「学費」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学費とは

2020-07-24

一年後に死ぬと言われたらやりたいこと

考えてみた

刺青を掘る

特に理由はないし掘りたいテーマがあるわけでもないけど、和彫が好き

ヤクザが彫ってるイメージいか反社って思われちゃうよね、でもずっと好きなんだよなー性癖かも

今彫っていない理由は、親に刺青だけは絶対やめてと言われ続けていて、律儀にまだそれを守っているということと、将来後悔するかもの怖さ。

毎年自分の考えがアップデートされてく中で、ずっと変わらない刺青と付き合っていけるのかしら。。

でもまあ、入れたい気持ちは30近くになってもずっとあるんだったら後悔はしないかな?

まあ、あと一年しか生きれなかったら絶対入れる。

ロリータになる(ファッションな)

Twitterかなんかで最近見た気がする、人は十代のころに手に入れられなかったものに一生執着するという呟き。

わかる!!ロリータがそれ。

そんなに裕福な家庭でもないのに親元離れて暮らしてた学生時代お金は全て食費や学費に消えて趣味にまわす資金はなかった。

お小遣いバイト代ロリータ服につっこんでた友だち羨ましかったなぁ。

今じゃ、病んでるとか痛いとかいレッテルが貼られてるけど本当ロリータは素晴らしい文化だと思う。

今やろうとすればできるけど、やっぱりネックはお金。。

フルセットでそろえたら10万は超えるよね、もっとかな。

コスプレ模倣品なんて論外だし。

から憧れてたブランドで揃えたいでしょ。

ていうか、10年以上経ってるのに未だ同じブランドが存命してるのも地味にすごい。。

あの頃に比べたら自由にできるお金は増えたけど、長い人生を考えると一気にポンと使えない。

あと一年となったら即行現金握り締めて買いに走る。

仕事は辞めないけど頑張らない

今は頑張ってるけど、もう頑張らない。

人の顔色伺わないし言いたいことも言うし残業もしない。

辞めない理由は、やりたいことをやるためのお金を稼ぐため。

昇給も望まんなら頑張らないでそこそこ最低限会社歯車の一部になります

パートナー旅行に行く

地元を離れ、親と物理的に距離ができてから、ようやく親が苦手だったんだなって気づいた。

そして家族とは?親とは?と闇闇闇闇だったんだけど、パートナー出会ってからいい感じに上書きされた。

家族というものメリット面を知り、本当に幸せ感謝してる。

から二人で、行きたい場所できるかぎり回りたい。

私がいなくなると悲しむだろうから、それだけは心残り。

まだあるけど疲れた

書き出してみて思ったのが、わたしは将来のこと考えて動けない状態になってんだな。

将来なんてどうなるかわからんのに。

少しでもリスクがあると怖くなって逃げ出す癖がある。

から車の運転も苦手でペーパードライバーなのだ。。

2020-07-22

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く②

文字数制限引っかかったんで前回の続き

もう書くことないしここみることもないです

フリーター時代

仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校同級生で、今も一緒に暮らしてる。

彼女大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。

ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。

めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。

その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。

常連クレーマーかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。

多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。

お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっとクリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。

バイト始めてから仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。

ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。



行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。

そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)

その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達自分ことみたいに喜んでくれた。

今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。



転職して休職するまで

転職先はインフラIT企業警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!

研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリ彼氏出会ってお付き合いに至る。

なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするとき絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。

私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。


年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイト現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……

初めての夜勤最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。

夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナ流行りだしてから通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。

それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。

夜勤は広いフロア20しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。

通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。

日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。

この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手解釈して片付けてた。

食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。

これが、5月20日頃の話。


私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。

今までにないくらいの満員電車職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。

コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。

6月10日の夜。

気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去自分に言いたい。

痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。

そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社メンタル病んで辞めた人だった。

日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINE自殺相談チャットとか、自殺相談電話とかを週に2、3回してた。

6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手会社の中で泣きそうだった。

15日以降は通勤電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。

確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。


22日はコロナ抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。

自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。

その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。

突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。


流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホーム椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。

先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。

その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。

やっと自分限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。



最初看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。

カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。

私は今までの人生母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。

お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。

私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。

他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。


その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。

心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。

そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなた場合はお母さんから言葉があるのかも」と言われハッとした。

「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。

元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすタイプなこと。今回は後者きっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職診断書を書いてくれた。

私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。



休職してから

会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。

一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。

最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。

でも、彼氏友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給祝日存在しない」と言われた。

そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。

薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。

何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!

今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。

外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。

当面の課題電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。

徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。


最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。

それから真・女神転生3 ノクターン HDリマスター、発売決定めっちゃ嬉しい。はよ復職したい。

私立女子校の思い出語り(支離滅裂で長くてつまらない)

私は某私立女子校卒業生である。身元を特定されたくないので、入学卒業年度はフェイクにした。

これを書いたのは、学校自体にそれほど恨みはないが、中学校口コミを集めるサイト誹謗中傷判定されているのか自分体験談が載せられないことに違和感を覚え、とりあえずどこかに載せたいと思ったからだ。

====


入学1週間で始まったいじめ

北の大地に建つ某私立女子校(以下、S校)が私の通っていた中学校である。これだけで候補がだいぶ絞られただろうと思う。

S校には、各地から生徒を集めるため、寮が付属しており、2010年頃、私は関東の親元を離れて入学・入寮した。

入学式の日は今まで訪れたこともなかった土地での親元を離れた生活に心を躍らせていた。この先6年間、新しくできるはずの友達と一緒に楽しい寮生活を送る自分想像していた。

しかし、私のその期待は叶えられなかった。というのも、入学してから1週間が経過すると、たちまちいじめが始まったかである


いじめっ子は入学してわずかな期間でスクールカーストの上層に地位を築き上げた“かわいい子”(以下、H)とその取り巻きである

Hは外国の血が混ざっているとかで目鼻立ちがくっきりしており、明るい色のくるくるした地毛が愛らしい子だった。そのかわいさとハキハキと物を言う性格から成るカリスマ性を発揮し、あっという間にクラスの内外で忠実な部下をこしらえた。

いじめ理由は大したことではなくて、要約すると「気に入らないから」。気に入ってもらえなかった原因はさっぱり分からない。

(Hとは入学式の前にあるガイダンスで知り合ってはいたが、「綺麗な髪だね」「これ地毛だよ」「そうなんだ」と会話したのち、すぐに別れた。綺麗な髪だねという言葉彼女の気に障っていたのだろうか)


Hもその取り巻きも中1女子だったので殴る蹴るなどの暴行はなく、主にシカトハブ掃除の押しつけ・呼び出しての暴言が主だった。

同じ寮生のみならず、自宅から通う生徒(以下、自宅生)にもHの影響力が及んでいたようで、友達は一切できなかった。

教室でも廊下でも校庭でも教師の目がないところでは常に陰口をたたかれていた(らしい)。

テストの点数が良ければカンニングだと根も葉もない噂を立てられ、点数が悪いとき知的障害者だと笑われた。よく分からん噂で教員説教されるよりも、バカだ、知恵遅れだと言われるほうが楽だったので、テスト時間いっぱい寝るようになった。もともと授業態度が良い方ではなかったのでなんら不自然ではなかったと思う。

彼女らの寮則破りはすべて私の責任になって、しょっちゅう先輩や寮母に怒られていた。生徒間では私に友達がいないことはほとんど周知の事実だったのに、部屋のお菓子パーティーの声がうるさいとか片付けがなってないとか怒られた。

在室時は部屋の前にスリッパを並べるのが規則なのだが、毎日、知らぬ間にスリッパ廊下の端と端に飛び散っていた。寮則違反なので怒られる。

乾燥室に干した衣類はぜんぶ床に落とされ、足跡が残されていた。何度だって洗濯する。1回100円、中1には痛い出費だった。

洗濯機を回している時に目を離すと止められるので、洗濯中は見張る必要があった。トイレに行った一瞬で止められたとき相手気合の入れように驚いた。

週末の昼は寮の洗面所に呼び出され、4~5人に囲まれて1時間から、長いときは3時間くらいひたすら悪口を聞かされることが多かった。負けず嫌いだったのでいじめっ子たちの前では絶対に泣くまいと歯を食いしばって聞いていた。慣れると聞き流すようになった。

避難訓練の際、自分スリッパが見つからず、裸足で外に出る羽目になった。「ガラス片が落ちていたら危ないでしょ? ケガしたいの?」と寮母に怒られた。スリッパ洗面所ゴミ箱から見つかった。汚くなっていたので買い替えた。

一番ダメージが大きかったのは、いじめが始まる前までは口をきいてくれていた子たちが、Hの「増田と喋ったらハブるよ」の一言で口をきいてくれなくなったことだ(寮生活を始めたばかりの13歳の女の子たちにとって同級生からハブられることは何よりの脅威だった)。

いじめが始まる直前まで仲良くしてくれていた子に「増田のことは嫌いじゃないし、増田は何も悪くないと思うけど、私もいじめられたくないから……ごめんね」と言われたときは、さすがに堪えて、1日中ベッドのなかで泣き続けた。(断っておくが私のケースでは、こうして私から離れた子、私と話さなくなった子は何も悪くないと思っているし、今も彼女らを責める気はない)

泣き続けるかたわらで、いじめっ子のひとりが同室の子と楽しそうに喋っているのが心底ムカついた。単純に、死ね、と思った。

家族悪口を言われたこともあった。両親に申し訳なく思った。


両親は私がいじめられていることを知ると、高い入学費や学費を払ったのにもかかわらず、すぐに「いつでも戻ってきていいんだよ」とか「退学したくなったら言いなさい、退学手続の準備はできてるから」とか「がんばって通い続ける必要はまったくない」とか「退学していじめを避けることは逃げでもないし格好悪いことでもない」と何度も何度も私に言い聞かせて、自分たちが味方であること、逃げ道があることを教えてくれた。

逃げ場を提示するという両親のサポートのおかげで私はいじめを乗り越えることができたのだと思う。

※決していじめは乗り越えるものではない。むしろ逃げるほうが最善・最適である。周囲に何と言われようといじめられている子供いじめを乗り越えようと努力する必要はないし、何より周囲は彼・彼女いじめを乗り越えさせようとするべきではない。


表立ったいじめ中学2年生の夏頃まで続いたが、寮生ほど影響力を及ぼしづらい自宅生の子たちが喋りかけてくれるようになったのをかわぎりに、いじめっ子集団以外からハブりやシカトはなくなった。中2の夏休みが終わった後にようやく友人がひとりできた。

相変わらず掃除の押しつけやパシリ悪口・陰口は続いていたが、私自身も慣れてしまったのでほとんど気にしないで学校生活を送っていた。


いじめられている後輩の退学時期を予想して遊ぶ私たち

中学3年生になった頃にはいじめっ子集団を除いた同級生とはおおむね仲良くしていた。

スクールカーストトップグループとはいえ彼女たちを嫌う生徒も出てきたからだ。そういう子たちは彼女らの前で嫌悪感をあらわにはしなかったが、それまで避けていた私との交流を持つようになった。

そうして心に余裕が出てくると、2学年下の中1の間にも同じようないじめが起きていることに気づいた。話を聞くと、1年前(私が中2の時)も新1年生の間でいじめは起きていたらしい。さらに毎年、1年生は誰かしらひとりがいじめられると聞いた。

いじめられているのは、少し太っていて、自室のベッドに引きこもり、お風呂に行かなくなってしまった女の子(以下、K)だった。

わが寮では、「いじめられる側にも非がある」という考えが徹底していた。

いじめられっ子にはいじめられるような理由があるのだからいじめられたくなければ自ら改善しなければならない。改善努力がないならいじめられても仕方がない』

こう考えることで、私たちは後輩間のいじめを黙認し、いじめを止められない自分たちを擁護していた。

実際、Kちゃんは「汚い」「くさい」って言われているのに風呂に入らないんだから、まあ仕方ないよね、とかなんとか話した記憶がある。

風呂では当然、全員が裸になる。私も経験があったが、風呂場では普段見えないところの悪口を言われる。私も体毛が濃いことをさんざんバカにされた。勝手憶測だが、Kもおそらく風呂場で太っていることを笑われたのだと思う。それで風呂に入れなくなってしまったのだろう。彼女は何も悪くなかった。

さて、入学から2ヶ月経つと、Kは夕食の場にも出てこなくなった。その頃合いか上級生の間では彼女が退学する時期を予想するのが流行りだった。

「去年の▼▼ちゃん夏休みが終わったら帰ってこなかったんだよね」

「Kちゃん夏休みじゃない? ぜったい帰ってこないよ」

「いや、夏休み前にやめそう」

「Kちゃん電話で『やめたい』って言ってるの聞いた子がいるから、私も夏休み前だと思う」

みんなで休日お菓子を食べてカードゲームをしながら、その話題で盛り上がっていた。

私も、「増田はどう思う?」と聞かれて、「1回親元帰ったらもう学校には戻らないんじゃない」と答えていた。

賭ける? という言葉もチラホラ出てきた。お菓子を賭けて遊ぶのだ、いじめられている子がいつ耐えきれなくなって退学するかを。

後輩間のいじめを止めようともせず、いじめられる人に非があるという考えに迎合している時点で手遅れだが、賭けへの参加は固辞した。

結局、Kは夏休み開始と同時に退寮・退学した。親御さんも来て片付けをし、最後、寮の玄関で寮母に「ありがとうございました」と頭を下げていた。

食堂の窓から退寮する彼女を見かけた。入学時は小太りだけど小綺麗な女の子だったのに、たった半年も経たずにずんぐりと太り、髪もボサボサで、みすぼらしくなっていた。

弁当箱を洗いながら、2学年下のKと同室だった後輩の「やっと部屋の空気が綺麗になる」という言葉を聞いていた。


ちなみに私の代では、中2になってから同時進行でいじめられるようになった他の子が2人ほど中途退学した。

入学時の人数が最多だった私たちの代は、卒業までの間に減った生徒数も最多だった。


あなた中学しか卒業していないので卒業生ではありません」

2年間をいじめ無駄にしたものの、私は卒業まで在籍し続けた。

だが、付属高校エスカレーターで進学する気にはなれなかったし、それ以上在籍する価値がある学校じゃないという親のアドバイスもあり、外部へ進学した。

そして、高校2年になる直前くらいに、かつて仲良くしていた自宅生の子から久しぶりに遊ばないかという誘いを受けた。

私が3年間過ごした寮は卒業生なら無料宿泊できることを知っていたから、快諾した。卒業生の先輩が泊まっていたのを見たこともある。

念のために、電話で寮に問い合わせ、確かにまれることも確認した。

しかし、事はそう簡単に運ばなかった。

いざ荷物を持って寮まで行ってみると、問い合わせたときとは別の寮母(当然顔見知り)が、

増田さんはね、中学しか卒業してないから、ウチの卒業生扱いはできないのよ」

と言ったのだ。

おもしろすぎて笑った。いや、中学卒業してるんですけど。今あんたも言ったけど、中学卒業生なんですけど。

なんとまあ、中学のみだと卒業生認定してもらえないらしい。

心の底から、くだらねえ学校だな、と思った。


いじめてきたやつはせいぜい一生苦しめ。そんで死ね

あースッキリ

anond:20200722000647

普通にアート歴史とかならって評論系にすすめばいいのでは

・そのために転科がひつようなら試してみればいいのでは

ウェブデザイナーとかで芸大肩書もってたら現役大学生でもすぐとってくれるところあるだろうから中退して即働き始めてもいいのでは

 

あとせっかくだから情熱をみつけるまで休学という手もあるけど、

芸大は休学費用が高いときいているので

やっぱ早めに退学して一浪として次の進路を狙うのでもいいとおもうよ

いま少子化文系学部スカスカから

2020-07-21

anond:20200720142437

潔癖が自分の行動を当たり前のように他人に勧めるの勘弁してクレメンス

ほんとそれな~。そんな細かいこといちいち気にしてらんねえよって感じ。

マスクしないのは自由だけど、他人に話しかけてこないでほしい。

どうせレジや窓口もバッチリガードしてるしゴム手袋つけっぱでレジ打ちしてるんだからマスクしてなくたって別にいいでしょという感じ。

変えたくないのは人の性だからしょうがない。それを利他の心で変えていくのがおもしろいんじゃないか

友達ともろくに会えず楽しみにしてた映画が次々と延期になりバイトもなくなり学費払ってるのにまともに数ヶ月図書館すら使えない状態に置かれておとなしく我慢してたんだし、こないだは献血にも行ったし、もうこれで十分に利他したよ。これ以上の利他心を発揮してほしけりゃ色々なものを返してほしいわ。なんであれだけ痛めつけられたのにまだ他人心配をしなきゃいけないの?

潜伏期間中に他人うつさないこと」「ウィルス媒介してしまわないこと」が主な目的なので、症状があるかどうか関係なくマスクはしてください。/ スーパー入店時に消毒しないとほとんど意味がない。

マスク目的は知ってますが、見ず知らずの他人健康よりも自分精神衛生の方が大事だというだけの話なので。

もう十分我慢してきて色々なものを奪われてきたのに、なんでこれ以上他人を気遣って自分不快感を押し殺さなきゃいけないのかがわからん。もううんざりなんだよ。

都内住みだけど、忘れたとかでマスクしてないときはすごく視線感じるよ。帰宅して手を洗わないとか書いてるし、この増田釣りじゃなければ相当鈍いんじゃない?

それマ? ノーマスク新橋池袋渋谷闊歩したけどちっとも視線感じんやで。どこの東京の話?

マスクつけないと、聴こえる声で陰口叩かれるから注意な

幸い陰口叩かれたことはないけど、仮に叩かれたらその場でめっちゃツバ飛ばしまくる勢いで食ってかかってやるわ。

コロナウイルスは当初 boomer remover と呼ばれていたけど、最近の状況やこの増田を読むとDQN remover と呼ぶのがふさわしい気がしてきた。

去年と同じ生活様式続けてるだけでDQN呼ばわりされるんすね。そんなクソ連中の言うことなんて誰が聞いてやるもんかって話なんだよなぁ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200720142437

学費が稼げなくて風俗に来たり、観光業などでリストラされたOLなどが風俗に来ることが多くなっているとニュースが出ていた

岡村さんのいうことは正しかった、叩いた奴らは酷い連中だ

偉大なる予言者岡村神を讃えよ

2020-07-20

何も与えられなかった私と、与えられた人間への恨み

幼少期に家に本があり、勉学をする環境が整えられ、何より食べることに困らなかった人間が憎い。

私はとある部落に産まれ落ちた。教養常識もない。最近になり人間は1歳ではなく0歳で産まれてくることを知ったほどだ。幼少期は食事にありつけないことも少なくなかった。

物心ついた頃には母親はおらず、父には毎日暴力を受けて育った。

就学前の教育は一切なく、小学生になってから部落まれ忌避された。給食費等は父が払ってくれなかったので教師からも疎まれていたように思う。とにかく周囲の人間はすべて敵だったように感じていた。

何も与えられなかったが、知能と運動能力は著しく高かったと思う。

程なくして才能を見出され、野球を始めた。能力は高かったので、私がいれば勝てるという理由で月会費をチーム内の父兄負担してくれた。父が野球をしている私を見に来ることはなかった。

ただ、なんとか野球を続けることができたおかげで、中学時代関東ではそこそこ知名度のある選手となり、県外の高校特待生として進学することができた。父は中学を出たら働き手として収入源にするつもりだったようで猛反対していた。

やっと親元から離れることができた。高校では寮に入り野球漬けの日々を過ごしていたが、勉学にも懸命に励み、スポーツ馬鹿偏差値の低い高校ではあったが、定期テストで学年1位を譲ったことはなかった。

野球の方でも一定成功をしたので特待生大学からスカウトもあったが、将来を考えて一般入試でのいわゆる高学歴、難関大への受験をした。父はもちろん怒り狂っていた。

このあたりで母親と再開した。記憶の上では初めて会う母は、貧しいにもかかわらず私の大学受験支援してくれた。

結果として受験はまずまずの結果で、当時偏差値70前後私立大学合格することができた。野球しかしてこなかった人間としては上々だろう。

もちろん私立大学学費など身内の誰も払うことはできないので、私は700万円の借金を背負い大学進学をした。大学では飲み、賭け、遊ぶ、模範的生活を送った。この頃から父の存在は頭から欠落している。

その後大学から言えば当然程度の大手企業就職し、働くようになった。

ここから社会に馴染めない私の人間性とそれを醸成した環境の劣悪さに気付き、同時に「マトモ」に育った人間への嫉妬憎悪が芽生え始める。殴られないように父の機嫌を取っていた卑屈さが、幼少期に教育を受けられなかったせいで常識マナーが欠如している点が、他者の反感を買い、実社会での孤立を招いている。

かい家庭で育てばこんなことにはならなかった。努力できるレールが敷かれていればもっと良い企業に入っていた。環境が憎い。豊かに育った人間が憎い。愛されていたかった。愛とはなんなのか。お前ばかりなぜ愛されるのか。というように、環境から自分へ、自分から他者への憎悪へ、姿を変えて何かを恨み続ける人生を送り始めている。

見かけだけは普通人間を演じている。怒りや憎しみを抱えながらも。

私はこのまま何かを憎み続けて生きていくのだろうか。

留年が確定してしま

留年が確定してしまう。どうしよう。ちょっとずつ綻んでいたがもうだめだ。母にはそれとなく伝えたけど言わないほうが良かったかな。実験やらCADCAMやら全部実習で出来なくて図書館資料も読めずたしかに授業やり直したいとは思ったけど授業料140万を払ってまでやることでは無い、と思う。わからない。父には優秀な成績を修めて院に行くつもりでやれと言われていたのにまず学年が上がれない。院なんて行けないけどその分のお金留年する学費に当てたらトントンじゃないかな、許されるかな。うちの学科留年率3%とかだったよな。死にたい

お兄ちゃんの話

高校中退してからずっと実家にいて働いていない、今年38歳。(私は今年33歳)

親が放任主義というか、時代も古いし、田舎からなのか、そういう診断は受けてないけどたぶん発達障害だったりなんからコミュニケーション障害だと思う。

中学でずっといじめを受けていたらしいがそれを知っているのは父母ではなく祖父母で、私は成人してから祖母からその話を聞いた。

父親幼稚園の私と小学生の兄にエロゲやらせていたし(といっても旧時代のなので脱がしピンボールとかすごろくみたいなやつのえろコマでお姉さんのえっちな粗い画像が出るくらいのやつ)、性欲が強く、ポルノ小説読み、テレビを見ながら「やっぱり裸に白シャツっていいよな」と言い、幼少期から不眠だった私の横で母親と週2くらいでセックスしていた。普段から怒鳴るか不機嫌に黙っているかの人で(ただし職場ではにこにこして昇進もかなり早く受けがよかった)、そのストレスはだいたい全て「出来損ないの兄」に向かっていた。

兄とは私が小学四年生の頃くらいから会話が通じなくなっていた(おそらく私以外の人間とも)。三年生くらいまではよく一緒に遊んだし、遊びに見せかけて、一方的に私が殴る蹴る、エアガンで撃たれるなどの暴行を受けることも多かった。(私はただ謝りながら耐えていたが、そういう場面を父親たまたま見ると「どうして自分は悪くないのに謝ってんの?」と言って笑われていた。)

母はあまり強いひとではないので、というか、父も母も育児にはあまり興味がなかったので、全くネグレクトとは関係がないが(きちんと育ててもらった)、躾的なことはされたことがあまりないし、父の爆発や兄の暴力については感知しないようにしていたと思う。

17歳の時に、私には好きな人ができたが、兄が完全にニートだったし、男性恐怖症のようなパニックのようなものがあったので、みんなみたいに付き合ったりはできないなとその時に強く感じて、私は人と付き合ったことがない。(ちなみにこの前「32歳腐女子ヒャッハー毎日」に自分性的な遍歴については詳しく書いた)

正確には、好きな人が出来ても結婚はできない(私は兄や親を養うべきだし、そこに好きな人を巻き込んではいけない)と思ったので、相手時間を奪いたくなくてそもそも人を好きになるという機能を捨てようと努力してきた。

私の話が混ざってしまったが、兄は本当に実家から出ずに生活している。そのことによって生じる実害としては、少しの食費が親にかかること(だが親にとってはこれは全くたいしたことではない)、私が恋愛および結婚をできなくなったこと、くらいで、とくに兄が悪いわけではないし(私は結構親が悪いと思っている)、むしろ兄の分の学費スライドされて私は大学に行けたし、持ちつ持たれつだなと思う。

親2人は、兄と私の人生を(私の場合は家庭のストレス病気になり15〜25までほぼ正常な意識がなかったのと、寿命が60まで減ったくらい)潰して、普通生活というのをなんとか維持し、いまや65歳で悠々と暮らしている。私達を育ててくれたのは親だし、こういうこともあるんだな、と思う。

少し前までは、職場家族話題が出たり、家族構成について聞かれたりする度に泣いていたけど、さすがに歳もとって処し方もわかってきた。

ニート引きこもりの人、状況が許すなら無理に就職しようとか自分を追い詰めなくてもいいと思う。一生引きこもっていてもいい。許される場合だけだけど。

みんなあんまりカリカリ考えなくていい、のんびり迷惑をかけたりかけられたりして生きればいい。私は家族好きだ、私が家族を好きなほど、家族は私を好きになってはくれなかったけど、それでもお兄ちゃんが生きていていいと思う。昔は家族全員殺して家に火をつけようと度々思っていた。

たくさんの時間や一部の選択肢家族から奪いはするが、引きこもりたいならそれでもいいよ。だけど、自分のように苦しむ子供が少しでも減るといいなとは思う。

引きこもるよりは社会と関わった方が幸せも大きいんじゃないかな?と私は思ったりもするが、人それぞれだろう。

徒然なるままに書いてしまったので何が言いたいんだこの増田という感じになってしまったが、まあ、たしかニート引きこもりは減った方がいいのかもしれない。でも家族にくらいしか迷惑をかけないなら、引きこもりのままでも別にいいと私の場合は思える。

そういう考え方もあるということを、引きこもりの兄の妹の視点からインターネットの海に残しておきたいなと思った。

2020-07-19

コロナ時代大学授業料が高すぎるとは思わない

配信講義という授業形態に挑戦させられている講師陣、コロナ対策状況に対する資料をまとめなければいけない大学スタッフ、便利なピペット奴隷や手足を失った状態研究をすることになった教授達、それぞれがそれぞれに普段より多くの給料を貰ってもバチは当たらないような負荷をかけられている。

大学授業料というものは、その大学の質に対する維持費だ。

特に日本のような学歴社会於いては。

この大学はこれだけ凄いので、そこを卒業する私はこれだけ凄いのですと就活合コンの場で言うために学生学費を払っているのだから

ですがこの状況に不満がある意識の高い学生さんもいるでしょう。

そういう人達は休学をすればいいのです。

大学には休学という制度があります

とても素晴らしい制度です。

ぜひ、お使いになるとよろしいでしょう

いつまで続くのだろう

ぼく、都内私大の2年生!もちろん授業はオンライン!秋もオンライン

でもさ、来年の春から対面に戻るとはだれも言っていないよね。今はまだオンラインでもやっていけるが、来年もこの生活が続くといわれたら正直大学に居続けるかは怪しい。

ぼくは大学に授業だけを求めて入ったわけじゃない。友達サークル、様々なことを期待して受験を乗り切って入ったんだ。

でも今は何?毎日授業を受けて去年より5倍くらいに増えた課題をこなし続けるだけ。一回授業を見逃すだけで全くついていけなくなる。教室だったら知り合いを探して聞けたのに。(LINEとかで聞けばいいじゃないかというかもしれないが、教室で会って少し話す程度の人間の連絡先なんて持たないだろ)

授業が終わったらパソコンYouTube開いて暇をつぶすだけ。友達と飯を食いに行ったり、競艇見に行ったり、公園アイス食いながらどうでもいい話をしたりする、あの楽しい時間が全くない。

みんな娯楽をやれというけど、実家に自室もない自分はどうすればいいんだろう。今まで部室でやってたエロゲができないのがつらい。

社会、ムカつくよね。

ちょっと前までテレビテレワークとか初等教育オンラインだとか言って、みんなオンラインで大変だよなぁ、なんて思ってた。

でもなんですぐに元通りにしちゃったの。今や小中高は通常通り。飲み屋も深夜までやってる。テレワークなんてもはやなかったことにされた。それで感染者が増えただなんだってそりゃ当然だろ。新しい生活様式ってなんだよ。本当に収束させたいならだれも外に出すなよ。マジで

世間体ばかり気にしている大学にも幻滅した。マスコミには、「対面授業を再開します!」なんて言ってるけど、ほぼすべてオンラインだってメール学部から来た。嘘つくなよ。大学独自給付金だってマスコミにはあたかも全員に配るみたいな言い方をしておいて、実際は学生10%未満にしか配れなかった。せっかくオンライン授業で外に出なくていいのに、学費のために感染するリスクを冒してまで働いている学生がいるんだよ?

大学からくるメールを見るだけでムカついてくる。「図書館の本借りれるけど送料学生持ちね!」「学生学費ちゃんと満額払ってね!大学ほとんど使えないけどオンラインで大変だから減額しません!」もっと前向きなことは言えねぇのかよ。なんで年間100万以上持っていくのに図書館の送料すら出させるんだよ。学生から金をむしり取る事しか考えてない。

もう全部終わりにしてくれ。コロナ終結するか、社会終結するかのどっちかでいいから終わってくれ。みんながGOTOキャンペーンで全国にウイルスバラまいてくれれば、人がバンバン死んで、とても楽しい世の中になる!

2020-07-18

anond:20200715015022

書いたの私の妹ですか?ってくらい私の家庭事情そっくりでした

うちは言葉暴力がない分父親には光熱費学費も何もかも滞納され、母親には奨学金を使い込まれてるので、絶対結婚なんかしてやらねえし子供なんか気が狂っても産まねえと思ってます

子供を産んで生まれ感情は「自分はこうして欲しかった」というエゴだけ 子供なんて絶対に産まないほうがいい…

大学生日常も大切だけど

 コロナに罹ったらその日常すら過ごせなくなる。

 キャンパス内で三密を避けながら講義を行うことは困難だ。徒歩で通学できる学生限定して対面授業にするくらいなら現実的だけど、その方法を採ったとしてキャンパスに行けるのは全体の何%なんだろう。

 大学クラスターが発生した日には医療機関に多大なる負担をかけ、大学と生徒は白い目で見られることになる。そしてコロナ罹患したら最悪死ぬ

 自分大学生だ。友人にはロクに会えず、お粗末なリモート授業はどう考えても学費に見合っていない。就職する頃にはおそらく大不況。はっきり言って、コロナのヤバさを知っていたくせに春節でのこのこ来日してきたボケナスどもと目先の利益に目が眩んで大した規制もしなかった政府クルーズから下りた後大人しくしなかった老害が許せない。

 しかし、いくら文句を言ったところでコロナ収束してくれない。過去は変えられない。GoToキャンペーンの是非は置いといて(個人的には反対寄り)、義務教育である中学校よりも対応が後回しになるのは致し方ないことだと思う。

 歴史においてどの時代もどこかしらがクソで、令和においてはそのクソな部分がコロナなのだろう。

 例のハッシュタグを見つけたとき当初は恨み辛みを書き連ねてやる気満々だったけど、書いてるうちに諦観の方が強くなってしまったのでこっちに書いて投げた。

2020-07-16

授業とは😊

8月から実践の授業を学校でやるために、ライブ配信型の授業が7月いっぱいで終わるらしい(ライブ配信型授業と実践の授業が被ると大変だから)。だけど15回の授業は終わらせないといけないか8月にやる予定だった3回分の授業は全て課題提出になるとある科目から連絡があったんですけどもはや笑うしかない。

その連絡をしたのがまだ一科目だけなんだけど他の配信型授業も課題提出だけになってしまったらいよいよ学費を払う意味が分からなくなるなあ、今もちょっとからないけど。

ちなみにその実践の授業は私は受ける予定がないんだよね。受けない授業のために受ける授業が消えるの笑えるね。

anond:20200716160349

オンライン授業のために学費設備維持費払ってる訳じゃないんだけどな

図書館すら使えないのに恵まれてるはないだろ

オンライン授業

大学入構禁止のまま後期も確定してそのくせそろそろインターン行けだの施設の維持費がかかるんだから学費は返せないだのうぜえ。何の作業もせず教員がやった実験図書館にも入れない今レポートにまとめてzoom越しに批評を受けて重たい上に画面をほぼ占有する大学で使っているのと違うソフトCAD操作がわからないままもうCADなんて授業でやったから余裕でしょみたいにやらされてバーーーカ。別にオンライン授業でいいか図書館PC室とプリンターだけ使わせろやなんで徒歩五分で快適自習空間あるのに入れねーんだよボケ

2020-07-15

東大について anond:20200715232718 anond:20201030212113

ワイの東大上司が過ごされたご実家環境は、

家族オペラとか海外旅行とかテニスとかは当たり前で衣食住のレベルも高かった

東大上司節約すれば600万でも夫婦2人なら暮らせる」とかトンチキなこと言ってた(実話)

ご存知だと思うけど、日本の平均世帯所得は560.2万円、平均所得以下の世帯は61.5%

1馬力で600万以上稼ぐには「市場価値の高いスキルがある」か「大企業(連結万規模)に入る」か「士業をする」とか限られる

しかし、この600万は当人にとっては不足の額で「節約すれば」とか「一時的なら」ギリギリ耐えることができるって額なのよね


なので、本人の努力とか才能とかそれ以前の話じゃないですかね?環境レベルが違い過ぎる


東大アイビーリーグみたいなクソみたいな学費は掛からないので下々のご家庭から東大へ行く人は行くけど、

50人に1人は1億円以上の資産があるご家庭の生まれかも?と同じく、

親が蒸発したり親が勉強妨害したりも決して珍しいことでは無いので、お金だけでも問題は片付かない


ただ成人すれば自分自身勉強する環境を作ることが出来るので現役で東大を目指さなきゃイイだけな気がする


声優佐々木望 (AKIRAの鉄雄 や 幽☆遊☆白書で幽助の声とかやってた人) も

成人してから働きながら東大法学部卒業したやで?


佐々木望 official web site]声優佐々木望です。このたび東京大学法学部卒業しました。

https://todaidays-nozomusasaki.com/

結婚してから人生は親の財力が大いに影響する

結婚式にしても、出産子供ライフイベントにしても、家を買うにしても、

実家が太いと普通に援助してもらえるんだよな。

もとを辿れば大学学費家賃の補助なんかもそうだし、

最終的には遺産という形になって入ってくる金額に至る。

もちろん、自力年収を上げることでいくらでも上にいけるが、

世の中ポンッと結婚式お金を出してくれたり、

マンションを買ってくれるような人もちょいちょいいたりするんだな。

何年も働いて返す奨学金なんて借りる発想もなくて、

10年15年かけて頑張って貯めたお金を「これでも使いな」って出してくれる。

そんな当たり前のことに、40手前で気づいたわ。

anond:20200715021539

うちの大学学費の半額を払わなきゃいけなくて、それを自分で払うとなるとちょっと厳しい

一応奨学金借金になるのが怖すぎて貯金してきたんだけどゴソッと減ることになる数字のショックに今の精神状態で耐えられる気がしない

あと今マジで一銭も大学に払ってないからその状態から数十万払うとなると「出費」って感覚になるんだと思う

これ書いてて思ったけど、物質的に無理と言うよりは精神的に無理なのでなんとか自分を納得させて休学する方がいいのかもな……私にそんなことできるのか……?

anond:20200715020402

休学中は学費じゃなくて10万円前後の休学費用払えばいいはずだけど、

それ払うのも厳しい感じ?

anond:20200715020000

したいんだけどできる状況じゃなくて

普通に在学してたら学費免除なのに休学してる間の学費は払わなきゃいけないんだ 笑える

低能大卒職務経歴書

学歴:専門卒

増田読んでると色んな人の生活とか人生観とか色んなものが見られてすごく面白いから自分もまとめてみた。

正直事務とかふつう仕事は無理だろうなと高校のころからうすうす思っていた

注意欠陥までいかないと思う…けど、色々と普通のことが普通にできないからだ、銀行とか絶対無理タイプ

ていうかコンビニバイトも無理だったしスーパーレジ打ちもおぼつかなかったし後述するけど倫理観ちょっと常人とくらべてガタついてるところもある(あった)おまけにコミュ障すぎずコミュ強でもないが自分センスいいと思っている最悪な部類のやつだった

進学高でもなんでもない普通学校で成績は中の下か下の上だったので受験ははなから選択肢になくなんとなく選んだ専門学校に行ってた。学費免除特待生は受からなかった。

新卒で入った会社

うだつの上がらないままコネ待遇もよく確認できないまま新卒入社したところは所謂技術職で入った、専門学校勉強してたのとは全然関係ない仕事だった

初任給10万切ってたけどはじめてお給料もらえた時はめっちゃうれしかった。仕事ぶりはというと今振り返るとはっきり言ってかなり低能で、つかえねー部下だった

生意気な口ばっかりきくし特段仕事ができるわけでもない…人望もない…若いだけのクズデブミス多い…でもその割に上司ふつうに接してくれたと思う

激務すぎてやめた、社内のやりたい仕事へのルートすら能力が足らなくて開けないし、かといって激務のなかでこじ開ける努力をするのは困難と感じたのもあった。あとなんか2年目くらいかストレスのせいかめちゃくちゃ太りはじめて怖かった

でも4、5年くらいいたかな…お世話になりました…まじで…10ちょっとで月400時間くらい働いてたと思うけど…感謝

まり人に言えない派遣社員時代

こっから流浪派遣生活が暫くつづく、この期間が暗黒、黒歴史、一番社会人としてやばかったと思う

度を越した長時間労働・低収入だったか派遣になったとたんもらえる賃金自由に使える時間が爆上がりしやっと一人の人間になれた気がした

それはいいとして、そのうちの一社業務中に別のことに夢中になってたのがバレて(犯罪行為ではない)即効契約終了になったりしたのも懐かしいが、っていうかほんと今考えるとありえなすぎる

でもこれやりたい!と思うと我慢できなくなっちゃってたんだよな、我ながら怖すぎるだろ

他の就業先でも契約満了になったの直接いわれてないけど業務中のネットサーフィンがどうしてもやめられなくて、あれが原因だったんだろうな

どうも破滅するってわかってるのにそれでもやめられないみたいなところがあり、本当に怖い。今は加齢して枯れたのか人間としてちょっとましになってきたのかここまでやばいことはなくなった

暗黒期はそれなりに長かったが色々あって収入は増えたはずなのに初期はとにかくめちゃくちゃ金がなかった、お金なくて100円の野菜買おうかどうか腕組みして棚の前で15分くらい考えるくらいには金ほんとになかったよ、よく生きてたな実家帰れよって今なら思う。

理不尽なのはそれくらい貧乏だったのにデブはそんなに変わらなかったこ

体育会系ベンチャー

そっから一応技術的な成長とか将来性とかも考えて直雇用転職したが…次はまあなんかヤンキー体育会系ベンチャーって感じだった。2年半くらいはいたか

つるんでる会社もまあ数年前は話題になってたけど近年は資金繰り悪いとかそんなばっかで斜陽、パッとしない感じだった。だっさ…ていうか情弱かよ…?って正直思ったりしていた

なんか体質的に合わねーな、ハッスルハッスルしすぎだろ、ていうのが決め手になってやめた。あんまり自分スキルアップも見込めなかったし

ベンチャーって社長ワンマンだけど「一緒に目標に向かって頑張りたい」と「なんでお前のキラキラストーリー達成のために自分時間搾取されなきゃいかんのだ」の差はどこに出てくるんだろうね

体育会系方法論って小規模から成長するときには有効というのが傍でみててよくわかった、しか理解自分に合うかどうかは別

やめた後も薄目でみるかぎりスケールしてる(っぽい)のは素直に何よりです、みなさまとプロダクトのご多幸を影ながらお祈りしております

小休止から転職職能転換期

やめたあとは半年くらい充電休暇しつつ勉強しつつ転職活動だったがまあ引っかからなかった

今思えばお祈りあたりめーだろ、って感じの間違った自己アピールしてたな。その時採用試験受けて落ちてしまったけど感じのよかった企業は未だに好感度高い

ここで暇だから自宅で筋トレしてデブは脱却した。管理ハイになると体重って結構落ちるね、ほんとハイになりすぎて必要ないとこまで絞ってしま風邪ひきやすくなったりコスパ悪くなったので計画的に太った。すぐ戻った。BMI31→19.5→23。いまはもうちょっと太ったかもしれない。わからん体重計乗ってない

話がそれたが手元に残ったのは人材紹介から紹介されたまあ今までの経験は活かせるがガラパゴス業務母体はでかそうだけど成長につながらなそう…って感じだったのでしかとしてたが、いよいよのっぴきならなくなってきたのでそこに行くことにした

試しに100万弱年収アップ交渉してここは割りたくないって言ったら満額じゃないがまあまあ通っておいおい~まじかよって衝撃だった。逆に元々どんだけもらってなかったんだよってこれまでの自分ちょっと引いた

そんなこんなで最初に配属された部署いじめにあう、3年間くらいか

配属されたてのころにここでそんなこと言うなよなってレベル失言をうっかりしたこときっかけでまあ詳細は割愛するけど地味なやりかたでいじめられたわけだが逆にここでメンタルは相当鍛えられた

いじめてくるやつの仕事ぶりを見て絶対自分のほうがうまくやれるって思ったし実際自己評価しかないけど絶対自分のほうがいいものを作れてた

自分いじめてくるやつも役職なんかついてないヒラで(いじめてくるやつのほうが年上で年次は上だったが)上司は公平でいてくれたのは助かった。技術職は仕事自己満できるのが相当強いな

でもいじめ理不尽だしつらいし鬱一歩手前で家に帰ると何も手につかず風呂に入れなくなり汚く臭かったので上司面談されたりしてたが

いじめてくるくせに無能」「技術は裏切らない」

これを念じてたら頑張れた。いじめのせいで仕事休んだことなかったし(休んだりやめたら負けだと思った)仕事をかなり前倒しして仕上げて自己肯定感爆上で帰路につくのが超幸せで、今までで一番万能感に溢れてたな。家につくころには次の日の朝がいやでまたつらさが襲ってきたが。いじめられてて汚いが退社するときはめちゃくちゃ自己肯定感はあるというねじ構造だった

世間はこれをたぶん自己満て呼ぶんだろうしうるせーなその通りだよ、でもあの時の周りの人たち本当にごめんなさい。意味わからんときに涙だけ出てたりしたしカオスすぎた

ちなみにいじめてた奴はどっかにいるはずだがそれから社内でみることはあんまなかった。今は涙もでないし風呂も入れてる

そんな数年を過ごした後何回か移動もありつつ新しい仕事が降ってきた。自分で色々精査してるうち結構デカ案件に育ちそうだなーって思った。わりに普通の小規模案件として扱われててとくに注力しなそうな感じの雰囲気が漂ってた

適当にまわせばいいから、ってかんじでなんも社内資料とかなくて、まじかよってなりながら時間つかっていい許可もらってめちゃくちゃそのへんを整備した、例の一件で属人化には懲りてたか

いじめてくるやつがそういうのに関心が低く年次が上のやつが口伝していくみたいなクソ状態だった、今思ったけど自分地位キープするためわざとか?!)

そしたらなんかそのへんが評価されたらしく、その案件がでかくなってきたのとまあいい歳だったのもあり管理職になった。なったが、仕事は増えてるのに一向に給料があがんねーーー!!!バーカバー状態

なのでもらってる金以上の仕事はしないっていうのが確固たる信念になってきた

いかえると会社には何も期待しないし程々手を抜いても回るように整えていくって感じ、逆に効率化重視の動きに割り切れて自分はやりやすくなった

会社にはめちゃくちゃ自分就労倫理に基づいてそこまで求めてないやろってくらい根詰めて働く人もいるし、いろんな働き方をする人がいるからいい塩梅で回ってるのかもなって思う事も多々。自分みたいなのばっかりでもダメだしオーバーワークばっかりもだめだろう)

でも管理職ってやってみると結構面白いなと思うようになり、色々好き勝手暴れまわってたら任される仕事が増えてきた。

このへんで給料がぽんと上がりはじめる、管理するようになっておお、って額が昇給してた。おお、は単に今まで塩だった反動ではあるがなんのかんので前のわっしょいベンチャー退職時より1.5倍くらい年収あがったから運がよかったとしかいいようがない

来月から働く会社

でまあ半年くらい前にもうちょっと上の役職にならんか、と言われた

評価されたのは管理の実績らしく、業務としてはそのへんの割合が増えてくるってかんじらしい。おちんぎんがどうなるかはブラックボックスだって言われた。なんでだよ、最早期待してないからあがるかどうかはどうでもいいがそういう無責任不透明さが本当に嫌いだよって辟易通り越して悲しくなった

でもなーー、管理もおもろいけどもうちょっとプレイヤーでいたさもあったかスキル棚卸のついでに転職活動してみようかな、と考え始めた

自社で使ってたBtoBサービスが使いやすくて、最初になんとなくそ会社サイトみてたら募集があって風通し良さそうだなと思ったか

気軽なかんじでオープンポジションで応募したら受かった。面談自分フィットしそうな内容で、やっぱ職ある状態転職活動御社転職に値するかこっちも見極めますよ、って側面もあるから楽だった。不採用になっても受けてみてよかったなあと思っておでん食べてたら採用通知が来た。他のところは今回受けてないか転職しよっかなーから採用まで一か月くらいだった。働いてた会社淡々退職期間に入ったけど、社交辞令でも最終日に上司や同僚がつらかったら戻ってこいって言ってくれたのは嬉しかった

 転職先は新しい領域もいちからはじめないとなのもあり提示された年収だと手取り若干減りそうだけど手当が色々あるらしいかとんとんくらいか、まあ減額でも前職より学習環境は良さそうなので全然メリットある。あとする気ないが今まで見なし含だった残業代が出る。まあ昇給機会が多いそうだから健全会社ならなんとかなるんじゃね?でもコロナもあったし無理かな、まあいいや程々にやってくぞ、8月からまた1年生だ。

まあダメだったらウバーイーツの配達員とかも楽しそうじゃん。何個か仕事かけもちも良さそうだしご飯ほどほど食べれて雨風しのげればいいよ。

以上で職務経歴書としてはおしまいです。気づきは以下

振り返ってみて

低能大卒のわりに運がよかった、それに尽きる。

②結局自己肯定できればそれでいいと再認識できた

職歴振り返るとその時周りにいた人に改めてお礼を言いたい気持ちになった

失言が多いな、気を付ける

文章を書くのは面白い特に誰にも話せないことを書きちらすのは気持ちいい

⑥働くのは面白い

いい年のわりに未婚で恋人もおらずで友達3人くらいだが今のところそれで自己肯定がそんなに損なわれることはない

とくだん年収がめちゃくちゃいいわけでもなんでもないし子供のころからめちゃくちゃやりたかった仕事でもないしほどほどに会社というものが好きで嫌いだが

収入だろうがハゲだろうが童貞だろうが処女だろうが空気読めなかろうがギャンブル好きだろうが非正規だろうが正規だろうが

ひとに迷惑かけず犯罪行為もしてなかったら自分がアガってる状態キープできてるなら別に何でもよくない?

そりゃ自己肯定のもとが人によって仕事だったり家庭もつことだったり子供だったり配偶者自分の稼ぎだったり趣味だったり恋愛だったり、もっと別のことかもしれん。将来の不安する必要がないとか…?他にも色々あると思うけど。

まあでも自分は持ってるスペックにしてはよくやってるよな(他から評価は知らん)ていうのが強い、結局自己肯定最強だなって振り返りになりました。全部前職でいじめてきたやつのおかげかもしれない。感謝なんか絶対しないが勉強にはなった。

まれ変わったら大学生になりたいな

リタイアしたら勉強しなおして入るのもいいかもしれないな。数学美術史を学びたい。金ためとこ

2020-07-14

anond:20200714095321

普通に親に全額学費生活費出して貰った人も沢山いるが

年収700万稼げる層なら尚更、子供の頃から高い私立校代塾代出して貰って至れり尽くせりで学生生活送ってた人の方が多いだろ

朝起きて、鏡を見て、死にたいと思う。

まれてこなければよかったと思う。

こんな醜い容姿に生まれてこなければこんな思いはせずに済んだ。

人は見た目じゃないなんて嘘だよ。

見た目がよければ生きやすいに決まっている。

容姿が醜い人間は一生後ろ指さされて笑われる。

中学生とき容姿理由いじめられた。

味方はいなかった。

教師いじめている側の肩を持った。あいつはそんなことするやつじゃないと思うけどな。一生その言葉を忘れることはない。

どうしてわたしの味方になってくれなかった?わたしが醜いから?醜いやつの言うことに信憑性はない?妬んでありもしない話をでっち上げたと思った?

毎朝鏡を見て、死にたいと思った。

まれてこなければよかったと思った。

何度席替えをしても、必ず机を離された。

汚物の扱いを受けた。顔が汚いから。

休み中、ずっと、トイレの個室で過ごした。教室に戻ろうとしたら、ドアを内側から押さえられて入れなかった。

みんな笑っていた。机を離した人たちも。わたしを汚い、という人たちも。それを聞いて一緒に笑っている人たちも。みんな同じ顔をしていた。

毎日マスクをするようになった。マスクがないと外に出られなくなった。卒業式マスクをしたまま出席した。マスクをしていない写真殆ど残っていないと思う。

高校生の間は、まあ陰でいろいろ言われていたかもしれないけれど、容姿理由いじめられなかったから生きやすかった。マスクを外した。外すことができた。

3年間だけは、中学生の頃ほど、そして今ほど卑屈ではない人間でいられた。

この地獄は一生続くわけじゃないんだと思えた。終わったのかもしれないなんて思った。

逃れられたのはその3年間だけだった。

浪人することになって、予備校に通い始めた。また、はじまった。結局、どこに行っても、いつまで経っても、わたしは一生逃れられない。この顔が原因なんだから普通に生きてたら顔なんて変わらないんだから、当たり前のことなのに、どうして気づかなかったんだろう。

今でも他人の笑い声が怖い。他人視線が怖い。電車に乗っていて、若い人たちが向かいに座って、笑っていると、わたしのことを笑ってるんじゃないかと思って消えていなくなりたいと思う。

うそろそろ卒業の時期だけれど、大学生になって、一人も友達はできなかった。卒業できるか分からないけれど、卒業式には行かない。高い金払って、ブスが袴を着て、写真に残すことに何の意味があるんだろう?

卒業アルバムの個人写真も撮りにいかなかった。卒業アルバムは小学校から高校のぶんまで、ぜんぶ、自分の顔を塗り潰した。実家帰省する度、飾られている七五三写真や昔の自分写真を努めて視界に入れないようにしていた。燃やしてしまたかった。

サークルもすぐに幽霊部員になった。誰も醜い容姿の卑屈な人間友達にはなりたくない。わたしだってわたしみたいな人間友達になりたくないと思う。

教室で、食堂で、誰もがわたしのことを笑ってるように見えた。

死にたいと思った。生まれてこなければよかったと思った。

時間が経てば治るよと言ってくれた人もいたけど、12か13の頃から汚い顔は、22になっても汚いままだ。夏になったら23になるけど、23になっても24になってもきっと汚いままだ。

いろんな治療を受けたし、いいと言われる基礎化粧品を片っ端から試したけど、鏡を見ると依然汚い顔が写っている。

こんなことな子供のうちに死んでおけばよかった。自分が醜いことを知る前に死んでおけばよかった。小さいうちはブスだろうがなんだろうが生きてるだけで可愛がられてそれなりに自己肯定感を保てる。そのまま死ねばよかった。

経済的に厳しいか家賃学費以外は無理と言われて、貸与型の奨学金を申し込んだことを後から知らされた。学費家賃の足しにするために申し込んだから、とわたしの元には振り込まれない。

生活するために扶養外れて社保に入る頻度でバイトをしている。

奨学金返済するのが大変だったら結婚して旦那に返済して貰え、と父親に言われた。

びっくりした。結婚できると思ってるのか。

醜い、卑屈で、自己肯定感の低い人間が、誰かと一緒になれると本気で思ってるんだろうか。

そもそも、この家庭で育って、家族や家庭というものに憧れると思ってるのがすごいよ。しあわせな家庭のかたちというものが分からない。

まれるかたちに生まれることが出来なかった。治らなかった。なれなかった。世間のしあわせに当てはまる未来は一生こない。いつか、なんてもの永遠にこない。ちゃんと分かっている。

自己肯定感が極端に低い。他のだれかのことを思える心の広さもない。誰かに優しくされても穿った見方しかできない。

本当に性格が悪い。

経済的に厳しいのも、ひとりなのも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、自分のせいだ。

お金に余裕がないと言っていたけれど、帰省したとき100万以上かけて壁の塗装をするんだと言っていた。どの色がいいと思う?なんて聞かれた。お金に余裕がないんじゃなくて、わたしお金をかけたくないだけだ。ショックだった。金銭的に負担をかけられないから、と終電逃すまで残業するようなバイトに耐え忍んで、土地柄客層が悪くて当たり散らされるのにも耐えてニコニコ接客して、全部アホだと思った。奨学金という借金を背負ったのも、大学に進学したのも間違いだったと思った。

240万の借金240万あったら、わたしはこの顔から逃れられたのに。

わたしが醜くなければ違った?かわいい娘だったら、自己肯定感を保てるように育ててくれた?

もしそうしてくれなかったとしても、醜くなければもっと稼ぐ方法はいくらでもあった。世の中顔だから容姿が優れている子がそうして稼いでるのをたくさん見てきたし今も見ている。

鏡を見る度死にたいと思う。生まれてこなければよかったと思う。

わたしわたしじゃなければ、望まれるかたちに生まれていたら、今頃こうなってはいなかった。

まともな人間関係を築けていたはずだった。

大学生になったら楽しいってみんな言うから期待していた、間違ってた。みんなはまともだからわたしは当てはまらないってちょっと考えたら分かったはずなのに。

まれてこなければよかったと思う。

まれてきて申し訳ないと思う。

はやく沈みたいと思う。もう終わりたいと思う。続けたところで同じことの繰り返し、もういい。どこまで遡れば変わるかなってときどき思うけど、どこからやり直しても結局こうなるんだからまれてこなければよかったと思う。ぜんぶ今更だ。手遅れだ。

もうなにもかも嫌だ、

一生惨めな負け犬だって分かってんのにどうしてまだ続けなきゃならない?

底辺クズの一生に価値なんてないよ。

鏡を見る度死にたいと思う。

こんな、こんなふうに、劣等感抱えて、誰に対しても何に対しても妬んで嫉んで、こんな生き方したくなかった。

醜い容姿に生まれ人間劣等感抱えて生きてくしかないんだよ。一生。ずうっと。ずっとだよ。どんな顔に産まれるかなんて選べないし金かけない限りどうにもならないのに。

わたしが生まれてくる前にわたし容姿提示されてたらわたしは生まれてくることを選ばなかった。

毎朝、毎晩、死にたいと思う。すべてが妬ましいと思う。はやく死んでくれと思う。

何もかも自分のせいならはやく死んだらいいのだと思う。

鏡を見る度死にたいと思う。

こんなことならと思う。

わたしは一生、親を許せないと思う。

こんな容姿に産み落としたことを許せないと思う。

母親は綺麗な顔をしている。彫りが深くて、幅広の二重で、鼻も団子鼻じゃなくて小さくて高くて、唇も薄くて、肌も汚くない。

何もかもわたし真逆だ。

小学生の頃からお母さん綺麗だねって言われる度に、言葉の裏にお母さん「は」綺麗なのに、ってのが透けてて嫌だった。

言葉の裏を邪推してしま自分の卑屈さが嫌だった。ほんとはそんな意味で言ったんじゃなかったとしてもそうとしか聞こえなかった。

母親あんな男と結婚して子供を産んだりしなければ今のわたしの苦しみはなかった。

10年前、肌が汚くなり始めたころ、あの男のクレーターだらけの汚い肌を見て、ああなりたくないと思った。歳を重ねる度にどんどん似ていく。死にたい。あの男に似ていると思う度に吐きそうになる。望んでもいない50%遺伝子はこうして醜い形で現れた。

親を憎むのはお門違いと言われても、親不孝と言われても何と言われても許せない。

彼氏はいないの?〇〇ちゃん結婚したんだって、悪気なく言っているんだろうけど、なんでそんなこと言うんだって思う。娘がどんな気持ちで生きてきて、生きていて、それを聞いているか分かんないんだろうね。憎い。生まれてこなければよかったと何度も、何度も何度も思って生きてきた人間気持ちは綺麗な顔のアンタには分からない。一生分からないよ。

もう十分だ、いつかは永遠にこない、

なにもかも嫌、ぜんぶ羨ましくて妬ましくていや

ブスは出生前に間引かれる世の中になればいいと思う。第二第三のわたしが生まれなければいいなと思う。こんな思いをしなくて済むならそのほうがいいに決まってる。

死にたい、生まれてこなければよかった

2020-07-13

毒親

薄々うちは毒親じゃないかと思っていたがここ数年それに拍車がかかってる

去年看護専門学校(一応住んでる県では偏差値トップ)に入学して、今2年次なんだけど、専門学校入学してからが本当に気が狂いそう

まず父親が去年家を出て行って、家からバス20分くらいのところに住み始めた

母親は嬉しそうだったけど、私は複雑だった

父親は家を出て行った途端私と妹の学費を払わなくなった

もともと公共料金支払い能力のない人で、父親が家にいる時から電気が止まるのは当たり前で一回水道も止まってびっくりした

そんな状況でも父親に「払って!」って迫れないのは、父親が怖いか

手をあげないだけマシ そう思っても、お金の話を出した途端立ち上がって自分書斎に行って、気分が悪ければ何日も私たちと顔を合わせない生活を続けるような父親の機嫌を取らなければいけなかったか

父親が出て行ってから機嫌をとることはなくなったけど、学費の催促もできなくなったし母親パートお金生活費を賄うようになり、私たち姉妹お金をせびったり八つ当たりするようになった

妹も進学するのを諦めて高卒就職しようか悩んでる

もも学校辞めたい 父親学費払ってくれないし、車社会の今住んでる県で免許ないと生活できないのに自動車学校お金も誰も出してくれないし、奨学金母親カードの返済に使われるし、私は何のために生きてるんだろうってなる

ももちろんバイトしてるけど、母親生活費の補填したり父親が払ってくれない学費補填したり、自学の金を一括で出せるようなお金はない

もう消費者金融に駆け込むしかないのかな

お金で苦労したくなくて看護師になろうと思ったし、実際看護師の勉強楽しいのに、私の周りは誰もそれを助けてはくれないんだね

振袖も借りれないから着られないかもしれない

みんなやってる前撮り母親に「いらないよね?」って言われたら撮りたくても「うん」としかいえなかった

母親父親LINEブロックされてて催促できないくせに私に「なんでもっと学費の催促しないの?」って怒ってくるし

本当にリスカしそう

今まで頑張って理性でとどめてきたけど死ぬくらいならリスカくらいしてもいいかもってなってきた

本当に馬鹿みたいだ

早く死にたい

早く死んで父親母親も私の死体を見て後悔すればいいんだ

後悔するような人たちだったら今頃こんな仕打ち私にしてないと思うけど

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん