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ノルディック複合で渡部暁斗選手が銀メダルに輝き、スポーツキャスターの荻原次晴さんが大号泣したと話題です。
で、その号泣の理由として、2chでは以下のような書き込みがされていたようです。
次晴、ガチ泣きの理由
1 氷河期に所属先が無くて引退しそうになった選手高橋の為に企業行脚したが、結局決まらずに
へーチャラいと思ってたけど次晴すごいじゃん、と純粋に感動し、どれどれと検索するも、この書き込み以外に何もヒットしない。
怪しいのでちょっと調べてみました。
高橋は2003年の大学卒業以降、ずっと土屋ホームに所属で経歴に穴はない
ソース→土屋ホーム スキー部 "TEAM TSUCHIYA" 高橋大斗
(1) 兄・荻原健司の議員任期は2004年7月26日 - 2010年7月25日(ソースWiki)
北野建設スキー部の年度別所属部員表(PDF)によると健司は2002-2005年に副部長、2010年-部長なので、議員になる前からスタッフを務めている
(2) 渡部暁斗・善斗兄弟が所属していたジュニアスクール名はWiki等には明記なし
<五輪ノルディック複合>渡部兄弟ら ジャンプ好発進 (毎日新聞) - Yahoo!ニュースによると
兄の暁斗選手の競技人生のルーツは五輪だ。小3の冬、母佳代子さん(55)に連れられ、地元・白馬村のジャンプ台で1998年長野五輪を観戦。団体戦金メダルの日本勢の活躍を目の当たりにし、「ジャンプをやりたい」と決心した。直後に地元のスキークラブに加入。
ということなので、白馬村のスキークラブを検索するとまんま「白馬村スキークラブ」がヒット。
「白馬村スキークラブ 渡部」で検索すると五輪ノルディック複合:「複合ニッポン」の復活だ - 毎日新聞の記事に
と記述があったので確定。
白馬村スキークラブ公式サイト(超わかりにくい)の クラブについて » 白馬村スキークラブ によると平成7年(1995)に創設しているので、まだ次晴は引退前だし、健司も議員になっていない
上記の北野建設スキー部の部員表によると部員数は1997年(9人)をピークに減少しているが、2000年代は3-5人で低値安定し拡大した様子はなし
ということで、ガセの可能性がかなり高そうだなということがわかりました。
(もちろん、だからと言って次晴氏の涙を否定するわけじゃないよ、念のため)
これまでに何度も見られた「感動するガセ=良い嘘」という理屈で、このストーリーも広まっていくんでしょうか。
ノルディックの普及には次晴氏も健司氏も地道に頑張ってこられたようですから、ガセだったらなんつーか余計なお世話だと思いましたまる
ノルディック複合・渡部暁斗の銀で荻原次晴が号泣したワケが感動的だった! - NAVER まとめ
こっちのまとめはまともに見える。