はてなキーワード: マグマとは
僕は黙ってそれを受け入れる。
洗濯を畳んでいると、それはその畳み方ではないと怒られた。
先日までは確かにその畳み方だった。
当然事前に説明はない。
「地表みたいだね。」
そう口にすると、明らかに不機嫌な様子で「どういう意味?」と聞いてきた。
いつも同じように見えて知らず知らずのうちに変わっているものの例えだ。
何も答えずに黙々と作業を続けていると、突然烈火のごとく怒りだした。
「何か文句があるならはっきり言えばいいじゃない!大体あなたは、、、」
それから一通り罵詈雑言を並べると、煮え切らない様子で寝室へと引っ込んでいった。
溜まったマグマを吐き出すまで噴火は終わらず、それでいて奥底でたぎるマグマが消えることはない。
黙ってルールを変えるのはいわば噴火を知らせる予兆のようなものだ。
そうなってしまえば祈ろうが生け贄を捧げようがもう噴火を止めることはできない。
噴煙を上げる火山の前になすすべもなく立ち尽くす。
「昨日の大会の様子ですか?」
昨日と言えば、新聞社が主催する弁論大会に本校放送部として出場し、個人の部で金賞をもらった日だ。きっとその様子が新聞社系列のテレビで夜のニュースとして放送されたのだろう。
「そうそう。きりっとしてて立派だったわ。内容もよかったし」
私はそう答えた。昨日の大会で発表した原稿の内容は、この先生とつきっきりになって詰めたもの、と言えば聞こえはいいが、ほとんど先生の意見ばかり採用したものだった。曰く、人々が平等であることは普遍の真理であり、それを阻害する社会はいけない、社会の構成員は我々一人一人であるのだから、まず自分から実践することが大事なのだ、という内容を、自分はシングルマザーの娘であることで受けてきた差別があるということを通して飾り立てたものだった。
正直、この原稿内容は嫌だった。私の母は確かにシングルマザーであったし、それがもとで嫌な思いをしたこともなくはなかったが、そんなことで母を心配させるのは嫌だったからずっと黙っていた。それをこの先生は私がシングルマザー家庭の子供だから何かあっただろうと掘りこんできて、仕方なしに軽いエピソードを話すとそれを元にあっという間に筋書きを作ってしまった。それでも私は我慢した。なぜなら、本校放送部はいわゆる強豪であり、その実績はこの顧問の手腕、というか趣味の実践によるものだと知っていたし、それで大会で賞をとれれば、私の大学進学に有利に働くと計算したからだ。
本当を言うと、こんなパワハラみたいな手段で可哀想なシングルマザーの娘という筋書きを作られてしまうことこそ差別だと叫びたかった。が、そこは我慢するしかない。
そうして実際に金賞が取れて、私は一安心していた。これで大学推薦の道は堅い。勉強で手を抜くつもりは当然ないが、受験機会が増えるということは単純にチャンスが増えるということなのだから。
授業中にスマホが鳴り始め、その頻度が徐々に頻繁になってきたのが最初だった。授業中は当然バイブにしているけれど、それでもこんなに頻繁になると少しは迷惑になってくる。実際、近くの席の何人かはこちらをチラ見したりした。緊急の連絡かもしれない気持ちと周りに迷惑をかけている気持ちで焦った。そしてようやく休み時間になり、私は急ぎながらスマホを確認した。電話の着信は残っていない。けれども、SNSの通知欄がひどいことになっていた。
「最低ですね」
「偉そうなこと言わないで」
「屑だなお前」
知らないアカウントからそうした罵倒がたくさん届いていた。混乱したなかで次に目に入ったメッセにはこう書かれていた。
「JKのくせに似非人権派なクソのアカウントはこちらですか?」
それでなんとなくわかってきた。たぶん、昨日のニュースに何らかの形で火が付いたのだ。
そこから、情報を整理するまで時間はかからなかった。こういう時はとりあえずまとめサイトが火付け役だ。拡散されているまとめサイトを見れば、私がどう思われているかは簡単に分かった。
まず、テレビ放送があった。その内容について賛否両論あったらしいが、今日の午前中に
巨大掲示板で私のSNSの個人アカウントが晒された。その晒しには、私が以前に書き込んだつぶやきが添えられていた。
『電車が来て、妙に空いてるなと思ったらひどい悪臭がした。どうやら席で寝そべっているホームレスの人のものっぽかったので、急いでほかの車両に移った』
これに、人権派JKの差別意識wwwというコメントがつき、まとめサイトで拡散されていたのだ。私は、人権を語りながら人を差別する許せないやつ、という立場にされてしまった。
とりあえず、私は深呼吸をして落ち着こうと努めた。その間にもガンガンSNSの通知が来るのでそれはオフにした。それからしたのは、一番炎上しているつぶやきを消すことだった。そして、先生に相談しなければと思った。と、思ったところで先生に呼ばれた。もうすぐ休み時間が終わって授業が始まるところだったが、それはいいらしかった。
「困るのよね、こういうのは」
部の顧問の先生は開口一番こう言った。呼ばれた面談室では、担任の先生、部の顧問の先生、教頭先生がいた。
まあ先生方の話をかいつまむと、昨日のテレビで学校名と個人名は既に出ている、そして、私がつぶやいた内容について外部から問い合わせが絶えず、仕事にならない状況になっている、とりあえず早退して自宅謹慎しろ、とのことだった。
先生方の態度は一貫して、私が問題を起こしそれが悪いことだ、というものだった。正直、力になってもらえると思っていたがそんな気配は全くなく、私は真っ先に進学のことについて先生方に聞いた。答えは、
「こうなった以上推薦は考え直すことになる」
ということだった。
自宅に帰って、私は母になんて言おうかとずっと考えていた。私は母を尊敬している。シングルだけど大手の会社でバリバリキャリアとして働いて、わたしは何不自由な思いをさせられたことはない。母子家庭なのに、みたいなことを言う人はいないでもなかったが、それはそう言う人が悪く、母のせいではない。
そんな母は常々私にこう言っていた。
父が亡くなっても、今自分が大手企業でバリバリ働いて、満ち足りた衣食住を手に入れることができるのは勉強をしていい大学に行ったおかげだと。
だから私も一生懸命勉強していい高校に入ったし、そこから大学に向けて頑張っていた。そうした私を母は全力で応援してくれていた。そんな母に、今回のことはどうやって話したらいいんだろう?
「今先生から連絡もらったよ。大丈夫?すぐに帰るからね。ネットは絶対に見ちゃだめだよ」
そんな母の声に、私はうん、と答えるしかできなかった。その答えと一緒に涙があふれてきた。
ネットは見てはいけない、そういう母の言いつけを守りながら母の帰りを待った。ネットを見て現状を確認したかったけど、今までネットで見かけた炎上では、こういう時に大したことを言っている人は実はいないので、今回も同じだろうと思って我慢した。それに、こういう時こそ母の言いつけを守って心配をさせないようにしなければ、と思っていた。
母はすぐに帰るといっていたけど、帰ってくるまでにだいぶ時間がかかった。でも、帰ってきたときの母はまるで戦士のような顔をしていた。
そう言って、優しく私を抱きしめてくれた。私は不安と安堵でまた泣いた。
母の守る宣言は決して表面上のものではなかった。帰ってくるまでの間にすでに弁護士を頼んでくれたらしい。大学時代の友達が紹介してくれた、信頼できる人だと言っていた。
これからネット上の誹謗中傷について、弁護士さんが各所に問い合わせをして事実関係をまとめてくれるそうだ。素早い相談だったので、これから起こることについても出来事をまとめていけることが強みだと。そしてその結果次第で、訴えるべきところは訴えるといっていた。
ただ、これをしたからと言ってネット上の誹謗中傷が消えるわけではないこと、今回の件を拡散した全員を訴えることは不可能だということを説明された。「あなたのダメージはどうやっても避けられない。それは本当にごめんね」と母は涙をこらえた様子で言った。私は「お母さんが味方をしてくれるから大丈夫」と答えた。それは本心だった。
そのあとのことはまるでジェットコースターみたいだった。弁護士さんから住所が晒されているので不審者に注意し警察に相談を、という一報が入り、実際に警察に相談しに行った帰りに変な人に遭遇して警察にお持ち帰りしてもらったり、一番最初に私のつぶやきを晒した人物がクラスメートだったことが発覚したり、高校から学校を辞めるようにする圧力がかかったり、母子家庭なのに裕福すぎるとか言う人まで現れ始めて、本当にいろいろあった。
結果として、私は高校を辞め、大検を受けて大学進学を目指すことになった。
母は最初は納得しなかった。私がしたつぶやきは確かにあまり褒められたものではなかったのかもしれない。でも、それに対しての代償が大きすぎる、と。
だけれども、私はもうこの件で何か騒ぐのは馬鹿らしくなってしまった。学校に行くのだって、あんな先生方やクラスメートがいる学校で頑張るのは意味がないと思ったし、むやみに私を誹謗中傷していた人たちを訴えるのも不可能だ。出回った私の個人情報を消すのも。
だから私は一つだけ母と弁護士さんにお願いした。自分の名前を改名できるようにしてほしい、と。
母自身は今回の件について全方位に憤っていたが、私の気持ちを汲んでくれて、振り上げたこぶしを下してくれた。そして、改名の件も了承してくれた。ただ、今は亡きお父さんがくれた私の名前を捨てさせることには相当葛藤があったようだ。私だって、今の名前を捨てたくない。でも、これは私がこれから普通に生きていくには避けられないことだと思ったのだ。
けれども、今回の件への恨みは深い。その深い恨みはネットに吐き出すことはできない。リアルで人に話すこともできない。私と母の腹の底で、マグマみたいに滾り、身を焼き続けている。
恨みを溜めることはこんなにも地獄なのか。
だが、地獄であっても生きていかねばならない。私は私の人生を取り戻す。
それだけが、私を叩いた悪鬼たちに負けない道だと信じて。
キャプテンうんこが宇宙漂着した時代の増田アースには大陸地殻がなかった。
代わりに同年代の海洋地殻同士がぶつかりあってできた陸地がわずかに存在した。
プレートテクトニクスの発達した惑星であれば、年老いた分重く厚くなった海洋地殻の方が沈み込むのだが、
若い増田アースでは同年代の厚さの似通った海洋地殻が多く存在した。
押し合いへし合うことを強制されていた。
ジャバラのごとき、黒い地殻衝突現場では山が陸地となり、谷に海水が進出し、入り組んだ地形を形作っていた。
地殻変動によってたくさんの割れ目が岩盤にはしり、海水と新鮮な岩石が反応して水素を生成した。
あるいはモリモリと熱水噴出口の煙突が成長する。
新しい栄養源をもとめていた宇宙漂流最近の一部は、海水に溶け込んでいた星屑のうんこをせっせと消費しながら、
そうして、うこん色の海が自分たちのおしっこで満たされる中、光合成を発明するまで細々と生きていくのである。
陸地によって複雑に分断されつづけるジャバラ地形は微生物の分化をうながし、
やがて起こる「正常な」プレートテクトニクスは微生物たちが偏った場所にひたすら排出した
うんちの重みではじまったとか、はじまらないとか。
そうですよ、
なんなら女性は白馬の王子様像を3歳ごろから消費しているわけです。
性的ファンタジーの消費は恋愛できる素地をつくるのに必要なことなのですよ。
そういうの見たくない。セクハラだ。って粘り強くいっていいんだよ。
3次元(非AV)
篠崎 愛 井上 和香 釈 由美子 小池 栄子 佐藤 江梨子 深田 恭子 優香 真鍋 かをり MEGUMI 広末 涼子 ほしのあき 長澤 奈央 浅尾 美和 桜庭 あつこ 藤原 紀香 雛形 あきこ 深津 絵里 熊田 曜子 吹石 一恵 松金 洋子 叶 恭子 叶 美香 乙葉 安 めぐみ 原 幹恵 さとう珠緒 菅野 美穂
3次元(AV)
高井 桃 北原 多香子 めぐり(藤浦めぐ) 春菜 はな 白石 茉莉奈 沖田 杏里 川上 ゆう 篠田 ゆう 入江 愛美 紗倉 まな JULIA 琴乃 麻美 ゆま 水野 朝陽 澁谷 果歩 神咲 詩織
ピーチ姫 ローラ姫 ムーンブルクの王女 女僧侶 女賢者 女剣士 女武闘家 女遊び人 女勇者 女魔法使い マーニャ ミネア アリーナ ロザリー シンシア ネネ アレクスの妻 アッテムト付近のほこらで雷に打たれて死ぬシスター ビアンカ フローラ マリア サンタローズで跳びはねるシスター ターニア ミレーユ バーバラ サリィ カガミ姫 ジュディ サンディ シスターアンナ ディーネ ユリナ マウントスノーで凍っているシスター アイラ エイミ カヤ グレーテ コスタール防具屋の妻 ニコラのメイド パミラの弟子 フォズ ライラ ゼシカ メダル王女 ミーティア シセル マリー ミリー ムリー メリー ユリマ 赤坂 美月 セシリア エルミナ レディ・ハーケン エマ博士 マリエル リルカ リルカの姉 カノン アルテイシア ケイト エイミー モモ リンダ アンテノーラ マリナ コレット ちょっとえっちなおねーさん ヴァージニア マヤ ミレディ ベアトリーチェ ユウリィ ラクウェル ファルメル ベリエール フィオレ アーシア エニル カスミ ナツメ エリカ アンズ アカネ ミカン ツツジ アスナ ナギ スモモ メリッサ スズナ カミツレ フウロ ホミカ ビオラ コルニ クリス フグリ ハルカ ヒカリ セレナ メイ トウコ ベル アズサ アララギ博士 ジョーイ ジュンサー カンナ カリン プリム シロナ カトレア シキミ パキラ ドラセナ ふりそでのキリカ ふりそでのシオネ ふりそでのカレン ふりそでのアサミ OL アイドル アロマなおねえさん イタコ ウェイトレス うきわガール オカルトマニア おじょうさま おとなのおねえさん カウガール きとうし スクールガール せんせい センパイとコウハイ テニスプレイヤー ナース バッドガール バトルガール パラソルおねえさん ビキニのおねえさん ピクニックガール フシギしまい ふたごちゃん ふりそで ベーカリー ほいくし まいこはん マダム ミニスカート メイド メルヘンしょうじょ リポーター エリートトレーナー サイキッカー スカイトレーナー ベテラントレーナー ホープトレーナー ポケモンブリーダー ポケモンレンジャー ラブラブカップル ロケット団のしたっぱ アテナ マグマ団のしたっぱ カガリ アクア団のしたっぱ イズミ ギンガ団のしたっぱ マーズ ジュピター プラズマ団のしたっぱ フレア団のしたっぱ コレア アケビ モミジ バラ
もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルのエントリを投稿した。あの話の続きをしようと思う。
※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。
※前回のあらすじ:高校中退→工場派遣→プログラマ→ホームレス→自立支援施設→プログラマ→海外放浪→職業訓練→世界一周アプリを作る
あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島で除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題は世界一周についてである。
僕はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリは正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である僕自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。
開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象は世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。
しかし世界は巨大で、そして複雑だ。
国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区、連邦直轄領もあり……。
そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国と共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。
国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域、人民、主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国からの承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。
それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧なものなんだろうか。
わからない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである。
だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分の記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。
それからしばらくして、社会科の教科書の世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。
時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外を放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。
ベトナムのホーチミン市にある戦争証跡博物館。ベトナム戦争の記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。
銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。
何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。
「資本主義」
「共産主義」
「イデオロギーとは何だ?」
そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊のニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。
あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争は悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。
しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類の歴史の始まりまで巻き戻そう。
まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこからは世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。
特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったときは意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキーの世界でもエリートの世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品か上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。
そして絶対的な権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革、名誉革命、フランス革命。それまで聖職者や王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国はフランス共和国に。ああそうか、王国と共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念、国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類の歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。
しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権の恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。
そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史はさらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者や王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者は悲惨な労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義・共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初の社会主義国、ソビエト連邦が誕生する。
いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。
しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなものが必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場の自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。
その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団の演算能力よりも、多数の平凡な人間の無意識的な分散コンピューティング(見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである。
そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁を必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史が証明している。独裁政権は必然的に暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人をおもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメントや家庭内の虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手に振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。
こうして自由主義・資本主義の矛盾への疑問から生まれた社会主義・共産主義は、自身に内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦の象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。
天秤の片方から社会主義・共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義・資本主義へと大きく傾いていく。混合経済の社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ。
そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配が必要なのか。なぜ憲法が必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。
ミクロの領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロの領域――世界の市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界の市場や情勢を動かすのか、逆に、世界の市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間の演算能力の限界を遥かに超えているからだ。
「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論はマクロとミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正面から、正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。
ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだ。マクロとミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。
進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。
大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。
何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間が高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級の人間の世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。
でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。
だからいまは自分が高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。
あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。
いまの時代、大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気とエネルギーが必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。
現実的な問題もたくさんある。資金、学力、人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがわからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。
これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。
だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。
僕は大学へ行く。
そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。
ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。
いろいろツッコミどころ満載の記事でおよそ2行ごとに「おいおい何言ってんだ」「矛盾してるだろ」「アホいうな」とおもうのだが、そういうことを全部列挙してもおそらく何も解決しないのでそれらは全部ごみ箱へシュートしたうえで。
「何かが作りたい」という気持ちと「“何も作れない自分”でいたくない」という気持ちは、別だ。
「何かになりたい」という気持ちと「“今の自分”でいたくない」という気持ちは、別だ。
結局賢者タイムの無気力を内在するエネルギーが上回ってないとモノ作るのなんてできないんだよ。下世話な言い方をすれば、オナニー程度じゃ排出できない何かがあるから物が作れる。
つまり増田はクリエイターには向いてない。少なくとも今は向いてない。
本当においつめられてクリエイトくらいでしか解決できないようなマグマがたまったら、下手だろうが何だろうがもの作り出すから、気にしなきゃいいんだよ。その時までは忘れてて、普通の社会人ルートで進んでおけばいい。
http://anond.hatelabo.jp/20140812024445
の続き
「よし、今から1週間排便を禁ずる」
「その間は俺と行動を共にしてもらう。もちろん便所の中もだ。自分でプラグを抜かぬとは言い切れんからな」
「そんな…そんな自分ではしません!お願い!信じて!おトイレくらい一人でさせて下さい!!」
「ダメだ。俺もついていく」
1週間が経過して
「ついに封印を解く日がやってきたな」
「やっとうんちができます」
「ふふふ、君も楽しみのようだね。俺も楽しみだよ。
一週間熟成させた君のうんこがどれほどかぐわしい匂いを放つのか。
いや、それ以上に君の穴からうんこが出てくるところを見たいんだ
どのように穴が広がって皺が伸ばされ、どのように盛り上がって出てくるのか
「プラグを抜くぞ」
チュッ!
「この机にまたがりなさい」
女は机にまたがった
徐々に皺が引き伸ばされ、
そして少しずつ盛り上がっていく。
その姿は悠々とそびえたつ富士のように堂々と、
「美しい…」
そして、その先がぽっかりと広がっていく。茶色い何かが顔を見せた。直後、
ぽとり…
ウサギの糞のようなものが落下した。男は思わず口で受け止めた。
ぽとり…ぽとり…
じれったい…男はそう思いながらも期待と興奮で頭がいっぱいになっていた。
そして、
ズボボボボ!!
蛇が通り過ぎた直後、一陣の風が吹きあげた。
男の精神が崩壊していく。彼は見てはいけないものを見てしまったのだ。
男は狂い、蛇を食べ尽くし、菊を睨め付ける。匂いなど嗅ぐ余裕はなかった。
女は言った。
「ケダモノ!」
しかし、男の耳にはもう届かない。彼は壊れ、すでに廃人と化してしまっていたのだ。
呆然と立ち尽くす男は、その後、精神病院に入れられることになった。当然だろう。このような美しいものをまざまざと見せつけられては…
美しい女の究極の羞恥。それは時に人を狂わせる魔物なのかもしれない…
終わり
http://anond.hatelabo.jp/20140312225618
おれこれ書いたものだけど、やっぱり言ったとおりだ!と思うと同時に泣きたくて泣きたくてしょうがない。
もう構造的にどうしようもない。こんがらがったタコ糸でほどきようがない。かといって糸を切るハサミもない。ヒーヒーいいながら糸を歯で噛みちぎっても、あまりに膨大な糸がからんでるから一本一本噛みちぎってたららちがあかない。そもそも噛みちぎる気力のある人がもういない。
STAPだとか小保方だとか早稲田だとか、そういう話題になるし、たしかにそれらは酷いけども、それだけじゃないんだ。
もう本質的に日本の科学のシステム、特に生命系(嘘やインチキがバレにくい)はどうしようもない状態だ。理研が全然動かないのはなぜか?黒幕がいるから?違う。
黒幕なんていない。もう構造的に動けない。にっちもさっちもいかない。動いたら負けだから。何か言ったら負けだから。負けたら二度と復活できない構造だから負けるわけにはいかない。だから、動けない。動かない。
研究者にも家族はいるお金はいる。だから動けない。正義感をつらぬいてジリ貧になるより、正義感をおさえて生きる道を選ぶ。その選択を責めることはできない。
理研の中にだってまともな人はいる。けれども、そのまともな人が犠牲になることがわかって担ぎ上げることができるだろうか?
小保方の出現は必然だった。突然わいてでたわけじゃない。マグマが地表をわってでるように、地中で溜まってたんだ。小保方をどうにかしても、違うところからマグマはふきでるだろう。そして、残念ながらマグマの噴出をとめることはできない。もう始まってしまったから。
マグマに飲み込まれることがわかっているのにどうしようもない。
どんなに悔しくても、悲しくても、どうしようもない。救うことができない。
○朝食:朝マック
○昼食:蒸しパン
○調子
普通。
ただ、例によって寝すぎた。
このままじゃ木曜日にまた叱られるなあ。
まあでも、地道にレベルを上げていけばいつかはクリアできるだろう。
ぐらいのゆるーい気持ちでプレイ中。
特にストーリーが気にならないゲームはこうやってプレイできるから楽しいね。
○ハッピーウォーズ
なんか急に戦士にやりたくなり、協力一セット。
それといつものクイックで数戦。
飽きてきた飽きてきたと言いつつ、ずっと続けてるなあ。
実績コンプは無理にしても、ランク50実績ぐらいは取得したいなあ。
○XboxOneのローンチタイトル
色々情報が出始めており、何を買うか非常に悩み中。
キネクト付きパックにするなら、今のうちにタイタンフォールは売っておこうかなあ。
とりあえず、Ryseは確定として、あと二本ぐらい欲しいなあ。
デッドライジング3を買うなら、今のうちから1と2もやっておこうかなあ(積みゲーにしてるので)
うーん、非常に悩ましいぜ。
日本最大の掲示板2ちゃんねる。良くも悪くも2000年代以降の日本のインターネットに影響を与え続けてきたこの匿名掲示板が今大きな転機を迎えています。
2009年の秋頃に行われた大規模規制によって2chの書込み数は大幅に減りましたが、今現在進行形で行われている規制はそれを上回る規模です。国内の主要プロバイダは軒並み規制、また規制対象も2chの広範囲に渡っています。
表向きの理由は、運営板と呼ばれる「2ちゃんねるの運用に関わる掲示板、削除依頼を受け付ける掲示板、削除や運用について議論や情報交換をする掲示板(引用wikipedia)」をユーザーが荒らしたからとなっています。しかしこれはあくまで表向きの理由です。別に運営板が荒らされたからといって2chの他の板には何の影響もありませんし、他の板まで規制する理由には全くなりません。
本当の理由は規制の権限を持つ「マグマ大佐」と呼ばれるボランティアの私怨によるものであるという説が濃厚になっています。このマグマ大佐という人はささいな理由ですぐに大規模規制を行う事から2chユーザーからは大変に評判が悪く、名指しで批判を受けることが日常茶飯事となっていました。このユーザーの所業にマグマ大佐がぶち切れ、今回の不可解で大規模な規制に至ったという訳です。
創設者ひろゆきと、名も無きボランティアの尽力、そして数千万の匿名ユーザーの書込みによって2chは日本のネット文化を代表する掲示板になりました。それを、たった1人の私怨に怒り震えるボランティアの手でいとも簡単に壊してもいいのでしょうか。まだ規制が行われて日が浅いという事もあり、この件はまだあまり周知されていないようなので筆を取る事にしました。もしよければ皆さんのご意見ご感想をお聞かせいただければ幸いです。
http://p.eagate.573.jp/game/2dx/19/p/secret_room.html は見れるけどリンク先が見られないため。
溢れんばかりの愛を
http://anond.hatelabo.jp/20130128222709
昼休みにこのエントリを読んで、いつの間にわたしは増田を書いたのだろか、と思った。一人称が違うことに気づき、自分と同じように孤独に苛まれる人間がいることを知った。
いつだって、人とうまく関われなかった。人に関わろうとしては、行き違いを生み、人が離れていく。それを繰り返すうちに、人を避けて生きるようになった。人を避けていれば傷つくこともなく、傷つけることもない。最初からそういうものだと諦めてしまえば、独りでだって生きていけるだろう。そんな風に考えていた。
それは間違いだった。人と関わりたいという想いは簡単に諦められるものではなく、結局は孤独をこじらせるだけだった。
孤独は、いつだってそばにあって、予期しない瞬間に降りてくる。そのたびに叫びだしたくなる、走り出したくなる、どこかから飛び降りたくなる。積もり積もった行き場のない寂しさはマグマのように溢れ出して、そのたびに発狂しそうな自分を抑えこむのに必死だ。いや、こんなにも人とうまく関われないのに温もりを求めている時点で、もう発狂しているのかもしれない。寂しくて苦しくて、もう生きる意味なんて見えない。寂しい。寂しい。何度も繰り返す。寂しい。
その昔、高校時代に彼氏と呼べる存在がいたことがある。その彼氏には2度浮気され終わった。その後もいくつか片想いはしたけど、どれも実ることはなかった。「どれだけ愛したって、愛される価値なんてない人間なんだ」。愛したって愛されない。愛されないから、正しい愛し方がわからない。
ただ、その最低な元彼との間にも楽しい思い出はあって、たとえば一緒にプラネタリウムを見てこっそりキスをしたり、図書館で隣の机で勉強する合間に付箋紙ラブレターを回したり、裸で同じ毛布にくるまって足と指を絡めながら他愛もない話をしたり、そんな温もりが逆に今のわたしの首を絞めている。
夜中にふと目を覚ましたとき、枕元のタブレットに手を伸ばして「レンタル彼氏」「出張ホスト」などという言葉で検索をかけたことが何度かある。メールフォームをタップしようとして、でもその指はいつだって躊躇って止まるのだ。手取り14万の収入から費用を払うのが惜しいからではない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という疑問が浮かび上がったところで、指はメールフォームではなくブラウザの終了ボタンをタップするのだ。とびだせ どうぶつの森をきっかけに買った3DSでやるために中古のゲームを漁っていて、DS版ときめきメモリアル Girl's Sideを衝動買いしたけれど、一度も起動したことはない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という問いかけは、二次元に逃げこむことすら許してはくれない。
「恋人がいたって寂しいものは寂しい」「求めてばかりでは何も得られない、与えないと」というアドバイスの類がどうしようもなく正論なのは解っている。だけど、恋人がいれば、自信もなく真っ暗な人生を俯いて歩いているわたしでも、前を向いてどうにか生きていけそうな気がしている。一度諦めてしまったことも、もう一度諦めずに取り組める気がする。人とだってうまく関われる気がする。何だってできる気がする。
与えるなんて正直わかんないよ、だって愛したかった人はいたのに、与えたかったのに、みんな拒絶したじゃん。わたしが愛していたことをいいことに甘えて、好き勝手やりたいことしたじゃん。誰もちゃんと向き合って愛してくれなかったじゃん。愛せるなら愛したいよ、だけど愛し方なんてわかんない。愛され方は、もっとわかんない。それとも、ネットの片隅ですら、愛されたいと嘆くことは許されないのだろうか。
わかんない。わかんないよ。だけど、寂しいよ。愛されたいよ。甘えたいよ。一方的で歪なのはわかってる。それでも、愛されたいよ。膨れ上がった寂しさとねじ曲がった自尊心とで、完全に出口が塞がってしまって見えないんだ。誰か、こんな醜いわたしの寂しさをかき分けて、心と身体に触れてくれないだろうか。
身体だけの温もりじゃない、上辺だけの温もりじゃない。心の通い合った温もりが欲しい。その場限りの温もりじゃ嫌だ。恋人と平凡な日常を共有することで、瞬間瞬間に宿る小さな温もりを丁寧に積み重ねて大きな明かりにして人生を照らし出していくから。
これを書いている今も、寂しさで息が止まりそうに苦しい。こんなに寂しさでおかしくなりそうなのに、明日もまた地下鉄に乗って会社に行き、そつなく仕事だけをこなして、「お疲れさま」なんて言われることもなく愚痴ることもなく、おかしくなりそうな自分をどうにか毎日をやり過ごして生きていくんだろう。それが日常だというのなら、この先の人生はとてつもなく冷たく暗いものになるだろう。それが、わたしにはお似合いなのかもしれないけど。
太陽戦隊サンバルカンの第43話「君も天才になれる」(オンデマンドで視聴可)において、万能解答機を配布し子供をイージー人間にしようという作戦がブラックマグマにより発動されている。この作戦、配布された子供たちがテストのカンニングに”イージー”に使ってしまうことによりサンバルカンから問題視され不発に終わっている。
さて、この作戦、子供たちがカンニングに使わなければうまくいったかどうかについて少し妄想してみたい。
まず、子供たちをイージーにすることは可能であろうか。答えは可能だ。現に我々は、ほぼ万能解答機と同等のものを持つ社会に住んでいるが、イージーになっている。かつては自宅、親の勤め先、学校、友人の電話番号等は頭の中にある程度入っていたが、今はどうであろう。知らない土地に出かけるときには時刻表や地図などを準備していたが、今はどうであろう。頼るものができればもちろんその能力は格段に衰える。また、パーティーなどで談笑している際に、何かわからないものを万能解答機たるスマホに問わずにいられるグループがどれくらいあるだろうか。万能解答機に依存させることは十分に可能だろう。十分に依存させておいて、支配に乗り出す。最近の例で言えばまるで某つぶやきサービスを彷彿とさせる手法だ。あれほど便利なものであるならば、子供などに配らず、大人に配れば経済支配できたような気がしなくもない。
もう一つの感想は、子供たちがカンニングや宿題のみに使うという実にイージーな人間だったことである。そう、ブラックマグマが手を下すまでもなく、子供たちは既にイージーだったのだ。いくら小学生とはいえ”万能”解答機の使い方としてはショボイと言わざるを得ない。「宇宙の果てはどうなっているの」とか「タイムマシンは可能か」とか「恐竜の色は」とか「人生、宇宙すべての答え」とかいくらモンガーでも発狂しそうな夏休み子供電話相談で門前払いされる質問がいくらでもあるだろう。自らの居場所をうっかり回答するモンガー相手なら、ブラックマグマの超科学技術で「ロボットの作り方」とか「宇宙船の作り方」とか聞いたら答えてくれそうだ。
あの万能解答機ほしいわ。
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。
10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。
それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。
ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕事にしようなんてことは一切頭になかった。このまま夢も希望もなく人生を終えるのだと、そう思っていた。
それでも転機は訪れる。
勤めていた工場で派遣切りにあった僕は、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」とか言いながらニート生活をしていた。そろそろ翌月の家賃も払えなくなってきたころ、派遣会社から電話がかかってきた。「プログラム開発の仕事があるんですがやりませんか?」と。そういや履歴書だかスキルシートだかに、Perlがどうたらとか書いたっけ。実務経験もない中卒に仕事まわすとかwww ……とは思ったものの、このままでは本気でホームレス一直線だったので引き受けた。
派遣された先は従業員数10人くらい、パートさん含めても50人くらいの小さな会社だった。現在手書きの伝票でやっている処理をWeb化したいのだという。システム担当者はおらず、事務員さんがExcelやAccessを使える程度。すべて僕一人でやらなければならない。マジか。
ともあれ、まずはサーバである。後々の運用を考えるとLinux系は使えない。事務所の片隅に放置されていたWindows 2000マシンにApacheを入れてそれでよしとした。
次はデータベース。でもこの頃の僕は「正規化ってなんれすか?」というレベルだったので基礎から勉強した。なんかMySQLってのがいいらしい→社長に申請→「今Access使ってるからそれでいけ」→「はい」→パフォーマンスの面で問題出るだろうなとは思ったがしょうがない。
次は言語。最初はPerlで書こうと思ってたけど、PHPってのが流行ってるらしいのでこっちにした。ウホッ! いい言語……。
そして業務内容を把握するため、現場をあっちこっち駆けずり回りながらヒアリングする。ときには部長から愚痴を聞かされ、ときにはパートのおばちゃんから誘惑され、そんなこんなを繰り返し、仕様をつめていく。
そして数ヶ月かけて開発したシステムの稼働である。そのときのことは今でも忘れない。
現場の人がラインからデータを入力する。サーバにデータが送られてくる。別の事業所からも送信されてきてる。問題ない。事務員さんが伝票処理を行う。問題ない。すげえ、ちゃんと動いてる。お遊びで作ったプログラムではなく、本当に本気の業務用プログラムである。それを僕が1人で作ったのだ。このプログラムで業務がまわり、利益を生み出すのだ。社会に対して、何らかの作用を及ぼすのだ。僕みたいなクズにでも、そんなことが可能だったのだ。
そのことに気付いたときの感動を、僕は今でも忘れない。
それからちょっといろいろあって、ホームレスになった。うん、急展開なのはわかってる。でもこの間のことは語ってもあまり面白くないし、公序良俗に反する話もあるのでざっくりはしょる。どうせフィションなんだから細かいことを気にしてはいけない。
話を戻そう。
ホームレスになってからの数日はひどい精神状態だった。足元から世界が崩れていく感覚。視界がぐにゃりと歪む。帰りたい。でも帰る家がない。だからホームレスというのか……というトートロジーを何度繰り返しただろうか。
もうあまり覚えていないけど、このときの僕は本当にもう何もかもどうでもよくなってたと思う。ただ、自分の全財産がバッグ1つしかないということに対する心地よさ、開放感があったのはよく覚えてる。そんな状況で地べたに座り込んで見る風景。きっと、今はもう見えない。あの頃の僕にしか見えない風景が、そこにはあった。
いろんな人と出会い、流れ流れて、最終的に西成のあいりん地区にたどり着いた。関西圏の人には説明不要かもしれないけど、よく言えば日雇い労働者の街、ぶっちゃけて言えばホームレスのメッカである。今はもう綺麗になってしまったし、治安もそこそこよくなったけど、僕がいた頃はまさに「カオス」としか表現のしようがない状況だった。
どこから持ってきたんだといいたくなるようなガラクタばかりを並べた泥棒市。簡素な骨組みにビニールシートをかぶせただけの飲み屋。「ないかーないかー」と声が聞こえてきたので見てみると、警察署の近くなのに道端で堂々と丁半博打をやっている。コンビニのトイレの張り紙には「トイレが詰まる原因になるので注射器を捨てないでください」とある。いやトイレが詰まるとかの前に気にすることがあるだろ。ケンカなんて日常茶飯事。頭から血を流したおっさんが普通に歩いてる。数百人規模で並ぶ三角公園の炊き出しは圧巻。四角公園の炊き出しでは誰もいない場所にワンカップの瓶とかがたくさん並んでる。何かと思って聞いてみたら「あれで並んどることになってん」と返ってくる。学食の席取りルールみたいだ。ああもう全然書ききれない。
でも一番印象に残っているのは、南海線の高架下、うず高く積まれたゴミ山の前でガラクタを解体していたおっちゃんのこと。奇声を発しながらハンマーを振り下ろしていたおっちゃん。その両目は、これ以上ないほどにキラキラと輝いていた。その鉄屑を売った金でビールが何本買えるか皮算用でもしているのか、あるいは幸せになる魔法の薬でもキメているのか、そのときの僕にはわからなかったけど。
そして、人生を投げ出していた僕に付き合ってくれたおっちゃん、あなたのことも忘れません。モーニングをおごってくれて、いろんな話をしてくれて、聞いてくれて、役所の福祉課まで連れて行ってくれたおっちゃん。あなたがいなければ、僕は今でも西成でぬるま湯の日々を送っていたかもしれない。
いろんな人に助けられて、ホームレスの施設に入ることになった。舞洲という人工島にあるのだけど、これがまた周囲に何もないのだ。スポーツ関連施設、ゴミ処理場、物流センターが点在するくらい。コンビニ1件ありゃしない。だけど施設での生活は意外にも楽しかった。2段ベッドが6つ並んだ12人部屋。むさくるしいけど、みんなバラエティに富んでいた。刑務所上がりのいかついおっちゃん、虚言癖のひどいおっちゃん、ほとんど一日中寝てるじいちゃん、薬のフラッシュバックがひどい兄ちゃん。そんな人達の中で過ごせば、自分がどれほどクズであっても気にならない。やはり僕はこちら側の人間だと再認識した。
市街地にある施設へ移ってからはいろんな仕事をした。生駒の山奥にドブさらいに行ったり、事務所移転のバイトで腰をやってしまいそうになったり、なんやかんやあったけど、長くなるのではしょろう。結局のところ、またプログラマをすることになるのである。
そろそろ身バレしそうな領域に入ってきたのでここでもう一度強調する。このお話はたぶんフィクションです! たぶんフィクションです! 大事なことなので2回言いました。
そう、またプログラマとして働くことになった。今度は従業員数300人くらいの大きな会社である。日本人なら誰でも知ってるであろう大企業の子会社ということもあり、本社からの出向社員は東大京大卒当たり前みたいな状況。そんな人達の前で中卒の僕が前に座ってプレゼンやら仕様検討会やらをするのだ。何の罰ゲームだよ……。
最初に思ったのは、「ここにいる人達は育ちがいい」ということだった。みんな礼儀正しい。喋り方や立ち居振る舞いまで、今まで僕がいた世界とは何もかもが違っていた。まるでドラマに出てくるような「ちゃんとした人生を送っている人達」だ。そんな人達に囲まれていると、「生きていてごめんなさい」と言いたくなる。本当に。
他に驚いたこと。社内で連絡を取り合うのにメール使ってる。やばい。社内メーリングリストとかもある。やばい。定期的にミーティングとか勉強会とかもする。なにそれ怖い。自分がいっぱしの社会人になったかのような錯覚に陥る。ちょっと前まで西成でゴミ拾いのバイトしてたのに。「勘違いするんじゃない! 西成の日々を思い出せ!」と何度も自分に言い聞かせ、自我を保った。
とはいえ、萎縮してばかりもいられない。気付いたことはどんどん提案した。あちこちに散らばっている共通の処理をライブラリ化したり、サーバで負荷がかかっている部分を改善したり。却下されたものも多かったけど、採用されたものもそれなりにあった。業務の改善案を考えるのは楽しい。誰かがプログラマの三大美徳に「無精」を上げていたっけ。極度のめんどくさがりで、楽をするための苦労は惜しまない僕には、こういう仕事は天職なのかもしれない。
システム開発の方も順調に進んでいた。この頃はMicrosoftですらWeb版のOfficeを出すような状況で、デスクトップアプリに比べても遜色ないレベルのWebアプリがどんどん出てきていた。この会社で開発しているのも、そんなAjax技術を多用したWebアプリだ。JavaScriptを用いた本格的な開発に最初はとまどったけど、書けば書くほど言語が自分の手に馴染んだ。クロージャ、prototypeといった基礎をちゃんと学ぶと、書けるコードのレベルが段違いに上がっていくのが楽しかった。
仕様にもこだわった。実際に使う人がどんなふうに操作するのか、何度も何度も脳内でシミュレートし、どんなUIが最適なのか、データ構造はどうするべきか考え、実行速度とメンテナンス性の板挟みに苦しみ、何度も何度もリファクタリングを繰り返す。
そのとき開発していたシステムは、メイン画面でほとんどの処理を行うタイプのものだったのだけど、そのメイン画面のJavaScriptコードは最終的に1万行を超えた。もうこの頃にはJavaScriptでのオブジェクト指向的な開発手法というものも自分なりに構築されつつあった。そしてこのカチャカチャとした手触りの、安物のオモチャのような言語は、僕の一番好きな言語になったのだった。
そんなある日、僕が作ったシステムのメインユーザーである他部署の偉い人が来て、開口一番こう言った。
この機能が素晴らしい、とか、あの発想はなかったわ、とか、とにかくべた褒めして、そして去っていった。機能追加要望の前口上だと思って身構えていた僕は拍子抜けした。「あの人が他人を褒めることなんてめったにないよ、すごいね」と近くの席の人が言う。
どこにもはまることのない歪な歯車。その僕が、社会という大きな機械の中に組み込まれる音だったのだと思う。まあすぐに外れてしまうのだけど。その一瞬だけは、僕は確かに社会の一部になれたのだ。
これからどうするか? 今の技術力ならそれなりのところに就職できるかもしれない。でも僕にはやってみたいことがあった。半年かけて海外を旅するのだ。
今、僕の手元にはまとまったお金がある。こんなのは人生で初めてのことだ。そして僕は今、どこにも所属していない。どんなところに行ったっていいし、何をしたっていい。この先、そんな状況がどれだけあるだろうか? 人生長いのだ、そりゃあ何度だってあるかもしれない。でも今回やりたいことをやらなかったのなら、僕はきっと何度だってやらずにいるままだろう。
もちろん怖くなかったわけじゃない。なにせ海外なんて行ったことがなかったのだ。ずっと極貧の生活をしてきた僕は、国内旅行だって満足にしたことがない。
いろいろと考えた。ない頭を使って考えた。自分の英語は通じる? 病気になったときは? 荷物をなくしたら? あれこれ考えると心配事ばかりが頭をめぐって、わけがわからなくなる。
最終的に決定打になったのは、自分が何も持っていないという、この状況だった。
そう、僕は何も持っていない。家族も友達も、夢も希望も。だけど、そんな人間だからこそできることがあるんじゃないかと思ったのだ。何も持たないからこそ、どこにだって行けるし、何にだってなれる。それはタロットカードの「愚者」みたいなものだ。愚かな者は恐れも何も知らぬからこそ、無限の可能性を秘めている。
心を決めたら後は早かった。
パスポートを取得した。航空券を手配した。住民票を海外転出した。トランクルームを借りた。住んでいた部屋を引き払った。
空港へ向かう電車の中で、懐かしい感覚に襲われた。あの日、ホームレスになったばかりのころの感覚。世界が足元から崩れていく感覚。でもあのときとは決定的に違うことがあった。それは、今回は自分が望んでこうなったのだということ。流されるまま生きてきた僕が、初めて自分の人生に対して主導権を得た。それだけが決定的に違っていた。それだけで十分だった。足の震えは、これからの旅路への、期待に対する震えなのだった。
自分とは異なる人種、異なる言語。街の看板すらまともに読めない。レストランの注文すらおぼつかない。ちょっと電車に乗るのも大仕事だ。それでも時間をかけてひとつひとつなんとかしていった。
見知らぬ街の匂い、喧騒、バケツをひっくり返したようなスコール、旅の中で出会う怪しい人、優しい人。僕の前でたくさんの風景が流れていく。
川辺のレストランで昼ご飯を食べた後ボケーッとしていると、猫が膝の上に乗ってくる。動くのもめんどくさくてボケーッとしてたら日が暮れてた。そのまま猫と一緒に晩ご飯を食べた。そんな日もあった。
長距離列車に乗っていたとき、車内食にピーナッツバターのようなものが付いていたので、普通にパンに塗って食べた。でも梅干的なものだったらしく、めちゃくちゃ酸っぱかった。「すっぱ! すっぱ!」とかやってたら向かいの席の女の子が爆笑していた。僕も笑った。そんな日もあった。
最初は少し移動するのにも大変な思いをした。でもいつの間にか、ローカルバスに乗って気ままに旅するようになっていた。
たどたどしかった英語も、日常会話程度なら普通に喋れるようになっていた。
いろんな国のバックパッカーにもたくさん出会った。お互いつたない英語でやりとりするのも楽しかった。今度は彼らの国にも行ってみよう。だからいつか世界一周に出ようと、僕は心に決めた。
こんな旅に出たところで自分は何一つ変わらないと思ってた。でも、何かが変わってきている。それが何なのかはわからない。たとえば図太さだったり、適当さだったり、そういうのもあるのだけど、何か違う。それよりもっとプリミティブなもの。感情になる前の感情、行動になる前の行動。マグマのような熱量を持ったドロドロとしたものが、自分の中に渦巻いているのを感じる。それがいつ形を成すのかはわからない、今はまだ。だけどいつかどこかで、忘れた頃にひょっこり出てくるんじゃないかと思う。そのときを楽しみにしていよう。
そして夢のような日々は終わる。
日本に帰ってきたとき、手持ちの金は10万以下だった。部屋は解約していたので住むところもなかった。普通にホームレスだった。僕は焦らず慌てず、西成へ向かった。
しばらくはドヤ(安宿)に泊まった。一番安いところなら500円から泊まれる。西成はいいところだ。
前の会社から戻ってこないかと誘われたけど、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」と言って断った。
いや働きたくなかったのは本当だけど、もう1つ理由があった。職業訓練で組み込み系を学ぼうと思っていたのだ。
スマートフォン含むタブレット端末の市場がこれからも拡大していくのは間違いない。そうすると必要になってくるのは組み込み系の知識。いやアプリ作るだけなら必要ないかもしれないが、そういった知識があれば、自分ができることの幅がぐんと広がると思う。
それに、今の僕には基礎的な力が圧倒的に足りない。すべてを独学で、我流でやってきたけど、やはり限界を感じる場面が多々あった。だから今回ちゃんと体系的に学んで、足元を固めようと思ったのだ。
結果的には正解だったと思う。本当に基礎の基礎から学べた。
ブレッドボードを用いて回路を組むところから始まって、アセンブラ、C言語、組み込みLinuxでのデバイスドライバ開発、アプリ開発。これまで高級言語の十分に進化しきった部分にしか触れてこなかった僕にとっては、どれも難しかったけど、どれも面白かった。これからどういう道に進むかまだわからないけど、ここで学んだことは絶対に無駄にならないと思う。
そうして職訓で勉強するかたわら、悶々と考えていたことがある。世界一周についてだ。
今はまだ金もないし、そんな金を稼げるあてもないのだけど、いつか(たぶん10年後くらいには)行こうと本気で思っている。
ルートだけでも今から考えておこうと思って、いろいろと旅程検討アプリを試してみたのだけど、どれもいまいち使い勝手が悪い。海外のものも含めて探しまくったけど、自分が思うようなものは見つからなかった。
だったらもう自分で作るしかない。せっかくだから就活のときにポートフォリオとして使えるよう、ちゃんとしたWebアプリを作ることにした。
最初の1ヶ月は地図APIの選定と、検証コードを書き捨てるだけで終わった。
2ヶ月目は基礎部分の構築だけで終わった。
3ヶ月目に本気を出し、ほぼできあがった。
そしてベータ版をリリースした。 http://planetter.com/
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確に言うなら、ここから先の展開はまだわからない。
10年間を振り返ってみて思う。あの頃と比べて、何か変わっただろうか?
家族や親類とは縁が切れたままだし、いまだに人付き合いは苦手だし、金はないし、夢も希望もない。それは今でも変わらない。ただ、あの頃あれほど感じていた空虚さは、跡形もなく消えている。
西成の高架下で見た光景を思い出す。ガラクタを解体していたおっちゃん。あのキラキラした目。たぶんあの瞬間に僕は、自分にとって一番大切なものは何なのか、心の深い部分で理解したんだと思う。
世界一周だなんだというのも本当はどうでもいい。僕はただ、いつだってドキドキしていたいのだ。
初めて人を好きになったときの気持ち。知らない街で暮らし始めたときの気持ち。そして、プログラムが思い通りに動いたときの気持ち。
それを持ち続けていたいのだ。いつだって新しい世界にワクワクしていたいのだ。
ふと目を閉じれば、まぶたの裏に映る、あの日のメッセージ。
"Hello world!"
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。でも、ここに綴った僕の想いは、ノンフィクションです。
狐と狸で色々 色いろあるだろうけど 2chの話にしろ 虚構の話にしろ 某女氏の話にしろ おもいやり があれば すこしは 相手にも 思いやりを期待できると思うのよね。
2chまとめの話なら何回言われてもやめないから批判のマグマが煮立っていってああなったわけだし
虚構は面白くないダラダラした作り話を騙して読ませる以外にview稼ぎの手段がないから優しく言われようが厳しく言われようがやり方変えるわけには行かないし
某女史は…って誰だよ?まあいいや
もう少し具体性のある話をしていただけませんかね?
どういう「思いやり」の応酬を想定してますか?