度のことはやって見る前に判れよ。
つーかな、繰り返しになるがな、
「儲けよう、2倍にしよう3倍にしよう」ってのは、競馬競輪オートレースに競艇と全く変わらんわけだ。
でもな、オトウチャンが50万も100万も握りしめてボートレース行っちゃったら困るだろ。
「余裕資金で初めて、損しても授業料だと思いましょう」とか鵜呑みにスンなよ?
馬見るオッサンだって必死に予想して、当たると思って買ってんだ。
クドすぎるぐらいにゆっくりじっくり考えろナ
んで、イケると踏んでから買やイイのよ
ハッキリ言って譲渡益(売買益な)に税金かからんとか、どうかしてる優遇措置なんだよ。
コレで、株だのファンドだのを「調べて学んで資産運用を自分でやる基礎を身に付けろな」って制度なワケだな。
要は、これからインフレさせる予定だから自助努力でヒトツヨロシクってこった
ま、カネはカネだ。よく考えて張っていこう!
企業がなにか不祥事を起こし、謝罪文を会社のサイトに掲載するというのは、昨今珍しくないどころか、むしろ記者会見を開くより当たり前となっている。
その謝罪文で、単なるテキストではなく、画像で作った文章が使われる事例がある。
これを「検索エンジンに引っかからないようにするための姑息な手段」とする意見があるけれど、実際にはそれとは違う理由で、画像を使う事もある。というのも、今どき企業の不祥事など、新聞社のサイトにだって何年も残るし、その不祥事が炎上まっただ中ならGoogleで検索すれば、まず企業のサイトよりも、その不祥事を報じた記事の方が上に出てくる時代である。
不祥事を隠している段階ならともかく、公となり、謝罪文まで作った以上、企業側としては、むしろ謝罪文を検索エンジンのトップの表示したいほどである。企業がこの事件をどのように考えているのか、今後どのような対策を取るのかということは、マスコミというフィルターを通してよりも、ダイレクトに客に知らせたいというのが本音であるという企業は少なくない。企業の中には、わざわざテレビで「火災を起こす可能性があるので、○○という給湯器を探しています」というCMを流す事もあるのが、今どきの企業である。
では、どうして企業側は、検索エンジンに引っかかりづらい画像で謝罪文を載せるのか?
簡単に言うと、捏造対策。HTMLにただテキストを埋め込むだけだと、例えばFirebugなどを使って謝罪文をおちょくった文章に書き換えることが手軽にできる。それをスクリーンショットに取り、Twitterなどで公開して「ここの企業、こんな客をバカにすること言ってるぜ。なんて企業だ」と、さらなる炎上を狙うような人々に対する対策である。他の人から「元の謝罪文と違うじゃねーか」というツッコミが入っても、「さすがにやばいと思って差し替えたんだ。この企業は断りなく謝罪文を差し替えるような腐った企業なんだ」という反論すら予想される。それに対する対策である。
「いや、画像だって改ざんは可能だろ?」というのは、確かにその通り。しかし、画像での謝罪文だと、やはりテキストよりは改ざんは面倒だし、使用しているフォントも、よほど詳しい人じゃないと分からない。一部だけを書き換えると、フォントの違いが出てくるかもしれない。そういうのがあれば、企業側としては「ここのフォントが違う。これはこの人が改ざんしたんだ」という主張ができるようになる。全文を似たようなフォントで書き起こす、OCRソフトを使うという方法もあるだろうけど、さすがにそこまで手間をかける人は少ないだろうし、そこまで考えると謝罪文自体、ネットで公表できなくなるので、そこまでは考えない。
「PDFでも良いじゃん。そっちの方がGoogleとかにも引っかかるし」と言われれば、確かにその通り。それは企業の好みというか、単に普段からOfficeばかりで思いつかなかったとか、その程度の違い。
もちろん、「Googleにできるだけ引っかからないように」という目的で、画像にしてる企業もいるだろう。しかし、「改ざんしづらくする」という目的で、画像を使ってる企業もあるので、画像だからといって即叩くのはやめてほしいものだ。叩くのは、不祥事そのものと、その対応が十分かどうかで叩いて欲しい。
ノルディック複合で渡部暁斗選手が銀メダルに輝き、スポーツキャスターの荻原次晴さんが大号泣したと話題です。
で、その号泣の理由として、2chでは以下のような書き込みがされていたようです。
次晴、ガチ泣きの理由
1 氷河期に所属先が無くて引退しそうになった選手高橋の為に企業行脚したが、結局決まらずに
へーチャラいと思ってたけど次晴すごいじゃん、と純粋に感動し、どれどれと検索するも、この書き込み以外に何もヒットしない。
怪しいのでちょっと調べてみました。
高橋は2003年の大学卒業以降、ずっと土屋ホームに所属で経歴に穴はない
ソース→土屋ホーム スキー部 "TEAM TSUCHIYA" 高橋大斗
(1) 兄・荻原健司の議員任期は2004年7月26日 - 2010年7月25日(ソースWiki)
北野建設スキー部の年度別所属部員表(PDF)によると健司は2002-2005年に副部長、2010年-部長なので、議員になる前からスタッフを務めている
(2) 渡部暁斗・善斗兄弟が所属していたジュニアスクール名はWiki等には明記なし
<五輪ノルディック複合>渡部兄弟ら ジャンプ好発進 (毎日新聞) - Yahoo!ニュースによると
兄の暁斗選手の競技人生のルーツは五輪だ。小3の冬、母佳代子さん(55)に連れられ、地元・白馬村のジャンプ台で1998年長野五輪を観戦。団体戦金メダルの日本勢の活躍を目の当たりにし、「ジャンプをやりたい」と決心した。直後に地元のスキークラブに加入。
ということなので、白馬村のスキークラブを検索するとまんま「白馬村スキークラブ」がヒット。
「白馬村スキークラブ 渡部」で検索すると五輪ノルディック複合:「複合ニッポン」の復活だ - 毎日新聞の記事に
と記述があったので確定。
白馬村スキークラブ公式サイト(超わかりにくい)の クラブについて » 白馬村スキークラブ によると平成7年(1995)に創設しているので、まだ次晴は引退前だし、健司も議員になっていない
上記の北野建設スキー部の部員表によると部員数は1997年(9人)をピークに減少しているが、2000年代は3-5人で低値安定し拡大した様子はなし
ということで、ガセの可能性がかなり高そうだなということがわかりました。
(もちろん、だからと言って次晴氏の涙を否定するわけじゃないよ、念のため)
これまでに何度も見られた「感動するガセ=良い嘘」という理屈で、このストーリーも広まっていくんでしょうか。
ノルディックの普及には次晴氏も健司氏も地道に頑張ってこられたようですから、ガセだったらなんつーか余計なお世話だと思いましたまる
ノルディック複合・渡部暁斗の銀で荻原次晴が号泣したワケが感動的だった! - NAVER まとめ
こっちのまとめはまともに見える。
http://www.post.japanpost.jp/about/employment/
すべての事業主は、法定雇用率以上の割合で障害者を雇用する義務があります(障害者雇用率制度)
平成25年4月1日から障害者の法定雇用率が引き上げになります
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha/dl/120620_1.pdf(リンクPDF注意)
ここまでは調べてわかったことで割りとどうでもいい。
自営業でも人事部でもないので引き上げなど知ったことではない。
個人問題な問題がある。
週に4回以上は郵便局で郵便物を出し、月に2回ほどは複雑な処理をしに行く。
よく行く郵便局は大きな駅の最寄りである。(規模で言うと渋谷駅程度)
数年ほど利用すると窓口の係員の顔や名前を覚える。
ほぼ毎日行っているので5.6名は確実に覚えている。
駅の近くであり、オフィス街もあるため企業などの利用も多いので通常の郵便局よりも業務が忙しい。
しかし、障がい者なのか確認作業が何度も入り動作が遅い。(通常の郵便局員とは明らかに見分けが付く)
そして1人1窓口なのか、1人1タスクなのか誰も手伝わない。
紙袋いっぱいの書留を出されても、日本語が通じない外国人に伝票の書き方を説明する必要があっても。
窓口には整理券発行機が置いてあるが、オフィスが昼休みである12時頃は10名以上待っている。
また、16時頃も同じように10名以上待っている。
そして17時前にはシャッターを閉め客を追い出す。(ほかの郵便局ではこの方法は見かけない)
なぜ、大きな駅の近くにある郵便局に、障がい者を多く雇用するのか?
その郵便局より1駅離れた繁華街にある別の郵便局も時々利用する。
局員の平均年齢は高いが、対応は細やかで客さばきは早い。
顔を覚えないので、毎回同じ内容の郵便物を持って行っても初めて窓口を利用したかのような応答を繰り返さなければならない。
普通郵便か定形外か、ゆうメールにしたほうがいいのではないか、まとめて会計をしていいか。
ほぼ毎日通っているのに、同じことを何度も何度も聞く。
別の郵便局では3回通っただけで何も聞かずに処理をしてくれる。
変更がある場合はこちらから言うのだからその方法で何も問題はない。
また障がい者の表情は無表情に近く、処理に時間がかかる場合でも「おかけになってお待ちください」の声掛けもない。
作業が終わったら金額を告げるのみ。
障がい者を雇用したことが処理速度が下がるのであれば、せめて駅に近い郵便局に配置するのは控えてほしい。
※なお、本局勤めの郵便局員は通常の郵便局の10倍の処理速度、問題の郵便局の50倍の処理速度である。
完全に個々人の処理速度に関係している。
ブコメでも言ってる人が複数居ますが、鯨肉・イルカ肉食とそのための捕鯨・イルカ漁を偏った観点から「非人道」的と言われることはちょっとどうなんでしょうね。先のケネディ大使のツイートは,真に「国際的」観点というより一部の欧米文化における価値観からの批判のように思えます。ということでちょっと学術チック(?)なバックグラウンドの補強を…需要ないかもしれませんが。
わたしは今20代後半なのですが、少なくとも個人の経験の中で鯨肉を食べたことはありません。父や母からは鯨肉が給食に出ていたと聞いた覚えがあるという程度です。そもそも鯨肉食、お今の日本ではどれくらい一般的なものでしょうか?経験的に言っても牛肉や豚肉より食べられていないことは確かで、たとえばクックパッドで「鯨肉」と検索すると、37件しかヒットしません。
http://cookpad.com/search/%E9%AF%A8%E8%82%89
やはりそれほど一般的な現代の食文化とは言えない様子。そもそもわたしが鯨肉を食べたことがない理由の一つに、70年代の米国での商業捕鯨禁止を受け、80年代後半(つまりわたしが生まれた頃)にIWCが国際的にそれを禁止にしたことがあると思います。鯨肉は入手がしづらくなり、日本人にとって一般的な食料ではなくなりました。わたしは鯨肉を食べる文化に抵抗はありませんが(父や母の話を聞いていたからか?)、自分では進んで食べることはこの先ないと思います。元増田を書いた人も恐らくこういう感覚の持ち主ではないでしょうか。
続いて英語圏のレシピサイト(たとえばfood.com)で「whale meat」を検索してみると3件。そのうち2件がアラスカの鯨肉シチュー、1件はトンガの料理本からコピーされたものです。
http://www.food.com/recipe-finder/all?layout=desktop&inclingre=17714
クックパッドのほうがレシピの母数が3倍くらいあるのですが、それでもやっぱり英語圏の人間(米国人に限らない)にとって鯨肉食は身近な文化でないことがわかります。米国の歴史家ナンシー・シューメイカーによれば、ほとんどの米国人が鯨肉を普通の食材(normal diet)として見なしたことがないそうです。
以下は彼女の論文からの受け売りです。実はニューイングランドの先住民は鯨肉を普通に食材として見なしていました(シューメイカーはもともと米国、主にニューイングランドの先住民史を研究している人です)。ただ欧州等から入植してきた人々はそうではなく − 19世紀、ニューイングランドへ入植してきた人々は鯨の油やひげが高く売れるため鯨漁を行いましたが、鯨肉は先住民に分けるか捨てるなどしていたのです。鯨漁師(というよりは捕鯨業者)は海の上では食料に困り、鯨肉を食べることもありました。しかし彼らやその家族の日記に、本物の肉が食べたい…という趣旨の記録があるとのこと。つまり鯨肉は彼らにとって「肉」ではなかったのです。入植者であった捕鯨業者は鯨肉を食べる人々を牛肉を買うには貧し過ぎる(too poor to buy beef)と考えていました。端的に言えば所謂皆さんが思い描く現代の「米国人」の鯨肉食に対する嫌悪感はこういう由来もあるのです。我々とは違う先住民(primitive other)が食べるものなんて食べられるものか。米国は70年代に、鯨肉の食物としての不法性(illegitimacy as food)を理由にほとんどの商業捕鯨(「伝統的な(traditional)」捕鯨を除く)を禁止にしました。
要は、こういう風に批判されることは「日本の捕鯨やイルカ漁は文化ではなく商業だから非人道的」という含みが少なからずあるのでしょう。でも、食べるためにではなく油とひげを売って儲けるために「商業」捕鯨をしていたのはもともと米国の入植者なのです…日本をはじめ、古くから食料にするための捕鯨の歴史がある民族(たとえばノルウェー、フェロー諸島、西インド諸島、トンガなどの人々)にとっては捕鯨そのものが文化であると同時に、捕鯨に関する文化(たとえば絵巻物など)もたくさんあります。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kujira/
日本の捕鯨やイルカ漁は、伝統や文化でないというのでしょうか?シューメイカーは米国の視点で世界中の捕鯨を取り締まる…そういう単文化的な視点に警鐘を鳴らしています。欧米の一部の国から商業捕鯨に対する風当たりが強くなった結果、80年代後半生まれのわたしは(そして恐らく同世代の日本人は)少なくとも鯨肉をもう「普通の食材(normal diet)」とは見なさなくなっています。まあ伝統なんてそんなもんと言われればそれまでなのですが、よく言われるように、欧米だけが「世界」ではないでしょうし、このような批判に安易に迎合するようではどんどん伝統とか失っていくんじゃないですかね、ということです。グローバル(笑)な時代に伝統とか笑える、と思う人も居るんでしょうが。
ちなみにシューメイカーの論文はこれですが、
http://envhis.oxfordjournals.org/content/10/2/269.full.pdf+html
サブスクリプションがないと読めませんのでこちらのpdfで読めるほうを貼っておきます。
http://www.hcs.harvard.edu/eac/wp-content/uploads/2012/04/3986115-1.pdf
(PDF注意)
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g90309c05j.pdf
これに大体全部書いてある。
大雑把に言って、柏崎・大飯・浜岡・玄海を足したぐらいの出力。
これなら悪くはないが、大半は国立公園法の開発規制を受ける地域内にある。
開発規制受けないのは、というと425万kWでしかない。これがだいたい大飯原発ぐらい。
要するに温泉街の反対云々はどう甘めに見ても2割程度の理由。
なお、2,347万kWの相当部分が北海道に偏在してるのもネック。
北電主導で地熱を技術含めて開発しろってのは会社規模的に厳しい罠。
原発のない世界線では、火山近くの国立公園は全廃され、地熱の冷却塔が所狭しと並び、山地に送電線が鈴なりに連なる光景が見られるかもしれん。
これだな。
違法ダウンロードする人が「この作品面白いけどファイルが途中で壊れてるな、よし続きを買おう」となる筈がない。
「ファイルが途中で壊れてるな、よし壊れてないファイルを探そう」になる。
むしろ「この作品面白い」となった後で、新刊が発売されたときが購入ユーザを得るチャンスだと思う。
『違法ダウンロードした既存ライブラリに対して』新刊を追加できる形で販売することができれば、
電子書籍業界を制覇できるだろうなあ、と思うよ。(iTunesはそれをやった)
現在は音楽業界でiTunesが最初に飛び降りた崖に向かって、各社がチキンレースしてる状態だと思う。
この日記見つかるだろうか。
富山県のとある”にいかわ若者サポートステーション”(以下サポステ)のサイトがお察しなのが改善されないから適当に書く。特に次の4点は重症と考える。
1.厚生労働省認可事業であるのに、厚生労働省の当該ページへのリンクがない
自らのサイトより信頼性の高いサイトからリンクされているのであるなら、それを利用して自らのサイトの信用性を上げるのは重要と考える。EV-SSLなど第三者認証を利用できないのであれば、コストのかからない方法により信頼性を高めるのが重要である。以下に厚生労働省の当該ページの1例を示す。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/ys-station/
使われる技術(WordPress)が優秀でもインターフェイス設計(サイトデザイン)が伴わないと使う意味は薄いと考える。
デザインの流行は常に移り変わるため常に研究が欠かせない。容易に研究できコストのかからない方法として、大手企業のサイトは参考になる。
プライバシーポリシーや利用規約など運営の基本となるページのアドレスが、デフォルト設定のまま2バイト文字列がエンコードされたアドレスで作成されている。
個人情報管理が最重要であるにもかかわらず、これら重要情報が明記されたページがこれでは信用性が下がると考える。検索エンジンや各種通知方法により直接リンクを貼り付けるさいにも支障をきたすため、英数字による固有アドレスへの変更が重要である。
Googleストリートビューのほうが遥かに分かりやすい、と書きたいがストリートビュー未対応エリアであった。
アクセス情報で重要なのは、近隣の重要な点となる「主要道路の交差点」や「最寄り駅・バス停」からの道のりであると考える。映像開始がすでにビルの前から始まるので、ここまで来れる人であれば動画を見なくても辿り着ける。また、基本的に画面がズームのままで見にくく、周囲の情報が見えないので案内になっていない。
そのほか、
・「キカクル」ってなに、説明が何もない。
スケジュールやお知らせに見かける「キカクル」の説明がない。
・職員紹介の動画でシーン切り替えが雑。
フェードイン・アウトがなく唐突に黒画面になる。黒画面に意味があるのか分からない。
無断使用を禁じるのであればPDF変換し文書セキュリティをかければよい。閲覧者としてもPPTよりもPDFのほうが閲覧環境が普及していると考える。
・PDFのみは基本手抜きに思える
IR情報など情報の改変・表示のずれが重要な問題となるならば分かるのだが、そうでないならば閲覧者としては普通のページとして構築して欲しい。PDFは改変されにくく作成者の意図通りに表示できるのが利点であるが、これらは作成者の都合である。
・終了したプログラムと継続してるプログラムが区別無くリストされてる
すでに終了した「集中訓練プログラム」と、現在も継続されている「スポーツプログラム」が同一のカテゴリに表示され区別されていない。
この日記自体個人的なことを書いているが、それでもなお個人的であるがページトップにある電話のアイコン画像がうさんくさいサイトに仕立て上げてるように見える。
去年就活を終えた経験だけで、エントリーシートを手書きにするかPCで作成するかについて書きたい。
(※書いてる通り、これは学生の雑感です)
去年就活をして、エントリーシートを提出するが大抵のエントリーシートはpdfで配布されました。
募集要項等にはエントリーシートの記入内容についての質問は受け付けませんと書いてる企業もあったり、ネットで過去の人達がどうしたのかを見ると「手書きがデフォでしょ」みたいな論調が多くて迷いました。
結論としては私が提出したエントリーシートは手書きにしました。
まず根底にあったのは「文章の内容で判断して欲しい(願望)」「(実験ノートみたいな物は別として)こんだけ普段の研究ではPCで作成する資料多いのになんで手書きにさせんだよめんどくせー」です。
字数制限に合わせて文章の推敲をwordで作っていたので、それがそのままコピペできれば楽だ、ってね。
先輩や友人の中では「手書きなんて非効率なことしないと落とす企業には行かなくていい。だからpdf編集するし修正液だって使う」って人もいました。
就活は学生が企業を選ぶ活動でもあります。そういう人がいても全然いていいと思います。
ただここで怖かったのが、私は行きたい企業が絞られていました。やりたいことが決まってました。
だからその企業が「手書きには気持ちがこもってる」「字を見れば人となりがわかる」とか判断して落とされるのは避けたかったです。
そのため手書きで書きました。
就活を経験した総括として、就活は合否の基準が各企業で様々で、しかもその基準が分からないまま次の選考を進めなければいけないことを意識することです。
手書きか否かという点においても「みんな色々書かなきゃいけないからデータ入力で結構です」っていう企業もありましたし。
選考に落ちても心折れずに頑張ってください。
P.S. 個人的に手書きにさせる企業はエントリーシートの作成に労力をかけさせる意図があると思っています。
フリーランスなのでオフィスも何も持っていない。メインPCはラップトップだ。
こうなるとオシャレなカフェーで優雅にタイピングしたいところだが、それは無理だ。
はっきり言おう。ノマドだとたいした仕事はできない。その理由はシンプルだ。
そして、2000文字の記事をまとめるのにも、何冊もの参考文献がいる。
「クオリティの高いお金が貰える文章」を書くには、簡単にはアクセスできない紙の資料が絶対になきゃいけない。
それを持ち運ぶのは膨大な量になる。とてもスターバックスなんかには持ち込めないよ。迷惑だ。
彼らに聞くとPDFでデータをもらって、辞書はウェブサービスで良いらしいからね。
それ以外の大多数のライターは、「血の滲むような」思いをして書くための資料を揃えなきゃいけないんだ。
なので、海外のネット情報を翻訳して紹介をするだけの輩が「ライター」を名乗っていたりすると、「なめんなよ」と言いたくなる。
「ノマド」を名乗るようなやつって資料のいらないお手軽な仕事しかしてないよね。それって誰でも書ける本当にどうしようもないクソみたいな文章だよ。
良い仕事をしたかったら、資料をとにかく用意して広い机にかじりつくんだ。
たくさんの参考文献を行ったり来たりして、頭を使って書け。
最後にもう一度書く。なめんなよ。
2008年に、「勉強を続けよう」と思い、近所にある喫茶店に朝通うようにしてみた。
その喫茶店は朝5時半から営業している。会社に行くのが7時からなので、だいたい6時30分くらいにその喫茶店に行って、30分程度勉強をしながら朝ご飯を食べるというのを続けた。
注文するのはモーニングセット、400円。これだけ。でも、平日は毎日行くから、そのお店の僕による売り上げは月1万円程度にはなる。1つの席で売り上げが1万円というのは悪くはない数字だと思う。
これを4年近く続けたのだが、体調を壊してから、その喫茶店に朝行くのをやめてしまった。
「いつもレジにいたお姉さんは今も元気でやっているだろうか」と思いつつも、中途半端に数回程度そのお店に行くのがどうも行きづらい。
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しばらく体調が悪い月日が続いたが、今年の夏頃から体調が復活したので、また勉強を続けようと思った。でも、朝に喫茶店で勉強するのは30分だけと短いと感じ、夜に喫茶店へ行くことにした。残念ながら、朝に行っていた喫茶店は夜20時には閉まるので、ゆっくりとはできない。だから、別の喫茶店を色々回って、自分に合う喫茶店を見つけた。
20時頃にその喫茶店へ行く。ホットレモンティー400円を注文する。注文するものは大抵一杯の飲み物だけ。注文したものを飲みながら、勉強する。まずは仕事の技術書を読む。Kindle版の洋書の電子書籍をiPad miniに入れているので、それを読みながら、分からない事項は日本語版の本を参照しながら読み進める。一区切りついたら、今度はPDFにしている別の技術資料を読む。Good ReaderというアプリでiPad miniで読む。これも一区切りついたら、今度はKindleの英語の小説を読む。自分の好きなSF小説を読みながら、自分の身に付いていない単語を3つだけ、新たにマーキングする。このマーキングしたものは後でweb単語帳に登録する。次はCASIOの電子辞書端末を取り出す。ここで、ふと思った言葉の英語を調べる。また、英英辞典を読みながら、自分が知らない単語をマーク登録する。あっという間に10個程度の単語がリストにあがる。疲れたので、クラシックを聞く。電子辞書端末にクラシック名曲2000フレーズというのがあるので、それを聞いてみる。自分の知っている曲であらたに名前を知ることができると嬉しい。気分転換できたら、今度は「応用物理 数学演習」という参考書を取り出す。自分が知らなかった事項をマーキングしたり、知っていたことの復習をしたりする。だいたい、1時間半から2時間程度になる。最後に、その日覚えたいと思う英語フレーズを頭にたたきながら、喫茶店を後にする。家に帰る頃には、そのフレーズは身に付いている。
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この、夜に行く喫茶店だが、満席になるのを見たことはない。時間帯がいいのか、あるいは、もともとそういう程度の客の入りなのかは知らない。満席になった時は、営業妨害になるので、すぐに出て行こうと思うが、そうでない限りは、ゆっくりと自分が満足いくまで、上記のような勉強をしようと思う。
なお、勉強に少し疲れた時、ふと、右隣や前方を見ると、同じように勉強している人の姿を見ることも、まあまあある。こういうのも、勉強を続けていくモチベーションになるかと思う。
自分に合う喫茶店を見つけるには、色々な喫茶店に行ってみればいいと思う。無理に合わない喫茶店に通うよりは、よりリラックスして何かを続けることができると思う。
言わずもがなだと思ってたんだけど、ブコメで疑問や批判として書かれてたので、いくつか追記しとく。
まず、アグネスはなんで黒柳徹子の口座番号を書かないのかという話なんだが。「日本ユニセフ協会の大使であるアグネスも、グローバル組織の親善大使である黒柳徹子への個人口座へ入金をすすめるのが当然」という理屈…これ、自分の会社に置き換えてみたらどう考えても筋がおかしいことだってわかるでしょ。
アグネスの主たる職務は、自分が所属する日本ユニセフ協会のプロモーションと寄付金集めなのであって、その活動の成果を、任命組織じゃなくて親組織の側のエージェントである黒柳徹子に直接フィードバックせよ、っていうのは、あるグローバル企業の日本支社の営業マンが、自分の足を使った営業活動の末に取ってきた発注案件を「値段少し安くなるんで、本社直轄でやってるグローバルECサイトで飛び込みの新規客として注文しといてくださいね〜」って言うのと同じだ。
当然、そのぶんの営業成績は自分にも日本支社にもつかない。自分の部署のPR・営業・啓発活動のコストを持ち出しにして成果だけは別セクションにつけちゃうわけだから、控え目に言ってただのバカ、悪い言い方をすれば職務倫理違反。本社側にとっても、支部とWebで実際に投入された活動と得た成果の数字が対応していない=投下費用とリターンについて誤った指標を得ることになるわけで、長期的には全くよいことではない。
おわかりだろうか。ようするにひろゆきは、ルート営業さんが得意先に出入りして営業活動してるところにやってきて「お客さんのためを思うなら、グローバルのWebでモノ買ってもらうよう勧めるのが正しいのでは? なぜそうしないのか答えてくれませんか?」って公開質問状送ってるようなもんなのである。それをお客さんに伝えるならまだしも(それも相当ひどいが)、日本ユニセフ協会の営業マンであるアグネスに言うのはどう考えても筋違いだ。
前のエントリでは黒柳徹子氏の個人口座(トットチャンネルのお願いチャンネル)への年間寄付を1億以下ぐらいじゃないかと書いたが、これは少なすぎるかもしれない。めいっぱい多めのセンで見積もって、記述からするとこれまでのピークだったと思しき2700万円/月を12倍し、年間3億円前後が彼女の個人口座への寄付のポテンシャルの上限だとしよう。一方、日本ユニセフは去年に161億円を集めている。50倍強だ。この50倍の差が、そのまま黒柳徹子氏と日本ユニセフという組織の力の差なのである。
パンフ、ポスター、イベント、プレスリリース、TVCM、メディア露出、ネットバナー、街頭活動など、定番のマーケティングチャネルや営業ツールを駆使してAIDMAを廻し続け、顧客ベースを維持・拡大することが、B2Cの事業活動全般においていかに大切かは言うまでもない。そして日本においては、まさに日本ユニセフ協会がユニセフの協力組織として、20%のマージンを使って畑を耕し、種を蒔き、水を与え続けているのだ。この作業が途絶えれば、いずれ畑は衰え、収穫は途絶える。これを100%使い切ろうというのは、種籾食べて次世代の食い扶持をなくすのと同じ話である。
黒柳徹子氏はユニセフ親善大使として多大な貢献をしているが、そこはやはり個人ベースの活動だから限界がある。日本のオプラ・ウィンフリーとでも言うべき認知と影響力を誇る彼女でさえ、自前のWebに自分で人を集めるだけでは、多く見積もっても3億円/年、実績ベースで過去の総計50億円弱(と本人が書いてる)の集金力がやっとなのだ。「徹子がいるんだから日本ユニセフはイラネ」という奴はそこをよく考えていただきたい。
これは上の話とかぶるけれども。仮にユニセフ本部自体が日本にもリーチするためのPR活動を自分自身でやってて、日本ユニセフ協会はただの送金システムなのであれば、そりゃ19%は高いわ。しかし、実際はそうではない。日本でユニセフという組織がこれだけ認知されているのは、日本ユニセフ協会が推進しているさまざまなマーケティングミックスによって、我々が日常的にユニセフという組織について知り、理解して、共感して、実際に寄付に至るまでのさまざまなパスが提供されているからだ。
こうした活動の大半は、当然、固定費ではなく変動費である。一定のコストをかけて、何らかの施策を何らかの規模で投下して、一定のリターンを得るのだ。企業活動と同じである。「組織や拠出の規模が大きいから19%より下げられるはずだ」などというのは無茶もいいとこだ。あんたがたの会社は、売上規模が大きくなっても間接部門のコストはずっと一定でいいのか。暴動起きるぞ。規模のメリットによる生産性向上はありえるし当然あるべきだけど、その観点で評価しても、今の日本ユニセフ協会のパフォーマンスがことさら低いということはないだろう。それを「中抜き」とか「ピンハネ」と表現するに至ってはもう何をかいわんやである。
なお、自分はこうした団体に「利益率」という観点が必要なのかどうかは考えが定まっていない。たとえば日本ユニセフ協会が1000億円を集めて400億円をユニセフ本部に拠出できるとしたら(実際には協定の取り決めによりこれは無理なのだが)、それは現状より良いのか、悪いのか。限界効用ぎりぎりまでコスト投入して拠出の絶対額を限りなく増やすべきか、もっとレバレッジが効く他分野にその寄付を廻して社会全体のコスト効率を高めるべきなのか。これは読んでる人の意見を聞いてみたい。
http://www.unicef.or.jp/partner/partner_amb.html
ユニセフでは、世界的に著名な歌手や俳優、スポーツ選手などをユニセフの親善大使に任命しています。また、世界8ヶ所にあるユニセフ地域事務所の一部や、36ヵ国にある各国内委員会も ユニセフ本部の承認のもと、親善大使(地域大使・国内委員会大使など)を任命しています。こうして任命された大使の方々は、お忙しい時間の合間を縫って、全くの無償のボランティアで、ユニセフの活動に協力してくださっています。
ぐぐれば1発で出てくる情報について、わざわざブコメする時間使ってないない書いてるのは、情報強者たるネット民の沽券に関わらないだろうのか。ν速や保守速報あたりで「【悲報】日本ユニセフの会計が丸裸にwwww」とかってまとめられてないと読めないのか。なこたあないだろう。
2ちゃんねる的にいうとひろゆきと切込隊長が険悪になりはじめた頃から一貫してひろゆき派だし、いまでもその2人のどっちが好きかって言われたら前者を取るね。他のテーマでは面白いこと言うなと思うこともあるしテキストを興味深く読むこともある。けど、あーたは少なくとも経済倫理的な話をできる立場じゃないでしょ、という見方だし、この問題については、あのロジックは他への影響がでかすぎるからもう糞味噌書かせていただいた。後悔はしていない。
日本の税制では、認定公益団体への寄付金は課税控除される。しかも2011年からは従前の所得控除に加えて税額控除という仕組みも選べるようになり、たいていの場合、従来より大幅に控除額が上がった。「寄付が税金から控除される」というのは、どういうことなのか? 国民は、基本的には国家というシステムに公共サービスと再分配のためということで税金を納めるわけだが、このうち再分配のパートについては「再分配的な性格を持つ公益団体に直接寄付するというかたちで、自分が考える好ましい再分配のありかたに沿って、ある程度は自分の裁量で決めてもよいよ」ということだ。われわれは税金の細かい使途については全く関与できないけれども、「寄付して控除を受ける」ときには、かなり積極的に選択権を発揮できるのだ!
これは地味ながら大変うれしい権利だし、積極的に行使してゆくに越したことはないだろう。ブコメで「偉そうに言う増田は幾らしてるのか」「そういえばひろゆきは自分が寄付した話はしないよね」などという話題が出てたが、小金を貯めて寄付先を選んでエイヤと寄付するのは、自分にとっては汗水垂らして稼いだ金を「ただ税金として納めるのではなく、自由に用途を指定できる」という一種の娯楽であり、例年ある程度の枠を決めて、それなりに楽しませてもらっている。
まだ日本ユニセフ協会には寄付したことはない(資金力豊富だし、例の児ポがらみのアドボカシー活動の内容にはアグネス叩きのネット民と同じく共感しにくい点があるからだ)が、ユニセフが深く関わる「母子保健」というトピック自体には多大な関心があるので、ジョイセフという地味〜な団体に時々寄付している。あと災害に伴う緊急医療援助のときは赤十字と国境なき医師団(資金力豊富という点で同じだが、特に後者はマジで命を賭けてるし動きが速い)、移民支援ならAPFS(注:これは認定公益団体ではない)など。東日本大震災のときには初動が速かったCIVIC FORCEというところに寄付させてもらった。
一度やってみればわかるが、寄付行為というのは「人におしつけられてやるのは非常に嫌だが、主体的にやれば、得られる精神的満足感が思いのほか高い、コスパのいいエンターテインメント」なのである。家飲みでご機嫌になってるときにあれこれ考えて1000円を寄付するのは、もう2本ロング缶を飲むとかPPVでB級映画を見るよりもはるかに自分自身への効用が大きい。思わぬ収入があったときには思い切って20万円を3団体に分配して、もうドーパミンが出まくった。セブンで募金箱にジャラジャラ小銭を流し込む快感もお手軽だし悪くない。
だから「気持ちはあるけど日本ユニセフ&アグネスは嫌だから、いい寄付先教えろよ」という人には「いやいや、それは寄付するときの一番の楽しみをスポイルしてるよ、自分で探して選ばないと超もったいないよ」と言いたい。ただ、いまの時分はてっとりばやくフィリピンに寄付して1000円を3000円にするのもいいだろう(自分はあの記事を読んで日本赤十字経由で1万円を3万円にしたのでほくほく顔である)。
なんで「自分がいくら寄付した」という自慢話にもとられかねない話をわざわざ書くかというと、自分はかつて、ある偉大なはてな民(自らの行為に震えながら、100万円単位の寄付領収書を何度も(!!!)うpした(1・2)、あの方である)の寄付スタンスに多大な感化を受けたからだ。それまでは自分も「寄付したことは隠すのが美徳」などと考えちゃったりしていたが、今はそんな発想はさらさらない。我々のような凡夫が、思いつきで気軽に寄付して、それを気軽に公言することで、廻りの人間の10人に1人でも共感させればいいのである。
「懐具合に余裕のある志の高い人間だけがチャリティに関われる。自分などはとてもとても…」などという、意味不明なうえに誰も得しない謙遜はやめよう。たとえば風俗通いを武勇伝として同僚に話せる奴が、なぜ寄付のことを武勇伝とか「やっちゃった話」として職場で話せないのか。パチンコや競馬で毎週のように1万円を溶かしてる奴が、なぜ寄付で3000円スって「まあ楽しませてもらったけどな!」と強がって吐き捨てないのか。なぜ艦これのDMMマネー大人買いが「米帝」とおののかれるように、ネットで無名NPOへの高額寄付がおののかれるようにならないのか。そうなればいい。そうしよう。まずはあんたからだ。
「パロネタは熱い中に打て」とばかりに数カ所のみ改変したものを戯れに投下したところ、
補足1:これはパロディ(と呼ぶのもおこがましい改変ネタ)です
一行目にリンクを記載した記事(「21世紀の生存戦略」様)が元ネタです。桜蔭生かわいい。
これは、元記事の表現をそのまま用いた物ですが、元記事においては打ち消し線があります。
補足3:東大への進学実績について
2013年度において東大へは現浪合わせ99名が進学するようです。
学年あたりの生徒数が160名程度なので、約60%と算出しました。
(参考資料、pdf注意)
http://www.komaba-s.tsukuba.ac.jp/home/wp-content/uploads/2013/05/2013kokkouritu_zenkikouki0409.pdf
補足4:仕事について
だいたい似たような物だなと思って改変しなかったのですが、公務員、医者に加え、研究職や弁護士なども多いです。
民間就職する人間は安定した企業勤めが多いですが、もちろん起業志向もある人間もいます。
補足5:関西の雄について
補足6:その他
桜蔭、筑駒に限らずだいたいの都内進学校には当てはまるだろう、というご意見は完全に同意します。
とはいえ、筑駒生が結婚相手として優良なパートナーたりえることは、ここに強調しておきたいと思います。
乱文失礼。
元記事に情報が不足してるのは確かだけど、これ米国の医学会では数年前から知られてたことよ。
以下PDFにまとまった日本語のレビューがあるがあるから読んでみ。
日本栄養・食糧学会誌 第 66 巻 第 2 号 69‒75(2013)
そんなの知るかって? 日本語で簡単にアクセスできるところにも
色々この話は出てたと思うんだがなあ。
【健百】ノンカロリードリンクは太らない? | あなたの健康百科
2011年の米国糖尿病学会で、約9年半の追跡調査の結果、ノンカロリードリンクを飲んでいる人は飲まない人と比べて腹囲が70%以上増加し、ノンカロリードリンクを1日2本以上飲んでいる人は、飲まない人と比べて腹囲の増加率が6倍近くだったとの発表がありました。
記事の論理的思考をどうこうあげつらう指摘を増田に書き連ねる前に
(はっきりいってその指摘も全く的外れだとおもうが)
しっかりと成形されたデータはオートメーション化しやすいという利点もあるわな
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
カナダ製SIMフリーモバイルWi-FiルーターをAmazon(日本)で買った。
昼ごろポチッて翌日着。速い。お急ぎ便じゃないのに。ごく自然に、脳内で「O-MO-TE-NA-SHI (CV: 滝川クリステル)」が再生された。
中身はルーター本体、USBケーブル、ACアダプター、電池、説明書。これだけ。最低限のものしか入ってない。
問題は説明書。
電源の入れ方、電池の取り付け方など、「説明されなくても分かるわ!」といったことしか書かれていない。
肝心の対応周波数帯域とか、バッテリー駆動時間とか、通信速度とかは一切書かれていない。
これは説明書なのだろうか? 滝クリのO-MO-TE-NA-SHI かーらーのー『合掌!』ほど謎である。
そう古くない(私が買ったのは新品だ)製品なのに、HPに載っていない。
必死にGoogle先生に尋ね続け、やっとのことで説明書(PDF)を見つけた。
どうやらHPのリンクは消したが、アップしたPDFは放置しているようだ。杜撰。
さらに輪をかけて酷いのは、このPDF版説明書、2種類あるのだ。
Ver1, 2のような位置づけではなく、よく分からんが2つあるのだ。
両方に目を通したが、2つとも書かれている主旨は同じ。そんでもって、ルーターにくっついてきた極薄紙ペラ説明書とも言っていることは同じ。Frequency (周波数)の“F”の字も出てこない。
「とりあえずSIM 挿してみてちょ。動かなかったらごめんね(合掌)」とか、O-MO-TE-NA-SHI JAPAN じゃ考えられない。
海外行ったことある人なら分かるだろうけど、日本のサービスが過剰なんだよね。
それこそお客さんに合掌するほど。いや、しねーよ。んなことするのは滝クリだけだよ。
一ヶ月前くらいに全くの異業種に転職したんだけど前職と現在の職場での仕事のやり方が通用しなくて戸惑っている
なんか○○さんのやり方だと無駄が多くて時間が勿体無いんだよねと言われちょっとヘコむ
今までの会社は顧客や職場の人間との現場でのやりとりや数字の報告などは出来るだけメールでっていう方針で
それは現場や電話などでの口頭でのやりとりだけだと、どうしても言い間違いやニュアンスの捉え方の差、言った、言わないってのが
出てくるので、それを避ける為にも確認の為に簡単にメールにして履歴に残しておけと指導されてきた。
今の職場
今日上の人間から「これから毎日現場に出てる人間(12人)に電話かけて、前日の売上聞いて分かるようにしといてね」、言われたので
「分かりました、それでは全員にメールして毎日メールで売上報告して貰うようにして、エクセルに起こしておきます。」と自分答える。その時点で上司怪訝な顔。
「いやメールとか面倒臭いでしょ?電話すれば済む話なんだから電話してよ」言われてる事に自分意味不明
「そうですか、ただ私が電話かける時に現場の人達が時間空いてるとは限りませんし、逆の事も自分にも言えるのでメールでのやりとりのほうが
ありがたいんですが…」
「電話なんて数字聞くだけで1分もかからんでしょ、この機会だから言うけど○○さんの仕事まどろっこしいというかもっと簡単にしたほうがいいと
思うとこが見受けられるんだよね、正直俺メールとか時間の無駄だと思ってるから」
新人なので反論もここまでで分かりました、もっと業務を効率的にこなせるよう自己の行動を見直してみます。って答えたけど全く意味わからんし
納得いかない。
その上の人間が取り仕切ってる今の会社はやたらアナログだし書類とかも紙保管の上、社内超雑然で整理して保管という概念すら存在しないので問い合わせとかがあった時は、いつも書類の山ひっくり返して調べなおしたり超カオス。自分から見れば正直な感想は非効率もいいとこで信じられない。
せめて自分が関わった書類はちゃんと整理して保管したいので時間を見ながら、バックアップの為PDFにしたりクラウド使って外でも見れるようにしてるんだけど
上司から見ればそういう事してるのもたぶん無駄な事してるとしか見られてないと思う。
ほんとに小さな会社で過去6年で10人くらい今の自分のポジションの人間が入れ替わってるって話を少し前に聞いたけどなんか納得。