はてなキーワード: 結婚式とは
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211127202908
40にして避妊せず
50にして我が子の孤立を知る
60にして将来を疑う
70にして夫を見届ける
80にして
私が働きだしてから数年後のある日、父が死んだ。
仕事からの帰り道、電車に乗っていると突然親からメールが入った。
倒れたらしい。
ひとまず職場の上司に連絡を取り、数日ほど休めるかを確認した。
「お前が居なくても案外仕事は回るから。ぶっちゃけお前の仕事ってどれも頭数合わせだし必須じゃないんだわ」
オブラートに包みきれていない言葉の隙間からチクチクとした苦味が心に残ったことだけを覚えている。
現実を突きつけようとすれば自然とそうならざるを得なかっただけなのかも知れない。
どうにも使いにくかった有給を折角だからと多めに申請して、私は実家へと帰っていった。
親が倒れたと言われても、そもそも倒れる理由が特に思い当たらなかった。
それは私の個人的な気まずさから年に1度顔を合わせるかどうかだったからなのもあるし、父が元々身体があまり丈夫でなく合うたびに新しい体調不良のパターンを聞かされてて慣れてしまっていからだ。
年々、折れかけた柳のような弱々しい老人となっており、生と死の境界にはとっくに立っていたのだろう。
戻ったときには父は死んでいた。
突然死である。
珍しいことではないらしい。
私は少しだけ泣いた。
産まれてきたことや育ち方のよくなかったことへの後ろめたさから来る涙だった。
父の死を前にしても、私の両親に対する感覚はそこから変化することが出来ていなかった。
前々から両親のどちらかが死んだときのための準備は進められており、母のスマホに入っていたスマホのメモどおりに進めるだけで準備は滞りなかった。
規模も小さめにした。
顔と名前が一致しない親戚たちに片っ端から声をかける元気は私にはなかったし、母はやかましい場所が苦手だった。
祖父母の葬儀をやった馴染みの葬儀屋に頼むと話はレールの上をトロトロと進むように簡単に軌道に乗った。
父・母の兄弟だけを呼んだが、彼らの子供、私の従兄弟が誰も子持ちだったので意外と人数は多くなった。
初めて見る姪の不審そうな顔を見て、自分が幼少期に曽祖父の葬儀に参加したときはこういう顔だったのだろうと思い出す。
それと同じ程に、今、自分とこの子達には距離があるのだと理解した。
最近はどこも親戚づきあいが薄くなってきたというのは非常に結構だが、元々血の繋がりを遠ざけがちだった自分などはいよいよ親類の中にあっても限りなく透明に近い存在へとなっていた。
年が3つ下の従兄弟が結婚してから5年ほど、いい加減自分もいい年齢だが、誰も「結婚は?」と聞かなかった。
理解されていると安心すれば良いのか、気を使われていると感謝すれば良いのか。
父の死から10年、私はいつか転職を、出来ればクリエイティブにプログラマー辺りで……と思いながらもダラダラと同じ仕事を続けていた。
私より遅く入った高卒の人でも、センスや人間力が根本的に上だと感じた人は既に係長になっていた。
父が死んでからは好きにやっていた母だったが、いよいよ様々なものが曖昧になりつつある。
私は私自身の面倒を見るのでいっぱいいっぱいだし、母も同じような人間だったので「母が駄目になった時、どうにかする方法はないね」とたまに相談している。
流石に気がかりなので年1だった里帰りが最近は半年未満の周期になっている。
私が働き出した頃、両親が気にかけて遊びに行くと言っていたときの気持ちがわかる。
この感情は責任感の枠組みに入れるのが一番似合っているのだろう。
「最近は老人ホームもいい感じらしいけど、やっぱり知らない人と集団生活ってのはね」
そうなのだ。
その血を昔は呪いだとと思ったが、今はそのおかげで辛うじて母と繋がっているとも思う。
何故繋がっているべきなのか、これもやはり、責任感なのだろう。
絆という漢字は、家畜を繋ぐための縄を意味する言葉として産まれたらしい。
この連載は取り敢えずこれで終わり。
オチは?って言われても困る。
交通費に1.5万
ホテルに0.5万
前夜の飲み会に0.5万
祝儀に3万
祝いの贈り物に1万
計6.5万
計上してみたら思ったより金かかってたわ。しかし祝儀に追加して祝いの品に1万かかってんのがアホだな。
結婚した友人には世話になったし、めでたいって気持ちもある。だから今回のこの出費は良い。金は貯金から出せばいいだけだし。
でも単純に結婚式ってイベントに対する出費って考えると高すぎる。
結婚式に祝儀っているか?ってのがTwitterで話題になってたけど、参席してすげえ気持ちわかったわ。
これがもし大学の同サークルのイマイチ世話になってない先輩とか、割と疎遠な高校の友人とかだったらハッキリ言ってキツすぎる。
今回初めて結婚式に参席して、めでたくて良いもんだなって思った。しばらく会ってない人にも会えたし楽しかったよ。結婚式ってなんでやるのか今までわからなかったけど、やる人や勧める人の気持ちも分かった。自分は結婚する気ないけど、人が結婚式迷ってたら間違いなく勧めると思う。
結婚式の招待状が来たら不参加で返信するだけやで
友人に結婚祝いが分からない、って話 自分もけっこうそんな感じだったかもなと振り返る
けど友人が少なく、結婚式に出たのは数回、その時は普通にお祝いを渡したが
数が少ない・機会も少ないからそこまで理不尽にも感じなかったけど
当然友人を誘うようなこともなく、ご祝儀はこちらが払っただけ(十数年前に)という形にはなった
一人だけ遠方の友人と久しぶりに連絡した折に結婚した旨を伝えたら、LINEギフトでスタバのドリンクチケットをもらった
友人間のお祝い、これくらいがちょうどいいと感じる
ご祝儀の相場3万円も、以前の結婚式場に親から親戚から職場の上司から集めて大々的に結婚式挙げるスタイルに合わせたご祝儀の金額でもあったのだろうし
ずっと独身で生きてたし、これからも独身で生きていくつもりだけど、やっぱ世帯年収多い方が得だなぁという現実も否定できない。
でも恋愛が向かないことはこれまでの人生でつくづく思い知ったので、メリットとしての結婚しかできないし、興味もない。
結婚式とか無駄だし、披露宴とかもってのほかだし、新婚旅行もいらないと思っている。
そもそも性行為が絡む恋愛感情というのは人から理性を奪ってしまうので、望ましくないと思っている。
上記を前提に、お互いに利益を共有できる良き友人としての結婚ができれば今より少し幸せになれるかもと思った。
そんな都合のいいことは起こり得ないので全部妄想であり夢物語だけど。
ちな私のスペ
30歳 / 独身 / 女 / 年収600万 / 都内23区在住
- 理由としては自分の遺伝子を継がせることがかわいそうすぎて無理
- できれば犬も飼いたい
- 魚は好き
- 焼き鳥なら食べられる
- ヴィーガンではない
- 麻雀テンゴまで
- 競馬G1レースに1000円とか、多くても3000円(天皇賞とか有馬みたいな特に大きいレース)だけ
- どっちも買ったり負けたりトントン
年収300〜400万くらいの相手なら子なしで埼玉か千葉あたりに引っ越してそこそこ楽できねぇかなと。
私の人生観として生きることにあまり積極的ではないので暇つぶしのような生き方に付き合わせることになるけど。
なおゲスい考えってのは理解してるし、だからこそ実現不可だと分かっている。
でも本音で話したらこういう風に考えてる人間って少なくないと思う。
ただ私の場合、男女ともにNG喰らいやすい要項が多い(子どもいらない、タバコ・ギャンブル、家事外注、性交渉なし、など)から、たとえ共同生活パートナーとしても選ばれない自信しかない。
男女ほぼ同数(女性やや多め)だったがやっぱ女子大生くらいだとちょうどいい年ごろなので姫状態。
複数女性いたけど全員がサークル内の男子に告白したりされたりでつき合いだして
女性側がわりと主導権握ってたので荒れなかった。
付き合いだすと一組ずつクリスマスカラオケに顔出さなかったりするようになるのでわかる。
そんであんまりがっついてなくてくっついたりはなれたりが頻繁でない感じで居心地よかった。
おかんみたいな頼もしい女性(鬼部長2年)も卒業後〇〇くんとつきあってたし結婚するわみたいな感じでネタ晴らしがきてなんかすごい安心感あった。
ええとたしかうちがサークル内結婚の5組目で部長と婚約者っつかOBに結婚式の司会をしてもらったあとそちらが6組目になった。ありがとう部長。
https://anond.hatelabo.jp/20211122190639
私は女性ですが、昔から陽の無神経でがさつな人達に揶揄されて育ってきたので、「陽キャ恐怖症」なところがあり、かつては増田さんのような立ち位置で友人や彼氏と接してきました。
また、そういう実例夫婦や他の実例を身をもって知ってるので、増田さんの気付きになればとこれまでの経験談をレスしました。
ブコメじゃ短すぎるので超久々の増田。はてな記法は忘れましたので見づらい点はご容赦を。
結論から言って増田さんの条件や願望を満たす女性は腐るほどいますが、断言しますが全員増田さんを搾取するモラハラ人種です。
モラハラ傾向のある人種が同じモラハラ人種を引き寄せる悪循環になってます。
(A)感情で他人をコントロールしない。人を不用意に傷つけない。他人の心が理解できて、理性的で、いついかなる時でも、極力良識を守った振る舞いが出来る。そんな人間とパートナーになれたらどれだけいいかと思いますよね?
(B)そして、元増田さんの状況はわかりませんが、とにかくすきあらば人をナメて見下して嬉々としてマウンティング行為を連発。ちょっと嫌がられても「悪気がないんだから」というバリアーでヘラヘラ笑って流して許容を強要する。我慢しかねて本気で怒ってみせれば「飼い犬に手を噛まれた」と言わんばかりに醜い有害な本性をさらけ出す。
(B)寄りの人に揶揄されて傷つけられて自己肯定感がすり減った男性ほど、
「知能が高そうで強気で感情的で男相手にガンガン反論する女はろくなものじゃないから、フィクションのおバカキャラ然と語彙が貧弱で頭が弱いけどいつも大体安定して機嫌がよくて愛嬌があってニコニコしている無害そうな馬鹿の方が安心できて居心地がいい」と思いがちですが、
実は完全に逆です。
(B)みたいなモラハラ加害者に圧倒的に多い特徴は実は「頭が弱いけど大体安定して機嫌がよくて愛嬌があってニコニコしている無害そうな馬鹿」であって、
(A)のように自分に自信があるほど他人を尊重できてモラル意識が高くなり、モラル意識が高くなるほど必然的に強い自我と信念と共感性の持ち主になるので男性から見れば「感情的で男相手にガンガン反論するタイプ」になります。まぁ本来なら平穏なキャッチボールですんだはずのボールでも、投げられた側が耳目を塞いで「女からの意見いやぁああ」とグローブを投げてたら、ケガもするし相手が悪者に見えて自分は被害者って思い込みも強化されるよね。初手から男性が聞く耳を装備してないからこそ「感情的で男相手にガンガン反論」にならざるを得ないやり取りがあったり。
マウンティングするのは自分に自信がなくて劣等感が強いから他人に敬意を持てず、他人を四六時中貶めるんです。有害なヒトの防衛本能と言ってもいいものです。
向上心がないゆえに劣等感の塊である馬鹿は、自分が馬鹿に思われてることを逆手に取れば、必殺「悪気はない」「天然」「そういうキャラだから」で際限なく他人を搾取して加害できることだけは熟知しています。
馬鹿はどんな場合であっても、何が起ころうと決して「他人のための損」が出来ない人種です。
馬鹿は365日24時間いついかなる時も、助けてくれる優しい相手に全ての面倒や損をなすりつけて、自分一人が得をする選択肢を(馬鹿なりに)計算高く選び続けています。
例えば電車で旅行に行ったとすれば、必ず我先に窓際を選ぶタイプです。サイズの違う飲み物をグループに与えられれば、我先に一番大きなペットボトルを選ぶウシジマくんの宇津井タイプです。
あまり頭を使ってなさそうな天然風なのに四六時中常に一定で機嫌よくニコニコ(ヘラヘラ)しているのは、自分以外のことに無神経で相手がどう思おうと自分さえよければそれで満足で、他人の尊厳が驚くほど軽くて、人の言葉を右から左に聞き流してるからです。他人の言葉を等身大に受け止めて思案している人なら、言葉と状況に応じて表情をこまめに変えていたりします。
確かに付き合い始めや自分のメンタル面が比較的安定している時は、そういうおバカキャラでも安心できますが、当のおバカ本人は自分の周りの人間を「自分よりも下の序列にいる馬鹿」だと認識しなければ生きていけない生き物なので、一緒にいれば徐々に徐々に精神が削られていきます。
必殺技「悪気はない」「天然」「そういうキャラだから」を盾に搾取され続け、それが狡猾な嘘だとうすうす気づいていても、パートナーに馬鹿を求める人はそいつから離れられない。
そこに付け込んで相手は間違ったうぬぼれを強化して、より一層の笑顔でちくちくグサグサといたぶってきます。
限界非モテとか同性の男の馬鹿タイプを考慮すればすぐ正体がわかりそうなものですが、多分増田さんは心のどこかで「頭が良くて自己主張をする女のほうが例外。本来あるべき女は子供同然におバカ可愛い生き物で、男のプライドを癒やす最後の砦」みたいに考えてるのだと思いますが、残念ながらそんなことはありません。
想像力や倫理観が未成熟で誰もが物理的に馬鹿だった幼児期とは違って、
増田さんの求める「自己肯定感の低い自分の劣等感を刺激しない、人より無能で低スペックだけど無害なおバカキャラ女」なんてこの世に存在しないんです。
馬鹿の自己保身はそれはもうバレバレで見苦しいけど、一生馬鹿はそれを繰り返すんです。
自分よりランクの下の人間なら自分を見上げてくれるなんて都合の良い幻想です。実際は仮に養ってもらっても感謝も尊敬もせず、全ての人を無根拠に見下してきます。
男女ともに自分に自信がある人じゃなければまともな尊敬や感謝や対人モラルは持つ事ができません。
だから己の心の安らぎを得るために、しっかりした女を忌避して、意識的に「普通の女」より大幅に低いスペックの見下せるペットのような女を養おうとする増田さんは
高望みというよりも、無自覚に「お互いいじめて・いじめられるだけの不毛な関係性」をピンポイントで望んでいる人に見えます。
・男性は45歳で介護士、年収はおそらく増田さんと同じ位。希望条件も増田さんと同じ。
・女性は38歳でマッサージ屋アルバイト、いつもニコニコ無神経オタク。自称お笑いとおそ松さんと忍たま好き(毒舌いじりキャラへの憧れから)。北斗の拳のハート様を150センチに縮めて黒塗りしたようなビジュアルで体型は正三角形。装いは地味。自身の年収は200万未満だが旦那を「低年収でハゲ」と女友達全員に笑顔で貶し回る。38年間実家ぐらしだけど、母が他界してからも家事は父と弟に丸投げして嫁入りするまで最後まで何もしなかった。ダメな姉を反面教師にした弟は地元のエリート企業に就職していたが、左遷で挫折したタイミングで結婚の決まった厄介お荷物姉に全力でマウンティングされたので、姉を絶縁しており結婚式にも出なかった。
その二人の結婚生活がどうなっているかというと、なかなかお察しな感じになってます。
その38歳女性とは高校時代からの付き合いでしたが基本的に「他人のために動く」ことが結婚前から出来ない人でした。
全額旦那負担で自分の実家から10分ほどの距離に家を建てさせた彼女の新居に遊びに行ったことがありますが、
その家の玄関やリビングといった共有スペースは趣味のおそ松さんグッズで埋め尽くされており、それ以外のモノは無造作に床に散らばっている状態です。
彼女はいつも15時頃に帰宅しますが、食事の支度はいつも20時以降に帰宅するという大黒柱の旦那さんが担当しています。スーパーに寄るのが難しいのでヨシケイで食材をデリバリーしてもらっています。
その遊びに行った日は招かれた客人である筆者の自分が鍋を作ったのですが、その間38歳女性は何もしないでもうひとりの40歳ニート女友人と趣味の事でダベってるだけです。
38歳女性はヘラヘラしてますが極めて劣等感が強いので、増田さんと同じように妄想で自分より下だと見做した相手だけ厳選して付き合っています。
なぜ自分がそこに居たかと言うと、彼女とは成人してから10年以上は疎遠にしていたけれどたまたま再会した際、自分は失職しており愚痴を話せる相手が欲しかったことと、他人の不幸を喜ぶ彼女にとってもお眼鏡にかなったものと思われます。
(その後、速やかに彼女の倍の年収を得られているであろう所に転職しましたが、彼女があまりに露骨にフリーターかニートであって欲しい願望をだだ漏れに漏らすので黙っていました)
家事の9割以上を旦那さんにやってもらっても、周りの人達に助けてもらうのが常態化していても、彼女は決して他人に感謝をしません。
驚くことに自分が助けられていることにすら気づいていません。
じゃあ自意識はどうなってるのかといえば、「毎日家事に追われて家庭を切り盛りしている理想の奥様」という設定の脳内妄想の嘘で存在しない記憶をでっち上げて自分を騙しています。
元々見栄っ張りのホラ吹きではありましたが、精神の均衡を保つ見下しのマウントのため人に結婚生活をノロケたくて仕方がない、
でも結婚生活はほぼほぼ意味のない嘘で塗り固められているため、病的な虚言症状とサイコパス化が爆速で進行しました。
一例に、彼女は「晩のおかずに味噌汁と肉じゃがを作った」といったので、「じゃあ今度遊びに行く時食べさせて欲しい」と言ったら、二人で食べたので一口も残っていないと言いました。
(絶対に嘘だ)と内心思いながら「じゃあ目玉焼きでもいいので何かおかずで手料理を食べたい」と言ったら、私が鍋料理の準備を全部済ませた後でレトルトのグラタンを出してきました。
そのレトルトのグラタンすら全部旦那さんに作ってもらっていたのか、分量めちゃくちゃで信じられない程まずい代物になっていました。
買い出しで近所のスーパーにでかけたものの、彼女は日頃行きなれて居る風を精一杯装っていましたが、牛乳や惣菜の配置もわかっていませんでした。
後で全部料理は旦那さんがやっていたのだと判明しましたが、日々自意識が壊れて嘘を嘘で塗り固める彼女の膨大な脆弱な嘘の一つを私がつついてしまったことで彼女は怒り狂って私に誹謗中傷の限りを尽くして一方的に絶縁してきました。
彼女は言っちゃなんですが、私の全人生の中で最も容姿も魂も醜悪で病的な有害モンスターに成り果てていました。
ちなみに絶縁直前の会話で、小遣い制にして旦那さんには月2万円を渡しているそうだけど、余らせてくるので楽でいいと自慢していましたが、その口で「自分は生涯最大の贅沢な暮らしをしているので幸せだから友人なんかいらない」と捨て台詞を吐いていました。
あと彼女は事あるごとに「旦那さんを無趣味のつまらないコミュ障男」と言っていましたが、旦那さんは相当深いレベルの邦画マニアでしたが(DVDラックで一目瞭然)彼女にそれを理解する教養が無かったのと旦那さんが遠慮して黙っていたのとそもそも彼に関心が無かったため「つまらない男」という見下し評価に落ち着いたそうです。
長くなったけど、増田さんみたいな男性でも結婚できた一例を紹介ました。
でもお互い不幸に見えるよ。
※追記
「加害しない・されない関係」だけ望むなら、自立しているバリキャリ系の中から選ぶのが一番効率的で確実だと思います。
ですが失礼ながら増田さんの年収ですと、増田さんの望む馬鹿タイプの女性からは徹底的に見下されます。そして確実に相手からマウントされます。
それだけは断言できます。
現にその38歳モンスター元友人も、自身は200万円そこそこのフリーターで黒いハート様などなどを棚上げして、散々その旦那さんをハズレ層の低収入ハゲだと見下して結婚を渋っていました。
振る気100%でしたが、結婚相談所担当者の説得で渋々結婚したら、家を買ってくれて家事を全部やってくれるので「これなら他の女にマウントできる!」という希望を抱き、旦那さんの存在価値をそこだけに見出している格好です。
年収400万円台以下の男性でも(家事分担は大前提としながら)謙虚さをもって露骨に見下さず必要としてくれる価値や可能性を見出すのは、仕事をして自分で自分を養える女性ぐらいなものでしょう。
でも問題はそんな女性を目の前にすると初対面であっても、増田さんは精神の均衡が崩れてプライドが悲鳴をあげて感情的になってしまう。劣等感が刺激されて耐えられない。
女性恐怖症だけど男たるもの女の上に立ちたい(女にだけはそのように接待してもらいたい)。だからそんな屈辱を味わうくらいなら、有害無能モンスター相手でもいいから下方婚を望むのをやめられないというのがオチです。
消耗してすり減って最後に何も残らなくなっても、自分がそれを選ぶならそれも人生なのでよいのではないでしょうか。
いわゆる「ブサイク・デブ」って世間で言われるほど需要がないわけじゃないです。増田さんのような人は男女共にいるので、安心して見下せて他の異性に相手してもらえなさそうな逃げられないパートナーが欲しいんですよね。だから出会い交際結婚の可能性なら普通に充分にあります。
変わり種があるから書いてみたらクッソ長くなって推敲めんどくさくなったから短縮した。
大筋はあってるけど特定予防はかけてある。
MMORPGで成り行きでネカマしてたら、ある界隈で有名なゆるふわ系の女の子と親しくなった。
恋愛相談を受けたり愚行を叱ってたりしてたらなぜか滅茶苦茶気に入られて同性でもいいからって猛烈にゲーム内結婚を迫られた。
待ってくれ、それは幻想だ、実は男なんだとカミングアウトしたら「にゃ!?」と普段言わないことを言ってログアウトしていった。
間もなくその子の親しい女友達からチャットアプリで猛烈な質問攻めにあって辟易した。
そうだよネカマだよって開き直ったけど、普段からみんなのことを手助けしまくってたお陰か反発どころか歓迎された。
なんだかしらんが応援してくれるらしい。
数日後、ゆるふわちゃんからやっぱり結婚してほしい、現実でも恋人になってほしい、と改めて告白された。
まじか、と喜んだのも束の間、東と西の遠距離恋愛で金のない学生同士、会うことは難しかった。
その分、ゲーム内などではべったりと甘えてきていた。
話してる最中に突然発情しだしてオナニー始めたりするかわいくてエロい子だった。
自分は複数組織を持つギルド長で相手も大手ギルドの幹部ということで、記念写真が画面に収まり切らないほどの大規模な結婚式だった。
ネカマだという事は公言していなかったが男だと知られていたら行く先々でPKされていたかもしれないと思った。
・子供は無邪気でいいんだぞ
・誕生日は本当に欲しい物を言っていいんだ
・自己紹介でウケを狙いすぎるな
・たまには友達を頼れ
・大学デビューも悪くないぞ
・研究室は気軽に選ぶな
・就活は早めに始めろ
・就職してもすぐ辞めるな
・遠距離恋愛は金使ってでも定期的に会え
・別れたすぐにヨリ戻してもいいんだぞ
・親には早めに親孝行しとけ
・なんとか育児休暇取れ
・気楽にいけ
・応援してる
じゃあ疑似体験させてやるぜ
部下に奢る約束してたから食べ放題のカウンターあり寿司屋にいったんだが(座ったのは座敷席)、カウンターあっても回転ずしよりうまいってことはないことがわかった。なんかみんなでしんみりした。ビールはちゃんと逐次払ったぞ
新婚旅行でパスポートの名義が違っててチケット代倍払ったし飯はそんなにうまくないしいったのディズニーワールドなので千葉県のほうがいいぞ
・車の免許も持ってない。
・女と2人でデートしたことないっつーのも一般人からしたらヤバいんだろうな。
おまえがおぼえてないだけで相手はデートだとおもってるぞ、ママとか
・風俗も行ったことない。つまり女の体にまともに触ったことがないってことよ。
・そういえばマグロの中トロとか黒毛和牛も自分で買ったことない
ふるさと納税しろ、実質2000円の手数料で残りは無料で手に入るぞ(来年住民税の軽減としてほぼ全額もどってくる)
ホテルのはいまいちだし自分は結婚式で中華出したぞふかひれ一人一つだった、その系列店が浜松町の北京という店で、コロナ前のいつかわからない時期まで食べ放題やってたからご招待券(味見)もらっていったんだがその当時マイナーだったタピオカをココナツミルクにいれたやつを10杯くらい飲んだぞうまかった
まあでもフランスパンに発酵バターはうまいからふるさと納税で発酵バター10個10000円くらいのやつたのんだ、食パンに塗ってもうめえぞ
トリュフはマジックのシンナーっぽい香りの物体だしフォアグラはあん肝とおなじであぶらっぽいし結局結婚式にでる大部分は老人のために練り物というかパテで和食でいうオデンなんだよなぁコンビニオデンのほうがうめえまであるな
来年45になるが、カウンターの鮨屋未経験とか人生経験なさ過ぎて笑うわ。
車の免許も持ってない。
女と2人でデートしたことないっつーのも一般人からしたらヤバいんだろうな。
風俗も行ったことない。つまり女の体にまともに触ったことがないってことよ。
そういえばマグロの中トロとか黒毛和牛も自分で買ったことないな。
そんなの普通に働いて給料も普通にもらってるんだから、1500円ぐらい払って中トロ買えばいいんだけど、高けーとか思って買う気しない時点で、人生やる気がねーんだろうな。
ちなみにフランス料理は10年以上前に、友達に呼ばれた結婚式の時食った。
結婚式に呼ばれる経験とホテルでメシを食う経験もできた。そん時はご祝儀3万きつかったが、今考えるとありがてー友達だよな。
その後一度も会ってないけど。
私が大好きな呪術廻戦の五条悟と同じ生まれ年。まだ三十代になったばかりだ。
「若いから大丈夫」と繰り返され治療に励んだけれど、先月、残存が見つかった。
来週、大きな手術を受ける。
私はまだ、旦那と一緒に生きていきたい。
「なぜ旦那が」何度も思った。
旦那が入院して、一人で過ごした間、それまで気が張り詰めて泣けなかった分、たくさん泣いた。
話は変わるけれど、私の旦那は、普段はおとなしいけれど内には仕事に誇りを持った熱い人だ。
「こんなことをして社会に役立ちたい」「これができれば、もっと良い世の中になるはず」
結婚前、お酒を飲んで泣きながら語ってくれたことは今でも覚えている。
そんな熱も、闘病生活のなかですこし変わってしまったみたいだけれど、私は旦那のことが世界で一番大好き。
一方で普段、特に仕事をしていると、ひどい言葉を浴びせてくる人に出会う。
「金返せ」「誰のおかげで仕事ができていると思っている」「騙された」とか、そのほとんどは理不尽なものだ。
最近はそんな傍若無人な人を見るたび、「なぜこの人達が健康で、私の旦那は、」と思ってしまう。
でもその度に「こんなことを思うのは悪いことだ。悪いことばかり考えていると罰が当たって、手術が成功しないかもしれない」と思って怖くなる。
そして怖くなるたびに旦那に「絶対治るよね」「治ったら、●●に旅行に行こうね」と言ってしまう。
自分に言い聞かせるために付き合わせているようなものなので、この行為自体が旦那のストレスになっていたらどうしようと思う。
手術まであと数日。
この間にも癌が進行しているのでは、手に負えない状態になっていたらどうしよう、そんなことを考えながらも仕事をしていると気が狂いそうで、思わずここに吐き出してしまった。
取り留めのない内容で、ごめんなさい。
今回もそうだった。
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。