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はてなキーワード: 大きな物語とは

2024-11-08

たとえば、ロールプレイングゲームで、特定の村人NPCを殺したらアイテムを取得できると分かっている。そのアイテムはめんどくさいお使いクエストをやっても入手できる。RTA勢は手慣れた様子でそのNPCを殺している。

そんな時に、自分物語内のルールに従って、または主人公名誉のために、NPCを殺さない。

そんなことってあるだろ?

そういうプレイスタイル。誰も見てないけどそうする。二度目にやってもそうする。

 

そういうのが倫理観ってもんじゃねーの

誰にでもそういうのはある(たぶん)

身についているプレイスタイル

 

トランプハリス選挙も一緒。

かに手持ちの株やビットコインは上がって儲かるけど、それよりも世界アメリカ社会という大きな物語を信じて、ハリス投票する。

そういう選択肢はあるし、それは偽善というのではなく、「そういうプレイスタイルだったから」。

 

たぶんそういうこと。

2024-11-06

大河ドラマ戦国戦国戦国戦国幕末幕末幕末室町!」

いい加減に明治末期とか大正時代を硬派にやってくれや。

でも戦闘シーンはどうせギャグみたいなCGギャグみたいなセットでしょぼくなるから無理して戦争という大きな物語を絡めなくてええで。

例えば山手本牧あたりの英語学校舞台にした外人教師と教え子たちの人生物語とかでも別にええやん。

あと登場人物が大声のセリフで何でもかんでも説明しまくりのクソアニメみたいな大河なっちゃうから朝ドラ脚本家クドカン三谷幸喜はナシで頼むわ。

2024-11-01

平成史上最も重要テレビドラマ10

本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマ脚本家のものだと思っている。

 

 

1.坂元裕二東京ラブストーリー平成3年(1991年) フジテレビ

トレンディドラマ代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリー主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。

 

 

2.野島伸司101回目のプロポーズ平成3年(1991年) フジテレビ

こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司時代があった。

 

 

3.三谷幸喜古畑任三郎平成6年(1994年) フジテレビ

田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜コメディホームドラマ恋愛ドラマなど、会話による人間関係機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。

 

 

4.深沢正樹ほか『金田一少年の事件簿平成7年(1995年) 日本テレビ

他のタイトルに合わせて脚本家クレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。

 

 

5.君塚良一踊る大捜査線平成9年(1997年) フジテレビ

テレビドラマ」というフォーマット映画館拡張した功罪ある作品テレビドラマメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。

 

 

6.岡田惠和ちゅらさん平成13年(2001年) NHK

21世紀最初朝ドラシリーズ化され、現在再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代テレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。

 

 

7.宮藤官九郎木更津キャッツアイ平成14年(2002年) TBS

クドカン物語自体面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタギャグストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎共同体風景ドラマになるということは革命出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。

 

 

8.遊川和彦女王の教室平成17年(2005年) 日本テレビ

遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。

 

 

9.山本むつみゲゲゲの女房平成22年(2010年) NHK

2000年代後半に停滞していた朝ドラ復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃんブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味ハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラ復権は同時にその後のNHKドラマ復権意味していた。

 

 

10.八津弘幸半沢直樹平成25年(2013年) TBS

TBSドラマ復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。

 

 

 

次点

 

木皿泉すいか平成15年(2003年) 日本テレビ

本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子ファンタジーブレンドさせ、ドラマ物語対象を変えてしまった傑作。

 

坂元裕二それでも、生きてゆく平成23年(2011年) 日本テレビ

90年代10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在ドラマシーンは、坂元裕二フォロワーで溢れている。

 

鎌田敏夫29歳のクリスマス平成6年(1994年) 日本テレビ

これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。

 

野沢尚眠れる森平成10年(1998年) フジテレビ

坂元裕二と並び、この時代天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。

 

北川悦吏子ロングバケーション平成8年(1996年) フジテレビ

あるいは今作か。トレンディドラマ2000年代の間には間違いなく北川悦吏子時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子擁護し続けていきたいと思う。

 

三木聡・ケラリーサンドロヴィッチら『時効警察平成16年(2006年) テレビ朝日

この10からは確実に存在していた深夜ドラマ文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマ系譜。『時効警察』はシティーボーイズ放送作家三木聡最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディNHKドラマ映画化までさせているが、盛大にスベっている。

 

渡辺あやカーネーション平成23年(2011年) NHK

一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれしまったとも言える)

 

森下佳子JIN-仁-平成21年(2009年) TBS

坂元裕二岡田惠和宮藤官九郎遊川和彦木皿泉渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線人生因果に映り、プロット運命へと変貌する。TBSドラマ復権きっかけとしても、今作を挙げておきたい。

 

野木亜紀子逃げるは恥だが役に立つ平成28年(2016年) TBS

野木亜紀子10から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマ次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作もの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。

2024-08-11

大きな物語が、人々を突飛な行動に突き動かしている気がする

大きな物語があれば、日常の小さな物語も何らかの意味を帯びてくるという、物語としてのありがちな構造が、人々に「大きな物語」を懇願させてしまっている。

まりネットやら社会活動やらの大騒ぎは、物語個別物語でなく、物語という存在全般だ)が扇動しているものだと言って良い。

日常のつまらない行動に意味を帯びさせるために、何らかの大きな行動に加わるというのは、物語による扇動効果しかないのだと、いつ誰が気づくのだろうか。

そして、昔の物語は、そういった大きな行動はいつか破綻をきたすことを結末としてちゃん提示していた。

現代物語は、大きな物語と小さな物語という構造は維持しつつも、大きな物語破綻が結末として描かれていない。

人々の、大きな物語に対する幻想を打ち砕かせていない。ただ、扇動するだけだ。

から現代の人々は大きな物語に耽溺し、その中で色々な過ちを犯し続けている。

まりインターネットやらに見られる大きな物語同士の抗争は、物語構造改革によって抑制できるのではないか

大きな物語扇動した上で、その悲惨な結末を如実に感じさせる、そういった純粋文学を描けば、抗争は治まるのではないか

ある妄想精緻に実現した上で、その論理の中で徹底的にダメ出しを行う、言うなら「行きて帰りし物語」的な構造文学が求められているのではないのか。

人々を、日常の小さな物語を堅実に歩ませるために。突飛である大きな物語に、感染させないために。

そう、ポリコレと呼ばれる物語抑制策も、そういう文脈解釈されるべきものなのかもしれない。

2024-08-06

俺の人生にも「宇部新川駅」みたいな場所が欲しかったな

最後最後に「ここが俺のホームなんだよ」と紹介できるような場所

もうどこにもない場所というわけでもなく、最初からどこにもないんだよ。

物心ついた辺りからずっとマンガゲームばっかりでさ、リアルでの思い出が希薄なんだよ。

ふと思い出せる場所といえば、今はもう潰れたトイザらスのあったビルぐらいだ。

科学博物館みたいなのが併設されて、親がよく連れてってくれた。

屋上レストラン街ではいつも同じ店で飯を食った。

コース最後に食べるアイスが好きでさ、店の自家製だったのか外国から取り寄せてるのか、ちょっと変わった味がするんだ。

ある程度大きくなった後は一人でも行ったけど、下のゲームショップデモ筐体を遊んでばかりいた気がする。

ビルは残ってるけどもうあの頃の店は全部潰れてる。

3階ぐらいの所に庭みたいな空間があってさ、実際には2階建て駐車場屋上庭園なんだろうけど、そこにマックがあったんだけどさ、今そのビルに行くとポールけが残っていて廃墟感が凄いんだわ。

まあそこも少しずつ店が戻ってきてるし、空いたスペースは都市開発失敗のケツモチなのか役所事務所代わりに使ってるんだけどさ。

レストランがあった辺りに今はサバゲーショップが出来てたりして、なんかもう空気が違いすぎて行っても寂しくなるだけだからもうずっと行ってないし全然変わってるかも。

結構覚えてるじゃんって話なんだが、でも俺にとってここはホームって感じじゃないんだよ。

ホームにできそうだったけど寂れていくことを止められず、気づいたら思い出ごと追い出されてしまった場所なんだ。

新しい人生を再スタートするとき最後の戦いを終えたあと、ここに帰ってきた所で俺はもう何も出来ないんだよ。

骨を埋める気にもなれないし、希望未来に向かって階段を駆け上がろうとも思えない。

故郷の町のどこにもないんだな。

大きな物語が一段落したあとで、エンディングの向こう側に向かって走り出す舞台に選べそうな場所が。

2024-07-05

プリパラ10周年と私の15-25歳

今日プリパラ10周年らしいとXで知り、この10年間をプリパラに伴走してもらった元女児の一例として、振り返りを書き残したくなって、湯上がりにサーキューレーターにあたりながらしてみんとてするなり。

中くらいのお友だちだった放送開始当時、3DSニコニコ動画で最新話無料配信をしていたプリパラを見ていた。その数年前にNHK放送していたアニメ「日常」にハマったことをきっかけに、絵柄が好みな感じがするサムネアニメをとりあえず片っ端から見るという数打ちゃ当たる戦法を取っていた中での出会いだった。

歌、ダンス、少し日常から離れた衣装(コーデ)、人と人の感情を描いた物語と、いろんな種類の好きなもの・関心が高いものがたくさん詰まっていて、週を追うごと目が離せなくなり、「来週のお話が楽しみ」な状態が続いた。

高校生になると買い与えられたスマホニコニコを観るようになった。そして、Twitter公式アカウントというものがあると知り、プリパラについての最新情報を得られるようになった。

ニコニコで視聴してるとライブ中のガヤみたいなのがいっぱいいてアニメを1.3倍くらい楽しめたし、Twitter検索すると放送話の感想がたくさん見られた。でも現実生活圏内にはプリパラを観ている人はおらず、「高校生から見てもこんなにおもしろいのにな〜」と自分けが知る宝物を撫でながら、少し寂しく思っていた。

私が高校卒業すると同時にプリパラは終わったが、家でも部活でもまあまあ大所帯の集団の中でいろんな人間とうまくやりながら生活していたので、中高の生活においてプリパラでの気づきが活かされることもあったし、反対にアニメ共感して悶えることや鼓舞されることも多々あった。元々の自分思想に近い部分があったから、余計に沁みたということでもあるが、中でもプリパラが一貫して描いた「み〜んなトモダチ、み〜んなアイドル」「I friend you」という心の持ち方は私の心に深く根付いたし、それを目指していいのだという励ましにもなった。そして、その心持ちのうえで、周りに迷惑をかけるようなことをするとシステムというなにやら大きな仕組みによってそれなりに罰されるのも好ましかったし、安心できた。

大学生になると、いろんな趣味の人がいた。これまで知らなかった世界出会えておもしろかったし、手に入れた新しいメガネを通して再びプリパラを観るとまた違った見え方をするのもおもしろかった。

大学生基本的に暇でおもしろものに飢えているので、最近プリパラにハマったという人とも出会えた。3年目にコロナ禍となり人と会えない日々も続いたが、そのおかげでプリティシリーズライブ配信ライブになり、地方住みの交通費さえ惜しい貧乏大学生にもプリチケが届いた。近くのカラオケ店でパソコンが繋げられるらしいという話になり、プリパラを通して友達にもなれたトモダチと、一緒に配信ライブを観たり感想を話したり続編制作決定に泣いたりした。バイトしたお金で、幼い頃は指を咥えて眺めてるだけだったアーケードゲームもした。プリチャンのマイキャラはいつの間にか3人もいた。

高校大学学校選びはうまくいったので、非常に生きやすかった。それぞれが自分の中に大切なものを持っていて、他人に興味はあるが過度にありすぎず、どうしたら自分人生がなるべくおもしろくなるか?に各々が向き合っていた。まるでプリパラみたいだった。

働き始めると、プリパラ的な心持ちが全く意味を持たない場面が増えた。私の人生関係ある人の種類が一気に増え、へ〜この資本主義社会というやつは、いろんな気持ちで出勤してくる人がいるんだなと思った。

そんな中で、始まりそうで始まらないアドパラが少し始まりプリパラについて考え直すきっかけができた。もう最後アニメを観てから時間が経ってしまったので、細かいところは忘れてしまったけれど、プリパラ物語の大筋は4年間&アドパラのどれも、大きくてよくわからなくて理不尽システム改善を求める物語だったように思う。

プリパラ登場人物に悪役はおらず、敵のように感じる人は、ただこちらとあちらで考え方が違うだけとして描かれていた。その違いで衝突が起きたり悲劇が起きたりもするが、それら含めた1年間の大きな物語は最終的に「でもこんなことが起きちゃうこの仕組みって、システムって、おかしいんじゃないか?」という気づきに繋がり、「え、やっぱおかしいよね」「変えた方がよくね?」とざわざわしだして、「みんなで変えちゃおうよ!」になる。これはちょうど今の、社会ランクかけだし研究生の私に必要な励ましだった。

これから先、50年も100年も生きるかもしれないが、おかしいと思ったことにはおかしいだろと言い、1人でできないことは人を巻き込み、生きてる間はなるべく楽しく過ごす、そんな有象無象の中のある1人の"アイドル"に私はなりたい。森脇監督によると、プリパラ100年も1000年も続いてるらしいですからね。いつからでも目指せます

そらみ単独ライブも大プリパラ展も楽しみにしてます

I friend you!

2024-06-07

anond:20230925161339

おジャ魔女どれみクラスメイト個人的な悩みを解決してる平場の回が面白いのに、どうしても魔法使い界の危機を救う大きな物語の回が挟まれてきて、しかシーズン後半になるほどそういう回が増えてきて飽きる。どんなに危機を煽ったところでどうせバルディオスと違ってハッピーエンドだし

2024-02-17

anond:20240217184402

ダンジョン飯のイヅツミは作者が構想の段階、連載前から登場させることを予定していたキャラクターなのでダンジョン飯という大きな物語の中に最初から組み込まれている存在必要キャラなのだ

(と思う)。

今、大きな物語と書いたがダンジョン飯は大きい。

ある程度読み進めているなら理解していると思うがダンジョン飯は思いの外広がりのある世界観を持っていることを知っていると思う。

そして、その世界は巻数が進むごとにますます広がるし、そしてそれは単なる設定ではなく、大きな物語を描くための構成要素として活かされているのだ。

イヅツミがその中でどのような役割の担ったのか?それは読んでみて判断して欲しい。

2023-11-15

anond:20231113225309

きらら批判常套句「中身がない」とは、「強い物語性ではない」ということであり、そのこと自体作品として低劣ということにはならない。


ある作品で、登場人物死ぬとすれば、制作者は悲劇として、感動的な演出を施すだろう。見る者は感動し、涙を流すかもしれない。

しかし、それはある意味では暴力を受けたことで流した涙ではないだろうか。

人が死ねば悲しいに決まっている。それが心からの感動と言えるだろうか。

感動とは、あからさまな演出によって生み出されるものとは限らない。

誰かが死ぬ必要もなく、あらゆる困難を必死で乗り越える必要もない。何らかの試合を勝ち上がる必要もない。

きらら作品は、何かを成し遂げなければ人間価値はないという観念否定した、真に人間肯定した物語だった。

こうした物語を作るために、多くの漫画家は細心の注意を払ってキャラクター創造する必要があった。

何気ない描写を気に入ることができれば、それだけできらら読者としての立派な作品鑑賞であり、感動だ。

かにきらら作品に強い物語性のあるものは少なかった。しかしそれは悪ではない。単にそういう作品が好きか嫌いかという問題しかない。

「中身がない」とは大味な物語に慣れた者の麻痺しかないと言いたい。


ところで、近年のまんがタイムきらら組織レベルで、「中身がない」という意見肯定し、批判を乗り越えたということを定説にしようとしている。


「「かわいい女の子が出てくるだけだ」「読めるレベルではない」などと、ネット上でたびたび批判されていた」

「そんなイメージを覆し、現在の「きらら」は読み応えのある漫画を連発するに至っている」

https://news.yahoo.co.jp/articles/91bde76822f54bdad7f6fc68a5375aa384b2b494

漫画家ヒロユキ、今だから話せる「きらら黎明期同人誌制作秘話


――今では考えられないことですが、2010年前後までは「きらら」は漫画好きから蔑視されていた印象もありますよね

古口:そうしたイメージを覆す作品を立ち上げたいと思っていました。

https://realsound.jp/book/2023/03/post-1277885.html

ぼっち・ざ・ろっく!』担当編集・瀬古口拓也インタビュー4コマ雑誌きらら」の固定観念払拭する企画を出し続けてきた」


「中身がない」という固定観念払拭した代表的作品として、公式祭り上げたいのは『ぼっち・ざ・ろっく!』にほかならない。

ぼっち・ざ・ろっく!』には確かに物語が(比較的)あるし、登場人物の成長だってある。それは確かに重要な要素だが、問題は他にもある。

ぼっち・ざ・ろっく!』の作者・はまじあきと担当編集・瀬古口拓也は、近年インターネットにおいて当たり前の語彙となった、「陰キャ」という言葉を前面に押し出すことによって、多くの人の共感を集めることに成功したのだ。

何をもって「陽キャ」「陰キャであるかという議論を超えた、曖昧かつ乱暴な分類によって性格評価されることに人は慣れすぎた。

今や「チー牛」「弱者男性」という言葉いくらネット上で言い放っても、誰も怒らないし、誰にも怒られない。

これは「淫夢」や「ハセカラ」のような人権侵害コンテンツによって育まれた、感覚麻痺と考えることができるが、ここではこれ以上語らない。

いついかなる局面においても物怖じすることなくいられる人間などまずいない。

誰もが自らの陰気な心を自覚しているために、「陰キャ」という言葉を捨て去ることができない。

こうしてインターネットを超えてメディアでも当たり前のように用いられるようになった「陰キャ」という語を、『ぼっち・ざ・ろっく!』は目ざとく早くに見つけた。

(もちろん「陰キャ」が純粋ネット由来の言葉であるとは言っていない。ただ十年前の「インターネッツ」において「陰キャ」という言葉が今ほどに使われていただろうか?)

まんがタイムきららは、確実に存在して容易に解消することのできない劣等感を獲得することで、「中身のある」ものになれた。


まんがタイムきららは「中身がない」から乗り越えたことを定説化しようとしている。それはかつてのきらら作品否定だ。

現在きららは、かつての遺産を裏返すことで生まれ変わろうとしている。

まり「あのきららが今ではこんなに中身のあるものに変身している」ということだ。

ただしその手段が、「陰キャ」という借り物であり、上品とは言えないネットスラングの中から穏当なものを選んだに過ぎないものであることを忘れてはならない。

2010年代のきらら作品アニメ化ラッシュは、いつしか昔のこととなっている。

もはやきららに中身がなかったという記憶すら、かつてのアニメ漫画ファンにとっての認識として忘れ去られるのではないか

例えば今(またはこれからの)中高生が、「昔のきららはつまらなかったが今では面白くなった」という認識を実感できる保証はあるだろうか。

まんがタイムきららは、雑誌という全体のレベル大きな物語を作り上げていったわけではない。

あるいはこれからきららは新たな方向へ進み、さらなる成長を遂げることができるかもしれない。

ただしその体力はどれくらい残されているだろうか。

まんがタイムきららからアニメ化の発表が絶えてどれほどの時が経っているだろう。

今もまだアニメ放送されている『星屑テレパス』は、どれほどの脚光を浴びるだろう。

いずれにしても、仮に中身がなくとも良い作品だと感じることが読者がいたことは、もう過去ことなのだ。

2023-07-09

[]7月9日

ご飯

朝:なし。昼:チャーハン。夜:くるくる寿司。間食:ポテチ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみん。

○ 超探偵事件簿 レインコード

・はじめに

ダンガンロンパシリーズで有名な小高和剛さんが6年間作り続けてきたらしい完全新作ADV

雨が降り止まない街カナイ区を舞台に、超常現象的な能力を持った超探偵達と様々な事件解決していく。

ADVだがカロリーの高い作りになっていて、街を自由に歩き回ったり、3Dキャラクタが演技をしたりと、ゲーム的な表現映像的な表現豊富に楽しめる。

あくま主体文章なので、じっくり文章を読みながら自分の中で咀嚼していくパートもしっかりある

同社のAI: ソムニウムファイルシリーズでは3Dの演技が小慣れていないというか、演技で表現できないパートではカメラキャラから外して文章に寄る表現で補足するような少し不自然パートが多かったのだけど、レインコード文章と演技をしっかり擦り合わせていて、そのような不自然カットがなく、3Dキャラクタの演技と文章表現がしっかりと融合していた。

(念のため補足するとAI: ソムニウムファイルシリーズライターの癖の強すぎるギャグパートがあまりにも多く、かつそれが本編といっさい関係がない上に、そのギャグシーン一回のためだけに3Dモデルを作ったり、キャラに演技をさせるのがあまりにも大変すぎて、それが表現されたか別にプレイヤーが楽しめる訳でもないので、あれはあれで良いと思っていますEver17から続くこめっちょパートそもそもの是非は置いておくけども)

この文章と演技の融合はかなり力が入れられていて、2Dイラスト豊富に使うのではなく、3Dモデリング豊富に使う方向へ進化したADVの形としてかなり満足度の高いボリュームクオリティも抜群の素晴らしい出来だった。

・魅力的がすぎる超探偵

ゲーム開始早々からこの贅沢なゲーム部分、それと超探偵達のキャラクタの魅力さが両輪となってレインコードは進んでいく。

探偵とは現実離れした超常現象じみた能力事件解決に活かす探偵たち。

主人公のユーマは彼らと協力しながら事件解決していくのだけど、この超探偵たちが全員可愛いし格好いいしで最高。

この超探偵能力事件解決する前提として利用されるもので、それぞれの探偵達の能力はかなり早めに共有される。(公式サイトにも書いてある)

どのキャラエピソードが進むごとに明らかになるネタバレ注意的な展開が多いため、あまり個々人の良かったシーンなどを詳細に感想を書くのはやめておく。

簡易に少しだけ紹介すると、時戻しという世界干渉するチート級の能力者でありながら世間知らずで無知な様が可愛いフブキが僕は好きになった。

上述した通りカロリーの高い3Dモデルでの演技と、しっかり読み応えのある文章キャラクタを本当に魅力的に表現してくれる。

捜査が本格的に始まるまでの僅かな時間でまずは超探偵との交流パートがあってから事件に挑むという構成になる。

この交流パート、それと捜査パートでの会話の応酬が短いながら過不足なくしっかりとキャラの魅力が伝わってくるものになっていて、この辺はダンガンロンパシリーズで出席簿会話のあの短さの中で瞬時にキャラを立てて、プレイヤーキャラの魅力を伝えてきた小高さんらしさを強く感じた。

そこに加えて今作では3Dモデルの演技もキャラの魅力を引き立てていて、胸や太ももがムチムチな様が可愛いフブキが僕は好きになった。

この魅力的な超探偵達と力を合わせるからこそ、主人公二人も輝く良い循環が楽しめる。

・ユーマと死に神ちゃんの分かち難さ

記憶喪失見習い探偵のユーマと、彼に取り憑いた人魂幽霊死に神ちゃんコンビ主人公となる。

探偵達に負けない魅力があるのは勿論ながら、なんと言ってもこの二人の分かち難さが大好き。

ユーマは記憶喪失なため探偵としての能力は今ひとつ死に神ちゃん死神なので死体に関する捜査はお手のものながら探偵ではないので推理は苦手。

そんなわけで、凸凹というよりは凸凸とか凹凹のような割と似たもの同士のコンビ

ユーマも突然人魂に取り憑かれているため彼女のことを信頼できるのか悩む上に、彼のことをご主人様と慕いつつも残酷死神としての責務を真っ当する人間とは異なる倫理観死に神ちゃんに振り回され続ける。

死に神ちゃんはユーマ以外とは会話もできないため、彼らのシーンは二人っきりが多いのだけど、本当に少しづ距離が近づいていき、バディとして成長していく。

ミステリとは探偵役と助手役のイチャコラを楽しむ要素もあるけれど、この二人のそれは本当に分かち難く、二人が二人だからこそ、レインコードオリジナリティを感じさせられるシーンがたくさんあった。

・良い意味でも悪い意味でも贅沢な作りの謎迷宮

そんな死に神ちゃん能力、謎迷宮

かなり複雑な設定なのでざっくり要してしまうと、発生した事件の謎を遊園地のようなアトラクション満載のミニゲーム集に具現化する能力

容疑者目撃者証言証拠を剣にして戦う推理デスマッチや、犯人防衛する謎の城を巨大化した死に神ちゃんに乗って攻める大進撃死に神ちゃん、などかなり多くのミニゲームが遊べる。

正直、ここはかなり賛否が分かれると思う。

とても贅沢ななんだけど、ここのパートは正直その贅沢さが面白さに寄与していない。

それどころか、ロード時間が長すぎて不快に感じることも多かった。

おそらく遊んだ人誰もがツッコミを入れたくなる、謎迷宮という名の一本道をただ歩くパートはかなり虚無感がした。

事件の謎自体は魅力的だし、証拠証言からトリックを暴いていく基礎の部分は面白いのだけれど、それをこうしてミニゲームで遊ぶのはちょっと違うかもだなあ。

ミニゲームが本当にミニゲームになっていて、謎解きやってる感が薄いシステムが多いのも、良くない点。

それぞれの事件の謎を解き明かす解決パートになるのだから、もう少し自分が謎を解いている感覚を楽しませて欲しかったなあ。

この謎迷宮でそれぞれの事件解決しても、あくま犯人とそのトリック主人公のユーマが理解するだけで、死に神ちゃんと二人で議論していただけのように思えてしまうのもしっくりこなかった。

とはいえ事件の謎を理解することで、もっと大きな物語が見えてくる構成面白かった。

迷宮のその先にも謎がある。

・カナイ区の物語

幾つかの事件解決していくと、徐々に縦の筋となる今作の舞台カナイ区に潜む謎が見えてくる。

街そのものに潜む特大の謎解きはかなり衝撃的で痺れる熱い展開が待っている。

その展開そのものについても感想を書きたいが、流石にまだ発売一週間でそこまでネタバレを書くのもどうかと思う。

なので、少し目線を変えて、何故僕がこの謎解きをこんなにも魅力的に感じられたのかを書きたい。

それはレインコード3Dマップを探索しながらお使いイベントをこなすサブストーリーも楽しめるゲームだったことが大きく寄与している。

舞台となるナカイ区はずっと雨が降り続けている奇妙な街で、そこを大企業アマテラス社が一方的かつ暴力的支配している。

アマテラス社に近しい人間理想的生活を送っているが、彼らに反抗的な態度をとっていると乱暴なことをされてしまう。

そんなカナイ区を自由に探索できるのだけど、ここの作り込むが本当にすごい。

ただ町並みが作り込まれているだけじゃなく、依頼というサブイベントを通じて、カナイ区とそこに住む無辜の人々を好きになっていく。

ここにも短いテキストキャラの魅力を伝える小高さんの特徴が生かされている。

勿論、超探偵達とコンビを組んで挑む本丸のメインストリーからもこのカナイ区のエピソードはいっぱいあるのだけれど、サブイベントを遊ぶことでより一層カナイ区を好きになれた。

僕は全てのサブイベントをこなしてからクリアしたのだけれど、これは大正解だったな。

クリア後にまとめて遊ぶとダレるし、何よりカナイ区にまつわる謎解きに際にきっと悩まなかったと思う。

今作のテーマを十分に楽しむためには、舞台となるカナイ区を好きになれた方が良かったんだろう。

探偵真実を暴くことの是非を問う

そんなわけで、謎迷宮以外は褒め続けているレインコード感想だけど、一番楽しめたのは今作のテーマ

引用でなく自分言葉で書くと「探偵真実を暴くことの是非を問う」がテーマだと僕は感じた。

今作の事件はどれもトリック犯人を暴いたその先にまだ物語が残っている。

動機と言ってしまうと十分じゃなくて、本格ミステリでいうホワッツダニットもののような展開だ。

この謎解きの先を用意している展開、そして探偵をもその謎解きに組み込むような自己言及的な自覚のある展開。

それを個々の事件を通じて学んでいく、最終的に大きな縦の線となって問いかけられる。

(後期クイーン問題と評する人もいるかもかな)

探偵真実を暴いても良いのか? 真実にどれほどの意味があるのかを。

探偵という超常現象を用いてまで謎を解かなければいけないのか、ユーマは何故記憶を失い死に神に取り憑かれているのか、謎迷宮では本当に謎を解けているのか、そもそもナカイ区の人々は真実を求めているのか。

今作の魅力的な部分が全てこの一点に集約されていく。

そして、ユーマと死に神ちゃんのバディが二人だからこそ辿り着ける結輪。

レインコード面白かったです。

・さいごに

探偵とは? を問い続けることで、二人の主人公が出した結論を尊く思い、レインコード終わらないでくれ、もっと遊びたい、俺はカナイ区に住む、ユーマと死に神ちゃんをずっと見ていたい。

そんな読者として色々な気持ちをいっぱい感じることができた本当に楽しいゲームだった。

続編がもしあるなら、ユーマと死に神ちゃんとまた会える日を楽しみにしている。

まずは毎月配信される超探偵達の番外編DLCを楽しみに待とうと思う。

2023-07-04

anond:20230703220445

昔はJASRAC規約で5分超えると2曲分もらえたので、ダラダラ長くするために大きな物語になっていた。今はストリーミングで30秒聞いてもらえないとカウントされないので、切られないようにとにかく詰めてロケットスタートかまさないといけない。

売り上げ下降は大衆文化パイが減ってるのに取り合う人が増えてるだけ。シティポップだってランキング海外チャート上位独占って話じゃないでしょ、ストリーミング対策の中身が詰まった曲だけでは満足できない音楽好きに引っかかってるだけじゃないの?

2023-01-22

SFは好きだけど、SFに出てくる仰々しいギミックには興味がない

私が読みたいのは、大きな物語というか、今までに見たことのない驚きのある結論を持つ物語であり、

SFというジャンルが好きなのも、物語フレームとして、そうした驚きある結論へのシラバスとなりやすいからというだけ。

から、そこに登場する仰々しいギミックには、そうした結論への素材以上の興味が持てない。

数学書でいうところの、レンマ補題)くらいの興味しかない。

それは、大きな定理を導く一過程しか過ぎず、その導出の自然さに納得したら、あとは忘れてしまうようなもの

から数学書はなるべく短い方が読みやすいように、SFも「オッカムの剃刀」的に、ギミックは少ない方がむしろ好み。

同じ結論をもたらす物語なら、ギミックが少ない物語の方が読みやすいわけであり、個人的には素晴らしいSFだと感じる。

あと、キャラクターについてもそう。

大きな物語のためなら、別にキャラクターはどんな目に合っても構わないと思っている。

(それは逆に、物語コミットしないキャラクターの悲哀は描かない方がよいと個人的には思っている、ということでもある。)

なので、キャラ萌えとかは、個人的にはよくわからない。

キャラクターは、驚きある結論に仕える舞台装置しか思えないので、先の仰々しいギミックと同じ意味で、興味が持てない。

ギミックキャラクターも、面白い物語を成立させるための具材しかないと、個人的には思ってしまう。

それゆえ、自分でもこうして、増田などに自分で考えた文章を多々投じているのだが、毎回、ギミックキャラクターが無い文章を書いているなぁと思う。

ただ、それでもある程度はブックマークしてもらえるので、そこを見直そうという意欲は薄いのだが、

そこを押さえたら、もっと幅広い人に読んでもらえる文章になるんだろうなとは思う。

なので、今年はギミックキャラクター舞台装置以上の興味(好奇心愛情というのか)を持って、文章を読んでいきたい今日このごろ。

いつかは、こういう散文でなく、流れある小説を書いてみたいと思うので、そういうところも押さえいくようにしたい。

2022-12-08

anond:20221208104654

統一教会に関しては、「戦後東西対立、対共産主義のための政治宗教の結びつきが、元総理の孫の代で宗教2世による復讐という形で表面化した」というストーリーが成立すると思う。

現在日本が抱えている大きな課題現在進行形の物語と言えるから、「少子化問題海外移民の受け入れ是非」「経済的な縮小、先進国からの脱落とその先」「国内での静かな対立激化」のような事象大きな物語になり得るんじゃないかな。

日本の「大きな物語」ってなんだ?

日本テロだのクーデターだのが起こるほどの大きな物語、あるのかな

オウムみたいに自分らで大きな物語を作った奴らはいたけど、すでに社会存在している大きな物語をかけてのテロは起こりうるのか

たとえば白人至上主義という大きな物語を見ていたやつは黒人教会テロを起こした、Qアノンやそれに付随する物語をみてた奴らはトランプの号令で議事堂襲撃、そしてドイツクーデター未遂

安倍暗殺されたけど、あれはテロじゃなくて怨恨だしさあ

2022-11-11

anond:20221110214353

サブカルリベラルだって連中が罹患する病だな

んで、大抵の場合、【差別とは社会存在する構造的なものを指す】と切断する

そうでないものは、区別だと

からオタク偏見から犯罪者予備軍と切って捨てても、それは差別ではないし、悪い事でもないが

被差別者偏見から犯罪者予備軍と切って捨てる事は許されざる巨悪となる、差別から

差別から差別しちゃいけない

みたいな事を平気で言う

結果生み出されるのは

シーライオニング

マンスプレイニング

ご飯論法

ウイグル論法

みたいな定義

「僕の事は問題にするな、大きな物語を話しているのだ、話を逸らすな」と自分に目をつぶる

BLMともなれば、その暴動は抑圧の反動、致し方ない犠牲被害報告した人を晒上げ

その晒上げた同じ口で、いかなる暴力も許されないと嘯く



ルッキズムに反対し、女の若さスタイル、胸の大きさで評価されることを唾棄しながら

イケメンを消費しキモオタが「外見によって」嫌われるのをヨシとし

それを「最低限の身だしなみ」「清潔感」などと正当化する



世間はそういうクズの集まりから何も気にせず忘れて生きるか

自身正当化して赦すために

宗教思想的な党派も含む)で「正しく」なるか

好きに選べ

2022-10-30

ディテールにこだわるのがいわゆるオタクだったはずだが、大きな物語に巻き込まれているように感じる

それでいいのかな

オタクにおける中庸あるいは保守とは

2022-08-14

anond:20220814234726

なんか普遍的神話ベース大きな物語を語らずにマーケティング表象戦車×女子高生競馬×女体化戦艦×女体化、みたいな表面的な掛け算で細分化して切り取ったマーケットから製作費回収できればいいや、みたいなの

そりゃ石油自動で湧いてくる土地でも持ってないとそんな道楽はできんだろ現代では。

anond:20220814233201

それがつまんないんだよな。なんか普遍的神話ベース大きな物語を語らずにマーケティング表象戦車×女子高生競馬×女体化戦艦×女体化、みたいな表面的な掛け算で細分化して切り取ったマーケットから製作費回収できればいいや、みたいなのってなんかショボくね?やっぱり手塚治虫にしても宮崎駿にしてももっと大きな絵を描いていたんじゃないかな思えるので偉大と言われるんだろう。

2022-07-09

安倍襲撃事件を考える(雑味あり)

お前ら政府自民党に騙され過ぎだよな

安倍を殺した犯人安倍広告塔をやっていた統一教会によって彼の家族

破壊されたか統一教会 安倍を殺しに行ったんだ。つまり単なる復讐戦として安倍を殺しに行ったわけ。

(その殺人行為自体は全く正当化できない)

しか政府自民党はこの事件を最大限利用して「安倍の死(殺人)=民主主義の敵」と説明して

与野党わずすべての政治勢力と多くの国民がそれに同意してしまったんだ。

それが今回はかなりヤバイ

政府自民党統一教会に対する復讐戦であったに過ぎない彼の安倍への殺人行為

民主主義へのテロ行為」と結論づけてその大きな物語安倍に対する復讐殺人

政府自民党への支持を増強させるため最大限利用した。

まりこの安倍襲撃事件政府自民党は自勢力拡大を目論見

最大限プロパガンダとして利用しているのだよ

NHKからすべてのメディアもすべての政党もみーんなグルなのか

政府自民党だまされているのか知らないけれど、、、

安倍礼賛報道安倍襲撃犯人民主主義の敵でテロリストだというプロパガンダシナリオ通りじゃないか

お前ら目をさましたほうがいいぞ。

anond:20220709042254

犯人属性絶妙で、右巻きの人は「左翼ゲリラ思想犯卑怯にも襲撃に及んだ」にしたいけどできないし、左巻きの人は「元自衛官転向して保守に逆襲した」にしたいけどできない。

事件性質から、どうしても大きな物語を求める人が多いけど、もしかしたらとても小さな、パーソナルな動機、「家族自分破壊された復讐」なのかもしれない。

そうだとすると、分かる、同情できてしまう、という人も多くなるので、その共感してしまうかもしれない犯行理由を、半ば認めたくない。みたいな。

2022-03-26

進撃の巨人安心して読めると言う人を批判するお前らへ

毎回恒例のことではあるが、フェミニスト系の話題議論が白熱している。

私の立場基本的過激派フェミニスト連中(通称ツイフェミ)による表現規制の流れに反発している立場だが、今回の騒動は青識亜論含む反フェミニスト陣営の方がどう考えてもおかしいと思ったためなれない増田で書かせてもらう。

まず、主張を整理するためにおそらく今回の騒動の発端となったであろうツイートから紹介したい。

この下に続けて2つほどツイートが連なっているが概ね、進撃の巨人男性に媚びてない感じがして安心して読めるといったような内容である

ここで注意しておきたいのは、この感想あくま個人主観に基づく感想であり、このスイ氏は「だから他のも漫画進撃の巨人のようにしなければならない」や他の男性に媚びている漫画規制すべきだというような表現規制問題に立ち入っていないということだ。

もしこのツイート表現規制問題言及しているならば、主観に基づく規制として批判されるべきだろうが、そうでない限りただの一介のオタク感想ツイートしかない。

極論私が「たこぴー、鬱漫画だけど最後ハッピーエンドで超すきー!!!」といっているのとなんら変わらない。

しかしながら、この本来批判されるべきでないツイート現在ネットを騒がせているのは反フェミ派のへりくつのような批判存在しているかである

一例として以下のようなものがある。

これを読んで私は何言ってんだこいつしかならなかった。個人感想ツイートケチをつけるのはまあいいとして、その感想に対し共感する能力を持ち合わせていないかである

この人は本当に進撃の巨人安心してよめる感覚の人がいることを"想像"できないのだろうか?

もし感覚がわからないという人がいるのであれば以下のようなパターンだとより身近に感じられるのではないか

「私が学生時代ジャンプを買っていたころ、ToLoveるという漫画が連載していた。Toloveるは上で言うところのラッキースケベ代表格のような作品であろう。

ただハンターハンターなど他作品リビングで堂々と読んでいたが、Toloveるをどうしても親の前で読むのは躊躇していた。女性の裸体やラッキースケベ描写思春期自分にとってはとても気恥ずかしいものだったかである

これに対し、いやハンターハンターの方が人が死ぬシーンがあるからより親の前で読めねえだろ!というツッコミをする人間はいないだろう。

安心して読めるを評価するのに、グロさとか生死に直結するシーンがあるとかそういう尺度で考えるのがそもそもナンセンスなのである

こういうよくわからない対比構造を持ち出してこっちの方が安心できるだろ、そうでなきゃおかしいと言っている人間の方が理解できない。

似たようなものに以下のツイートもある。

繰り返しになるが、発端が個人感想ツイートなのだから、「感想は人によるよね」でいいのである。それを一つの評価軸におとして万人がそれに当てはまるように考えているかおかしなことになる。

当然先の青識氏のツイートには批判が多く付いたが、それに対してはこのようなツイート投稿している。

いやちゃん説明しているのあるだろ!それ読めよ!

このツイートに対するリプや引リツにも、罵倒嘲笑を含まずに丁寧に説明してくれているようなツイートがあるのだが、彼はガンスルーである


自己の単なる好悪の感情にすぎない」

少なくとも元ツイのスイ氏はそれを認識しているし、この言葉は誰に対して言っているのか正直よくわからない。

まとめるが、私は今回の騒動個人感想ツイートに対して、勝手表現規制していると決めつけて攻撃しているようにしか見えなかった。

もしスイ氏の感想ツイートをツイフェミvs反フェミという対立構造に無理やり仕立てて、攻撃しているのだとしたらそれこそツイフェミ批判する理屈である表現の抑圧」を、反ツイフェミ派がしていることになる。

ツイフェミ批判したいのであれば、まともな感性分別を持って批判すべきであり、批判側も過激派と同じ土俵には立ってはいけない。

青識亜論氏のような反ツイフェミ派を支持するのは構わないが、「担ぐ神輿は選んだ方がいい」と言いたい。

2022-01-26

anond:20220126104522

要するに、そのIP提供する「大きな物語」に参加するためにコンテンツに触れる感じよな。

今時のコンテンツゲーム漫画アニメノベルアイドルなんでもそう。

からSNS大事だしリアルタイム性(流行)も大事

2021-09-11

川崎のかなまら祭の危機

川崎奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクチンコ神輿が有名なやつだ。

あのピンクちんこ奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統危機だ。

 

女装クラブエリザベス奉納した神輿だった

あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋新宿にあった女装クラブエリザベス奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料奉納して金山神社を支えていたと思われる。

このエリザベスはアント商事という会社運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。

 

下着商社だった

アント商事は元々女性下着商社だったのが、どうも通販下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。

 

商事はこれはニッチ需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学安定的生存圏って意味だよ。

しかもこのニッチ下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。

そういう判断1979年エリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。

 

ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。

 

学生運動70年代から民俗学の隆盛

金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。

んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語マルクス主義が萎んだあとに小さな物語日本伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄いい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。

当時の金山神社宮司民俗学インスパイアされ、自身神社の昔の姿、江戸時代伝統的な祭り再現しようとした。特に性的信仰っていうのは明治以降国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避ナンセンスだ。

それで大根男性器、女性器、いやそんな言葉忌避はしちゃいけないな。ちんこまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現民俗学表現からあしからず

 

エイズ疫病退散としてのスポンサーリング

1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。

そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿寄付ってわけやね。

あの屹立するピンク怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿オフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密趣味っていう暗さもある。

んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。

因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。

 

男の娘ブームに押される

15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。

しか男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。

因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。

 

そういう情況エリザベス運営会社のアント商事2020年2月廃業してしまった。コロナ最初期だ。

祭もコロナ自粛

一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察道路使用許可出してくれないからな。

 

なので同社廃業ピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。

 

って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。

あと、他の男根神輿は健在だからちんこ消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。

 

最後にお詫び

なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。

最後に、はてな事務局諸兄には民俗学必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題クリックバイトになった事をお詫びしたい。

どうもすいまんこ

2021-09-04

結局人間幸せってさ

価値観の近い人間しかいない空間で過ごすことなんだと思うよ。

大きな物語があって社会全体がそれを共有してる時代ならいざ知らず、価値観多様化した社会自分と相容れない人間の考えを日々見たり聞いたりしながら生きるのは苦痛なんだ。

から人々はSNSでも自分に都合のいい意見けが入ってくるエコーチェンバーに閉じこもり、自らの価値観を脅かすものを見つけると必死になって攻撃する。

それよりは最初から分化されて外の情報が入ってこないコミュニティに過ごす方が平和かもしれない。

なんかカルト宗教みたいだけどオンラインサロンとかそんな感じなんだろうな。

2021-07-30

anond:20210730182607

それは当然で日本貧困化しているからと、文化的処女地がなくなってきてるからだよ

神話共通無意識ベースにしたスケール大きな物語を紡げるクリエイターがいない

(当然ギリシアローマ北欧ナバホアステカ・・・インプット教養量も昔の人の方が多い)

手塚治虫富田勲宮崎駿ももう2度と出てこない。

一方で平和享受しているので最近オタクアウトプット量は多い。

そこでキャラ付けとか細部の意味付けとかが同じ小さなクリシェの中で袋小路的に

発達する。ツインテールヤンデレ巨乳から、とかニーソのボブの貧乳から、とか

で3角関係LGBTが彩りとして加わるようなスケールの小さい話ばかり。

たまに進撃の巨人みたいなうわびっくりした級の漫画とか出てくるのがまだ救いだけど。

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