日々の仕事で疲れてメンタルが逝きそうになってる中、疲労に反比例して性欲だけが増しており、エロ同人でも読んで抜くかと思ったところ思っていた以上に感情移入した作品に出会った。
これはレビューでも書くべと思い立ったがFANZAのレビューは1000文字までらしく大幅にオーバーしたのでここに供養がてら記す。拙文たれ流し申し訳ない。
https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_216128/#area-link-review
世の中にギャルと致すエロ漫画は多数あれど、その中で本作のどこが抜きん出ているのか、その魅力を説明したいと思う。本作は、エロ漫画としてセックスシーンが多く、ヒロインのキャラも絵も魅力的ではあり実用性は非常に高いが、それが本作の魅力ではない。
本作の一番の魅力、それはエロ漫画としての文脈ではなく、恋愛漫画または青春マンガとしての文脈がメインを担っている点にある。
ヒロインの阿川さんはクラスでも目立つ可愛らしいギャルだ。明るく、気さくで誰とでも打ち解ける雰囲気を持つ。しかし、教師を始め、乞われれば誰とでもヤるという噂も流れている。またモブの容姿と比較すると彼女以外に金髪は見受けられず人当たりのいい性格とは裏腹にやや孤立している様子も見受けられる。
そんな彼女に優しくされ、一目惚れした陰キャである主人公が話の流れから彼女で童貞を捨てさせてもらうというのが大まかな流れである。背景やモブは大雑把に書きつつヒロインの阿川さんは丁寧に描かれ、セックスに至るまでの期待感をコミカルにしかしリアルに描いている。
さて、連載のエロ漫画と同人のエロ漫画の違いはなんだろうか?それは行為の濃淡ではないだろうか?連載のエロ漫画は少ないページの中でその行為を描かなければならないという制約がある。行為に至るまでの過程を丁寧に描くほどリアリティは増し没入感も感じられるが肝心のエロシーンが希薄になってしまう。そのため連載のエロ漫画の大半はエロシーンに配慮した結果どうしてもリアリティが無くなるといった問題が生じる。もちろん、それが一概に悪い訳ではない。ヒロイン自体の、またエロシーン自体の魅力、フェチズムでエロ漫画は十分別の魅せ方が可能であるし、連載を通して複数の話でキャラクターの核心にせまることも可能ではあるからだ。その点同人のエロ漫画に制約は無い。その結果生まれるのがリアリティの差である。本作におけるリアリティとはオナニーが恋愛に至るまでの過程である。
セックスとはもちろん快楽を伴う行為であり、互いを求め合う行為でもある。オナニーとの違いは相手がいることだ。そういう意味では、阿川さんがいままで相手にしてきた男(教師、他の同級生)は阿川さんを気づかうというよりかは、阿川さんをオナニーの道具として使い、阿川さんも同様に相手をオナニーの道具とみなしている。阿川さんが興味があるのはセックスであり恋愛ではないからだ。主人公が初めて彼女とセックスをする際、彼女の中で、最初は主人公とのセックスはオナニーの一環であっただろう。主人公の中でも憧れの女性ということはあるがこちらも行為自体がメインであっただろう。しかし、このセックスを通じてオナニーではない、相手のいるセックスとしての良さをふたりが薄っすらと体感したように思う。
セックスでは相手が嫌がるようなことはすべきではない。主人公は生来の臆病さもあるだろうが、一度セックスをした以降、1ヶ月ほど彼女に話しかけられずにいた。これは自分なんぞがまた話しかけても迷惑に思われるのがオチだと気遣い半分、否定されるのが怖いという臆病さが半分であると思う。
その後、友人の後押しもあり、彼女ともう一度話すことになるが、その際、迷惑だと思ったので話しかけられなかった≒オナニーの道具としてではく自分を気遣ってくれていた主人公に対し阿川さんに初めて恋愛感情が湧く。これは、奇しくも、陰キャの自分にも屈託無く話してくれた阿川さんに惚れた主人公と同じ構図であり、これをもってエロ漫画の文脈は完全に恋愛漫画の文脈に置き換わる。この辺り、なぜか、映画エレファントマンのワンシーンで「こんなに美しい人に優しくされたのは初めて…」というシーンが想起された。
以降は互いを求め合うセックスに没頭する二人だが、それ故に失敗し、困難もつきまとう。その困難に立ち向かうシーンでは恋愛漫画から青春マンガもしくは青春映画に鞍替えしたのかと思ったほどだ。若いうちの失敗などどうとでもなる。若さと無謀さで是非とも乗り越えていってほしいと思った。
最後に、自分は童貞ではないが、いつまでも自分が童貞であるかのように感じている。それは、高校時代、大学時代と恋愛と無縁の生活をしていたからではないかと思う。こういう恋愛がしたかった、そして恋愛に当たり前の様に存在するこんなセックスがしたかったと強く思わせてくれる作品だった。私は、セックス≒オナニーがしたいのではない、セックス≒恋愛がしたかったのだ。