2014-11-30

集合的無意識インターネットを使って俺を殺そうとしている

いま何か努力してモノにしないとこの先生き残れないことがわかっている。しかも今の自由な期間に期限があるということもわかっている。

それにも関わらず、俺が部屋から出ずに何もしないのは、自分の部屋に閉じこもる居心地が良すぎるからで、さらに言えば俺に何かをしたいという動機がかけているからなんだけど、それにつけても俺は何かをしなければならない。

しかし何もしない。いや、正確には好奇心に基づいた何かをしようとする。とりあえず目の前のテキストを読もうとする。タスクを消化しようとする。

しかスマートフォンが普及した現在、頭を使わなくていいコンテンツが止めどなく更新され続けるようになった現在においては、我々クソワナビ集中力の持続は困難を極めた。

一頁読みすすめるうちにスタミナが回復し、アプリを起動し、30分溶かしたのちに忘れてしまった一頁をもう一度読む。これを何度か繰り返せば図書館が閉館する。さらにこれを数百回繰り返せば一年は消滅する。

ところで、俺が思うに、ヒューマニズムにもとづいた自由社会に向かう現代においては、自律した生産能力のない人間・与えられた課題を50点でこなすことしかできない人間生き方は虚しい、という価値観が広く共有されつつあるように思う。

虚しいのはよくない。そしてできればそういうものは無くなって欲しい。

そういう集合的無意識産物こそが、インターネット上に無数に存在する、永遠に時間を潰すことが出来るコンテンツであるのではないだろうか。

Makerブームの本とか読むと、インターネットやいろんな機器発明によって誰もが好きなものを手軽に作れるようになった現代は最高みたいなことがかいてあると思うんだけど、それは現代の一側面でしかない。誰もが手軽に好きなものを作れる一方で、誰もが手軽に人生を棒にふることができるようになったというのが正しい。

自分意志自分人生を決めることが出来る人間けが高度な技術でそれを実現し、そうでない人間は高度な技術によって時間を潰し酔生夢死に陥る。そうすることによって無生産人間社会的に低い地位へ流れていき、粗末な人生を送る。とうぜん子孫は残せない。

こうすることによって21世紀も後半に差し掛かる頃には、生産能力のない人間は淘汰されきるだろう。

そういうことを考えて、人生が粗末なのは嫌だな、と思ったので、俺はもがくことにした。

しかしそれはいまのところ失敗し続けている。なぜか、それは俺が生産活動を行うためのツール、つまりパソコンなんだけど、これが時間を潰すためのツールでもあるからだ。

たとえばブラウザ上で動くものをつくりたいと思ったときweb上の気になるサイトの要素を右クリックすればインスペクタでそれがどのように記述されて実現されているのかがしれたり、Ctrl-kを押した後に作りたいもの入力すれば過去の事例や体験談ソースコードがすぐに見つけられたりするんだけど、それとほぼ同じ動作でTwitterを開いたりdアニメストアを開いたりxvideosを開いたりすることが出来る。そしてほとんどの場合、1時間後にはソースコードを読む気力を全て失った人間デスクの前に座っている。

ブラウザで何を入力するのかということに俺の人生がかかっていて、今のところそれに失敗し続けているということがわかる。

そもそも俺は何かをしたいのか、何もしたくないのか、ということを考える。

当然俺は何かをしたい。できるだけ面白いことをしたい。そしてそれを実現するための方法は広い意味での創作活動しかないように思えて、そのための一番身近なツールPCであることもわかっている。しかし俺はそれを活かすことが出来ない。何も出来ない自分に苛立つ、しかし結局何も出来ない。

こうして踏まえてみると、俺が何かをしたいとか創作活動をしたいと思っているという最初の欲求自体が間違っていたのではないかと思えてくる。そうなのかもしれない。

俺はできるだけ何も考えたくなくて、インターネットエロコンテンツを眺めて過ごしたいだけなのかもしれない。しかしこのように明文化してみると、さすがにそれはないだろと思う気持ちもある。

堂々巡りするばかりで、何も決まらない。助けてください。

  • いろいろツッコミどころ満載の記事でおよそ2行ごとに「おいおい何言ってんだ」「矛盾してるだろ」「アホいうな」とおもうのだが、そういうことを全部列挙してもおそらく何も解決...

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