2020-07-15

親がそんなに偉いのか

 小さい頃、祖母と仲が良かった。

 実質孫はわたし一人みたいなものだったので猫可愛がりをされたのだ。話を聞いてくれて、好きなものを買ってくれて、家に行けばわたしの好きなものが用意されていて、お小遣いをくれてと来れば、好きにならない訳がない。

 そんな祖母最近ストレスの種の一つである

 いつからそうなったのか、祖母自分の思い通りに行かないことや自分が不幸だと感じている理由を、全て別のもの責任にするようになった。

 祖母の家はうちから電車で40分はかかるのだが、何か欲しいものがあるとUberEats感覚で母を呼び出す。自分の家の前には、わたしから見て叔父にあたる、息子夫婦が住んでいるのに。

 家に行くと、祖母の口から出るのは多種多様愚痴オンリーだ。

 祖父は一昨年亡くなったのだが、そのもうこの世にいない夫が何十年も前に不倫していた云々と未だに延々と愚痴っている。わたしには寝耳に水の話だった。昨年わたしの両親と一緒に4人で逗子へ行った時、祖母と同室だったわたしは、その話を深夜3時まで聞かされた。

 それが終われば今度は近所の人の愚痴、次は息子夫婦愚痴

 母がそれに対して何か口にしようものなら、まるで自分被害者のように母を責め立てる。

  いっそ認知症だったら諦めもつくが、そういう感じではない。母に聞いた昔の祖父母の行動もなかなかだった。

 わたし家族って結構クソなんじゃないかと気づいたのは最近である

 わたし幼稚園の頃から父親が嫌いだった。

 物心ついた時には両親は喧嘩ばかりしていたし、その原因が父親不倫だと知り、そしてそれがどういうものなのか理解してからは、生理的に無理になった。

 母がキレて父親が作ったスープが入った鍋をキッチンの壁に投げつけたこともあった。仕事から帰宅した父親を家に入れないように玄関にチェーンをして、ガンガンと鳴るドアにわたしが開けに行こうとすると、「あれは悪魔が入ってこようとしているのだ」と引き止められたこともある。

 この際だから書いてしまうが、その癖二人がセックス雪崩れ込む場面を目撃してしまたことも何度かあるので、幼少期のわたし情緒は今考えてみるとめちゃくちゃである

 何かの拍子に、母の恨み辛みが書かれた日記を読んだこともあった。それもあってか、明らかに責任の一端はあるのだけれど、母に対して恨めしく思った試しはあまりない。

 とにかく一番酷かったのは、母が離婚裁判用に用意でもしていたのか、パソコンに保存された父親写真を見た時だ。旅館宴会場らしい所で、備え付けみたいな浴衣を着た父親が知らない女性乳首を口に含んでいる姿が写されていた。

 わたし幻覚だったら良かったのだが、二十年近く経った今でも覚えているので、たぶん見間違いではないと思う。最悪だ。

 文章にすると、よりひどい気がしてきた。これで父親尊敬しろと言う方が無理である

 百歩譲って、父親が今は改心して良き人間、良き父親となっていたならわたしも少しは関係修繕に努めたかもしれない。

 人間としても、わたし父親は最悪なのである

 こんな人は嫌だな、と思う要素のほとんどを彼は兼ね備えている。

 人種差別主義者だし、女性差別的だし、ホモフォビアで、口を開けば昔の自分武勇伝しかも遡ること小学生まで)しかせず、相手の話は全く聞かないばかりか、高尚で価値があるのは自分の気に入ったものだけで、他人趣味は平気で貶す。

 具体的に言うと、何か事件が起きたり街でマナーが悪い人を見ると「日本人じゃない」と言い、「痴漢にも選ぶ権利がある」と娘の前でのたまう。わたしが聞いていないと思ったのか、わたしが仮にレズビアンだと言ったら「家から勘当する」らしいし、母やわたしが好きなものは「くだらない」と鼻で笑う。

 父親でなくても好きになる方が難しい。

 恐らく、自分があれだけ働いているのに、家でわたしがぐうたらしているのが許せないのか、「人としてどうかと思う」とかなり強い口調で言われたことも一度や二度ではない。ある時耐えかねて「子ども幼稚園の時に不倫する方が人としてどうかと思う」と返したら、それからピタリとこの言い回しだけは使わなくなった。

 どうやら悪いとは思っているらしい。謝罪された記憶はないが。

 加えて彼は、典型的な「誰が金を払ってやってると思ってるんだ」人間である。これはわたしが明らかに生意気な口を利いた時だけでなく、例えば赤リンゴを彼が「青リンゴだ」と言った時に「いや、それはどう見ても赤いリンゴだ」とわたし否定したとしても発せられる。どんな理由があっても子どもは親に逆らってはいけない、というやつである

 そもそも子どもは望んで生まれてくるわけではない。親が勝手に作っただけの話なのに、それを感謝しろと言うのは屁理屈にも程がある。

 なので「産んでくれと言った覚えはない」と言ったところ、「こっちだってまれて欲しかったわけではない。勝手に生まれていた」と返ってきた。

 さすがに呆れ果てて「だったらコンドームしろクソ野郎が」と言いかけたが、雅ではないのでやめた。ちなみに母によると、父親は妻が体調を崩した時に「大丈夫だよ、俺外で食べてくるから」と、病気の妻も小さな子どもも置いて外に行くタイプの男だったらしい。まさかこんなに身近にそんな人間がいるとは思わなかった。

 わたし子どもが欲しいと思った試しがない。

 むしろ子どもなんて作らない方がいいと思っている。

 世界的に見れば人口は増え続けているし、大半の人が子どもを欲しがる理由は「可愛いから」とか「寂しいから」とか「自分の生きた証を残したいから」とか、挙げ句の果てに「老後の面倒を見て欲しいから」とか奴隷扱いに近いものばかりだ。

 親は子どもの一生の面倒は見れない。

 どんなに大切に育てても、学校で虐められ自殺するかもしれないし、害悪企業就職して過労死するかもしれない。もちろん、成功して幸せ生活を歩めるかもしれないが、そんなことは誰にも分からない。

 人生において一つだけ確実なのは、人はいつか死ぬことだけだ。

 そして死は、多少の差はあれど、たぶん苦しいものである。だから人生が嫌になっても簡単には死を選べない。

 であれば、人生というのは始まる前からマイナススタートである。そんな状況で同意も取れないのに子どもを作るのはかなりのチャレンジャーマイルドな言い方である)だと、わたしは思っている。

 こう言うと大抵の人に信じられない顔をされるのだが、もうこれは完璧わたしの家庭環境のせいだとようやく最近気づいてきた。

 冒頭で実質わたしが一人孫だと書いたのは、叔父も一度離婚していて、それ以来まともに自分の子ども達と会ってすらいないかである養育費を払っているのかすら怪しい。

 父方の祖父母には幼稚園の頃以来会っていない。

 不倫騒動で揉めていた際、あちら側がわたしのことを「いらない」と言ったのだと母が憤慨していたのを覚えているので、会おうとも思わない。

 やっぱり文章にするとかなり酷い家庭環境だなと思う。まともに育った方だ。

 こんなクソみたいな家族の中で育って、家庭を持つの希望を抱く方が馬鹿である

 そうでなくても、社会から人種差別は無くならないし、女性差別が消えるのには後99年かかるらしいし、日本で生きていくには過重労働低賃金パワハラセクハラを受け入れなければならない。生きるって何なんだろう。

 それでも世の中には、結婚して、いずれその流れで子どもを持つことに何の疑問を抱かない人もいる。というか、そういう人が過半数だろう。幸せなことだと思う。

 そして、わたしはどう頑張っても、そういう風には生きられない。

 そう思うと、何か、死にてえなと思う。

  • 俺の子どもを産め

  • 私にはできないって、なぜそんな結論になるのか。悪い例を見てきているから自分にはできると考える事もできる。 全てはあなた次第。

  • 面白いくらい似た環境で育ったわ。普通の幸せは掴めそうにないね。自分に好意を向けてくれる人も、ましてや我が子なんて、可哀想だから受け入れられない。

  • 祖母への愚痴で幕開けしたのに内容はその祖母と血縁のない(だよね?)父親がクソという話だった。 父親の話だけで読み応えがあるのでそれに絞った方が良かった。60点。

  • 書いたの私の妹ですか?ってくらい私の家庭事情とそっくりでした うちは言葉の暴力がない分父親には光熱費も学費も何もかも滞納され、母親には奨学金を使い込まれてるので、絶対に...

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