はてなキーワード: 希薄とは
①水谷修氏の活動に支障をきたしているので[あれば]お詫びする、と問題発言への責任意識が希薄
②神谷氏も「一瞬水谷氏のことを思い浮かべた」と河西発言で「水谷修」を連想したことを認める
③「言っていいのかな?」の河西氏の確認に「いいっす」と促した人物の言及なし
④「夜回り先生というのがいて、有名な」は、河西氏が「有名」と認識している言い回し。会見では「有名な」はレイプ未遂犯の発言と釈明
⑤神谷河西両氏は「発言を切り取られた」と意味不明の弁解。全部聞いても、水谷修氏の過去の隠された不祥事エピソードとしか思えない
⑧(必ず訴訟すると頑なな)「水谷氏は取り付く島がない」と選挙活動中の公の場での名誉毀損という問題の深刻さを全く理解できていない
しばしばはてなでは「赤松への投票は自民党への投票でもあるから、表現規制派が当選することにつながる」という話がよくみられる。
では実際に今回の選挙ではどうだったのか。
まず参議院比例の選挙システムはドント式という面倒なやつで、何票取れば1議席増えるというはっきりした基準は算出しづらい。
ただ、約90万~100万票程度あれば1議席増えるというようには言われている。
そして今回赤松がとったのは約53万票だ。仮にこの票がすべて無くなったとしても、自民党の比例獲得議席に影響するのはせいぜい1議席だ。
では今回自民党で最後の1議席となった候補はどういう候補なのだろうか。
今回比例18位で滑り込んだのは越智俊之氏だが、この候補は全国商工会の組織内候補だ。
今回が初当選で政治家としての経歴もないため、いわゆる表現に関するスタンスがどのようなものなのかは正直わからない。
ただし表現規制派の議員のバックグラウンドとしてよくある、宗教団体との関係などはおそらく希薄だ。表現などの問題については大して興味がないというのがもっともありうるところだろう。
ちなみにその上の17位の候補である神谷政幸氏は薬剤師連盟の組織内候補で、まあ同様のことがいえるだろう。
そして今回の自民党候補の中で表現規制派として悪名高い山田宏や山谷えり子、宗教団体との関係が強い井上義行といった候補は、いずれも16万票以上の個人票を取っており、比例順位は10、12、13位でまず落選することはなかった。
希薄だと言い張りたい気持ちは分からないでもないがそれはないから安心しろ
岸信介から安倍晋太郎、そして安倍晋三へと渡る統一教会との関係を「希薄」と表現しようとするのは無理がある
それでも殺されるほどの理由になるかと言われたらそれはNOだけどね
安倍首相の首席秘書官だった井上も統一教会の信者であることがバレているしな
https://news.yahoo.co.jp/articles/c2230c5e416f888b1c6fa4cdcedda248a68aceb3
こちらを読んでうなづけるものがあった。たしかに免疫がないので手練に勧誘された時に、はたして自分がしっかり対応できるのかと不安になる。
https://togetter.com/li/1914405
今までずっと親が変な宗教にハマったりしたら怖いなくらいにしか思ってなかったけど、考えてみたらそもそも勧誘なんて全然されたこともないし(宗教絡みだと子供の頃エホバの人が家に来たことくらい)
20~30代の頃は色んなことに夢中になって充実していたのであまり隙はなかったように思う。
でもここ最近はというと人とのつながりも希薄になったし、以前より夢中になることはだいぶ減ったし、なにか趣味でも持たないとなあとぼんやり思ったりして
仕事も惰性でまあなんとかやれてるうちはいいかとか、わりと心の中は退屈だったり、一番大きいのは人に対して優しくなってきてしまったというか、
昔は他人の気持ちを推し量るとか全然できなかったのに、そして今もできてるとは言えないんだがやたら相手の気持ちになってみようとしてしまったりして、
相手を許容しようとか、なんか綺麗事のような感じで良い人でありたいという気持ちがどんどん強くなってしまっている。
恐らくだが、怪しい商売や宗教みたいなのはこういう気持ちもうまく利用して勧誘してくるとこがあるんじゃないかと思っている。
例えば興味本位で関心を持ったとしても、自分はお金はないしケチなので、最終的にお金の話が出たところで一気に冷めるはずと思ってはいるんだけど、
そこも時間をかけて人間関係とか作られていったりしたら、自分の居場所ができたような帰属意識みたいなのできてしまったら、残りの人生はそれで充実するならそれもいいかとか、思ってしまう可能性はないとは言い切れない。
自分本位に生きてきたから基本的に根っこのとこでは自分しか信じてこなかった。だから騙されてる人とかなんでわからないんだろうと思ってたけど、そういう人間こそいざ自分が弱った時にコロっと騙されてしまうのではないか。
自分としてはとにかくあの手この手でお金を取ろうとしてくるとこは全部おかしいと思っているし、お金を取らないなら別に宗教とか好きにすればいいと思っているんだけど、それも極端だろうか。
親友という存在も恋人という存在とも縁がなく、学生時代は部活をやっていたから辛うじて他者との繋がりがあったが、引退した途端、自発的に人と付き合うことをしていないことを思い知った
いつの頃からかWeb小説やマンガに興味を抱き、細々とマンガを描いて自サイトに投稿したりpixivに投げたりしていた
とある共同制作のコミュニティに入れた時は、創作について話せる人がいるって楽しいなと思った
が、時が来れば人の心も移り変わるもので、そのコミュニティの人間関係が嫌になってしまった自分は、pixivの関連作品を非公開にして、親しい人にだけアカウント削除を伝える旨のDMを送った
一方的に共同制作を持ちかけておきながら作品削除をした自分を非難する人がいたが、相手方に非はないのでその通りだと落ち込んだ
コミュニティに関連するアカウントを削除し、新しいアカウントを作ったら、びっくりするほどフォロワーが少なくなってしまった
いかにコミュニティにべったりだったのかが分かって、自分はそのコミュニティに学生時代の部活のような依存をしてしまったのだと気づいた
そして、コミュニティから出た自分は、以前のように個人サイトでマンガを描くことを試みようとしたのだが、うまくはいかなかった
なぜなら前のコミュニティで非難DMを送った人がフォロワーのフォロワーにいることに気づいてしまったからだ
あの人が自分を恨んでいることを知ってるし、自分も迷惑をかけた自覚はあるからせめてその人の目の入らないところで活動を続けたいという気持ちでアカウントを作り直したつもりだったのだが、考えが甘かった
そりゃあ前のコミュニティと繋がりがある人をフォロワーに持てば大なり小なり自分の行動は筒抜けになるだろう
自分で撒いた種ではあるのだが、自分は行動力も計画力もないのだと悩んだ
いくら鍵をかけても、アカウントが存在する限り「あいつまだマンガ描いてるの」と思われるのだろう
いや、あの人はそんな性格じゃないと言い聞かせるも、心の中で例の批難DMがしこりになって残っているようだった
相手方が「許して欲しいという気持ちが透けて見える」と語った文章だけが今でも目に焼き付いている
自分の気持ちが相手に理解して貰えないのは辛いことなんだなと、今文章を書きながら思った
時は経ち、吹っ切れては無いものの、噛み切れるようになった想いを抱えながら、自分は新たに(というか以前まで存在していた化石サイトを改装した)サイトを作ってぼちぼちマンガ制作を再開している
就職をしたものの、人間関係は依然として希薄なのでプライベートで人と会うことなどとんとなくなった
他人に失礼をしておきながら、そして名のある作家ではない大前提がありながらも、自分には創作しかないのだと理解してしまった
それ以外にやることがないと言えばそれまでなのだが、辛うじて趣味らしきものがあるのは有難くは思う
ところで、以前Twitterでとある呟きを見かけて、意味がわからないけど意味をわかりたいからメモっておいたものがある
新人の頃、先輩編集者が新人作家さんに言っていた忘れ難い言葉があります。「子供の頃からずっと友達がたくさんいて、社交的で、遊び場もゲームもたくさん与えられた人間は、絵描きにも物書きにもなれない。才能にも技量にも理由がある。貴方のコンプレックスはその証拠なんだ」。なんだか泣けました。— たられば (@tarareba722) August 8, 2014
やべえこのツイート2014年のなのかよ!と一瞬思ったが、8年も経てばなんとなくニュアンスが分かるようになった、と思う
読解力がないというか、頭の中で線と線が繋がらないために心から言葉を理解出来ていないが、つまるところ自分は満たされていなかったのだろうという結論が出た
ホッテントリの、恋人が出来たから創作活動が出来なくなった、というのはご最もだと思う
満たされない感情の置き場が創作から恋人に移ったのだろうし、生物としての仕組みはそれが正しいものだと思うから是非その人を大切にして欲しい
残念ながら自分は生物として欠陥があるようなので、今後も創作という一人相撲を続けるだろう
SNSの#繋がりたい 系のタグは生理的に受け付けないし、創作の人間関係で人様に迷惑をかけたのだし、そもそもクローラーにサイトの画像舐められて自分の手元から作品が独り歩きすることが嫌な人間だから検索避けをする以上、SNSで迂闊にサイトのURLは貼れない
故に、表立って作品を宣伝することはせず、その辺の隅っこで自分専用の墓場を作る予定である
自分で書いてて思ったが、凄く陰気で頑固で根暗な人間だなと思った
だから創作なんて毒にも薬にもならないものを趣味にしているのだろう
インターネットに墓場と言っても、デジタル遺産となってネットの藻屑になってしまうのだろうけども、ひとまずはその認識で行きたいと考えている
創作と言いつつ、結局は自己満足だから、自分の見やすい形で管理したいというのが本望なのだ
自分が楽しいものをたまたま覗いた他の人が楽しんでくれたら嬉しいけれど、道端に歩いてる人にこれ面白いよ!と宣伝することはしたくはない
労力だからだ
インターネットの中でも自分のことをアピール出来る人は凄いと思う
例のDMがきっかけになっただけで、元々自分がネガティブ寄りの思考を持つ人間だったのは自覚している
最近(自分が見かける範囲で、だが)「音楽制作は続けるけど作品を表に出すことは辞めたいと思っている」「このゲームが完成したらもう絵なんて描きたくない」という呟きをちらほら見かけるようになった
もちろん締め切り前のイヤイヤ発言ではなく、ばっさりと今後一切の活動を辞めるニュアンスの発言である
彼らのフォロワーでもなんでもない自分は、悲しいなと思いつつ、創作が心の障害になるのなら辞めることも選択肢のひとつだとも思った
今現在創作くらいしか趣味がない自分も、いずれそんなことを思う日が来るのだろう
コミュニティを抜けた日から、永遠は夢想だと思うようになったので、その日が来るまでになんとか絶望しないように生きていきたい
まあ多少問題はあれど、姉妹揃って一人暮らしで大学進学させてもらえる家庭で育った。親がADHDぽかったりで衝突はあれど祖母含めて旅行するし、家族LINEだってある。
けど、親と姉が私を愛してるくらい三人のこと愛せていないなーと思って怖くなる。
身内に対して近いということが理解できないし、身内だからコントロールしあえる感覚もわからない。大人だからほっといてっていう永遠の反抗期かと思ったけどそれもそれで微妙にズレてるみたいだし。
そもそも三人と恐ろしいほど価値観が違う。母親からは就職したときに結婚結婚結婚と言われたけどその頃すでに自分のセクシャリティに気づいていたから就職の次の人生のステップは死だった。
そうこうしてるうちに鬱になりここ1年ほど自殺未遂を繰り返している。
親も姉もとても愛を込めて私のケアをしてくれるが、どうしても「私のことを放っておいて欲しい」という気持ちが消えない。端的に言えば忘れられたい。
希薄な、吹けば飛ぶような友人関係だけ私にあれば、私は今すぐ死んだって誰も傷つけることがないのに。
私が自ら命を絶つことで傷つけることはわかるのに、そこに何かを返すどころか愛を捨ててくれない相手に腹が立ってくる。
こういう家族愛が希薄な場合は機能不全家族のパターンを見るが、じゃあ私はなんなのだろう。まあ、私自身が機能不全を起こしているのだろう。
映画『ゆるキャン△』を観てジムニーが欲しくなった人もいると思う。
そんな人に、XGに3年、XCに1年乗る俺が感じたよしなしごとを伝えてみたい。
圧迫感に慣れるまで時間を要する。
前方の見切りも良くない。進路の状況をアクティブに把握するべき。
乗車感。悪い。
都市部の整備された道では感じないが、ひとたび郊外へ出ると舗装路でも飛び跳ねる。
燃費。悪い。
おとなしく運転して、市街地13km/L,高速11km/L程度。
車内。狭い。
フルフラットにはならないが、助手席と後部座席を倒せば車中泊も可能。
段差はマットレスを敷けば無くなる。
最低地上高。これは便利。
状況によっては水没車扱いを受ける恐れもある。
色。好みによる。
ボディサイズとデザインのせいか、この2色は存在感が希薄になりがち。
ホワイトレターのマッドタイヤやデカールで、存在感を高めたほうが何かと安全。
グレード。出来るならばXCを買え。
それ以外の装備差、キーレスやミラー調整は意外と無くても気にならない。
あと、降雪の冬道を走る機会があるのなら、スノーブレードワイパーを1セット買っておくとよい。
泥はねが劇的に軽減する。風切り音もない。
こんなものか。
ファーストカーにするならばXCを、
公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。
ここで問題になるのは『権利や利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたものを理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。
表現・出版の自由が公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。
かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズのメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報が掲載されていた。
このことについてジャニーズのメンバーが『プライバシーの権利の侵害』として訴えたことに対し、出版社は『表現・出版の自由』を主張した。
そして最終的に『ジャニーズのメンバーのような社会的影響力のある芸能人のプライバシーの権利は著しく制約されるが、それでも自宅で静穏に過ごす権利は認められるから自宅の住所と電話番号は削除するべき。それ以外については出版社の表現・出版の権利を認め、出版自体は認められる』という判決が出た。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
わいせつな文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、増田もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
当然ながら、『私はこの創作物を見て不快になりました』を主張する権利は当然にある。
あるいは、「萌え絵は性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在の法律上、誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
同様に、「日本画は戦争と地続き」だろうが「彫刻は殺人と地続き」だろうが「洋画は差別と地続き」だろうが”萌え絵、日本画、彫刻、洋画”といった抽象的なジャンルならば誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。
一方で、業務(※なお、刑法における”業務”とは「社会生活上、何度も繰り返して行われる事項」のことをいう。だから自動車で人を轢き殺してしまった場合はプライベートで運転していた場合でも業務上過失致死罪になっていた。そういえば変わったんだった)
で制作している特定の作品について「この絵は性犯罪と地続き」や「このvtuberは性犯罪を誘発する」のような発言ならば、その明確な根拠が示されない限りは偽計業務妨害罪が成立し得る。(実際に起訴されて有罪判決が出るかは分からない)
さて、フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利・利益が無いといけない。
似たような『市営地下鉄で不快になる広告放送を聞きたくない権利』を主張したとらわれの聴衆裁判で、『聞きたくない音によって心の静穏を害されることは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない』という裁判官の補足意見がついている。
見たくない権利も同様だ。公共の場所ではむしろ受忍すべき範囲が広くなる。
『女性』には人権はない。これは何も「女性は二等市民だからフルスペックの人権は認められない」という意味ではない。人権があるのは個々の人物であって、『女性』という抽象的な存在の集団的人権は認められないという話だ。同様に「日本人は殺人狂だ」だろうが「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない。
そもそも表現に限らず自由権の本質は『他者を不快にして我慢させる権利』なのであり、「近所にユダヤ人が住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyネオナチ」や「聞きたくもない韓国音楽を聞かされて不快ですby在特会員」や「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書が不快ですby同性愛者」は配慮されないし、配慮されるべきではない。
将来、脳波や脳内物質から人の現在の感情を読み取る技術がさらに発達し、「黒人を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyKKKメンバー」を同意の上で検査した結果、脳波や脳内物質がうつと同様のパターンになっていて主張が事実であることが判明したとしても同様に配慮されないし、配慮されるべきではない。増田はそれを自明のことであると確信する。
「萌え絵やそれを含めた女性をアイキャッチャーにする広告が公共の場所にあることで現在の男性中心社会を拡大再生産する」というモデルそのものは小宮友根氏や牟田和恵氏によっていくつか提唱されている。だが、それだけだ。
現実には男性中心社会を拡大再生産するものの候補は萌え絵広告以外にも『周囲の保守的な親戚・教員・友人などからの意見』『私企業の採用活動の実態』『女性向け創作物の刷り込み』など無数にある。
その中から「広告の効果が無視できないほど大きい」こと、および「それを打ち消す手段が他に存在せず、禁止以外の手段がない」ことが証明されない限りは規制されるべきではない。
なぜならば経済的自由権は金銭で補償が可能であるが、表現や内心といった精神的自由権は規制しようという動き自体が萎縮効果を生むため、より慎重になるべきだからだ。
以上のように、今フェミニストが主張しているような創作物規制は『公共の福祉』の観点からは成立しないと考える。
全然納得できないんだけど。"最低限の性道徳"が保護法益になるなら何だって保護法益にできそうだし175は良いけどフェミニズムに基づく立法がダメな理由ってあるの?
だからこれについては多数の異論が出ているし俺も問題だと思っている。
ただ、これの合憲論を採用しても、創作物規制は「ジェンダー平等を実現するための最低限」しか認められないだろう。
"「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない"。こいつ意図的に「ヘイトスピーチ規制法」スルーしてるよな。
ヘイトスピーチ規制法など存在しないのでスルーのしようがないですね。
ブコメが言いたいのは通称「ヘイトスピーチ対策法」でしょうけれど、これはあくまで国や地方公共団体に努力義務を課しているだけです。
“フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制” 既にコメントがあるとおり私も法規制を求めない むしろ法規制させないために「違法じゃないから何してもOK」を控えてほしい 職場水着ポスター問題のように
会社は従業員のパフォーマンスを低下させ利益に反する行為を排除できますが、公共の場所は他者危害でない行為を排除できないし、排除するべきではない。そういう話です。
「そもそも不快にされない幸福追求権」そんなものはない。ではなく、その権利を求めてるんだよ。だってその方がいいじゃん。そのための対話が必要。
「同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書を聖典とする宗教の信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」が両方存在したり、
2つ以上の宗教が「我々の宗教は全ての人が我々の宗教の信者になるべきと考えているため、異教徒が不快です」を言い出した場合には
2022/07/04/21:40頃追記
株式会社ディスクユニオンは29日、70万件以上の顧客情報が漏洩したと発表した。SNS界隈では前日28日からダークウェブへの流出が確実視(スクショあり)されていたが、夜が明けてからようやく重い腰を上げて公表に踏み切った。
以下に続く散文は、ユニオンを愛する者の率直な心境と受け止めていただきたい。
※6/30夕刻追記:
昨日のニュースを見た勢いで書きなぐった時は、自分自身の心のモヤモヤを吐き出すことがこのダイアリーの主目的であり、少しトーンが過剰な部分などもあったなと、今あらためて読み直し反省しています。
少しだけ、言葉足らずだった部分を加筆などしておりますが、ご容赦ください。
・パスワードの平文保存
こんなご時世だ。悪意のある行為で情報が流出してしまうリスクはどんな業種であっても否めない。ただ、今回最悪だったのはDBがテーブルごとぶっこ抜かれ、あげくパスワードを平文で持っていたということだ。暗号化処理せずにパスワードを保管するというのは愚の骨頂であり、ここに小売業としての前時代的な姿勢がはっきりと見えてしまった。通販事業は決して120%アウトソーシングしているわけではなく、社内にはフロントエンド/バックエンドを担当する社員もいるはず。ゆえに、なぜ?という思いが強い。偉い人たちは何が悪いのか理解できてなさそうだけど。
・第一報の遅れ
>6月24日の漏えい懸念から本日のご案内に至るまで、時間を要しましたことを深くお詫び申し上げます。
>本来であれば疑いがある時点でお客様にご連絡し、注意を喚起するとともにまずはお詫び申し上げたい思いでしたが、不確定な情報の公開はいたずらに混乱を招き、
>お客様へのご迷惑を最小限に食い止める対応準備を整えてからの告知が不可欠であると判断し、情報の収集と把握に時間を要しました。
>本日の公表までお時間を要しましたこと、重ねてお詫び申し上げます。引用元=https://diskunion.net/
違うんだよ。お客様へのご迷惑、は流出した瞬間から実際に目に見えるかたちで起こってしまった。SNSでは公式発表に先駆けて、「何が、何件、どんな風に」漏れたのか、情報が拡散されまくった。一方でユニオンは、早々にオンラインショップ(ここにはコーポレートページも含まれる)をクローズし、「緊急メンテ」という名の殻に閉じこもった。もし、SNSで話題になることがなければ、本当に7月4日までダンマリを決め込んでいたかもしれない。結果的に29日の発表では有効な対応策を提示できず、公式アナウンスの遅れだけがネガティブに目立ってしまった。少しずつでも、情けなくても、スピード勝負に出るのが最善だったと私は思う。
「いやいや、でもそんなすぐに公表するのは現実的に無理」と考える人もいるだろう。だが、2022年4月1日に施行日を迎えた改正個人情報保護法は、情報の漏洩時は本人に迅速に通知するなど、企業に個人の権益を保護する行動を強く求めている。
さらに、不正アクセスの痕跡など「漏洩の可能性がある個人データは、すべての該当者に通知する必要がある」と個人情報保護委員会は明言している。強調するが、漏洩の「可能性」が露見した時点でだ。そのタイミングで企業側には本人通知や事実公表のアクションが求められる。情報の収集と把握に時間をかけたというユニオンの初動は致命的な悪手であり、何よりコンプライアンス意識の希薄さを自ら明らかにしているようなもの。個人情報を取り扱う多くの企業が、この改正個人情報保護法への対応や関連規約のアップデートに追われていたのが今年の春前。ユニオンの準備はどうだったのだろうか。サイトが表示されない今となっては、確認する術がない。参考元=https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02006/032800002/
現在もHPにはテンプレ通りのお詫び文と問い合わせフォームの連絡先しか掲載をしていない。会社概要、プライバシーポリシー、個人情報保護方針……何も表示されない。この重大なインシデントを起こしながら、なんとか目につく部分を隠して乗り切ろう、としているなら残念でしかない。
ディスクユニオンの公式Twitterは「@diskunion_news」のはずだ。異常なのは28日までスクリーンネームでキャンペーン情報を訴求し、投稿ではトートバッグやレコクリンをプッシュしていたことだ。これは店舗アカウントも同様で、粛々と普段と同じプロモーションをかけていた。しかし、29日になると公式も店舗もジャンルも、全て”喪中”かのごとく宣伝投稿を止めた。一斉にやめるくらいなら24日からやめるか、一人でも多くのユーザーに一刻も早くこの異常事態をアナウンスして周知してもよかったはず。悪さした小学生じゃないんだから、そこは意思を持った運用しようや。(※SmartFLASHの記事を読む限り、どうやら店舗が詳細を把握できたのは、ユーザー向けアナウンスと同一タイミングだったと認識するべきか。オンラインショップを緊急メンテに突入させた時点では、店舗に情報を下ろしていなかったという可能性が高そうだ。出典元=https://smart-flash.jp/sociopolitics/189040)
ここで、対応失策の遠因とも言えるユニオンの体制について考えたい。
ユニオンは中古品と新品を同時に取扱い、レア盤や特典商法、マニアックな品揃えで知られる。また、パッケージの復刻企画や自社制作も行っている。このバランスがあるからこそ、ユーザーに支持され、(たいしたイニシャル数をオーダーできないが)アーティストやレーベルからも好意的な反応を得てきた。ただの中古屋(●ックオフとか)をアーティストがリスペクトしますか?って話。しかし、この土台は大きく揺らいでおり、今となっては綱渡り状態に突入している。
約10年前、社長と専務に次ぐ人物がユニオンを去ると、ここから誰の目にも明らかな権力闘争が巻き起こった。中古を扱い粗利を稼ぐ「店舗」の人間と、新品仕入れや制作を担い音楽業界の”今”とユニオンをつなぐ「本部」の人間。詳細は割愛するが、結果として本流になったのは店舗側だった。そして、多くの名物社員や気概のあるスタッフ、何よりビジネスマインドを持ち良い意味で「サラリーマン」的だったキーパーソンが本部を離れた。退職した者の一部は、当時レコードビジネスに本腰を入れたHMVや、その後はタワーレコードにもジョインした。通販部門もECのプロフェッショナルではなく、いきあたりばったりの采配という感は否めない。
※追記1:組織/企業である以上、異動があることや、俗に言う「役職」につけるスタッフの数に限りがあることは当然であり、そこはユニオンも同じです。成績や年次やらが絡みますよね。“権力闘争”というワードを初稿で選んでしまった点について、書き手の私情が強めに入っていると言われれば、否定できません。違う表現を選ぶとすれば、組織内での大きなうねり・転換期がこの当時にあったということです。
※追記2:店舗=中古、本部=新品、という基本線はそのとおりですが、常に両者が喧嘩腰だったわけではないと念のため補足させてください。同じ音楽ソフトであっても性質が異なるこの2種が相互補完することで、ユニオンというブランドがここまで支持されてきた/事業として動いてきた、のは間違いありません。前述のうねりの中でこのバランスが以前と異なるかたちに変化した、ということです。
この頃からユニオンの新品仕入れ額は落ち込んでいるはず。音楽業界を支え、アーティストとレーベルが活躍できる土壌を小売として成熟させるには、新品を仕入れ、販売しないことには難しい。なにより、新品を仕入れて販売することで、その盤が今後中古市場に出回る可能性が生まれ、結果として中古市場の下支えにもなる。すでに中古市場に出ているレア盤を高額買取→高額販売してぶん回したところで、そこに未来はない。また、音楽業界という立場で考えれば、中古がいくら売れたところで、アーティストには1円も入らない。
さらに数年が経つと、結果として上層部は社長(※ファミリー経営2代目)と一部社員(※店舗叩き上げ)の集団になっていった。外部からの血も入れず、利益は上がるが、社員の給料は上がらない。レコードブームだから、とりあえず店は出して中古で埋める。廃盤セール(※ただし廃盤が安くなるわけではない)でいつものあの人に来てもらう……ここ数年、ユニオンの店先や棚から「勝負してんな、攻めてんな」という熱量を感じなくなったのは自分だけだろうか。ユニオンの器が小さくなったと感じるのは自分だけだろうか。
もちろん、一流の店舗スタッフが多数在籍していることも声を大にして伝えたい。決して中古推しがどうのこうの、いや新品推しがどうのこうの、という話ではないのだ。昨今のレコードブームの裏で、戦略と組織設計のバランスが崩れ、あるべき姿から逸脱し続けているというのが問題なんだと強調させていただく。青臭い思いかもしれないが、ユニオンが過去から現在まで、何を紡いできたのかということだ。
※追記3:組織/企業である以上、利益を確保することは当然です。そこは否定しません。ただし、私が知っているユニオンはそれだけじゃない要素が売り場に宿っていたと、抽象的な表現ですが感じていた次第です。じゃなかったら、あんなに店舗に通わないはずです。しかも狭い店舗に。
遡ればユニオンの創業は戦前。そこからなんとか今日までサバイブしてきたわけだから、そんじょそこらの会社とは良くも悪くも一味違う。ただそれは、ユーザーの知的好奇心を満たすため、中古品、新品、制作、流通、委託販売、アーティストマネージメント、販促、オーディオなど、様々な分野で試行錯誤を続けてきたからだ。もちろん中には失敗もある。オークション事業やイベントスペースなど、黒歴史になっているものもある。それでも「ユーザーにとって面白いことをやる」、そして「ユーザーを囲い込む」ことでユニオン経済圏を確立してきた。事業の中心にはいつもユーザー目線があった。
ただ、利益追求に舵を大きく切ったここ数年、そして今回の漏洩騒動での対応を見ると、どこか古き良きユニオンはもう幻となってしまったとすら思えてくる。
どんなに給料が安くても(陳腐な言葉だが)音楽とユニオンが好きだから支えてきたアルバイトや若手社員はどう思うだろうか。今回の初動対応をとった会社に、今後もついていく気が起きるのだろうか。そして後手後手の対応をとられたユーザーは果たして本当にまた戻ってくるのか。
ユニオンがしっかりとこの問題と向き合い、そしてもう一度適材適所の布陣で挑戦を始めるときが訪れれば、私はまた店頭に足を運びたいと思う(通販はしっかり対策して、原因と改善策明示してね。それからだ)。ずっと探していた中古の名盤と、今という時代の空気感をしっかりと伝えてくれる新譜を同時に手に取ることができる場所は、世界的にも希少になりつつあるわけだから。
最後に、HPのキャッシュから拾ってきたユニオン商い五訓を貼っておきたい。
ユニオン商い五訓
2 損得より先に善悪を考えよう
3 お客様に有利な商いを続けよう
※追記4:今回の騒動と組織の顛末を並列で吐き出したのは、あくまで私の主観(=ずっと感じてきたこと)が入っています。そこは最後にハッキリと書き記します。ここも当然、人それぞれで受け止め方が変わります。お前、こんなにダラダラ書いておいて最後に逃げるなよと、私自身も思いますが。
ユニオンに求めること、期待することもまた人それぞれなはずです。中古レア盤しか興味がない、最近レコードデビューしたからお手軽盤欲しい、新譜の特典にやっぱつられる、紙ジャケBOX最高、色々あるはずですし、そういった需要に応えられるのがユニオンの店舗/通販であると信じています。
音楽のジャンル同様に、確かな多様性がある世界で我々は日々踏ん張っています。この駄文も、絶対の正義ではないです。そのために書いたワケではないです。ただ、こんな世界線もあるんだ、くらいの受け止め方の方が、息もしやすいと思います。
反響に驚いてしまい、こんな当たり前のことを追記してしまいましたが、私はユニオンにもう少しだけ、期待してみようと思っています。
(了)
日々の仕事で疲れてメンタルが逝きそうになってる中、疲労に反比例して性欲だけが増しており、エロ同人でも読んで抜くかと思ったところ思っていた以上に感情移入した作品に出会った。
これはレビューでも書くべと思い立ったがFANZAのレビューは1000文字までらしく大幅にオーバーしたのでここに供養がてら記す。拙文たれ流し申し訳ない。
https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_216128/#area-link-review
世の中にギャルと致すエロ漫画は多数あれど、その中で本作のどこが抜きん出ているのか、その魅力を説明したいと思う。本作は、エロ漫画としてセックスシーンが多く、ヒロインのキャラも絵も魅力的ではあり実用性は非常に高いが、それが本作の魅力ではない。
本作の一番の魅力、それはエロ漫画としての文脈ではなく、恋愛漫画または青春マンガとしての文脈がメインを担っている点にある。
ヒロインの阿川さんはクラスでも目立つ可愛らしいギャルだ。明るく、気さくで誰とでも打ち解ける雰囲気を持つ。しかし、教師を始め、乞われれば誰とでもヤるという噂も流れている。またモブの容姿と比較すると彼女以外に金髪は見受けられず人当たりのいい性格とは裏腹にやや孤立している様子も見受けられる。
そんな彼女に優しくされ、一目惚れした陰キャである主人公が話の流れから彼女で童貞を捨てさせてもらうというのが大まかな流れである。背景やモブは大雑把に書きつつヒロインの阿川さんは丁寧に描かれ、セックスに至るまでの期待感をコミカルにしかしリアルに描いている。
さて、連載のエロ漫画と同人のエロ漫画の違いはなんだろうか?それは行為の濃淡ではないだろうか?連載のエロ漫画は少ないページの中でその行為を描かなければならないという制約がある。行為に至るまでの過程を丁寧に描くほどリアリティは増し没入感も感じられるが肝心のエロシーンが希薄になってしまう。そのため連載のエロ漫画の大半はエロシーンに配慮した結果どうしてもリアリティが無くなるといった問題が生じる。もちろん、それが一概に悪い訳ではない。ヒロイン自体の、またエロシーン自体の魅力、フェチズムでエロ漫画は十分別の魅せ方が可能であるし、連載を通して複数の話でキャラクターの核心にせまることも可能ではあるからだ。その点同人のエロ漫画に制約は無い。その結果生まれるのがリアリティの差である。本作におけるリアリティとはオナニーが恋愛に至るまでの過程である。
セックスとはもちろん快楽を伴う行為であり、互いを求め合う行為でもある。オナニーとの違いは相手がいることだ。そういう意味では、阿川さんがいままで相手にしてきた男(教師、他の同級生)は阿川さんを気づかうというよりかは、阿川さんをオナニーの道具として使い、阿川さんも同様に相手をオナニーの道具とみなしている。阿川さんが興味があるのはセックスであり恋愛ではないからだ。主人公が初めて彼女とセックスをする際、彼女の中で、最初は主人公とのセックスはオナニーの一環であっただろう。主人公の中でも憧れの女性ということはあるがこちらも行為自体がメインであっただろう。しかし、このセックスを通じてオナニーではない、相手のいるセックスとしての良さをふたりが薄っすらと体感したように思う。
セックスでは相手が嫌がるようなことはすべきではない。主人公は生来の臆病さもあるだろうが、一度セックスをした以降、1ヶ月ほど彼女に話しかけられずにいた。これは自分なんぞがまた話しかけても迷惑に思われるのがオチだと気遣い半分、否定されるのが怖いという臆病さが半分であると思う。
その後、友人の後押しもあり、彼女ともう一度話すことになるが、その際、迷惑だと思ったので話しかけられなかった≒オナニーの道具としてではく自分を気遣ってくれていた主人公に対し阿川さんに初めて恋愛感情が湧く。これは、奇しくも、陰キャの自分にも屈託無く話してくれた阿川さんに惚れた主人公と同じ構図であり、これをもってエロ漫画の文脈は完全に恋愛漫画の文脈に置き換わる。この辺り、なぜか、映画エレファントマンのワンシーンで「こんなに美しい人に優しくされたのは初めて…」というシーンが想起された。
以降は互いを求め合うセックスに没頭する二人だが、それ故に失敗し、困難もつきまとう。その困難に立ち向かうシーンでは恋愛漫画から青春マンガもしくは青春映画に鞍替えしたのかと思ったほどだ。若いうちの失敗などどうとでもなる。若さと無謀さで是非とも乗り越えていってほしいと思った。
最後に、自分は童貞ではないが、いつまでも自分が童貞であるかのように感じている。それは、高校時代、大学時代と恋愛と無縁の生活をしていたからではないかと思う。こういう恋愛がしたかった、そして恋愛に当たり前の様に存在するこんなセックスがしたかったと強く思わせてくれる作品だった。私は、セックス≒オナニーがしたいのではない、セックス≒恋愛がしたかったのだ。
自称恋愛弱者の男性って「恋愛対象の年齢の女性に“だけ”は相手にされない」みたいなこと言いがちだけど、基本的に人間関係全般が希薄なんじゃないの?
人生経験のなさと言うより、年齢差や性別関係なくあらゆる人間関係の経験がなさすぎることがネックになってる。
同世代の女性に相手にされないどころか、同世代の男性にも相手にされてないんでしょう。「友達との写真もない」なんて書いてあるんだから。
「他人と一緒に過ごすことに慣れる訓練」って子供の頃にできずに終わると成人してから苦労するけど、だからって親切な誰かが手を差し伸べてくれるわけじゃないからね。
いきなりマッチングアプリやお見合いなんてことを考えずに、まずは今の生活の中で恋愛以外のまともな人間関係が築けるよう努力する方が先じゃないかと思う。
昔の人間が子供が5人~生んで平気だったのは子供はそもそも死ぬ確率が高いってのと、
そりゃ親だの親戚だの近所付き合いだの、何もかも煩わしいと拒絶して、わざわざ人間関係の希薄な都会に逃げてきたのが子持ちの皆さんでしょ
公園に怪しそうな奴がいたら、実はそいつが子供の父親でも、とにかくガンガン通報してそれを正当化までしてきたのが子持ちの皆さんなわけでしょ
もちろんそれは別にいいんですよ
ただそういうスタンスを取る以上、ワンオペとやらになるのも、今更都合のいい時だけ絆だの共生だのに頼れないのも、何もかも当たり前のはずです
因果応報とかじゃなくて、彼らがそう望んで、望み通りになっただけでしょう
さらに言うなら別にシングルマザーだの婚外子だのに殊更冷たいわけでもなくて
単にみんながみんなといちいち関わりを持たなくなってきている、というだけのこと
大学3年生で、20歳の男性です。サークルに入っておらず、バイトもしたことがありません。実験以外の授業はほぼ興味が持てず、面白くないなと思いながら受けています。
どこか寂しさを感じています。
振り返ると、大学がつまらないというより、自分が何もしなかったために人間関係が希薄になり、寂しくつまらない生活になってしまったという結論に至りました。コロナウイルスに責任を押し付けて目を逸らしていましたが、コロナがなかったとしても同様の状況になっていたような気がします。
現状維持ではいけないと頭ではわかっているのですが、実際どのようにこの状況を抜けだせば良いのかがもうわからなくなってしまいました。そこで皆さんの意見を聞きたいと思いこの文章を書いています。
以下に案を書きます。寂しさというのが一番優先度の高い問題だと感じているので、それを解決する案を考えました。
3年生なので厳しそう。あまり興味のあるサークルがない。(これは入学当初にサークルに入らなかった理由でもあります。)
3年生からサークルに入られた経験をお持ちの方は、3年生からでもなじめるのか教えていただきたいです。
普通に彼女がほしいです。恋愛経験がないので、どうすればよいのかわからない。マッチングアプリを始めようかと思っています。恋愛経験者の方、ぜひアドバイスをお願いします。
(漠然としたお願いになって申し訳ありません。経験が浅いため、まず何をすればよいかもわからないのです。)
1回面接を受けて落ちてしまったのでやる気になっていませんでしたが、バイトで寂しさは解消できますか。バイト仲間というものが手に入るのは大きそうです。
まず趣味といえる趣味がないので、それを作るところから始めないといけません。あ、旅行は好きです。趣味ありました。旅行の友達とか作れますか。どのように探せばよいのでしょうか。twitterとかinstagramとかはてな匿名ダイアリーとかですか。
もう思いつきません。これはしろ、これはやめとけなど、是非アドバイスよろしくお願いします。
(Yahoo知恵袋とここのどちらに書くか迷いましたが、こちらの方が幅広い方の意見が聞けそうなので書かせていただきました。)
※「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」でありそうなネタだけど、当該マンガは読んでないのでダブってるなら静かにハハハと笑って次にいってください。
ショートケーキのイチゴはいつ食べるのが適当なんだろうという話なんですが。
・最初にイチゴを食べると、イチゴの酸味からのケーキの甘いでちょうどいいのか
・途中でイチゴで、甘い→酸っぱい→甘いになるか
途中がオトクな気もするけど、最近のショートケーキってたいてい間にイチゴのスライスが挟まってるからなあ。
だから、厳密には、どの状態でも、甘い→酸っぱいの小さいループがある。
甘い→酸っぱいのループに大きな酸っぱいを挟んでもなあと。
これだと、コーヒーをお茶請けにしているものとしては、最後の甘いをコーヒーで中和できるから、甘いが酸っぱいになるのはちょっと損。
つまんなかったは嘘。ふっつーに面白かった。
ただふっつーすぎて読めるけど味がしない。
読んでてなんの栄養素も摂取できてないなと思って文化祭で読むのやめた。
まーあれですよ。男にも受ける少女マンガですよ。
俺は君に届けぐらいしかしらんけど。君に届けを読んでる気分だった。
高校生にもなって既存の人間関係が希薄で世間知らずな女主人公(根暗だったり田舎からの転校生だったり)がイケメンや地味女や一般的で普通の範囲の意地が悪い女性とあっさり仲良くなって素朴な感性が素敵だねって受け入れられていく系のぬるま湯なあの心地いいお話。
最初期にイケメンのヒーローと美人才女をイージーにゲットしておいおいコイツ無敵の勝ち組かよって思った。それが悪いほうに働いてなくて二人ともいいキャラでなじんで面白くはあったけど、コイツらに好かれている時点で落ち目もなにもないだろうなと感じた。
だから物語も文化祭までヒーローの過去の確執をちょいみせしつつもなんか面白さを見つける波長が合わせられなかった。イケメンヒーローのもう終わったっぽい過去に惹かれなかったし。
そんな俺の目から起伏がない漫画で、でも読ませられるっていうのは漫画力が高いのかもしれない。
でもこの先、面白くなったとしてもたぶん潮が満潮になったよーって感じの面白さだと思う。俺は高波や津波が欲しい。
こういう漫画の面白さは確かにあるんだけど、3,4作品に触れるともういいやってなるからこれが初めて触れるこれ系の作品な人は普通に楽しめるんじゃないかな。まともに漫画をちゃんと楽しもうとする人も作品ごとの差異でちゃんと楽しめるんだと思う。俺は別にいいやってなっただけで。
でそんな少女漫画寄りの作風だったせいですっげー邪魔だったのが"なんでこれアフタヌーンでやってんの?"って感想だった。
アフタ系が好きででもこの作品をずっと今までスルーしてきていざ読むとやっぱそれほどアフタっぽくなくて。アフタっぽさってなんだと言われたらわからんけども。いやあるか?アフタっぽさ。んーでもアフタでもいいけどアフタじゃなくてもよくない?みたいな作品だった。それがずっとよぎってた。
それとおじと演劇の人の初登場とか序盤にちょいちょい女性性寄りの男性を差し込まれてうげーってなってしまってそこで一歩引いてしまったかも。おじのキャラは好きなんだけどね。そういう作者かーって色眼鏡かけて警戒してしまった。まあそんな警戒するほどでもなかったけど。演劇の人はそれ無関係で好きじゃないキャラでした。
んー。似た語感で避けてたあせとせっけんを読んだほうがよかったかな?
そもそも福岡県以外の九州在住者に「博多」という概念が希薄なんだが
「博多」は「博多駅の略称」でしかなく、一極集中してるのは「福岡県」もしくは「福岡市」という認識
博多は単に「福岡市の一番大きなJRの駅がある場所」でしかなく、博多区全体や博多駅前のビジネス街も「福岡市内」の一部でしかない
つか、九州の外に住んでる人間が「博多」をそんなに象徴的なものだと認識してるとは思わなかったわ
https://anond.hatelabo.jp/20220511120847
関西には住んだことないけど、大阪一極化を「難波一極化」とか「道頓堀一極化」と呼ぶか?というような話だと思う
https://anond.hatelabo.jp/20220511121100
かつてはそういう効果も見込んで博多という地名を残したんだとは思うけど「福岡に行こうと思えば行ける」程度の距離の人間には博多という地名は規模が中途半端で使いどころがあんまり無いんだよね
いわゆる「中年の危機」ってさ、愛への疑いなんじゃないかと思ってる。
自己愛についての疑いであり、他人からの愛への疑い。自分は自分を愛せるだろうか、他人は自分を愛してくれるだろうか、愛され続けることができるだろうか。
実際のところ、家族や友人からのある種の愛が希薄になるタイミングでもあるし、愛される存在であると言い張ることも難しい。愛される存在としてではなく、他人に愛を与える存在になっていなければならない年齢であるから。
ただ、やっぱり、与えるだけの存在になれるかと言うと難しくて、与えられたい。まだ愛されたい。そういう社会と個人、他人との間のズレや軋轢が、中年の心の危機ということなのかもしれないと思う。