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はてなキーワード: 行きて帰りし物語とは

2024-03-11

君たちはどう生きるか」を理解できないと言ってる人は逆に他のジブリ理解できてるのか?

君たちはどう生きるか」なんて変にうがった見方※(後述)をしなけりゃ普通の「行きて帰りし物語」でしないよね?

戦争が若干ノイズになってるけど、基本骨子は「はてしない物語」や「黄泉平坂(古事記)」と同じだって気づけば、どういう物語として見ればいいかは明白じゃない?

これが複雑に見える人って他のジブリ映画もアレコレ考えまくって見方を見失ってない?

もののけ姫」や「平成狸合戦ぽんぽこだって物語の大筋自体冒険譚だからね?

その冒険譚の中で自然人間対立について問を投げかけてはいるけど、それと物語自体は別のレイヤーにあるものであって、ごたまぜに混線させて考えるようなものじゃないけど大丈夫か?

ナウシカ」が人類の愚かさと滅びと愚行権を描いていようが、映画ストーリー自体は優しくて勇敢な姫様のおかげで世界は救われましためでたしめでたし以上でも以下でもないぞ?

人伝に聞いた高尚な見方意識しすぎて、最初の1回目は素直に物語を受け止めようって気持ちがなくなってんじゃないの?

しかにまあ「コクリコ坂」だの「思い出のマーニー」なんかは全体として退屈で、あまりに暇だから一周目からその奥にあるモチーフ探しが始まったりしてもおかしくなかったが、君生きは序盤ちょっとスローなだけで中盤以降はストーリーにだけ集中しても全然楽しめるぐらいの映画だったろ?

なーんか変な見方する癖がつきすぎてるんじゃないの皆?

鳥の羽ばたきの作画がヤベーとか、木材バラバラカットが全部手書きとか狂ってるとか、そういうのを単純に楽しんでりゃいいだけなのに、宮崎駿遺言探しでもやってたんか?

そんなのは金曜ロードショーに来た時にでもツイッターでやってりゃいいんだよ。

一回目は普通アニメとして楽しめっての。



※変にうがった見方の例「塔はスタジオジブリ」「インコジブリアニメーター」「インコ大王は例の映画監督」「ばあやは宮崎駿師匠世代アニメーター」「鳥は鈴木

2023-07-18

君たちはどう生きるか」で語られている内容は古事記にも書いてある。 わざわざ宮崎駿人生ジブリを持ち出す必要はない

一応言っておく。

ちょっとネタバレするぞ?

するぞ?

ちょっとだけするぞ?

日本における最古の『行きて帰りし物語』とされる『ヨモツラサカへの旅』がこの作品の骨子(ベース)だと思う。

元ネタというよりも「とりあえずこれを背骨にしてここに肉と別の他の骨もつけてこ」みたいな感じ。

いきなりジブリベースで読み解いてしまうと「ヒミ様ってなんで火属性なの?」という所で、「炎上メタファーでは」「本能寺の変モチーフ。君たちは宮崎駿の敦盛」と意味不明な方向に考察がすっ飛んでいきかねない。

モツラサベースであれば、「母親が火で死ぬから物語が始まっているのは、カグツチを産む所から物語が始まるヨモツラサカへの旅そのままじゃないか」となるからこの辺の混乱は少ない。

開いてはいけない産屋だったり、母親が帰れと言うのとかも、ヨモツラサベースあるあるだなあでまずは終わらせてそれからじっくり考えようと思えば地に足をつけて考えられる。

小学生低学年ぐらいの子は仕方ないにしても、高学年ぐらいだったら日本の歴史として「イザナギイザナミがいたという設定があって、イザナミカグツチファイヤー自爆して死んでまあそこから色々ダークファンタジーじみて来たんすよ」と授業で習っていると思うし、子供もついていける内容だったのではと。

宮崎駿最後物語に選んだテーマとして古事記に挑戦ってのも、ラスボスのチョイスとして納得感はあると思う。

いや本当、この「ヨモツラサカ」解釈って全く大発明感がないというか、「素直に見てたら普通に分かるよね?」と俺は思ってたんだよ。

でもネット見たらビックリした。

誰もその話しないでひたすら「後継者争いがテーマ主人公宮崎吾朗」「インコテレビ局社員」みたいな考察ばっかが飛び交ってるんだもの

いやいやもっと普通の所から取り掛かろうよ。

マジでこの内容は古事記にも書いてあるから

「こんなオタクしか伝わらない映画やっちゃってさ―」じゃなくて、中学生以上なら皆知ってる内容がベースから

なんかもう変な方向に進みすぎだよ最近映画感想

他人より凄い感想を言おうみたいな意識に凝り固まりすぎ。

自分が素直に思ったことを言おうぜ。

じゃあ俺から言うよ。

作画は凄かった。

ストーリーマジで普通

ばあちゃん妖怪すぎてちょっとキモかった。

地球儀歌詞が何を歌っているのかがふんわりしていて掴みきれなかった。

2022-07-09

表現規制は「行きて帰りし物語」を促すか?

例えば、表現規制が、過酷環境にある私達の物語を正確に描画することを阻む。

から物語は過剰な戦闘だとかあり得ない異世界だとかに逃げてしまう。

それらは満足できる興奮を与えてくれるけれど、それらと同様に物語になれるだろう過酷な私達のリアルを描いてくれない。

から、私達は物語を次から次へと漁り続ける。

過酷環境にある私達のリアルを描画し、あわよくばそれを幸せに導く物語を求め、漁り続ける。

から、私達は物語から抜け出すことができない。いつまで経っても、物語から帰れない。

私達が物語の中で成長し、その過酷リアルを超越した姿で戻ってくる「行きて帰りし物語」は、いったいどこにあるのだろうか。

表現規制された世の中では、過酷環境にある私達を描く最後意味での「物語」は存在しないのだろうか。

いや、世の中の人々は、表現規制をむしろ行きて帰りし物語」の実現のために行使しているのかもしれない。

まり、人々は表現規制を、ある種の映像作品におけるモザイクのようなものだと考えているのかもしれない。

表現規制によって、物語描写曖昧ものになる。

私達は、これはリアル表現でないと感じる。

そこで人々はこういうのだ。

「これはリアルではないのだ」、と。「早くリアルに帰ってこい」、と。

そうやって、物語を無理やりにでも卒業させるために、不十分な形でしか物語を描けないよう、表現規制をかけているのだ。

過酷環境を生きる私達の物語は、そこには無いのだと言い切るために、物語自体に足かせを嵌めているのだ。

しかし、それは間違っている。

そのやり方は、マンガを捨てて勉強をさせようとする親のようなものだ。

そんなやり方で、子供勉強をすると思っているのか。

しろマンガへの執着が残るだろうことがわからないのだろうか。

から、私達はそんな規制の中でも、過酷環境を生きる私達を描く物語を味わいたいのだ。

規制して簡単に味わえないのであれば、いつまでだって物語を漁り続ける。

そう、リアルを捨ててだって漁り続ける。

まり物語から卒業には逆効果なのだ

世の中の人々にはそれがわかっていない。

私達に物語から卒業を促すのならば、むしろ表現規制などしてはいけないのだ。

私達だってリアルを捨ててまで物語を漁り続けたいわけじゃない。

抜け出せないのは、過酷環境を生きる私達を描く物語を、そのリアルを示す十分な表現によって味わうことができないからだ。

味わいさえすれば、私達は過酷リアルに戻ってくることができる。

そもそも物語とは元来、そういうものではなかったのか?

行きて帰りし物語」を十分に味わい、人々を過酷リアルに帰すものではなかったのか?

どうして、物語を通しての私達の成長を、そしてその物語からの帰還を、それまで待っていてくれないのだろう。

から、私達は物語から抜け出せない。リアルを半端にしか生きることができない。

(終わりまで書いて思ったが、以下で使う「表現規制」という言葉は、もしかすると適切ではないのかもしれない。

物語の十分な表現を阻もうとする何かのことを、今回は「表現規制」と呼ぶことをご了解いただきたい。)

2022-05-28

過酷運命さらされた人間が、あえてその運命を受け入れる物語を読みたい

いくら物語を読んでも満たされない。

物語という安寧な仮想空間から抜け出し、現実で着実な歩みを進めるために、そういう物語を読みたい。

あえて現実という過酷選択できるように、そういう物語を読みたい。

そういう意味での「行きて帰りし物語」を読みたい。

もっと正確に言うなら、「アルティメット物語」が読みたいのだ。

この物語を読んだら、もう他の物語を読む必要が無いというレベルアルティメット物語を。

最高に面白いかどうかではなく、物語というものを二度と欲することが無くなる、という意味アルティメット物語を読みたい。

それが例えば、現実過酷を受け入れる物語でもいいということだ。

何らかの意味アルティメット物語であればそれでいい。

そのような物語がこの世の中に存在するなら、今すぐに入手して見て読んで、物語世界からいち早く卒業したい。

そうして物語世界から卒業したら、繰り返しになるが、今度こそ社会でしっかり生きていこうと思う。

まり、例えば仕事とか家庭とか下らない物事に、物語の織り成す幻想に逃げずにちきんと向き合いたい。

社会のつらくて些末な事象に正面から向き合うために、その邪魔となる物語と訣別したい。

から、私が現在入り浸る物語世界から行きて帰りし物語」として現実に復帰できるアルティメット物語を読みたい。

2022-04-09

行きて帰りし物語のために、表現規制必要とされる

ある個人が満足できる物語は、他人との語りを不要とさせるため、社会とのコミュニケーションを阻害する。

そこで社会は、そういう物語が成立しないように表現規制をかける。個人の満足は社会にとって意味の無い概念なのだ

そして何より、表現規制を辞めさせるためにその人は社会に対して発言しなくてはいけない。

これが表現規制による二重の効果であるわけだ。物語の不成立、そして社会へのコミットメント

これらが、社会表現規制を呈するメリットとなっている。

2022-02-05

anond:20220205025207

異世界成功と安住の世界でなく、結局は失敗と成長の場となり現実に戻る「行きて帰りし物語」の方が、道徳規範として好ましいと思う。

まり、読んだあと、現実逃避を辞める方向に働くという点で「行きて帰りし物語」としての異世界生モノは、社会にとって好ましい。

まあ、その方向だと、異世界生モノ道徳めいて人気が出なくなるのはわかる。

しかし、それでも社会効果として、そういう方向の物語が増えてほしい。

2022-02-03

anond:20220203083806

それらの大半は

日常から異界に行って冒険や試練を経て成長して日常へと戻る「行きて帰りし物語類型になってるけど

今の異世界モノは日常を捨てて異世界エンジョイが基本だからなあ

劇場版ドラえもんと、もしもボックスのび太くんは都合のいい世界を作ってしあわせに暮らしました<完>

との違い

2020-09-20

anond:20200920032658

オッ 行きて帰りし物語増田じゃん。

総論には賛成だけど、フェミニズム社会のものとは無関係ってのはどうかな。

物語ばっかり読んでいてはいけない」って要するにモラルだろ?

フェミニズムや各種道徳的思想社会のなかで蔓延して同調圧力を持ったときに、市民の心にモラルとして内面化されるんじゃないか。親の叱りだけが原因ではないとおもうぜ。女性を雑に扱うキャラクターが悪役として書かれる、そういう表現フェミニズム価値観による要請が形をとったものだと言える。

anond:20200919212538

下記の増田で書いたけど、「表現規制」は、フェミニズムだとか個々の思想リクエストというよりは、社会のものが求めてるんだと思うよ。

物語うつつを抜かす奴らを、何でもいいからとにかく難癖つけて、現実に引き戻そうという教育ママ的な社会要請が、「表現規制」というメタフィールドからの「行きて帰りし物語」という形を取っているんだと思う。

社会では、物語に耽溺してる時間があったら、その時間分だけ、労働や家庭活動など社会に役立つ行動をしろと思われているわけで、

物語という無駄存在から人々を引き剥がす「表現規制」は、その個別具体的な内容に関わらず、社会では、方向性として正しいもの認識されてるんだと思う。

から要は、「表現規制」って「マンガばかり読んで!」という親の叱りを社会化しただけなんだよね。フェミニズムとか個々の思想は単なる理由付けであって、それを敵視しても全く意味がない。

から、「正しい物語」の不当性を述べる増田方向性筋違いに感じる。物語が「正しい物語」を目指しても目指さなくても、そういう理由で「表現規制」は全く止まないと思う。

そうじゃなくて、物語自体が「行きて帰りし物語」の構造を取り戻す、つまり物語一時的な甘えとして表現し、永続的に物語を読むような人間にさせない構造を取り戻すまで、「表現規制」は続くと思う。

読み終わった時点でその物語から離脱できるような物語を創ること、最終的に「覚める」物語を創ること、それだけが社会からの「表現規制」を回避する手段だと私は信じている。

まり増田危惧する「正しい物語」じゃなくて、「覚める物語」こそ社会要請に沿うものだと思う。

「覚める物語」とは例えば、鬱屈した思いを抱える読者が共感できる妄想をなるべく具体的に膨らませた上で、結末で「罰」として、登場人物にひどい目に合わせるとか。

そういう、個人妄想を奪ってできるだけ膨らませて最後に壊すというスタイルであれば、物語に予防的効果としての社会的意義が生まれ、「表現規制」で妨害されることも無くなるだろう。

しかし、そういう「覚める」構造は、創作者にとって自分パイを捨てることになることになるから、増えてしまった創作媒体を維持していくには、まあ難しいよね。

から、「行きて帰りし物語」は最近流行らないんだよね。だから社会も動いたんだよね。

まとめると、一時的な甘えとして存在の許された「物語」が、常続的に人々の心に巣食うようになった結果、社会がそれを排斥しようと難癖を付けたのが「表現規制」の本質

増田の言う「正しい物語」も個々の思想関係無い。必要なのは「覚める物語」。しか創作者はそれを望まないので解決は難しい、ってとこかな。

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表現規制」は、物語という宗教から人々を解放する社会から要請

https://anond.hatelabo.jp/20200913160034

2020-09-13

anond:20200913160034

現実に引き戻す社会的機能が、創作から社会学者らに移ってきた、って仮説か。

しかに筋は通っている。面白いね。

だとすると当初の時点で「行きて帰りし物語」が流行ったのはなぜだろう。

商業的なメリットはないわけでしょう。

読者・視聴者の内側に、物語に逃げる罪悪感、があったから、なのか?

表現規制」は、物語という宗教から人々を解放する社会から要請

最近、「表現規制」のせいで、物語に集中できなくなってしまった。

読んでる途中で、ささいな表現の端々に「この表現規制嗜好者に弾圧されるんじゃ?」と考え出して、物語世界から度々覚めてしまうようになってしまったのだ。

そうやって、物語から得られる快適な陶酔感が失われたことに、個人的には不快感を禁じ得ないが、でも、それは逆に考えると、「物語」という名の宗教に耽溺してしまって、

物語の人工的に創られた世界から帰ってこられず、その世界観のまま発言や行動する人々を救うための素晴らしいアプローチなんだと思う。

まり、「表現規制という愛は物語患者を救う」とでも言えるだろう。その点では、「表現規制」は合理的理由よりも、社会的圧力の大きさの方が「患者」には有効に働く。

そういえば、物語代表的形態として、妄想的な出来事や企てを具体的に描き切った後、結末でその失敗を描いて、読者を物語から社会差し戻す

行きて帰りし物語」というのがあるが、現在は、豊富物語を人々に消費させ利益を挙げたいという商業的な意味合いから流行らなくなってしまった。

現在物語は、物語という名の宗教から信者が逃げ出さないよう、物語の追及が何らかの失敗に繋がる「行きて帰りし物語」、分かりやすく言えば、

後味が悪く、物語存在に嫌気の差すようなバッドエンドを描いていない。あまりにも不快で、もうこれで社会に戻ろうと思える「最後物語」を、商業的な理由で描けていない。

から社会は、流行らなくなった「行きて帰りし物語」の替わりに、「表現規制」を送り込んできたのだ。

個々の物語に停滞している人々を、社会という大きな場に引き出すために。それが権力側の要求なのか、社会運動側の要求なのは知らないが。

から、「表現規制」の中身など、それが本当に社会のためになるかなど、とりあえず社会にとってどうでもいい。社会にとっての人手を、物語から奪って来れればそれでいいのだ。

まり、まとめると、「表現規制」が本当に実現したいのは、人種差別や性表現など個別具体的な事項の改善ではない。

物語から目を覚まして、社会のために○○しろ!」、端的に言えばそれだけのこと。分かりやすく言えば、マンガを読む子供を叱って勉強させる母親と変わりが無い発言なのだ

その理由として、「表現規制」の多くは社会学者から発言される。「表現規制」は、その妄想めいた物語を捨てて、社会にある現実もっと考えろという要請なのだ

メタフィールドから表現にヒビを入れることで、その衝撃で物語に覚めた人々を社会に引き戻す、そういう意味の「行きて帰りし物語」を実現したいと思っているのだ。

から、件の社会学者の発言のように、「表現規制」に関する反対発言不適切さに対しても、社会は寛容である

それがある程度不適切であったとしても、その発言で、社会のことを考え、働く人間が増える可能性の方を良しとするからだ。

社会は、物語に呆けてるんじゃねぇよ、そんなの捨てて我ら社会のために働けよとでも思っているわけだから発言が少々不適切でも目を瞑るのだ。

2020-06-02

俺はもうこのゲームを作れないから誰か作ってくれないか

元々は88年頃に工業高校生だった頃に、学校支給ポケコンで作ろうとしてメモリが足りなくて挫折したやつ。

 

画面は初期ウィザードリー風の3dポリゴンステータスは右に。

システムはローグ。一層辺りのダンジョン部屋数もそのくらい。

オートマピングにすれば?とも思っていたが最近Androidスマホにあるオートマピング付きWizRPGを遊んでみたところ、複雑なダンジョンだとマップしか見てないわと気付いたので避けたい)

マッピング機能が無いと没入感が危険なくらいハンパない事に改めて気付いたので、オートマピング不要な程のローグレベルの部屋数が良いと思う。

 

シナリオ

ローグやWizと同じく、最下層から何かを持って帰ってくる。ただし挑んだダンジョンに「目的の」最下層があるとは限らない。ランダムダンジョンなため、地下2〜3階で終わっているダンジョンもある。国中を旅して、目的の最下層を持つダンジョンを探し当てるのだ。

 

ダンジョン

ポケコン当時はメモリ的に一つが保存限界だと考えていたが)ダンジョン複数保存できる。深層がありそうだが、ゆえに強目のモンスターが浅い層からゴロゴロ居るダンジョンを見つけることが出来た場合は、一旦そこの探索は中断して別の浅めのダンジョンにて技量を上げ、改めて元のダンジョンに挑むことも出来る。

また「行きて帰りし物語」にしたいため、通った階のレイアウトは変えない。帰ることを考えたゲームデザインにしたかったが、帰り道はどんどんモンスターが強くなっていくのは何か違う気がするので、具体的に良い案を思いついてはいない。食料か?あるいは持ち帰るアイテムが非常に大きいとかか?

 

ドラクエ9いいんじゃない

今となってはほぼそれですよね。あれの線描画3Dダンジョン版が遊びたいのです。

 

■おわりに

20代中盤にPSゲームやろうぜとパソコンを買ったがポリゴン回転が大学数学参考書で球面三角法を頑張って独学してもうまく回転せず(マトリックスもっと分かりませんでした)挫折し、スマホを買ってこれで開発できると思ったがEclipseが当時のPCスペックでは重くてほぼ動かず、日々の生活に埋没して気付けば昨年老眼になった。

 

もう作れないと感じているが遊んでみたかった。。

2017-09-13

anond:20170913120903

「転生」だと戻ってくるのは難しいだろ。完全に別人として生まれ変わってるんだから

別世界に迷いこんでから最後に戻ってくるのは「不思議の国のアリス」の昔からいくらでもあり「行きて帰りし物語」という類型化までされてる。

2016-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20160604234004

映像観る能力ないって自己紹介FRみたいなベタ行きて帰りし物語と王殺しのチャンポンよりよっぽど文芸面もよくできてるんだけど。

そもそも競技とは何なのかという話すら読めない雑魚は二度とアニメ観なくていいよ

2016-01-17

ガルパン劇場版クレヨンしんちゃん

ガルパン劇場版の何が楽しいって「子どもVS大人」って言う構図だと思うんだよね。

そしてTV版とは一番違うところでもある。

TV版では廃校阻止という大義はあれど高校生同士の戦いだった。

でも劇場版大学生チームとその裏にいる文科省役人との戦いだ。

統率力に優れ秘密兵器も有する大人たちに、バラバラの個性を持った子どもたちが協力し、それぞれの強みを活かして立ち向かう。

水島努監督が手がけたクレヨンしんちゃん劇場版の、しんちゃん達かすかべ防衛隊活躍と同じじゃないか。

軍用ヘリで襲ってくる堂ヶ島少佐だとか、巨大ロボをひっさげたジャスティスとの戦いと同じじゃないか。

なんたってあの最終決戦の場が遊園地ってのもなんとがクレヨンしんちゃん的だよね。

最終的に大人たちを「子どもフィールド」に引きずり込んで、その自由な発想力による大人には予想の付かない戦い方で勝利を手にするのだ。

そして勝利を手にした子どもたちは、自分たちの家=学園艦に返ってくる。

このストーリー構成もヤキニクロードやカスカベボーイズと同じ、行きて帰りし物語だ。

この戦いで子どもたちが勝利によって得るのは、名誉報酬ではなく、「家に帰る」こと、ひいては「平和日常」というものなのだ

こういうことからガルパン劇場版クレヨンしんちゃん劇場版は、

子どもたちにとって『平和日常』とは、戦って勝ち取るくらいに価値のあるものなのだ。」というテーマで繋がっている。と思うのです。

2014-03-25

仮想現実という幻想

直接を受けてはこれ。

http://fanfiction-novel.com/archives/544

仮想現実物のアニメラノベについての雑記

ただし、別に反論とかそーいう代物ではないです。

?B から REV さんの

http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20100128/p2

ゲームの中が舞台ラノベ

も参考にしてます

 

web小説のVRMMORPG物とかが書籍でまであふれていて、いくつかのそういうラノベの状況への批評を読んで、そういうのに対してもにょもにょとした感覚を持ってたのだが、アウトプットしてないなと。で、アウトプットしたいなという感覚がとっても大きくなってしまったので落書いてます

で、自分領域だと ?D も ?H も Tw も読む人が皆無なので、自分のところよりは読む人が多いであろう増田借ります

結局のところ独りよがりチラシの裏なので、嫌いな方はページを閉じてください。

また、ねたばれを平気で入れます

 

よござんすか?

 

よござんすね?

 

そんじゃ、チラシの裏を徒然なるままに。

物語類型

一番最初に気になったのは、物語類型としての分類。

ぽすてぃぶさんが

仮想世界物の「SF」がSAO

仮想世界物の「異世界召喚物」がログ・ホラ

仮想世界物の「サスペンス」が.hackこうではないでしょうか?

としていたのですが、これの SAO を疑問に思いました。

SAO最初は、ゲーム仮想世界に閉じ込められて、命がけのデスゲームを行うというものです。

そこで、確かに世界の作り方は SF なのですが、では「物語世界」を考えると、これは「ファンタジー」の方が近いのではないかと考えています

ぽすてぃぶさんが持ち出した SAO の要素として

思考加速、人工知能ロボット、A.Iが住み管理する街、これだけ聞くと完全にSFです。

とあるのですが、作中でこれらのギミックが「SFとして」活用され始めるのは、少なくともアインクラッドを抜けた後になりますユイのボディを現実につくるためには?など。

そう考えたとき、少なくとも最初アインクラッドでは、彼らの世界ファンタジーと同一の代物でしかありません。行き過ぎた科学により魔法と見分けがつかない代物です。そして彼らにとっては、それだけが世界」です。

 

同様の構造クリス・クロスにも見られます

ダンジョンの中に閉じ込められ、クリアするまでログアウトできない。ゲーム中の死はそのまま本人の死につながる。

作中のスキル「ゲーム」という設定なので「SF」ではありますが、キャラクター世界にとらわれいることからゲームの中だけが知覚できる「世界」になっています。そしてその「世界」の中には SF ギミックは問題ではありません。

 

これらに比べてログホラで違うのは「キャラクターの死」が「プレーヤーの死」と直結していない、というルールが典型でしょうか。

しかし、作中キャラクターにとっての「世界」とは何か?を考えたとき、彼らの世界はもともとの現実と全くつながっていない、「世界はいま生きているそこだけ、という意味では、同じになります

 

その意味で、彼らの物語類型を考えた時に重要なのは

このように設定された「世界であるのではないかと考えています

 

となると、これらはすべて「貴種漂流譚」の系譜とみるべきではないかと最初に思いつきます

貴種漂流譚?

しかし貴種漂流譚とした場合物語類型としては明らかに違うものがあります

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E7%A8%AE%E6%B5%81%E9%9B%A2%E8%AD%9A

VRMMORPGMMORPG場合主人公は貴種というわけではなく、また、多くの同様の他人と一緒に異界に漂流しています

これは明らかに貴種漂流譚とは違う特徴です。そもそも貴種漂流譚は神話類型で、英雄譚のいくつかにみられる特徴なので、そのまま当てはまるものではありません。

行きて帰りし物語

となると、他に近い分類を考えると、「行きて帰りし物語」というのが出てきます

http://hiki.cre.jp/write/?YukiteKaerisiMonogatari

これは乱暴な言い方ですが、貴種漂流から「貴種」の特徴をとっぱらったものといえます

結果残るもの

というパターンになります

多くの場合冒険に駆り出される理由は「日常からの欠落」が起き、「冒険の中でその欠落したもの、あるいは替わるものを見つけ」「日常に帰ってくる」というものです。スターウォーズなんかこれの典型ですね。

 

ここまで来ると、物語類型であり、一方で物語論として「読者に受ける物語とは何か」という話にもなってくるのですが、そちらの論は話の方向性微妙に違うので割愛

 

さて、では素直に「行きて帰りし物語」の類型としてまとまるでよいのでしょうか?

集団漂流というジャンル

ところがここでも問題が、行きて帰りし物語場合冒険に投げ出されるのは「主人公」とかその周辺がせいぜいです。

また、「日常に帰ってくる」というのも重要になりますログホラの場合ゲーム中に行われている冒険では「日常に帰ってくる」のですが、「現実世界」の意味では帰ってきていません。

 

では、さらに共通項をと考えた時に残ってくるのが「集団漂流物」というジャンルになります

これの古典で有名なのは十五少年漂流記(小説)ですね。

個人的に思い出すのは、空飛ぶ!竜峰学園(ラノベ)とか、勇者110番(NG97)とか、かなりマイナーどころになるわけですが。

類型とその違い

ということでもう一度元に戻り、SAOログホラ、.hack で考えてみた場合

という分類になるのではないか……と考えたのであります

なお SAO ですが、実際には細かく変わっていて

というのが物語類型での分類になると思われます

異界へのギミックや、異界で使う技術「ゲーム」ベースであるため、一見 SF なのですが、実際なところはあれらは「魔法」と物語上ほぼ変わらないものほとんどです。

となると、物語類型を見る場合にはもっと重要ギミックがあるのではないか?ということで、このような分類を夢想しています

ゲームという題材が特殊なのか?

ここで気になったのが、では「ゲームという題材が特殊なのか?」ということです。

で、最初の方に戻る。

web 小説や、そこから現実書籍になったものが、いろいろと「似通ってるな」という印象は、はたして「本当なのか?」。そして「似通ってるな」と思ったものは「何か?」。

個人的に多くなったなと感じているのに、確かに VRMMORPG に取り込まれるってのがあります。そして俺TUEEEEE。

しかし同様に、異界漂流物も多くなってるなとも思うわけです。ファンタジー世界で「生まれ変わる」とか「召喚された」とか。そして俺TUEEEE

で、これらを考えた時、ある意味昔っから変わってないのではないかと思うわけです。ファンタジー世界に行って無双っての。ゲートも戦国自衛隊ファンタジーにしただけだ、と乱暴に切り取ってみたり。

結局「無双の理由づけ」に何を使っているのかという部分で、VRMMORPG というのが身近になったのかなと。

 

そもそも「コンピュータを用いたゲーム的異世界」で冒険というのであれば、いろいろと話は出てきます

それこそ、最初は「ジャックイン」でしょうか。ニューロマンサー('84)。これのジャンルだと SFサイバーパンクですね。この場合マトリクス現実世界の裏にある(人工)異世界という視点で見れば、ファンタジーの一種とみることも不可能ではありません。

同じくサイバーパンク電脳世界があるもので、漫画で有名になったのがサイレントメビウス('88)でしょうか。

他、こちらはハビタットのような電脳街という感じの世界ですが、BOOMTOWN('92)という漫画もありますAI が住み、自己増殖する電脳世界に入り込み、バグ退治を行います表現SF 側です。

そして、ゲームといっても電源不要東京N◎VA('93)なんかが思い浮かびますサイバーパンクなTRPG

一方、完全にゲームの味付けでは、クリス・クロスが '94、クラインの壺だと'89ですね。

 

そしてこの「ゲームな味付け」で「異世界」となると、コンピュータを捨ててファンタジーにぐっと寄ったものとして思い出せるのが遥かなる異郷ガーディアン('90)。死亡無し、バイト感覚ファンタジー世界魔王を倒そう!という話です。あるいは、日帰りクエスト('93)なんかも近い代物でしょうか。これらは日常の延長として異世界ちょっと冒険してくる代物ですね。

これらと .hack が似てると思ってて、ギミックに「異世界」が絡む程度なんですよね。物語世界の構築法の話であって、物語としてはその異世界重要なのですが。

 

そして、完全にファンタジーに話を持って行ってしまえば、作品は一気に広がります

世界現実を行き来するってのでは、ナルニアとか。

個人的には魔法使いになる方法(ダイアン・デュアン著)を持ってきたいです。翻訳がまた止まった……。こちらは、現実世界の「裏」にある世界なので、ナルニアのように現実世界の「隣」にあるのとは違っていますが。

 

ここで VRMMO を題材に使っているのを考えてみますと。

VRMMO は現実世界の「隣」にしかなれません。アクセルワールドのように現実世界を模した世界であっても、現実世界に影響は与えていません。

その中で主人公プレーヤー集団が「命」であったり「記憶」であったり「思考」であったりの影響を受けるという、世界以外が対象になります

となるとこれは別にゲームではなくファンタジーであっても同じなので、ここの類型から考慮しないでも済みます

 

一方、魔法使いになる方法では、魔法使いだけに見える世界というのは、現実世界と表裏一体です。魔法世界で変化があれば、それは現実世界にも影響を及ぼします。

これは電脳世界を用いた場合でも同じギミックがあるように作ることもできます

N◎VAもそうですし、サイレントメビウスもそうですね。

 

このような違いを見るに、ようするに「VRMMO などに見えるゲーム世界・異世界」というのは「現実に影響を与えない箱庭」という概念でくくれるように見えます

世界漂流ファンタジーもその多くは「現実に影響を与えない箱庭」的世界です。

このように、完全に切り離されている異世界かどうかというのが重要ポイントなのかもしれません。

俺TUEEEの源泉

ちょっと話が散乱したので、少し戻します。

無双の理由づけ」です。

VRMMO 、あるいは「ゲームルールがある異世界」を用いた場合、「俺 TUEEEE」に対してこじつけが作りやすいのが、この分野が氾濫している理由なのかなと思ってみたりしてます

どういうことか?

 

多くの場合対象となる異世界は、技術文化水準が現代より低いです。

FPSSLベースにした場合は逆もありますが、氾濫しているのは多くが「ファンタジー世界」として「中世西洋」がベースです。

そこで俺TUEEEとして従来のファンタジー神話伝説英雄譚、ファンタジー小説などがとった手法が「貴種」です。

これは現実にも祭事が政であった時代に、「神の信託を授かる巫女」(卑弥呼など)とか「神(竜)の血統」(中国皇帝日本天皇)とか「神に認められた」(キリスト教や同影響下の国々の王など)が用いた手法で、何か特殊存在が力を認めているから「偉い」という考えから来ている物と思われます精霊信仰や祖霊信仰なども同様なので、世界中で行われた、あるいは現在進行形の考え方ですね。

 

そして、漫画アニメラノベでもこの手法はいくらでも使われています。作品は割愛。 

では、一般人ではダメなのかってところから始まったのが、異界に行った時に「異物」なので強くなったというものです。この場合だと貴種である必要性がなくなります

この場合重要になるのが、多くは「機転」や「思考」だったりします。その世界にない視点で物事を考えることで、打開するなどもありますね。

 

VRMMO の場合、この後者の考え方を用いて俺TUEEEをするというのが基本ですね。

ログホラがわかりやすいですが、異世界にはないけど現実世界にあったものを再現することで、異世界でのアドバンテージを得る。蒸気機関はこのギミック

この手の異世界で発想で先手を取るってのが、他だとアウトブレイク・カンパニーであったり。あるいはくじびき勇者さまを思い出してみる。他にも新書であったような記憶があるのに、題名全然出てこない。

まおゆうも「その世界になかった概念を持ち込む」事で「世界に影響を与える」という部分で、ログホラとそっくりなことを味付け変えてやってます

 

てなところで、俺TUEEEの源泉をあれこれいじってきてるのは増えてきてはいるなとは思った。

今までだと単純に戦闘つえー、魔法つえー、だからねぇ。

とめどなく

結局まとまらないので、適当なまま増田に投げつけて終了。

続きも別に考えてないで投げっぱなし。

 
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