はてなキーワード: ブルジョワジーとは
何やら「アメリカの人種ヒエラルキーではアジア系は黒人より下で、黒人と白人の両方から差別されてる」などという与太が出回っているようで。
これは嘘っぱちですのでご注意ください(個々人の経験は別として、全体から言えば)。
むしろ、アジア系アメリカ人が他の人種的マイノリティ、特に黒人に対しての差別者であるとの認識すら、決して珍しいものではないのです。
※注意:この増田では基本的にアフリカ系アメリカ人のことを黒人と呼称します。
アメリカにおけるアジア系アメリカ人はその高い学歴、経済的成功から、他の人種的マイノリティより高い階層にいるとみなされています。
これは"中間層マイノリティ/Middleman minority" (Bonacich 1973)や"人種的ブルジョワジー/Racial bourgeoisie" (Matsuda 1993)といった呼び方や、"アメリカの人種的ヒエラルキーにおいて白人と黒人の間のどこかを占める、第三の存在" (Kim and Lee 2001)という評価など、古くからの認識です。
Bonacich, Edna. (1973) A Theory of Middleman Minorities” American Sociological Review 5: 583–594.
Matsuda, Mari. (1993) We Will Not Be Used. UCLA Asian American Pacific Islands Law Journal 1: 79–84.
Kim, Claire Jean, and Taeku Lee. (2001) Interracial Politics: Asian Americans and Other Communities of Color. PS: Political Science and Politics 34 (3): 631–637.
モデル・マイノリティ(ここで言う"モデル"とは"見本"のようなニュアンスです)という言葉もあります。ポジティブなステレオタイプを持つマイノリティのことで、アメリカではアジア系を指すことがほとんどです。
勤勉で、まじめで、よく働き、自立していて、etc., etc...ポジティブなステレオタイプゆえに支援の手が伸びにくかったり、ステレオタイプの押し付けが起きやすかったり(褒めてるんだからいいじゃん!的な)、ネガティブなステレオタイピングとはまた別の問題があります。
これは他のマイノリティをディスる、さらには人種間の対立を煽るのに使われる――アジア系の連中はあんなに成功しているのに、黒人はどうして貧乏なままなの?努力が足りないんじゃない?――場合があります。
一方で、このステレオタイプは就職等でプラスに働くこともあり、一筋縄ではいきません。
アジア系の中には上記の対立煽りを真に受けたり、黒人への蔑視を白人と共有する人も存在します。
アジア系アメリカ人の人種差別に関する意識は白人と近く、2008年の世論調査(***)では黒人の65%、ラテン系の55%が「人種差別は未だ、我々の社会における重要な問題である」と答えたのに対し、アジア系と白人でそう答えたのは33%でした。
また、「人種差別は存在するが、もはや重要な問題ではない」という答えは黒人で23.9%、ラテン系37.8%、アジア系50%、白人60%でした。
しかし、やはりマイノリティー、被差別者としての側面もあり、上記のステレオタイプの押し付け、落伍者への冷たい目、キャリアにおける差別("竹の天井"と呼ばれます)が存在します。
さらに、アジア系は集団内の格差が激しく、日中韓印系とそれ以外で状況は違うにもかかわらず、アジア系全体の恵まれたイメージから支援が届きづらいことがあります。
黒人たちと同様、シンプルで醜悪な人種差別にさらされることだって当然あります。
また、コロナパンデミックにおけるアジア系の人たちへの差別で、黒人が声を上げなかったとするのも間違いです。
100 Black Menという市民団体はAsian American Business Development CenterおよびHispanic Federationと共同声明でアジア系差別を批判してますし、黒人コミュニティや個々の黒人もtwitterなんかで差別を批判してます。
ただし、アジア系の人々が今まで黒人を差別していた/黒人差別に声をあげなかったという理由から、彼らのために声をあげたくないという黒人もいます。
例えば、黒人コメディアンのGodfrey氏はinstagramに投稿した動画で「エボラのパンデミックの時、君らはどこにいた?我々が警察に殴られているときには?」と述べ、「君たちのスーパーヒーローにはなれないよ。他にやること(無数の差別への対処)がいっぱいあるんでね」と答えています。
※トランプの"中国ウィルス"呼びを肯定していたり、中国人の食生活や、パンデミックに対する中国の責任、中国から入ってくる安い商品等への批判もしているため、単なる反中国論かもしれませんが。
アジア系アメリカ人とBlack lives matter (以下BLM)の関係もまた歴史的に複雑な背景を持ちます。
BLMが使われだすずっと前ですが、ロス暴動の前日譚として黒人と韓国系アメリカ人の間の緊張状態および、韓国系アメリカ人による黒人少女Latasha Harlinsの射殺事件がありました。
2014年の黒人射殺事件は中国系アメリカ人警官によってなされました。新人警官のPeter Liangが同僚とパトロール中、ガールフレンドとデート中のAkai Gurleyと暗がりで鉢合わせ、つい射殺(直撃ではなく跳弾)してしまったのです。
Liangは過失致死で有罪判決を受け、それに執行猶予5年がつきました。
この事件は中国系アメリカ人と黒人の両方から批判を浴びました。
中国系アメリカ人側は「白人なら起訴されないのに中国系ならされるのか」と起訴の取り下げを要求し、黒人側はBLMを掲げて射殺に抗議しました。
ジョージ・フロイドの死に関しても、関わった4人の警官のうち一人はアジア系アメリカ人のTou Thaoです。
アジア系アメリカ人団体Asian American CommissionはBLMへの連携を表明した上で、その声明文中にて「アジア系コミュニティにおけるアンチ黒人の深い根」の存在をあげ、コミュニティの変革を求めました。
※「(アジア系は)差別されてきたが、同時にモデルマイノリティ神話等から利益を得てもいる」等の意見も声明文には含まれていることもあり、一部のアジア系アメリカ人はこの声明に反発しています。
勘違いしないでほしいのは私が「黒人がアジア系を差別している」へのカウンターとしてその逆を言っているわけではないということです。
黒人差別に声を上げるアジア系、アジア系差別に声を上げる黒人、当然のようにいます。黒人のレイシスト、アジア系のレイシスト、当然います。白人、ヒスパニック、その他マイノリティも同様です。
ここのところカツオがどーだ、安売り買ったらお前は搾取したこのブルジョワジーめと殴り合いが続いてますが皆さんお元気でしょうか。
で例のカツオの例えの記事を何個か見てて思ったんですけど、やっぱカツオと今回の嬢は似てませんよ。
片方が魚で、片方が人間だからと言いたいんだろって?そんなものじゃなく経済的に苦しんでるのは変わらないから一緒って?
そもそも、今スーパーにある安いカツオを買うのは、100%搾取なんでしょうか。
店は開けることができません。加工も無理。
スーパーが仕入れてこなきゃ、ゴミです。何も生まない。経費でマイナスです。赤です。
つまりスーパーが仕入れ我らが買うのは、応援でこそあれ搾取の汚名だけを貼られるものではないのでないでしょうか。
学校で使われず余って安売りになりそうな牛乳の消費を求めたあれですが、あれの近いものではないでしょうか。買って応援。
発言で示された風俗嬢を考えても、いろいろと違うんじゃないかと思えるところが出てきます。
新しく労働を始める人か、何かを辞めた、辞めざるを得なかった人たちですよね。
この機にやってみようと思ってた、ってんならどうぞご自由にしてください。
でも発言の風俗嬢は短期間で辞めるとなっている。やりたくて入った方は、3ヶ月だけで辞めるんでしょうか。
それは自由意志からしてやりたくなかったけど、その意志を飛び越えてやる必要があった人たちがメインではないのですか。
応援するという意味ではカツオと一緒じゃないかとなりそうですけど。
漁師さんは漁師業界の知識を活用して売り先を変え、漁師のアイデンティティを守ったうえで応援してもらえるのです。
個人事業主で事前知識を誰も教えてくれないまま、意思関係なく風俗嬢業界に飛び込まなきゃいけない所に応援って、本当に一緒なんですか。
詳述しないですけど、昔私は不況の只中で就職活動をやる羽目になりました。
希望の業界、やりたいこと、ちょこちょこ色々あったけど、全部パーです。
その時たまたま元気だった業界を選ばざるを得ませんでした。それがそう、IT業界です。
人は募集してたし活気があったのは間違いないですけど、その時代とうにIT業界の化けの皮は剥がれており、過酷な労働が跋扈しているとささやかれました。
体調不良に鬱なんてよくある事、業界を知ってる人からは平然と辞めた方がいいと言われてましたね。
でも私は選ばざるを得なかった、そんな糞上等の世界から、何の事前知識もなく正しい会社を選び取ってIT土方になるしかなかった。
これです。これこそ、あの発言で期待された風俗嬢なのではないですか。
若く、体力も多分あってハンデもないと思われる、そんな大量の学生が事前の希望一切関係なく、経歴に空白を生む致命傷だけは避けるため。
何だったら、3ヶ月。3ヶ月というキリのいい数字だけでも働いて転職時に話せる経歴にしておきたい。
勿論生活費も稼いでおきたい。
聡明な読者なら多分、どこからか違う部分を見つけ出して喝破してくれるかもしれません。
でも私には自分の意思で職業を選びきれなかった屈辱が今も心のどこかに残ってて、発言で指差された風俗嬢に、自分勝手な憐憫を感じざるを得んのです
先進国でも、発展途上国でも、みんながこのハイテクな板切れに夢中だ。
スマートウォッチ!スマートグラス!スマートスピーカー!スマート冷蔵庫!
「さぁ、君もスマート○○を手に入れて、もっとスマートになろう」
現代社会は、賢くなければ生き残れない。
スマートデバイスの代表例と言えば、やはりスマートフォンだろう。
スマートフォンはフィーチャーフォン(ガラパゴス・ケータイ)と比べて、どこがスマートなのか?
スマートフォンが登場した当初は既存のケータイと比べて「パソコンライク」に扱える印象があった。
パソコンのようにサイトを見ることができ、パソコンのようにマウスやキーボードを接続でき、パソコンのようにファイルにアクセスができる。
フィーチャーフォンはそれらのことが(基本的に)出来なかった。
「ケータイはパソコンに著しく劣る」という前提からのスマートフォンなのである。
比較的知名度の高いスマートウォッチやスマートグラス、スマートスピーカーであるがスマートフォンほどはヒットしていない。
スマートウォッチやスマートグラスは、まぁスマートフォンの周辺機器のようなものだ。
(スマートグラスに至っては盗撮問題が解決されない限り普及は困難だろう)
スマートスピーカーは主に裕福層<ブルジョワジー>や最先端技術愛好家<ギーク>が愛用しているにとどまるようだ。
(裕福層は豪邸に住んでおり手足を使わずにスイッチを音声コントロールするためスマートスピーカーを買う)
スマートデバイスは無数にあるが大成功といえるのは実質スマートフォンぐらいではないか?
他にはスマートフォン人気にあやかった周辺機器がそれなりに売れている程度だろう。
例えばドローン、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)、VRヘッドセット、3Dプリンタ、ロボット掃除機、シングルボードコンピュータなどが挙げられる。
安易にスマート○○と名づけてしまうのは方向性が明確でないためではあるまいか?
スマートデバイスのネーミングについて考えているうちに思ったことがある。
実はスマートフォンは、他のスマートデバイスと比べても特異なのではないか?
スマートフォン以外のスマートデバイスは「非コンピュータ搭載」→「コンピュータ搭載」というコンセプトのものが多い。
しかしスマートフォンに限って言えばフィーチャーフォンもコンピュータ(SymbianOSなど)には違いなかったはずだ。
(なおガラケーが本当コンピュータなのかについては知識不足により掘り下げて説明することができない)
スマートデバイスの代表例スマートフォンは、しかしスマートデバイスの中でも特異なのである。
思いついたスマートデバイスは大抵もうある。
スマートペン。スマート義肢。スマートカー。スマートバイク。スマートエレベーター。スマート監視カメラ。スマートインターホン。スマートドラッグ。スマートダスト。
傍から見るとあらゆる業界の開発者がスマートな使命感に燃えているようである。
それにしても製品を作っている当の本人たちは本当にヒットすると思っているのだろうか?
あるいは「これからはスマートの時代だ。IoTの時代だ」という有難いアドバイスのおかげかもしれない。
スマート○○を名乗れるのは早い者勝ちで最初のひとつだけなのである。
最初のひとつがスマート○○をうまく解釈して、うまく顕在化させて、うまくアピールできればヒットする可能性はある。
しかし、いまいちシックリこないものが最初にスマート○○を名乗ってしまえば、そこでおしまいだ。
先に商標などを押さえられてしまえば後続者は身動きが取れない。
新しいスマートデバイスのコンセプトとして、既にあるものをスマートにする方向性は厳しいように思える。
なぜならコンピュータを搭載しないで普及したものは、コンピュータを搭載しないでも普及できたためだ。
もし成功するスマートデバイスがあるとするなら、それは恐らくコンピュータを搭載しないと実現できないものだろう。
個人的には「スマートフォンを制御モジュールとしてドッキングする製品」という方向性にシフトしていくと予想する。
規格化されたスマートフォンスロットがあり(ファミコンカセットみたいに)スマートフォンを差し込むことで機能をゲットできるという仕組みだ。
(オーディオインターフェイスやスピーカーなどのジャンルでドッキングする製品はすでにある)
スマートデバイスはスマートフォンの一強だということに、みんなそろそろ気づくだろう。
スマートフォンがすごいのならスマートフォンとひとつになればいいというわけだ。
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5699974(5199)
「早いうちから留学やインターン等で特別な経験を積んでおきましょう」「既卒は圧倒的に不利なので就留を勧めます」
わおすごい、留学とか就留とかそっちの世界では簡単にできるのね
いや別にしなきゃいけないわけじゃないけどさ、その選択肢が当たり前のように提示できることそのものが、ああもう生きてる世界が全く違うんだなって感じ。すごい。分断社会ってこういうことなのね。大学通うためにはバイトで稼がなきゃいけない私どもとはベースが違うのよ。あなたたち「自己破産した。本当にごめんなさい」って50歳近くの親が泣きながら子どもに謝罪してくる光景見たことないでしょ。それはもうすごい見ものよ。一生忘れられないわ
てか「ガクチカ」ってなによ。こっちが強いられてバイトしてる間に、実家の経済状況気にすることなくインターンとか起業とかボランティアとか留学とかやってる奴らにどうやって差をつけろって言うのよ。無理よ無理。そもそもの自由に使えるリソースが違いすぎるもの。私は勉強するために大学に行って、そのためにお金を稼ぐだけで精一杯
まあ大学行けてるだけ私も幸せ者だけどね。行きたくても行けない人はたくさんいるし。私はこうやってここで喚き散らせるけど、声にならない苦しみがたくさん溢れているし。それを考えると「自分はこんなに幸せなのにこんなこと考えていいのかな?」って思っちゃう。彼らの陰が私の幸せに、背中に、いつものしかかる。でも私は進まなきゃいけない。まずは自分がちゃんとしなきゃ他人だって助けられないしね
まあ私は低所得者層なりに頑張る。絶対誰よりも幸せになって、「やっぱ生きてて良かったわ~」って言いながら死んでやるからな
意外に反応多くてビックリした。やっぱ盛り上がりやすいんだねこういう話。まあ今更追記しても誰も読まないだろうけど、私の思考のログとして残しておきたいので書いておきます
「他人と幸せを比較するな」って色んな人が言ってますけど、知ってます。幸せを相対的なものとしか見れない、「勝ち組」とか「負け組」とか言ってる世の中に合わせてあえて言ってるんですよ。「クソくらえ,ブルジョワジー」なんて本当は思ってません。階級闘争ごっこです。だって怒ったってしかたないじゃん。「社会分断って本当にあるんだね〜」ってノリで書きました
別に終わりにしていいんですよ、この人生。今この瞬間死んでも「生きてて良かったな」って言える自信がありますよ、私には。人気最高潮の真っ只中で引退して伝説にしてもいいんです。でも、”あえて”生きてみたい
私が今回目の当たりにした社会分断なんて、そこら中にあります。それこそ私より貧しくて、私を「ブルジョワジー」だと思っている人もいる。多くの苦しみと屍の上に自分が立っていることを、私は知っている
そして普通は分断されたそれぞれ壁の中で生きて、終わりのない「幸福を追い求める闘争」を続けて、死んでいくんですよ。互いのことを知らぬまま
私は運良くそのゲームから脱した。だからこそ”あえて”生きて、やってみたいんです。低所得層の私が「ブルジョワジー」の中に入って、何が起きるか、どんな化学反応が起きるか、見てみたいんです。まあ何も起きなくてもそれはそれでいい。そういうものだったと諦めて他にやることを探せばいい。後悔する必要はない
「その先」を見てみたくないですか?私は見に行きますよ
https://twitter.com/bunkeiholocaust
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040554991256125440
これから大学の財源として寄付に頼らざるを得なくなって来ると、文系の頭おかしい極右・極左・アホ芸人教員がいるのは大学にとってものすごいマイナス要因なんだよね。
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040600330289897478
女が言ってる「女性差別」のほとんどは性別じゃなくて文系の学歴かその人本人の性格が原因だよ。
俺ら理系は女の知能劣化のスピードが文系だと理系の10倍以上速いとか文系の女は理系よりも感情コントロールが苦手だとかよく知ってるんで、当然文系を差別しますね。
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040539925576183808
たとえば私立大学は全部キリスト教系資本、みたいな国で国立大学の歴史学部や宗教学部潰したら宣教に都合の良いように歴史改竄されるかもしれないよ。
でも日本の私立大学はキリスト教なり仏教なり無宗教なり多様性に富んでるから、国立大学文系学部を廃止しても公平中立性の問題なんて起きませんね
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040494588081795074
無意味なデモとかやってるロースペ文系愚者の群れとか見てて分かるだろ。
文系みたいな下等生物には「言論の自由」なんて高尚な概念はまだ早すぎるんだよ。
民主主義なんてのもただ単にブルジョワジーへの権力移行を後押しするためのスローガンであって、バカに権利なんかあるわけ無いの。
どうも突っ込みどころが満載で...
ええと、まず、あなたのリベラルという語の定義というか意味づけに無理がある。
liberals と言えば、特に断ったり文脈から明らかで省略されたりしない限りは、classical liberals だって当然含まれる。一方、あなたの言うリベラルは、ほとんど social liberal のことばかり。(それも結構せまい意味での social liberals )
リベラルとひとことで言っても、classical liberals もありゃ modern liberals 、scocial liberals いろいろ。
また、「絶対王政は封建制を破壊するもの」と言い切っているけれど、実際には封建制の上に立っていたという面もあるわけで、詳しい引用は避けるけれど、封建制と新興ブルジョワジーの均衡の上に成立したものというあたりが妥当な見方では?
なんか、あなたの言うリベラルってのは、僕の言う教条主義的な見方そのものであって、全然リベラルじゃなくて、左派の自称リベラルな感じだなあ。 ひょっとして共産主義系の方?
駅構内のトイレは夏くらいにリニューアルされたけど、すごくせまいのね
で、こないだ駅ビルができて
どうせ長距離きっぷだから途中下車できるし駅ビルのトイレ使えばいいかと思ってたんだけど
これまたトイレが少ない
とくに2階にトイレが無いってのはどういう設計なのか意味が分からない
熱海駅って昔はどうだか知らんけど今は乗り換え客がほとんどなはずなのよ
熱海経由で東西を行き来しようとしたら大抵は乗り換えなきゃならない
以前は東京から豊橋とか米原とか直通が何本かあったけどもう無いから
どうしたって熱海で乗り換えることになる
急ぐときはトイレなんか行く暇もないくらいギリギリの乗り継ぎ時間しかなくて乗り換えるけど
東京から長距離移動してくると生理現象的にも限界なわけでトイレ休憩くらいしたくなるわけさ
1日あたりの利用者を平均したりして利用人数を見込んでたりするのだろうか
けどさ、客は電車が到着したときに一気に押し寄せてばばっとすませて次の電車には乗りたいわけさ
時間当たりの平均的な処理能力じゃなくて、瞬間的な短時間での処理能力が必要だと思うのよね
リニューアル工事でそのあたり配慮されるかと思ったのに全然配慮されてなかったので
愚痴ってみました
おしまい。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。